なので、不登校っていう言葉もすごく違和感があって、
私たちは物事を見るときに、正しいか正しくないかっていうね、この感覚で見るとわかりやすいので、それで捉えたりしていくことが多いと思うんですけど、
不という漢字、これを投稿につけることで、投稿してないことが良くないこと、問題があるみたいな、そういう感覚になってしまうのかなって感じるんですけど、
この不という漢字を前にね、ラジオでもお話しさせていただいた、不のシャボン玉がいっぱい浮いているイメージが見えますねっていうことを話した回があるので、
その回もぜひ改めて聞き直していただけたらいいなと思うんですけれども、
この足りないっていう感覚、満足でないという感覚、間違っているという感覚、このエネルギーが不というね、シャボン玉が自分の中にいっぱい自分の上にですね、周りに浮かんでいる状態だとですね、
やっぱりその、今自分が見ていること、感じていること、起きている出来事っていうのもね、全部不がつきやすくなるんですよね。
この不のシャボン玉っていうのは別に悪気はないんですけど、自分も別に取り寄せたくてそれを集めているわけではないんだけど、
この不のシャボン玉がたくさん自分の周りに浮いている時っていうのは、自然とそのシャボン玉が起きたことにふっとくっついて、不満足な状態に感じられてしまうんですね。
ですので、まずはですね、ご自身の中ででいいので、自分の世界の中で起きること、起こっていること、感じること、考えることに関して、なんか不がついているものを一回取り払ってみるということをね、やってみてほしいなと思います。
うまくいってないなーっていうこととか、ちょっとここ嫌だなーとか不快だなーって感じるところに、心や思考がくっと行きやすくなったり、欠けているところに目が向きやすくなっている時こそ、不のシャボン玉が自分の周りにいっぱいくっついているのでね、
シャボン玉は針でポッと刺せばすぐ消えてキラキラっと光に戻りますので、それを一つ一つ自分の中にもしかしたらたくさん溜まっているかもしれませんので、やってみてください。
で、これをすることによってどんなことが起きるかというと、おそらくですね、お子様との感覚が一体化している方が多いのかなって思うんですね。
これはお子様に限らずパートナーとかもそうなんですけど、すごく自分と一体化して、特に共感能力が高い人ほどそういう傾向があるのかもしれませんね。
一体化している。一体化することで、もちろん相手の苦しみとか考えていること、感じていることは感じやすくはなるんですが、ただどんな自分で一体化しているのかっていうところが大切なんですね。
例えば、布のシャボン玉をいっぱい付けたまま、例えばお子さんに一体化していると、できていないところ、うまくいっていないところ、どうしようという問題をすごく重く感じてしまうとか、そういったところに目が行ったり心が向いてしまうんですね。
その状態で一体化したとしても、自分自身がわからなくなるだけですね。疲れてしまったり、どうしていいかわからなくなるということが起きてきます。
ここに限らず、人間関係において、パートナーでも子どもでも、もやを感じるときっていうのは、距離感ですね。相手との対象の存在との距離感が近すぎているときです。
この距離感というのは常に状況によって変わっていくものなので、この距離で行けばいいのねっていうものではないんですね。これは友達関係でもそうなんだけど。
なので、どれだけ仲が良かったり愛している大切な存在だとしても、常にぴったりとした距離感、一体感を持って生きるということは、ちょっと難しいんですよね。
最適な距離感を対象の存在と持つこと。これによって、今起きていることの本当のところだったり、メッセージだったり、そういったものが見えやすくなるんですよね。
なので、向き合うって思うと、すごく今の状態だと一体化しすぎちゃって近くなりすぎて、特に何と近いかっていうと、今の状態だとお子さんの本質的な光というよりかは、これは問題なんだっていうこの意識と一体化されている状態なので、
この距離感というところを持つために向き合おうとすると、そこが強くなってしまいますので、一回向き合うのを少し離してみるといいですね。
それが少し対象のものと出来事と距離感を持つということになります。どれくらい離れればいいかということなんですけど、少しずつ対象と自分をイメージなんですけどね、感覚的に離していって、
もやが感じにくいなーって思うぐらいの感覚だったり、その対象の存在や出来事がさっきよりもちょっとよく見えるとかね、愛しく見えるとか感じる、もしくはそんなに問題じゃないように感じる、軽やか、少し軽やかな感じがする、この感覚が最適なその対象との距離感になります。
これを私たちは常に行ったり来たり波の道引きのようにしながら、距離をとりながら生きていくと、お互いに光りあえる、お互いに、何て言うんでしょう、ただ存在するだけでそれぞれが自分らしく生きれるという状態になりやすくなるんです。