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2026-03-18 13:36

第478回 大須賀 祐氏(株式会社インポートプレナー最高顧問)【前編】

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今回は、株式会社インポートプレナーの大須賀 祐氏にお越し頂きました。

国内ビジネスに失望し、会社を退社。その後、輸入事業にその身を投じる。合格率8.4%の超難関貿易資格「ジェトロ認定貿
易アドバイザー」を取得。多くの方に輸入ビジネスのノウハウをお伝えするお姿から、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。
なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載し
ています。ぜひこちらもご覧ください。
■経営者インタビューメディア「経営ノート」
https://keiei-note.com/

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サマリー

株式会社インポートプレナー最高顧問の大須賀祐氏が、自身の経歴と輸入ビジネスへの転身について語る前編。福島県会津若松市出身で、幼少期は内気だったが中学時代にバレーボールを通じて変化を経験。高校時代は慶應大学を目指し猛勉強するも、試験科目の変更で早稲田大学へ進学。大学時代は麻雀に明け暮れたが、卒業後は東証一部上場企業フランスベッドに入社。しかし、日本のビジネスモデルに失望し、3年で退職を決意する。

大須賀氏の経歴紹介と出身地
社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社インポートプレナー最高顧問大須賀祐様でいらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
早稲田大学小学部卒業後、東商一部上場企業に入社。
3年目で最優秀営業委員賞を受賞なさっていらっしゃいます。
しかしながら、国内ビジネスに失望し、会社を退社。その後、輸入ビジネスに身を投じていらっしゃいます。
そして、ジェトロ認定貿易アドバイザーという大変なりにくいアドバイザーを取得し、
日本貿易振興機構ジェトロに認定を受けていらっしゃいます。
という私どもでもセミナーもやっていただいた大須賀最高顧問でいらっしゃいます。
大須賀様、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますか?
福島県の合図若松です。
私、福島担当だった合図若松よく行っていたんですけれども、合図若松はどの辺とかまで覚えていらっしゃいますか?
飯堀山ってあるんですけど、百代甲辞寺さんの青近くなんですよ。
そうですか、そうですか。僕は門田とか。
門田ありますね。
ちょっと普通の人はわからないから、今知っております。
小学校とかも合図若松ですか?
そうですね。
幼少期から中学時代の変化
小学校時代はどんなお子様でいらっしゃいましたでしょうか?
小学校の時は、今はよくネタバローと言われるんですけど、非常に打ち気な人間でありましてね。
どちらかというとコミュニケーションが苦手で、学校終わった後よく図書館に行って本を読んでいるという、非常に大人しい打ち気な少年でしたね。
合図若松だと山もあり森もありなんで、どっかに遊びに行くみたいな、そんな感じはお友達ととはあまりしていらっしゃらなかったんですか?
ありましたけど、どちらかといえばやっぱり打ち気だったような気がしますね。
じゃあ東北の少年みたいな。
もう典型的な、そういう感じでしたね。
なるほど。ちょっと今のお姿、わりと喋るのが上手になっちゃうんですね。
絶対ネタバローと言われるんですけど。
ネタじゃないですね。
ちょっとびっくりするんですが、中学も合図若松ですか?
中学もそうですね。
中学時代はどんな子と接触をしたかというお思いでございますでしょうか?
中学校時代はバレーボール部に入ったんですけど、実はたぶん中学生時代からちょっとずつ自分が変わってきたって感じしましたよね。
バレーボールはポジションはどちらだったんでしょうか?
当時9人制でありまして、一番前のアタッカーという一番鼻型の部署なんですけど、そこをやってましたね。
やっぱりそうすると運動神経も良くて、頭も良くて、リーダーシップもあってという私からすると見えちゃうんですが、そんな感じでいらっしゃるんですか?
全然違うんですよ。全然そんなことはなくて、どちらかというと劣等性でありましたね。
ただ中学校の時に意識が変わったっていうのは、小学校時代まではどちらかというとね、
うちの妹が結構すごくて、妹のほうに注目が集まっててね、
どちらかというと私自身はダメな男なんだという感があったんですけど、
中学校に入ったらどういうわけか知らないんですけど、ちょっと成績も上り始まってね、
そして運動神経も結構良かったものですから、運動で活躍することによって皆さんに注目を受けて、
少しずつ今の自分の始まりがあったという感じなんですよね。
なるほど。じゃあもう中学ぐらいからモテ期がガッと始まるみたいな、そんな感じでいらっしゃいますか?
そうかもしれませんね。
ありがとうございます。
高校時代の受験と大学進学
高校も藍津若松ですか?
そうです。
高校時代はどんなことをして過ごしたかと思うでございますか?
高校時代は最初やっぱりバレエ部に入ったんですけど、やっぱり大学受験っていうのがね、
非常に高校時代の一番の目的じゃないですか。
ですから1年くらいで辞めて、もう2年、3年はもう、これもネタだろうって言われるんですけど、
もう勉強は一筋でいましたね。
なんかそんだけ勉強するといい大学行って、いいところにお勤めになってみたいなこと、
もうその当時からお考えになってた感じでよろしいですか?
実は海外映像が大好きで、海外映像がね、K-1出身なんで、K-1大学に入りたいってずっと思ってたんですよね。
調べたら結構難しいんで、勉強しなければならないということで勉強始めたんですけど、
なんと高校2年の時に、その慶応大学が、何て言うんですかね、試験科目を突然変えたんですよね。
それまで数学っていうのは文系なんですけどね、数学は入ってなかったんですけど、急に数学入ったんですよ。
で私は慌てて、もう数学全然やってなかったんでね。
0点、0点っていうか赤点って言われるね。あれ本当に赤字で書かれるから赤点なんですよね。
そういう数字をもらってたんで、これからでは間に合わないと。
じゃあどうする?ってなった時に、慶応に入れないとするとどうすればいいんだ?
そしたら慶応のライバルがバスタワーっていう話になって、じゃあこっちでいいやみたいな感じでね。
今度はバスタワー大学の方にシフトして、そこを目指したっていうことなんですよね。
なるほど。じゃあ相当真面目な勉強する少年だった。
そうですね。高校生までです。
高校生まで。ありがとうございました。
大学時代の過ごし方と就職活動
で見事、早稲田大学にお会いになってらっしゃるんですが、逆に早稲田大学時代はどんなことをしてすごいしたかと思ってございますでしょうか。
これもですね、どちらかというと、毎日マージャンをやっているような生活でしたね。
もう当時はですね、学生のやることってほとんど今やのようにカラオケとかね、そういう踊りに行くとかそういうのもなかったので、
大体マージャンをするか部活をするかっていうことなんですけど、私はもうマージャンに明け暮れた日々で、一時はジャンプロになろうかなと思ったくらいなんですよね。
だからどちらかというと、大学時代は現役で堂々とね、正面から入ったんですけど、卒業は裏から5年かかって出た。裏口から出てたみたいな。そんな感じになっちゃったんですよね。
週7日ぐらいで出た感じでいらっしゃるんですか。
そうですね。毎日それですからね。たまに学校に行くのはメンバー探しに行くという。
メンバーが見つかった瞬間、もう隣の一番そこに入っていくという。
で、その後就職したのが東商一部上場企業。こちらはどちらの企業でらっしゃいますか。
これはフランスベッドっていう会社なんですけど。
そのフランスベッドをお選びになった理由は何かございましたでしょうか。
理由はですね、そこしか行かなかったということなんですね。
正直言っては5年かかってしまったので、当時はやっぱり割りかし受験者っていうか側が不利な時代だったんですよね。
選ばれる側だったので、大体のところがですね、処理先行の段階で及ばずという、一週間くらいで返事がきましてね。
後々にジェトロの認定アドバイザーになるわけなんですけど、当然ジェトロにも申請したんですけど、
あそこは早かったんですよ。3日4日で返事きて残念だなという形でね。
そんなような感じでしたね、大学時代はね。
わせだなんでですね、大変ご優勢でやっちゃうんで、どこでも受かれそうなイメージなんで、そうでもなかったですね。
いやいやいや、全くそう。裏から出ましたからね、その町わけですけど。
フランスベッドでの失望と退職
なるほど、ありがとうございます。そのフランスベッド時代の思い出なんて何かございましたでしょうか。
これはですね、やっぱり一番感じたのは、サラリーマン生活に対する失望っていう、国内ビジネスに関する失望っていうことですね。
私は大学5年行ったおかげで卒業旅行を2回やってるんですね。
大学4年の時にヨーロッパを40日、大学5年の時にアメリカを40日旅してるんですよ。
そこで世界を見てしまって、例えば世界のビジネスと日本のビジネスが明らかに違うんだっていうのが、会社に入ってわかったんですよね。
ここにいちゃいけないって思った3年間でしたね。
なるほど。海外を見てらっしゃるから、国内のビジネスと比較したかどうか、もうちょっとだけお詳しくお聞きしたいんですが、どんな部分に国内ビジネスに失望した感じでいらっしゃるんでしょうか。
これは一番典型的なのは、価格、要するに販売価格を自分で決められる職種が少ないってことなんですよね。
つまり日本には低稼働というのがあって、メーカーが一方的に販売価格を決めて、販売店とかを統制してるんですよね。
ある種奴隷のような感じになっちゃってるわけですよ。
ですからどんなに能力があろうが、努力をしようが、一定以上の価格で販売できないんですよね。
ところが海外は違うんですよ。
例えば同じ水でも、同じ日本で100円で売ってる水でも、70円で売ってるところもあれば200円で売ってるところもあれば、150円で同じブランドですよ。
これを知ってしまったんですよね。
ですからやっぱり我々別途メーカーでしたから、やっぱり同じように販売店に頂戴を無理やり敷いて、
これで卸すんで、あなたはこれで売りなさいという、こういう指導をするんですよね。
そうするとやっぱり小売店さんからは、大塚くん、こういうシステムで我々の会社は立ち行くと本当に思ってるのって言われるわけですよね。
そうすると私自身は、なわけないよなと思いながらもね、メーカーの人間ですから、
いや、社長のところはこれ良い方なんですと、うちの会社としても言うしてるんですよと。
そういうことを言わなければならないのが辛くてですね、それが非常にじくじたる思いっていうかね。
自分もここにいたんではね、所詮やっぱりそういう形になってしまうんだろうというふうに思ったんですよね。
なるほど。何年くらいフラッスンベッドにはいらっしゃる?
3年ですね。
その3年目で最優秀営業所ですか?
はい。
いただいてらっしゃるということなんですが、引き止めに会われなかったでしょうか?
会いましたですね。やっぱり事業部長、当時の事業部長がうちの営業所に来てね、
大塚くん一緒に食事でもみたいな感じで、でもここで食事行ったら引き止められるじゃないですか。
そこは断って貫き通したっていうかですね。
あとやっぱりもう一つは、やっぱり我々がお使いしているのはその会社の代表者じゃないわけですよ。
営業所長なわけなんですね。営業所長もサラリーマンなんですよね。
ですからサラリーマンがサラリーマンを使う。
逆に言えばサラリーマンに使える悲劇をものすごくいっぱい、不条理、不合理、悲劇がたくさんあるわけですよ。
それがどうもですね、私にとっては苦痛で、これって絶対に正しくないよなっていうふうに思う部分もありましてね。
なるほど。
そこが一抜きですね。
番組紹介と次回予告
お聞きしてたの、私も東町市部常務までやって、サラリーマン常務ですから、気持ちがすごくよく分かるんで。
本日も社長に聞くインウィズウィズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズウィズが運営するウェブサイト経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいてます。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズではここまで。また来週。
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