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2025-02-12 16:38

第421回 大畑健氏(ユースタイルラボラトリー株式会社代表取締役)【前編】

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今回は、ユースタイルラボラトリー株式会社の大畑健氏にお越しいただきました。

 

大学卒業後に、投資銀行2社を経験後、32歳でユースタイルラボラトリーを設立。

訪問介護ビジネスのフランチャイズを展開し、年商100億円の企業へと成長させたエピソードから、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

 

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

 

■経営者インタビューメディア「経営ノート」

https://keiei-note.com/

 

■WizBiz社長塾

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社長に聞く!in WizBiz
【前編】
小学校時代、比較的落ち着きが、活発というと表現がいいんですけれども、比較的落ち着きがない子どもだったなというふうに、今となっては思いますね。
学期代償的な感じですか。
そうですね。学期代償だったかもわからないですね。親が時々、学校なり友達の親なりに謝罪をしに行ったということも、今思うと多々あったなというふうに思います。
そんなことを思ったのは、今日のこの場で初めて思ったんですけれども、まあ親はいろんなところ謝りに行くなというふうに思いました。
社長さまらしい社長さまでいらっしゃいますね。ありがとうございます。
中学時代はどんなことをしてすごいさなんだ、お思いでございますでしょうか。
小学校から引き続いてなんですけれども、基本的にはずっとサッカーだけやってた印象がありますね。勉強はほとんどしてなかったと思います。
サッカーポジションはどちらになっていらっしゃったんでしょうか。
けっこうあっちこっちやってたんですよね。これっていうのはあんまりないんですけれども、フォアでやってみたりディフェンスでやってみたりしてた記憶があります。
なるほど。運動神経もすごくよろしかったんじゃないですか。
そうですね。よかったなというふうに思うんですけれども、やはりサッカーをどんどんやればやるほど上には上がいるなというのが正直なところですね。
本当にサッカーだけでやっていく人たちとか、サッカーに限らないんですけれども、特に競技人口が多いようなスポーツをやっていく人たちは本当に化け物ぞろいだなというふうに思いますね。
なるほど。ありがとうございます。その後、都立高校というふうになっていますが、高校はどちらの高校にお勧めになられたんですか。
東京都立富士高等学校というところですね。これも中野区にあって、比較的家から近い学校なんですよね。
なので、ずっと小学校も中学校も地元だし、高校も地元で、そこで結局途中で辞めて海外に行ってしまうんですけれども、本当にずっと近所のところで過ごしました。
03:08
富士ですと頭がいいので勉強も相当できたんじゃないでしょうか。
いや、そんなことはないんじゃないですかね。
富士でも実際、卒業をそもそもしてないんですけれども、まともに通っても卒業できたかどうかは怪しかったなというふうに思いますけどね。
一応、リストの皆さん方には大幡社長様の名誉のためにお話すると、一番その地域、頭いいが西高校。その次は富士ですので、二番目に頭いい高校ですね。
私も都立出身でございますので、都立の駒場というところ出身でございますので、よくわかりますが、
富士高校入るのが大変な方ですね。ないしもよくないと入れない高校でいらっしゃいますね。
そこにお入りになったことがあったので、勉強もできたんじゃないかと思いますが、高校中退してサッカーを目指そうと思ったのは何年生ぐらいだと思いますか。
それは結構1年ぐらいなんですよね。それで最終的には行ってしまうんですけども、向こう見ずだったなというふうに正直思いますよね。
結果的に飛行機に乗ることになってしまったんですけども、最終的には誰も止めてくれなかったなというふうに思った記憶がありますけどね。
海外はどちらの方に行かれたんですか。
イタリアですね。
イタリアではクラブチームとかに入っててそんな感じですか。
そうですね。イタリアで結構転々として、最終的には帰ってきちゃったわけなんですけども。
何年ぐらいイタリアでは過ごされたんですか。
イタリアはトータルででも1年、2年ぐらいですね。そんな長くはないですけどね。
何か思い出とかございますか。
いや、なんかしんどかった思い出しかなくてですね、サッカーやってうまくいかなくてっていう思い出ばっかりですね。
あとは比較的貧しかったので、飯が貧相だったなという記憶がありますね。もちろん実際にしてたんですけども。
ブルー氏はサッカーでイタリアに行くのにご反対とかそういうのはなかったんですか。
もちろん反対はしてましたけどね。今でもそのあたりに自分の特性として直っているなというふうに全く思ってないんですけども、人の話聞かないですよね。
本当に自分の中では、最近になると黒歴史というのか、本当に人生いくつか失敗したことの中のうちの一つだというふうな認識、位置づけですね。
なるほど。
行かなきゃよかったなと思ってます。
なるほど。ありがとうございます。
その後、日本に戻られて大学に入学というふうになってらっしゃいますが、戻った後はストレートに大研に進むんですか。それとも違うことをされたんですか。
そうですね。戻った後も日本でサッカーやったり怪我したり、いろいろしてたんですね。アルバイトしてたりとか。
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大研自体は実は当時そこまで難易度も高くなくて、あっさり取れてるんですね。なので、高校を普通にストレートで卒業する前に確か大研自体は取ってた記憶があります。
ただその22、23ぐらいまではダラダラとサッカーやってみたりしながら、最終的にはこれどうにもならんなと思って大学に行ったという感じですかね。
なるほど。ありがとうございます。大学はどちらの大学にお世話になりましたか。
大学は早稲田大学ですね。
学部はどちらで。
小学部です。
早稲田大学小学部に行かれた理由というのは何かございましたでしょうか。
受かったからというのが単純な理由で、特にそんなに理由はないんですよね。当時は私、早稲田大学滑り止めなんですけれども、
センター試験の点数だけあると入れたみたいな感じなんですね。あとはエッセイか何か書いた気がしますけども。なので、引っかかったから行ったみたいなのが正直なところです。
早稲田大学の小学部滑り止めってすごい人生なんですけど、僕らからすると。もっと上を目指してらっしゃったんですか。
東大をしてたんですよね。なので受かったところに行ったと。
なるほど。やっぱり都立富士の人はちょっと違うことをおっしゃいますね。すごい話ですね。
早稲田の小学部でのどんなことをしたなんて思い出とか、過ごした思い出なんてございますでしょうか。
アルバイトばっかりしてましたね。今思うともっといい時間の使い方があったなというふうに思うんですよね。
20も半ばに差し掛かるぐらいで大学に行って、アルバイトざんまいとはいかがなものかなというふうに当時を振り返ると思うんですけれども、ずっとアルバイトしてましたね。
どんなアルバイトをなさっていましたか。
非常にだらしないアルバイトで、病院の当直の事務をやってたんですけれども、本当に何もやることがなくて、でも時間はすごい長いんです。
夕方5時から翌朝の9時までで、その間で実動が夕方1時間、朝1時間ぐらいの2時間ぐらいしかなくて、
あとずっと本を読んでられるという素晴らしいアルバイトで、それだけは大学時代に戻ったらもう一回やりたいなというふうに思っているんですけれども、
毎回大学の図書館で本を4冊、5冊ぐらい持ってって、ずっと読んでるみたいな感じでしたね。
非常にいい思い出です。
大学卒業後、投資銀行へご就職というか、投資銀行どちらに?
投資銀行は新卒で入ったのはクレディースイスというところで、株のトレーダーの見習い的なことをやってましたね。
クレディースイスというと世界的に有名なプライベートバンクで有名だと思うんですけど、もともとそういうプライベートバンクとか銀行業務とかそういうのを目指していらっしゃったんでしょうか。
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私は大学3年のときに働くなら面白いことがいいなと思って、なんとなくそのとき面白そうに見えた。
学生が面白そうに見えるなんて大体極めて表層的なことなんですけれども、コンサルティング会社に入りたいなと思って受けに行ったんですね。
そうすると同じようなそこに受けに来ている人たちと大体就職活動で仲良くなって、
その中でどうやら金融機関もみんな受けるぞ、金融機関というか投資銀行を受けるぞというところで受けに行ったら、
そっちの方がどうやらかっこよさそうで、最終的に投資銀行を何社か受けてその中の一社に入ったというところですね。
実は大学入る前とか大学中に金融に対して愛着があったとか、何かエピソードがあるというわけではないんですよね。
なるほど。ありがとうございます。
クレディースイスはどんなことを一緒に過ごしたかという思いでございますでしょうか。
クレディースイスは株のトレーダーをやってたんですけれども、これが極めて朝が早いんですよね。
マーケット自体は今9時だと思うんですけれども、大体8時ぐらいから確か当時当商人に注文が出せたような気がするんですよね。
てなると7時ぐらいから朝のミーティングがあったような気がするんですよね、当時は。
アナリストが発表してくれたりとかっていうのが大体7時ぐらいだった気がするんですよね。
さらにそれより前から新人は行って、その前のニューヨークがどうだこうだみたいな話をすると、大体始発で行ってたイメージがありますね。
大体5時ちょっとぐらいに会社に着いてた記憶があります。
とにかく朝早かったなと。
株のトレーダーとかって、私当時はお客さんっていうんですかね、機関投資家のオーダーをさばく仕事をしてたんですけれども、
基本的にスポーツ的というか、前場後場、午前中と午後でそれぞれ前半後半みたいな形で、
やると1日終わると疲れ切って、3時、3時半ぐらいからちょっとした雑用をこなして、4時過ぎぐらいに一応一旦終わるんですけれども、
あとは抜け殻のようになって、なんとなく勉強したり、なんとなく雑用したりとかして、家に帰ってた記憶があります。
なるほど。ありがとうございます。
ちょっとリシャーさんにご説明すると、証券会社ご就職の方がみんな朝早くて、朝5時、6時にミーティングするの好きっていう人たち非常に多くて驚くんですが、
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皆さん方、レディースウィッシュさんも同じでございますね。ありがとうございます。
2社目も投資銀行といったら、2社目はどちらに寄ってらっしゃるんですか。
2社目はマコーリンっていうオーストラリアの投資銀行で、ちょっと私もいい加減なキャリアなんで、
クレディースウィッシュでマーケットっていうんですかね、株のセカンダリっていうんですかね、株の売買をする方のジュニアをやっておりまして、
2社目はIBDっていうんですかね、いわゆる投資銀行部門っていうプライマリーマーケットですね、株を発行するとか発行しないとか、
MAをするとか、そういったどっちかというと、そっち側の方のまたジュニアをやって、これは私としては今となってはすごい良かったなっていうふうに思うんですけども、
こういうセカンダリとプライマリを行き来するっていうのはどうなんですかね、今でも少ないんじゃないですかね、こういういい加減なキャリアをする人っていうのは相当少ないと思いますね。
おっしゃるとおりですね、大体そのルートに決まるので、公開不休期だったら公開不休期でずっとみたいな感じになる可能性が高いので、おっしゃるとおりですね。
そこでの思い出なんてございましたでしょうか。
そこはとにかくめっちゃ働いた記憶がありますね。
当時の投資銀行部門は、とにかくひたすらジュニアを働かせるっていう、私が出来が悪かったっていうのもあると思うんですけれども、大体1週間に100時間ぐらいが多いぞというのが相場でしたね。
なるほど、だから実力もついたんじゃないですか。
どうなんですかね、私やっぱりサラリーマンとしてはそんなに出来が良かったなと思わないんですよね。
最終的に辞めた後、当時の上司に対してはあの野郎っていうふうに思ったこともあるんですけれども、よくよく考えると99%私が悪いなというところは本当に反省というか思うところですし、
でも本当にその2つの会社、本当に良い経験させてもらったなと思いますね。
なるほど、ありがとうございます。
経歴に首って書いてあるんですけど、2社目の投資銀行部、首になったってことになってますか。
首ですね、AマンドNの外資系のところって比較的すぐ首にするというか、ある日上司がいなくなって、ついでに自分もいなくなったみたいな感じですね。
なるほど、首になった時は焦ったりしないのですか。
業界的によくあることってよくあることなのかなというふうに思いましたので、2社目の時は一旦もういいかなというふうに思いましたね。
非常に良い経験はしたなというふうに思いますし、私はその会社をすごい楽しんではいたんですよね。
けれども一旦これでいい、自分で何かやろうというふうに思ったのを覚えてますね。
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本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいてます。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長肉インウェズではここまで。また来週。
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