オープニングと織田作之助の紹介
湧き水のほとり。
FM八ヶ岳をお聞きの皆さん、各種インターネットからお聞きの皆さん、ご機嫌いかがですか。開運小天です。
ここからの15分間は、聞く読書の番組、湧き水のほとりの時間です。
児童文学や、昔懐かしい物語、さまざまな文豪の短編などを、少しずつ読ませていただきます。
おいしいお水を召し上がりながら、ひと息ついてくださいね。
本日は、織田作之助の随筆、「秋の傘」を読んでいきます。
作者の織田作之助は、1913年、大正2年、10月26日、大阪で生まれました。
当時、両親が結婚を反対されており、入籍できなかったため、おじさんの老いという形での出生届となっていましたが、
13歳の時、晴れて両親が入籍を果たし、戸籍も父の姓である織田を名乗ることができるようになりました。
昭和37年まで発刊されていた雑誌、「少年クラブ」を中学生の頃から愛読し、成績もかなり良く、
庶民出身の子供としては非常に稀なことに、今でいう京都大学教養部の前身である大三高等学校へ入学し、仲間とともに小説や輝曲、評論などを発表するなどして文学の才能を開花させました。
しかし、卒業試験中に欠格となり、滑血し療養生活をするうちに、文学に対する意欲を失い、退学となってしまいます。
その後、25歳頃からは小説家志向となり、作品を発表し始めます。
翌年、小説「めおとぜんざい」を発表し、本格的な作家生活に入りました。
プライベートでは、愛妻が病死、その後再婚しますが、書いた小説のいくつかは検閲にかかり発売禁止となるなどトラブルに見舞われつつ、
数々の小説や輝曲を発表し、作品は映画化されるなど有名となりました。
30歳を過ぎてから欠格が再発し、33歳の若さで惜しまれつつも亡くなりました。
1983年からは大阪文学振興会により、小田作之助賞が主催され、現在でもその名は知られています。
それでは読んでいきましょう。
「秋の傘」朗読
小田作之助作 秋の傘
秋という字の下に心をつけて、
しゅう、うれい、と読ませるのは誰がそうしたのか、意味軸も考えたと思う。
まことに物を思う人は季節の移り変わりを敏感に感じる中にも、
わけていわゆる秋の気配の立ちそめるのを、ひと一倍しみじみと感じることであろう。
私もまた秋の気配を人より早く感じるほうである。
といって物を思うゆえにではない。
実は毎夜徹夜しているからである。
私の徹夜癖は十九歳に始まり、その後十年間この癖が直らず、ことに近年は仕事に追われるときなど、ほとんど一日も欠かさず徹夜することがしばしばである。
それゆえおよそ一年中の夜明けという夜明けを知っているといってもよいくらいだが、夜明けの美しいのはやはり秋、ことに夏から秋へ移ろうとするころの夜明けであろう。
五尺八寸、十三寒、すなわち痩せているせいで暑さに強い私は裸で夜を過ごすということはあまりなく、どんなに暑くてもきちんと浴衣を着て机の前に座っているのだが、八月に入って間もなくの夜明けにはもう浴衣では肌寒い。
人々が酔いのねぐるしい暑さをそのまま夢にむすんでいるときに私はひんやりした風を肌に感じている。
風鈴の音もにわかに清い。
蝉の声もいつか聞こえず、部屋の中に迷い込んできた虫を夏の虫かと思って内輪ではたくと、ちりちりとあわれな鳴き声のまま生きたえる。
鈴虫らしい八月八日、立秋と暦を見るまでもなく、
ああもう秋だなと私は感じるのである。
ひと一倍早く四五年前の八月のはじめ、品のおいわけへ行ったことがあった。
おいわけは軽井沢、靴掛とともに浅間値越の三塾といわれ、
いまは焼けてしまったが、ここの油屋は昔の宿場の本陣そのままの姿を残し、
堀立雄氏、室尾再生氏、佐藤春雄氏、その他多くの作家が好んでこの油屋へ泊まりに来て、
ことに堀立雄氏などは一年中の大半をこの大名部屋か古生の部屋かで過ごしていたくらい、
伊豆ゆが島の湯本館と同様、作家たちに好かれた旅館であった。
十時何分かの夜行で上野を立った。
高崎あたりで眠りだしたが、急にぞっとする涼気に目をさました。
薄い峠にさしかかっている。
白樺の林が月あかりに見えた。
すすきの穂が車窓にすれすれに、そしてわれもこうの花も咲いていた。
青みがちな月あかりはまるで夜明けかと思うくらいであった。
しかしまだ夜が明けていなかった。
やがて軽井沢に着き、靴掛けをすぎ、そして追い訳に着いた。
薄暗い駅に降り立つと駅員が、
「品の追い訳。品の追い訳。」
ふり動かすカンテラの火の尾をひくような間延びした声で駅の名を呼んでいた。
乗ってきた汽車をやり過ごして線路を越えると追い訳塾への一本道が通じていた。
浅間山がぶきみな黒さで横たわり、その形がみるみるはっきりと浮かびあがってくる。
まもなく夜が明ける。
人影もないそのさびしい一本道を少し行くとすぐ森の中だった。
前方の白樺の木に裸電球がかかっている。
にぶいその灯のまわりに秋の夜明けのさびけさが笠のように集まっていた。
しみじみと遠い眺めだった。
夜露にぬれた道端には高原の秋の花が可憐な色に咲いていた。
私はしみしみと秋を感じた。
暦ではまだ夏だったがかつてきわめて孤独な時期が私にもあった。
ある夜、暗い道を自分のさびしいギターの音を聞きながら歩いているといきなり暗がりに木星の匂いがひらめいた。
私はなんということもなしに胸を温めた。
雨上がりの道だった。
二、三日してアパートの部屋に金木犀のひと枝をいけておいた。
その匂いが私の孤独をながさめた。
私は匂いのにげるのをおそれてカーテンをしめた。
しかしそのすきまからはだざむい風がしのびこんできた。
そして私のさびしい心のなかをしずかにふきわたった。
それが私をかなしませた。
一週間すると金木犀の匂いがきえた。
きいろい花びらがとこのまにぽつりぽつりとおちた。
私はショパンのあまだれなどをきくのだった。
そしてたばこをすうとひえびえとしたくうきがけむりといっしょに口のなかにはいっていった。
それがなぜともなしにものがなしかった。
番組からのお知らせとエンディング
織田作之助作秋の傘でした。
さて、FM八ヶ岳をおききのリスナーのみなさまにおしらせがあります。
アーカイブス配信のはっしんもとがあたらしくなりました。
ポッドキャストリッスンでこうかいされています。
スマホやパソコンでFM八ヶ岳のホームページにあるリンクからとんでいただくか、
グーグルなどのけんさくまどにわきみすのほとりとにゅうりょくしてみつけてみてください。
いつでもなんかいでもおききいただけます。
いぜんよんださくひんもぜひきいてみてくださいね。
おききいただきありがとうございました。
番組ではみなさまからのリクエストやかんそうをおまちしております。
FM八ヶ岳のホームページのといあわせフォームまたはスマートフォンアプリレディモのメッセージ欄からおよせいただけます。
おおくりしましたのはかいうん商店でした。
このあともFM八ヶ岳でおたのしみください。
本日もいいあんばいにすごせますように。
またおあいしましょう。