1. 酒の道〜日本酒の聖地から〜
  2. #14-1:醸造試験所ではどんな研..
2025-05-07 27:50

#14-1:醸造試験所ではどんな研修を受けていた?|ゲスト 阿部裕太さん

トークテーマ:醸造試験所ではどんな研修を受けていた? /幼少期は○○のようだった?!

コーナー:クイズ呑呑答えて!

 

ゲスト:阿部裕太さん

阿部酒造6代目蔵元兼製造責任者の阿部裕太さん。新潟県柏崎市出身、1988年のお生まれです。

大学卒業後、2010年に株式会社ぐるなびに入社され、法人営業をご担当されました。その後、2014年に家業の阿部酒造に戻られ、製造責任者として「あべ」ブランドの酒造りを開始。売上を10倍まで成長させました。

また、2014年には滝野川醸造試験所で酒造りの研修を受け、その後酒造りへの知的好奇心が爆発し、蒸溜の技術にも興味を持つようになられました。

ガジェットも大好きで、酒蔵にも新しい技術やサービスを導入し、現場を活性化させることが得意だそうです。

2017年からは酒蔵の立ち上げを目指す若者をサポートしており、卒業生には「Linné」代表 今井翔也さん、「haccoba」代表の佐藤太亮さん、「LIBROM」製造責任者の穴見峻平さん、「弥栄醸造」の坂本一浩さんなどがいらっしゃいます。

2020年には清涼飲料水免許を取得し、2021年からは「酒」と「ノンアルコールドリンク」の両軸で 地域活性化を目指していらっしゃいます。


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サマリー

このエピソードでは、阿部裕太さんが滝野川醸造試験所での酒造り研修や阿部酒造での経験、地域活性化への取り組みについて語ります。また、酒の道の魅力や日本酒業界の現状についても深く掘り下げています。阿部裕太さんは、自身の酒造りの経験やブランド「安倍」のブランディングについても話します。特に、新潟の酒の特徴やマーケティングの重要性が取り上げられ、阿部さんの生い立ちや性格の変化も紹介されます。本エピソードでは、阿部裕太さんが醸造試験場での研修や幼少期の酒造りの環境について語ります。新潟の酒米500万石の特徴についても解説し、その重要性を深堀りしています。

ゲストの紹介と経験
酒の道 日本酒の聖地から
こんにちは、パーソナリティーの平田勝です。この番組はお酒にまつわるゲストをお招きし、お酒の道を歩むストーリー、お酒のあれこれを深掘りしていく番組です。
引酒師を目指す佐紀さんと共にお送りします。佐紀です。よろしくお願いします。 今回もスペシャルなゲストの方なので、トークするのワクワクしています。
本当にワクワクしてるでしょ? もうめっちゃワクワクです。 ということで、ゲストは阿部酒造6代目倉本県製造責任者の阿部裕太さんにお越しいただいております。
本日はどうぞよろしくお願いいたします。 はい、よろしくお願いいたします。 それでは佐紀さん、簡単にゲストのプロフィールのご紹介をお願いいたします。
はい、阿部酒造6代目倉本県製造責任者の阿部裕太さん。
新潟県柏崎市出身。1988年のお生まれです。 大学卒業後、2010年に株式会社グルナビに入社され、法人営業をご担当されました。
その後、2014年に家業の阿部酒造に戻られ、 製造責任者として阿部ブランドの酒造りを開始、売上を10倍まで成長させました。
また、2014年には滝野川醸造試験所で酒造りの研修を受け、 その後酒造りへの知的好奇心が爆発し、上流の技術にも興味を持つようになられました。
ガジェットも大好きで、酒蔵にも新しい技術やサービスを導入し、 現場を活性化させることが得意だそうです。
2017年からは酒蔵の立ち上げを目指す若者をサポートしており、 卒業生にはリンネ代表今井翔也さん、発酵場代表佐藤大輔さん、
リブロム製造責任者の阿波旬平さん、 岩坂醸造の坂本和弘さんなどがいらっしゃいます。
2020年には清涼飲料水免許を取得し、 2021年からは酒とノンアルコールドリンクの両軸で地域活性化を目指していらっしゃいます。
ということで新潟県柏崎市の阿部酒造6代目倉本県製造責任者の阿部優太さんにお越しいただいております。
滝野川醸造試験所での研修
まず酒の道ラジオにご出演くださった経緯をちょっと佐紀さんからお伺いできますでしょうか。
以前阿部優太さんと河野亜紀さんの公開収録ラジオがあったんですね。日比谷オクロ寺でしたっけ?
そうです。
そこに見に行った時にご挨拶をさせていただきまして、それがきっかけで本日お越しいただいております。
本当にありがとうございます。大丈夫ですか?失礼なかったですか初めの時?
いや全く。
本当にドキドキしすぎて、倉本さんとか好きすぎると前のめりになる佐紀さんなので。
全く問題なく。
それが逆にいろんな方のご紹介というかここに来ていただくきっかけになっておりますので、
日本酒業界の方は是非とも酒の道の佐紀を見かけても怖がらずに受け入れていただけるとありがたいと思っておりますが。
お願いします。
先ほどもちょっと控室でお話ししてたんですけど、前回4月にご出演いただいているデュケット智美さんともお知らえということで、
デュケットさん4月に醸造免許はきちっと下りたようで。
そうですね。ちょうどフェイスブックが上げられてましたね。
ちょうど上がってましたよね。
上がってました。
女性でお酒の免許を取るっていうのは初じゃないかっていうコメントもあったようで、
その他の醸造、やっぱりその青春免許というのはなかなか下りないんだけど、そこからいろいろ工夫して、
以前出てきた杉玉さんのリブロンさんみたいな感じで、クラフト酒の形でどんどん進めていければっていう話もしてましたけれども。
そうですね。新規で下りるのはその他の醸造酒だとか雑酒とか、青春は下りないので。
ですよね。
MAするしか方法がないので、山の中で立ち上げたと思いますよ。
ですよね。
はい。
そのあたりの話もちょっと私たちがわからない。
僕は一番最後に美味しく飲んでもらうっていう仕事をしてますけど、作るってことはほとんどやったことないので、
そういったこともいろいろとお伺いできればと思うんですけれども、
我々の酒の道として聞き逃せないワードが先ほど出てきまして、
滝野川の醸造酒園場で酒作りの研修をなさってた2014年、最後の方ですよね。
そうです。第48回生でして、一番最後です。本当に一番最後。
本当に最後。ギリギリ。
もうこれが最後で。
翌年から広島に。
その通りです。
最後の。
最後です。
実はあそこで研修された方の、1900年代に研修されたって方のお話は聞いたことあるんですけど、
逆に直近ギリギリの同世代の方にお話、実は聞いたことなくてですね。
はいはいはい。
僕もあそこ何度も入って、去年も観光ツアーみたいなアテンダントしたりも。
はいはい。今そうなってるみたいですね。
もう少しさせていただいてて、入り口というか、門から入ってすぐのお部屋が会議室みたいになってて、
ボイラー室ですよ昔はねあそこが。
その当時もボイラー室であそこを使ってたんですかね。
そうです。
じゃあ全部機械あそこにあった。
そのまんまでした。
なんかあのちょっと前に赤レンガ倉庫の写真が何かのイベントで上がってたんですけど、
もうまんまでした。
で入って、そのイベントの前にちょっと整理というか、
はい。
入ったら逆にそのまんまになってて、
結構機材も、言い方難しいんですけど、
これをどこに動かしていいかわからないぐらい研修してたんだなっていう残りがいっぱいあって、
今だいぶツアーしても見れるような形にはなってるんですよ。
そうなんですね。
この10年本当に活用利活用がみんなが迷ってたんだなみたいな。
帰宅観光協会がどういうかあそこを使えるようにということで、
はいはいはい。
いろいろと帰宅さんだったり醸造協会さんだったり、
委員会課長だったりと今いろいろと組んでやってるんですけど、
はいはい。
あそこで一通りお酒作ってたわけですよね。
そうです。
初心者コースっていうのがあって、6週間かな。
6週間、1ヶ月半ぐらい。
はい。
座学とあとは酒作りの工程一通りを、実習ですよね。
はい。
を含めて4人1組のチームで16人でやってましたね。
へー。
まあ1ヶ月半ぐらいだとちょうどお酒ができるっていう期間ってことですよね。
なんか後から振り返るとすごいぐちゃぐちゃな順でやってました。
あ、そうですか。
はい。
だからギリギリ醸造とか火入れとかまでしようとすると間に合わないですよ。
まあそうですよね。
はい。
なので行って、デイワンで急に元が徹底的な、主母ですね。
はい、わかりました。
スターターの仕込みをやって。
初日に?
そうです。
で、その後に米工事作ったりとかしてたんで。
あ、順番ぐちゃぐちゃなんだ。
はい。それだけです。
そこだけちょっと順不動になっていて、
これ毎年滝野川の研修所でやるときに同じらしいんですけど、
はい。
前回の僕ら第48回戦ですけど、
その1個前に47回戦の人たちが作った工事を使って、
その次のターンの人たちは元立てをするっていう流れなんですよ。
で、僕たちは工事を作るんですけど、
それを使ってくる人もいないんですけど。
それを広島に行ったかもしれないけど。
まあその可能性はあります。
はい。
へえ、初めて聞きました。
はい。
で、そっからは工程としては一緒ってことですよね?
同じです。大体そうですね。
主簿を作ったと並行して、
申込みもやって、
主簿は主簿で確かね、やってた気がするんじゃなかったな。
僕もあんまり覚えてないですけど。
まあ10年も前ですからね。
はい。
でも一通り酒造りの廊下とか火入れとか、
まあ主簿りも含め、
全工程をちゃんと実技でやるっていう風にやってました。
日本酒と地域活性化
そうですよね。2階に持って行ったやつですもんね。
そうですそうです。
真ん中の部屋。
懐かしいな。そうですそうです。
え、それってどういう方が先生なんですか?
めちゃめちゃいい質問ですね。
先生は国勢の人たちの主類指導官っていう立場の人たちがいらっしゃるので、
その方が来るんですけど、どう選ばれてたかわかんないです。
ただね、蔵の関係者も先生のサポートみたいな形で、
確かね滝野川の研修生の卒業生がサポートで入るっていうような感じでやってた気がします。
そうなんですね。
はい。
すごい。
研修生はどう世代でしたか?20代の。
僕らの48回生は割と世代が近い人が多くてですね。
本当に蔵本を継ぐような方とか。
そうなんですそうなんです。蔵本の推薦状がいるんですよ。
行くのに。
その時点でめちゃめちゃ門が狭いじゃないですか。
そうですね。
なんで酒が好きすぎて酒作りたいんです。
じゃあそのロジックを知りたいんですって言って門を叩いても受け入れられないんですよ。
あそこには。
じゃあ東能大醸造学科より門狭いってことですよね。
その通りですその通りです。
ある意味そういうことですね。
蔵の従業員か将来継ぐ予定のご子息さんだったりかなんですよ行けるのか。
蔵関係者じゃないと。
そうです。
直系じゃなくてそこの蔵のスタッフだったらもちろん来れるんですけど。
なので僕らの大は16人いたうち直系の蔵の息子になる人は4人か5人ぐらい。
4、5人いて残りの10人ちょっとは。
スタッフの方。
入社したての方とか。
ある程度歴がある人が来てました。
それでも。
今後製造責任者になるような人。
その通りですその通りです。
なるほど。
あれ似てますね新潟青春学校みたいな。
よくご存知です。
なんでそんなの知ってるんですか。
すごいですね。
もう日本商卓なんで。
5月もいい回になりそうですね。
ということでお話を進めさせていただければと思うんですけれども。
これちょっといろいろと資料を読ませていただくと。
特夏の島のハワイで日本酒を醸すアイランダ酒ブルーワリー登場の高橋千明さんにもいろいろと教わった時期があると。
ハワイでも日本酒作ってるんですか。
そうなんです。
僕はもう高橋先生って読むんですけど先生だったので。
本当にその時は滝野川の醸造試験所の先生として。
いらしたんだ。
そうなんです。
役割というか役職というか仕事内容が今とは全然違って。
要は国勢の人だったんですよ。
でも先生がどうしても酒作りしたいっていうので。
ワインを確か作りたかったんじゃなかったかな当時。
ワインも確か作られてるんですけど。
そっから気づいたらハワイで日本酒作ってて。
高橋先生じゃんと思って。
やめて。
ハワイ行ったんだと思って。
飲んでみたいけどどこで飲めんだろう。
これは私も初めて飲んだのは2月くらいにあったプレミアムワッシュフェスで出展されてて飲んだんですけど。
ワッシュフェスね。
今年のですか。
今年のです。
高橋先生来てたんですか。
私午前の部で行っちゃって午後の部にはいらしてたみたいなんですけど。
そうですか。
間接的にお名刺は渡させていただいて。
間接的に渡す。
酒とその特徴
アイランダ酒ブリュワリーさんのお酒は日本では買うことができなくて。
ハワイから輸入しないと買えないらしいんですよ。
買うにも確か何か会員登録か何かしないと買えないみたい。
一般の消費者は会員登録すれば買うことができる。
そうですね。みたいな説明を受けた気がしますね。
すっごい美味しかったです。
クラフトフルーツの香りがふわーってする日本酒でめちゃくちゃ美味しかったです。
クラフト酒的に仕上げてるのかな。
割と確か先生の作るお酒は間違ってたら申し訳ないなって思うんですけど。
確かカプロン酸エチルをしっかり感じるタイプのフルーティーなタイプを作ってた気がします。
18号系というか。
全然話が進まなくてですね。
安倍首相さんのこと聞かなきゃいけないんで。
先行っちゃいます本当に。
平仮名で安倍というですね。
このシリーズがとても僕も飲ませていただいて。
ありがとうございます。
香りもよく味わいもあってですね。
逆に新潟っぽくないというか。
新潟の酒ってスッキリ系なんでしょみたいな。
ブランド安倍の誕生
店で言ってもそんなことないよと。
だから新潟って端っこから端っこで東京から名古屋くらい遠いわけで。
気候も風土も全然違うし。
僕もこういう話するときにこのラジオでも何回も喋ってるんですけれども。
今日本集長1200社くらいあって。
実稼働が800から900って言われてる中で。
そんだけ会社数あれば各会社のコンセプト違うじゃん。
だから車だって本当はトヨタ日産って全然会社のコンセプト違うんだから。
そういうもんだよって言うと納得してくれるみたいな。
そういう感じですよね本当に。
でこの安倍っていうご自身のお名字を半分にしたブランディングをしようと思ったきっかけだとか。
コンセプトなどもお伺いできればと思うんですけどいかがでしょう。
ありがとうございます。
もともとこのブランドを作ったきっかけは
宇宙の蔵の地元ブランドがコシの男山っていう名前なんですよ。
エチゴの男山って言いますよ。
それって両方どこにでもあるような名前を組み合わせたブランドになってるじゃないですか。
そうですね。
そうすると変わり映えしないんですよ。
そうですね。
僕が家業を戻って自分のブランドを作る前に
自分の父親が作ってた酒を営業してたことがあって東京に。
で、グルナビーっていう会社に勤めてたんですけど
飲食店さんとパイプあったんで営業しても酒屋さんに営業しても
どこにでもある名前だから全然インパクトないし
テイスティングすらされなかったんですよ。
飲んでおいしくないって言われるんだったら納得がいくんですけど
飲む前なんですよ。
ラベルとかも昔のオーセンティックな。
ただラベルはその時はまだいいんですけど
名前ですね。名前だけも本当に。
コシの男山。
はい。だから散々いろんなこと言われましたね。
まずなんかリキュール作って利益出して儲かったら酒作って
そしたら持ってきてとか
この名前じゃあ全然東京市場狙えないから
名前考えるところから始めたらとか
いろいろ言われて
名前は大事だなと思ったんですよ。
で、日本酒って漢字の名前も多いじゃないですか。
そうですね。
そうすると日本酒飲みに行っても知ってる銘柄頼みますけど
知らないと読めないから頼まないですよ。
なので誰でも読める。
ひらがなかカタカナにまず名前をしようっていうのと
いろいろコンセプト考えてたりしてたんですけど
もう真逆言っちゃったんですよね。
コシの男山って分かりづらいから
真逆の一番分かりやすくしようと。
じゃあ安倍さんが作ってるんだから
安倍でいいわっていうぐらいの感じです。
最高です。
あと正面にこれ純米銀条とか書いてないのが
逆にいいなって僕実は思ってて。
ありがとうございます。
この名前ですけどうちのお店にテレビの取材が来て
滝田カリンさんとか来てくれて
どこどこの純米銀条の
ムロカの生原子のなんちゃらと米使ったって言ったら
なんかもう呪文みたいって言われて
何が何だか分かんないって言われて。
取説なんですよね。
そう。
だから取説はここでいいわけですよね。横で。
分かりやすいって。
それで取ってもらって
ある種の僕らの学生時代のCDのジャケ買いじゃないけど
相当大事ですもんね。
そうですね。
あとは僕自身が酒作りの経験をしてなかったのもあって
東北、新潟もそうなんですけど
安倍の生めっちゃ多いんですよ。
宮城の安倍寛さんとか。
安倍寛さんもそうですね。
なのでそもそも僕も同級生
小学校の同級生とかも
クラスに安倍さんって3人いたり
同じ小里編の。
そうです。
隣のクラスにも安倍さん3人いたりみたいな
安倍が多いんですよ。
しかも柏崎あたりは。
柏崎もそうですし新潟県内ですね。
県内全体でもいいんですか。
そうなんです。
なのですごくしたたかな気持ちもあって
酒がまずくても安倍さんには送るだろうなって思ったんです。
安倍さんが送る。
安倍さんに送るとか
安倍さんが送るとか。
しかも亡くなっちゃいましたけど
元首相の安倍さんも漢字は違えど
安倍さんじゃないですか。
あの頃そうですね。
はい。いろんな方の安倍さんに届けたいなっていうのもあって
漢字じゃなくてひらがなかカタカナにしようって思ってます。
いろんな理由があってここにたどり着いてるっていう。
いい語らしく見た目は単純だけれども
思いは単純じゃないよと。
そうです。すごくマーケティングの要素もありますし
自分の現体験もありますし
かなりいろいろ混ざってその名前になってます。
素敵ですね。
これ例えばグループの中に安倍さんがいたら
お前飲めよお前頼めよってなりますもんね。
そうです。
絶対に。
消費者の消費行動って割とシンプルで
だから安倍さんの自分の叫びで来たらいいなってちょっと思ったんです。
僕もだしある種の日本酒オタクになっちゃうと
そこの部分はもう忘れちゃって
例えばさっきのカプロンさんじゃないけど
もうカップってるね急ってるね攻め臭がすごいねとか
そういった話になりがちだからそこを実は
見落としがちというか忘れがちというか
なんだけど本当に居酒屋さんとかで
注文する時にやっぱりまずこの一歩目
っていうのが非常に日本酒敷居が高いので
やっぱりどうやって下げるかというか手に取るとか
今だったらこのね注文タブレットで
押してもらうかとか相当重要ですもんね。
大事です。
そしたら安倍さんいたら頼むじゃないですか。
頼みますね。
美味しい不味い関係なく。
誰か平田っていうお酒が勝るっていう
そもそも多いんですよね。
僕はその時全然意識してなかったですけど
焼酎も佐藤があったり。
ちょっとネームをそのまま名前にしてるって
僕らの蔵のレジェンドは久保田なんで
なので人の名前を割と使ってるのって多いんですよね。
安倍って調べたら出てこなかったから。
安倍寛さんはあったけど。
その時に調べることすらしてなかったです。
別に居ても居なくても居屋ぐらい感じです。
本当に酒も作りたかったんで
名前をあんま気にしてなかったんです。
とにかく自分の酒を世の中に出したいし
酒作りの骨格とかレシピとか
こういう風な作りをしたら美味しくなるんじゃないか
考えてるんですけど
いざできたら名前決めてないわってなって
そこからいろいろ経って
今の安倍という名前を変えたって感じですね。
ありがとうございます。
すごい。
もう1話の台本上半分ちょっとしか言ってないのに
もうこの先が楽しみで楽しみで。
本当に。
ということでこの酒の道の本編というところに入っていきたくて
ちょっとそれをもっともっと振り返っていただいて
阿部裕太の子供時代
幼少期からですね
どんな人生を酒の道を歩んできたかっていうのも
実はお伺いしたい番組で
どんなお子さんだったんでしょう?
安倍さんは。
僕はシンプルにめちゃめちゃわがままな
ジャイアンみたいな子供でしたね。
本当にわがままでした。
ご兄弟は?
下が弟がいます。
長男?
弟をもう射程のように扱いながらみたいな。
そうです。
おもちゃ屋に行ったらトミカを買うまで帰らないって言って
床をじたばたするとか
本当に僕が今親になって分かるんですけど
むちゃくちゃムカつくだろうなっていう子供でしたね。
実は僕PTA会長をやってました小学校で。
素晴らしい。
素晴らしいかどうかわからないですけど
クラスでね見てると土曜日とかで参観行くと
そうやって1、2年生座らないし
端っこで教科書なんか開かないし歩き回って
そんなようなお子さんだったということで。
落ち着きはあったと思うんですけど
落ち着きは?
落ち着きはありました。
ただとにかくみんなの中心にいないと気が済まないっていう
目立ちたがりや。
その思いが悔しかったと思うんですよね。
お酒の営業東京でしたときに
飲んでもクレスタスしなかったっていう
そういったところにもつながるような気もしないわけでもないなって
自分の思いをどうやって形にするかっていう
昔はお前やるぞって言えばついてこいって言えば来たけど
それじゃあ当然お人の世界ビジネスの世界は動かないから
それをどういうようにしてそっちに持っていくかっていうことを
そうですね。
考えられた。
でもそのわがままな性格は途中で変わりましたよ。
いじめられたんで僕それで。
何歳くらい?中学くらい?
中学くらいじゃないですか。
省かれちゃった?
めちゃめちゃ省かれました。
あれ?
友達が喋ってくれなくなっちゃったみたいな。
小五六のノリで中一中二になるとありがちですよね。
今同級生の先生いたのを思い出しました。
だからもうその頃社会人になってから全然そんな感じはなかったですけど
当時子供の頃はとにかくわがままでしたね。
なるほど。
そんなわがままボーイだったっていうことですけれども
やっぱり酒蔵の息子さんということで
お母さんお父さんからちょっと手伝ってとか言って
蔵関係のお手伝いとかあったりしたんですか?
そこはですね、全くなかったです。
もう手伝うなって感じですか?
私が住んでた家とそれから蔵が500メートル離れてたんですよ。
そうなんですか。
そうすると父親が酒蔵に出勤していくって感じなので
阿部裕太の幼少期の酒造り
サラリーマンと同じ感じですね。
酒作りするときは酒を作りに蔵に行き
自宅が自宅兼直売所の機能を果たしてまして
なので酒屋の息子みたいな感じはありました。
ただ自分の家で酒を作ってて
何か手伝ってねみたいなのは全くなかったですね。
ただ唯一なんか酒柄感あるなって今を振り返ると思うのは
もう亡くなったんですが
うちの祖母がきゅうりのかす漬けを作ってたんですよ。
2世帯住宅で僕は2階に住んでて
祖母と祖父が下に1階に住んでるんですけど
たまに2階に何か持ってきてくるんですよ作ったもの。
毎回かす漬けのきゅうりを持ってくるんですけど
それはなんか酒蔵感はあるなって気はしますけど
あれその直売所というか酒屋さんのお手伝いも全然しなかった感じですか?
全くです。
そっちは仕事はさせずに?
そうですそうです。
これ例えば何かで読んだんじゃないけど
やっぱ酒蔵さんで広いじゃないですか。
その敷地内でちょっとしたキャッチボールしたとか
そういう思いでもほとんどなく?
全く。
大体それやられてるところは酒蔵の敷地内に自宅もある酒蔵です。
そうですね。
距離あるから。
距離あると全然その感じはなくて。
ありがとうございます。
安倍智三6代目蔵本県製造責任者の安倍雄太さんに
酒の道にご出演いただいたきっかけや
醸造試験場でのエピソード
この幼少期のわがままぶりがすごかったことについて
往復話をお伺いしました。
次回は安倍さんの学生時代や社会人時代について
お聞きして参りたいと思います。
500万石の特徴
本日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
さあここからは大人気のコーナーに参ります。
クイズどんどん答えて。
イエーイ。
このコーナーでお酒にまつる問題を
佐紀さんが出題し聞きざけしである
私平田勝が解説していくコーナーです。
リスナーの皆さんもぜひ一緒に考えてみてくださいね。
はい。新潟の酒米といえば500万石ですよね。
ということでこんな問題です。
500万石の特徴として正しいのは
A、Bどちらでしょうか。
A、小粒で心拍が小さい。
B、大粒で心拍が大きい。
さあどちらでしょうか。
500万石使ってる日本酒で今思い浮かぶのは
安倍首相さんのさざ波が私思い浮かびました。
500万石ってお米は酒造工的前全体で
山田錦に次いで2番目に使われてる。
なので気がつかないところでいっぱい飲んでると思いますよ。
そうなんですね。
それだけじゃないんですね。
以前教科書で見たでしょ。
あなたあの教科書3冊ぐらい持ってるんでしょ。
持ってますね。
毎日1ページずつでいいから。
あれ50ページぐらいあるから
1日1ページごとに読んでいくと。
そうですね。2ヶ月で読み終わる。
読み終わっちゃダメだから。
復習してない。
復習苦手なタイプだなってすごい感じてる。
ということで正解を発表お願いします。
それでは正解発表です。
正解はB、大粒で心拍が大きいです。
築崎市の資格を持つ平田さん。
解説お願いします。
ありがとうございます。
酒造工的米の特徴としてまず
ある程度粒があって心拍もしっかりないと
お酒が作りづらいという。
中でも心拍もしっかりしてるし
500万石の特徴としては
寒冷地の気候風土に合わせて開発され
早く清消する和製の品質。
大粒で心拍も大きくて
麹が入り込みやすいっていうのが特徴ですね。
心拍が大きいため
こちらのお米は50%の酵性白は
なかなか割れやすいんですね。
なので丁寧に精米しないと
なかなかそこまでもいかないよ
っていう部分もありながら
その後お米を蒸した際にあまり粘らない
外光難ないの蒸し米に仕上がるので
また溶けにくいです。
お米の出質としても。
溶けるのが早いと
仕込みをちょっと短めにしたりだとか
そういった細かいテクニックもあるので
去年はすごい溶けやすかったけど
やっぱ最近夏熱すぎるから
比較的固いお米ができやすいけど
去年固かったからこれでいいと
今年はやっぱ去年柔らかいなとか
お蔵さんごとにいろいろと工夫をしているそうなんです。
そういった傾向もあるので
新潟の丹麗から口のお酒を作るには
100万石がちょうどいいというところで
この酒米が使われるようになったと聞いております。
なるほど。
この酒作りには欠かせない
外光難という言葉に
ぴったりな酒米ということですね。
そうですね。
ただ山梨県はもうちょっと多分
溶けやすかったりする部分もあったりするでしょうし
テクニックが必要なお酒だということですね。
クラベットさんがお米と付き合って
美味しいお酒を作ってくれていると。
なので毎晩毎晩楽しいお酒を
幸せに私はちゃんと飲めると。
ありがとうございます。
さて縁も竹縄ではございますが
今日もこの辺りでお開きといたしましょう。
番組の感想はXでハッシュタグ
酒の道で検索してください。
それではまた次回。さようなら。
さようなら。
27:50

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