藤本さきこの体験
こんにちは、ドキンちゃんです。ドキンちゃんのお金と豊かさ研究室へようこそ!
今日はね、ちょっと大きな学びがあったので、それを皆さんにシェアする回にしたいと思います。
タイトルは、藤本さきこさんの在り方にふれて、自分に絶望した話、というタイトルでございます。
藤本さきこさんという方がいらっしゃって、美人な億女の方なんですけれども、その方のメンバーシップに入っているんです、インスタグラムのね。
毎月メンバーシップ限定のライブとかを聞いたりしてるんですけれども、
そのライブをね、今日聞いてて、なんか
すっごいわかるなっていうことがあったんですよ。
で、今から話す話は何かというと、
世の中で人生を生きていると、いろんな愛入れない人というか、自分とはちょっと違うなっていう人とか、
一緒にいて、なんか不快になるんだよなっていう人とか、そういう人いると思うんですけれども、
そういう人たちに出会った時に、どのように考えて生きていくかっていうところの視点の話がね、非常に参考になると思うので、もしよかったら最後まで聞いていってください。
はい、でね、そうそう、ここから本題です。さきこさんがね、何を話してたかっていうと、
お母さんの話をしてたんですね。
お母さんに対してものすごくムカついたっていうノートをね、メンバーシップの皆さんに見せていただいて、
お母さんにこんなにムカつくことがあったんですっていう話をしてみえました。
どんな内容かというと、お母さんのやりたいって言ってたことを、さきこさん今たくさんお金があって、お金自由に使えるようになった今、
お母さんのやりたいって言ってたことを、どんどん叶えてあげられるようになったんですって。
例えば、何かどこどこに行ってみたいとか、オーケストラの大工の演奏を生で聞きたいとか、そういうことを昔お母さんがそういえば言ってたなと思って、
連れてってあげるらしいんですよ。
なんだけど、いざ連れて行くと、お母さんが、いやいや私そんなことやりたいって言ってないよってね、ちょっと可愛気のない反応をしてくるらしいんですよ。
いや私そんなどこどこ行きたいなんて言ってない。オーケストラの大工なんてそんな私は言ってない。あなたが連れてきたくて勝手に私をここに行こうって誘ったんだ。
あなたがそうしたくてしたんだって。私がそのようなことを言ったからっていうことが、その出発点じゃないよみたいな感じのことをね。
そういうちょっと、可愛気がない反応をね、されるらしいんですよ。素直にありがとうって言っときゃいいのにね。
なんか人間らしくてね、可愛いですよね。お母さんね。
反応への思索
わかるなーって思いながら聞いてました。相手の反応が自分が思ったことじゃない斜め上からの反応が返ってくると、結構なんか驚いちゃうことってあるじゃないですか。
喜んでほしかったのに、なんかそういう受け取り方しちゃうんだっていう風にね、単純にびっくりしちゃうってことってあると思うんですよね。
そういう時って皆さんどう思います?って思いながら聞いてくださいね。
でね、もう一つ言ってたのが、その豪華な食事に連れて行っても、豪華な食事をして、高級なホテルのシャブシャブをね、みんなで食べてるときに、
そんな素晴らしい空間にいても、お母さんって昔の貧乏話とかを延々してるらしいんですよ。
なんか昔貧乏でこういう時にすごく苦労してとか、こんな親戚がいて腹立つわとか、なんかそういうなんかしみったれた話を高級ホテルでしてくるのが、
なんかそのそぐわなさっていうのが、すごくなんかもうイラッとするみたいなことを佐紀子さんが言ってたんですよね。
で、なんかその、お母さんにさ、相手の方に喜んでほしくて、楽しんでほしくて、やったのに、もうなんなんこれ、みたいな時ですね。
相手がお母さんじゃなくても誰でもいいんですけど、もうなんなんっていう、せっかく楽しい思いを一緒にしようと思って、
あれこれ考えていたれりつくせりで、この場を用意したのに、なんでそんな受け取り方しちゃうの?ムカつくってなっちゃう時、皆さんどうしますか?
あの、その時に佐紀子さんがおっしゃってたのが、その時はもちろんムカつくんだけれども、なんかノートを書いてて、だんだんと、まあいいかってなってくるらしいんですよね。
それはなぜかというと、ムカつくはムカつくんですよ。目の前で起こっていることはムカつくんだけど、ただ自分はそのお母さんに喜んでほしかったんだよね。
で、そういう観点で考えると、喜んでるじゃんって気づいたらしいんですよね。
それは私の想像していた喜び方とは違う、私の好みのその喜び方じゃないけれども、機器として話している、喜んで話してるじゃん。
しみったれた貧乏話、楽しそうに話してるじゃん。
じゃあいいじゃんってなったらしいんですよね。
わかりやすい、わーありがとう、佐紀子ありがとうって言って喜んでくれたわけではないけれども、それでもなんか楽しそうに昔の貧乏話してシャブシャブ食べて、なんかニコニコ笑ってたじゃんってね。
自分の理想の反応を相手がしなかったとしても、いいじゃん、それも許そうって思えたらしいんですよ。
で、なんかそういう自分の理想の反応を相手がしなかった時に、あーって後悔するような自分じゃなくてよかったって思ったらしいんですよね。
その私の理想の反応を相手がしなかったから、お金もったいなかったじゃん、お金返せとかそういうことを思う自分じゃなくてよかった。
もう二度と連れてかないっていうふうに思う自分じゃなかった。
お金を使えた自分に、そういう人にすらお金を使えた自分にありがとうって思うだけでオッケーって、そういうふうに思ったんだってことを聞かせてもらって。
なんか、いやすっごい胸にグッときたんですよね。
これはそうだよねって、いろんな人が世の中にいるから、もちろんみんながみんな自分の思うような反応ってことはくれないですよ。
ただ、そのお相手のことを大好きだけど相手の反応は嫌いみたいなね、そういう複雑な状況も許していいんだっていうのをね、なんかそういう実体験から教えてもらって、なんかとても良かったですね。
自己反省と気付き
最初に言った絶望した話なんですけど、私はこの藤本咲子さんの話を聞きながら、実は自分にかなり大きな絶望をしました。
それは何でかっていうと、私は自分のお母さんですね、ドキンちゃんのお母さんのこと大好きなんですけど、お母さんと自分が違いすぎて、お母さんのネガティブな気ですね、気持ちだとか、発せられるオーラに引っ張られちゃうから、
ちょっといつも一線、線を置いて対応するようにしてるんですね。
そのうちのお母さんってすごく、前言ったかもしれないけど、ケチなんですよ。
いろんなものに対してこれいくらとか、なんか安い、高いねみたいな感じの反応をいつもしてくるから、それがもう嫌で嫌でしょうがないわけですよ。
私が気持ちよく、これ買ってよかったなって思いながら、身の回りに置いてるものに対しても、こんな高い買い物してとかさ、そういうことを平気で言ってくるような人で、生き様がケチだなっていつも思っていて、そこを私は反面教師にして生きてきた富士があるんですね。
だから感謝はしてるんですよ。
お母さんがそういう人でいてくれたから、自分は逆にケチでないように、ケチでないようにというか、もっと本質的にお金を払うという楽しさを享受しよう。
お金に対して、楽しく付き合えるようにお金のことを学びたいって思えたのって、お母さんのおかげなんですよね。
だからすごく感謝してます。
なんですけど、そのケチな気を浴びるのを、やっぱりなんか許せなくてというか、嫌だったんだよね。
嫌だったから、なんかちょっと一線引いていたり、あとね、すごく急かして、急かしてくる、なんか行き急いでる人でもあるんですよね。
そう、なんか私はマイペースにゆったり生きていきたいんだけど、お母さんってもう全く真逆の人だから、なんか一緒にやるとちょっとだけ疲れちゃう部分もあって、なんか本当に嫌だったんですよね。
そういう急かしてくるのも。
だから昔、私と夫と子供と、あと母と一緒になって、4人で旅行に行ったことがあったんですけど、ケチだし、いろいろ急かしてくるし、早よ早よみたいな感じとか、次の予定は何なの?みたいな感じのことを、もう何かもう何分か起きに聞いてきて、それがね、もうすっごく嫌で、嫌だったんですよね。
だから、もうその母込みでね、家族旅行した時に、その旅行が終わったら、終わった時にね、私言ったんです。本人に。私ね、もう二度とお母さんと一緒に旅行したくないって言ったんですよね。
もうケチくさいし、なんかいろんなことをさ、次はどうするんだ、次はどうするんだって予定ひとまかせにしまくるくせに予定をめっちゃ気にするのも嫌だから、もう二度と一緒に旅行したくないって言っちゃったんですよね。
受け入れることの大切さ
で、そんなことしてる間に、自分の父が要介護状態になって、母もその後、がんが見つかって病気になって、とてもじゃないけどなんか気軽に旅に旅できるような生活じゃなくなっちゃって、結果的に私が願っていた、お母さんと二度と旅行したくないっていうのはかなっちゃってるわけなんですけれども。
なんか、その藤本咲子さんの今回の話を聞いたときに、ああ、よかったじゃんって思ったんですよね。
その、なんていうの、自分の思うような受け取り方を私の母がしてくれなくても、それでも一緒にいてよかったじゃんって思ったんですよね。
まあ、親祖が一緒にいたくなかったら、別に一緒にいなくていいし、一線返してもいいんですけど、
なんというか、それすらもまるっと受け入れることってできたじゃんっていうことですね。
もちろん愛入れないんですよ、私と母は。別に仲悪いわけじゃないんだけど、基本的に人生のスタンスが違うっていうのかな。
だからもちろん愛入れないんだけど、それでも、もう二度と連れてかないとかさ、そんなこと思わなくてよかったかもって思えたんですよね。
相手の反応は、相手に権利があるからさ、自分がしたくてしたことに対して、相手がどんな反応をしたとしても、自分がその人のこと好きだったら、別にそれごと受け入れちゃってもよかったじゃんって思ったんですよね。
だからなんかその闘病生活が終わったら、また一回は旅しようって思いました、母と。またそれでなんかムカつくかもしれないけど、人生においてあと何回一緒に旅ができるかわかんないですから。
ムカつく、きっとムカつく、きっとムカつく未来は見えてるんだけど、それでもそれごとね、まるっと受け入れてみて自分がまたどんな気持ちになるのか感じてみようって思った出来事でした。
そうそう、今日はそんな話。どうでしたか?皆さんの中にも、なんかこの人相入れないなとかいう人いると思うんですよね。そういう人の中で本当にどうでもいい人とか本当に嫌いって人は、もちろん距離を取ったりさ、そもそも付き合わないっていう選択をするっていうこともあると思います。
ただ一方で、大好きだけど嫌いなの、みたいな立ち位置の人っていると思うんですよ。
さきこさんというところの母、青野お母さんですよね。
だからそういう人もいると思うんですけど、そういう人とは、そういう人ですらですよ、そういう人ですら付き合っていける、その関わり方っていうのがあるんだなと思ったので、その学びをシェアさせていただきました。
はい、ちょっとね、話がそんなに綺麗にはまとめられなかったですけど、別に綺麗にまとめるために話してるわけじゃないので、皆さんの心にも何か気づきや学びやそういったものがあると嬉しいです。それでは。