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2023-04-12 15:25

第327回 本城嘉太郎氏(monoAI technology株式会社代表取締役社長)【前編】

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今回は、monoAI technology株式会社の本城嘉太郎社長にお越し頂きました。

初期のオンラインゲームに出会ったことで、自身で作りたいとmonoAI technology株式会社を設立。
ソーシャルゲームに携わる中、大手企業参入を機に上場を決意したエピソードから、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。


なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」
https://keiei-note.com/

■WizBiz社長塾
https://www.youtube.com/channel/UC16VkcI4PaUISDD4UL7pFvQ




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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、
monoAI technology株式会社代表取締役社長 本城嘉太郎様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1978年、神戸生まれ、その後、サーバーエンジニアの会社に入られ、
その後大手コンシューマーゲーム開発会社を得て、
2005年にmonoAI technology株式会社を創業されていらっしゃいます。
そして、2022年には東証グロース上に上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。
本城社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問なんですが、ご出身は神戸ということで、
小学校時代はどんな少年時代をお過ごしになりましたでしょうか。
そうですね、小学校時代はゲーム少年でした。
やっぱり、もともとテクノロジー側にいらっしゃる少年時代だったんですね。
そういうわけでもなく、普通にゲームが大好きな内気な子だったんですけれども、
家がなかなかお金がなくて、ファミコンを買ってもらえなくて、
友達の家にファミコンをしに行ったりしているような、そういった子供でした。
友達の家のお母さんに怒られるみたいな、そんな子供でした。
世代的にはどんな種類のゲームが多かったんですか。
ちょうどファミコンのドラゴンクエストとかの、
1,2,3とかの世代だと思うんですけれども、
一番ファミコンが盛り上がっていた頃ですね、ゼビウスとか、
そういったものをやったりしていました。
なるほど、じゃあ本庄社長様の同世代の方、今ちょっと
ドラクエって言って盛り上がっているかもしれませんね。
そうですね、ドラクエ3とかの熱狂をリアルタイムで感じていました。
なるほど、ありがとうございます。
中学校時代はどんなことをしたなんて思いでございますでしょうか。
中学の時は、そうですね、ひたすら部活動で運動部テニスとかをしていましたね。
その頃はあまりゲームはやらず、テニスに打ち込んでいらっしゃったみたいな感じですか。
そうですね、その頃もゲームはしていましたね。
あまり勉強せずにテニスをゲームしていましたね。
なるほど、テニスとゲーム世代というかですね。
高校はそのまま神戸の方の高校でいらっしゃるんですか。
そうですね、兵庫県のイクエ高校というマンモス高の方に進学しまして、
こちらでも勉強せずにゲームとアルバイトしていましたね。
なるほど、アルバイトはどんなアルバイトをしたなんて思いでございますか。
アルバイトはですね、当時15歳でも取ってくれるところがファミリーレスのしかなくて、
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ファミリーレスのフロアの仕事とかをしつつですね、そのお金を全額毎日、
高校の近くの駅にあるゲームセンターに全額投入してまして、
当時の格闘ゲームが全盛期だったので、すごく盛り上がったんですね、ゲームセンターが。
それをリアルタイムで体験していました。
本当にゲーム好きでいらっしゃるんですね。
そうですね、はい。
なるほど、ありがとうございます。
部活は入られていらっしゃるんですか。
部活はですね、文芸部として、
部室にゲームだけをする部に入ってました。
が、基本的にはもう速攻帰宅してゲームセンターに行くっていう感じでしたね。
なるほど、ありがとうございます。
大学はどちらにご進学なさっていらっしゃるんですか。
大学は大阪工業大学、大阪の方の大学に行ってました。
大阪工業大学にお勧めになった理由というのは何かございましたか。
ここはですね、当時は、
プログラムを書く人になるのか、デザインをする人になるのかっていうところで結構悩んだんですけれども、
新聞を配りながら、学費稼ぎながらいかなきゃいけない状況だったんですけれども、
新聞の小学生の新聞社が、
美大や芸大はなぜか援助してくれないっていうのがあったんですけれども、
大阪工業大学にお勧めになった理由というのは何かございましたか。
大阪工業大学は、
新聞社が、
美大や芸大はなぜか援助してくれないっていう謎のルールがありまして、
じゃあプログラムになるかというところで、
就職先にカップコーンとかあったので、ここかなと思って入ったというところでしたね。
なるほど、ありがとうございます。
新聞配達を結構やってらっしゃったんですか。
結局大学は1年間で中退したので、1年間だけやってましたね。
なるほど。
大阪工業大学時代の思い出は、じゃあ新聞配達ばっかりですか。
そうですね。コンピューターサークルに入って、
すごくギークな先輩たちと一緒にちょっとプログラムしたり、
ゲームしたりっていう楽しい思い出があります。
なるほど。
ご中退なさったのは、やっぱり経済的な理由とかそういう感じですか。
そうですね。学部がですね、電子工学部っていうところだったんですけれども、
今だったら分かるんですけど、プログラマーになりたくて入ったんですけど、
ハードウェア系の学部だったんですね。ICとかLSIとかの。
間違ったなと思ってですね。
自分で学位払いながら、このまま入り続けるのかなというところで、
独学でやろうということで、退学することにしたんですけれども、
その直後に情報工学部ができてですね、
もうちょっと遅ければ行けたのになみたいな感じで終わりました。
なるほど。ありがとうございます。
退部は就職でいらっしゃいましたか。
1年間、新聞小学生を辞めますっていう話をしに行ったらですね、
新聞社に引き止め役の人がいるんですけど、
当時その引き止め役の方が、僕は逆転していたので、
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間違った日に入ってしまって、1日前に行ってしまってですね、
引き止め役の方がいなくて、その上司の方が出てきてですね、
その方が、OBでプログラマーを探している会社があるから、
行ってみたらって言ってくれて、
それでたまたま引き止められずに、そのままプログラマーとして
19歳で就職をするという形になりました。
じゃあ、今ではITエンジニア、プログラマーとして
ご就職なさっているという感じですね。
そうですね。はい。
なるほど。そちらの会社での思い出は何でございますでしょうか。
そこは、工場の入職管理システムとかを作る会社だったり、
そういうことになったんですけれども、
10人以下のちっちゃい会社で、そこでいろいろと
そのプログラムを教えてもらいながら、仕事をしていたんですが、
当時は今考えると本当に意識の低いダメな新入社員な感じで、
ずっと会社の休み時間もオンラインゲーム、
当時オンラインゲームは終わっていたんですけれども、
休み時間の瞬間にオンラインゲームを立ち上げて、
1時間終わったらまたどっちみたいな、
定時まで仕事を仕上げて、定時そこを帰ってまた家でゲームをするみたいな、
そういうダメな社員をしていましたが、
仕事の成績だけは良かったです。
これはやっぱり、もともとゲームがお得意なのと、
頭がよろしいのと、両方から仕事ができたって感じでいらっしゃいますか。
そうですね。プログラミングだけは集中ができたというところで、
そこだけはすごい得意だったんですね。
やっぱり向いていらっしゃるご承知ですね。
そうですね。向いていたんでしょうね。
そこは何年ぐらいいらっしゃったんですか。
そこも実は1年で辞めまして、
というのも本当はゲーム作りがしたかったのでプログラムだったんですけれども、
システム系だったというところで、
あとは使っている言語も比較的高級言語というか、
ゲームに使われるようなハードウェアに近いような言語ではなかったところで、
ちょっと勉強になりづらいなと思って、
ゲームのプログラミングを勉強したいんですっていう風に言って退職させていただいて、
それから2、3年フリーランスのプログラマーをしてました。
じゃあ、個人事業主としてフリーランスでエンジニアをやってたってことですか。
そうですね。大学の先輩がそういう働き方をされている方がいて、
その方と一緒に最初はやらせていただいていて、
後半は自分で仕事を取ったりとかしながら、
何でもプログラマーをやってましたね。
おそらく2000年の頃から、
おそらく相当儲かったんじゃないですか。
いえいえ。
フリーランサーだと皆さんお存じだと思うんですけれども、
フリーのプログラマーに来る仕事って、
結局大手が断ったり炎上したりして、
手が付けられなくなった案件ばっかり来るっていうところで、
非決心ばっかりやってましたね。
すごい鍛えられましたけど。
なるほど。
結構、寝れずにやるぐらいでやってましたね。
今と同じように在宅でやっていたっていうところもあって、
結構時間が自由に使えて、
割と遊びながら仕事もしてみたいな形で、
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楽しくやらせていただいてましたけれども、
やっぱりちゃんと納品してるのにお金がもらえなかったりとか、
あと収入が安定しなかったりとか、
結構不安定で、結局、
新卒よりはちょっとマシぐらいの給料になるんじゃないかなというところですかね。
平均すると。
なるほど。ありがとうございます。
フリーランス辞めた後は、もう一回就職でらっしゃるんですか?
そうですね。
22、23の時に、
同じ頃に大学に入った仲間たちが就職し始めて、
ゲーム会社にも入っている人間がいて、
自分何やってるんだろうかというふうに思って、
一旦仕事全部終わって、
ゲーム会社に入ろうと思って就職しました。
なるほど。
それでゲーム会社に入られて、
ゲーム会社での思い出なんてございますか?
京都の方のゲーム会社、
ゲーム開発会社にアルバイトで入らせていただいたんですけれども、
すごくドーンと任せてくれる会社で、
いろんなプロジェクト関わらせていただいたり、
あと大きな企業に関わらせていただいて、
当時関わった中で思い出深いのが、
バイオハザードのゼロというタイトルに関わらせていただいて、
そこで本当にカプコンの優秀なスタッフたちと一緒に仕事できたというところは、
すごく自分の中で、
ゲームってこんなスピード感で、
こんな勢いで作られるんだなって、
すごい勉強になりましたね。
なるほど、ありがとうございます。
2005 年にモノアイドルに入って、
ゲーム会社に入って、
ゲーム会社に入って、
ゲーム会社に入って、
作業するに至った経緯は何でしょうか。
はい。
先ほどのフリーランスの頃に、
世界初の MMORPG と呼ばれている、
ウォルトザスケのとか、
ウオルトザスケ 同士の記憶。
今のオンラインゲームの走りみたいなものが出てきてですね、
今のオンラインゲームの走りみたいなものが出てきてですね、
それにすごくハマりまして、
ウォルトザスケ オンラインとか、
全く新しいのね。
Universal Design 当初の lifting taxes for every day.
Universal Design とか、
初代のものなんですけど、
経済が回っているようなゲームだったんですね 冒険者になってもいいし 宿屋さんになってもいいし 狩人になってもいいし 料理屋さんになってもいいし みたいな お互いリソースを譲し合わないと回らないので ちゃんと経済が回ってたんですね
そこの中でいろんな海外の方とコミュニケーションを取りながら 英語でコミュニケーションを取りながら 冒険する体験をしてですね 完全にもう一つの人生ができるようになったんですね
こんなすごいテクノロジーやエンタメがあるんだっていうのは感動してですね これはまだ全人類が知らないっていうのがすごいなというふうに思いまして 99年とか2000年の話ですね
こういうのを作りたいなと思いながら ゲーム会社に入ってですね 当時日本のゲーム会社はですね 国内のゲームってプレイステーションの2とか3とかBとかDSとかで オンラインゲームじゃなくてパッケージを販売するものばかりだったんですね
当時の 今ではどのゲーム会社もサーバーエンジニアとかいて当たり前なんですけど 当時誰もいなくてですね 僕だけがサーバーの知見とかを持って入ってですね
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オンラインタイトルがあれば僕の方に話が来るだったんですけども そんなにオンラインタイトルじゃなくてですね もっとオンラインにこれから時間が来るから力を入れなきゃいけないっていう話をしても
自宅の会社なのでお客さんの話があって初めて力を入れるというところで だったら自分で会社を作って オンラインゲーム専門の会社を作れば
自分の理想する世界が出てくる 早く作れるんじゃないかなというふうに思いまして それで自分で会社を作ることにしたという次第ですね
なるほど 創業する時に怖さとかそういうのはなかったんですね
そうですね もともとフリーランスでやっていましたので 仕事を交渉してもらってきて 自分で収めてっていうところの流れは理解してたつもりでして
あとはフリー時代に一人でやったがためにですね 何か仕事をする時に一番下流の仕事しか来ないっていうところがあったので
今度はちゃんと最上流というか 一番企画から全部自分たちでやれるような組織を作ろうと思って始めたというところです
最初は組織化して始めたというところが違いましたね
なるほど 前に学んできたことをそのまま生かして創業と そんな感じでいらっしゃいますね
そうですね 創業前は全くやろうと決めて1年半ぐらい準備したんですけれども
その間はずっとそれまでプログラムの技術書とかを毎月7冊買ってきてたんですけど
いきなり営業とか経営とか経理とか財務とかの方に切り替えて
1年半ぐらいひたすらそこの知識を頭に入れてから会社を作りました
じゃあ結構勉強して知識入れて準備してからの創業でいらっしゃいます
そうですね 情報から入るタイプかもしれません
いや ご有数でいらっしゃると思うんですけども
本日も社長に聞くインウィズビーズをお聞きくださり誠にありがとうございました
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております
これまでにたくさんの成功社長 成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました
その内容はすべてテキスト化いたしまして
私どもウィズビーズが運営するウェブサイト
KAノートでも閲覧いただけるようにしております
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして
サイトの方にもさせていただいてます
ぜひネット検索でKAノートスペース社長インタビューと入力いただき
KAノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております
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本日の社長に聞くインウィズビーズはここまで
また来週
15:25

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