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2026/05/18 湧き水のほとり #116 島崎藤村「朝飯」
2026-05-23 14:30

2026/05/18 湧き水のほとり #116 島崎藤村「朝飯」

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サマリー

この放送では、島崎藤村の短編小説「朝飯」が朗読されます。物語は、気象観測所の職員である語り手が、5月の訪れとともに感じる寂寥感と過去の漂白の苦しみを回想するところから始まります。そこへ現れたのは、旅の途中で所持金を失い、空腹と脚気で苦しむ男。語り手は、自身の過去の経験から、安易な施しではなく、働くことの尊さを説き、尺八を吹く芸で旅の費用を稼ぐよう助言し、わずかな銭を与えます。後に、男がすぐに飲食店に入ったことを知った語り手は、皮肉を込めて笑い、施しと助言という二重の恵みを与えたことに満足感を覚えるのでした。

番組紹介と朗読開始
湧き水のほとり
エフエム八ヶ岳をお聞きの皆さん、各種インターネットからお聞きの皆さん、ご機嫌いかがですか。開運小天です。
ここからの15分間は、聞く読書の番組、湧き水のほとりの時間です。
児童文学や、昔懐かしい物語、様々な文豪の短編などを、少しずつ読ませていただきます。
美味しいお水を召し上がりながら、一息ついてくださいね。
本日は、島崎藤村作、朝飯を読んでいきます。
それでは、さっそくどうぞ。
語り手の心情と過去の回想
島崎藤村作、朝飯
五月が来た。速攻所の義手なぞをしている者は、誰しも同じ思いであろうが、ことに自分は、この五月を絶えがたく思う。
その日その日の務め、気圧を調べるとか、風力を測るとか、雲景を観察するとか、または、東京の気象台へあてて報告を作るとか、
そんな仕事に追われて月日を送るという境界でも、あのカエルが旅場をそそるように泣き出す頃になると、妙に寂しい考えを起こす。
旅だ。五月が自分に教えるのである。
いろいろなことを思い出すのもこの月だ。
ある日のことであった。
ちょうど、自分の休暇にあたったので、事務の引き続きを当番の同僚に頼むつもりで、書いておいた気圧の表を念のために読んでみた。
天気晴れ、気温上昇、雲景、草、荘石、堅草、堅石、よし。
それで自分は、小高い山の上にある長野の速攻城を出た。
禅公寺から七八町向うの七夜の壁は、白く火を受けた。
庭の内も、今は草木の盛んな時で、柱に寄りかかって眺めると、新緑の光に押されるような心地がする。
熱い空気にむされるりんごの可愛らしい花、その周囲を飛ぶ蜜蜂の楽しい羽音。
すべて、見るもの聞くものは思い出の中立であったのである。
その時自分は目を細くして幾度となく若葉の匂いを嗅いで、寂しいとも心細いとも名のつけようのない、まあ病人のように弱い気分になった。
反省の間の嬉しいや悲しいが胸の中に浮かんできた。
あの長い漂白の苦しみを考えると、
よく自分のようなものが、こうして今日まで生きながらえてきたと思われるくらい、
破千というより他に自分の生涯をたとえる言葉は見当たらない。
それがこの山の上の港へ漂いついて、呼ばなれた速攻所の義手をして、
雲の形を眺めて暗すみになろうなどとは、
実に自分ながら思いもよらない移り変りなのである。
旅の男との出会い
こう思いふけていると、誰か表のほうで呼ぶような声がする。
何の気なしに自分は出てみた。
旅やつれのした諸聖亭の男が自分の前に立った。
片隅へ身を寄せてあがりが町のところへ手をつきながら、
何か低い声でものを言い出したときは、自分はすぐにその男の用事を見てとった。
聞いてみると、越後のほうから出てきたもので、
都にある親戚をたよりに尋ねて行くという。
はるばるの長旅。
ここまではたどり着いたが、
途中でわずらったために限りある露銀を吸いつくしてしまった。
道は通し。
懐には一文もなし。
足はこの通りかっけで腫れて歩行も自由にはできかねる。
情があらば助力してくれ。
頼む。
こう真実を顔にあらわして嘆喚するのであった。
語り手の助言と施し
実はまだ朝飯も食べませんような次第で。
とこの男はつけ足して言った。
この朝飯も食べませんが、
自分の心を動かした。
顔をあげて拝むような目つきをしたその男の有様はと見ると、
からだのわりに頭の大きなおとがいのまるく長い、
なんとなく人のよさそうな人物。
火に焼けて茶色になって汗の少し流れたその痛々しい額の上には確かに落白という焼金が押し当ててあった。
悲しい思い出の情はその時自分の胸をついてわきあがってきた。
自分もやはりその男と同じようにうえとつかれとで震えたことを思い出した。
あてどもなくさまよい歩いたことを思い出した。
恥を忘れて人の家の門に立った時は思わず涙が頬をつたって流れたことを思い出した。
「まあ君、そこへ腰かけたまえ。」と自分はなれなれしい調子で言った。
男は自分の思惑をはばかるかして妙な顔をしてただもうしょんぼりと震えながら立っている。
何しろそれはお困りでしょう。」と自分は言葉を続けた。
「僕のうちでは君、そういう規則にしている。何かしらしてこない人には決して物をあげないということにしている。
だって君、そうじゃないか。僕だって働かずには生きていられないじゃないか。
その汗を流して手に入れた物を、ただで人にあげるということはできない。
もらうほうの人からいっても、ただ物をもらうというほうはなかろう。」
こう言いながら自分は十千銀貨を一つ取り出して、それを男の前に置いて、
「僕のうちばかりじゃない。どこのうちへいっても、そうだろうと思うんだ。ただくれろと言われて心よく出す物はない。
これから君が東京までも行こうというのに、そんなやり方で旅ができるものか。
だからさ、それを僕が君に忠告してやる。
何かして、働いて、それから頼むという気を起したらばどうかね。」
「はい。」
と男は額に手をあてた。
過去の共感と提案
「こんなことを言ったら妙な人だと君は思うかもしれないが。」
と自分は学生生活もしたらしい男の手を眺めて、
「はい。僕も君らの時代にはずいぶん困ったことがある。
そりゃあもうつらい目に出会ったことがある。
ちょうど君が今日の境遇を僕も通り越してきたものさ。
さもなければ君、誰がこんな忠告なぞするものか。
実際、君の苦しいありさまを見ると、僕は大いに同情を寄せる。
まあ僕は泣きたいような気が起こる。
本当に苦しんでみたものでなければ、苦しんでいる人の心持ちはわからないからね。
そこだ。
もし君が僕の言うことを聞く気があるなら、ひとつ働いて通る料金になりたまえ。
何か君はできることがあるだろう。
まあ歌を歌うとか、お経をあげるとか、または尺八を吹くとかさ。
どうもこれという芸はございませんが、尺八なら少しひねくったことも。」
と、男はさびしそうに笑いながら答えた。
むむ、尺八が吹けるね。
それ見たまえ、そういう芸があるなら売るがいいじゃないか。
売るべし売るべし、なくてさえ売ろうという今の世の中に、
あっても隠して持っているなんて、そんな君のような人があるものか。
ではこうするさ。
僕が今、君に尺八を買うだけの金をあげるから、
粗末な竹でもなんでもいい。
一本手に入れて、それを吹いて、それから旅をするということにしたまえ。
とにかくこれだけあったら譲ってくれるだろう。
され、十銭あげる。
こう言って、そこに出した銀貨を男の手に握らせた。
未来への約束と男の誓い
人の一生というものは、君、どうなるかわからない。
と、自分は男の顔を見守りながら言った。
これから先、君がどんな出世をするかもしれない。
僕がまた今日の君のように困らないとも限らない。
まあ君、そうじゃないか。
もし君が大きな屋敷でも構えるという時代に、
僕が困っていくようなことがあったら、
そのときは君、よろしく頼みますぜ。
へへへへへ。
と、男は苦笑いをした。
いいかねえ、僕の言ったことを君は守らんければいかんよ。
尺八を買わないうちに、食ってしまってはいかんよ。
はい。
食べません。
食べません。
決して食べません。
と、男は言葉に力を入れて、
かたく、かたく、誓うように答えた。
やがて男は元気づいて出て行った。
施しの後の語り手の心情
施しということは妙なもので、
施された人も幸せではあろうが、
施した当人のほうはなおさら心うれしい。
自分は飢えた人をつかまえて、
説法を聞かせたとも気づかなかった。
十銭くれてやった上に、
助言もしてやった。
まあ二つ恵んでやったと考えて、
自分のしたことを二倍にしてよろこんだ。
五月
さびしい旅上は、
わずかにこういうことでなぐさめられたのである。
男の行動と語り手の笑い
しばらくして水汲からかえってきた下女に聞くと、
その男は自分の家を出るとすぐに、
一膳飯の看板をかけた飲食店にはいったという。
そのとき自分は男の言葉を思い出して、
まだ朝飯も食べません、
とくりかえして笑った。
定めし男のほうでも自分の言葉を思い出して、
説法はありがたいが朝飯のほうがなおありがたい、
とかなんとかひとりごとをいいながら、
その日のかてにありついたことであろう。
番組終了
1906年、明治39年
島崎東村作 朝飯
でした。
お聞きいただきありがとうございました。
お送りしましたのは、開運商店でした。
このあとも、FM八ヶ岳でお楽しみください。
本日もいい塩梅に過ごせますように。
またお会いしましょう。
14:30

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