00:05
社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社トリプルアイズ代表取締役 山田雄一郎様でいらっしゃいます。
東証マザーズ・グロース市場の上場企業様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1982年生まれ、早稲田大学小学部卒業後、新日本関山法人にご入社。
多数のプロジェクトマネージャーを歴任。
その後、2020年株式会社トリプルアイズの取締役にご就任。
2021年トリプルアイズの代表取締役に就任。
そして、2022年に東証マザーズ・グロース市場に上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。
山田社長様、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますか?
生まれは札幌ですね。
札幌には過ごしていたんですか?
いや、生まれただけで、そこから転勤、転勤の。
そうですか。どんなところが一番?
小学校は4つ変わっていて、北海道の豊平で生まれて、親が競馬関係の仕事をしていて、
千葉に住みました、中山競馬場。そこから阪神競馬場がある兵庫に行って、
次は北海道、裏川って言って、日高の牧場があるところに行って、また千葉の中山行って、
次は滋賀県、立東トレーニングセンターですね。
立東ですね。
馬があるところに引っ越していく。
中学校3年生から世田谷で東京で、そこから東京シティボーイモードでやっているという感じです。
お父さんは競馬関連ってどんなお仕事でやっていたんですか?
JRAです。裏方と言いますか、いろいろな候補をやったりとか、
滋賀県のときはハンディキャップ、馬の馬体重を機種に重りをつけて調整したりとか、いろんなことをやっていました。
お父様がトリプルアイズの創業者でした?
私は入社歴にもありますように、トリプルアイズに入るきっかけも、
前社長との偶然の出会いであったんですけれども、
今年トリプルアイズは14年目で、創業エンジニア社長がいて、
1年前に休成してしまうということがあったんですけれども、
それを引き継いで今、僕が社長をやっている。
他人の会社さんをうまく引き継いで上場企業まで持っていった社長様という感じですか?
03:00
そうです。
お父様がやる経営者では全くない?
ないですね。
祖父が、父方の祖父が小さい町の議員をやっていたりとか、
母方は小さいプロパンガスの会社の社長をやっていたりとかあったので、
そういうことは何となく小さい時に覚えていたというのはあるんですけれども。
もともと社長を目指したりとかはされていたんですか?
はい。
徐々にそういう気持ち、経営をやりたいというのはあったんですけれども、
社長ってまた違う何かかなと思っていましたね。
なるほど。
転勤族でいらっしゃったわけですが、
その中で小学校時代のどんな少年だったと思うでございますか?
そうですね。サッカー少年ということと、
あとですね、カメレオンというか、
小学校は4つ変わっているので、
滋賀とかってちょっと大阪と京都があって、
その横でちょっと汚い関西弁を使ったりするところなんですけど、
また東京に行ったり来たりとかしていったので、
全然違うというので、
やっぱり自分自身もすごい変わらないといけないというかですね。
でもその時はもう、馬のせいで競馬のせいでまた引っ越しかっていうので、
初めまして山手伝授ですっていうのと、
さよならっていうのを繰り返したので、
その時はすごいきつかったんですけど、
でも今思えば変わっていくというか、
その場でどういうふうに対応していくみたいなのは、
学びになったのかなと今思えば。
なるほど。じゃあどちらに行っても仲良しになれる感じですか?
そうですね。
その難しさも感じながら、
初めましてって最初に挨拶するとやったけど、
教室の風景がイメージされて、
そうするとどういうグループとかどういう友達とかと、
これからやっていこうかなみたいな。
でもサッカーをずっとやっていたので、それが共通項みたいな感じでしたね。
なるほど。
中学は最後の中学3年が生徒会です。
東京の生徒会です。
その前はどちら?
その前が滋賀県の1年生、2年生のところでした。
中学時代はどんな少年でいらっしゃったんですか?
中学時代はサッカーをやりながら、
体張って結構ボケタイプでしたね。
あ、ボケっていうのは。
ボケる。
笑いを取りに行く。
やっぱりそれじゃないと生きていけないぐらいの環境だった感じでしたね。
じゃあ人気者でいらっしゃったんですか?
いやー、小学校の時は足が速かったので、
小学校は一番速かったんですけど、
06:00
中学は徐々にあれで、
なんで、体張ってボケながら出たみたいな感じでしたね。
で、高校は東京の高校でいらっしゃったんですか?
そうですね、東京高校です。
鳥津駒場高校という。
私の後輩ですね。
私、鳥津駒場です。
後輩ですのはちょっと態度でがく、
ここからはインタビュアーとしてしていきたいと思いますが、
冗談ですよ、リスナーの皆さん方。
鳥津駒場を選んだ理由は何かございましたか?
分部両道かなっていうのと、
でもやっぱり、いくつか高校みたいですけど、鳥津とかシリーズとか、
なんか雰囲気、校舎の雰囲気とか、なんかフィーリングもあります。
割と成績もよろしかったんですね、中学の時は。
中学、そうですね、3年は勉強しましたね。
中2まではサッカーやってたんですけど。
多分、内心とテストと両方取れないとダメだったと思います。
ああ、でも今思えばそうそうだったかもしれないですね。
かつ、早稲田ですので、鳥津の駒場の中ではポップ1割に入る感じだと思うんですけど。
いや、あのですね、現役は全然ダメだったんですよ、おっしゃって。
それで浪人で勉強して、早稲田だったんですよ。
なので駒場なんかでは多分、あんまうまくいかず、
でもそこからこれはやばいってなって勉強頑張りました。
余裕で、余裕で頑張りました。
リスナーの皆さんにちょっと説明します。
鳥津の駒場は7割くらい浪人しますんで、6割か7割か。
私も浪人だし、私の姉も鳥津駒場で浪人してますんで。
私たち兄弟の後輩が山田社長ということで。
ちょっと今初めて判明したわけです。
リスナーさん笑ってらっしゃると思いますが。
高校時代もサッカー部入らないですか?
サッカー部。
駒場はサッカー部は強いんですね。
私は水泳部出身で隣で学校をやりましたけども。
レギュラーとか取れてるんですか?
いや、もう挫折で。そこは大きな挫折があって。
やっぱりそこからプロに最終的に行ったメンバーとかもいたり、
全国目指すっていう中で、中学ぐらいまではレギュラーで何とかやってたんですけど。
やっぱりこんな上手い奴がいるんだっていう。
大きな挫折の最初かもしれないですね。
鳥津の高校だと、今だと東久留米が強いですけど。
鳥津の高校は東京中から集まってくるぐらいサッカーの上手い子なんですね。
ぐらいの高校なんで、それは仕方ないなと思うんですけど。
高校時代はサッカーばっかりですか?それ以外のこともされてたんですか?
サッカーばっかりだったりでも、転勤が多かったんで、
初めて3年も同じ学校だったんで、
友達と一緒にいることがすごい楽しくて、
未だに仲良い友達は高校がベースになってます。
なるほど。ありがとうございます。
大学は早稲田にお住みになるわけですが、早稲田を選ばれた理由は何かございますか?
初めて聞かれたような気もしてですね。
09:04
なんとなくっていうのと、親父も早稲田だったんですけど、
親父はあんまり勧めてなくて、
町みたいなとこだからって言ってて、大きすぎるじゃないですか、大学として。
でもなんとなくそこを目指したいっていうふうに自然に浪人時代になって目指しました。
大学時代はどんなことを過ごしたかと思いますか?
大学時代はまず最初に入って、
そういう新館とか行ったり、いろんな出会いがあったりだったんですけど、
それこそ高校の友達と一緒に勉強室に入ったんで、
その連れといつも一緒にいて、
そうすると基本全国から来るので、そこでみんなのパワーがわーっとすごくてですね、
なんかあんまりそれに萌えなくてですね。
サークルとか最初入ったんですけど、すぐ辞めちゃって、
今後大学つまんないなーみたいなのが最初のスタートでした。
勉強は結構やられたんですか?
いや、そこでいろいろな勉強を単位取らないといけないっていうので、
基本やらないといけないことを最低限やるスタイルでやってたんですけど、
その時に母規の授業が小学部だったんですけど、
数学もあんまり苦手だったんですけど、母規は結構その時の先生がわかりやすくて、
成績もたまたま良かったりしたのは、
その後そういう会計士の試験を目指すっていうきっかけだったかもしれないですね。
大学時代にも試験は受けに行ってた感じですか?
そうですね。大学1年に同じクラスの友達が逆の方向が家なのに、
いつもその逆の方向に、東西線だったんですけど、
どこ行ってんの?みたいな話でその近くの学校に行ってるっていうので、
それで1年の終わり、2年の初めぐらいから私も通い始めたという感じですね。
会計士はいつぐらい受かられてるんですか?
4年生の時ですね。
じゃあ4年の時にはもう監査法人とかね、そんなご意向で?
そうですね。会計士権はその当時はなのかもしれないですけど、
基本受かったら監査法人に行くと。
そのタイミングはどこでも選べるというか、そういった状況だったので、
4年生の冬か12月に入所して、最初は非常勤職員みたいな数ヶ月があったという。
なるほど。だから新日本監査法人、日本のトップの監査法人でいらっしゃいますけども、
新日本監査法人を選んだ理由というのは何か?
12:02
それもですね、さっきの取り付くまま高校を思い出したんですけど、
それを合わせて聞かれたのが初めてだったので、やっぱりなんか雰囲気でしたね。
っていうのと、それこそ今会社で採用とか授業をやってたりすると、
その場で話した人、先輩の雰囲気から伝わるところが、
他もいくつかの法人を受けたんですけど、
それが自由で自然体な感じを感じましたね。
なるほど。新日本監査法人は何年ぐらいいらっしゃったんですか?
会社自体は2005年から2020年、トリプルアイズに入るまでずっといました。
その中で最初は監査部隊に5、6年やって、
そこからアドバイザリーコンサルの部署に移って、
やることが真逆みたいな仕事なので、
それはそれでまた第2、第3の挫折の期間ではあったんですけど、
ただ大きな会社なのでその中でいたというところですね。
なるほど。リスナーの皆さん方は監査法人を入れていらっしゃらない方も多いので、
監査法人の業務はどんなことをやるのかというイメージがついていらっしゃらないと思うんですが、
どんなお仕事をやってきたかなというのをご説明いただけると嬉しいですが。
ありがとうございます。
まず監査という仕事は経済界の番人だったりお医者さんと言われるようなところがあって、
そういうものが政府みたいなのでいいなと思ってやり始めたんですけど、
企業、あらゆる特に上々企業の会社さんが出す財務書表、決算の数字が正しいかどうかということについて、
適正意見を市場に公表する。
そのためにいろいろな会社の内部統制だったり事業のビジネスがどういうふうになっているのかというのを理解した上で、
その決算数字が正しいということを診断するお医者さん的なところがあるのかなと。
なので社会のインフラ守りのところをやっていたのが前半で、
やはりいろいろ確実に社会にないといけないインフラだと思っていて、
そうするとだんだんまだ若かったので、いろいろな慣れてくると新しいことをやってみたいなということが
あって、そこで監査をやってから最初の5年くらいに、
よく一人旅を行くようになって、東南アジアとかそこら辺に。
そこで社外で5年目くらいで会ったんですけど、バングラディッシュで出会った人から
そろそろ監査補助をやめようかなと思っているときに、
15:00
監査補助の中にもこんな面白い人がいるよ、みたいな紹介があって、
その人にダイレクトに連絡して、ここでその人に連絡して部署を移動するという。
そこからまたコンサル部門に移ってきました。
そのコンサル部門はどんなお仕事内容でいらっしゃるんですか。
いろんな仕事をしてきたんですけど、主にパブリックセクターの省庁さん、
国交省さんだったりが多かったんですけど、自治体の皆さんにアドバイザリーを、
サービスを提供するということです。
例えば、空港の経営を改革しようという、民主党政権から自民党政権が移るときに
大きなプロジェクトがあったんですけど、空港って滑走路に飛行機がオンと入ってきます。
隣にビルがあって、そこでお土産とか買うじゃないですか。
基本的に滑走路の管理は国交省さんがやっています。
予算を基本的に消化していくという、経営というか国の管理としての仕事があって、
一方でビルはテナントがあってお土産を買ったり、なんていうことがあって。
グローバル全体で見たときに、シンガポールであったり韓国であったりというところの
インバウンドをどういうふうに増やして国を盛り上げていくかというところで、
そこは民間経営のマインドを入れていく必要があるよね、
というプロジェクトがあって、そこで官と民の知恵をいろいろ入れ混ぜて、
コンサルトして、いろいろなアイデアを出して、空港の権利を民間に売りましょう、
大きな官民の絵問題みたいなプロジェクトを作っていたというのが、
一番面白くて大きかった仕事です。
一方で、ある公益法人とかで、何かちょっと事務局長さんが怪しい動きしているみたいな話の中で、
不正関係の仕事を小さい会社さんでいろいろ見たりとか、そういったところで小さい単位の中で経営改革、
そうするとまたいろいろ問題が後で発覚したんですけど、
理事の方を半分変えたりとか、組織をどういうふうに変えていくかという経験もさせてもらったという。
3分コンサルティング。みずみずが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングはエルシャ様、美容業だそうです。
港区でエステティックサロンを5店舗経営しております。
直近の経産は赤字でした。しかし攻めの経営をしたいため、最新の設備投資を考えています。
現在融資を受けていてその偏差が厳しくなるため、5店舗から3店舗へ減らして、
家賃や人件費との固定費を削減します。それにより偏差は問題なく済められます。
18:01
このような状況で上記の設備投資のために新規融資を申し込みたいのですが、可能性はありますでしょうか。
設備投資による効果を金融家に説明する必要があるかと思いますが、
企業計画の作成のポイントなどはありますでしょうか。
いわゆる民間の金管さんから融資を受ける場合には、もちろん事業計画は大変大切ですが、
一番重要なのは過去の3期分の決算書です。この3期分の決算書が3期連続赤字、
もしくは債務増加である場合には融資は審査がおりません。
これが通常時だと思ってください。ただし、いわゆる緊急事態、
例えばこの資料を投資しているのはコロナがちょうど明けたぐらいですが、
コロナの緊急時とか、またはリーマンショックの時とかは、緊急の融資制度ができるので、
債務増加企業や3期連続赤字の企業でも融資は受けられます。
ですから緊急事態でもし世の中がある場合は、融資が受けられるかもしれないと思っていただいて、
構いません。全ての方々。一方で通常時、特に何か事件が何もないという時は、
3期連続赤字と債務増加企業は融資者は受けられないとまず思ってください。
そういう状況じゃなかったら受けられますので、おそらく受けられます。
ただし金額が変わったり金利が変わったりすると、こういうことになります。
どのぐらいの施策投資をお考えでしょうか。それによっても随分変わるんじゃないかなと思います。
そうしますと、次に問題は年賞ですね。
だいたい今の金管さんは年賞の半分ぐらい優勝を出す金管さんは珍しいですね。
非常に珍しい。少ないと思う。ですので年賞の3分の1ぐらいまでは
融資は出せるんじゃないかなと思います。今現在も借入があるということですので、
今ある借入にプラスで融資をして結果3分の1。こんな感じですので、
ちょっとバランスシートを拝見しないと借りるか借りないかは何とも言い難いなと思います。
その辺の仕組みについては、YouTubeのウィズビズ社長塾というのを無料でセミナーを
第4回に資金繰り資金調達についてお話をしますので、
それはちょっと40分から50分ぐらいですので、無料ですのでちょっと見ていただいて
というのをお勧めしたいなと思います。私がよく言っているのは、このセミナーでも言っていますが、
決算書3期分と5カ年の事業計画とそして会社案内を持って
飛び込みで民間の金管5個ぐらいもある。そうすると債務調査じゃないと1個ぐらい貸してくれますよ
なんていう説明をして、実際にはガソリンスタンドさんが4個回って3個から借りれた
21:00
なんてことで2,000万ぐらい受けて倒産しなくて済んだみたいなことが実際の例としてございます。
私そういう指導を何人もしてきました。ですので、3期分の決算書の方が重要だと思っていただいた方がいいんじゃないかなと思います。
これは、L社様もリスナーの皆さん方も資金調査に行って何かご相談がございましたら
無料の経営相談を受けておりますので、何らないとおっしゃっていただければと思います。
また先ほど申しましたが、ウイズズ社長塾というのをYouTubeであげてまして、
セミナーですので無料で見れますので、第4回が資金調査、資金グレースの
そちらのをご覧いただいて、どうしようかご検討いただければと思っています。
無料経営相談も受けてますので、何らないと皆さんご相談ください。
本日の3分コンサートはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズウィズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウイズウィズが運営するウェブサイト
KAノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索でKAノートスペース社長インタビューと入力いただき
KAノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズではここまで。また来週。