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2026/08/31 湧き水のほとり #131 永井荷風 「夏の町」4
2026-09-05 14:30

2026/08/31 湧き水のほとり #131 永井荷風 「夏の町」4

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サマリー

この放送では、永井荷風の随筆「夏の町」の最終回が紹介されます。語り手は、明治時代の江戸の夏の暑さの中での体験を回想します。柳橋の裏路地での涼を求める人々、特に浴衣姿の若い女性たちの様子や、横丁から聞こえてくる三味線の音に耳を傾け、江戸情緒あふれる夏の町の情景を描き出します。また、下町の女性たちの暮らしぶりや、夏の終わりの寂しさにも触れ、夏の日の記憶を辿ります。

番組紹介と「夏の町」の始まり
湧き水のほとり
FM八ヶ岳をお聞きの皆さん、各種インターネットからお聞きの皆さん、
ご機嫌いかがですか。開運小天です。
ここからの15分間は、聞く読書の番組、湧き水のほとりの時間です。
おいしいお水を召し上がりながら、一息ついてくださいね。
今月は、長井荷風の随筆、「夏の町」を読んでいます。
本日は4回目、最終回です。
明治43年の江戸の夏の様子を、ぜひ聞いてみてください。
ではどうぞ。
柳橋の裏路地での夏の午後
いつぞや。
二十三時の頃であった。
柳橋の裏路地の二階に、真夏の日盛りを過ごしたことがあった。
その自分知っていたこの矢の女を誘って、
どこか涼しいところへ遊びに行くつもりで立ち寄ったのであるが、
窓外のものほし台へ照りつける日の光のまぶしさにへきえきして、
とにかく夕風の立つまでと、そのまま引き止められてしまったのだ。
ものほしには、おとわ矢格子や水玉矢、朝のはつなぎなど昔からなる流行りの浴衣が、
新型と相まじって、幾枚となく河風にひるがえっている。
そこから窓のほうへ降りる踏み板の上には、
花のしおれた朝顔や石椒やそのほかの植木鉢が、
ガラスの金魚鉢とともに置かれてある。
八畳ほどの座敷はすっかり渋紙が敷いてあって、
押入れのない一方の壁には立派なタンスがじゅんじょよく、
引き手の缶をならべ、路地のほうへ向いた表の窓際には、四五台の化粧鏡が据えられてあった。
おりおり吹く風がばたりと窓のすだれを動かすと、
そのあいだから細い路地をへだてて、向かい側の家の同じような二階のレンジ窓が見える。
兄弟の数だけ、女も四五人ほど、いずれも浴衣に細帯したままごろごろ寝ころんでいた。
熱い熱いといいながら、二人三人と猫の子のようにくっつきあって、
ひとりでおとなしくだまっているものにからかいかける。
あげくのはてにだれかが、
「あたまへさわっちゃいやだっていうのに。」
とかんしゃく声をはりあげるが、
口げんかにならぬ先に窓したをとおる三つ豆屋の呼び声にまぎらされて、
ひとりがたってあわただしく呼びとめる。
ひとりが柱にもたれて、つまびきのしゃみせんにほかのひとりを呼びかけて、
「おや、どうするんだっけ。にからはいるんだっけね。」
ときく。すわるかと思うとねころぶ。
ねころぶかと思うとたつ。そこにはふなぞこまくらがひっくりかえっている。
そこにはかしほんのしょうせつやけいこぼんがなげだしてある。
ちょうあいのこねこがすずをならしながらはしごだんはあがってくるので、
みんながおちていただれかのあかいしごきをふってじゃらす。
じぶんはただだまってみんなのなすさまをみていた。
ゆかたいちまいのことでいろいろなまめかしいみのなげざまをした
わかいおんなたちのからだのせんが、いかにもやわらかくゆたかにみえるのが、
じぶんをしてちょうどきゅうでんのしきがわらのうえにつどう
とるこびじんのむれをえがいたおりあんたりすとのあぶらえにたいするような、
あるいはまたうたまらのうきよえからあじわうような
あまいやさしいじょうしによわせるからであった。
じぶんはさゆうのまどいちめんにかがやくすさまじいひのひかり、
ものほしだいにひるがえるゆかたのしろさのあいだにねころんでしたからみあげると、
いかにもたかく、いかにもよくすんだまなつのまひるのあおぞらのいろをも、
いまだにわすれずきおくしている。
横丁から聞こえる三味線の音
これもやはりそういうまなつのひざかり。
じぶんはくらづくりのうんそうどんへのつづいたほりどめあたりをおやじばしのほうへと、
しょうかののきしたのわずかなるひかげをよってあるいていったとき、
あたりのけしきとちょうあしてたちさるにしのびないほどここちよく、
くらのあいだからきこえるながうたのしゃみせんにききとられたことがある。
うたはわかいおんなのこえ。
いとはたかねをいれたつれびきである。
このおんがくがあったために、くらつづきのよこちょうのけしきがいきてきたものか、
あるいはよこちょうのけしきがじぶんのくうそうをしげきしていたために、
ながうたがかくもここちよくきかれたのか、
いまではいずれともだんげんすることはできない。
しんせいのおんがくきょうは、
マグネルのおんがくオーバー、
オペラのぶたいてきそうちをとりのぞいてきくことをかえってよろこぶ。
しかし、それとはぜんぜんせいしつをいにするしゃみせんは、
いわばきわめてげんしてきなたんじゅんなもので、
けっしてがっきのねいろからのみではじゅんぜんたる
おんがくてきげんそうをおこさせるちからをもっていない。
それゆえにほんのおんがくにはいつも、
しゅういのじょうけいがそのおんがくてきこうかのうえに、
かくべからざるひつようをしょうぜしめるのはやむをえぬことであろう。
そのひはてりつづいたはちがつのひざかりのことで、
かぎりもなくはれわたったあおぞらのあいいろは、
したたりをつるがごとくにごく、
かわいてよごれたくらのやねのうえにたかくひろがっていた。
よこちょうはまっすぐなようでもふきそくにうねっていて、
かたがわにつづいたそうこのとぐちからはいずれもうらてのさんばしからおりる
ほりわりのみずのおもてがちょうどほらあなのなかからそとをのぞいたように、
くらいくらのなかをすかしてぎらぎらひかってみえる。
あらぬののまえかきをしめたにあげのにんそくが、
みずにのぞんだくらのとぐちにしゃがんですずんでいると、
おおらいぎわにはにぐるまのうまがたてがみをだらしてめをほそくし、
はえのむれをおいはらうげんきもないようにじっとしている。
うんそうやのひろいまぐちのみせさきには、
ちょうばごうしときんこのあいだにわかいものがそろばんをはじいていたが、
ひとのでいりはさらにみえない。
ねずみいろしたはとがにさんばこうまんらしくむねをつきだして、
えんてんのやねをあるいているとにうまのくちへむすびつけたまぐさおけから、
むぎがらのこぼれおちるのをどこからまよってきたのか、
やせたとりがいちにはうまのあしのあいだをばおそるおそるあるきながらすいばんでいた。
ひとどおりはまったくない。
くうきはかわいてゆるやかにすずしくうごいている。
じぶんはいつもいそがしかるべきこのよこちょうの
おもいもかけぬよるのようなせきばくとしんたいとに、
あたらしいつよいきょうみにさそわれながらあるいてきたとき、
たちつづくくらのやねにさえぎられてみえないおくのほうから、
いきおいよくながうたのしゃみせんのひびいてくるのをきいたのである。
えんてんのあかるいせきばくのうちに、
にちょうのしゃみせんはじつによくそのばちおとをひびかした。
じぶんはながうたというしゃみせんのここらもちようば、
このしゅんかんほどよくあじわいえたことはないようなきがした。
ながうたのしゅみはいっちゅうきよもとなどにふくまれていない
えどかたぎのたのいちめんをあらわしたものであろう。
ひょうしはいくらはやくてはいくらこまかくてもまっすぐでたんちょうできわめてしゅうちゃくにとおしく
じょうちょのねばっててんめんたるところがすくない。
しかしそのけいかいせんめいなることはぞくきょくとしょうするにほんきんだいのおんがくちゅう
このながうたにこすものはあるまい。
はうたがあらわすこいのくろうやうきよのあじきなさも
またはじょうろりがうたうぎりにんじょうのわずらわしさをもまだけいけんしない
こうふくなふゆうなちょうかのむすめ
わがままでかちきでしかもやさしいまちやのむすめのすがたをば
じぶんはながうたのしゃみせんのねにつれてありありとくうそうちゅうにえがきだした
そしてはちがつのえんてんにもかかわらず
わがくうそうのそのおとめはえりつきのきはちじょうに
あかいひったしぼりのおびをしめているのであった
下町の夏の記憶
じゅんじょなくふでのゆくがままに
もうひとつわがなつのきおくをここにかたらしめよう
やまのてのふかいほりいどのみずをあびようとかいうので
なつはすいどうのみずのなまぬるきをかこつ
したまちのおんなたちにさんにんずれでめぐろのだいこくやへあそびにいくとちゅうであった
しげったたけやぶやこだちのかげなぞに
ふるびたこいえのつづくばすえのまちのこみちをあるいていくとき
じぶんはふいとなかばかれかかったすぎがきのあいだから
すこしばかりくさばなをうえた
こにわのたけざおにおんなのゆかたがいちまい
ほしわすれられたようにさがっているのをめにした
したまちでもとくべつのとちへいかねばけっしてみられぬ
あらいかたぬきのもようのゆかたである
それがあらいさらされてむかしをしのぶそめいろはみるかげなくはげていた
あおいものはかわばたのやなぎばかり
せみのこえおもめずらしがるしたまちのおんなのみのすえがきしゃでもでんしゃでも
でいりのふべんなまずしいばすえのまちにひきこんで
あきさめをききずつおいゆくこころはどんなであろう
なんのきなしにおもいつくと
じぶんはいままではたださびしいとばかりみていたばすえのまちのこころもちに
とつぜんにんげんのれいらくろうすいびょうしなぞいうとくしのひさんをつきくわえてみずにはいられなかった
したまちのおんなのゆかたをばとうかのひかりとうえきやくさばなのいろのあざやかなあいだにながめしょうすべく
とうきょうのまちにはえんにちがある
かんてらのゆえんにこめられたえんにちのよのそらはほりわりにちかきまちにおいてことにいろうつくしくみられる
じぶんはまいねんのようにこのとしのなつもとうきょうにいのこりはしまいか
もうはちがつもとうかちかくなった
めいじよんじゅうさんねんはちがつながいかふうのずいしつでなつのまちでした
番組の終わり
おききいただきありがとうございました
おおくりしましたのはかいうんしょうてんでした
このあともえふえむやつがたけでおたのしみください
ほんじつもいいあんばいにすごせますように
またおあいしましょう
14:30

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