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2025-10-01 15:00

第454回 河野映彦氏(株式会社アップガレージグループ代表取締役社長)【前編】

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今回は、株式会社アップガレージグループの河野映彦氏にお越し頂きました。

 

野村証券時代に、同世代の顧客が成功する姿に触発され、ステップアップのためアップガレージに入社。同社で出世を重ね経営者に就任。

中古車業界で業績を伸ばし続けるお姿から経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

 

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

 

■経営者インタビューメディア「経営ノート」

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サマリー

株式会社アップガレージグループの河野照彦社長が、自身の経歴や幼少期からのスポーツ活動について語ります。特にアメリカンフットボールとの出会いや大学での経験が、彼の成長に大きな影響を与えています。河野社長は、野村証券での経験やアメフト部でのリーダーシップについて述べています。彼は業界一位の会社での仕事を志向し、厳しい環境の中でも多くの学びを得たことを振り返っています。

河野照彦の経歴
社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社アップガレージグループ代表取締役社長 河野照彦様でいらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
明治大学卒業後、野村創建に入社。その後、株式会社アップガレージグループにご入社。
社長室長、事業本部長、子会社代表取締役社長を経て、アップガレージグループの取締役社長を経て、
代表取締役社長にご主任になさっていらっしゃいます。
アップガレージグループ様は、東商スタンダード市場に上場している上場企業様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
お願いいたします。
最初のご質問ですが、ご出身は東京都のことで、東京のどちらでいらっしゃいますか?
東京都、世田谷区になります。
小学校も世田谷でいらっしゃいますでしょうか?
小学校は違うんですけど、小学校は江東区ですね。
小学校時代はどんなお子様でいらっしゃいましたか?
そうですね。野球少年でして、ずっと野球をやってるような少年時代を過ごしました。
ガキって人タイプとかそんな感じですか?
ガキ対象ではないですけど、みんなで小さい同級生や後輩と下の子たちとみんなで野球をやるみたいな感じのことをよくやってました。
野球や鬼ごっこやスポーツやそういうことをやってるような少年でした。
運動神経のいい持てる少年みたいな感じでいらっしゃいますね。
いや、持てるかどうかわかんないですけど、少年時代は運動には自信があった。
ありがとうございます。中学時代はどんな子として過ごしたなんて思いでございますか?
そうですね。中学も引き続き野球をやっていたというところと、野球でもそんなに自分自身が高支援に行ける高校に行きたいなというふうに思いながらも、
でも一方で自分自身がスポーツ推薦で行くっていうよりは、しっかりと勉強をしながらいけるように考えて行動してたような感じの中学生でした。
じゃあ割と中学時代からしっかりしたお子様というか、そんな感じでいらっしゃったんですね。
そう、しっかりしてたかわかんないですけど、文武両道とかっていう言葉があると思うんですけど、なんかそういうのを地で行くようなことをチャレンジしたいなというふうに思いながらやっていたという形ですね。
それはでもやっぱり周りの人の影響もあって、スポーツだけとか勉強だけっていうよりは両方できる方がかっこいいよねみたいなところがあっての、そういうふうな形になったかなというふうに思います。
なるほど。ありがとうございます。高校はどちらのほうにお勧めになられましたでしょうか。
高校は都立戸山高校というですね、新宿区にある都立高校に行きました。
私は都立の駒場出身ですので。
そうですか。
東大に何人も受かる学区というか、今学区ないかもしれませんが、東京ではトップ校ですね。非常に頭のいい学校ですので。
戸山高校に受かるけど、相当勉強できたんじゃないでしょうか。
相当勉強。できたかどうかっていうのはちょっとわかんないですけど、勉強はしましたね、中学のときは。
なるほど。ありがとうございます。
本当は早稲田実業で野球やりたかったんですけど、残念ながら早稲田実業で受かなくて、都立高校の戸山高校に行ったという形です。
私ぐらいの世代だと、早稲田実業より戸山高校の方が学力的な上のような感じがいたしますが、でも勉強はやってきたんでしょうか。
そうですね。でも早稲田実業は難しかったですね。
そうでましたね。ありがとうございます。
高校時代はどんなことに接合したなんて思いでございますでしょうか。
高校時代にアメリカンフットボールに僕は出会いまして、アメリカンフットボールにのめり込んだというような3年間でした。
本当に今の自分自身を形成する上でも非常に重要な3年間を過ごすことができたというふうに思ってます。
都立の戸山アメフトは割と有名だと思うんですけど、ポジションはどのへんをやられていらっしゃったんですか。
僕は高校生の時はディフェンスライン、ディフェンスの最前列をやっておりました。
あれだったら筋肉、リュウリュウみたいなそんな感じで。
そうですね。ただ他の私立高校が皆さんスポーツ推薦でアメフトで入ってくる中で、
僕らは公立高校でなおかつ練習時間も週3回4回かな、4回1時間しかないっていう、
毎回1時間しかないっていうところで、いかに練習以外の時間をトレーニングやミーティングに割いてやるか、
そういったところの準備とか、あとは気持ちの持ってき方とか、
そういったところを非常に勉強させてもらったというような3年間でした。
大学での成長
大学は明治大学を選ばれてらっしゃるんですか。
こちらを選ばれた理由というのは何か。
本当は国立大学でアメリカンフットボールをやりたかったんですけど、
残念ながら学力が届かずに受かった大学が明治大学だったというところで入学したという形です。
大学でもアメリカンフットボールをやるつもりはあんまり最初はなかったんですけど、
明治大学のアメリカンフットボール部は、僕がいた戸山高校とは真逆のフットボール部。
どちらかというと考えてやるというよりは、体で、
フィジカルで勝負していくみたいなチームだったので、
僕が活躍できる場所っていうのはあんまりないのかなというふうに思っていたし、
練習にもついていけるような自信があんまりなかったので、やるつもりはなかったんですけど、
縁があって、たまたま中学校の時の先輩が当時の明治大学のキャプテンだったりとか、
あとは僕の中学校時代の一個下の後輩が、僕一浪してるんですけど、
一緒に同級生として明治大学にスポーツ推進で入るっていうような機会があって、
一緒にやらないかっていうことをですね、強く勧めてもらったというところで、
大学でもアメリカンフットボールをやったという形です。
明治大学がアメフトの体育会に入っていらっしゃったってことで。
そうですね、体育会ですね。
そうするとすごい鍛えられるんじゃないですか。
いや、精神的にはそうですね、練習時間も多分、
当時で日本で一番練習時間長いチームって言われてましたし、
合宿所、寮生活ですし、非常に濃い4年間を過ごせたかなというふうに思います。
当時だと強いのは日大とかが強かったと思うんですか。
僕の時は法政大学ですね。
法政大学。
法政大学と早稲田大学が強くなってきた頃という形です。
そこともガチガチぶつかって試合をしていらっしゃったという感じでいらっしゃいますね。
そうですね。
ただアメリカンフットボール、海外のチームでやるって言ったら全く話が違うんですけど、
日本国内の大学生で勝負するってなると、
トップ、立命館大学と試合するって言うと、
立命館大学、関西学院とは日本ではトップ大学なので、
そこと試合するってなるとわけが違うんですけど、
そうじゃないところであれば、
かなり作戦とか、
気持ちのメンタルの持っていき方とか、
あとは何ですかね、
事前準備ですね。
いかようにでも逆転できるスポーツだと僕は思っているんで、
そういう部分では明治大学、
フィジカルに強いっていう印象で入ったんですけど、
入部してみると実は、
スポーツ推薦が半分ぐらいしかいなくて、
半分は一般入学で、
その人たちが長時間練習に耐えて戦うみたいな感じだったので、
そこに僕自身も、
戸山高校でよかったこと、
教わったことっていうのをインストールさせてもらって、
融合させてもらうことで、
チーム力を上げていこうっていうことをやらさせてもらったっていう、
そういう部分では、
大学3年生から副キャプテンで、
大学4年でキャプテンをやらさせてもらったんですけど、
チームをいい形で支えさせてもらえる、
非常に学生主体のチームでもあったので、
そういう部分では非常にいい、
いろんなことにチャレンジさせてもらえる4年間だったというふうに思っています。
なるほど。
キャプテンをやられたということはある意味、
アメフトの戦略を河野様がみんなに伝えていくみたいな、
そんな感じでやっていらっしゃったということですね。
戦略はやっぱり、
そういう作戦を考える人もいるんで、
その戦略の選択とか、
アメフト部のリーダーシップ
あとはそれをどうやって誰が頑張ってやっていこうみたいな、
永遠に追うみたいな声掛けをするっていうのが、
キャプテンの役割かなというふうには思いますね。
じゃあ当時からリーダーシップがあられたということですね。
そうですね。
あったかどうかっていうのはわかんないですけど、
そういうふうにやるのが好きだったし、
得意だったというふうに思います。
得意だったかわかんないですけど、
同級生とか後輩は迷惑したって思ってる人もたくさんいると思うんですけど、
自分自身ではそういうふうに推進をかなりさせてもらったという形です。
なるほど。ありがとうございます。
大学卒業後は野村証券に行かれてらっしゃいますが、
野村証券を選ばれた理由は何かございますか。
大学生のときにですね、
僕の大は非常にいいメンバーが揃っていて、
強い大だったんですけど、
残念ながら勝てなかったっていう経験があって、
そのときにですね、
やっぱり明治大学のアメフト部、
孤高と言われてて非常に強いチームではあったんですけど、
僕がいた頃は少し関東でも優勝できないようなチームになっていて、
残念ながら孤高と言われてるんですけど、
日本一になったことないチームだったんですね。
大学2年生のときかな、
非常にいいチームだった。
僕らのチームは非常にチームの状況が良くて、
決勝というか決勝リーグまで行ったんですけど、
そのときに法政大学と試合したときに、
法政大学当時7連覇とか8連覇中で試合したときに、
僕らの方が能力的には上回っているのに、
試合では勝てないっていう経験をして、
法政大学は日本一にもなったことあるし、
大学生日本一の先の社会人との対決っていうのを考えて、
準備して練習しているっていうチームと、
僕らみたいに大学関東一になるぞっていうふうに目指しているチームの、
文化の違いというか、組織の違いっていうのを感じたときに、
せっかく社会人になって仕事をするんであれば、
日本一の組織、業界一位の組織で仕事をしてみたいなっていうふうに思ったので、
就職活動では業界一位の会社を受けるっていうふうに考えて、
就職活動をしたというところで、
その中で何社が内定いただいたのかの1社が野村証券だったというところで、
野村証券を選んだという形です。
なるほど。ありがとうございます。野村証券での思い出なんてございますでしょうか。
そうですね。
世の中で言われるのは非常に厳しい会社だっていうふうに言われるんですけど、
確かに厳しいですし、目標設定に対しての目標も高いですし、
ただ、人の温かみがある会社でもありますし、
先輩も同級も後輩もいい人が多くて、
そういった部分では本当に楽しい時間を過ごせたなというふうに思いますし、
あとは我々と取引をしていただけるお客様もすごい方が多いので、
そういった部分では非常に学びの多い時間だったなというふうに思います。
どんなことが学べたなんて思いでございますか。
そうですね。野村証券という会社からというところで言うと、やはり高い目標。
それこそ業界一位の会社ですので、業界一位ならではの文化、
最後までやりきる力とかコミットする力、
そして、自分たちのことももちろん大切ですけど、
やっぱり社会の工期として、社会の器として、
会社の業績を上げることイコール、社会のためにもなっているということを
かなり意識させてもらえる時間だったというのは非常に良かったというところですね。
それとあとは、お客様から学んだこととしては、やっぱり日本を代表するお金持ちの方々が多いですので、
そういった方々が何を考え、そして何を日本国に対して憂いているかとか、
若者に対してどういったことを望んでいるかとか、
そういったのをやっぱり直接聞ける機会っていうのは非常にありがたかったなというふうに思います。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞き下さり誠にありがとうございました。
野村証券での経験
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
ウェブサイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。
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