まず酒の道ラジオにご出演くださった経緯をちょっと佐紀さんからお伺いできますでしょうか。
以前阿部優太さんと河野亜紀さんの公開収録ラジオがあったんですね。日比谷オクロ寺でしたっけ?
そうです。
そこに見に行った時にご挨拶をさせていただきまして、それがきっかけで本日お越しいただいております。
本当にありがとうございます。大丈夫ですか?失礼なかったですか初めの時?
いや全く。
本当にドキドキしすぎて、倉本さんとか好きすぎると前のめりになる佐紀さんなので。
全く問題なく。
それが逆にいろんな方のご紹介というかここに来ていただくきっかけになっておりますので、
日本酒業界の方は是非とも酒の道の佐紀を見かけても怖がらずに受け入れていただけるとありがたいと思っておりますが。
お願いします。
先ほどもちょっと控室でお話ししてたんですけど、前回4月にご出演いただいているデュケット智美さんともお知らえということで、
デュケットさん4月に醸造免許はきちっと下りたようで。
そうですね。ちょうどフェイスブックが上げられてましたね。
ちょうど上がってましたよね。
上がってました。
女性でお酒の免許を取るっていうのは初じゃないかっていうコメントもあったようで、
その他の醸造、やっぱりその青春免許というのはなかなか下りないんだけど、そこからいろいろ工夫して、
以前出てきた杉玉さんのリブロンさんみたいな感じで、クラフト酒の形でどんどん進めていければっていう話もしてましたけれども。
そうですね。新規で下りるのはその他の醸造酒だとか雑酒とか、青春は下りないので。
ですよね。
MAするしか方法がないので、山の中で立ち上げたと思いますよ。
ですよね。
はい。
そのあたりの話もちょっと私たちがわからない。
僕は一番最後に美味しく飲んでもらうっていう仕事をしてますけど、作るってことはほとんどやったことないので、
そういったこともいろいろとお伺いできればと思うんですけれども、
我々の酒の道として聞き逃せないワードが先ほど出てきまして、
滝野川の醸造酒園場で酒作りの研修をなさってた2014年、最後の方ですよね。
そうです。第48回生でして、一番最後です。本当に一番最後。
本当に最後。ギリギリ。
もうこれが最後で。
翌年から広島に。
その通りです。
最後の。
最後です。
実はあそこで研修された方の、1900年代に研修されたって方のお話は聞いたことあるんですけど、
逆に直近ギリギリの同世代の方にお話、実は聞いたことなくてですね。
はいはいはい。
僕もあそこ何度も入って、去年も観光ツアーみたいなアテンダントしたりも。
はいはい。今そうなってるみたいですね。
もう少しさせていただいてて、入り口というか、門から入ってすぐのお部屋が会議室みたいになってて、
ボイラー室ですよ昔はねあそこが。
その当時もボイラー室であそこを使ってたんですかね。
そうです。
じゃあ全部機械あそこにあった。
そのまんまでした。
なんかあのちょっと前に赤レンガ倉庫の写真が何かのイベントで上がってたんですけど、
もうまんまでした。
で入って、そのイベントの前にちょっと整理というか、
はい。
入ったら逆にそのまんまになってて、
結構機材も、言い方難しいんですけど、
これをどこに動かしていいかわからないぐらい研修してたんだなっていう残りがいっぱいあって、
今だいぶツアーしても見れるような形にはなってるんですよ。
そうなんですね。
この10年本当に活用利活用がみんなが迷ってたんだなみたいな。
帰宅観光協会がどういうかあそこを使えるようにということで、
はいはいはい。
いろいろと帰宅さんだったり醸造協会さんだったり、
委員会課長だったりと今いろいろと組んでやってるんですけど、
はいはい。
あそこで一通りお酒作ってたわけですよね。
そうです。
初心者コースっていうのがあって、6週間かな。
6週間、1ヶ月半ぐらい。
はい。
座学とあとは酒作りの工程一通りを、実習ですよね。
はい。
を含めて4人1組のチームで16人でやってましたね。
へー。
まあ1ヶ月半ぐらいだとちょうどお酒ができるっていう期間ってことですよね。
なんか後から振り返るとすごいぐちゃぐちゃな順でやってました。
あ、そうですか。
はい。
だからギリギリ醸造とか火入れとかまでしようとすると間に合わないですよ。
まあそうですよね。
はい。
なので行って、デイワンで急に元が徹底的な、主母ですね。
はい、わかりました。
スターターの仕込みをやって。
初日に?
そうです。
で、その後に米工事作ったりとかしてたんで。
あ、順番ぐちゃぐちゃなんだ。
はい。それだけです。
そこだけちょっと順不動になっていて、
これ毎年滝野川の研修所でやるときに同じらしいんですけど、
はい。
前回の僕ら第48回戦ですけど、
その1個前に47回戦の人たちが作った工事を使って、
その次のターンの人たちは元立てをするっていう流れなんですよ。
で、僕たちは工事を作るんですけど、
それを使ってくる人もいないんですけど。
それを広島に行ったかもしれないけど。
まあその可能性はあります。
はい。
へえ、初めて聞きました。
はい。
で、そっからは工程としては一緒ってことですよね?
同じです。大体そうですね。
主簿を作ったと並行して、
申込みもやって、
主簿は主簿で確かね、やってた気がするんじゃなかったな。
僕もあんまり覚えてないですけど。
まあ10年も前ですからね。
はい。
でも一通り酒造りの廊下とか火入れとか、
まあ主簿りも含め、
全工程をちゃんと実技でやるっていう風にやってました。
店で言ってもそんなことないよと。
だから新潟って端っこから端っこで東京から名古屋くらい遠いわけで。
気候も風土も全然違うし。
僕もこういう話するときにこのラジオでも何回も喋ってるんですけれども。
今日本集長1200社くらいあって。
実稼働が800から900って言われてる中で。
そんだけ会社数あれば各会社のコンセプト違うじゃん。
だから車だって本当はトヨタ日産って全然会社のコンセプト違うんだから。
そういうもんだよって言うと納得してくれるみたいな。
そういう感じですよね本当に。
でこの安倍っていうご自身のお名字を半分にしたブランディングをしようと思ったきっかけだとか。
コンセプトなどもお伺いできればと思うんですけどいかがでしょう。
ありがとうございます。
もともとこのブランドを作ったきっかけは
宇宙の蔵の地元ブランドがコシの男山っていう名前なんですよ。
エチゴの男山って言いますよ。
それって両方どこにでもあるような名前を組み合わせたブランドになってるじゃないですか。
そうですね。
そうすると変わり映えしないんですよ。
そうですね。
僕が家業を戻って自分のブランドを作る前に
自分の父親が作ってた酒を営業してたことがあって東京に。
で、グルナビーっていう会社に勤めてたんですけど
飲食店さんとパイプあったんで営業しても酒屋さんに営業しても
どこにでもある名前だから全然インパクトないし
テイスティングすらされなかったんですよ。
飲んでおいしくないって言われるんだったら納得がいくんですけど
飲む前なんですよ。
ラベルとかも昔のオーセンティックな。
ただラベルはその時はまだいいんですけど
名前ですね。名前だけも本当に。
コシの男山。
はい。だから散々いろんなこと言われましたね。
まずなんかリキュール作って利益出して儲かったら酒作って
そしたら持ってきてとか
この名前じゃあ全然東京市場狙えないから
名前考えるところから始めたらとか
いろいろ言われて
名前は大事だなと思ったんですよ。
で、日本酒って漢字の名前も多いじゃないですか。
そうですね。
そうすると日本酒飲みに行っても知ってる銘柄頼みますけど
知らないと読めないから頼まないですよ。
なので誰でも読める。
ひらがなかカタカナにまず名前をしようっていうのと
いろいろコンセプト考えてたりしてたんですけど
もう真逆言っちゃったんですよね。
コシの男山って分かりづらいから
真逆の一番分かりやすくしようと。
じゃあ安倍さんが作ってるんだから
安倍でいいわっていうぐらいの感じです。
最高です。
あと正面にこれ純米銀条とか書いてないのが
逆にいいなって僕実は思ってて。
ありがとうございます。
この名前ですけどうちのお店にテレビの取材が来て
滝田カリンさんとか来てくれて
どこどこの純米銀条の
ムロカの生原子のなんちゃらと米使ったって言ったら
なんかもう呪文みたいって言われて
何が何だか分かんないって言われて。
取説なんですよね。
そう。
だから取説はここでいいわけですよね。横で。
分かりやすいって。
それで取ってもらって
ある種の僕らの学生時代のCDのジャケ買いじゃないけど
相当大事ですもんね。
そうですね。
あとは僕自身が酒作りの経験をしてなかったのもあって
東北、新潟もそうなんですけど
安倍の生めっちゃ多いんですよ。
宮城の安倍寛さんとか。
安倍寛さんもそうですね。
なのでそもそも僕も同級生
小学校の同級生とかも
クラスに安倍さんって3人いたり
同じ小里編の。
そうです。
隣のクラスにも安倍さん3人いたりみたいな
安倍が多いんですよ。
しかも柏崎あたりは。
柏崎もそうですし新潟県内ですね。
県内全体でもいいんですか。
そうなんです。
なのですごくしたたかな気持ちもあって
酒がまずくても安倍さんには送るだろうなって思ったんです。
安倍さんが送る。
安倍さんに送るとか
安倍さんが送るとか。
しかも亡くなっちゃいましたけど
元首相の安倍さんも漢字は違えど
安倍さんじゃないですか。
あの頃そうですね。
はい。いろんな方の安倍さんに届けたいなっていうのもあって
漢字じゃなくてひらがなかカタカナにしようって思ってます。
いろんな理由があってここにたどり着いてるっていう。
いい語らしく見た目は単純だけれども
思いは単純じゃないよと。
そうです。すごくマーケティングの要素もありますし
自分の現体験もありますし
かなりいろいろ混ざってその名前になってます。
素敵ですね。
これ例えばグループの中に安倍さんがいたら
お前飲めよお前頼めよってなりますもんね。
そうです。
絶対に。
消費者の消費行動って割とシンプルで
だから安倍さんの自分の叫びで来たらいいなってちょっと思ったんです。
僕もだしある種の日本酒オタクになっちゃうと
そこの部分はもう忘れちゃって
例えばさっきのカプロンさんじゃないけど
もうカップってるね急ってるね攻め臭がすごいねとか
そういった話になりがちだからそこを実は
見落としがちというか忘れがちというか
なんだけど本当に居酒屋さんとかで
注文する時にやっぱりまずこの一歩目
っていうのが非常に日本酒敷居が高いので
やっぱりどうやって下げるかというか手に取るとか
今だったらこのね注文タブレットで
押してもらうかとか相当重要ですもんね。
大事です。
そしたら安倍さんいたら頼むじゃないですか。
頼みますね。
美味しい不味い関係なく。
誰か平田っていうお酒が勝るっていう
そもそも多いんですよね。
僕はその時全然意識してなかったですけど
焼酎も佐藤があったり。
ちょっとネームをそのまま名前にしてるって
僕らの蔵のレジェンドは久保田なんで
なので人の名前を割と使ってるのって多いんですよね。
安倍って調べたら出てこなかったから。
安倍寛さんはあったけど。
その時に調べることすらしてなかったです。
別に居ても居なくても居屋ぐらい感じです。
本当に酒も作りたかったんで
名前をあんま気にしてなかったんです。
とにかく自分の酒を世の中に出したいし
酒作りの骨格とかレシピとか
こういう風な作りをしたら美味しくなるんじゃないか
考えてるんですけど
いざできたら名前決めてないわってなって
そこからいろいろ経って
今の安倍という名前を変えたって感じですね。
ありがとうございます。
すごい。
もう1話の台本上半分ちょっとしか言ってないのに
もうこの先が楽しみで楽しみで。
本当に。
ということでこの酒の道の本編というところに入っていきたくて
ちょっとそれをもっともっと振り返っていただいて