Waka no Oto、このラジオは、子供の頃から生き方についてずっと探求してきたWakanaが、皆さんのご相談に対してメッセージを伝えする番組です。
皆さんにとっての、昭和と安心につながる道の一つになりますように。
こんにちは。今日の質問は、マルさんから来ています。
マルさん、ありがとうございます。
では、今日もご相談をシェアしていきたいと思います。
相手に、自分の悲しい思いはあなたのせいだということを言ってしまいます。
例えば、先日あったことですが、相手が自分のことをなかなか覚えてくれなくて、そのことを伝えたら、当然いい顔をしません。
自分も言ってから気づいて、ああ、また言ってしまったと後悔します。
気づいているだけでもマシなのですが、自分の中の甘えや、自立できていないなぁと感じてしまいます。
このように、相手に解決してもらおうという姿勢を直すには、どうしたらよいでしょうか、というご質問でした。
今日もメッセージをお渡ししていきたいと思うんですけれども、
このご相談とご質問、それぞれに実は全然違う回答というか、答えがあるんですが、
今回、まるさんにとってここかなというところをお伝えしていきますね。
まず、相手に解決してもらおうという姿勢を直したいということだったんですけれども、
相手と自分の中にコミュニケーションや関わり合いがあるときに、
常にたった一つ意識しておくといいことというものがあるなぁと感じるんです。
それはね、一言で言うと、ボールは常に私が持っているという意識です。
このボールというのは、何かというお話をしていきたいんですけれども、
野球選手がボールをパーンと投げていく、あのボールをイメージしながら、
あのボールというのは自分の思いであったり、望んでいることや願っていることや求めていること、
あとは期待であったり、時に感情的なところで言うと怒りとか、分かってほしいみたいなこの感覚であったり、
こういった思いや、あとはその時の自分の体や心の状態、エネルギーの状態とでも言いますかね、
そういった大きさ、深さとかね、意識とか、行動もそうなんですけど、
そういったものをね、一つボールに見立ててイメージしていただけたらなというふうに思うんですね。
どうしてもコミュニケーションというと、自分と相手がいて、分かりやすくね、相手の反応で受け取るということが分かりやすいのでね、
私たちは相手の反応や行動を見て、自分が投げたボールがどのようなものだったかというものを受け取っていくわけなんですね。
けれども、いつの間にか一番見やすく体感しやすい相手の反応や行動、そっちばかりを見てしまって、自分が投げたボールっていうものに意識がいかなくなってしまうんですよね。
そうするとね、本当に相手の反応次第で、自分自身の感情やあり方や行動が評価されたりとかね、ジャッジされていくような、そんな気持ちになっていきがちなのかなというふうに思います。
そうすると、なんかこうね、相手の行動次第で、行為次第で、自分自身が喜んだりするときはいいけど、そうじゃないときは、なんでそんなことするのっていう、あなたがそういうね、行為や言葉を投げかけなければ、私はこんな嫌な思いしないのに、傷つかないのにという思いが出てきて、
それを相手に問題の解決を預けてしまう。と同時に、自分自身をちょっと責めたりとかね、こんなこと思ってもしょうがないのにとか、こんなふうに感じてしまう自分って本当に小さいなとか、なんかモヤモヤするみたいな感じで、
それに同調している、共感し合う縁がある人たちってすごくつながりが深いのでね、ものすごくそのまま受け取ってくださるので、そのままの同じようなイメージでパンって返してくださるっていうことが起きてきます。
そういう時もね、なおさら分かりやすいと思うので、決して自分を責めるためではなくですね、自分は知らないうちにこういうボールを作って、ボールを発してたんだ、おっとっと危ない危ないっていう感じでですね、またボールに意識を移して、決して自分を責めなくていい。
そのボールを作り直していく、整えていく、磨いていく、ケアしていくということをやっていくといいかなって思います。
あとは、まあご縁がね、そこまでつながっていない人たちとの関わり合いっていうのもあると思うんですね。
何かしらもちろん私たちっていうのは、関わり合いがあるということは、どこかでご縁がつながっている可能性はあるんですが、
ちょっとね、一緒にいるお船が全然違うっていう場合、この船の話はまた改めてしたいと思うんですけども、そういった場合の関わり合いにおいて、ちょっと意識するといいこともお伝えしておくと、
ご縁がある人に比べて共感、同調するというこのパイプが全然ない場合があるので、共振しにくいですね。
なので、例えば自分はすごく気持ちのいいボールをポーンと投げたのに、なんか気持ち悪いボールが返ってきたみたいな、ちょっと不快なボールが返ってきたみたいになることがあり得ます。
厳密に言うと、本当に自分のボールを整えていくと、そういうことは本当になくなっていくんですが、ただそこに行くまでにちょっといろんな調整がもちろんあるのでね、ご縁の中でも。
なので、そういう時は、なんか全然自分がいいボールをあげたのに、相手からこんなボール返ってきたということも起こり得るんですね。
これは調整プロセスの本当に一つなんですけど、そういう場合があると知っておくことは大切だと思います。
なので、そういう時はね、やっぱり相手の反応だけで全てを判断していくということは、ある意味ちょっと危険な部分もあるんですよね、そういう時って。
特にね、やっぱり真面目な方だったり、優しい方だったりすると、自分を責めてしまったりとか、自分で自分を傷つけてしまったりするからね、自分のこの生きる力さえも自分で奪ってしまうような、そういうことになりかねないんです。
私とか結構そういうことがあったんです。私が別に優しい人間とか、そういうことを言いたいんじゃなくて、結構生き方に関しては、まあまあ真っ直ぐ真摯に、いろいろ知りたかったということもあって、
一つ一つ真面目すぎるぐらい真面目に受け止めてきていたので、よくね、そんなことで傷つかなくていいことで、自分を相当傷つけていた時期があったので言えることなんですけど、
なので、相手の反応はもうコントロールできないし、誤言がある方に関してはね、自分のボールがそのまま帰ってくるから見やすいし扱いやすいと思うんだけど、そうじゃないこともあるから、
あまりそこは気にしすぎず帰ってきたボールが、もしもね、とても不快なものであって、でも自分自身は何も悪くないな、自分はでも結構いい状態だなという時は、その帰ってきたボールをね、見て今の自分を判断しすぎなくていいんですね。
あ、ちょっと嫌だったから、ちょっと場所変えようみたいな感じで、投げる場所を自分で移動していいんです。そこにずっといなくていいし、相手とずっとキャッチボールをしなくてもいいし、これも全部自分で選べることなので、それもね、知っておくと少しは楽になるのかなというふうに感じます。