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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、私塾会輔堂主人 青柳浩明先生でいらっしゃいます。
私どものWizBiz株式会社の論語の勉強会、 論語勉強会の講師をしていただいている青柳先生になります。
よろしくお願いいたします。 まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
5歳からお父様に漢籍、論語や尊師等々の ご指導を受けていらっしゃいます。
明治大学卒業後、東京会場システム開発に ご入社なさっています。
その後、越境の先生に指示。
その後、師匠のご病気に伴い、論語を中心とした 人間らの講義、講演を始められていらっしゃいます。
リーダーを支える論語入門などなど、 現在8冊出版されている。
日本では論語の先生の第一人者である 青柳先生になります。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、 ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
生誕地は東京都の府中市になります。
なるほど。どの辺お過ごしになられましたか。
父が空襲の戦闘機のパイロットでしたので、
2年3年ローテーションで全国の空襲の、 航空渋滞のある基地を点々としていました。
なるほど。じゃあ松島とか小松とか。
小松千歳。
あと博多もなんかでいたかな。
なるほど。
ありがとうございます。
小学校はどちらでいらっしゃいますか。
小学校はね、あたかの関って新田さん分かります。
有名な場所ですけど。
あの弁慶と吉津根が側の席所。
福井かな。
いつかわ県小松市になります。
小松になられるわけですね。小松空港の小松ですね。
あたか小学校でした。
なるほど。小学校時代はどんなお子様でいらっしゃいましたでしょうか。
理屈の多い子でしたね。
頭のいいお子様ということでいらっしゃいますね。
先を読んでこうしてこうすればいいでしょっていうことでやると
いつも父親から、航空時代の戦闘機乗りですから半分軍人みたいなもんだったんですけどね。
原稿作るわけですよ。横着するなって。
なるほど。
1始めたらだいたい3とか4とか分かったんで
それをやろうとすると2も3もやれと。
っていう子供でした。
なるほど。容量のいい頭のいいお子様でいらっしゃいますね。
容量は昔からいいですね。
なるほど。先生らしいんでちょっと嬉しいですね。
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ありがとうございます。
中学時代はどんなことを過ごしたなんて思いでございますでしょうか。
中学は特にないですね。
何かで頑張ったとかっていうのもなくて。
勉強があったりとかスポーツがあったりとか。
そういった意味ではもう5歳の時から論語を仕込まれ始めたんでね。
もう中学生の頃はそれにすごく反発して仏教を勉強してました。
もうその時代から仏教ですか。
学校の授業は中学時代まではいい子だったんで、おりこさんになったんで、
勉強しなくてもついてきました。
なるほど。頭のいい子でいらっしゃいますね。
仏教はどんなことを勉強なさったんですか。
要はですね、論語をゼとして教わるわけじゃないですか。
そうするとですね、それ以外の考え方もあるんじゃないかというの中には。
ということで、仏教の方が正しいんだとか勝手に思い込んで、
いろんな法典読んで、難しかったですけど一生懸命読んで、
やっぱり儒教だって戻ったのが中学生。
なるほど。
ここになると、キリスト教だと思って、キリスト教の聖書とか何回読んだろう。
4、50回は読みましたよ。
ちょっとじゃあ、周りのお子様からするとだいぶ変わったお子様でらっしゃいますね。
すごい変わった子だったと思いますよ。
なるほど。ああいう先生らしいので、ちょっと私今興奮している感じでございますが。
じゃあもう釈迦の考え方もキリストの考え方もよくご存知でらっしゃると、そんな感じでらっしゃいます。
ただ厳密に言うとですね、論語もそうですけど、
やっぱり半分弟子の思いが入っちゃうわけですよ。
ああいう辞伝じゃないものは。
結局は苦伝じゃないですか。
お師匠さんが言ってやる弟子たちが書き留めてたっていう。
そうなるとやっぱりずれていくんですよね。
なるほど。
結局はご存知だと思いますけど、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の神様はみんな一緒だけど、
預言者が違うから解釈が変わって、それぞれの宗教ができるみたいな。
だから弟子のトーンで変わるわけですよ。
仏教っていうのは、例えばなんとか教とかあるじゃないですか。
山ほどあって、みんな解釈した弟子の考え方なんですよ。
なるほど。
だから本当にお師匠さんは何考えてたんだろうって。
そうすると阿言教っていうのがあって、お師匠さんの考えに沿ってるって言われる。
それはよく読みましたね。
大学に入ったらそこから流れで、
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中学の時は仏教で、高校の時はキリスト教で、大学になったらまた禅宗科網とか持って、
でも禅宗というのは法典があるわけじゃないんでね。
とにかく実践するしかないんだ。
瞑想するしかないんだっていう感じで過ごしましたね。
なるほど。ありがとうございます。
ちょっとその前に戻って、高校時代はキリスト教を勉強しててっていうんですか、
それ以外は何かスポーツとかも特にやらずと、そんな感じでいらっしゃいますか。
ハンドボールやってましたけど、1年間だけ。
1年ではやめちゃいましたね。
バンドもちょびっとやったけど、あとはやっぱ本読んでたな。
バンドはギターですか。
ローリングストローズのコビーバンドやってたんですけどね、私それのボーカルやってたんで。
あんまりハマらなかった感じですか。
やってる時は楽しいですけど、別にプロになろうなんて全然思ってないし、
ちょっと時間の無駄かなという感じは聞きましたね。
大学時代はどんなことして過ごしたというのはございますでしょうか。
本読んでバイトして、本読んでバイトして、本読んでバイトして、
ちょっと気が向いたら大学キャンパス行って、そんな感じでしたね。
本読んでるのかちょっと横ずらしで、バイトはどんなバイトなさってらっしゃいましたか。
それはね、人生経験上必要だと思ったんで、全部やりましたよ。
似てるのは、例えばカニ光線って映画ってご覧になったことあります?
はい、本を読んでました。
そうするとね、ああいう何か過酷な世界ってどうなってるんだろうと思って。
私はコンクリート製造会社で大学1年生のときからバイトしたんですよ、2ヶ月間。
いやー、地獄だった。
例えば道路歩いてると有事行ってあるじゃないですか、排水が流れる。
あれなんて全部手作業なわけですよ、作るの。
機械じゃないんですよ。
なるほど。
胃ガタ組んで、油塗って胃ガタ組んで、セメント流し込んで、攪拌して、
シートかけて、スチームかけて、1時間ぐらいしたらまたシート剥がして、胃ガタ外して、コンクリートのコマとかを削って、
それが1セットで50個やるんですよ。
で、それを1日で4回くらいやるんですよ。
なかなかですよ、同じことの繰り返しで。
カニ交戦より厳しいんじゃないですか。
え?
カニ交戦より厳しいんじゃないですか。
ただカニ交戦の場合、いろんな触手があるじゃないですか。
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今のって大体ワンオペでやるわけですよ、一通り。
で、一番偉いような人がスチームのポジション決めて、どっからスチーム流し込むみたいな。
私たちのいっぺんそっすのような人たちは、アルバイトはひたすら胃ガタ組んで、流し込んでって。
で、1個1個が30キロぐらいするわけですよ、20キロとか。
それをまた運んで積んでとか。
いい勉強になりましたよ。
厳しい仕事をバイトにしようと思ったきっかけか、理由か何かはございましたでしょうか。
きっかけっていうか、ホワイトカラーって言葉が世の中出始めた頃だったのかな。
1980年代だから。
そうすると、大してブルーカラーってのもあるじゃないですか。
みんな嫌がって産経って言葉がなかったから、きついって言葉だけあって、
じゃあその世界はどうなってるんだろうって。
でもそれが存在するってことは必要なんだよなっていうことで。
あと冬場の庭園会社のバイトとか、これも過酷だった。
冬場に植えなくちゃいけない樹木って多いんですよ。
冬場に植えておかないと、例えば公園の樹木なんて冬場に大体植えるんですよ。
そうすると夏とかになると、緑が豊かになるわけですよね。
そうすると冬場に雪降ってる時とかね、
ツツジとかサツキとかね、樹木植えるじゃないですか、穴掘って。
その後ね、結構手を突っ込んでね、
こうツツジをなじませるわけですよ、根っこに。
コモっていって丸く囲ってある。
もう手の感覚がなくなるわけ。
で、寒いし。
だからその時に終わって、当然会社に戻るじゃないですか。
そうすると、そこのおかみさんみたいな人が、
大きな鍋でなんのことはない札幌一番がなんか作ってくれるわけですよ。
あ、札幌一番ってのはこんなにおいしいんだっていうのを大学時代に分かりましたね。
なるほど。割と過酷なのをいっぱいやられた感じですか。
うん、私20歳になった時にね、父に呼ばれてね、
ちょっと広崎に座ると、もう今日限りにお前を殴ることはしない。
今じゃもうDV、もうDVなんていう言葉がないぐらい馴染んでたんだよ、私はDVに。
広崎に座ると、もうこれから殴らない。
その後から3つマスターしようって言われて、
英語、コンピューター、運転、この3つができれば食いパクりはないからって言われて。
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なので、コンピューターの世界に行くって決めてたんですよ。
なるほど。
英語はもうやってたんで、なんとなく喋れて。
運転は20歳の時に免許取ってすぐ事故っちゃって、もうダメだわと思ってやめて。
だからコンピューターをやる、ホワイトカラーっていうとこ行くから、
その前に大学時代は肉体を酷使するようなバイトしとこうと思って。
なるほど。
で、時給がまた安いんですわ、びっくりするぐらい。
そうか、こういう世界で働かれてる方がいるから、日本のインフラは維持されるんだっていうのがすごいわかりましたよ。
なるほど。
お父様も、青井先生も、先見の目もあられて、コンピューター行くみたいな、そんな感じでいらっしゃいますよね。
いや、本当ね。
当時パソコンって言葉なかったから、日本だとせいぜいNECの881っていうのがあって、その後981っていうのが出てきて、
そういう時代だからコンピューターって呼んでたんですよね、昔は。
で、コンピューターをやっとけって言って、大学の研究室にNECの881があったのかな。
じゃあちょっとこれマスターしとこうと思って。だから3年5年のつもりで就職しました。
で、次のとこ転職しようって決めて選んだんですよ。
さっき言ったように、父が転勤転勤になったんでね、絶対転勤はダメだと。
私は89年入社、平成元年入社組なんで、世の中まだ消えてないバブルだったんですよ。
基本的に履歴書を送れば、会ってもらえるんですよ。大手とか一流のところ。
でも転勤は嫌だから、当然中小企業、主社がなくて本社しかないみたいなところが大前提になります。
ただし潰れちゃ困るじゃないですか。じゃあバックがしっかりしてるところって言うんで、
先ほど言っていただいたところに東京アジアさんっていうところはバックはすごいから、
そこのシステム開発会社なら潰れることはないだろうということで。
なるほど。
そこを選んだと。
なるほど。
で、コンピューターをマッサージしとこうと3年5年でね。
で、辞めようと思ったら面白いもんだ。
次から次に人参がぶら下がるっていう言葉あるじゃないですか。
はい。
いろんな面白いプロジェクトがやらせてもらえることになっちゃって、
でも始まりには全然話が変わっちゃうんだけど、
31歳の時かな、当時の課長に呼ばれて、
青木ロンドンに行かないかって言われて、行きたいですって言って、
結局国内じゃなくて海外行っちゃったみたいな。
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なるほど。
ロンドンに入って。
ご出世なさったっていうことでいらっしゃいますね。
いや別に、私は生意気だったんだよ。
人事フィードバックとかあるじゃないですか。
青木くんはここがこうでこうでこうで、そのまま頑張ってくださいとか言ったら、
私ね、ありがとうございますって言った後に、
普通にニコニコして終われば可愛い子なのに、
これじゃ面接になりませんって言って、
私の足りないところを教えてくださいって始まって、
何?とか言われて。
だから足りないところを言っていただかないと努力のしようがございませんって。
そしたらね、その時の課長さん、小林課長って言うんだけどね、
すごいこと言ってね、
え、そうなんだとか思って、
じゃあ青木くん一言だけ言いますよと。
自分が怪物だってことを理解してくださいって始まって。
そんな30代前半でした。
この怪物の意味は、青木先生も課長さんも理解しても、
怪物というふうに表現なさってらっしゃるんです。
えっとね、その言われた時は、怪物ってなんだよって。
怪物って言ったら私たち、
しんたりさんとかの私たちの世界って、せいぜい怪物くんの世界じゃないですか。
何怪物ってって思って、
あ、そうか、化け物か、スケールが大きいとか、
なんかちょっと他の人と違うんだとか、
いつなんだとか、それは後で分かりましたね。
なるほど。
で、その後、誰かに何か2回ぐらい言われたことがあって、同じようなこと。
はい。
あ、そう、怪物ってそういうことねって。
自分では分からなかった。
なるほど。
その小林課長様はどういう意味で怪物とおっしゃったかなんて、
今想像するとどんな感じであったんですか。
だから物事の考え方とか向き合い方とかがちょっと人と全然違うっていう。
例えば仕事っていうと、
皆さん、できるだけ楽な仕事をしていい評価をもらいたいっていうのが人情あるじゃないですか。
はい。
全員とは言わないけどね、大半の人が。
そうするとね、私はみんなが嫌がる仕事にはいはいって手を挙げる人だったの。
はい。
苦労を分かるうちに勝手にでもしろっていうことはあるじゃないですか。
つまり経験積んで得得しないと、頭じゃ分からない世界ってあるじゃないですか。
はい。
それはさっきのコンクリートの会社とか、冬場の庭園なんてのも、
1日行けば分かる話なんだよね。
はい。
それと一緒で、やっぱり苦労、みんなが嫌がるっていうのは何が嫌なんだろう。
こちらも分かりますよ、嫌がってる理由は。
でもそれが本当に嫌がるべきことなのか、克服できないのかとか、
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なんか考えて、はいとか言って。
そうすると、面白いもんで、次から次におはちが回ってくるわけですよ。
みんながしり込みするような厄介な仕事とか。
そうすると、それも全部はいはいやってたんで。
だから気がついたら、みんなが嫌がる火のついたようなプロジェクトとか、
途中で飛んだようなプロジェクトとか、そこに投入される人になってましたね。
なるほど。
だから精神的にタフ?
実際は、審査員さんは分かってもらえないかもしれないけど、
実際はとても繊細なんですよ。ものすごい心配症で。
その代わりに私は論語があるんで、だから何言って処理ができるんですよ。
だからみんなが嫌がるようなこともやってみないとわからないじゃないですか。
それで命取られるのかって。
第二次世界大戦のところの日本人が考えたら、
こんなのもうどうでもいいようなことじゃないとかって考えるようになりましたね。
なるほど。
そう、打たれるわけじゃないんだ。
ただ論語をやってるともうちょっと先行くんですけどね。
打たれたとしてもね、人のせいって身体さんも頑張りたくてもね、
150歳まで無理なわけですわ。
いつか行くわけですよ。
じゃあそれが早かっただけって、そんだけだよなって。
そこまで考えちゃうんで、
それは仏教とかも勉強してたっていうのはありますよね。
その死に関して、他の人と捉え方がちょっと違うっていうか。
だからもう20代の頃、
坂本龍馬さんがたしか33ぐらいで亡くなるのかな、35か。
私はそこまでに亡くなるぞとか思ってたの。
でもそこまで生きちゃったら今度は42歳の時に、
今度は中江藤寿先生42歳で亡くなったからそのままでに亡くなるぞって生きてて、
今度はそこも42歳とか3歳になった時は、
今度は50歳で亡くなった何周を最後高森王の50まで生きるぞとか考えて、
今はこの4月で60になったんでね、
じゃあ安岡先生の70いくつまで生きるかってな感じですわ。
なるほど。
先生とですね、長年老後の勉強会でご一緒してるんで、
お考えはよくわかりますか。
非常に共感できると言いますか、
なかなか先生の歴史を聞くと大変、
なるほどなと本当に思う感じがします。
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ありがとうございます。
もう一つ東京海上システム開発でのお話をもう少しだけお聞きしたいんですが、
何か東京海上システム開発で思い出になったことなんてございますでしょうか。
ロンドン行ったのが思い出になりましたよ。
ロンドン時代でどんなことして過ごされたんでしょうか。
当時7カ国あったんですよ。
ヘッドクォーターがロンドンにあって、
あとオランダ、ゲルギー、ドイツ、イタリア、フランス、
あとあそこにあるのはスペイン、
それぞれの地点があったわけですわ。
そこにいわゆるワンテンの引きに行ったんですよ。
ワールドワイドネットワーク。
当時はなかったんだよね、ネットワークが。
あとWindows95っていうのが世の中に出始めてたんで、
それをインストール。
97年に行ってるんで私。
ほんと出始めなんですよ。
で、進んでWindowsを導入するっていうのと、
アウトロックって言って、
当時それしかなかったんで、
いわゆるオフィスツールっていうのを導入しに行く。
あとネットワークで結ぶっていうのをやりに行ったんです。
だから1年間のうち3分の1は海外にいましたよ、
ロンドン以外に。
地獄のアンギャっていうのを勝手に呼んでたのがあって、
最初にアムスから入って、
次ブリュッセル行って、デュセルドルフ行って、
パリ行って、ミラノ行って、
バルセロナ行って、ロンドンに帰ってくる。
日中から帰ってこれないですよ、ロンドンに。
それが2、3回あったかな。
そうすると、日中いろんなもの見学できて楽しそうですね、
とかって思うじゃないですか。
大間違いで、次の国に入るのって、
大体11時なんですよ、夜の。
真っ黒で何も見えないじゃないですか。
日中はオフィスでセッティングとかしてるじゃないですか。
夜は一泊してまた次の仕事だけしたら、
もう移動の準備してまた次のとこ移動していく。
見物なんかしてらんないんですよね。
っていう感じでしたね。
ただ、もう将来海外旅行行かなくていいやってぐらい。
その代わり、週末。
面白いもので、向こうってカソリックじゃないですか。
イギリスのプロテスタントを除けば大体が。
そうするとですね、日曜日のみんなミサに行こうっていうことなんで、
土曜日の夜って、みんな海外旅行しないんですよ。
国外旅行。
日本と違うんですよ。
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日曜の朝、地元にいなくてはいけないってことなわけですよ。
となると何が起きたかというと、
エアチケット、航空券が半額になるんですよ。
土曜日の夜、他国に泊まると。
その制度をめいっぱい活用して、月曜日からの仕事にもかかわらず、
土曜日の夜から行って、土を煮つって遊んで、
さっき言った月曜日からの仕事1週間とか。
なるほど。
だからね、ものすごい優越感に浸れましたよ。
ルーブルなんて、
庄民、20時間くらいいたのかな。
全部見て、もうやることないから、
モナリザの前、当時はそんなに混んでなかったんで、
モナリザの前で30分くらいずっとモナリザを眺めてるわけですよ。
そこは日本人観光客がですね、
あと15分後に入り口集合でとか、
ものすごい駆け込みというか、
急ぎ足で見物してるわけですよ。
見学してるというか。
そこを私がまったり時間を過ごしてるっていうのは、優越感でしたね。
なるほど。
でも行くとこなくなって、最後。
パリは特に毎月、ユーロスターというのに乗って行くんですけどね。
まあ新幹線みたいなもんなんですよ。
大阪行く感覚なんですよ、パリって3時間で。
見るとこなくなっちゃって、美術館もだいたい見尽くしたんで、
ディズニーランド行ったんですわ。ユーロディズニー。
もう資産の極まりで、97年当時って。
アトラクションが20個ぐらいあって、家動してるのって7、8個なんですよ。
わかります?その意味。
なんで動いてないんですか?
動いてないんですよ。
人がいないから動いてないんですか?
機械が壊れて動いてないんですか?
人気なかったっていうのがあるんですよ、ユーロディズニーが。
なるほど。
私は日本に帰国した後に、記者会見の一手が打たれて、
なんだと思います?あることやったんですよ。
なんでしょうか?
ワインの提供を始めたんですよ。
そうするとお父さんたちが同行するようになったんですよ。
なるほど。
え、というか飲酒運転いいのか?とかって。
それは置いてきますよ。
とにかくお父さんたちも行くようになったんで、
家族で行くっていう場所になったんですよね。
なるほど。
それまで女性と子供が行く場所みたいな感じだったのが、
お父さんも楽しめる場所みたいな。
でも私の時はそんなのなかったんで、
閑散としてましたよ。
そうですか。
東京ディズニーランドがうまくいったっていう有名な話がありますからね。
そうそう、その後だもん。ユーロでうまくいったから、
じゃあそれでやってみようって。
それはそうだよね。
フランスのディズニーランドでワインが出ないっておかしいだろうって。
で、向こうの人たちってアルコールの分解酵素ってすごい高いじゃないですか。
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だから本当に水代わりに飲むというか、
そういう人たちなんで、やっぱり提供してないとよろしくないんですよね。
フランス人の小学生もワインを飲むって言われてますからね。
ああ、それはすごいわかる。
日本人だとなんだろうな、リンゴジュース?
とかそういう世界じゃないかな。
喉を美味しく潤すみたいな。
なるほど。
そうそう、とかとかで。
じゃあロンドンの時は楽しくも過ごし、忙しくも過ごしと、そんな感じで。
いや、もうあっという間に終わりましたよ、1年半。
なるほど、ありがとうございます。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいてます。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。