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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社エクストリーム代表取締役社長CEOの佐藤社長様でいらっしゃいます。
まずは経歴の方をご紹介させていただきます。
1964年大阪府生まれ。
サミ工業株式会社ご入社後、日本コンピューターシステム株式会社ご入社。
その後、株式会社クロスノーツの設立し、代表取締役にご就任されていらっしゃいます。
その後、株式会社エクストリームを設立し、代表取締役社長にご就任。
2014年12月には東商マザーズに上場されている上場企業の社長様でいらっしゃいます。
佐藤社長様、本日はよろしくお願い申し上げます。
よろしくお願いします。
まずは最初のご質問なんですが、大阪ご出身ということで、小学校・中学校時代はどんなお子さんでいらっしゃいましたでしょうか。
大阪の堺市というところで生まれたんですけれども、小学校に入ったのは、実は大阪府茨城市というところがあって、
そこは大阪万博が1970年にあるんですけど、私は1960年に生まれて、ちょうど小学校に入ったぐらいの年に大阪万博を経験しました。
実は茨城市というのは大阪万博のすぐ近所でして、当時は田んぼとか畑がいっぱいあるところだったんですけれども、
大阪万博が立ち始めて工事し始めたのを見る見るうちに、高度成長ってよく聞くじゃないですか、
それを体現したような感じで、全部田んぼだとか畑が埋められていって、駅はきれいになるし、家もどんどん建っていくみたいな、
そういった環境で育ちました。ですので、幼稚園から小学校の低学年ぐらいまでの時って、カエルを両手に持って、
爆竹とカエルで遊んだりとか、そういうちょっといたずらっぽいことも当時の子どもたちはしていて、本当自然事だったんですけど、
それがだんだん大阪万博を近に都会になっていきました。
その後、実は中学校入る時に兵庫県西宮市っていう工事園球場があったりだとか、あとは西宮球場があるところに引っ越して、
そこで中学校、25歳までそこにいたんですけれども、また兵庫県西宮市っていうのは、大阪と神戸のちょうど真ん中ぐらいで、
今はそういう関西で住みたい街ナンバーワンになるようなところなんですけど、当時はそれこそ半球ブレイブスと阪神タイガースがあって、
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ちょっと北には宝塚歌劇団なんかがあってですね、西宮北口っていう駅があるんで、そこはターミナル駅になっていて、
宝塚の歌劇団の綺麗な女性から、半球ブレイブスのごっつい外国スター選手が駅なんかに行って、
東京から比べると関西って一ローカルな都市なんですけれども、ただエンターテイメントな、その中では非常にエンターテイメントな街で育ったというような子供でして、
その頃にですね、そういった環境というか、野球のスター選手を見たりだとか、宝塚歌劇団の方を見たりだとかって言ったことが原因だったかどうかわからないですけれども、
スターになりたい、お金持ちになりたいっていうような気持ちを持ち出したのが中学生ぐらいの時。
中学時代ももう社長になりたいみたいな夢は持ち出されちゃったんですか?
実は社長になりたいっていうのは、もっと後に思いまして、中学時代の頃は、西宮球場って実は外国アーティストのコンサートもよくするんです。
家で寝てたら、外国人アーティストのリハーサルの音がガンガン聞こえてくるんですね。
昨年、映画なんかで代表としましたけど、クイーンだとか、私はマドンナとマイケル・ジャクソンを西宮球場で見ました。
ジュラン・ジュランも来たな。
そういった外国人アーティストを生で見に行ったりして、実はそういうロックスターになりたかったんです。
ロックスターになって一発当てようというような形で思っていて、
社長になりたいというのは当時は思わなかったというか、社長になるというのは想像の範囲外でしたね。
中学時代からギターをやっていらっしゃったんですか?
そうですね。中学校の時にはロックスターになれると信じていました。
その後出てくる好きなことはギター演奏、ギターが好きということで出てくる。
中学時代は本当にスターを目指してという感じでしたか?
そうですね。そういう風になりたかった。
高校も兵庫大阪の方の高校で?
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そうです。中学校は西宮球場に一番近い中学校だったんですけど、
実は西宮球場と甲子園球場は2、3キロぐらいしか離れていなくて、
高校は甲子園球場の、今でも多分甲子園球場に一番近い学校だと思うんですけれども、
西宮の学校、その公立高校です。
そういえば隣の高校があいみょんさんって今大人気じゃないですか。
あいみょんが出た。
卒業したのかな?途中で辞めちゃったかな?ちょっとわかんないですけれども、
彼女が隣の高校から出身だということを聞いたことがあります。
西宮はスターが出る町?
わかんない。そんなことないんだと思うんですけど、
ただあいみょんさんだとか大スターですもんね。
高校時代の何か思い出とかはございますでしょうか。
高校時代は本当に、当時の西宮とか阪神館なのかな、
高校のシステム、普通の公立高校なんですけれども、
中学生で、クラスで半分以上ぐらいは公立の学校に行くんですけれども、
そこに検査値があってというのは実はないんです。
近くの学校に全部入れられちゃうんですよ。
だから、それこそ兄弟だとかに行くような人もいれば、
私みたいに落ちこぼれちゃう人もいてみたいな、
そういう学校だったので、
全員が全員同じじゃなくて、いろんな人がいたなって、
今となっての思い出はそういう思い出で、
そういう意味では、いろんな人たちとやり取りができたような思い出です。
大学も関西?
大学行ったんですけど、途中で辞めちゃったんです。
大学は関西です。大阪の大学です。
辞められた理由をお聞きしても大丈夫ですか?
特に理由はあまりないんですけど、
まだずっとロクバンドをやってまして、
それなりに真剣に活動していたので、
大学に出なくても俺はスターになるから別にいいやと思っちゃったんでしょうね。
サミ曲工業さんにご入社される前は、ロッカーだったんですか?
25歳までロッカーというか、音楽活動を大阪でやっていて、
東京の音楽の人たちと関係性というか、付き合いがあって、
東京の裏方の事務所なんですけれども、
そこにお世話になるみたいな形で、東京へ上京してきた次第です。
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それまでスターじゃなかったですね。
今は割と長く皆さん活動されてますけれども、
当時も25歳になってスターになってなかったらもうダメだろうみたいなところもあった。
そういう意味では音楽を作る裏方の方のお仕事をしようということで、
アイドルに大ヒット曲を作って、それで人生生活だと思って上京してきました。
サミ工業さんにご入社されるきっかけは何かあったんでしょうか?
実はサラリーマンはそこからなるんですけれども、
なかなか音楽だけじゃ上京はしても、実はそんなに甘くないなっていうのがあって、
なかなか食えない、正直で食えないという状態だったんですね。
じゃあ何が自分にできるんだろう、曲を作ったりだとか、
音楽は割とコンピューターとの融合が早かった芸術分野なんですよね。
実はその当時に今のAppleのマッキントッシュという小さなコンピューターがあったんですけれども、
それを早くに買って、それで作曲だとかアレンジだとかをして、
いろんなお客さんに渡したり、展示会だとかああいう曲を作ってたんですよね。
そういうことができるなと思って、その技術を活かせる業界って何だろうと思ったら、
そういうコンピューターで楽曲を作るっていうのは他にパチンコパチスローだとか、
あとゲームだとかっていうのがあるなと思って、
履歴書とカセットテープに自分の作った楽曲を入れてですね、
それで面接に行って入っていいよって言っていただいてですね、
そこでサラリーマン人生が本格的にスタートしたというような形です。
サミーさん時代の思い出なんてございますでしょうか。
当時ですね、20代後半になろうかっていうような形だったので、
ただゲームの世界って当時はまだ本当に20代前半とか、
本当に下手したら高校出て、ゲーム作りの天才みたいな人たちが何人かいて、
非常に若い人たちがやってました。
ただ私はそういう意味では、選べばしゃべっちゃうし、
そんな風にお前しゃべるんだったら、自分でプロジェクトを持てって、
当時の営業系の役員の方が私に言ってくれてですね、
音楽だけを作るというよりも、プロジェクトを自分で持って、
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ゲーム作りに参画していきました。
それは非常に自分の中では今までやったことなかったんですけれども、
自分でプロジェクトを持っていくつかゲームソフトって、
私は実はゲームのことはよく知らなかったんですけれども、
マリオとかそういうのをプレイしてましたけどね、
本当のゲームの深い部分というのはあまり知らなかったんですが、
ただ当時のサミーにいてですね、
ゲームでヒット作を出すにはどうしたらいいだろうって思って、
新卒の一人が、我々はパチンコパチスロの会社なんで、
パチスロの実機をゲームにしようっていうのを、
私が当時課長になっていまして、
そういう企画提案書を持ってきたんです。
それをこれ面白いなと思って、
ゲームじゃないかもしれないけれども、
世の中にないものだということで、
営業にプレゼンに行ったんです。
こういうのって今までないから売れるんじゃないのっていう風に。
当時の実はサミー工業の、
我々がやってたからダメだったかもしれないんですけど、
家庭用ゲームって本当に売れなかったんです。
でもそれを営業もさっき言った、
実機のパチスロをゲーム機に、スーパーハミコンに移植しようというやつを、
営業も非常に面白いねって言ってくれて、
それを商品化したら、
突如として40万本ぐらいの受注が来たんです。
うわ、それはすごいと思って、
それは私がコンピューターの世界に一生いようと思った、
たぶん成功、初めての成功、
曲作っても全然アイドルが売れて、
隠世生活だと思ってたのが無理だったので、
ゲームソフトで40万本売れたっていうのは、
結果としては1年で自分たち十数人の課だったんですけども、
そこで大体70万本ぐらい売りました。
だからやっぱりそんなソフトを作れたっていうのは、
サミー工業時代の非常に良い思い出です。
なるほど、そうすると今の会社につながったのは、
やっぱりサミーさんでの体験、経験がつながってきているということですね。
なるほど。
3分コンサルティング。みずみずが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは、
看板商品を超える初心商品を開発したいということでいらっしゃいます。
Hさん。お菓子屋さん、成果販売。
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25名、静岡県だそうです。
新谷さん、こんにちは。
私は産業に続く和菓子店を5店舗運動を担いでおります。
弊社には看板商品とも言える開業当初から、
地元の皆さんに愛されている商品があります。
しかし、田舎の地元にも新しい洋菓子店やコンビニレストランの服により、
年々売り上げが減少しているのが現状です。
売り上げの少ない店舗を畳むことも考えましたが、
何としても先代の気づきを上げてきたお店を守っていきたいと思いました。
競争が激達する成果業界ですが、
何としても次なる看板商品を開発し、
挽回を図っていきたいと考え、
従業員ともども商品開発へと奮闘しております。
しかし、これはと思う新商品を発売しても、
売れるのは定番商品ばかりで、
なかなか新商品の売り上げにつながりません。
これは本当は良いことですが、
売り出そうと思い、多めに店に並べるのですが、
最近では余ってしまって、結果を捨ててしまい、
コーツの問題もあり、生産数も抑えています。
看板商品として愛される商品があることは整えられ難いのですが、
それを超える新商品を作り、売り上げにつなげるためには、
どのように新商品開発に取り組めばいいでしょうか。
大阪市が菓子作り一本でやってきたので、
経営に関しては至らないことが多く、
ぜひ新谷さんのご意見を伺えればと思い、
ご連絡させていただきました。
何かアドバイスをいただけますと幸いです。
先ほどチラッと言いましたが、
新商品を出して定番商品の方が売れるのは良いことです。
ある意味、新商品がセールスマになってくれている。
新商品を出したことによって、
チラシなり何なり宣伝なりホームページなり書いて、
それによって来てくれたお客さん、また来てくれたお客さんが、
普段定番商品を買うサイクルを短くして来てくれていると言えるんですよ。
だから新商品、新サービスというのは、
常に出し続けなければいけないと言われています。
皆さん方のよくご存じのところですと、
コンビニとか飲食チェーンは必ず毎月毎月のように
何かキャンペーンをやっていませんでしょうか。
松屋なんか本当にいろんなものを出していますね。
牛丼の松屋ね。
セブレムもそうですね。何かしら出していますね。
私の知っている会社だとカツヤなんかも、
こんなチキンなんとかっておいしいのかなと思うのを出していて、
ポスターいっぱい貼っていると。
結構それ頼む人もいるんですが、
私なんか普通のロースカット定食を普通に頼みます。
それでいいんですね。
お客さんを引っ張るためにも新商品、新サービスを
どんどこどんどこ毎月のように出していかなければいけない。
これがビジネスということですね。
実際それが売れるかどうかわかりません。
売れたらまた復活させればいいし、
売れなかったらまた違うことをやればいい。
そういうものだと思うんです。
定番商品を超えようと思うこと自体が私自身からすると、
それはなかなか難しいんじゃないかなと。
なので新商品、新サービスをどんどんどんどん作る。
あんまりよく売れたら、もう一回またキャンペーンで一年後やってみて、
また売れたら定番商品側に変えていく。
こんなふうにやったほうがいいんじゃないかなと思います。
新商品、新サービスはよく私のところにも
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上場企業の新規事業開発室長さんみたいな方々がいらっしゃいますが、
何個ぐらいやったらどれぐらいの確率で成功しますかと言われると、
10個に1個か100個に1個かと答えるんですが、
うちのお客様が答えすると、
いや3個に1個当てなきゃいけないか、3個に2個当てなきゃいけないと
それはなかなか難しいんじゃないかなと私は思っています。
ですので、そういう意味でいきますと、
新商品、新サービスをどんどん開発してください。
毎月のように。
実際にうまくいかなかったら廃棄品にしてっていいんだと思います。
それはなぜかというと、それが反則ツールにはなるので、
反則品みたいな役割はするのでそれでいいんだと。
腹くくってやっていただくのがいいんじゃないかなと私は思っております。
何か読みましたら、個別にご相談のらさせていただければと思っておりますので、
よろしくお願い申し上げます。
本日の3分コンサルティはここまで。
それではまた来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
KAノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索でKAノートスペース社長インタビューと入力いただき、
KAノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。