おそらくその影響で火岩暖球なんでしょうけど、
その上に位置するっていうか、
まさに水野鴨氏山の上町っていうところで地名出しちゃうと。
山の上っていうのはね。
面白いですね。
市内の中でも一番高いところの平たい場所みたいなね。
そういう場所ですね。
まさかこんな話になるとは。
木曽川っていうのはあんまりじゃああれですか、
緩やかな凄い蛇行されている川っていうイメージがあるんですけど、
あんまり暴れ川ではないですかね。
暴れ川は、昔暴れ川だったんでしょうね。
今はダムがもう無数にあるので。
なるほど。
長野から岐阜にかけてダムだらけの川なんで、
今は氾濫するみたいなことはないですけどね。
昔は大洪水ってのがあったみたいです。
そうなんですね。
大洪水があって、
そういう話は聞きますね。
ダムはあったんですけどね、その時。
はいはいはい。
そういう感じで。
どちらかというと、木曽川が削ったところに今みなさん住まわれているっていうような。
そうなんでしょうね。
そうだと思います。
もう大河だったっていう話ですね。
そうですよね。
大河の昔は大きな川幅だったっていう話ですね。
あんまりあれですよね。
子供の頃っていうと木曽川をメインに遊びながら。
そうですね。木曽川は本当に大きな川で、子供が遊ぶような川じゃないというか。
隣接して流れてますけど、子供が遊ぶには危ないぐらいの大きな川なんですね。
僕はさっきほど言いました、ちょっと高台の場所に住んでるんですけれども、
そこにも木曽川支流の本当にちっちゃな支流がうちの近くを流れてまして、
そこで遊んでましたね。
魚釣りしたり、魚釣りしたりみたいな。
小学校の時は魚釣りばかりやってたかなって感じですね。
本当にちっちゃな川で。
でもあれですよね、我々と同世代っていうとある程度ファミコンとか、
いろいろゲームもなくはないっていうところ。
なくはないっていうか、ありましたよね。
ありましたよね。
全然ありましたけど、
それはうちにはなかったですね。
友達の家に行くとあったんで、友達の家に行くとファミコンやらせてもらって、
後に友達の家からお風呂に流れてきたPCエンジンがギリギリあったぐらいな。
PCエンジン懐かしいですね。
そんな家でしたね、うちは。
ハドソンですね、PCエンジン。
PCエンジン違うだろ。
PCエンジンハドソンですよ、確か。
違いましたよ。
LECでしたよ。
ハドソンはあれか、そこから出してるゲームか。
高橋名人のイメージが強いからですね、たぶん。
バイハドソンっていうCMのイメージは蜂のイメージがある。
じゃあ結構子供の頃はガッツリ。
田中氏とか所さんの話聞いてると、やっぱりみんなこっちの方でしょって。
やっぱり外で遊んでるイメージの方がやっぱり。
何もないんでね、周りも。
お店もない。
ありましたけど、ちっちゃな駄菓子屋レベルの。
田舎なんで、そういう感じでしたね。
魚釣りとか、クワガタ捕まえたり。
川入って魚捕まえてましたね、最終的には。
釣るのもやめちゃって。
それぐらいな感じでしたよ。
あとノイケで鯉釣ってるとかね、恥ずかしいですけど、そんな感じでしたね。
こちらの方ってやっぱり鯉って洗いとかで食べるんですか、今その鯉の話を聞いてると。
さすが、よくご存知で。
ありますけど、ちゃんとお店で出てくるっていう感じ。
よかった、そうですね。
家庭用意じゃないですね。
うなぎを頼むと一緒に鯉の洗いがついてくるみたいな、そういう感じですかね。
長野とか行くとね、鯉のなんかありますよね、そういう煮物みたいな。
鯉コクでしたっけ。
鯉コクでしたっけ、なんかありますよね。
味噌汁みたいな。
田中さんが行ったことある鷹尾の、何でしたっけ、うかい?
うかいて。
あそこも鯉の洗いとか出ますよね。
なんかあそこ、鯉の塩焼きか、鯉の洗いが選べるみたいなんですよ。
鳥山の方。
鳥山じゃないかな、どっちかの方で。
たまたまちょっと調べて、鯉を出すんだと思って。
珍しいですね。
珍しいですよね、東京の方で鯉を出すってあんまりないな。
さっきうかいっておっしゃいました?
長野川のうかいていっていうのがあるんですよ。
うかいが東京にも。
じゃなくてうかいていっていう料理屋の名前ですね。
店があるんですよね。
うかいてい鳥山とかっていうのが高尾にあって。
そういうことなんですね。
長野川のうではないんですけども。
ちょっと反応しちゃいましたね。
もちろんそうですよね。やっぱり。
そんな小さい頃っていうのはどちらかというと小学生時代は魚釣りとかで外で本当に遊ぶ佐口さんだったんですけど
スポーツに初めて出会ったっていうのはいつぐらいになられるんですか?
スポーツは一応小学校で最初にやったのは少年野球ですね。
小5から。
小5と小6だけなんですけど、少年野球に。
これ田中さんも確か一緒ですよね。
僕は小3から小6までやってましたけど、全然下手くそでしたけどね、僕の場合は。
僕もって言ったら失礼ですけど、やってましたけど、
友達がやってたから入ったっていう感じで。
センスの欠片もなかったって感じだったと思いますね。
本当にそんな感じで、最初ライトから始まって、
セカンドとかやってましたけど。
なんですけど、僕行ってた小学校って一クラスしかないんですよね。
一学年一クラス。そういう規模の小学校だったので、
その規模の小学校で作られた少年野球のチームだったので、
やりゃレギュラーとれるみたいな感じなんですよ、人数的に。
なので試合にこそ出れましたけど、全然下手でしたね、本当に。
少年野球って私もやってましたけど、何が嫌だった?
朝の早いのがすごい大っ嫌いで。
朝にやってたんだよ。
いや、日曜の試合とか結構朝早くなかったですか?
あんまり覚えてないけど。
7時くらいに集合されてましたよ。
中学校に入るときには野球のことはもう少しも考えることなく
陸上部に入りましたね。
そうなんです。
といった感じでしたね。
久しぶりの陸上出身の方になりますか。
いやいや、この前師匠が陸上部でいたじゃん。
ああそうか、師匠そうか。
師匠800でしたね、忘れてた。
なんか不条理な練習とかではなくて、
中学の陸上部ってやっぱりちゃんと顧問いらっしゃったんですかね。
そうですね、確かに。
顧問の先生はいましたね。
いました。いましたけど、
めちゃくちゃ専門的っていう感じでもなく、
そんなにきっちりした練習メニューを
与えられてやってるって感じでもなかったのかなと思いますけど、
あんまりそこまで記憶がないんですけど、
20分ジョグとかそういうレベルのことを知ってただけだったかなと思いますけど、
競技としては何やられてたんですか、陸上部で。
競技は最初中1に入って、長距離ということで入ったつもりだったので、
最初確か1500に出たと思います。
1500に出て最終的には3000mだったのかな、中3の時には。
そのどちらかだったと思いますね。
中学だと最長って3000とかなんですか、今、その時は。
そうですね、3000mですね、長距離といえば。
中距離2500m、800mですね。
ただ、これも陸上が得意というか、
ちょっといい成績だったので陸上部入りましたけど、
実際入って一発目の1500mの地区大会みたいなのに出たと思うんですけど、
そこに出たら全然なんですよね、自分の成績って。
なのでちょっと早いと思って入ったんですけど、
いざちゃんとした陸上部の陸上の大会に出ると全然みたいな。
だから決して陸上部入っただけで全然な選手でしたね、結局は。
学校の中ではちょっと早いやつだけど、
ちゃんとした大会に出たら全然、全然みたいな。
大会で1500って何人くらい選手がいるんですか?
いやーどうなんでしょうね。最初出るの、岐阜県の中でも地区大会なので、
いやもう全然記憶にいないですけど、
2、30人とかなんじゃないかな、そんなレベルだったと思いますよ。
でもそこも勝ち抜けないですし。
だから三岡も市民マラソンで3位になったけど、
そのわずかな自信みたいなのはもうあっという間になくなっちゃって、
中学校の時は自分はそんな強くないやつだって思っちゃって。
またあれですよね、少年野球に入れますけど、
勝てる気せずに野球の試合出てるような感じで、
陸上もどこかにも入賞できるとは思わず試合にも出てるし、
練習もそれなりになっちゃいますよね。
ただ校内の中ではちょっと速いやつっていう。
そういうレベルっていうんですかね。学校レベルの感じでしたね。
ちなみに1500のタイムとかって今でも覚えてらっしゃいます?
中学校の時はギリギリ5分切ったぐらいだと思いますね。
でも中学校としては覚えたと思います。
3000mは10分を切れなかったぐらいだったと思いますね。
なんかわかりますよね、学校レベルっていう。
それでも今自分は絶対3000mは10分切れないですけどね。
僕も切れない。僕も全然切れないですね。
でも高んな時期じゃないですか、中学生って負けず嫌いというか。
ある意味でも悪い意味でもAかっこしいじゃないですか、中学生って。
おっしゃるとおりで。
でもそんな中でもやっぱりそこで何くそって思うよりも
ちょっと俯瞰的にこいつらに勝てないからいいやっていう気持ちの方が強くなっちゃったんですか?
そうですね。そう言われてみればそうかもしれないですね。
ただ学校の中じゃちょっと速いやつみたいなのがあるんで。
その辺で満足してたっていうことだと思いますね、簡単に言うと。
中学校の中で、また中学校内のマラソン大会っていうのがあったんですよ。
それがちょっと変わってて、20km走るんですよね。
そんな走るんですか?
長くないですか?
いや、長いですよ。
長いですよね。
それ中1回なんですか?
中1から。
中1から?
中1から学校の行事なんで、冬場の。
高度を使って20km走って中学校まで帰ってくるんですよね。
これ実は高校行っても同じ、ほぼ似たような行事が高校にもあって。
中学校と高校は別に近かったんですけど、コースもほとんど一緒で。
っていう感じで、中学校の時その20kmのウォークラリーっていう名前の行事だったんですけど、
別に歩いてもいいわけなんですよ。
なんですけど、その20kmの大会校内の、それは優勝したんですよね。
それ1年から?
1年の時は流石に優勝できる。3年の時、最初に優勝してた。
だから、さっきのこのタカンナ時期ですけど、
女の子にもいいとこ見せたいと。
そうですよね、言ってそうじゃないですか。
なんですけど、校内のマラソン大会で1位取れるってなると、
一番近い女の子にいいとこ見せれてるわけですよね。
そこで満足してたかもしれないですね。
学校悪いですよね。
いいと思います。それが中学生ですよ。
それ以上のことを見れなかったですね。
中学いい、素晴らしい。
見せれるだけマシだよね。
ほんとそうなんでしょ。
ほんとそうって言い方もおかしい。
素晴らしい。いい中学生ですよ。
ちょっと長い距離は良かったのかもしれないですし。
若干ここからもう再確保出てたんですね、なんとなく。
なのかな、はい。
いいですね。坂井さんは若干自分と近しい思想があるのが好きですね。
本当ですか。僕もちょっと思ってましたね。
なんかすげえ近い。
実はこういうトレーラーのポッドキャストっていうんですかね、トレーラー系の。
なんか冷静に思い返したら、聞き始めたのはこの1年ぐらいなんですよね。
なんとなく知ってはいましたけど、聞いてなかったというか、なんか知らなかったんですよね。
こういうのを知ったことによって、こんな面白い箸いろいろあんだなということで、
この1年ぐらいで急に聞き漁ってると言いますか。
田中さんとあっちゃんのこのポッドキャストも、急速に聞き漁ってるんで。
そうなんですね。
もう仕事中とか100%聞いてる日とかありますし。
なのでちょっとなんかね、お二人の性格みたいなものも感じ取りつつ、
どこか近しいものを感じたりとか、勝手に思ってましたね。
わかります。なんかすげえわかります。
なんか俺も、この人にはもう勝てないからいいや、みたいな感じとかあるんですけど。
別に作詞さんと一緒にはしないですけど、話を聞いてて、わかるなって気がしました。
いやいや、ありがとうございます。
俺このフィール、この世界線で頑張ったらいいけど、その上の世界線は俺望んでねぇなっていうのは、なんかすげえわかります。
もうなんかそういうのとか、僕はもうなんか、結構俗物なんですよね。
俗世間にもどっぷり使った俗物っていうか、だから女の子にもたやされたりとか、なんかそういう中学校の時からそんな感じでしたね。
いいですね。俗世いいですね、本当に。
俗物です。
結局そういう方たちが最終的にやっぱりいつまでもちょっと、なんかね、一心報いたいじゃないんですけど、
そういうわだかまりが多分おじさんになってトレダンやって100万円になって、なんか若い子には俺まだ負けんぞお前らみたいなところが、
なんか多分そういう人たちの集まりでみんなが何かしらで輝いてるんじゃないのかなっていうのは、話を、いろんな人の話を聞いてて僕は思います、それは。
本当おっしゃる通りかもしれないですね。何も変わってないなっていう感じしますね、その頃から。
結局永遠の中学生の自分がどこかで動けないところは多分ある気もするんですよ。
そうですそうです、はい。
何かのレース出て、実は、もしかしたら何かのタイミングで10位になるかもしれないみたいな。
はい。
でも歌開いたら感想ギリギリだったとか、でもなんかその世界線でも僕はいいかなとか、なんかそういう、なんかありますよね、それはそれで。
はい。
いいですね。ちょっと佐口さん近い気がしてきて。
で、ちょっと今のお仕事に関してもちょっと合わせた話になるんですけども、
あれですか、例えばその高校とか進学するにつれて、今の職業っていうのはどっかで意識されるところっていうのは終わりになったんですか、そこは。
ありがとうございます。
なんかすっごいこれ一個で何かこう開眼したみたいなことは別にないんですけど、
むしいていうなら、
ただ具体的に建築の世界でこうなりたいみたいなのは全くなく、
進学の中の一つとして選ぶならそこなのかなっていうぐらい。
それ、高校とかはそういう建築系のところに行かれたんですか?
全然なくて。
そこは全然なかったんですね。
全然ないっていうか、建築系の大学に行かなきゃいけないなっていうのを中学校に行ったのよ。
でなると、工業高校の建築科っていう選択肢もありますけど、
それより大学に進学できる高校っていう感じで、普通かな、県立の普通かな。
中学校からも全然場所が変わらないような近い高校に通いましたね。
そこは普通科でしたね。
将来的なところを見据えると、大学っていうところを通れるところで普通科を選ばれて。
一応、よく言うとそうですね。
そこでもそのまま継続して陸上はやられたんですか?大学、高校の方は。
陸上はやりましたね。
陸上はやっぱ好きだったんですね。
とはいえ、全然強くないんですけど。
強くなさ加減は高校でも続いて、そんな感じでしたね。
高校だと種目は距離は伸びたんですか?
距離は5000mに変わりましたね。
いわゆる中学校でいう3000mっていうのはなくなって女子の種目になって、
男子は5000mって感じになるんで、5000mがメインでしたね。
そこのベストも言うと、16分47秒でしたかね。
それがしかも高1の時なんですよね。
高1で16分40何秒で、それを更新できず3年間終わったっていう。
早くもないんですけど、そこからまた伸びることもなく。
一生懸命やってたんですよね、自分的には。
先生も一生懸命でしたし、
強くないくせに陸上は好きで、
強くないくせに陸上ファンみたいなところもあって、
全然すごくないのに、陸上マガジン雑誌はよく見て、
全国の強い選手見て、すごいタイミングで走るなみたいな、
そういう感じで、一種の陸上オタクみたいな感じで、
自分は全然すごくないのに、そういう感じでしたかね。
そういう感じでしたね。自分も早くなりたかったですけど、
振り返ると思うことはいろいろありますけどね。
結果そんな感じで終わりましたね。
ちなみに陸上マガジンって読んだことないんですけど、
全国の選手の話とか、トレーニング方法とかって書いてあったりするんですか?
トレーニング方法書いてあったりしますよ。
毎月、月一で出てて、月間陸上競技っていうのと陸上マガジンと、
二大雑誌かな、なんか出てて、高校生だけじゃないんで、
社会人の陸上大学生、全てを含めて、
その直近にあったレースの結果だったり、インタビューだったり、
シューズとかの広告が載ってたり、そういう雑誌ですよね。
陸上やってる人しか読まないような。
誰か好きな選手とか言いました?
好きな選手ですか。好きな選手は、これもう全然言ってもわからないんですけど、
やっぱり僕が高校の時に、僕が高校生の、特に二年生の時とか、
岐阜県内で強い高校が、時商業っていう高校だったんですよ。
時商業っていう高校が、その時ダントツ、岐阜県内ではダントツ強くて、
そこにいた、イフィユージっていう選手がいたんですけど、
僕の一個上なんですよね。もちろん面識もないし、喋ったこともないんですけど、
一番近い場所で強かったんで、
その選手は陸上に乗るレベルだったんで、全国レベルだったんですよね。
高校で13分台とか出して、当時としては超高級でしたし、
その後駒沢行って箱根走られたりとかっていう、その選手が岐阜県内なので、
もう岐阜県内の長距離の話題は、その一人でも持っていかれてるって感じで、
県内のインターハイ予選でも、1位と2位で5000mの周回数がつくみたいな、
それぐらい全国レベルだったんですよね、たった一人だけっていう選手がいて、
ファンっていうか注目してましたね。
伊美さんすごすぎるっていうことで。
やっぱりどっかであれなんですよね、話聞いてて思うのが、
やっぱりちょっとオタク気質なところもあるってことですよね。
本当そうだと思いますね。
そうですよね、なんか聞いてて思ったのが、私もバスケが好きで、
月刊バスケットボールって雑誌をマジ片っ端から読んで、
地元の高校とか中学でヤバい選手とかをすごく追ってたんですよ。
話を聞いてて、めっちゃ一緒だと思って。
同じ感じだと思いますね。
僕、伊美悠二さんのランニングフォームとか真似してましたし。
そうなりますよね、ショートフォームとかも真似してましたもん。
これ陸上部内だとすっごくウケるんですけどね、そうやってましたよね。
馬鹿すぎる的な感じになっちゃうんでしょうけど。
本当そうですね。
それちょっとやりすぎちゃって、今のランニングフォームに定着しちゃってるような気がするんですけど。
面白い、面白い。
ちょっと佐口さん分かったな、オタクだ、オタク気質の人っすね。
オタク気質、そうですね、あるかもしれないですね。
いいっすね、なんか。
多分今の職業はある意味オタク的な延長線上な感じしますよね。
まあそうかもしれないですね。
好きに追求できるっていう感じかな。
面白い。
いいっすね。
我々の頃にインターネットがあったら今と全然違いますよね。
本当ですよね。
雑誌しかないじゃないですか。
雑誌しかないです。
僕の場合は和をかけて田舎なので、雑誌もちょっと大きな本屋に行かなきゃないです。
そうですよね。
今から思ったら本当に情報ってものは極めて少なかったと思いますね。
少ない状況でしたよね。
その中でもいかに情報を得て、周りが知らない選手を俺知ってるんだよみたいな。
選手はこうなんだよっていうのが、どっかで優劣なところが自分もあったんですよ。
そうですね。
なんかすげえ、いいな。
さくちさんとちょっと普通に伸びてえな。
いやーちょっと似てきた気がする。
似てきたっていうのも先輩に対して言うのも大変失礼なんですけど。
いやーいいっすね。さくちさんいいっすね。
まあでもそんな高校3年間で。
まあでもただやっぱり陸上は好きというところがあって。
今先ほどお話ありましたけど、やっぱり大学に入るっていうところがどっかでやっぱり名目としてもあったんで。
そうですね。
受験勉強を経て、大学の方に進学されてっていう話であるんですかね、その終わりに関して。
はい、そうです。
それは東京とかどっちかでられたんですか、どっちかの方には。
大学は神奈川でしたね。
神奈川の方で、はいはい。
神奈川でしたし、東京って話も出ましたけど、やっぱりその受験勉強、進学のことを考えたときにやっぱり東京の憧れが強くて、僕は。
多感だったってことですかね。
さっきの情報の少ない話も出ましたけど、やっぱり東京は情報が多いってイメージも大きかったのか。
東京に憧れて、よくある話だと思いますけど、まさに僕もそれで、大学イコールとにかく家出るっていうのをセットで思ってましたね。
大学に進学することで、違った生活に移れるっていうのを夢見てたっていうか、そういう感じでしたね。
東京の大学も受けましたし、神奈川の大学も受けましたけど、実際行ったら全然都会じゃなくてっていうのはありましたけど、でもやっぱり楽しかったですね。
もう4年間どっぷり建築学的なところを学ばれて。
はい、建築学科です。
建築学科って大変じゃなかったですか。
大変ですよね。
結構工学部の中でも課題が多くて。
そうですよね。
毎回設計課題提出するのに手伝いになるみたいな。そういうのが多かったですね。
僕も工学部だったんですけど、建築科の人たちが断トツ忙しそうでしたからね。
よく言われましたね。
いろいろ作ったりするんですよね。
模型作ったり、図面描いて模型作って提出。それが2週間単位ぐらいでやってるのかな。
物体的に物を作ってるから楽しそうではありますよね。大変そうなんですけど。
楽しかったですね。建築やりたいとはいえ、高校で建築は少しもやってないので。
大学入って建築学科入って、好きなことやられてるなっていう感覚はあって、楽しかったですね。
大学はいろいろ楽しかったですね。
ちなみに大学では陸上サークルみたいなやつ入ったりしたんですか。
陸上は入れなくて、やっぱり陸上好きだったんで、できればやりたい思いもありましたけど、
行った大学ってのが陸上部結構強くて、結構強いんですよね。
だからもう水戦で全部選手が埋まってるような感じだったので、
名前出しちゃうと東海大なんですけど、僕だから鶴巻温泉に住んでましたね、その頃。
いいですね、小田急線。
小田急線に6年間鶴巻温泉に住んでたんですけど、
それで入った時点で陸上部は入れないだろうっていうふうに思ってて、
現実やっぱ入れないっていうか、陸上部入ってる子たちは基本体育学部で水戦で入ってきた子で、
一応一般で入るのもできたみたいですけど、
5000mのタイムを測って、15分切ってるんだったら一応入れるみたいな。
そういう感じだったんです。何しようも無理だなってことで陸上部は諦めて、
何しようってなった時にトライアスロンのサークルがあったので、
トライアスロンのサークルに入りましたね。
また新たな出会いがあったんですね。
サークルだったんですよね、トライアスロンが。
またその中、資金の低さも自分にはあってたというか。
ランバイクスイムを今度は大学は。
またそうなると自転車っていう壁もありそうな気がしますよね。
自転車って壁ありました。
機材が物言うじゃないですか、あの競技って。
大学とはいえ、そこは本当に両親に感謝としか言いようがないですね。
すごくマニアックなこと言うと、105とデュラエースが同じかって言うと運で嘘じゃないですか。
なんだと思います。僕105しか使ったことないです。
素晴らしい。
学生でデュラエースとか使ってたら、よほどいい家柄でしょうね。
絶対そうですよね、学生でデュラエース使ったら。
ましてやカンパニオロとかスラムとかもっと高くなりますし。
さすがあれですね、問わみが大きいですね。
ここらへんは僕大好きなところです。
そっかそっか、あれですよね、自転車を好きですもんね。
105か、いいっすね。大学生らしい感じがしていいっすね、105は。
105でしたね、はい。
ありがたいサークルだったなというふうには思いますね。
今、佐口さんおっしゃってましたけど、
どっかでみんなもう1回輝きたいっていう部分は、
少なからずあるんですかね。
やっぱり種目をちょっと変えてでも、
もう1回できるんじゃないかみたいな、
そういうんですかね。
そうですね。
結局、人間ってもう1回ここだったらいけるんじゃないかっていうところを
自分で探して、それを見つけて、
それに対してどう、
自分がそこに対してアプローチするかっていうところも、
積み重ねるんじゃないのかなっていうのは。
この番組やってて、
自分が思うところはありますけどね。
1回挫折したけど、
新たな自分がフィールドを見つけて、
そのフィールドの部分っていうのは、
競技以外の人に対しても、
みんなあの人がすごくいいから、
あの人になりたいから、
どれらに生きてるのかなっていう気は確かに私もそこは。
はい、そうですね。
そう思いますね。
まったく最近走ってね、俺が言うのが何なんだっていうところもちょっとひとつ。
ちなみにまったく余談ですけど、
作地さんの1学年上で東海大学に
奥宮俊輔さんがいますね。
奥宮なんですよね。
僕も奥宮からそのことはもう
ごく存じ上げてたんで、
たまたま去年、
おととしのタイのレースで奥宮さんと
初めてお話する機会があって、
実は僕も同じ大学なんですっていう
お話をさせていただきましたね。
奥宮さんは体育学科のどっちの方だったんですか?
奥宮さんは王道の体育学科陸上部だったということですよね。
ちなみにタイ走ってましたよね、奥宮さん。
走ってましたね。
昨年も走られてましたね。
今年はお会いしましたね、レース中にお会いしましたね。
僕も抜いたから多分ね、
瀬口さんも抜いてるはずですよね。
疲れてらっしゃいましたけどね、その時は。
いよいよやられたって言ってましたね。
東海か。
確かに河村雄貴も後輩ってことですね。
河村雄貴、そうなんですね。
河村雄貴も東海、中退しちゃったんですけど、
今シカゴフルーズ頑張ってる。
東海大学2年で中退しちゃったんですけど。
なるほど。
最初まだ1時間ですけど、
なかなか重厚なお話をお伺いできました。
そうですね。
ここからですよね、大学卒業されて、
今建築士っていうところの肩書きも
昨日は終わりになりますし、
今現状2016年から、
職業訓練校のほうで大工としての方で
講師もされてるってところもありますし。
ありがとうございます。
ここは素人で、
野暮なご質問になってしまうかもしれないんですけど、
1級建築士っていうのは2級建築士になって、
ある程度の経験重ねて1級建築士になるじゃないですか。
基本的には。
基本的にはそうですよね。
そこと大工さんっていうのは、
ニアイコールになるものなんですか?
それと全く別のものなんですか?
ありがとうございます。
違いますよね。
全然違いますよね。
一般的には別物っていうか、
業界は一緒ですけど、
別物ですよね。
まずは、
タクチさんは建築士のほうで就職というか、
されたっていう方向になるんですか?
大学卒業後っていう話になるんですけど。
いや、じゃないんですよね。
そうですね。
さっきトラヤソン一生懸命じゃなかったっていううちの一つで、
大学の時に、
たまに夏休みとか、
長い休みで実家帰った時に、
大工のアルバイトをやったりとかしてたんですよね。
そんなアルバイトも?
そうですね。
たまたまの人捨てで。
それやってる中で、
たまたまなんですけど、
ログハウスっていうものに出会って、
ログハウス、丸太を組み立てて。
丸太を積み重ねてですね。
職人の世界とログハウスっていうものに出会って、
なんか面白そうだなっていうふうに、
ちょっと思ったのが一つと、
職人の世界をちょっと知ってしまったことで、
その後、大学の建築学科の授業を聞いてても、
なんていうんですかね、
その大学の授業を聞いてても、
その大学の授業を聞いてても、
その大学の授業を聞いてても、
なんていうんですかね、
大学の設計の授業って、
どこか機場の空論みたいに感じてしまったんですね。
大学の設計の授業って、
どこか機場の空論みたいに感じてしまったんですね。
大学の設計の授業って、
ちょっとそう感じてしまったというか、
大学の先生たち、
言い方が悪いんですけどね、
むちゃくちゃ偉そうなことを、本当に言い方悪いですね、何だろうな。
いや、いいと思います、それはいいと思います。
先生たちが立派なことをおっしゃってても、
なんかノコギリ一つ引けないとか、なんかあれだな、みたいな。
別問ですけどね、完全にね、それって。
なんかちょっとそんな風に思っちゃったところもあって。
なんかその頃から、建築の世界に行きたいってぼやって考えてましたけど、
実際なんか別に決まってなかったんですよね。
例えばこの建築の世界でどこに行くみたいなのは決まってない中で、
それを探る大学の時間でもあったんですけど、
自分で設計して自分で作るみたいなスタイルができるんだったらいいなっていうのを思い始めて、
そのためにはまず設計行くのか、まず職人行くのかってなると、
設計の道に進んでから職人の世界に行くのは難しいだろうなっていうのが思ってたんで、
まず行くのは職人だろうっていうのと、
それも、なんかちょっと長くなっちゃいますね、この話。
大学というよりもたまたまですけど、ログっていうものに出会って、
それも一つやってみなきゃわかんないなっていうのがあったんで、
たまたま大学4年の時にログビルダーの中で神って言われてるカナダ人のアラン・マッキーさんっていう有名なログビルダーがいらっしゃったんですけど、
その方のスクールが栃木の日光であるっていう情報を得て、
それに2週間ですけど参加したんですよね、大学4年の時に。
そこでまた知り合った人とか、その講習自体でまた感化されまして、
絶対ここをまず行ってみようっていうので、情報をいろいろ聞く中、
カナダ行くのがやっぱり手っ飛び早いっていう話を聞いて、
大学の間に一回下見じゃないですけど、
バンクーバーとかウィスラーあたりに一人旅で本場のログ見てみようと思って行ったりだとか、
そのスクール出て、大学戻って、
残りの半年ぐらいでしたけど、英語だけ勉強して過ごすのもあれだなっていうのもありましたし、
そのスクールで知り合った人からの情報で、
宮ヶ瀬に1個、神奈川の。
宮ヶ瀬に1個そういうログ会社があるよっていうのを教えてもらって、
実際当時の雑誌に載ってる会社だったんですよね、そこが。
今も実はその会社もなくなってるんですけど、
その雑誌からの電話番号を載ってたんで、
その雑誌の電話番号から電話かけて、
東海大の4年生の佐口って言うんですけど、
一回何かあれば見に行ってもいいですかみたいな、よくわからない電話したんですけど、
そしたら心よくそこの社長さんが、
一回遊びにおいでよって言ってくれて、遊びに行ったんですよね。
そしたらその日に雑誌にここでバイトしないって言われて、
やりますっていう感じで。
そうなりますよね。
そこでバイトし始めたっていう感じでしたね。
そのバイトっていうのが、原木の米松なんですけど、
北米から来る松の原木の皮を手のナイフで、
機械とかでもなくて、腕で引っ張って剥ぐようなナイフがあるんですけど、
それで11メーターの丸太の鬼皮を剥いたら1本5000円みたいな、
そういうバイトだったんですよね。
それを、その社長さん曰く、今まで結構大学生のやつらがバイトに来たけど、
大抵寝をあげて辞めていくんだよねっていう話。
君が東海大のトランスなんだっけみたいな、そういう感じで言われたんで、
そんなこと言われて辞められないなっていうのもあって、
意地でそのバイト。
やると結構1日5本ぐらい剥けるみたいな感じだったんで、
なかなかいいバイトでもあったし、
まさに夢の仕事の舞台っていうんですかね。
その場所そのものが。
本当にこんなこと日本でやってる場所があるんだなっていうのもあって、
結局そこに就職しちゃいました。
一本の電話が紡いだ。
はい、だからこう、ちゃんと大学3年生の時にエントリーシート書いて、
就職活動するみたいなのは結局一切なかったっていう感じですかね。
でもあれなんですよね、今初めてっていうかお話聞いてて、
そこに関しては、その皮を剥ぐ作業に関しては、
何くそっていう気持ちが出てますね。
本当ですね。
それが佐口さんの中で本気の表れってことですよね。
それで食べていかなきゃいけないってことですよね。
すごいこれ。
遊びじゃないっていう覚悟があったかもしれないですね。
すごい。
学生の世界じゃ当たり前ですけど、
そこに足踏められた以上、もう学生の世界じゃないのは鍵取れましたし。
すごい。
その覚悟はしたと思いますね。
もしかしたら今までだったらいいやっていう部分が、
そこに関しては男の意地というか、
いろんなものを食い取って、そういうことですよね。
もうやります、みたいな。
拝大トライアスロン。
そこまで言われちゃったら、やるよね、みたいな感じになりますよね。
すげー。
結局、やっぱりカナダに行くっていうのはやめちゃいましたよね。
カナダに行くこと自体が目的ではなかったっていうのはありましたけど、
行ってみたかったらどうなったのかなっていうのもちょっとありますけどね。
ただ、宮ヶ瀬のログサイトがある会社でやってる仕事ぶり見て、
ここでやれるんじゃんって思ったのも確かで。
実際、丸太をチェーンソーと斧を使って刻んでいくんですけど、
それがやっぱり大学出た後、それをやってるのが楽しかったですし、
夢追ってるなっていう感覚はありましたね。
かっこいいぜ。
ちなみに木を一本剥ぐのってどれくらいでできちゃうんですか?
一本剥ぐのですか?
はい、剥ぐの。
1センチ5本くらいだったか。
1時間半とか?
1時間半とか。
はやっ。
灰でそれを電気がんなでもう一回削って綺麗にして一本って感じなんですけど。
それ乾燥木でくるんですか?ちょっと水を含んでる状態でくるんですか?
全然生木ですね。
生木でくるんですか?
生木でしたね。
かっこいい。
当時は。
ですけど、すごい面白い仕事ではありましたね。
すごーい。
ログハウスってものは、僕は知ったのが遅かっただけで、
どうやら80年代とかに日本にバッと入ってきて、ベストウチとかにもログハウスがあって、
いわゆるカナダログとかフィンランドログとかそういうものが80年代くらいに入ってきて、
軽井沢だとかベストウチいっぱい作られて、
それに伴って日本の男たちが脱サラしてログビルダーを目指すみたいな、
そういうのが当時あったみたいなんですね。
80年代後半とかに。
ログメーカーも日本でいっぱいできて、
そういうログビルダーもいっぱいできて、
夢追い人の男がいっぱい生まれてあったらしいんですけど、
僕がやった頃っていうのは完全にその下火の時で、
日本にも数える程度のログメーカーがあるだけで、
それもどんどん潰れていってるっていうような、
カナダにある日系メーカーも亡くなっていったりとか、
そういうちょっとしりつぼみともいえますし、
ちょっと形を変化していってる、
そういう時だったんだと思いますね、今思うと。
今、佐口さんの話を聞いて思い出したのが、
うちの父親の書籍にログハウスの本が雑誌があったのを思い出して、
今、もう亡くなってるかもしれないですね。
亡くなっちゃいましたよね。
夢の丸谷小屋に暮らすっていう。
ありましたよね、うちの父親の書籍に、
くっさるほどあったんですよ、そのログハウスの本が。
うちの父親はたぶん、おそらくログハウス第一世代の真っ只中だったと思うんですよね。
たぶん将来的にはログハウスさせたいみたいな、
こいつ前にこのくそジジイ何言ってんだと思ってるところありましたけど。
なんかね、どっかセルフビルドの精神が大きいんですよね、あの建築って。
ちなみに僕が大学時代にバイトしてた喫茶店が、
ログハウス風でしたね。
ログハウス風でした。
内装が。
確かにそう言われると、その喫茶店自体も1980年からみたいな感じだったんで、
たぶんそういう世代の人が作ったんだなと思って。
でもログハウスって木の積み上げじゃないですか。
ごめんなさい、ちょっとかじった情報になっちゃうんですけど、
宮田育さんに関してもやっぱり木の積み上げ、
例えば五十の塔を作られた伝説の宮田育の方っていらっしゃるじゃないですか。
ちょっとお名前忘れちゃったんですけど。
西岡さんっていうね。
西岡さんでしたっけ。
その方って、例えば再建して五十の塔を作ったけど、
でもその方の完成っていうのは、
何年、もう本当に100年とか1000年後、
その木が水水分を抜いて、
こうなった時にその隙間が埋まってなんちゃら、
そうすることによって初めで耐震性が生まれるみたいなところも、
考えられての五十の塔っていうのを再建されたじゃないですか、あの方って。
でもやっぱりログハウスの概念っていうのも、
そこがやっぱりあるってことなんですよね。
僕がそこまで語れる立場じゃないような気がしますけど、
多少なりともあると思いますね。
そうですよね。
木の積み上げだって言っただけでなると。
木が乾燥して収縮していっちゃうんで、
収縮したとしてもくっついてるように、
加工するみたいなのはやっぱりありましたね。
それやっぱりちょっとロマンがありますよね。
だけど一番僕が違うなと思ったのと、
ログに魅力を感じたのは、
日本の建築って柱を立てて、
針を渡して、
いわば線で構成されてるんですよね、
この骨組みってものが。
それに対して壁とかを肉付けしていくような、
そういう考え方になるんですけど、
ログハウスの場合は、
積んでる丸太が壁そのものだし、
構造そのものなわけなんですよね。
ヨーロッパの欧米のというか、
石を積み上げたりとか、
そういう塊を積み上げて、
組織してる考え方に近いと言いますか、
同じ木なんですけど、
全然違う考え方で塊で積み上げられてて、
そのダイナミックさに引かれたのかなっていう感じですね。
ログハウスは確かに大黒柱っていう概念がないってことなんですか?
木だけで積み上げられてて、
積み上げによって建物の高さも出てますし、
木の太さによっちゃいますよね、高さが。
その本数というか。
大丈夫ですかね、
トレーラーチックにだいぶ…
いや、大丈夫です。
私がいけないんです。これこれ私がいけないんです。
大丈夫です。全然大丈夫ですよ。
聞いてるの楽しいんだよ。
あんちゃんの統計が深すぎて。
これ私がいけないんです、ごめんなさい。
大丈夫です。
私がただ興味があるから聞いただけっていう。
僕もね、これ喋りだしたらどんだけでも喋れちゃうんで。
大丈夫です。徐々にトレーに寄せていくんで大丈夫です。
確実にね、100マイルじゃないけど確実に近づいてありますね。
すごいなぁ。
でもそういうね、やっぱりそういう職人の世界ってなるとやっぱり何年間もやっぱり修行というか、
どうしても都定的な流れの中でやらなくちゃいけないっていうところもあると思うんで。
そんな中で、ランニングのところになりますけども、
どのタイミングでまたちょっとマラソンですとか、
トレールにちょっと行こうかなっていうのが出てきたんですか、そこら辺は。
トレールに行くのもまただいぶ後になっちゃうんですけど、
ログの会社にいて、ちょっとこの辺はもうちょっと早めに行きますけど、
ログの会社行って楽しかったんですけど、
夢追い貧乏で、貧乏暇なしみたいな、そういう生活だったんですね。
結局2年間いて辞めたんですけど、
とにかく楽しいけど貧乏で宮ヶ瀬にいたときっていうのは、
いつまでもこれやってられないなっていうのもあって、
会社の方向性もだんだん変わりつつあって、
2年経って辞めまして、
そのタイミングでちょっとバックパッカーとして海外をぐるっと回ってくるような旅をしまして、
それは建築を見るためですね。
もう一度大学で習ったような名建築みたいなのを、
実際見るやつってあんまりいないよなっていうのもあって、
そういうのを一回見てみようっていうのもあって、
それを見て帰ってきて岐阜に戻って、
もう一度一から今度は日本の大学の修行を岐阜県に帰って始めたんですね。
走行してるとき、26、7ぐらいのときに僕の二つ上の兄がいるんですけど、
この兄がどういうわけか一回フルマラソン出てみないかって誘ってくれたんですよ。
ここでやっとランニングに来ましたけど、
そのときでいうと、
フルマラソンっていうものがまだ僕にとっては結構冒険的なものというか、
そういう存在で、兄にとってもそういう感じだったので、
一生に一回ぐらいフルマラソン走ってみないみたいな感じで僕に誘ってくれて、
兄も全然走ってるわけでもなく、
それで地元のいびがわマラソンって今でもあるんですけど、
いびがわマラソンのフルマラソンに、
26、7、8かな、その辺に出たんですよね。
それがランニングをもう一回やるきっかけになったといいますか、でしたね。
いびがわマラソン、2007年ですよね。
2007年、僕ですか、が出たんですか。
何か見れるんですか、今。
ちょっといびがわマラソンの成績を調べたんですけど、
でも初マラソンで3時間37分って早くないですか。
じゃあ2007、すごいですね。
それですね。
早いですよね、でも。
すごくなかったですよ、内容は。
もうハーフぐらいで完全に足止まって、
あとは歩いたり走ったり足つったり繰り返しでやっとゴールしたっていう感じでしたね。
ちなみに学生時代だと20キロ走ってるわけじゃないですか、学校行事で。
中学校からそうですよね。
確かにそこで走ってますけどね。
で、トライアスロンとかも距離的にはアイアンマンじゃない限りはそこまで走んないですもんね。
そうなんです。学生のトライアスロンだったんで、いわゆるショートって言われてるもので、ランは10キロっていう。
アイアンマンは経験ないんですよね。
で、そこのフルマラソンがその時の人生最長みたいな感じでチャレンジですね。
おっしゃった通りで人生最長でしたね。
3時間37。ちなみにその練習とかされたんですか?
練習はしましたけど、週に2回3回10キロ走るみたいな。
はいはいはい。
実はそれが最初で最後のサブスリーで、
自己ベストになっているんですけど、恥ずかしい話ね。
でもサブスリーできましたけど、
レース内容はいびがわマラソンとあんまり変わってないんですよ。
大失速の上に、サブスリーギリギリできてよかったなみたいな、
最後足過ぎながら、みたいな感じだったんですけど、
一方、これ以上どんどんタイム伸びるっていうのも感じられないなっていうのもある。
一定のやった感もあった中で、
たまたま、先ほどから出てるトライアスランの仲間が、
実はUTMBに出てたんですよね。
そのトライアスランの仲間は付き合いがずっと続いてて、
2012年って言ってたのかな、確か。
UTMBに出たっていう話は聞いてたんですよ。
話聞いてるだけでも、160キロって言ってるし、
全然別世界の話をしてる感じだったんで、
あんまり自分にとって現実的には聞こえなかったんですけど、
練習も聞くと、金曜日の夜に会社から帰ってきたから、
金曜日の夜に家出て、ひとしきり歩いたりとかして、
土曜日の夜に帰ってくる練習してるんだみたいなことを言ってたんですよね。
すごいのがあるなみたいなぐらい聞いてて、
そういうスポーツがあるんだなってことは聞いてたので、
サブスリーもできました。
次、トレードランニングっていう大会で新潟の大会があるんだったら、
一回それ出てみようかなっていうのが、2017年の越後館というのだったんですね。
それもまた一つ既成の理由を作るみたいな感じで、
古村さんもちょっとやったし、
一回トレードランニングもやってみようかなみたいなのもあって、
またそれもありましたし、もう一個は、
その同じぐらいの時期に、またトライアスロンなんですけど、
二つしたの後輩が、一年発起でアイアンマンに出て、
アイアンマンのファイナルっていうんですかね。
ハワイ。
ありますね。
コナスロットっていうのは、オーストラリアの大会だったかな、出て、
コナスロットを得て、ハワイのレースに出るっていうことをやってて、
そのことでトライアスロン仲間の中でちょっとざわついた時があって、
あいつは今でも頑張ってるみたいな。
でも僕もちょうど30半ばだったし、
夢追い陰謀の時期もありつつ、
仕事もちょっと、独立もしてましたしね、その頃には仕事の。
なので、ちょっとやっと趣味をやれるときになった感じでした、僕ときは。
20歳代はもう本当にひどいものっていうか、
趣味とかやってられるような感じじゃなかったんで、
やっとその頃にそういうことをやれる時期になってたんですよね、僕が。
でもコナイってすごいなと。
だからもう一回みんなでアイアンマンを目指そうっていう機運が高まって、
ちょっと東京で決起集会があったりとかして、行ったりなんかして、
インドネシアのランカウイ島だったかな、
そこでアイアンマンのレースがあるからみんなで出ようみたいな。
で、あったんですけど、
もうロードバイクもね、昔の大学時代には使えないですし、
もう一回それを買わなきゃいけないというので、またお金がかかるじゃないですか。
結構ハードルが高いんですよね。
そうですね。
サービルとか100万ぐらいしますもんね。
値段もね、やっぱりだいぶ変わってますし、性能も変わってるし、
始めるにはハードル高かったんで、
じゃあそのトレーニングも含めてトレイルランニングっていうのをやってみようと思って、
トレイルランニングをやって、後にトライアスラにもう一回やれたらいいなっていう気持ちもあったんですけど、
結果的に前段階で始めたトレイルランニングにもう完全に飲み込んでるって感じですね。
俺多分この質問、田中さんにもしかしたら初めてすると思うんですけど、
田中さんがトレイランをやられた時っていうのは、やっぱり仕事とか子育てに関しても、
ある程度ちょっと余裕は見えていた時期っていう感じになるんですか?
俺が始めた時が、どれぐらいだ?
13年とかか、13年で。息子とか何歳だったんだろうな。
小学生とかですかね。
小学生。3年とかかな。2人とも、子供が2人とも小学生に入った段階で。
そうだね、手がかかんなくなったわけではないんだけど。
だから俺トレラン始めた時はどっちかっていうと、あんまり土日にどっか行くんじゃなくて、
それこそ、今でもやってるけど、朝行って、家帰って、子供と遊んで、そんな感じだったからね。
土日は遊ぶけど…
トモさんと全く同じような感じでしたよね。
そうそう、そんな感じ。
なるほど。仕事においても家庭においても、ある程度ちょっと目処が立ってきたみたいなところになってるってことなんですね。
そこからサグチさんが毎年いろいろレースで、そこからのレースの成績をちょっと今、
多分田中さんも今見られてると思うんですけど、コンスタントにレースに出られて、ある程度コンスタントの成績残されてるじゃないですか。
最初にあれですよね、ロングでやれるっていうのが、サグチさんとちょっとお話しした、2019年のオンタケ。
オンタケ、はい。
ここはそうなんですね。
これ初100キロ。
僕も走ってたレースで。
そうですね、田中さんと初めてお会いしたのはここですね。
あ、そうなんですね。
お会いしたって言っても、あれですけどね、本当にちょっとお話しさせてもらっただけで。
へー。
そうなんですよ。
これって僕が後から追いついたみたいな感じだったんですか?
えっと、田中さんは9位になられてるんですよね。
はい、そうです。
スタートして、田中さんに僕抜かれたと思いますね。
で、その時に抜かれて、田中さんから、このコースはずっとこんな感じなんですよーって。
林道ですよね、ずっとあそこは。
ずっと林道ですね。
で、それを田中さんに教えていただいたというか、ここはずっとこんな感じなんでっていう風に言われて抜かされたっていう感じで。
でも僕も初めての100キロでしたし、夜12時スタートってのも初めてでしたし。
あの時雨も降ってましたし。
降ってましたよね。
そのペース感とかももう僕わかんなくて、スタートして自分のいいペースって思えるペースで出たら、3番目とか4番目とかそれぐらい走ってたんですよね、最初。
そうです。
それが僕にはそんなわけないんだろうなーって思いながら、なんか怖くなってきちゃって走ってて。
そんなわけないんだろうなーっていう。
でもなんだろうな、この感じはと思いながら。
でもちょっと余裕は別にあるし、よくあることかもしれないですけど。
それでどんどん進んでいって、20キロ30キロ。
まあ多分20キロ30キロの辺りで田中さんに抜かれてるんだと思いますけど、なんか不安のまま走ってたんで。
そこで田中さんからちょっとその一声、ずっとこんな感じなんですよって言われたことで、なんか僕的にはなんかちょっとそこでほっとしたというか、気持ちがちょっと落ち着いたような、そんな記憶はありますね。
今ちょっとリザルトを渡してみてるんですけど、あれなんですね。
シンゴさんとか、あとはハギさんとか、ベルさんも出てるんですね、この時。
ベルさんに負けてるけどね、これ。
そうですね。あと伊藤健太さんも出られるとか。
でもその中で佐口さん13位って、だって佐口さんの1個上、カブラギツキを使ってますからね。
本当そうなんですよ。
この2019年100Kはもう僕の中でもすごい思い出深いレースですし、トレイルランニングをもっとやっていこうと思えたレースでもありますね。
でも佐口さんの、今回ゲストに出られるに至って色々調べていく中で、ちょっと私の中で印象的なのがやっぱり人生通して出会いたい人に出会えているように思えるトレイルランニングに出会って本当に良かったと。
もう少し早く出会いたかったっていうのがスレッズの方で語られてるっていうのが、
これが多分佐口さんを表してるのかなっていう気が僕はしてて。
僕あれですか。そんな良いこと言ってました?
言ってますよ。言ってますよ佐口さん。
だからその中でやっぱり田中さんに出会われたりとか、多分田中さん以外の他の方にも出会われたりですとか。
おっしゃるとおりで、本当そうですね。
人とのつぐみ合いっていうのが多分佐口さんの中で、もしかしたら今までの競技にない。
トライアスロンでも大学内でやっぱり今でもあいつが頑張ってて俺もやろうぜみたいなとこあったんでしょうけども。
多分そのトレイルランってそればかりではないとこってやっぱりちょっとあるじゃないですか。
本当おっしゃるとおりで、そうですね。
そこら辺のやっぱりその根本的なマインドみたいなのをやっぱり佐口さんがやってて、
そのトレイルランニングが本当に大好きなんだなっていうのはこの一文で私は感じますし。
良いトレイルランナー人生なんだなっていう気は私はしますね、すごく。
良いトレイルランナー人生を送れてると思いますね。
素晴らしいですよね。
出会いたい人っていうのは、たとえばかぶらぎさんに出会いたいとか、
特定の人を指していってるわけではなくて、
人生の中でこんな人に出会っていく人生になりたいなみたいなやつですね。
そういう人に出会って、
自分もいろんな刺激を受けて自分の人生が豊かになっていくような、
そういう方々に出会うというか、
それができてるっていう感覚を毎回得るような気がしてて。
レースに出るたびにというか、
自分が頑張るとそうなるみたいな感覚ですかね。
その中でレースとしてもやっぱりいろいろと結果もついていかれてるところもありますし、
2022年が結構面白いんだよ。
2022年が佐口さんが僕の3つ前にゴールしてるんだよね。
何の大会ですか?
UTMFですね。
だから俺と萩原君と長男君3人で走って。
エシオピアの後ってことですか。
前にゴールしてるの。
なるほど、すごい。
田中さんは僕の中ですごく印象深い方で、
この2019年の時の田中さんは正直僕存じ上げてなくて、
むしろかぶらきさんぐらいしか知らなかったというか、
トレイルランナーっていう方々を。
そういう中で唯一知ってるかぶらきさんに会えたんで嬉しかったなって話なんですけど、
田中さんに声かけていただいて、
その2022年のUTMFで走っている時に、
コニファーホレストから平田までの間、
その2セクションっていうんですかね。
その中で田中さんと長男さんと萩原君という、
その3人のパックに追いつかれて、
ちょっと抜きつ抜かれすがあったんですよね。
田中さん多分もう記憶にないかなと思いますけど、
そういうことあって、僕はその時に、
田中さんのランニングフォームっていうのを僕覚えてて、
やっぱ高校の時ランニングフォーム真似してるやつだけあって、
人のランニングフォームとか、ランニングフォームで覚えるみたいなのもあるんで。
この方確か2019年の温田圭の時走られた方だなって、
僕ちょっと分かったんですよね。
で、その3人のパックで走られてて、
1回抜かれてまた抜いてみたいなのがちょっとだけあって、
でもその時はもうちょっと情報もあったんで、
チーム100マイルの方だっていうのは知ってたかなと思いますけど、
ちょっと勇気を持って、ずっと3人で走られてるんですか?って声掛けしたんですよね。
そしたら結構ね、クールめの返答が来たんで、
これが100マイルの空気感なんだなと思って。
たぶん疲れてるだけかもしれないですけど。
いやいや、シリアスな雰囲気っていうんですかね。
そのシリアスさをすごくそこで掻き取って、
すごいあれだなって思って、シリアスな感じだなって思いながら。
で、そこで結局ヒララ、ヨギ、サキではもう先行かれちゃったんですよ、3人は。
僕ももう目いっぱい走ってますし、
誰かを追っかけるとか、僕も初100マイルだったんで。
誰かを追っかけるとか、もうそういうのはなくて、
自分のペースをっていう感じでいたんですけど、
最後下山を下っている時に、
その3人のパックに突然追いついたんですよね、下りで。
あのね、それたぶん俺がぶっ潰れそうなんですよ。
僕の口からずっと言うのはあれでしたけど。
もうね、僕もそこから下山の下からゴールまでの間で、
もう順位変動はないだろうって僕は思ってたんで。
走ってたら、3人の田中さんにちょっと追いついて、
そしたらその先で2人が待ってるみたいなシーンがあって。
で、僕的には意外なことが起きたというか、
急に変にそこで3つ順位が上がっちゃったんで。
ああ、確かに。
まさかここで順位が上がると思ってなかったんで。
はい、そういうことは言いましたね。
なんで田中さんにも、
もう下りになってもしんどすぎますね、みたいな
お声掛けは僕、実はしてるんですけど、
もうほとんど返事なかったんで。
あれでしたね、またそこでシリアスな
いやいや、多分単純です。
シリアスになるような雰囲気を嗅ぎ取りましたね。
シリアスというのが話しかけても喋りかけないって感じで悪いのかしら、
言えないところもありますけどね。
ぶっちゃけもうね、あの時脱水かなんかで結構やられてたんで。
なんかその後、はい、伺いました。
喋れるような、返せる元気がなかっただけだと思うんですね。
なんとなく分かってきた、あれですよね。
下山ってかあれか、
富士急に降りるあたりですよね、多分。
本当に最後だったと思います。
仮説の階段が欠けてあるみたいな。
はいはいはい。
確かにね、話しかけてもらったような記憶はありますね、そう言われると。
本当ですか、ありがとうございます。
田中さんね、あの時ゴール、精一杯振り絞ってファンサービスしたんですよ、あの時ね。
何がファンサービスって。
あの時、なんか女性2人が多分声かけられたじゃないですか。
はいはいはい。
エチオピアの時に、あの時必死な笑顔されてて、
疲れてたんだっていうのが今ちょっと思い出すとさ。
ただ、あの時でも確かに言われてみれば、田中博康ではなくて、JR田中を演じたんだなっていう気がします。
まあ、普段からそうはしてるよね。
JR田中、あれ完全に演じてましたよね。
すげーにこにこしてるけど、今の話で言ったらその状況じゃねえんだろうなって気がしますけど。
最近の斎録に残るのがひどかったけどね。
まあそうそうそう。結構辛そうでしたもんね、確かに。3週目行く前も辛そうでしたからね。
意外とさぐちさんと田中さんってどっかでやっぱりレースで接点はいろいろと。
そうですね。
なんかあったんですね、話にちょっと紐解いていくと。
特に思い出深いのはその2つと、何年か経って去年のUTMV。
そのUTMVって、チェンマイもそうですけど、お二人ならではのエピソードみたいなのあります?
それ先に話すの?どっちかって言ったらあれなんじゃない?時系列的にはUTMFのあれじゃない?
22年、MVの方ですか?
UTMFの方かな?マウントフジのさ。
まあそうですね、そこもあれですけど、なんかエピソードじゃないですけど。
UTMVですか?
UTMFですね。さぐちさんUTMFではあれですもんね、9位になってますもんね。
それは24連敗。
徐々に順位を上げてる。
そうですよね。
徐々に、でも毎年出てるんですね、UTMF。
そう、2022年が初めてで、そこから4回連続で出てますね。
すごいですよね、ディープジャパンでやられたりとか。
ディープジャパンってやっぱりあれですか?奥さんの規制。
まあそうですね、確かに24だと。松永さんですね。
おっしゃる通り、そうなんですよね。
エチゴカントリーにずっと出てたんですけど、コロナ破産で22年にエチゴカントリーに出て、
その年にディープジャパンできてましたけど、22年のディープジャパンはまだ
エントリーをあんまりオープンにやってなかったっていうか、情報も薄かったので、
あんまり普通の人が出られる状況じゃなかったので。
23年からちゃんとエントリーを募集してたんだったと思いますけど、
時期が一緒なんですよね、エチゴカントリーとディープジャパンが。
そこからエチゴカントリーがディープジャパンに切り替わったっていう感じですかね。
僕的には、規制のタイミングが。
ディープジャパンすごいですよね。
3位以下になったことはないっていうのはそうですよね。
なったことはそうですよね、確かに。
ありがとうございます。奇跡ですね。
2024年にはトモさんに勝ってますからね、作事さん。
ここで僕もトモさんに初めてお会いしましたね。
確かに。やばっ。
やばいですよね。
なかった2位さん、作事さん、トモさん、松山君。
松山さんもここで初めてお会いしましたね。
ディープジャパンお強いじゃないですか。
いやいやありがとうございます。
厳しいレースって言いますもんね。
厳しいレースなんですけど、作事さんにあってるんですかね、ディープジャパンが。
あってるとは思えませんけどね。
僕あれなんですよね、トレイルランナーとして自分を見たときに何が得意かってなると、
あんま何もないなっていうのが自分の自己評価というか、
どこも突出してないタイプかなと僕は思ってて、
その代わりどこかが極端に弱いタイプじゃないかなっていう風に思ってるんですけど、
それが出てるっていう感じかなと思ってますね、ディープジャパンでは。
意外とすごくきついレースですけど、道路走る区間も結構長いんですよね。
山のパートは1000mアップするみたいなとこもありますし、
類石標高的にはあんまり大したことないように一見見える区間もものすごくぐちゃぐちゃだったり、
川渡るのがあったりロープがあったりみたいな区間もあるんですけど、
どこかがとんでもなく苦手みたいなのはないのかなっていう。
いいですね、ちゃんと自分の自己分析をできてるっていうのはやっぱり強みのあるんですよね。
できてるのかわかんないですけどね。
いやいやいやいやいやいやいやいやいや、できてるとは全然できてると思いますよ、本当に。
確かにそうですね、近年目覚ましいって言う方偉そうですけど、ほぼ上位にしかいないですもんね、結果見てると。
そうですか、ありがとうございます。
だけど、冷静に考えたらここ2年ぐらいの話だと思いますけどね。
何かあるんですか、きっかけみたいなのは。
きっかけはやっぱり徐々にできていってるだけです。レースに出ることによって。
さっきのやることによっていろんな人に出会っていくっていうことみたいなのにつながってるんですけど、
最初22年にMF出て、27位、28位、29位だったかな。
その成績は僕的にはもう本当によくやったなっていう感じで、嬉しかったですし、
そこに出たことによって、もちろん田中さんはじめ、近辺にいるいわゆる強い選手というか、自分に一属の近い選手に出会うわけですよね。
一方そこで自信もつきますし、どんなことをまたこれ以上にやらなきゃいけないのかっていうのをまた考えるきっかけにもなりましたし、
そういう中でレースに出るたびに、また一人また一人と尊敬できる人に出会っていくっていうんですかね。
ちょっといいこと言い過ぎてる感じしますけど、本当そういう感じですね。
22年の時も他に印象が残っているのは、二羽臨さんという方で、レース中ちょっと近しいところがあって、
二羽さんは後で知ったんですけど、キャリアもあって、一緒に走る区間もあったんですけど、どこか余裕があってコントロールできてて、
100マイル走る人の強さみたいなのをちょっと垣間見たんですよね。
一番最初に100マイルのランナーとしてお手本じゃないけど意識した方っていうんですかね。
それだけでもすごく貴重だと思うんですよね。
僕は日頃人切れ練習してますし、自分の実力を日頃測る機会は全くないに近いので、
そういう場に出ることによって、どれほどのことをしなきゃいけないっていうのかなっていうのを鍵取る場でもあるわけなんですよね。
また出ましたね、オタク気質が。
本当ですね。
吉村君も岩垂れ君もそうなんですけど、僕もそうなんですけど、
チーム100マイルの中でやっぱりMFをどう走るかって大体鉄板で決まってて、
要はキララまで抑えてそこからどう勝負するかっていうのはもう鉄板なんですよね。
だから多分あの二人もそうなんですけど、僕もそうなんですけど、走り方は多分一緒で、
チーム100マイルって春に合宿をするんですよ。
で、必ずやるのが重要なのがやっぱりキララからゴール付近まで走るんですけど、
そこの何ですかね、どれぐらいで自分が行けるかのある程度そこでベンチマークが取れるんですよね、合宿で。
あと余裕度も多分わかるんですよね。
だからどの状態でキララまで行けばどれぐらいまで行けるかっていうのがね、
なんとなくわかんじゃないかなって気はしますけどね。
それは大きいですよね。
それは大きいかな。だから昔からやっぱりキララからが勝負だっていうのが、
カブラギさんも言ってたし、僕も走った時はそういう感じですからね。
ちょっと笑い話だと、2022年のUTMFで岩垂れくんがキララの手前でぶっ潰れて、
キララの手前の信号があるんですよ。
セブンイレブンの前に信号があって、
そこで岩垂れくんがうなだれてるところを俺と萩原くんと長尾くんで追いついて、
何やってんの、飛ばしすぎだよって言って、
一緒に行こうぜって言ってたけど、もう無理だって言うから、じゃあ先行くわって、
置いてったっていう。
あの信号に引っかかっちゃったりする信号ですか。
そうそう、引っかかってる時に。
じゃあ僕も近くにいましたね。
それがね、長尾くんが撮ってる動画に映ってるんですよ。
ずっと見ていますね。
岩垂れくんは今だに言われるらしいですけどね。
あそこでうなだれてましたねっていう。
いいっすね。
だからあれですよね、たとえとしていいか悪いかわからないですけど、
我々世代というところのマリオカートというところのゴーストを追いながら練習してるみたいなもんですよね、多分佐口さんね。
そうだと思います。
巨像を追ってるような感じもありますし、
本当に日頃一人なので、一人一人言ってますけど、
まあでも皆さんもね、ほとんど一人なんだろうかと思いますけど、
取り分け本当に一人っていう感じで。
なので、そういう方に会うたびに練習の時に思い出すというか、
そういうのはありますね。練習中にもきつい時とか、
あの方はこんなもんじゃないだろうなとか思うこともありますし、
それはある意味、一人の時間にも影響を与えてもらってるかもしれないですね。
でも田中さんどうですか、そこら辺、田中さん周りの人たちが、
言い方悪いですけど、田中さん周りの方たちが佐口さんに、
いい意味でも悪い意味でも、ものすごく影響を与えてるじゃないですか。
はいはい。
悪い意味ないか。
悪い意味ないですね。いい意味で佐口さんの練習、
田中さんもやっぱりいろいろとトレイルランナーの中で、
やっぱり田中さんに出会ってなんちゃらっていう、
その一億を多分田中さんって相当になってると思うんですよ。
はいはいはい。
そこら辺って多分田中さんは、おそらくですけど、
何も意識もされてないと思うんですけど。
なんかでも、最近でも前に比べると、
やっぱりコーチングされてからも、どっかちょっと後進を育てるというか。
後進を育てるっていうか、あれだよね。
みんなちゃんとしてほしいなと思うけどね。
はいはいはい。なんかあるじゃないですか。
私が参加した時も、育てるというか、面倒見をするというか。
やっぱり多分そこって、ここ何年間になって、
僕は出てきたのかなっていうのが近くにいて思うんですよ。
いや俺は元々親分派だからね。基本は。
人を引っ張るタイプだから。別にそれは昔からだと思うよ。
面倒見がいいって、面倒見がいいかっていうと、
肝実気ですかね。飲み会の肝心は別に普通にするしさ。
確かにそうっすね。
練習会とか、みんなが出てきたいっていうから来ればっていう感じで。
それがイコール面倒を見てるような感じになってるのかもしれないけどね。
だからそこまでいろんな方に直接的に関わりがなくても波及してるっていうのはやっぱり。
あると思います。
全く田中さん意識はしてないと思うんですよ。
どうなんだろうね。JR田中道場は結構文化祭はいっぱいいるっていうのは意識はしてますけどね。
辞書文化祭はたくさんいるかもしれないですけど。
ってことは佐口さんも今日からJR田中文化祭って公開してもいいと思いますよ。
そうなんでしょうね。
いいと思いますよ。ほぼ公認じゃないですか。
そうだね。
本当ですか。
素晴らしい。
そういう意味じゃ、佐口さんストラマとかやられます?
やってないですね。やってないっていうか公開してないかな。
勝手に連動してますよね。
アップロードされますね、同期して。
うとくて全然使ってないですね。
僕の練習は全部そこに出てますね。何やってるかが。
今どんなトレーニングしてるかっていうのは全部ストラマに載ってるんで。
岩垂れ君も出してるんじゃないかな。吉村君は出してるんで。
興味があれば見ていただければ。
うわうわ、そうなんだ。
何でこれやってるのって質問してもらっても全然構わないし。
本当ですね。
よかったですね。公認文化祭おめでとうございます。
ありがとうございます。
あっちゃんも別にストラマ見て質問してもいいけどさ。
俺が今ストラマやってないんで。
見るのは別に関係ないじゃん。
確かにそうだね。
佐口さんの話を聞いてたけどやっぱりどっかで
俺真っ赤走るかな?
頑張る?まあいいや。ちょっと今は楽しみます。今を今で。
佐口さん今後ですけどもやっぱり大きい目標として
おそらく人との関わり合いっていうところをテーマとして
今後もトレイルランニングを走られていくのかなっていう気がしますけど
なんかまだちょっと会ってみたいというか
今ちょっとこの人会ってみたいんだよねとかって
なんかいらっしゃいます?そういう人ってなんか。
いっぱいいらっしゃると思いますけど
この人会ってみたい。
あんまりだから僕はその特定の誰かっていう
なんというんですかね。
うまく言えないですけど
トレイルランニングって一生懸命やってる人って
完全に人生のプラスアルファを一生懸命やってる人だと思ってるんですよ。
言い方変えると
頼まれもしないことに一生懸命やってるっていうか
やらなくてもいい無駄な作業やってるみたいなことですもんね。
悪く言い方言うことですよ。
全然やらなくてもいいですよね。
人によってはお金もらってもやりたくないわっていうことだと思うんですけど
だけど、いわばそういう頼まれもしないことを一生懸命やってる中に
人生の豊かさみたいなのが僕は勝てると思っているので
そういうのに
なんかこう、ホッとしてる人と出会うと
なんかやっぱ面白いこといろいろなんか教えてもらえますよね。
だから、そういう人に会っていきたいっていうイメージですかね。
個人名出そうと思えば出せますけど、そうしてそういう人は
なんかそういう生き方してるというか
でもこのプラスアルファのことをやれてる幸せみたいなのもやっぱあって
言ったら、ただ生きてるだけでも本当は幸せじゃないですか。
生きてたら丸儲けってことですよね。
本当はそうだと思うんですよ。
なんでもない日常を過ごせているだけで十分だと思うんですけど
そこにプラスアルファこれやれてるっていうのは
もう本当に人生豊かにしてるっていうことでしかないと思うので
出会いたい人はいると思いますね。
いますけど、今後のトレーランの目標って言っても
実はそんなに考えてないかなっていうのも正直なところで
っていうのは10年前の僕が今の僕を想像できるかって言ったら
全く想像できないんですよね。
こんなことになると思ってなかったので僕も
トレーランニングっていうものに出会って
これ本当にH5カウントリー出たことがきっかけですけど
あれを主催している松永さんっていう方が
人生を変えるきっかけみたいなのをキャッチコピーにしてるんですよね。
自分の事業というかトレーランナーズっていう事業の
まさに本当に僕が変えられた一人だと思ってますので
今10年前に想像できない今自分がいるわけなので
じゃあこの先の10年後ってなった時に
全然今の僕に想像できない自分がいるかもしれないですよね
50いくつになった時に
そうなってたらいいなっていう感じをどっかで思ってますね。
何言ってんでしょうね。
いやいやいやいやいやいやいや
豊かなトレーランナーとしてすごい豊かなところは
そういうところなんだなっていう
人との繋がりっていうのはやっぱり
そうですよねかなり大きいですよねやっぱり
走らなければではない人もいらっしゃいましたし
本当にそうですね
最近ちょっと印象的な出来事があって
地元でなんですけど
ちょっとしたランニングコミュニティ
おじさんが主催しているランニングコミュニティがあって
先日お呼ばれして行ったんですけど
声かけしているのが65くらいなのかな
おじさんなんですけど
その人が酔っ払って勢いもあって
僕今一番楽しいんだって言ってたんですよね
ランニングに出会って
こんな二重も離れたような友達が遊んでくれて
僕今一番楽しいんだよねって言われてたんですけど
だけど頑張らないと遊んでもらえないからさって言ってたんですよね
同時に
酔った席なんで聞き流しちゃうようなワードですけど
頑張らないと遊んでもらえないからさって言ってたのは
僕がさっき言ってる頑張らないと出会いたい人に出会えないみたいな
ような意味も聞こえちゃって
印象的だったんですけど
今僕もそんな感じなのかなと思って
自分が頑張ることによって
頑張らないと出会えない人に出会えてるっていうんですかね
なんかそれが楽しいというか喜びに近いもの