番組紹介と「こんにゃく売り」の概要
湧き水のほとり
FM八ヶ岳をお聞きの皆さん。
各種インターネットからお聞きの皆さん。
ご機嫌いかがですか?
開運小天です。
ここからの15分間は、聞く読書の番組
湧き水のほとりの時間です。
児童文学や、昔懐かしい物語、
様々な文言の短編などを
少しずつ読ませていただきます。
美味しいお水を召し上がりながら
一息ついてくださいね。
今月は3回に分けて
労働環境改善のための執筆活動を
生涯続けていた徳永素直が
幼少期の体験を書いた随筆
婚約売りを読んでいます。
本日はその3回目、最終回です。
こんにゃく売りでの恥ずかしさと林茂との出会い
執筆当時42歳だった徳永素直は
小学校5年生頃から
放課後や学校を休んで
婚約売りをして生計を助けていました。
婚約を売り歩いている時
同級生に会うのが一番恥ずかしく
意地悪な子に笑われることを
とても恐れながら過ごしていました。
ある時、大きなお屋敷のお勝手口で
犬に吠えられたせいで倒れ
お祭縁の茄子の苗を9本も折ってしまった時
林茂という同級生が
その家の奥さんに詫びてくれ
堂々と自分のことを
友達だと宣言してくれたのでした。
それでは続きをどうぞ。
林茂の人物像と語り手との友情
2.林は5年生の時
私たちの学校へ入ってきた子だった。
ハワイで生まれて
ハワイの小学校に上がっていたが
日本に帰って勉強するために
おばあさんと妹と3人で
私が家に吠えられて茄子を折った屋敷の
すぐ隣の大きな家に住んでいた。
クラスのうちで一番体が大きく
一番勉強もできたので
ずっと休聴をしていた。
林と私はそれまで一緒に遊んだりしたことはなかったが
いつもにこにこしている子だから
嫌いではなかった。
力の強い子で
朝教室の前で
同級生たちを成立させている時
休聴の号令を聞かないで乱暴する子があると
黙って首ったまと腕をつかんで
引っ張ってくる。
そんな時もやはり笑っていた。
林が私のために
屋敷の奥さんに詫びてくれてから
私は林が好きになった。
そして林が奥さんに言ったように
私たちは本当に友達になった。
私が林の家へ行って
林の妹と三人で
兵隊承認をしたり
百人一首をしたり
まんじゅうなどごちそうになったりしたことがあるが
大抵は林が私の家へ来る方が多かった。
だって私は妹の森をすることもあるし
忙しいのだから
一緒になるにはそれより方法がないからだ。
時々は私と一緒に
こんにゃく売りについてくることもあった。
そして
よし今度は俺に担がせろよ
と言って
代わってこんにゃく桶を担ぐこともあったが
担ぐのはやっぱり私が上手で
林は百メートルを歩くとすぐ肩が痛いと言ってやめた。
しかし
ハワイでの生活と林茂の家族
林が一緒にこんにゃく売りについてきてくれるので
どんなに私は肩目が広くなったろう
第一に林はこんにゃく売りを軽蔑するどころか
かえって尊敬しているので
もうどんな意地悪どもが手を叩いて林たって
私はへえちゃらである。
ハワイって外国かい?
一緒に歩きながら私たちはよくハワイの話をした。
林のお父さんもお母さんも
まだそこで大きな商店をやっているということだった。
アメリカさ
太平洋の真ん中にあるよ
ふーんと私は返事する。
地図で習ったことを思い出すが
太平洋がどれくらい広くて
ハワイという島がどれくらい大きいのか想像つかないからだった。
どうして日本に戻ってきたの?
日本語を勉強するためにさ。
じゃあハワイでは何語を教わっていたんだい?
英語さ。
私はますます驚いた。
じゃあ英語読めるんだね。
ああ話すことだってできるよ。
私はとても不思議な気がして林の顔を穴が開くほど見た。
そしてこの子が何でもない顔をしているんでいよいよ不思議だった。
しかし林が英語が上手なのは真実だった。
学芸大会での共演と友情の深化
6年の時私たちの学校を代表して
私と林は軍連合小学児童学芸大会に出たことがある。
軍の小学校が何十か集まって
代表児童たちが得意のそろばんとか書き方とか
章家とかお話とかをして
一番よくできた学校へ軍師学という偉い役人から包丁が渡されるのだった。
その時私たちは林が英語の本を読み私が通訳するということであった。
読者諸君も中学へ上がられると多分教わると思うが
ナショナルリーダーの山にマンキーブリッジ猿の橋という川がある。
手の長い猿どもが山から山へ森から森へ遊び歩いて
ある谷川に来ると何十匹の猿が手をつないで木の枝からぶら下がり
だんだん大きく揺れながら向こうの崖に飛びついて
それから他の猿どもを順々に渡してやるという話である。
林はそれをもう本も見ないで楽に英語でしゃべるのであった。
私は英語は読めないが国語が得意だったしお話が比較的上手だったから先生が選んだろうと思う。
話の筋をよく暗記しておいて林が一区切りするごとに私も本を見ないで通訳をした。
学芸大会では拍手喝采だった。
各小学校の校長先生たちや軍長さんはじめ県の役人などもたくさんいるところで
私たちは非常に面目を施してから受け持ちの先生に引率されて帰ってきたが
それから林と私はますます仲良しになった。
林茂の家族の努力と語り手の決意
あるとき林の家へ行って遊んでると林が大きな写真帳を持ってきて私に見せたことがある。
それはハワイの写真で気仙がたくさん並んでいる海の景色や
白い洋服を着てヘルメット帽をかぶった紳士矢があった。
その紳士は林のお父さんで
紳士の立っている後ろの専用建物の英語の看板のかかった商店が
林の生まれたハワイの家だということであった。
僕が生まれないずっと前お父さんもお母さんも労働者だったんだよ。
林はそう言ってまた写真帳の他のところをめくって見せた。
そこには洋服は洋服だが
ヤシの木の生えた広い畑の隅に裸足で柄の長いクワを持った林のお父さんと
そばにかごを持ってしゃがんでいるお母さんとが並んでいた。
とても働いたんだね。働いて金持ちになって今のお店を作ったんだ。
今お父さんは市の収入役してるよ。
アメリカ人でもフランス人でもお父さんのところへ相談に来るんだよ。
私は写真帳を見ながらすっかり感心してしまった。
そして林がなぜ私のこんにゃく売りを軽蔑しないかそれがわかった気がした。
ただいて偉い人間にならねばならない。
日本ばかりでなく外国へ行っても偉い人間にならねばならないと思った。
こんにゃく桶を担いでいても以前のようにひどく恥ずかしい気がしなくなった。
別れと小説家としての歩み
小学校を卒業してから林は町の中学校へ上がり
私は工場の小僧になったから自然と別れてしまったが
林の懐かしいあの私が茄子を追って叱られているとき
おばさんすみませんとわびてくれた温かい心が
42歳になってもまだ忘れられない。
その後私は熱心に勉強して小説家になった。
林しげるくんも達者でいればどこかできっと偉い人間になっていてくれるだろう。
今一度会ってあのときのお礼を言いたいものだ。
1941年昭和16年桜井書店出版
風に掲載された
徳永素直作
こんにゃく売り
でした。
番組エンディング
お聞きいただきありがとうございました。
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お送りしましたのは海雲商店でした。
この後もFM八ヶ岳でお楽しみください。
本日もいい塩梅に過ごせますように。
またお会いしましょう。