1. FM八ヶ岳 湧き水のほとり
  2. 2026/08/17 湧き水のほと20り ..
2026/08/17 湧き水のほと20り #129 永井荷風 「夏の町」2
2026-08-22 14:30

2026/08/17 湧き水のほと20り #129 永井荷風 「夏の町」2

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

本放送では、永井荷風の随筆「夏の町」の第二回が朗読されます。学生時代、東京の自宅で夏を過ごし、川遊びに明け暮れた荷風の思い出が語られます。特に、フランス留学中にパリの人々と江戸の人々の風流を比較し、自然や文学に対する感性の違いを探求する様子が描かれます。都会化が進む中でも変わらない江戸の風情への愛着と、現代の風景への複雑な思いが綴られています。

番組紹介と永井荷風「夏の町」の導入
湧き水のほとり
FM八ヶ岳をお聞きのみなさん。 各種インターネットからお聞きのみなさん。
ごきげんいかがですか。開運小天です。
ここからの15分間は、聞く読書の番組 湧き水のほとりの時間です。
児童文学や昔懐かしい物語、さまざまな文言の短編などを少しずつ読ませていただきます。
おいしいお水を召し上がりながら、ひと息ついてくださいね。
今月は4回に分けて、明治時代の文豪である長居加風の随筆、夏の街を読んでいます。
本日はその2回目です。
学生時代の長居加風は、東京生まれて別段寄生するべきふるさともなく、
親の目のないところで文芸や音楽を自由に楽しみたいために、家族との旅行には参加せず、
もっぱら、東京の自宅で夏を過ごしていました。
神殿流という水泳の道場で泳ぎをマスターした長居加風は、仲間と一緒に毎日川遊びに明け暮れるのでした。
本日読んでいく第一章の後半では、
フランスへ留学した長居加風が、パリの人と西野川の関係を、
フランス文学や芸術の中に現れてきた時期から推し量り、江戸の人々の様子と比較しています。
難しい表現もありますが、聞いてみてください。どうぞ。
学生時代の川遊びと江戸文学への愛着
泳ぐこともできず、裸で川端を横行することもできる時節になっても、
自分はやはり川好きの友達と一緒に、中学校の教堂以外の大抵の時間を場、船遊びに費やした。
我々はむろん、ボートも漕いだ。
しかし、ボートは少なくとも四、五人の人数を要する上に、
一度貝をそろえて漕ぎ出せば、
疲れたからとて一人勝手にやめるわけにはいかないので、
横着でわがままな連中は、ずっと気楽で旧式な煮たり船の本を選んだ。
その自分には、ボートのことをバッテラという人も多かった。
浅草橋の野田屋や築地の長寺屋から刈り船をするにしても、
バッテラと煮たりとは一日の刈り賃に非常な相違があった。
土曜と言わず、日曜と言わず、
学校の帰りがけに書物の包みを抱えたまま船へ飛び乗ってしまうので、
我々は蔵前の水門、本所の百本食い、大地の料理屋の桟橋、
橋場の別荘の石垣、あるいはまた小松島、金ヶ淵、
綾瀬川などの足の茂りの陰に船をつないで、
題数や気科学の宿題を考えたこともあった。
同時にまた、教科書の間に隠した梅語読みや、
古参勤頃の除経文をば、目の当たりに見る川筋の実験に対照させて、
喜んだことも度々であった。
架かる少年時代の感化によって、
自分は一生涯、たとえいかなる激しい新思想の襲来を受けても、
おそらく江戸文学を離れて、
墨田川なる自然の風景に対することはできないであろう。
金ヶ淵の宝石会社や、帝国大学の邸庫は、
自分がまだ墨田川を知らない以前からできていたものである。
それらの新しい勢力は事実において、
日に日に土手や畑や川岸や足の茂りを取り払っていきつつあるが、
しかし何らの感化をも自分の心の上には及ぼさなかったのだ。
黒煙を吐く煉瓦作りの製造場よりも、
人情本の文章のほうが面白く美しく、
すなわち遥かに強い印象を与えたがためであろう。
フランス文学とパリ人の自然観
十年十五年と過ぎた今日になっても、
自分はひとたび、
竹や橋場、今どのごとき地名の発音を耳にしてさえ、
忽然として現在を離れ、
自分の生まれた時代よりもさらに遠い時代へと思いをはするのである。
いかに自然主義がそのテオリーを強いたにしても、
自分だけには現在あるがままに墨田川を見よということは不可能である。
自然主義時代のフランス文学は、
自分にはかえって墨田川に対する空想を豊富ならしめた傾きがある。
毛柏さんはその短編中に描いた西野川の船遊びによって、
そぞろにわれわれの過ぎ去った学生時代を意味深く回想させ、
コンクール兄弟がディドゥイトの編中に描いた月夜ムードンのうるわしい除景は、
足と水柳の多い綾瀬辺りの風景を喜ぶ自分に対して、
さらに新しく先行なる芸術的感じ性を洗練せしめた。
ゾラはレンエン、オーションと題する興味ある商品によって、
近頃のパリ人が都会のすぐ外なる西野河畔の風景を愛するようになった、
その来歴を詳しく語って偶然にも自分をしてパリ人と江戸の人との風流を比較せしめた。
ゾラの書論によると、昔のパリ人は郊外の風景に対して、
今日のパリ人が日曜日といえば必ず遊びに出かけるような熱心な興味を感じてはいなかった。
その証拠は、時代風俗の繁栄たるべき文学を見ても、
17、8世紀の文学上には一つとして、
今日の序章詩人が歌っているような自然に対する感想を伺うことはできない。
ルッソをいでて初めて思想は一変し、
シャトーブリアンやラマルチンやユーゴー・ラの感激によって、
自然は初めて人間に近づけられた。
最初、ギリシャ芸術によってデヴィニゼ、神らしくされた自然。
フランス古典文学によって土外史された自然は、
ロマンチズムの熱情によって初めてユマリゼ、人間らしくせられた。
しかしユーゴーやラマルチンは、
まだ一度もパリ郊外の自然オソが、
序章詩の直接の題材にして歌ったことはない。
それは、かの通俗小説の作家として、
今ではもう忘れられようとしている。
ポールドコックをもって孔子とみなさなければならぬ。
ポールドコックは何も、
郊外の風景そのものを遮蔽する目的ではないが、
今から五、六十年前、
ルイ、フィリップ王政時代のパリの市民が、
狭苦しい都会の城壁を越えて、
郊外の森陰を散歩し、
青草の上で食事をするサマオバ、
滑稽なる古町の筆地をもって、
その小説中に描いたのである。
その時代から、
一般の風俗は次第に変わってきて、
ポールドコックの後には、
画家の一団体が盛んに、
パリ郊外の招致を罰賞し始めた。
今日では誰も知っている、
あのムードンの継承を発見したのは、
自然を謝罪するために、
クラシックの形式を破棄した、
フランス一派の画工である。
それから、ずっと上流のマントまでを探ったのは、
ドーヴィニーである。
今まではその地名さえも知られなかった、
セーヌの下半は、
たちまちの間に散歩の人の雑踏を来たすようになって、
最初の発見者、
ドーヴィニーはとうとう、
セーヌ川の本流を見捨て、
オアズの支流をさかのぼって、
アンヴェールの東方へ逃げ込み、
頃はやっと水たまりや大木の多い、
ビルダブレーに踏みとどまるようになった。
この記事からひるがえって、
江戸とパリの風流の比較と現代への思い
向島と江戸文学との関係を見ると、
江戸時代の人は、
時代からいえばパリ人よりももっと早くから、
郊外の継承に心づいていたのだ。
ハイカイ氏の群れは、
ひょうたんをさげて、
江東の梅花に、
ややとどのう春の景色をさぐって歩き、
蔵前の旦那州は、
屋根船に軽車飛び手等をのせて、
本に田舎もましばたく、
橋場今戸の川景色をながめてよろこんだ。
最初、
河水の氾濫を防ぐために築いた向島の土手に、
王家の装飾をほどこすことを忘れなかった江戸人の土壤は、
都会を天神柱の大森林たらしめた明治人の経営にひして、
何たる相違であろう。
パリの人たちは今でも、
日曜日には家族をひきつれて、
郊外の青草の上でぶどう酒を飲む。
しかし、われわれの新しき時代は、
絵のような美しい伝統を破棄するの急務に追われているばかりである。
この二三日、
方々からしきりに絵はがきが来る。
谷川を前にした温泉宿や、
松の生えた海辺の写真が来る。
友だちはみな例のごとく秘書に出かけたのだ。
しかし自分はまだ、
どこへも行こうという心持にはならない。
縁先の葉にが長くのびて、
やわらかそうな葉の表に朝露が水晶の玉をつづっている。
桜の花と百日香とは、
燃えるような強い色彩を昼すぎの炎天にかがやかし、
ねむそうなうすいろのねむの花は、
ぼやけた紅のハケおば、
植え込みの花になる夕方のそよ風にゆすぶっている。
単調な蝉の歌、
途切れ途切れの風鈴の音。
自分はまだ、
どこへも行こうという心持にはならずにいる。
番組の締めと次回予告
というところでお時間となりました。
本日は長い花風の随筆、
夏の街を途中まで読んできました。
続きはまた来週です。
お楽しみに。
お聞きいただきありがとうございました。
番組では皆様からのリクエストや
感想をお待ちしております。
FM八ヶ岳のホームページの
問い合わせフォームまたは
スマートフォンアプリレディモの
メッセージ欄からお寄せいただけます。
お送りしましたのは、
開運商店でした。
この後もFM八ヶ岳でお楽しみください。
本日もいい塩梅に過ごせますように。
またお会いしましょう。
14:30

コメント

スクロール