新年の挨拶とふるさとへの思い
FM八ヶ岳 デイ・イン・ライフ 暮らしの羅針盤の時間です。池田政子が担当する第75回です。
元日の今日、皆さんはどこでお過ごしでしょうか? 生まれ育った土地でお過ごしの方はどれくらいいらっしゃるでしょう?
年の初めの放送、ふるさとにまつわる歌、それから私もそうですが、戦後すぐに生まれた段階の世代に縁のある歌を選んで聴いていただこうと思います。
中島みゆきの楽曲に見る故郷への旅立ち
まずは中島美雪のホームにて、1977年のリリースですが、皆さんはどこで何をしていらっしゃいましたか?
どうぞお聴きください。 今から50年近く前の曲です。お正月なのでしょうか。
ふるさとへ帰る支度をして、切符も買ったのに、なぜか列車に乗るのをためらっている。 そのうちに列車のドアが閉まり、動き出してしまう。
どんな理由があったのでしょう。 次も中島美雪の歌で、帰省。ふるさとへ帰る帰省です。
2000年発売の短編集というアルバムの中の曲です。 おぼんとお正月に都会からふるさとに帰れば、また半年がんばれる。
唱歌「ふるさと」と時代背景
皆さんにとってのふるさとはどんなところでしょうか。 次は文部小小課のふるさとです。
1914年、100年以上前に発行された人情小学小課第6学年用に初めて掲載されました。
この歌の作詞をした高野達行は長野県で生まれ、教師をしていた時に東京帝国大学で研究するために上京して、
日本歌謡史という論文を書いて文学博士となりました。 志を果たしていつの日にか帰らん。
つまり志が成就しなかったら帰れないということですね。 この時代には生まれ育った土地から出るということは大きな決断だったのでしょう。
集団就職と山梨の受け入れ
時代を下って戦後復興期の1950年代の半ばから高度経済成長期に向かって地方の農村から中卒の少年少女が金の卵と言われ、
集団就職列車と呼ばれた隣地列車で東京に出ていく時代がありました。 山梨ではどうだったのでしょうか。
山梨日日新聞のデータベースによると、1960年3月の記事に初めて就職列車という言葉が使われ、就職列車、中学卒業生東京へ行くとか、
涙の別れ、ふるさとを後に就職列車などの見出しがあります。 逆に1964年3月には、
東北から集団就職の第一陣とか、県外から就職者を歓迎する横断幕を新崎駅前に作るという記事があり、この頃から山梨が集団就職の受け入れ先にもなっていたことがわかります。
そしてその8割が女子だったとのことです。 3年後1967年の記事では、
せっかく山梨で就職しても長い人でも5年くらいで結婚のためにふるさとへ戻っていくので、山梨で結婚した人には県から記念品を贈ることにしたこと。
そしてその第一号になった宮城県から集団就職した女性のことが報じられています。
今から60年ほど前の記事ですが、この時代は県外に就職しても結婚はふるさとへ戻ってという女性が多かったわけですね。
大学進学とフォークソング
生まれ育ったふるさとを離れる理由はもう一つ、大学への進学があります。 白根町で育った私の友人は1971年に東京の大学に入学しましたが、
その頃の女子の4年生大学進学率は1割に届きません。 小さい頃から歌が好きだった彼女は新宿にある当時有名だった
ともしびという歌声喫茶に行ってロシア民謡やフォークソングなどをみんなで合唱したそうです。 彼女曰く、人々が平場で声を合わせて気持ちを一つにするフォークソングというものは、
その歌詞とメロディーライン、リフレインが、繰り返しですね、シュプレヒコールのような効果を持ち、純粋な若者の心を高揚させ、前進させる力と意味を持っていたと思うとのことです。
その友人のリクエストで、「花はどこへ行った?」をお送りします。 アメリカのフォークグループピーター・ポール&マリーがベトナム戦争の最中、1962年に歌って世界各地に広がりました。
花たちはどこへ行った?少女たちが摘み取った。 その少女たちは結婚して夫ができた。 そして夫たちはみんな兵士になった。兵士はみんな墓地に入った。 そして墓地は花に帰った。ああ、いつになったらみんな学ぶのだろう?
この歌が歌われ始めた頃、日本では特に男子の大学進学率が急上昇して、地方から進学のために大都市に流入する若い世代が増えて、ベトナム戦争反対など日本中で学生運動が高まって、歌声喫茶や反戦集会ではプロテストソングといわれるホークソングが歌われるようになりました。
その中から1946年生まれでホークの神様と言われた岡林信康が1968年、22歳の時に作った友よを聴いていただきます。
夜明けは近い。この闇の向こうには輝く明日がある。 60年近く前、どんな世界を思い描いてこの歌が歌われていたのでしょうか。
都会への流入と卒業、そして別れ
そのアンサーソングと言っていいかもしれません。翌年、1969年に発表された五つの赤い風船というグループの遠い世界にという歌があります。オートハープという弦楽器の音色は印象的です。
大学進学で都会に集まってきた若い人々も、やがて卒業を迎え、卒業による男女の別れも歌われました。その一つ、名残雪をイルカの歌でお聴きください。1975年のリリースです。
1970年に入学した男女の物語とすれば、ちょうど先ほどの私の友人と同じ世代ですが、彼女と同じようにこの女性は卒業した後はふるさとに戻り、一方、交際していた男性はそのまま都会で就職したのかもしれません。女性の大学進学率が高くなっている最近ではどうでしょうか。
現代における若者の流出とUターンの課題
10年くらい前の調査によると、大卒の女性の半数は生まれた地域から流出していて、その割合が男性よりも高い。また、いわゆるUターンは男性の方が多く、若い世代の女性では圧倒的に少ないという結果でした。
それから、昨年の11月26日の朝日新聞に興味深い記事がありました。若者が戻りたくなるふるさとについての調査です。
女性の生き方や家族の在り方に寛容か、また、個人主義を認める度合いなど地域の寛容性という指標を作って、都道府県別に点数化し、東京近郊に住んでいる地方出身の18歳から30代の男女がふるさとにどの程度Uターンしたいと思うか、との関連を調べました。
その結果、地域の寛容性が高いと、ふるさとにUターンしようと思う若い世代の人が多くなるという関連がありました。
山梨県はどうだったと思いますか。
寛容性は全国で下から10番目くらい。Uターンしたいと思う程度も全国平均に届きません。
要するに、山梨は女性や若者はこうでなければいけないという決めつけをする地域性があり、若い世代が一度都市部に出たら、あまり戻ってこようと思わないということになります。
この結果、皆さんはどう思われるでしょうか。
希望と未来へのメッセージ
次は、たくさんある中島みゆきの曲の中で、私の一番好きな歌、時代です。
今日は、1976年、私が山梨に来た年に出たデビューアルバムの中のギター伴奏のみで優しく語りかけるような歌声で聴いていただきます。
今日は倒れた旅人たちも生まれ変わって歩き出すよ。
50年前は、こうやって人々の努力が受け継がれていき、世の中が良くなっていくんだと思いました。
でも、今、世界の状況を考えると、この素敵な歌詞でさえ胸につかえてしまいます。
戦後81年目のお正月の番組の最後に、何を聴いていただこうか迷いましたが、この歌にしました。
1992年リリースの中島みゆき、糸です。
人との出会いは、それだけにとどまらない何かを生み出します。
今年もそんな出会いがありますように、この歌をみなさんに送ります。
FM八ヶ岳池田雅子がお送りする暮らしの羅針盤。
新年早々聴いてくださってありがとうございました。
正月の街 父のオス ベビーカー 正月の街 父のオス ベビーカー 雅子
お正月の季節で若い方々の姿が目立ち、賑やかに感じられますね。ではまた。