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2026/08/10 湧き水のほとり #128 永井荷風 「夏の町」1
2026-08-15 14:30

2026/08/10 湧き水のほとり #128 永井荷風 「夏の町」1

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サマリー

この放送では、永井荷風の随筆「夏の町」の冒頭部分が朗読されます。幼少期に東京で夏を過ごした思い出や、14、5歳で書いた漢詩、そしてフランス文学者ポール・ヴェルレーヌとの交流に触れながら、文学への傾倒が語られます。また、大川端での水泳の思い出や、当時の風俗についても描写されています。番組は来週に続きます。

番組紹介と永井荷風「夏の町」の導入
湧き水のほとり。
FM八ヶ岳をお聞きのみなさん。各種インターネットからお聞きのみなさん。ご機嫌いかがですか。開運小天です。
ここからの15分間は、聞く読書の番組、湧き水のほとりの時間です。
児童文学や、昔懐かしい物語、さまざまな文豪の短編などを、少しずつ読ませていただきます。
おいしいお水を召し上がりながら、ひと息ついてくださいね。
今週から4回に分けて、長居加風の随筆、夏の街を読んでいきます。
明治時代の小説家であり、翻訳家、日本近現代文学史における文豪として有名な長居加風は、1879年、明治12年、東京で生まれました。
今回の作品は、フランスで文学を学んだ長居加風が、思いつくままに思い出を語っています。
冒頭は、14、5歳の頃、小説書きどりで漢詩の作品を書いたことや、
同じく翻訳家の上田敏との交流を想像させるポール・ベルレーヌの詩の引用など、
少し難しい表現もありますが、どうぞ聞いてみてください。
長居加風作 夏の街
幼少期の夏の過ごし方と文学への目覚め
1.美輪の実は熟して、百合の花はすでに散り、
昼もかのなく植え込みの陰には、七度も色を変えるという盛りの長い紫陽花の花さえ、早し折れてしまった。
梅雨が過ぎて盆芝居の工業も千秋楽に近づくと、
誰も彼も秘書に行く、郷里へ帰る、そして煙所の明るい石幕が都会を占領する。
しかし自分は子供の時から毎年の七、八月オーバー、大概どこへも旅行せずに、東京で費やしてしまうのが例であった。
第一の理由は、東京に生まれた自分の身には、どこへも行くべき郷里がないからである。
第二には、両親は図書とか箱根とかへ家中のものを連れて行くけれど、
自分はその頃から文学とか音楽とか、とにかく中学生の身としては監督者の目を忍ばねばならぬ不正の娯楽にふけりたい必要から、
留守番という体のいい名義のもとに自ら辞退して、夏、三月オーバー、両親の目から遠ざかることを無情の幸福としていたからである。
確か中学を卒業する前の年のことかと記憶する。
どういうわけか図師へ半月ばかり行っていたときのことを半紙二条ほどに書いたものが、いまだに自分の手箱の底に保存されてある。
ナルシマ・リュウホクが金混じりの文体をそのままに模倣したり表説したりした間間に、
監守の七言絶句をさしはさみ、辞書体の主人公オーバー、勇士とか勝士とか名づけて、
発行多病の歳人が都門の映画をよそにして改編の某国に昇風を聞くという仮説的哀愁の生活オーバー、
いかにも知気を帯びた調子で、かつイヤミらしく飾って書いてある。
前編の題は「黄陵白品録」というので、挿入した絶句のうちには、
すでに見る秋風、白品にのぼり、青山また馬蹄の散りによごる。
月明るく、今夜生魂の客。
昨日は功労に乱睡するの人。
年来多病にして善因を感じ、旧魂天面として夢まことならず。
今夜、衰老まず月を得て、星光ひとえに照らす。
はなはだ、憂うの人。
謎というのがあった。
今日読み返してみると、覚えずふんぱんするほどである。
わずか十四五歳の少年が、
昨日は労功に混睡するの人、と言っているに至っては、
文学上の遊戯もまた驚くべきではないか。
しかし自分は、近頃十九世紀の最も正直なる告白の詩人だと言われた、
ポール・ヴェルレーヌと詩作の心境
ポール・ベルレーヌの小伝を読み、
リサングロロンディビオロンドルトーヌ、
秋の呼吸の長きむせびなき、
というあの有名なラシャンソンドルトーヌ、
秋の歌の一編のごときは、
ベルレーヌが高等派の詩人として最も幸福なる時代の作で、
その自分には妻もあり、
友達もあり、一定の職業もあったことを電気の著者から教えられた。
してみると、過ぎし日のこと、
思い入れて泣く、と言ったり、
あるいは末節の、
われはここかしこにさまよう落葉、
と言ったのは、
やはり詩人のジューディスプリー、
心の遊戯であったのだ。
しかし自分はむろん、
己を一世の大詩人に非して弁解しようというのではない。
ただ晩年には、
サッチスのごとき懺悔の詩を書いた人にも、
ある時は書かる事実があったものかと、
不思議に感じたことを語るにすぎぬのである。
大川端での夏の思い出と水泳
私は毎年の初中休暇を東京に送りなれたそのころのことを回想して、
今に愉快でならぬのは、
7月8月の二月を大川端の水田場に送ったことである。
自分は今日になっても、
大川の流れのどのへんが最も浅く、
どのへんが最も深く、
そして揚げ潮引潮の潮流がどのへんにおいて最も急激であるかを、
もし質問する人でもあったら、
いちいち明細に説明することのできるのは、
みな当時の経験の賜物である。
昼すぎに夕立をふらして去った雷鳴の名残が遠くかすかに聞えて、
真っ白な大きな雲の峯の一面が夕日の繁栄に染められたまま、
見わたす水陣の森のかなたに浮かんでいるというような自分。
こころみにあずま橋の欄間にたたすみ、
揚げ潮にさからって川をおりてくる船を見よ。
船はたいがいうがんの浅草に沿ってその路をあやつっているであろう。
これは浅草の岸一帯が浅瀬になっていて、
揚げ潮の流れが幾分かゆるやかであるからだ。
しかし中須の川沿いの二階からでも下を見おろしたなら、
たいがいの下りの船は反対にこのたびは、
左側になる深川本所の岸に近く動いていく。
それは大川口からまともに日本橋区の岸へと吹きつけてくる風をよけようがためで、
されば水死人の屍が風というし音に流れよるのはきまって中須のほうの岸である。
自分が水泳を習い覚えたのは神殿流の稽古場である。
神殿流の稽古場は毎年本所おふなぐらの岸に近い浮き巣の上に立てられる。
浮き巣には一面あしがしげっていて、
潮のひいたときには雨の日なぞにも本所へんのまずしい女たちがしじみをとりに出てきたものであるが、
いまでは石垣を築いた埋め立て地になってしまったので、
浜町がしにはいまもって昔のように毎年すいれんじょうができながら、
わが神殿流の小屋のみはたしょにとりはらわれ、浮き巣にしげったあしの葉は二度とみられぬものとなった。
ひととおりゆうえいじゅつのめんきょをとってしまったのちは、
まったくきょうしのかんとくをはなれるので、
あさはやくじぶんたちはあしのかになる稽古場にいふくをぬぎすて、
はだじばんのようなみじかいみずぎ一まえになって、
大川すじおば、潮のながれにまかして上は向う島、下はつくだのあたりまでおよいでいき、
つかれるといしがきのうえにはいあがって、いぬのように川ばたをあるきまわる。
ぬれたみずぎのままで、よくまさござのたちみをしたことがあった。
えいたいのはしのうえでじゅんさにとがめられたけっか、
さんざんにあっこうをついて、「つかまえられるならつかまえてみろ!」といいながら、
しごにんいちどにはしのらんかんからまっさかさまになってすいちゅうへとびこみ、
しばらくしてしごげんもさきのみなもにぽっくりうかみだして、
いちど、「わーい!」とはやしたてたことなぞもあった。
番組からのお知らせとエンディング
というところでおじかんとなりました。
本日は、長い花風の随筆、夏の街を途中まで読んできました。
続きはまた来週です。お楽しみに。
さて、FM八ヶ岳をお聞きのリスナーの皆様にお知らせがあります。
アーカイブス配信の発信元が新しくなりました。
ポッドキャスト、リッスンで公開されています。
スマホやパソコンで、FM八ヶ岳のホームページにあるリンクから飛んでいただくか、
Googleなどの検索窓に、「わき水のほとり」と入力して見つけてみてください。
いつでも何回でもお聞きいただけます。
お聞きいただきありがとうございました。
番組では皆様からのリクエストや感想をお待ちしております。
FM八ヶ岳のホームページの問い合わせフォーム、またはスマートフォンアプリレディモのメッセージ欄からお寄せいただけます。
お送りしましたのは、開運商店でした。
この後もFM八ヶ岳でお楽しみください。
本日もいい塩梅に過ごせますように。
またお会いしましょう。
14:30

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