1. 酒の道〜日本酒の聖地から〜
  2. #20-1:関さんの思い出のお酒|..
2025-11-05 27:52

#20-1:関さんの思い出のお酒|ゲスト日本酒ライター関友美さん

■内容

トークテーマ: 関さんの思い出のお酒/日本酒ライターってどんなお仕事?

コーナー:さきの今日のひとこと


ゲスト:関友美さん

北海道・札幌市ご出身の関友美さん。

会社員を経て、有楽町・人形町・渋谷の酒場で女将として活躍をされながら、フリーライターとしての活動も本格化されました。

2018〜2024年には、フリーライターとして執筆を続ける傍ら、

兵庫県の「播州一献」醸造元・山陽盃酒造にて蔵人としてご勤務。

製造・販売・ブランディングまで幅広く携わり、

蔵の火災をきっかけに、地域産りんごを使ったスパークリング酒「シードルロンロン」を開発されました。

現在は東京を拠点に、執筆・講演・商品開発・PR支援など、

“日本酒のなんでも屋”として全国で活動されています。

SSI認定の唎酒師、日本酒学講師、WSETLevel 2 in Sakeなど、複数の資格を保持されています。

また、テレビ出演も多数で

BS-TBS「関口宏のこの先どうなる!?」やTBS「ニューかまー」などにご出演されています。

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サマリー

ポッドキャスト第20回では、日本酒ライターの関友美さんが自身の経験と日本酒への情熱を語っています。彼女のキャリアや日本酒の魅力、ライターとしての活動内容が詳しく紹介されています。このエピソードでは、関さんが初めて日本酒を飲んだ思い出や、母との関係を通じての日本酒への愛情について話しています。また、関さんの東京での日本酒体験や、印象に残った銘柄についても触れながら、日本酒の魅力と人とのつながりの重要性を考察しています。さらに、関さんは地域と人とのつながりを大切にする意義にも言及しています。

関友美さんのプロフィール
酒の道、日本酒の聖地から。
こんにちは。パーソナリティの平田勝です。
この番組は、お酒にまつわるゲストをお招きし、
お酒の道を歩むストーリー、お酒のあれこれを深掘りしていく番組です。
アシスタントの佐紀さんと共にお送りします。
佐紀です。よろしくお願いします。
さて、第20回目のゲスト。もうゲストを迎えたのが20組目ですか?
そうです。早いですね。
1年半。ありがたいですね。
ふと思い出すと、いろんな話聞いてきましたけど、
今回もまた新しい角度でお話を伺えるんじゃないかと思っております。
日本酒ライターの関友美さんにお越しいただいております。
本日はどうぞよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いいたします。
それでは佐紀さん、簡単にゲストのプロフィールをお願いします。
はい。北海道札幌市ご出身の関友美さんです。
会社員を経て有楽町、人形町、渋谷の酒場でお上として活躍をされながら、
フリーライターとしての活動も本格化されました。
2018年から2024年には、フリーライターとして執筆を続ける傍ら、
兵庫県の阪州一根醸造元山陽ハイ酒造にて、
倉人としてご勤務されております。
製造、販売、ブランディングまで幅広く携わり、
蔵の火災をきっかけに地域産林を使ったスパークリング酒、シードルロンロンを開発されました。
現在は東京拠点に、執筆、講演、商品開発、PR支援など、
日本酒の何でも屋として全国で活動されています。
日本酒への興味
SSI認定の利酒師、日本酒学講師、Wセットレベル2飲酒など、
複数の資格を保持されています。
また、テレビ出演も多数で、BSTBS関口博のこの先どうなる?やTBSニューカマーなどにご出演されています。
関さんとは酒リーダーズサミットでご挨拶させていただいたのがきっかけで、本日お越しいただきました。ありがとうございます。
改めましてよろしくお願いいたします。
阪州一根さんで働かれていた6年間。
はい、去年の3月末まで6年間。
社員さんとしてということですか?
雇用形態としては契約社員のような形だったんですけれども、兵庫と東京と2拠点であちで住み込みで働いておりました。
冬はお酒作りをして。
酒作りをしていたのは1年目だけで。
あとは販売とかブランディングのお手伝いをしていた。
そうですね、その後から話すと思いますけど。
ここ深掘っちゃうよね。
興味が大好きなお酒だから。
クラでアクシデントがあったというのをきっかけにして、私が酒作りをやるよりも他にやるべきことがあるんじゃないかということで、
PRとかマーケティングとか営業とかそういう型に縛られたというよりは、今まで足りなかったりとか、その時点でやるべきことみたいなのを見つけて一つずつやっていったというような働き方でした。
新しいですね。そんな方がいらっしゃるなんて。
この後もいろんなお話を聞いていきたいんですけれども、関さんどこからお伺いしようかね。
迷っちゃいますけれども、関さんも実は2021年頃からスタンドFMで日本酒ライターの酒の独り言というので活躍されていたんですよ。
同じポッドキャストつながりだなと思って、私嬉しいなと思って。
活躍はされていないので、友達が車で移動中に聞いてくれるスタンドFMという感じで少しだけやっていました。
本当にすごいためになるんですよね。日本酒の知識とかも結構お話をされていたので、私はなるほどと思いながら聞いてました。
そうですか。ありがとうございます。
ぜひ気になる方も皆さんも聞いてみてください。
あと関さんといったらめちゃくちゃ日本酒に詳しいお姉さんという感じなんですけど、なんでこんな日本酒に詳しいんだろうというところで、
日本酒はまずどんなところに惹かれてこの業界に入られたとかお伺いしてもいいですか?
はい。日本酒に惹かれてお酒が飲めるようになってから本当にいろんなお酒が好きで、というよりはお酒のコミュニティが好きでいろいろ飲み始めて、
興味もあってお酒もそんなに弱くなかったのでいろんなものを好奇心の限りで飲んでいたんですけれど、
やっぱり上京してきて一人暮らしをして、そこまでは家賃が高かったりとか東京の事情がありますので、
エンゲルケースを多少下げなきゃいけないというところでやっているときに、自炊をして安いお金で美味しいものを食べようと思うと、
出汁を使ったお食事を食べようとしたときに、やっぱりそれはラムとかテキーラを合わせるのではなく醸造酒を美味しく飲もうと思ったとき、
ビールは自分の余白として一旦とっておこう。
じゃあワインとか日本酒のどちらかをもう少し一歩知りたいなというふうに思ったときに、
ちょっと私ブルゴーニュってどんな土のところかわからないけれども、兵庫県だったらなんとなくこういう気質の人が生きているだろうな、
生活をしてお米を作っているだろうなというのをなんとなく想像できたりとか、私たち全国ニュースで既婚も見えますんでね。
なので身近な自分の国の日本酒をまず少し勉強してみたいなという、それは本当にOLとしての趣味みたいなところから始まったんですけど、
そこからたちのみ屋の日本酒バーでも手当たり次第お勧めしていただいたものを飲んだりとかしているうちに、
その裏側の物語みたいなものにすごくハマってしまって、すごく懲り性なので、もうその次の月には副業で日本酒バーで働き始めて、
フットワークが。
ちょっと寝ても立ってもいられないという感じで、特にその当時の20代の私はそうだったので、そんな感じで。
その当時は一般のベンチャー企業のバックオフィス、経理だったり総務だったり秘書だったりいろんなバックオフィスの仕事をやってたんですけど、
月次決算があるので、それ以外の日を週5日働いているうちの3日は終電まで残業して、2日定時に走って居酒屋に行って働くというような生活をしていました。
本当に好きになっちゃったんですね、その頃。
そうですね、もうその時にはお店で働く時には雨風呂なんかで発信をしていたので、お客さんもついてくださっていて、
そうですね、やり取りしたりとか勉強したり、自分が知っていることを人に伝えるということが楽しかったですね。
時期的にも焼酎ブームと日本酒ブームがクロスオーバーする頃ということですよね。
日本酒ライターの活動
焼酎ブームはちょっともう収束はしてます。
そうですね。
メニュー表にはいつか。
2000年代の後半とかですよね。
そうですね。
雨風呂が出始めたのはその頃だなと思いながら。
今みたいにインスタとかもなかったですし、雨風呂で発信という感じですね。
ミクシーの出始めとかね。
なので酒屋さんを教えてくれたりとか、日本酒のイベントに誘ってくださる方はミクシーからのつながりでつながっていましたね。
まだ僕は日本酒にその頃入ってないですね。
そうですか。
僕は柿沼さんにお世話になり始めたのは2011年とか2012年なんですよ。
店を始めたのは2009年で、まだまだお酒には突っ込んでない頃だな。
その後2010年代入って、脱歳さんとかね。
バーッと日本酒、美味しいお酒をたくさん飲めるお店が増えていった感じですよね。
そうですね。その当時は最初の頃は本当に数えるほどしか東京都内でもお店なかったですね。
日本酒バーがなかったですよ。
焼酎バーの方が多くて。
あったかもしれないですね。
学生の頃、2000年代。逆に今は焼酎バー本当に見ないですからね。
ちょっとまた増えつつある。
増えつつあるけど、やっとね。
そうですね。
そんな2010年代だったんじゃないかな。
だから東京都内でも老舗の酒蔵さんのお酒を樽で置いてるとかっていうところが、ほんのちょっとの日本酒バーっていう感じでしたね。
趣味から本業にするまでの日本酒の好きな愛が溢れてる関さんですけれども、
日本酒ライターとしてもご活躍されておりますけれども、
日本酒ライターってどんなお仕事なんだろうって私の中ですごい疑問で。
1日の流れとかをよかったら教えていただきたいなと思うんですけれども。
そうですね。書斎で原稿を書いてる1日を言っても本当につまらないことになると思うので、
例えば動きのある取材の日でしたら、
それも取材の出す媒体によってボリュームだったりとか書き方、あとどこまで深掘ればいいかっていうのが全然違いますので、
一番長いものですと酒蔵さん、本当に倉本さんだったりとか、
当時さんの方たち、専門の方たちが参考に見る酒造専門誌っていうものを書かせていただいてるんですね。
なので、それですと大概は一番忙しい1月から3月とかに来ないでくれって話になるんですけれど、
逆にやってるところを見てくれっていうような雑誌なんですね。
そこのライティングをやるときなんかは本当に朝の一番早いときだとお米の虫から午前中ないし午後ちょっと過ぎたぐらいの
一連の流れを見て帰って取材をしてくださいってことなんで、最低でも3日ぐらい。
例えば一番早いところだと元当時さんがやっぱり朝早いんですね。
正直言ってそこの本当に最初から火をつけるところから行くと2時ぐらいに集合になってしまうので、
5、6時ぐらいに蔵に行って、米の蒸し上がりのところから取材させていただいて、
一連の流れを見させていただいて取材に座ってお話を聞いてというので、
12時とか1時ぐらいまでずっと酒蔵で月一切りで取材をして、場合によってはそこでその後座って、
事務所だったりとか大瀬妻、仏妻とか、結構酒蔵さんが多いんですね。
真裏がご自宅ってとこたくさんありますからね。
そこがお客様を迎える場所っていう蔵が多いので、仏妻なんかっていう時もありますね。
日本酒との出会い
そこでお話を最低でもさらに1時間聞いて、その後蔵を出てから関連の飲食店さんを取材して、
それで土地を去るっていう感じなんですけど、解散してからも私はやっぱり地元のことを知りたいので、
その資料館だったりとか、町のことを知れるような象徴された場所、何か市場だったりとか、
そういう場所にさらに足を運んで、それから新幹線に乗って帰るっていう感じですかね。
すごい。
帰ってから執筆です。
時間あればもうちょっと見てから回っちゃって帰って、なかなか行けないような場所だったりもありますよね。
例えば新潟の佐渡島の天竜肺腫臓さんを取材したときなんかは、やっぱり船でいちいち行かなきゃいけないので、
せっかく行ったんだからっていうことで、もう一泊自腹でして、そこで夜加藤社長と飲んで、
というのも私昔ちょっとバックパッカーみたいなことをやってたときが。
バックティーバー。
なのでそのときに、佐渡島の最北端の佐渡基線がやっているホテルがあるんですけれども、
そこのホテルで1ヶ月か2ヶ月ほどですかね、住み込みで働いてるときがあったんですね。
なので佐渡島懐かしいのでということもあって、加藤さんと話しながら、
佐渡懐かしいねと言って、佐渡のものを食べて、取材ではないですけれども雑談をしながら、
また朝仕込みを見させていただいて、というときも確かにありますね。
人も好きなんでしょうし、その人に関わるものがすごく深掘りもして、
かつ伝えなきゃいけないとなるとね、ただ取材したら終わりです。
気持ちが乗るからずっとこの人に書いてもらいたいという、
編集者側の思いも乗っかるんだなというのは聞いていて思います。
そうだとありがたいですね。
あと、精力的にご活動されている関さん、日本酒大好きというお話もたくさん聞いてきましたけれども、
関さんが初めて日本酒を飲んだときの率直な感想をお聞かせ願いますか。
本当に日本酒というものを特別にあまり東京に来るまで思っていなかったんですね。
逆に言うと特別に感じている方って、例えば30代から今70,80代の方たちって、
大学のサークルで死ぬほど銘柄のわからない日本酒と書かれたメニューのものをガバガバ飲まされて、
2日酔いになって、もう日本酒なんか飲むものかという方がすごく多いと思うんですけど、
そういうサークルで大量に飲まされてトラウマとかそういうことは全く私の経験上幸いにもなかったので、
本当に海外のお酒、日本のお酒、北海道って何でもお酒があるんですね。
ビールも発祥の地ですし、日韓のウイスキーがあって、もちろんシードルだったりとか、
かぜつ酒もあって、じゃがいも焼酎、しそ焼酎、いろいろ焼酎もあります。
たんだかたん北海道のかぜつ酒ですね。
はい、そうです。なのでいろんなものがある中で、その一つという感じで日本酒に出会って、
ただその中でもやっぱり早めに出会ったのは本当に北海道の地酒がきっかけだったんじゃないかなと思います。
例えば札幌市内にチトセツル日本聖酒さんっていう会社があって、そこは基本的にはチトセツルという銘柄で売り出してるんですけれども、
酒屋さんの系列でプライベートブランドを作っていまして、それが11種、これは昔の北海道の種の数だったらしいんですけれど、
それを銘柄にした11種というお酒をチトセツルさんで作ってて、それなんかもうラベルも割とその当時にしてはポップというか綺麗だったので、
母とよく飲んでいた記憶がありますね。
お母様と。
あと栗山の北野錦さんが作る、それもプライベートブランドなんですけど、冬花火っていう銘柄があって、ラベルも本当に花火の絵が描いてあってすごく綺麗で、
そういうきっかけでちょっとこうひげ文字で書いている日本酒とはちょっと違うものだなっていうところから意識して銘柄っていうものを見て飲んだっていうのはよく覚えてますね。
その当時は違うんですけど、母は今ススキノでカッポ料理屋さんをやってまして、なので私と日本酒の、なんでしょう、日本酒人生というか日本酒を勉強し始めてから20年弱ぐらいっていうのは同じぐらいで、
ちょうど私が上京した頃にお店を開業するっていう話があって、再婚相手の旦那さんと母の旦那さんと一緒にお店を開いているので、
母も私もちょっと懲り性なのでそういうものに目をつけて、これ美味しいねって言って飲んでいた思い出のお酒ですね。
特に印象の残ったお酒
素敵ですね。思い出のお酒っていうのが素敵ですね。お母様との思い出の、一緒に飲んでっていう、そこがすごく素敵だなと思いました。
あとは関ちゃんが今まで飲んだお酒の中で特に印象に残っているお酒もあれば教えてください。
福島県のヒロキです。
ヒロキ。それはなぜすごく印象に残っているんですか。
北海道で最初に十一州とか冬花火、北西木とか千歳鶴っていう目柄を意識したのはあるんですけれども、
あくまでも日本酒を勉強しようと思っている時じゃなくて、ただガブガブとお酒を飲んでいるっていう中の一つだったので、
東京に来て、その時にはちょっともう日本酒ブームといってはあれですけれども、
ヒロキ、クローエモン、十四代、その辺りなんかはもう本当に人気で手に入らないというような頃でしたので。
そうですね。
目柄も多少なりとも地酒っていうものを意識しながら上京してきた私と、たまたま飲み屋で多分会ったんだと思うんですけど、
出会った社長さん、これは本当に学歴とか会社とか年とかも関係なく飲み合えるっていうのが日本酒のいいところだなって改めて思うんですけど。
そうですかね。
君日本酒がわかるんだったらいいお酒飲ませてあげるよというところで、その当時二十歳そこそこの私を恵比寿のお店に連れてってくださって、
で、裏から出てきたのがヒロキだったんですね。
確かに印象残っちゃいますね。
そうですね。そんな裏から出てくる日本酒があるなんていう考えもそれまでなかったですし、
行々しく出てきたその一生瓶はそれまで飲んでたものと違って甘みとか繊細さとかっていうのも飛び抜けてたっていうのもあるし、
やっぱりそのたまたまで会った私にそうやって親切にしてくださった方がいるということも含めて今でもヒロキの味は忘れないです。
ありがとうございます。関さんは幼少期から二十代初めを含む学生時代の中で今でも記憶に残っているお酒に関するエピソードがあれば教えてください。
はい。私は先ほど言ったように母が今、格好料理屋で日本酒の担当をしている、おかみをしているということも含めて、
本当に両親ともにお酒が好きな家庭で生まれて、父はイチコを飲んで母が赤ワインをそれぞれボトルを開けているというような家庭で育ったんですけれど、
そんな中で私もお酒が飲める年になってからいろんなお酒を興味を持って世界中のお酒を飲んで、
本当にバーにあるお酒は片っ端から飲んだっていうぐらい飲んでいたんですけれど、
その中で札幌駅前にあるバーにたまたまイベントかなんかで出会って、その店長がいるバーに通い始めて、
会社が終わると必ずそこのお店に行くっていう感じだったんですけれども、
本当にその店長とは仕事が終わって私が行きます、営業中ずっと飲んで、終わってシャッターを閉めて仲間の店に行ってっていうのでホッピングをして、
丸1日、1日半ぐらいランチでも飲んで、ずっと飲んでいたような仲良かった方がいて、
まさきさんっていう方なんですけど、その方、洋酒を売っていたんですけど、やっぱり日本の文化がすごく好きで、
日本を取り戻そうっていうようなことを言っていたので、当時日本酒いいぞっていう風に私にも言ってくれていたんですけど、
そっかっていうぐらいであまり詳しく調べなかったんですけれど、
そんなんで私が上京してしまって、たまに2年に1回ぐらい札幌に帰ったら会うかなっていうぐらいの関係を続けていたんですけど、
その中で日本酒の仕事を始めたんだねっていう時があって、いつか日本酒を一緒に飲もうということで、
その当時まさきさんは結婚されて娘さんもいて、大きくなったら一緒に日本酒でも飲もうか、
そのうちおいしい日本酒を教えてよなんて言ってたんですけど、肝臓がなってしまって、
それからもう間もなく亡くなってしまったっていうのをSNS上でご家族の投稿で知ったんですけれども、
その時私は蔵で働いてて本当に忙しくてお見舞いも行けなかったし、何もできなかったんですけど、
どっかのタイミングでおいしいお酒を持って行きたかったし、
あとはどうして自分が作ったお酒を彼に飲んでもらわなかったんだろうなっていうので、
日本酒の伝える思い
今も後悔も含めてふと思い出す20代の頃からのお世話になったんですけど、
日本酒の思い出ですね。
僕もノンベなので、居酒屋も16年やってるんですけど、
先ほどもおっしゃったんですけど、酒場のカウンターって社長さんだろうが、フリーターさんだろうが、
いろんな人に会える。そんな中で16年もやってると、その人の人生も色々変わってるのが見えるし、
そういういろんな人の思いをこうやって伝えていただけるのは、非常にみんな喜ぶんじゃないかなってすごい思うんですよね。
そうだといいんですけどね、こういう機会を。
でもそういったことで日本酒をきっかけにくれた方っていうのは大事にしていただいて、
逆に今日お話しいただいて、我々としてもすごい感慨深いなというか、大切にしたいなっていう。
それで今後どうやって日本酒を作っていくかっていうのが、
この間もあるセミナー出ましたら、日本のアルコール飲料消費されている5%しか日本酒を飲まれていないと。
はい、そうですね。中杯とかが多いですね。
関さんの思い出と日本酒の意義
日本人は63分の以上炭酸のアルコール飲料を飲んでいるぞという中なので、
この5%、6%、7%にどうできるかっていうのを私たちに、
実はかかっているのかなって思ったりもしますので。
そうですね。やっぱりそれはただのアルコール飲料ではないということを伝えていくべきなのかなっていうので、
人と人とのつながりだったりとか、私たち日本に生まれて暮らしているので、
そういった地域のことだったりとかっていうのを深掘るきっかけとしての日本酒っていうことも伝えていきたいなと思っています。
なので、私たちこういった日本酒のメディアをやっている身としては、
そういったいろんな人の思いを伝えられるっていう幸せさを持ちながらやっていければと。
本当に素敵な話、どうもありがとうございました。
ということで、今回は日本酒ライターの関智恵さんにお酒にまつわるいろんなお話を伺いしました。
次回は関智恵さんにお酒にまつわるいろんなお話を伺います。
ということで、今回は日本酒ライターの関智恵さんにお酒にまつわるいろんなお話を伺いしました。
次回は関さんの会社員時代や、僕も大好き、晩酒1個の産業廃止像さんで、
倉人までなさったという働かれた時のお話を聞いていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。ありがとうございました。
ありがとうございました。
若手の夜明けイベントの概要
さきのきょうのひとこと
このコーナーでは、さきが気になる酒に関するワードをピックアップし、それについてゆるく簡単にトークするコーナーです。
きょうのひとことは、
若手の夜明け
若手の夜明けとは、9月17日から9月21日まで大手町で開催されていた、若手醸造家たちが中心となった酒イベントです。
今回は参加レポ的なものをゆるーくひとりがたりします。
5日間開催という大規模な酒イベントなんですけれども、期日中は前半と後半で参加蔵が分けられており、海外で醸されたお酒もありました。
前半は酒の道にも出てくださった栃木県の朝日酒さん、秋田県の稲戸あがべさん、新潟県の阿部酒造さん、後半は群馬県の土田酒造さんなどを含む全64蔵が出展されていました。
イベント開始前のメディア向け対談で、稲戸あがべの社長岡澄さんが、
イベント初期の頃よりも去年あたりからどんどんお客さんが来てくれるようになった。
日本酒って楽しい、美味しいを伝えられる存在にイベントを通して実感しているとおっしゃっていました。
他には福島県の発行場、倉本佐藤さんは、若手たちの作る酒の魅力を伝えていきたいと意気込みをお話しされていました。
私は初日の水曜日に行ったのですが、日が暮れるにつれてお客さんが増えていって、日本酒やクラフト酒の魅力がどんどん伝わっているんだなぁと感じました。
また、倉本の方と直接お話しすることができたので、交流を深められたり、新しい発見があったりで、和の繋がりも感じることができました。
ということで、全然飲んだお酒のお話ししてないし、どんなブースに行ったり、どんな人とお話をしたかなど、語りたいことは他にもたくさんあるのですが、
今日は一旦このあたりで。
以上、さきのきょうのひとことでした。
感想と締めの挨拶
さて、縁も竹縄ではございますが、そろそろお開きといたしましょう。
感想は、Xでハッシュタグ酒の道をつけて、ぜひ投稿してください。
それではまた次回。さようなら。
27:52

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