1. 酒の道〜日本酒の聖地から〜
  2. #14-2:6代目のキャリアが異色..
2025-05-14 21:04

#14-2:6代目のキャリアが異色すぎた!|ゲスト 阿部裕太さん

トークテーマ:ぐるなび→起業→酒蔵!? 6代目のキャリアが異色すぎた!

コーナー:クイズ呑呑答えて!


ゲスト:阿部裕太さん

阿部酒造6代目蔵元兼製造責任者の阿部裕太さん。新潟県柏崎市出身、1988年のお生まれです。

大学卒業後、2010年に株式会社ぐるなびに入社され、法人営業をご担当されました。その後、2014年に家業の阿部酒造に戻られ、製造責任者として「あべ」ブランドの酒造りを開始。売上を10倍まで成長させました。

また、2014年には滝野川醸造試験所で酒造りの研修を受け、その後酒造りへの知的好奇心が爆発し、蒸溜の技術にも興味を持つようになられました。

ガジェットも大好きで、酒蔵にも新しい技術やサービスを導入し、現場を活性化させることが得意だそうです。

2017年からは酒蔵の立ち上げを目指す若者をサポートしており、卒業生には「Linné」代表 今井翔也さん、「haccoba」代表の佐藤太亮さん、「LIBROM」製造責任者の穴見峻平さん、「弥栄醸造」の坂本一浩さんなどがいらっしゃいます。

2020年には清涼飲料水免許を取得し、2021年からは「酒」と「ノンアルコールドリンク」の両軸で 地域活性化を目指していらっしゃいます。


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サマリー

阿部裕太さんは学生時代や社会人時代の経験について語り、日本酒と居酒屋業界との関連性を深堀りします。彼のアルバイト経験や株式会社グルナビでの特殊な営業活動が、現在の酒蔵業務にどのように活かされているのかを考察します。阿部裕太さんは家業の酒蔵に戻る前に起業を決意し、様々なノウハウを活かして新たな営業形態を確立しています。また、タイでのビジネス経験についても触れ、海外進出への意気込みを示しています。

00:10
酒の道 日本酒の聖地から
こんにちは、パーソナリティの平田勝です。この番組はお酒にまつわるゲストをお招きし、お酒の道を歩むストーリー、お酒のあれこれを深掘りしていく番組です。
キキ酒酒を目指す.さんと共にお送りします。 はい、4月に行われていた怒涛の日本酒イベントを満喫し、休館中の.です。よろしくお願いします。
今、1個嘘つきましたね。ん?どの部分ですか?本当に休館中ですか?
いや、まあ、私にしたら休館中。私にしたら休館中。はい。わかりました。何を持って休館中かよくわかんなくなります。私を持ってってこと。
ということで、今月のゲストは、阿部裕太さんにお越しいただいております。どうぞよろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いいたします。
学生時代の活動
前回は酒の道にご出演いただいた経緯や幼少期についてお話を伺ってまいりました。今回は学生時代や社会人時代についてお話を聞いていきたいと思います。
さて、事前のアンケートにですね、学生時代は一人で何かするよりも友達とみんなで何かをするという方が良いということでしたが、学生時代に興味を持っていたり夢中になっていたこととかありますでしょうか?
はい。これ事前アンケートで一番悩んだんですよね。酒蔵らしいなんかこうちょっと研修に来ましたとか全くないです。普通にテニス部入って。
大学も東能大とか行ってるわけじゃないですよね。
全く、はい。小学部会計学科なので。
もう逆に経営の方にですね。
いや、なんででしょうね。いろいろ理由あるんですけど、小学部会計学科入って、母規の授業とかあるんですけど、
入学して最初の月で母規は自分に合わないなって思って、母規の3級すら取らなかったんですね。
あっ、もったいない。もったいない。
今思えば、すごくその数字の勉強しとけば良かったなって感じるんですが。
本当に僕も今本当にそうですよ。
なので、まあまあ普通に部活動して、大学進学とともに上京して、そこから大学入るんですけど、大学はそんなに行かなくていいなってなんとなくなって、
4年間自由な時間を使わせてもらえるな、親からって思って、そこからもうずっとアルバイトに夢中になってましたね。
多分なんですが、中学か高校の頃に新潟で大きな地震ありましたよね。
ありました。ありました。
ちょうどこの頃じゃないかなと。
僕がね、大学4年生の頃だと思うので、この頃ですよ。
僕はね、中学校だったと思うんですけど、電車乗ってました。
電車乗ってた?
はい。帰りの電車乗ってて揺れましたね。
新潟って、あと3年後にもう1回あるんですよ。大きい地震が。
ああ、そうだ。
中越地震っていうのが2つあって。
大陸で起きたのと同じよね。
はい。なので、ダブルで。
中越大きいの時は、僕多分大学生だったかな。多分それぐらいだった気がします。
中高ぐらいで揺れてましたね、電車で。
それ、ご実家は被災したりだとか?
してたみたいです。
見てたんですか?
本当それぐらいですよ。それぐらい、他人ごとの感覚までいかないですけど。
お父さんだとかご家族はバタバタしてたなっていう大人たちが。
酒蔵自体は被災をしていたんですが、僕の子供時代からの記憶は、僕の家は酒屋だって感じだったんで、お酒売る方、小売店の方の瓶が割れるっていうのは見ました。
中越地震の時に揺れて割れました。
で、地震の対策今度しようねって言って、棚とかにロープ張ったりとか、しようねって言ってて。
でも、もう1回来たから大丈夫だろって言ってやってなかったんですよ。
3年後、全く同じ光景を見て。
やれよかったっていう。
で、後悔してました、僕の両親が。
やっぱり地震対策は怠らないってことがありがとうございます。
で、東京出られてきて、どんなアルバイトに熱中してたんですか?
僕は最初、もともと母方の実家、吉祥寺っていうのもあって、吉祥寺のカフェでバイトをしていて、そこからすぐに居酒屋に行きました。
新宿山頂目のライオン会館のど真ん中ぐらいだったんで、本当に大箱の、今もあるんですけど。
あの上?
ライオン会館の8つ向かいぐらいです、のビルがあって、そこの上の6階にある飲食店だったんですけど、そこの大箱のちょっと単価高めなお店で、最初ドリンクから入って、そこからデシャップという仕事のポジションがあるんですけど、
全体統括ですね。酒で言ったら司令塔みたいなポジションをずっとやってました。
やっぱそのご経験も今に活かされてたりとかされるんですか?
めちゃめちゃ活かされますね。
結構僕らの酒蔵の現場って、飲食店さんと似てるところあるんですよ。
つまり、例えば居酒屋でコース料理を出していきますってなって、5時からスタートのコース料理の人たちのスピード感が遅いと。
食べるスピードが喋ってて遅いですと。
で、7時から始まったコース、同じコースなんだけど、こっちの人たちの方がめちゃめちゃ食うし、食べるスピード早いってなったら、多少料理の提供をこっちの早く食べる人たちの方優先したりっていうことが結構あるわけですよ。
でも、堅くなに、いや、5時からスタートしたから、5時からの先に料理出すってなったら、お客さん満足度下がるじゃないですか。
その辺を察して、料理作る側の方とかドリンクとかに指示出しをするっていうのがこのネシアップの仕事なんですけど、酒蔵の仕事ってまさにそれで、同時並行的にいろんな仕事が動いてるんですよ。
なので、日に日に優先順位を変えなきゃいけなかったりとか、結構リアルタイムで変わってきたりとかするんですよ。
例えば、なんかトラブっちゃいました。でも、他でも他のポジションで同じ仕事が進んでるってなったときに、じゃあここはちょっと優先度下げて、今度こっちの仕事やろう。
で、その方が酒質落ちないからいいよねっていう判断が5万とあるので、僕らのフラの仕事って飲食店経験がある人が入ってくると、めっちゃ重宝されます。
えー、そうなんですね。やっぱそういうところが活かされるから。
はい。
臨機応変さがあるかないかっていうところですよね。
はい。瞬発力ですね。それはめっちゃ大事。
例えば、お酒も当然24時間作って飲みなきゃいけないし、そこで、例えば去年のお米の溶け方の感じのままやっちゃったりすると、あれ、思ったより進み早いじゃん、遅いじゃんとかなっちゃってたとか、
逆に、じゃあ何本目かね、その年出会ってて、同じお米使ってたけど、やっぱ気温とかね、あれ、あそこで水分含ませすぎちゃったかなとか、そこで全然変わってくんですもんね。
そうなんです。
やべってなるときに、やっぱ臨機応変さ、対応できるかというか。
うーん、なるほど。
社会人経験とグルナビ
で、学生時代を減られて、社会人時代についてもお伺いしていきたいんですけれども、もう居酒屋経験があったからですかね、株式会社グルナビさんに勤めということで。
多分その頃グルナビさん、
超勢いあった時ですね。
イケイケドンドンですよね。
イケイケドンドンですよ。超ベンチャーみたいな。
2000、あ、5個下だから、2009年か10年入社ですよね。
そうです。
あ、しかもあれだ。リーマンでドーンって落ちて、そっから290円居酒屋だらけになった頃ですね。
金蔵とか、鳥貴族さんとかがバーって。
そうですそうです。
あの頃鳥貴族で山崎のハイボール飲めたんですよね。
そうですね。
えー。
今思うと。
はい。もう居酒屋黄金期っすね。
あ、そうですか。
僕もね、その頃始めてるんで。
で、その直後に震災も来てるじゃないですか、東日本大震災。
で、ホットペッパーとか、タベログ。
タベログさんはね、ちょっと矢印が違うんですよね。
まあそうですね。
入り口出口がちょっと違うので、微妙にポジションは被らないんですけど、
でもやっぱり営業マンで、多分飲食店回ってる営業マンたちは勝ち合ってましたね。
そうですよね。
で、どっちかでいいやつで、先に僕、うちのお店あの頃のホットペッパーさんが営業、パツってハマって、
まあ2社やることはお金かけることないかなって、まあそれちっちゃいお店だったので、ないかなと思ってホットペッパーさんだけ。
で、2号店作る時にじゃあ両方やんなきゃまずいかなって、グルーナビさん時訳書の2017年くらいかな。
まあでもなんか、もちろんアルバイト時代にグルナビさんのお店も使ってたので、知ってたっていうのはありましたね。
まあそうですよね。
あとはもともと、僕は全然継ぐ気がなかったので、酒蔵自体。
で、広告が好きだったんですよ。
その広告を経て人に商品とか思いとか届ける仕事ってめちゃめちゃいいなって思って、ずっと広告業界見ていて、で、いろいろこうやってた中で、まあグルナビも受けて。
グルナビだけちょっと話し方変えたんですよね。
そしたら通りましたね。
他何社も通ったんですか?
通りました通りました。
広告会社いっぱい通ったんですけど、結果最終的に考えた時に、なんかふと多分頭の片隅に家業はあったと思います。
意識はしてないですけど。
それでグルナビを選んだっていう感じですね。
このグルナビさんではどういったご経験をされたんですか?
通常のグルナビの営業スタッフっていうのは、飲食店さん飛び込んでったり、グルナビに載せませんかって、媒体に載せませんかって、媒体の広告営業なんですけど、僕の所属してた部署は、それをメディアとして活かす仕事でして。
例えばグルナビという会社に加盟してるのは3万店ありますと、東京に3万店ありますってなって。
じゃあ、その3万店に商品提案したくないですか?っていうのを、地方の食品のメーカーさんとか、観光庁とかに提案しに行くんですよ。
例えばテレビCM打ちたいですよね。それは代理店さんに行きましょうってなって。
でも、飲食店さんにダイレクトに何か物を売りたいってなったら、テレビCMじゃなくないですか?っていう話をする。
そういう差しとか来ますよね。
ありますよね。
もらえますね、もらえますもらえます。
なので、マーケティングしませんか?とか、居酒屋に向けてイタリアンのお店に何か出したいんだったら、
1回プロのシェフにイタリアン向けのレシピ作ってもらって、原価も出して、こうやってすぐ営業できるような資料作りませんか?それについて20万円ください。
っていうような営業をやってました。
へー。
なので、割と特殊な営業部隊でしたね。
例えば、やっぱり、下業が酒蔵だって、当然、一番最初に面接した時も話したりしてたから、そういった部署に配属されたみたいなのもありますよね。
その通りでして、たまたま、さっき言った話を変えたっていうのも、まさに下業の話をちょっとしたんですよ。
で、戻るつもりは正直全くなかったんですけど、でも、グルナビー受けた時だけは、いずれ辞めます。
いずれ辞めて蔵に戻りますって言ってて、全然嘘なんですけど。
実際はそうなったんだけど、僕の中では、その時はですね。
で、結果、そしたらその部署の人事の担当の人が、グルナビー社としてちょうど日本酒に力を入れようとしてたんですよ。
タイミングもそうですよね。脱載聞き始めた頃ですね。
で、日本酒にこれからグルナビー社も力を入れていこうってなって見てたら、蔵の息子が来たぞってなって、で、この営業部にちょっとやろうって言って。
普通のとこ置かないで。
そうですそうです。で、新卒が僕らの同期は多分40人ぐらいいたんですけど、そのうち3人しかそこに配属されない、ちょっとこういう法人営業部っていう特殊な部署に配属されて、今申し上げたような仕事をしてました。
影響と人脈の重要性
へー、なんかそこでのご経験で、安倍首相さん、活動されてるにあたって、影響を受けた人だったりとか、そういったものってありましたか?
影響を受けたっていうところで言うと、その部署に働いてた営業部が全部で70人ぐらいしかなかったんですよ。
当時僕入ったときでも1500人ぐらいの会社になってたんですけど、それで70人しかいない営業部隊なんで、非常に小さな営業部隊だったんですが、そこで働いてる方々はすごく、中途がメインだったんで、すごくいろんな経歴の方が多かったですし、その経歴をもとにいろんな話聞くじゃないですか、だからそこで働いてる人たちにはすごく刺激を受けました。
僕が営業した取引先で言うと、今でも関係地あったりとか、今うちの一本締めってお酒を作ってるんですけど、その一本締めの契約農家さんは、当時のこのグルナビ時代のお客様ですね。
へー、すごい、そこへのつながりが。
僕はもう家業で戻るって言ったときに、井上一番に話をしに行って、酒米もしよかったら作ってほしいですって話をして、だからそういう関係地の人もいらっしゃいますね。
あー、そうなんですね。
で、ご実家に戻られる前に、もう会社1個作られてから戻られたという形なんですね。
はい。僕がいろいろあって、戻りたいですって話をしたときに、売り上げがもう全然なかったんですよ。
うちの蔵は何もなければ、僕が戻るのが3年遅かったら、会社を見売りするっていう形の状態だったので、売り上げも立たなくて、
僕自身が蔵に入りたいって言っても断られてたんですよ。
増えないしって。
はい。増えないし、増やすつもりないし、人件費ないし、そもそもみたいな形になっていて、ずっと並行してたんですよ。僕の父親と話をしてても。
じゃあこれ無理だなと思って、当時グルナビシャの法人営業部っていう部隊は、起業する人も結構多かったんですよ。
起業カルチャーも結構あって、そうすると起業のノウハウ溜まってるじゃないですか。
そうですね。
誰々さん起業したよとか、そうするとノウハウもあります。
当時の安倍首相がアベノミクスをいろいろやられてるときで、
スタートアップの補助金とかもいろいろあって。
そうですそうですそうです。そういうのがいろいろ重なって、じゃあうちの父親に、僕は会社を起こしますと。
会社を起こして、うちの実家の作ってる酒の営業しますと。
営業した利益分を僕の会社で請求すれば、あなた方には何にも迷惑かけないでしょっていうので、
無理やり戻ったというか、取引を始めるっていうところから。
ご両親を納得させるために。
そうですそうです。
やっぱりこの酒蔵潰したくないと思えば、働きながら出てくる。
その話をしてるときには、もう自分自身で酒を作りたいなって思ってましたし、
酒蔵を潰すのはもったいないから、自分で何かやりたいなって思ってましたね。
だから方法を探すっていう感じの選択をいろいろ探してる中で、
もうただただストレートにくらいに入るってことは無理だって分かったんで、
手段を変えたっていう感じですね。
それで納得させて、今この形があるっていうの、いや、この思いがですね。
いやいやいや。
素晴らしい。
タイでのビジネス経験
実は某ラジオで、タイにも行かれてたってお話をお伺いしたんですけど、
それもやっぱり起業された会社の関係で。
そうですそうです。
その部署の営業部の人の中で、タイの大使館とかでよく仕事をしてた人が近くにいたんですよ。
で、私の直属の先輩も、タイにいろいろビジネスする会社を起こしていて、
で、僕も会社を起こしてるじゃないですか。
で、僕もその先、自分の家業の酒蔵以外、取引先が例えば農家さんとか、
蕎麦を作ってるメーカーさんとか、いろんな人たちいたので、
じゃあ僕も営業代行、自分の会社の代行をするついでに、皆さんのも一緒に代行しようっていうことで、
じゃあどこで営業代行しようか。
じゃあ都内は知ってるから都内と、じゃああと海外もやりたいですねって言って、
先輩たちについて、いや僕もじゃあタイに行きますわって言って、タイに行ったっていうことです。
あ、それでタイに行かれたんですね。
すでにタイでいろいろ仕事をしてる人たちが結構いたので、
で、僕も煮干し作ったら海外に出したいなって思いはあったので、
そういうご縁あって、海外で仕事できるんだったらいいなっていうので、行かせてもらってましたね。
1年ぐらい毎月ずっと行ってました。
え、そうなったんですか。
すごい海外にも足を伸ばしてっていうところがまたすごいですし。
バイタリティーがね、お話ししててもそうだしね。
あとこのタイのお話は、どこのラジオさんでも話されてないじゃないですか。
だから絶対うちで聞きたいと思って、聞き出せてよかったです。
ありがとうございます。
もうお腹いっぱいになり始めてるけど、まだお酒作り始めてないから。
そうですね。
それは来週以降に撮っていこうと思います。
今週も安倍首相6代目倉本県製造責任者の安倍雄太さんに、
日本酒の文化とコミュニティ
学生時代や社会人時代やスタートアップの頃のお話をいっぱい聞いてまいりました。
次回は安倍さんの現在についてですね、お話を聞いていきたいと思います。
貴重なお話どうもありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
さあ、ここからはコーナーに参ります。
クイズどんどん答えてーす!
イェーイ!
このコーナーでは、お酒にまつわる問題を佐紀さんが出題し、
聞き酒師である私平田勝が解説していくコーナーです。
リスナーの皆さん、ぜひ考えてみてくださいね。
はい。新潟といえば、あの有名な陶酒集団がいますよね。
そこでこんな問題です。
明治時代における越後陶酒の特徴として正しいのは?
A.酒造技術は苦伝のみだった。
B.人数が全国最多だった。
さあ、どっちでしょうか?
これ、どっちもそれっぽいな。
すごい問題持ってきましたね、さすが。
ちょっと考えちゃいました。
これはみんな難しいんじゃないですかね。
ありがたいことに新潟の日本酒関連の情報は比較的いっぱいあるので、
いい問題持ってきてくれたんじゃないかなと思います。
ありがとうございます。
それでは正解発表に移りたいと思います。
正解はB.人数が全国最多だった。
聞き酒師の資格を持つ平田さん、解説をお願いします。
はい。越後陶酒は県内はもとより、
全国の酒蔵に出稼ぎに行く腕を磨いた越後の酒造り技術者集団の総称です。
その勤勉さは技術力により、明治初期には全国一の人数を誇りました。
越後当時の鴨舌酢の酒質はきめ細やかでマイルドなのが特徴の酒が多かった。
飲みやすいお酒が多かったということですね。
なるほど。
夏場は地元に帰られて、米作りや農作業をしている方が多くて、
結局当時は冬場の季節労働、夏は農家をやって冬はお酒を作るという方が非常に多くて、
かつグループがいくつもあって、当時の方がいて、そのまたに蔵人酒造りの人たちがいて、
それが何蔵も実は回っていたんですね。
実は蔵本さんというのは実は酒蔵の社長であって、今は例えば今回のゲストの安倍首相の6代目みたいに、
蔵本であり製造責任者なんだけど、というのが今は結構主流というか、
そういった方がインターネットメディアでも発信する方が多いんですが、
実はもともとそのおじいちゃんとかその前は酒造り全然できないで、
自主産として社長さんとして蔵を守って、製造責任者はまた別途いるという形の方が実は日本酒の作る文化としては多いという、長いという。
そうなんですね。
また一つ賢くなりました。
ちゃんと覚えていてね。
はい、覚えておきます。
というところで、さて縁も竹縄ではございますが、今日もこのあたりでお開きといたしましょう。
番組の感想はXでハッシュタグ酒の道で検索してください。
ではまた次回、さようなら。
さようなら。
21:04

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