お土産の選び方から見える心情
みなさん、おはようございます。きなこです。
今日は、鹿児島旅行に行った時の、お土産の選び方から見えてくる、
生きづらさの差、みたいなものについて、お話ししていきたいなと思います。
みなさん、お土産を買う時って、どんな気持ちで買われますでしょうか?
私はですね、喜びのシェアというものが、お土産を買う時の気持ちの根底にありまして、
ご当地でしか買えないものとか、ご当地でしか味わえないものっていうものを、
お世話になっている方にお渡しをしてね。
それをね、例えばご当地限定のお菓子とかをね、食べながらお話をね、
職場だったらそういう雑談をしたりだとか、なんせよそのシェアっていうものが根底にあるんですけど、
その一方でね、なんやかんやで義務感っていうものがあって、
まあとりあえず買っとかないとなー、みたいな気持ちで買う方もいらっしゃるんじゃないかなと思います。
これね、どっちが良くて、どっちが悪いとか、そういうことではなくて、
私が見方、物の見方を、行きやすさっていうものに焦点のフォーカスを置いたときに、
お土産の選び方一つにしても、結構物の見方って、その人の世界観って見えてくるんじゃないかなっていうのが、
今回感じた一見なんですね。
選ぶ楽しみと義務感の対比
で、まず、私がね、この間鹿児島に行ったときに、
お土産を選ぶ日っていうのを一日設定してたので、鹿児島中央駅っていうところがあって、
そこはね、新幹線の終点もあってね、めちゃくちゃ大きい駅なんですよ。
本当にもうターミナルステーションみたいな感じで、めちゃくちゃ都会なんですけど、
そこに大きなお土産売り場があるんですね。で、もうワクワクしながらね、選ぶんですけど、
そう、ワクワクっていう気持ちが根底にあります。
で、私はご近所さんと、あと今ね、勤めてる薬局の皆さんにお土産を選んでたんですけど、
大好きなお土産があるんですよ。鹿児島に来たらこれっていうものがあって、
3つあるんですけど、それがカスタードンっていう、蒸気屋っていう鹿児島にね、
本店というか拠点を置くお菓子屋さんのカスタードが中に入ったふわっとしたね、
なんて言ったらいいんだろうね、あれ。ちょっとなんかカスタードケーキみたいなやつが、
一口サイズのがあるんですけど、それがすごく美味しくて。
で、そのカスタードンと、あとはフェスティバロっていう、
さつまいもスイーツ、冷凍のものがあって、
これはね、最近東京とか京都とか大阪にもね、出展はされてますが、
改めて、私はこれが本当に大好きなので、このフェスティバロと、
あとは別のね、これはスーパーマーケットで買ったんですけど、
鹿児島のいぶすきにね、とうせんきょうっていう流しそうめんが有名な場所があってね、
めっちゃマイナスイオンをぶわーっと浴びながら食べる流しそうめんの場所があって、
めちゃくちゃここ整うんですよ。すごい気持ちよくて。
で、ここのとうせんきょうのめんつゆがすっごく美味しいんですよね。
これもね、最近うちの近所のロピアとかでも、
バイヤーさんが買うようになってきたのか、出回るようになったんですけど、
ちょっとやっぱ高いのよね。
っていうので、このとうせんきょうのめんつゆ。
うちの近所ではまだまだ認知度は低いので、
ぜひね、子どもたちと一緒に味わってもらいたいなと思って、
そういうのをワクワクしながら選んでました。
誰かにね、大好きな方にプレゼントを選ぶようなワクワク感を持って選んでたんですが、
一方で、私の隣でものすごくみけんにしわ寄せて、
プレゼントを選ぶ人がいるんですよ。
それが私の母なんですけど、
ひとりごとのようにね、
買わなあかん、買わなあかんって言ってね、
なんかすごい焦りのオーラみたいなものを感じるわけですよ。
で、ご近所さんげんに買わなあかんくて、
何々さんと何々さんと何々さんにも買わなあかんやろ。
ほんで、ってことは何々さんにも買わなあかんくて、
あと私妹がいてるんですけど、
妹に何々ちゃんにこれ頼まれてるからこれも買わなあかんって言って、
なんかこう焦りがある、せかせかしている。
別にお土産を買う時間そのものはたっぷりとってるんですよ。
そんな焦ることもない。
時間的にね、ひっ迫することもないんだけど、
メンタル的な追い込まれ感がすごく伝わってくるわけですよ。
で、こういうコーチングっていう仕事をしていると、
本当にその人の発するエネルギーみたいな、
キーみたいなものを、
その表情からコア色?口調って言ったらいいのかな?から
めちゃくちゃビキビキとその人のエネルギーみたいなものを感じるわけですね。
私別にそういう特別な能力を持ってるわけじゃないんですけど、
やっぱりこれは経験で磨かれてくるもんだなあと思います。
ずっとね、10年間薬剤師という患者さんの言葉の裏を読み取る仕事っていうのをしてきたっていうのもあってだと思うんですけど、
何をそんな辛そうに選ぶ必要があるんだろうって思ってて。
で、確かにそのお土産を選ぶときに、
やっぱり多少の義務感っていうのは、
社会通年上ね、あるのはあるかもしれないけど、
でもどうせ選ぶならね、楽しく選んだらいいのに。
でね、私そのご近所三元って母が言うけど、私のもともと実家なわけですから、
そのご近所三元の方めちゃくちゃいい人なんですよ。
で、うちの実家のご近所関係、うちの今住んでるとこもそうやけど、
あの子立なんですよね。で、子立って言うとさ、ちょっとご近所ガチャとかよく言ったりするけど、
それで言うと私本当に恵まれてて、あの私の大阪の実家もやし、今の京都のところもなんですけど、
あのご近所ガチャで言うと大変恵まれてて、みんないい人ばっかり。
変にね、こう探るような、詮索するようなこともないし、
でもなんかあったらいつでも助けるよぐらいの、ちょうどいいこの令和の距離感の
醤油とかしっかりができるぐらいの感覚がすっごくね、いい人たちばっかりなんですよ。
なんかこう、友達が遊びに来た時とか、駐車場が足りなくなって、
で、うちの駐車場空いてるから止めよ、ぐらいのが普通にできるような感覚なんですよ。
だからといって、この間やったったよな、みたいな、いうような人でもないから、
私もずっとそこに20年以上住んでたからわかるんですけど、
なんかその、これを買わんとあかんみたいな、見切りにしを寄せて買う必要がない人たち。
だから、まあ私の分析ではあるんですけど、これはご近所さんがそうさせてるというよりも、
うちの母がそのお土産に対する価値観というものを、どこか義務感を持って、
なんて言ったらいいんかな、選んでるっていうのが、から来てるんじゃないかなっていう風に推察されたんですね。
心のあり方が影響するお土産選び
そう。で、うちの母は確かに昔からね、ちょっとこう、義務感、何々しなければっていう思いが強かったり、
あとは必要以上に他人の目線を気にして、で、自分をちょっとね、生きづらくする傾向があるような方だったんですよね。
で、これね、その人だけが生きづらいっていうだけじゃなくて、そのお土産、ただのお土産だけじゃなくてね、
結構これ、ブーメランになって自分に帰ってくるなーって、そういえばあってね、
昨日、洗濯物たたんでてね、振り返って気づいたことがあって、
そのね、うちの母はお土産を選ぶ時に、買わなあかん、買わなあかん、出かけたからには買わなあかんっていう思いで、
お土産を買ってるじゃないですか。
だからその母の中で、お土産っていうものイコール、出かけたからには買わなあかんものっていう固定観念がバキバキにもう出来上がっているわけなんですよ。
だからこそね、その価値観を無意識の中で自分にとって親しい間柄、つまり子供、私ですよね、たちに対して、
出かけたからには私にも当然お土産はあってしかるべきですよねっていう、
そういうパッシブ、オーラっていうのがめちゃくちゃ毎回来るんですよ。
具体的な例で言うと、結婚したての時とかも、私と旦那さんがね、どっか京都とかにお出かけに行きましたと。
言うても旅行とか言うほどでもなくて、うちの住んでる家から京都って50キロぐらいかな、電車で1時間半ぐらいかけて、
ちょっと遊びに行って帰ってきたよぐらいの、東京都内に住んでる方だったら渋谷行ってきたよぐらいの感覚ですよね。
で、話の綾でね、後日この間行ってきてなんか面白かったわみたいな話をした時に、
で、私に、お母さんに何もないの?みたいなことを言われて、え?って思ったことがあったんですよ。
いや、もちろんね、北海道行ったとかね、それでついでやしかおうかなぐらいのはあるけど、
でもここで、その時私はもうすでにコーチングを受けてね、自分が整った後だったので、
なんつーのかな、お土産を買う行為っていうものも自分軸になってたから、自分が買いたきゃ買えばいいし、
で、別に頭にね、あいつには渡したくねー!みたいな思いじゃなくてですよ。別に買わなくていいんだったらそれでいいんじゃない?って。
大事なのは、これを買わなかったらある人に何か言われるかな?みたいな概念がもう私のお店の中には一切なかったわけですよ。
で、久々に思い出して、それをね、あーそういえばこの人こういう人やったなーって思って、そう。
で、そういえば昔の私って、どっか出かける度に必ず母にお膳立てをするように何か買ってたんですよ。
買わないで怒られるからね。で、小さな子供にとって、お母さんの機嫌を取ることって、結構こう生命線にも繋がったりすると思うのね。
その、親に世話をされなくなったら、生存的に危機を感じるじゃないですか。
だから私も結構そういうバキバキの母の元で育ったので、母親の機嫌を絶対に損ねてはいけないっていうDNAにすり込まれた状態で育ってきたんですけど、
そこがコーチングでね、ガラッと変わって、別にやりたきゃいいし、やりたくなきゃいいんじゃない?っていう感覚に180度変わった後にそれを見て、
あーって、なるほどお土産。そういえばこの人お土産選ぶ時もしんどそうだったなって、なんか全てがね、この間繋がった感覚がしたんですよ。
で、あーこの人まだちょっと生きづらそうやなーって思ったんです。で、別にそれがあかんことっていうふうには言うつもりはないし、
お前は、こう例えばなんていうの、人としてね、その上下があって優劣があってそいつを見ているっていうわけではないんですが、ただ一つ間違いないのはめちゃくちゃ生きづらそうなんですよね。
そう、なんかやっぱり久しぶりに会うたびに、こうね、聞くことっていうのは世の中で起きていることの不平不満だったり愚痴だったりっていう、そこからどうするかっていう、
自分塾ではなく主体制で結構多席が大きい方なので、ただただ生きづらそうだなーっていうのを見ててすごく感じて、それがお土産の選び方一つにしてもすごく見させられた、見せつけられたというか、
これだけたったしょうもないことかもしれへんけど、それ一つにとっても、だってね、自分がお土産を買うときにつらい思いをして買う。せっかくだったらお金払ってお土産買うわけやから、気持ちがいい方がいいに決まってると私は思うんですけどね。
そう、だけどそこにも何か苦しみの感情が乗っかって、その上で義務感でお土産を配る。
で、うちの母はね、そういえば、これ喋ってて思い出したんですけど、逆にそのとあるときにね、そのご近所さんがどうやらディズニーランドに行ってきた様子だと。
お土産の選び方と義務感
お子さんがほら、ちょっとディズニーの服とか着てたらわかるじゃないですか。
で、「ディズニー行ってきてー!」みたいなこと言ったら、「あー良かったな、楽しかったねー!」みたいなことを私は言うんですけど、うちの母が何回かぼやいたことがあるんですよ。
この間お土産、うちは渡したのに、あの人はお土産一つも買ってこなかったって言ったことがあって。
で、そのときもちょっとね、そのときはコーチング受ける前でしたけど、それでもちょっと、「え?」って思ったのは覚えてるんです。
そう、これをね、どう感じるかは人によって違います。
だけど、どこか出かけたからには、お土産は買わなければいけないっていう義務感を持って生きていると、そこに何て言うのかな。
退化、リターンを求めて、見返りを求めて、相手に期待をする。相手に見返りという期待が根底にあった行動に出る。
で、これって結局見返りがあるかないかなんて、相手のバトン、相手の主体になるわけですから、そこに自分の期限を、自分の期限というものの責任を相手に委ねちゃっている生き方になってるんですよね。
これは生きづらいやろうなーって思いました。
だから、せっかくだったらね、例えば私の場合だったら、お土産を買うときっていうのは基本的に根底が喜びのシェアなので、
私としては、相手からお土産が返ってこようが返ってこなかろうが関係ないんですよ。
それよりも、シェアしたい。以上なので、その時点で私の欲求というのは満たされているわけです。
どうせだったら、この現地でしか食べられないもののおいしさが喜びをぜひ味わっていただきたい。
どうせお土産を選ぶなら、そっちの感情で選ぶ方が喜びのシェアっていう、そこに負の感情が乗っかってないので、
お互い気持ちいいんじゃないかなと私は考えるんですよね。
だから、この間もご近所さんにお土産配ったけど、いつもありがとうございますみたいなこと言うけど、
別にそこで相手が、今年は旅行に行ってるだ、行ってないだとか、全然詮索もしないし。
そこに対しては、いい意味で興味がないし。
ただ、行ってきたんで、この楽しみをよかったら一緒にシェアしませんか?ぐらいの感覚。
よかったよ、ありがとうって言われたら、よかったシェアしてっていう、そこで終了なんですよね。
そこから先っていうものがないんですよ。
だから、お土産の選び方一つにしても、相手に見返りという期待を求めて生き方をすると、
ああ、極論こういうところまで来るのかもしれないな。
もちろんね、職場とか長期休暇をいただいて、買わなあかんなあっていうのはあると思うんですけど、
それはそれで一つ義務を果たしたということで、自分に完了っていうマークを押せばいいと思うんですよね。
だから、ご近所さんとかね、いろんな関係あると思うけど、自分の中で見返りっていうものをどんどんどんどん膨らまして生きると、
やっぱりこれはね、生きづらさしかないなっていうのを思いました。
親子関係と感情の選択
なので、今回の旅っていうのはね、いろいろ見えたんですよ。
長いこと1週間近く、私の実家の母と過ごしたわけですけれども、
コーチング受けてね、親子の関係っていうのもだいぶ良くはなってきた。
分離できるように、私は私、あなたはあなたっていう、いい意味で分離をできるようになってきたんですけど、
やっぱり、母を見てたらまだまだ生きづらそうやなあっていうのがいろいろ見えてきたので、
今後はね、またこのラジオとか、ノートとかブログとかで、
この生きやすさっていうのをどういうふうに捉えていくかっていう話をね、
この鹿児島の旅からいろいろ見えてきたものを皆さんにもシェアしていきたいなと思います。
どういうふうにね、価値観を作って、どういうふうに生きるかっていうのは本来自由ですから、
わざわざストレス生まなくてもいいんじゃないっていうようなことですね。
なので私はこれからもね、せっかくだったら喜びのシェアっていう方に軸足を置いて、
そっちを大切に生きていきたいなあって、そっちを選ぶ。
どの感情も自分で選べるので、アドラーもおっしゃいますよね。
自分が選んでる。何々にさせられてるじゃなくて、自分が結果としてその感情を選んでるので、
私もこれからも自分にとって心地のいい方を選んで、生き続けたいなあって思った次第でございました。
長々と最後まで聞いてもらってありがとうございました。
皆さんはいかがですか?
こういうお土産エピソードでもいいですし、
この話を聞いて思い当たることとか、
見返りの期待でしんどくなったこと、もしくはそれを言われて、
なんかえーって思ったこととか、いろいろあると思います。
いろいろあるけど、どんな感情を選ぶのもあなた次第ですから、
あなたが自由に選んでいいんだよっていうことをね、
今日は伝えたくてこのラジオを撮りました。
ぜひ、今日から軽やかに生きる準備っていうのは今すぐ始められるので、
大事なとこで噛んだ。
ぜひね、軽やかに生きていけたらなあと思います。
ではでは、最後まで聞いてもらってありがとうございました。
さて、マケトークですね、ここからは。
昨日ですね、キョノタミのコーチ3人で、
キョノタミラジオの収録、
この放送を撮っている日の前日ですね、に収録をしました。
いやー楽しかったなあ。
あの収録時間自体は、
オフレコの時間を含めて何時間くらいかね、
2時間近く喋った。
2時間強喋ったんですけど、
収録時間はね、多分40分くらいになるかなと思います。
この後編集しようかなと思ってるんですけど、
いやーやっぱりこう、
同じ価値観の方と話をするとね、
めちゃくちゃ整いますね。
今回のテーマっていうのがね、
それぞれの好きを語るっていうので、
フェチをね、語るっていうテーマだったんですけど、
私はね、そんなにフェチに関しては浅い方かなと思ってたんですけど、
残りのコーチの2人にね、
いや、全然もう十分っすって言われたので、
私も今日からね、堂々とそういうフェチズムを持っている人間という胸を張って生きていこうかなと思います。
何のフェチかというと腕ですね。
腕のしなやかさとかがね、
すごく素敵やなーって思うタイプなんですよ。
私、多分今日の午後にピアノのレッスンが入るかなと思うんですけど、
そのピアノの先生の腕が大好きで、
レッスンしろよって感じなんですけど、腕が素敵すぎて、
たまにレッスンが入ってこない。
めちゃくちゃかっこいいんですよね。
っていうようなことをラジオで喋ってますので、
またそちらの放送も楽しみにされていてください。
ではでは、木田子でした。またねー。