番組紹介と徳永直について
湧き水のほとり
FM八ヶ岳をお聞きのみなさん。 各種インターネットからお聞きのみなさん。
ご機嫌いかがですか。開運小天です。
ここからの15分間は、聞く読書の番組 湧き水のほとりの時間です。
児童文学や昔懐かしい物語、さまざまな文豪の短編などを少しずつ読ませていただきます。
おいしいお水を召し上がりながら、ひと息ついてくださいね。
今週から3回に分けて、徳永須直が少年の頃の思い出をつづった随筆、
《こんにゃくうり》を読んでいきます。
作者の徳永須直は、1899年明治32年1月20日、熊本県で生まれました。
貧しい子作人の長男に生まれ、小学生のうちから、
印刷工、こんにゃくうりなどのアルバイトをし、
子どもでも過酷な労働をして家計を助けることが当たり前の生活の中で育ちました。
出版関係の仕事に就く機会が多かったことと、
ちょうど日本の社会情勢として、社会主義や共産主義の考え方が広がってきたことで、
徳永須直も勤務先で労働組合を創設したり、
同じ考えを持つ作家と一緒に、
労働者が勤務先で昼休憩の時に読めるよう、
工場の壁などに貼るポスタータイプの運動新聞作りをするなど、
プロレタリア作家として活躍したことが特に有名です。
近代に近づくにつれ、世の中の流れも人々の考えも変遷する中、
戦争や軍国主義を批判するなど、文筆家として活躍を続け、
1958年、昭和33年、
遺願により59歳でこの世を去るまで、
労働者の労働環境改善運動を支持する立場を貫き通した人生だったようです。
それでは早速読んでいきましょう。
どうぞ。
「こんにゃく売り」朗読開始
とくながすなをさく、こんにゃくうり
1.私は今年42歳になる。
ちょうどこの雑誌の読者諸君から見ればお父さんぐらいの年頃であるが、
今から指折り数えると30年も以前、
いまだに忘れることのできない懐かしい友達があった。
この話は作り事でないから本名で書くが、
その少年の名は林しげるといった心の温かい少年で、
私は今でも尊敬している。
家庭が貧しくて学校から上がるとこんにゃくうりなどをしなければならなかった私は、
学校でも友達が少なかったのに、
林君だけがとても仲良くしてくれた。
大柄な子でほっぺたがぶら下がるように太っている。
ずぶらな目と濃い眉毛を持っていて、
口数は少ないがいつもにこにこしている少年だった。
もっとも林君も達者でいてくれればもうお父さんになっているはずだから、
ひょっとすればその林君の子供がこの読者にまじっていて、
昔のしげる少年とそっくりにほっぺたぶら下げてこの話を読んでいるかもしれない。
もしかそうだったらどんなにうれしいだろう。
こんにゃく売りの仕事
私は五年生ごろからこんにゃくうりをしていた。
学校を上がってから時には学校を休んで近所の屋敷町をうり歩いた。
私は学校が好きだったから好んで休んだわけではない。
こんにゃくを売ってわずかのもうけでも私の家の暮らしの助けにはなったからである。
お父さんもお母さんも働き者だったが私の家はひどく貧しかった。
なぜ貧しかったのか私は知らない。
兄弟がたくさんあって男の子では私が一番上だった。
こんにゃくは町のこんにゃく屋へ行って私が担えるくらいいつも五十くらい借りてきた。
こんにゃくはこんにゃく芋をすりつぶして一度煮てからいろんなかたちに切りそれを水に一晩さらしておいてあくをぬく。
諸君がとんぼとりに使うもちはその芋をつぶすときに出るおねばのことであるが。
さてそのこんにゃく屋さんは働き者のじいさんとばあさんが二人きりでいつもじいさんが
「おい来たか。」と言って私ににこにこしてくれた。
「きょうはいくつだ。ん?百くらいもっていってうってこい。」
あたまをなでてくれたり私がけいさんしてわたすうるやききんのうちから大きな五輪どうかを一まいにぎらしてくれることもあった。
五輪どうかなど諸君は知らないかもしれぬがいまの一千どうかよりよっぽど大きかったし
五輪あると学校でかきかたに使う半紙が十まいも買えた。
私はこんにゃく一つうって一輪か一輪五毛の利益だったし五十みんなうっても五十六千にしかならない。
ところがその五十のこんにゃくはなかなか重い。
前とうしろにおけに二十五ずついれておけ半分くらいみずをはっておかないとこんにゃくはちじんでしまうから
てんびんをつっかってかたでにないあげるとぎしぎしとてんびんがしまるほどだった。
こんにゃわーこんにゃわー大きなこえでふれながらいつもまちはずれから大きなやしきがたくさんあるじゅうたくちのほうへいった。
こんにゃわーというのはこんにゃくだこんにゃくだといういみでおおごえでふしをつけるとついそんなふうにことばがつまってしまうのである。
こんにゃわーこんにゃわーこしでちょうしをとっててんびんぼうをぎしぎしいわせながらいちどふれては十けんくらいあるく
それからまたこんにゃわーととなるのだがそんなときどっかから
こんにゃくやさんとよぶこえがきこえたときのうれしさったらまるでぼーっとかおがほてるくらいだ。
いつつかむっつうれるとみずもそれだけへらしていいからうんとにがかるくなるきもちもはずんでくるがんばってみんなうっていこうというきになる。
こんにちはこんにゃくやですがごようはありませんか。
いちにどかってくれたいえはおぼえておいてだいどころへいってたつねたりする。
しかしうれないときはいつまでたってもにがへらない。
もうゆうがただからはやくまわらないとどこのいえでもゆうはんのしたくがすんでしまってまにあわなくなる。
しきりにきはあせるがてんびんぼうはかたにめりこみそうにいたいしきもちもおもくなってあしもはかどらない。
しまいにはなみだがでてきておきごとこんにゃくもなにもおっぽりだしたくなることもあった。
ねえどくしゃしょくんはたでながめるぶんにはしごともきらくにみえるがじっさいじぶんでやるとなるとたかがこんにゃくうりくらいでもなかなかほねがおれるものだ。
こんにゃはこんにゃはただこのふれごえひとつだけでもおおらいのまんなかでみんながみているところでふしをつけてへいきでどなれるようになるまでにはどんなにづらいおもいをすることか。
学校での人間関係と恐怖
わたしだってまだしょうねんだからはずかしい。
はじめのうちはおおらいのあとさきをみまわしてだれもいないのをみとどけてからこんにゃはとちいさいこえでそっとつぶやいたものだった。
しかしだれもいないところでふれたってうれるどうりはないのだからやっぱりみんなのみているところでどなれるようにしゅぎょうしなければならない。
それからだんだんふれごえもへいきでいえるようになりてんびんぼうのおもみでいちどはあかくかわのむけたかたもいつかたこみたいになっていたくなくなり
いつもこんにゃくをかってくれるいえのおくさんやじょちゅうさんともかおなじみになったりしていったがたったひとつだけがいつまでたってもはずかしくつらかった。
それはおおらいでどうきゅうせいにぶつかることだった。
てんびんぼうをきしませながらふれごえをあげてふとやしきのかどをまがるとわたしとおなじがくぼうをかぶったどうきゅうせいたちがしごにんいきがきのそばでこまなどをまわしてあそんでいるのがめっかる。
するともうわたしのあしはすくんでしまっていそいでにげだそうと思うがそれよりはやく
あ、とくながだとだれかがさけぶ。
するとまた
ほんとだあいつこんにゃくやなんだねとちがったこえがいう。
わたしはゆうきがくじけてみんなまできいてることができない。
こんにゃくをうることもわすれてどんどんいまきたみちをあともどりしてにげてしまう。
こんなときわたしが
ああ、おれはこんにゃくやだよ。それがどうしたんだいといえればよかった。
そしたらいじわるどももたまってしまったにちがいない。
ところがいけないことにはわたしにそのゆうきがなかったので
もうふたつのおけをあっちのいしがきやこっちのへいかどにぶつけながらにげるので
うしろからはますますてをたたいてわらうこえがきこえてくる。
そんなふうだからがっこうへいってもひとりでこっそりとうんどうじょうのすみっこであそんでいたし
ともだちもすくなかった。
がくもんはすきだったからできるほうのくみでふくきゅうちょうなどもやったことがあるが
なにしろけっせきがおおかったからじゅうぶんにはつとまらない。
せんせいはどのせんせいもわたしをかわいがってくれたし
けっせきがつづくとわたしのいえへたつねてきてくれたりした。
しかしわたしにはどうきゅうせいのいじわるどもがこわい。
いじわるではないどうきゅうせいたちさえいじわるにおもえてきて
がくもんとせんせいをのぞけばみんなこわかった。
次回予告
ほんじつはとくながすなおのずいしつこんにゃくうりをとちゅうまでよんできました。
つづきはまた来週です。おたのしみに。