00:05
社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞く!in WizBizは、私とも仲の良い伊能社長様、
巴工務店代表取締役 伊能奈穂子様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
東京都出身で、お父様が天津族だったので、
幼少年の水戸・高松・福岡・東京・仙台などなど、
点々と過ごされました。
その後、都立の駒場国法院に進学、その後大学に進学し、
東京電力の就職、しかしながらそちらを大辞めになり、
輸入雑貨の会社に入られていらっしゃいます。
その後、ご結婚なされ、その間になぜかアロマのお店を開いたり、
その後、今度は工務店の社長になり、今に至るという
大変ご経歴が変わっていらっしゃる社長様で、
私も大変仲良くさせていただいている社長様です。
伊能社長様、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
まずはご質問、最初のご質問なんですが、
東京出身ということで、でも転勤徳だったということで、
小学校・中学校時代はどんな幼少期をお過ごしになられましたか。
実は小学校の入学は高松だったんですけれども、
その時、3年生の半ば、1学期までで、そこから次、福岡に行きました。
福岡で5年生の1学期まで、5年生の2学期から東京に戻ってきました。
小学校3回変わっています。
なので、まず転勤していくと、方言があるじゃないですか。
方言があって、だいたいその方言を分かるのに1週間ぐらいかかるんですけれども、
それまではとにかくじっとして、おとなしくしているんですけれども、
その後、方言がしゃべれるようになると、クラスでしゃべって、
そうするとみんなに受け入れてもらえるんですけれども、
家に帰るとちょっと恥ずかしいので、家では標準語、
学校の中では方言を使い分けるという、そういうバイリンガルなことをやっていたんですけれども、
ひとところにずっと地元があって長くいるということがなかったものですから、
どういう状態に自分をいればいいのかなという、日和み的じゃないですけれども、
そういう周りの空気を読んで、どういうふうにすれば仲良くしてもらえるかな、
ということを結構考えていた子どもだったのではないかなと思います。
なるほど。中学時代も転勤とかだったんですか?
いや、中学は実は転勤だったんですけれども、受験もあるということで、
父だけが単身で行きました。
なるほど。じゃあ東京の方で過ごされたわけですね。
03:01
中学時代はどんなお嬢様でいらっしゃったんですか?
お嬢様ですか。中学時代はそうですね、そんなにおとなしくもなく、
でも目立つわけでもなく、普通だったと思います。
なるほど。その後、トイツの駒場高校に住まれていらっしゃいました。
私の先輩なんですけれども、トイツの駒場、先に少し説明すると、
女子は頭がいい、男子は馬鹿というふうに決まっておりまして、
伊能さんは頭のいい側ということになるわけですが、
何か駒場を選んだ理由とかはあらゆるものですか?
駒場を選んだ理由は、都立の中で唯一セーラー服だったんですね。
そのセーラー服を着たいなと思って、駒場高校に行きたいと思ったのが始まりです。
ただ私の時代は新宿高校と駒場高校が抱き合わせというか、
どっちに行くかわからない状態でしたので、新宿高校に行く可能性もあったんですけれども、
ラッキーに駒場高校に進学することができて、もちろんセーラー服を3年間着て通いました。
駒場のセーラー服は大変人気で、いまだに偏差値が高い人でございますが、
高校時代はどんなふうに過ごされていらっしゃったんですか?
高校時代がちょっと挫折を味わいまして、今社長がおっしゃったように、
駒場高校はみんな頭がいいんですよ。
中学の割と頭がいいというか、私の場合は真面目にやっていたので、
内心点が取れたという、本当に頭がいいかというとそうでもなかったものですから、
入ったらみんな頭がいいので、どんどん勉強が大嫌いになっちゃったんですよね。
本当に普通のことでもみんなパパッと理解していて、
みんな頭がいいなという中で、どんどん勉強が嫌いになったんですけれども、
私はその時に、うちのクラスは、駒場って何とかホームというじゃないですか、
1ホーム、2ホーム、7ホームだったんですけれども、
なぜか3年間クラス外がない学年だったんですね。
だからクラスの中はすごく仲良くなって、
音楽と美術の選択をしているクラスだったものですから、
音楽をすごく好きな子が多くて、ロックとかをすごく好きな子たちが多くて、
コンサートに行くというのに目覚めまして、コンサートに行きまくっていましたね。
今ちょうど映画だと話題なのかもしれない。
クイーンとかその世代でらっしゃる。
そうです、そうです。
あまり言わないほうがよろしかったですか。
結構クイーンとも行ったんでしょうか。
クイーン行きました。
クイーンとかキスとか、あと、
06:00
ゼッペリンはでも行っていないよね、たぶん。
じゃあロック側からハードロック系みたいな。
そうですね、あと私もベイスティーロワラズ好きだったんです。
なるほど、ちょっとマニアックなんで喜んでいるリスナーと、
キョトンとしている若いリスナーといらっしゃるかもしれませんが。
その後大学は短大のほうを選ばれたということですが、
大学、短大時代はどんなふうに過ごされていらっしゃったんですか。
そうですね、とにかく高校で勉強が嫌いになってしまったので、
勉強しなくていいかなみたいな、
そんな感じだったんですけれども、
だから高校、短大のときは男子機テニス部に入って、
半分遊んでいるような感じで楽しく過ごしていました。
私の時代、女子大生がすごくもてはやされた、
女子大生ブームだったので、
本当に女子大生というだけでもうブランドですよね。
どこに行っても優遇されて、
ディスコとかもすごくタダで入れたりとか、
1000円で入れたりとか、
そういうバブルに上がるちょっと手前なので、
本当に楽しい生活、学生生活を送っていました。
まあ、みじんでいらっしゃるので、
表にもなられたんだと思うんですけれども、
その後東京電力においてご接触で、
東京電力が選ばれたのは、
何かあるんですか?
これ言うと、こいつバカだなって思われちゃうかもしれないんですけれども、
当時、就職も実はあまり考えていなくて、
そしたらうちの父の知り合いが、
東京ガスって会社があって、
実はそこ結構面白いことやってるんだよって、
昔から知っている方だったので、
ナオコちゃんどう?って言われて、
じゃあ東京ガスに行ってみようかなと思って、
ナオコちゃんどう?って言われて、
じゃあ東京ガス受けるって言って調べたら、
東京ガスがその年に取らなかったんですよ、社員を。
ガス取らないんだ、じゃあ電力?みたいな、
そんな感じで東京電力を選んだんですけれども、
自分で東京電力を選びながら、
電通のイメージで何か受けていて、
本当に考えてなかったですね、何も考えていなかったです。
そのくらい。
今のお話を聞いている若い方が、
うわぁ、それでも社長できるんだって、
今勇気持てたかもしれません。
そうですよ、多分それでも社長になれるんだって、
思ってください、皆さん。
東京電力入られたら、
入社初日でお辞めになる決意をしたって書いてありましたが、
何があったんですか?
実は何だかんで言っても、
ちょっと多分生意気な根性を持っていたんだと思うんですけれども、
その時に社長が新入社員に向けて
ありがたいお話をしてくださるんですよね。
09:01
本当に全部いろんなことを忘れちゃったんですけれども、
その時の社長が、
どうか皆さん、今日から東京電力の社員として
歯車の一つになってしっかり働いてください、
というお話があって、
みんなうんってうなずいていたんですけれども、
私それを聞いた瞬間に歯車の一つなんて冗談じゃない、
嫌だと思って、
その瞬間にこの会社辞めようって、
何で思ったのかそう思っちゃったんですよ。
それだけはすっごい覚えているんです。
そこが社長の素質なのかもしれませんが。
すぐ辞めないで2年半いらっしゃったんですよね。
それは何か理由があるんですか?
2年半に我慢したというのは。
やっぱり入った手前もありますし、
同期がすごく40人、50人くらいいたのかな?
40人くらいいたんですね。
その同期がすごく仲良くて楽しかったんです。
その時代の私たちの時代は、
男女雇用均等法なんかもありませんから、
女性もまたすごく大事にしてくれるんです、
会社でもね。
今日残業してもらってもいいかな、
みたいな感じですし、
本当にいろんなところに銀座なんかの高級料亭なんか
連れて行っていただいたりとか、
銀座のクラブとか、
普通だったら入れないところに連れて行っていただいたりとか、
そういうことで、
それもまた楽しいOL時代を過ごしていて、
本当にバブルの手前なんで、
必ずタクシーチケットもらって、
タクシーで買いなさいみたいな、
そんな仕事しに行ってんだか、
遊びに行ってんだかっていう、
わかんないような、
そんなこと言っちゃうと当然まずいですね。
大丈夫だと思いますけど、
もう時間経ってますね。
なるほど、羨ましい感じですね。
時間があって、
2年半くらい勤めてました。
なるほど。
だから辞めるきっかけはある?
辞めるきっかけは、
辞めるきっかけは、
そうですね、
ちょっと、
はい、ありましたね。
なるほど。
一つ聞かないほうがよろしいみたいな感じですかね。
そうですね。
その後、知り合いのユニザーカーと使っている会社さんに、
未経験の営業でバイトに入りって書いてあらっしゃって、
なんでそこに行こうと思ったんですか?
その前に実は一つ、
さっきのがあって、
企業とかに向けた、
プロモーションビデオとか撮りますよね。
そういうののアルバイトみたいなのをちょっとやってたんです。
例えば、新しく電話機を作りますって言った時に、
電話の説明のイメージビデオみたいなのとか、
そういうのがあって、
そこで知り合った社長が、
だったらうちの会社ちょっとアルバイトで来てよ、
みたいな感じで、
新しい輸入雑貨のいろんなことをやるから、
12:02
って言って。
で、営業をやられたんですか?
営業っていうか何をやるかわからなかったんですけれども、
その当時の西部デパートのバイヤーさんのところに連れて行かれて、
うちの営業で、
営業のプロだからっていきなり言われて、
営業やったことないと思ったんですけど、
それでその人も、
バイヤーだったらこういう商品構成で、
こういうものを展開したらどうでしょうか?
とかって意見求められるんですけど、
全くわからないんですが、
自分がいいと思うものを、
これはいいと思いますとか、
これはあまり良くないと思います、
みたいな感じで、
偉そうに言ってました。
なるほど。
ちょっと本当にその後、
やっぱり不思議な経歴でいらっしゃいますが、
ハワイにバイヤー券、
折り紙を押しに行くイベントで、
1ヶ月程度滞在って書いてありましたって、
そんなイベントがハワイであったんですか?
あったんですよ。
そこの会社が扱っているのが、
紙。
紙を結構扱っていて、
グリーティングカードだったり、
折り紙なんですけど、
その折り紙が特殊な折り紙で、
ぼかしが入っているんですね。
ただそのぼかしの入っている、
きれいな、
すごいきれいな折り紙だったんですけど、
それだけじゃ売れないので、
まず、鶴の花っていう、
折り紙の4分の1で鶴の花って、
それを組み合わせると、
すごくきれいなペーパークラフトが
出来上がるっていうのがありまして、
それが結構売れていたんです。
デパートで商品の展開もしていたんですけれども、
自分でも作れますよということで、
紙を、折り紙を売っていたんですけれども、
日本だと折り紙って子供のものなんですが、
海外に行くとアートになってしまうので、
すごく人気があって、
特に若い男の子なんかが、
すごく興味を持っているっていう、
そういうのがあったんでしょうね。
それでイベントで、
ハワイに何回かちょこちょこ先輩たちが
行っていたんですけれども、
今度は若手ということで、
私とかもう3人ぐらいが投入されて、
どうせだったら女の子投入するなら
浴衣着て折れとか言って、
ハワイの白木屋デパートで浴衣着て折り紙を
こうやって折ってね、みたいなのを
デモンストレーションして1ヶ月いました。
ちょっと変わった経歴でいらっしゃいますけれども、
その後ご結婚なされて、
お子様ができるまでは続けられそうなんですが、
その後お子様ができてから、
しばらく専業主婦で、
何年くらい専業主婦が続けられましたか?
専業主婦がそうですね、12年くらいですか。
なるほど。
結構仕事から離れていらっしゃいましたね。
経営者を応援する、社長の孤独力番外編。
15:12
本日の社長の孤独力番外編は、
一所二行の銀行からお金を借りられないという
悩みについてのお話でございます。
ニキレインとカーカでも借りる方法があるということを
本の中でも書いてあるんですけれども、
実際の銀行からお金を借りられないんじゃないかという
悩みが多いです。
昔から多くてですね、
すごい多い時は1日の面談、5面談中全部それだったりとか、
そんなことがございました。
私は結構そういう決算書を見ながらですね、
経営戦略を作ることもやっておりますが、
決算書を見ながらどうやったら銀行から借りるか借りないか
という判断をしていくなんていうのも
仕事の一つとさせていただいてまして、
よくお客さんから相談は昔から受けております。
その中で昔あったのが、
あるガソリンスタンドの経営者の方が
2代目の方でしたけれども、
銀行が借りられないと決算書を持ってきまして、
あれやこれやと決算書を見させていただいたら、
この決算書だったら銀行10個回ったら借りれるんじゃないかと、
こういう話をそのうち3個ぐらいは受けてくれるんじゃないか
という話をさせていただきました。
そうすると、その2代目の方は
じゃあ20個回ってやろうと思ったらしく、
実際回られまして、
実際には40個回ってそのうち3個から貸すよという返事があったものですから、
それで500万円ずつ調達して、
1500万円ずつ調達して、
会社がなんとか生き残ったなんて事例がございまして、
その福祉をさせていただいたので、
もうかれかれ10年前か20年前かぐらいでございます。
3期年とか8期だと優勝を受けるのはかなり難しいんですが、
2期年とか8期ぐらいまでだったら優勝を受けることは可能だと思います。
よくあるパターンが、いわゆる役員貸し付け、
企業側からすると役員から借り入れているというお金が
付債の方に残っているケースがございます。
これは何かと言いますと、会社が厳しいので社長さんの給料をちょっと止めて、
支払っていないのがだんだん積み上がっていて、ということがございます。
そうするとその部分を出資見なしということで、
見ますと、いわゆる債務超過というのを消せる効果が出せるということが結構多いんです。
ですので決算書を読むときに、実はそのバランスシート、
PLから見るんじゃなくて、尊敬計算書から見るんじゃなくて、
対策対象の方から見て、バランスシートの方から見て、
債務超過を消す方法を考え、そして金調達をしていくみたいなことを
ご指導させていただいていました。
銀行に行ったときに必ずその役員貸付、記号が明るくては役員からの借り入れの部分は
18:03
出資見なししてくれないかという相談をし、かつ5年分の従業計画を持っていき、
決算書を3期分持っていき、そしてお願いをしに行く。
場合によっては飛び込み営業で行ってもいいと、こういうようなご指導もさせていただいていました。
飛び込み営業で行ってもすぐには借り入れないんですが、
少し後ぐらいにその後どうですかと銀行側から訪ねてきて貸してくれるケースも結構ございます。
そういうケースもございますので、ぜひ皆さまが銀行からお金が足りないなと思いましたら、
諦めずに決算書を見て事業計画などを作り、そして会社案内とともに持っていってみて
何とか借り入れないかというのをご相談させるというのもいい方法なんではないかなと思っています。
詳しくは本の方を見ていただければ、そういったことが書いてありますし、
分からないことがございましたら、私までご相談に来られたらいいのではないかなと思っています。
ぜひ頑張って銀行から借り入れていただければと思います。
本日の社長の孤独よく番外編はここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。