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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社カラダノート代表取締役、佐藤達也様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1984年、茨城県筑波市生まれ、慶応技術大学経済学部在籍中に、学生委員担当して株式会社フラクタリスト、現ユナイテッドにお入りになりました。
その後、卒業後も同時に、そちらの会社にご入社し、事業部長にご就任されていらっしゃいます。
2008年には、株式会社プラスアールを創業し、代表取締役に就任されていらっしゃいます。
この会社が、現在のカラダノートさんでいらっしゃいます。
そして、2020年10月には、東昌マザーズに上場しています、上場企業の社長様でいらっしゃいます。
佐藤社長様、本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まず、ご出身はスクーバーということですが、小学校時代はどんな少年でいらっしゃいましたでしょうか。
そうですね、小学校の時は野球を小学校、中学校、高校とやってはいたんですけれども、
その野球のチームで手を挙げてキャプテンになろうとするような、親からもなぜか仕切りたがる、リーダーやりたがるという少年だったというふうには聞いています。あまり記憶にはないです。
なるほど、じゃあ野球もお上手だったんじゃないですか。
いえ、ただ手に挙げるだけで全然上手じゃなかったという形です。
そうですか、中学校時代はどんなことを過ごしたなという思いでございますか。
そうですね、中学校も、筑波というところが比較的特殊で、もうほとんど公務員で研究者だらけの地域なんですけれども、
中学校に入ると、それがそういう研究者だらけの小学校と、そうじゃない、どちらかというと土着な地元の農家とかそういう方々の小学校と合体した中学校だったので、
地域の中で比較的荒れていた中学校で、その荒れていていわゆる茂木なんでヤンキーがたくさんいる中で、
ただヤンキーに負けるのも嫌なので、勉強はもちろんやりつつ、別に争いはしないですけれども、何かやられても従わないような、
良くも悪くも真ん中あたりで、すごいお勉強の方でもあるけれども、ちょっとヤンチャな方でも目立つような少年だったと思います。
じゃあ、わりと気持ち強い方というか。
そうですね。中学校の生徒会長にはならなかったですけれども、なんちゃら委員長みたいなのは何個かやったり、もちろん野球部もキャプテンだったりというところと、
一方でヤンキーに何か言われても従わないという立ち位置ではありました。
今、上条卿社長様ですので、社長さんになるべくしてなっているような少年自体とはそんな感じでいらっしゃいますか。
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そうですね。リーダーになりたがる、自分でやりたがるというところはそうだったかもしれないですね。
なるほど。ありがとうございます。高校は茨城県内の高校でいらっしゃいますか。
そうですね。地元の中来地校というところを出身しています。
高校時代はどんなことをして過ごしたと思いでございますでしょうか。
そうですね。中学校までそうやって野球でキャプテンやって、高校も一応勉強で県内で一番のところに入れたので入って、
ただ、中学校までは野球もできるし勉強もできるかなと思っていたら、高校に入ったら野球は全然下手くそで試合に出られないですし、
勉強の方でいっても高校300人ちょいいた中で、何なら300番台というのを何回か取るぐらい、
野球も勉強も底辺の方に行ってしまったので、すごい挫折をした、それまでに比べると挫折をしたタイミングだったかなと思います。
なるほど。でも高校から大学は慶応にお入りになっていますので、やっぱりお勉強はできたんじゃないかなという感じなんですか。そんなこともないですか。
そうですね。高校自体が勉強大好きなところではあったので、本当の上のほうはみんな東大とかに行くので、そこからするとちょっとアリューな部分と、
一方で3年の夏に野球を辞めてから、そこから必死にやるという感じで、そこまでは本当にひどかったんですけれども、
ここまで野球やって、その後浪人したくないなという気持ちで、絶対にここで決めるというのを決めて、1日めちゃくちゃ勉強して何とかギリギリ入りました。
なるほど。慶応を選ばれた理由というのは何かありましたか。
恥ずかしながら、高校時代も中高になりたかったもので言うと、警察官、検察官、弁護士とかになりたくて、いわゆる正義の味方みたいなものになりたかったんですね。
高校時代で言うと、最終的には検察官になりたくて、法学部に入って司法試験を受けようと思って、自分の学力の中で行けそうなのは仙台にある東北大学の法学部だったらいけるんじゃないかと思って、
東北大をメインで受けつつ、一応私立で賢いところをいくつか受けて、東北大も受かって第一志望を受かったんですけれども、
なんとなく平行で受けていた慶応も受かって、慶応なんて受かると思ってなかったので、仙台に行くか慶応合意になるかという選択肢が与えられたときに、
横島の考えで慶応を行ってみたいなと思って、親にお願いをして、国立に入るというのが私立になるわけですから、親にお願いして慶応に入らせてもらって、
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慶応を選んだというのをいくつか受けて受かって、横島の考えでなんとなくかっこいいんじゃないかなというので入りました。
警察官になるのは慶応に入っても目指されていらっしゃったんですか?
学部が経済学部なので、一応最初に入ったときはロースクールというのができるらしいから、経済学部でも行けるらしいと、
一応そこは自分で理由をつけて入ったんですけれども、最初は多少目指していたんですけれども、いざ入ってみたら経済学部から行くというのもそうですし、
他にいろいろ面白そうなものが見えてきたので、すぐに消えちゃいました。
大学時代の思い出は何ですか?
それで慶応に横島の考えで入ったものの、慶応ボーイになれるかなと思っていたら全然なれなかったというのが一番の思い出で、
それこそ日吉でサークルとかを選び始めたタイミングで、都会から慶応に来た方とか、下から上がってきた方とかのおしゃれな感じについていけないし、
すごい馬鹿にされちゃうことを何度か経験して、これはなかなか難易度が高いなと思って、
ここ同じことをやっていても僕はついていけないだろうなと思って、4月に本当に慶応ボーイになりたかったのでテニスサークルに入ったんですけれども、
5月に離脱しちゃうという形で、そこからは全然慶応ボーイは諦めて、慶応大生として何か新しいことができないかなということを考えていました。
インターンとしてフラクタリストさん、ユナイテッドさんに入られていますが、これ何か選んだ理由というのは何かありますか?
大学1年の時にテニス派なり大学の他の方々に馴染めずに落ちこぼれて、あまり入り込めず、夏ぐらいから他の人と違うことをやろうと。
ちょうど当時ベンチャー、それこそホリエモンとかもそうですし、ブームになり始めたような2003年だったので、
いろいろベンチャー面白そうだなと思って、そういうインターンというのもあるらしいというので見ている中で、
当時何年だったか覚えていないですけど中国の株式投資って面白そうだというふうに思って、
それもインターネットゲームみたいなので中国株投資みたいなのをやっていて、何となく面白いなと思っていたところ、
当時の私の前職のフラクタリストがガラケのSIRではあったんですけども、中国に進出する支援とかもしていたので、
そこが面白そうだと思って、面接でもそういう中国の話をしたら当時の社長に、
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なかなか珍しいことを言ってくる面白いやつだというので入れていただけたという形です。
なるほど。インターンやった後そのまま新卒でユナイテッドさんにご入社されているということなんですけども、
そこにしようみたいな思ったきっかけとかあられるんですか?
大学1年の後半、最後の方に入って、大学4年の途中に上場したんですけども、フラクタリストという会社も。
その前からいろいろ準備をお手伝いしてみたりしている中で、大学3年の後半ぐらいで自分で事業を立ち上げたいと言って、
いろいろ挑戦している中で実際に事業を立ち上げよう、4年のタイミングで、
それこそある程度コンサルティングの事業だったので、自分一人で営業してコンサルして売り上げを上げている中で、
気がついたら就職活動もせずに、自分の給与分以上は稼いでいるし、
普通に新卒でどこかに入るよりはいいお給料をもらえるかなというのでそのまま入ったという形です。
なるほど、じゃあもう慶応大学の4年間ほとんどはもう仕事をしていたみたいな感じですね。
そうですね、それこそ日吉時代もスーツで大学に行ったこともありますし、三田は大体もうスーツで行っていたと思います。
三田界隈だとちょうど弊社田町ですので、この界隈ですね。
そうですね、もうスーツでこの辺に来ていましたね。
ありがとうございます。
新卒でフラクタリストさんに入りましたが、そこでの思い出とか、どんなふうに過ごしていたかとか、仕事内容とかいかがでしたか。
そうですね、自分で事業を始めるまではもう何でもやだったので、それこそ本当に営業の資料を印刷してほっちき勤めるみたいなとか、
記事録、ノートに書くみたいなこともやっていましたし、そういういろいろやっていたんですけれども、
その事業を立ち上げる頃というか、上場前後ですかね。
そういう場合になってくると、結構上場を目指して何か一攫千金になるんじゃないかというので、
バーッと人が入ってきて、上場できたんですけれども、その後、あまりよろしくないんですけれども、
次の市販機決算のタイミングで過法修正するということがありまして、なかなか上場ができていなかったんですけれども、
次の市販機決算のタイミングで過法修正するということがありまして、なかなかよくないことをしてしまい、
そうするとそこで株価がめちゃくちゃ下がって、上場前に傭兵のように入ってきた人たちが一気に辞めていって、
何ならその翌年に今のユダヤテの前身のNGI、ネットエイジさんに市販参加してもらって、
助けてもらった感じではあったんですけれども、上場準備から上場して、潰れそうになって助けてもらう。
その後までいたので、栄光節水ぐらいの範疇で経験させていただいたのが一番勉強になったなというふうに思います。
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3分コンサルティング。ウィズウィズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングはS様、貿易業だそうです。
はじめまして、都内部貿易大統領Sと申します。本日は社員教育について質問がございます。
現在弊社は60名ほどの社員がおるのですが、仕事の効率側より社員、E5、Aの扱いに困っております。
Aは入社4年目なのですが、社会経営外のことだけをこなせばいいと考えてやる気がありません。
やる気がないだけならいいのですが、そんなことをしても無駄のような発言をして、社内に悪影響を出しています。
また、他の社員と比較をして仕事の効率が悪いのですが、本人に自覚がありません。
このままの状態が続くなら解雇と考えていますが、採用した責任もあるので、少しはもう真日しなければと思っております。
そこで新大さんに質問がございます。Aのような効率が悪い、自覚のない社員を成長させる方法を教えてください。どうぞよろしくお願いいたします。
大変難しい話ですね。まず解雇はおそらく難しいと思います。
うちの会社も不正した社員を解雇しようと思って弁護士に相談していたら、解雇はやめてくれ、自主対策にしてくれと言われました。
それぐらい労働基準法は厳しくて、世界的にはアメリカなんかはどんな人間でも解雇できるのですが、日本だと解雇はほぼ無理だと思っていただいた方がいいと思います。
それぐらい厳しい国ですね。他の全世界は解雇はどこの国でもほぼできます。
日本ぐらいですね。A君というのは教育していかないといけない、こんな話になっているわけですが。
私も前は東商一部上場企業で、責任者を仙台支援長とか彦役員とか、部長、本部長をやっていましたので、責任ある立場をやっていたときに、あるときですね、社員からこんな相談を受けました。
仙台さん、僕はあんまり仕事をしたくないんです。でも勉強したいんです。でもいつか社長になりたいんで、勉強はしたいと思っているんですけども、うちの会社でどうしていけばいいんですかというわけわかんない相談を受けました。
それも上司に相談するはずないようなのかなと思ったんですが、私も真面目に答えて、じゃあやるべきことをきちっとやり、あとは勉強の時間に充てるというふうにすれば、特に上司としては成果もそこそこ出ているからしょうがないかとこういう話になってきました。
だからそれならばいいんじゃないという答えをしました。じゃあその通りに行きますと本当に行きました。
よくサボっている人間なんて、あまりにサボると怒られまして、私から坊主にしろと怒られていたわけですが、でもサボらなければ何も言わないし、成果を出せれば特に何も言わなかったので、そこそこの成果は出ていたので、あんまり叱られない社員でした。
そのうちその人間は辞めてきました。今では介護の施設を10施設ぐらいやっていて、大変儲かっていて、本まで出して、非常に儲かっているそうです。
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それはすごく勉強になって、今でも私と飲みに行くと金谷さんに感謝しているんですが、その時はこんなこと言っていただきまして、無茶なこと言われていました。
ですので、社長様がA君を気にかけて毎週とか毎日とか声をかけながら面談をしながら指導してきて、ある意味やる気をちょっとだけ出させるというか、そういう方向性にしてみてはどうでしょうか。
もちろん会社としては、そんなことしたら無駄というネガティブな発言をすることに対しては、大変叱らないようにさせないといけません。
そういう意味で社長さんがまず叱った方がいいんじゃないかなと思います。一方で彼のちょっとやる気、やる気をちょっとだけ出させるために、彼の行きたい方向性、どっちの方向性に行きたいかみたいなことを聞いてあげることも必要なんじゃないかと思います。
私なんかライフプラン面談を全社員必ず毎年一回やるようにしてます。それは方向性と、自身の方向性と会社の方向性が違うとやっぱり不具合が出る時があるからですね。
もちろんその自分の行きたい方向性は尊重してあげてます。小説家目指してるわけがいいじゃないか、小説家で応援してるというふうに言うようにしてます。実際応援をしております。
応援してるって言ってもですね、願うこと以外の僕にできることは何もないので、願ってるだけなんですけども、でもそういうふうに応援してくれると嬉しいもんじゃないですか。
誰かしらに応援されるっていうのはですね、ウィズ株式会社を経営していても嬉しいです。社長さんたちに応援していただくのって嬉しいことです。
その中のA君が何を目指しているのか聞いてあげて、目指している方向性を応援してあげることも必要なんじゃないかと思います。
そんなことを重ねてきてやっていくと、A君も自分はこの会社には合わないなと思ったら辞めていくでしょうし、社長がそうやって目にかけてくるかって言って、ある程度一生懸命やるかもしれませんし、それでもやらないときはですね、
僕の師匠はこんなこと言ってました。3回言ってすごいなと思ってからあと3回言えって言ってましたんで、10回でも100回でも1000回でも言い続けることによって、このA君が少しだけでも変わってきたらいいのではないかなと。
結果的にそれが辞めるもいいし、少し変わっていただくもいいし、どちらでも構わないんじゃないかなと思います。
ですから社長さん自らが、Sさんは自らがA君をある意味育ててみると、声掛けをすると、ある意味2日に1回毎日声掛けてみると、こういうことをやってみてはいかがかなと思います。
もし何かご相談ございましたら、無料受験相談もさせていただいてますので、何々とおっしゃってください。リスナーの皆さん方も何か相談がございましたらおっしゃってください。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くinWizBizをお聞きくださり誠にありがとうございました。
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この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべて適当化いたしまして、私どもWizBizが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、皆様の会社経に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいてます。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くinWizBizはここまで。また来週。