1. 酒の道〜日本酒の聖地から〜
  2. #20-2:日本酒ライターになる前..
2025-11-12 25:47

#20-2:日本酒ライターになる前は?|ゲスト関友美さん

■内容 
トークテーマ:日本酒ライターになる前はどんなお仕事を?/シードルロンロンについて 

コーナー:さきの今日のひとこと 

 

ゲスト:関友美さん  

北海道・札幌市ご出身の関友美さん。 

会社員を経て、有楽町・人形町・渋谷の酒場で女将として活躍をされながら、フリーライターとしての活動も本格化されました。 

2018〜2024年には、フリーライターとして執筆を続ける傍ら、 

兵庫県の「播州一献」醸造元・山陽盃酒造にて蔵人としてご勤務。 

製造・販売・ブランディングまで幅広く携わり、 

蔵の火災をきっかけに、地域産りんごを使ったスパークリング酒「シードルロンロン」を開発されました。 

現在は東京を拠点に、執筆・講演・商品開発・PR支援など、 

“日本酒のなんでも屋”として全国で活動されています。 

SSI認定の唎酒師、日本酒学講師、WSET Level 2 in Sakeなど、複数の資格を保持されています。 

また、テレビ出演も多数で 

BS-TBS「関口宏のこの先どうなる!?」やTBS「ニューかまー」などにご出演されています。 

 

―――――― 

Xの番組アカウントにて情報を随時更新中▼ 

https://x.com/sake_no_michi  

▼しぶさわくんFM公式サイト

⁠⁠⁠https://shibusawakun.fm/⁠⁠⁠

▼しぶさわくんFM公式X

⁠⁠⁠https://x.com/shibusawakunfm⁠⁠⁠

▼しぶさわくんFM公式Instagram

⁠⁠⁠https://www.instagram.com/shibusawakunfm⁠⁠⁠

▼X →@sake_no_michi

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/sake_no_michi⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠



サマリー

日本酒ライターの関友美さんがライターとしての道を歩んできた経緯について語ります。彼女は日本酒の知識を深め、人々にその魅力を伝えるようになった過程や自身の率直な体験をお話しします。関友美さんの日本酒ライターとしてのキャリアが紹介され、震災を経て蔵人として酒造りに携わる経緯が描かれています。また、新たに開発したシードル「ロンロン」の特徴についても説明されます。関友美さんは、日本酒ライターとしての道を歩む前の経験について話し、酒造りやその影響力の重要性を探ります。さらに、晩酒一魂などのブランドを復活させるための新たな取り組みについても触れられています。

ライターとしての道のり
日本酒の聖地から
こんにちは、パーソナリティの平田勝です。
この番組はお酒にまつわるゲストをお招きし、
お酒の道を歩むストーリー、お酒のあれこれを深掘りしていく番組です。
アシスタントの関さんと共にお送りします。
関です。お願いします。
今回のゲストは前回に引き続きまして、日本酒ライターの関友美さんです。
どうぞよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いいたします。
前回は関さんの様々な酒トークについて聞いてまいりましたが、
今回は関さんの晩酒一行かもされている三葉俳子像さんでの
倉人時代真似についてお伺いしていきたいと思うんですけれども、
いろいろライターもやって、お上さんもやって、何者ですかって感じなんですけど。
きっかけ聞きたいですよね。ぜひ教えてください。
はい。
お上業とかフリーライターとしても活躍されるきっかけみたいのも
少しお伺いできればと思っているんですけれども。
はい。そうですね。
最近よくお話を聞かれることが多くて、好きを仕事にしているとか、
私がまるで切り開いてきたみたいな形で思われている方とか
質問されることが多いんですけれども、
もうほとんどが人から頼まれる形で。
これはあんたが手伝ってくれないとか、やってみないとか。
いやもう人がとにかくいないから、
これはお誘いではなく強制だよなっていうような親友からの。
もうハイかイエスか喜んでか。
そうですね。そういったことがすごく多くてですね。
ライターに関しては一番最初の日本書を勉強しようと思って
飛び込んだ神田の西口に今もうなくなってしまったんですけど
ダイニングバーの日本書のお店があって。
そこを辞めるタイミングでそのお店が毎週土曜日とか
倉本さんを呼んで会をやったりですとか、
あと日本書のイベントをお手伝いしたりとか
ブースに入っているようなお店だったんですね。
なのでそこでアルバイトとして私たちもお手伝いをしている
ということを知っていましたし
雨風呂で発信をしていたので
それを知った方がその当時ホームページだったりとか
専門サイトを立ち上げてアフリエイトをつけるみたいなのが
すごく流行ってた時代だったんですね。
そういう方がホームページが専門なんだけども
日本書についてはわからないから
ライターを探しているっていう方から声をかけていただいて
関さんもうお店に立っていないんだったら
ちょっと書いてくれないかっていうお願いがあったんですね。
ただやっぱり商業の文章とブログっていうのは全く別物ですから
最初お断りしたんですけど
とはいえ一人でも多くの方が
何か日本書に触れるきっかけになれば
それは意味があることなんじゃないかっていうのを
ちょっと思いとどまって
できないんだったらできるようになればいいということです。
もともとブロガーだったわけですよね。
ブロガーということでもなかったんです。
そういうことでもなかったんです。
本当にOLさんが飲んだお酒とか行ったイベントについて楽しいって書いてるくらい
美貌を残してた日記
それの走りだったってことですね。
そうですかね。
だからそんな執筆業とか目指してたわけでも
そんだけやってるんだぜひやってよっていうところから
そうです。ただ小さい頃から本当に本が大好きで
もともと文章がお上手なんだ。
詩を書いてたりとかいろんなことはしてたんですね。
作曲して詩を書いたりとか
そういうただの短歌を書いたりとか
小説もいつか書いてみたいななんて
小さい頃も思ってたぐらいには好きだったので
何かきっかけなんだからちょっと勉強してもいいかなということで
お金をもらうにふさわしい文章ということで
そこからライターとしての勉強を始めたっていう感じですね。
そこちゃんと勉強なさるっていう
素晴らしい。
もっと勉強しないとなってふと思うときが
でも勉強してるつもりは実はなかったりしてますよね。
目の前に来た課題を解決するために
これ知らないと私これできないみたいな。
やっぱり対価をいただくからには
それ相応の人様に見せられる文章を書かなきゃっていうのもありましたし
やっぱり文章がちゃんとしていないと
言いたいことが伝わらないですね。
そういうことも含めて
それをライター業は2015年に頼まれて始めたと思います。
日本酒バーでの経験
すごい業になったわけですもんね。
びっくりされましたよね。
本当にライターとしてやってよって。
そうですね。びっくりしましたけど
本当にサイトの立ち上げで
今見てもその方にも失礼ですけどね
私の文章もその方のホームページもとても拙いので
今見返すとね。
2人で一生懸命育ててるっていうような形で
そのうちに別のライターさんも参加してきて
ただやっぱりそういうのを見てると
勉強せずにブローカー状態で入ってくる方もいて
なおのことやっぱりこれは自分はちゃんと勉強しなきゃなっていうのは
人の文章を見てすごく思いました。
すごいな。
そんな傍ら週7でオカミがいるお店とかも。
そうですね。一番最初は有楽町の交通会館の地下にある
サキバーっていうところなんですけれど
それが月下水木金堂日地のそれぞれのオカミがいるというコンセプトでやってまして
それこそ脱細だったりとかそういった銘柄も
日焼け膜が張ってあったりとかっていうようなお店なんですけど
そこで月曜日のオカミさんが開くっていう話だから
やってみたらっていうのを倉本さんにお声掛けいただいて
やってみたっていうのが最初ですね。
というのもやっぱりもちろん副業としてライターをやってますけど
OLもやってますけれども
日本酒の仕事としては特に他にやっていない状態だったので
暇と言ってはよくないですけれども
月曜日開けろと言われれば開けられたと。
そうですね。はい。
地震と日本酒の思い出
すごいですね。いろんな関さんの過去のお話もいろいろ聞けましたけど
次に万酒一魂を醸されている三尾俳酒造さんで
倉人としてご活動されたときのお話もいろいろ聞いていきたいと思います。
実際に酒造りの現場に入ってどうでしたか?
率直なご感想など覚えていればお願いいたします。
きっかけもちょっとお伺いしたいんですけど
そうですね。きっかけはちょっと全部話すと長くはなるので
かいつまんで
そういうライターをやりながら
有楽町のお店をやりながら
そこから人形町、宇田川町、渋谷のお店なんていうのを任されて
そこでもお髪をやることになって
ライターとして暇だったんですね。
なのでお前やれよということで
やっぱりそんなに日本酒バーってなると席も少ない
玄関もちょっと高いって考えたら
一人に全部お金の管理も人事のことも仕入れも全部やってほしいっていう人が
なかなか当時いなかったんですね。
今もちょっと難しいかもしれないですけど
全てをっていう時に
会社員として経理をやっていて
日本酒に詳しい私っていうのがうってつけで
いろんなとこでじゃあうちもっていうので相談されてやっていたんですけれど
そんな中ちょっとこれを続けていくのもどうかな
ライターとしてやっぱりしっかりと立っていきたいなっていう風に考えてた時に
北海道で大仁城の会っていうイベントがあったんですね
それにお世話になっている先生が主催をされていたので
帰省も兼ねて帰っていたんですけど
そのイベントの直後ぐらいに北海道地震が
イブリ東部地震
2018年の9月ですね
起きまして私被災することになってしまったんですね
たまたま帰省している時に本当に揺れた
山崩れましたよね
サッポロの右下あたりの
そうですね
イブリの方はもう
山崩れたりとか
跡形がないっていうぐらい崩れてましたけど
なんせ北海道全湖停電したんです
予信もずっと続いててっていうところで
明日どうなるかわからない
もしかしたら熊本地震みたいにさらに大きい予信が来て
母はお店をやっているのでススキノに住んでいて
そこに滞在していたんですけど
ススキノのマンションもどうなるかわからないっていうような気持ちで
でももう狸小路も真っ暗ですよ
こんなサッポロ見たことないので本当にびっくりして
夜もいつ終わるかわからない予信と停電で
水もマンションまで給水場から持って上がって
っていうのを繰り返している中で
お酒だけはあるので生酒から飲んじゃおうって言って
母さんのお店から
素晴らしいな
そうやってシクシクしてもしょうがないですからね
もうその当時9月だけど寒かったし
5時くらいに真っ暗になっちゃうんですよ
そうすると夜が長くて長くて何をしていいかわからないっていうので
じゃあ生酒残り少ないのから開けようって言って
お店の冷蔵庫から鍋島の生酒を取り出してきて
母とろうそくで夜話しているときに
これからどうするのみたいなふうに聞かれて
お店もそろそろ困ってるっていうふうに
人がいないっていうことだったけれども揃ってきたし
震災を経た酒造りの始まり
私はもうそろそろ必要ないかもしれないから
自分のことをするべきだとは思っている
当時東京オリンピックが通常通りやる予定だったので
そうですね
なのでそれまでに始めてそこの波に乗らないという
海外の方にもたくさん説明をする機会だろうし
ということで母にも言われて
じゃあこの地震で最悪の場合ない人生だったかもしれない
命だったかもしれない
私たちは生かされてるっていうふうに思うと
じゃあもう帰ったら私の強みである製造現場に
うまくスッと入っていって
口の固い当時さんとか年配さんとか
そのうちに娘や孫みたいな感じで
いろいろお話ししてくれるっていうのが
自分の強みではあったので
それを活かして現場をより分かるようになると
やっぱり冷たい寒いっていう
辛い現場だっていうような話があるけれども
それはもう機上の空論で
誰も経験してないライターが書いてるわけですから
なんかそれはおかしいなと思って
私のだから人生の中でも
終わったと思ったらしばらく預けていいわけだから
ということで
うまく本州内地に帰れたら
倉人になろうっていうのを決めて
その母との話の上で
俺でぼやぼやしてる理由がなくなっちゃったっていう感じだったので
もう俺で北海道を出たらすぐに
どこかの倉にオファーをしよう
もう今季行こう
9月だったんでもう時期始まるんですけど
もう今季アルバイトでいいのでやらせてくれということで
どこか一軒ずつ頼んで歩こうっていうふうに思ってましたね
そしたら坂井さんが
そしたらたまたま北海道地震の何日か前に
札幌の酒屋さんと一緒に
ニセコ酒造さんに行ってたんですね
その酒屋さんに連れて行っていただいて
案内していただいてて
でその酒屋さんっていうのが
坂井さんが
その酒屋さんっていうのが
晩酒一魂の特約店だったんです
でやっぱり特約店で心配なので
人間関係もありますからね
その三養八子像の晩酒一魂の蔵元の坂井さんが
その酒屋の安倍さんに
前期復旧したっていうのはニュースで見ました
なんていう話をして
大丈夫商品も大丈夫だよっていう話の最後に
そういえば坂井ちゃん関さんまだ札幌にいると思うよって
言ってくださったそうなんですよ
でそれですぐに電話してくれて
それが私が震災にあって
一本目の電話だったんです
心配して電話してくださって
でたまたまその2週間後に
坪坂さんが主催の姫路のイベントに行く約束をしてたんです
東京の飲食店さんを紹介しますね
連れて行きますねっていうようなことがあったので
じゃあ母から言われて
もう飛行機全面キャンセルになってますんで
神戸に飛んでそのイベントに行ったらどう?
って言われて
ちょっとだから余裕ができたんで前乗りして
坪坂さんと2人で飲む機会があって
その日に私こういうふうに決めたんですって言ったら
向こうは酔っ払ってたので
ほなうち来ればええやん
多分何気ない車高事例だったと思うんですけれど
確かにこのくらいにはたくさん取材で通ってて
よく知ってるし
それはいいわと思って
東京帰ってから本当ですね言いましたよって言って
現地取って
現地取って
ただ会社のことですから
でもちょっと相談してみるということで
会社で決まって
11月から繁忙期に来てくれということで
クラビととして入るっていうことが決まって
シードル「ロンロン」の誕生
人ですよね
やっぱ人と人のご縁がね
そっと重いよね
その現場ではやっぱり朝から晩まで
がてん系ですもんね
そうですねやっぱり
このご時世ですから機械化してるんじゃないかとかって
結構言われたりもするんですけど
やっぱり何をするんでも
まずはお米は30キロずつ入ってきますし
その米袋を運ぶでも
それを小分けして洗米するでも10キロずつ
それが最小単位だったりもしますので
何をするにもやっぱり力仕事でがてん系なんですね
朝早く起きて
本当に建設現場のがてん系の人たちと変わらないように
行儀を着て
一応女心なので化粧はしないけど眉毛だけ描いて
出勤して
っていう感じで小尻室入って
5時半から小尻室に入ってっていう感じでやっていましたが
本当に日和な私でも腕ムキムキになって
10分でもあったらちょっと髪を取るっていうぐらいの
今だったらご飯100グラムぐらい食べればお腹いっぱいですけど
その当時たぶん2,3倍2,3千食べて
兵器を養うっていう感じの生活をしていました
がてん系です本当に
やっぱ大変な世界なんですね
美味しい一本を作るのに
もっと感謝した方がいいと思うよ
本当にそう思います
今関さんのいろんなお話を聞いてきましたけど
こちらの晩酒一魂さんに入られてから
シードルというお酒も作られたという風に
記事の方で拝見したんですけれども
ちょっと私シードルっていうものを聞き慣れなくて
シードルについて教えていただいてもいいですか?
はい
皆さんスパークリングワインって
ぶどうからできるっていうのは分かると思うんですけど
ぶどうの果汁を絞ってそこに酵母を入れて発酵させて
スパークリングワインになったりとかワインになるんです
それのぶどうをリンゴに置き換えるとシードル
アメリカなんかだとハードサイダーとか
イギリスでもサイダーって呼んだりしますが
日本ではシードルっていう名前で有名かなと思います
日本人のサイダーは三ツ谷サイダーですからね
そうなんです
なのでフランス語であるシードルっていうのを
共通の用語として使ってるみたいですけれど
リンゴ100%のお酒ですね
なるほど
このシードルで
商品名だったりとかも多分あると思うんですけれども
なんていう名前のお酒を作られたんですか?
私が作ったのは
ロンロンっていう名前です
ロンロンっていうのがフランス語で
シードルがフランス語なので揃えたいなと思って
フランス語で猫がご機嫌な時に
喉をゴロゴロって鳴らすのが
ロンロンって言うそうで
覚えやすいですし
ちっちゃい子からお年寄りまで覚えてもらいやすくて
あとはやっぱり飲んだ人が
喉をゴロゴロ鳴らすように
楽しい幸せな一時を過ごしてほしいなということで
シードルロンロンっていう風に名付けました
素敵ですね
しかもこのお酒が
なんと今関さんがお持ちいただいたということで
また後ほど一緒に乾杯をしたいなと思います
このシードルロンロンを
ご開発されるにあたって
こだわったところでしたりとか
そういった部分などがありましたら
ぜひ教えてください
はい
これはシードルってなんだっていうのを
倉元に伝えるところから全部始めたので
PRだったりとか広告だったりとか
名前だったりとか
酒の味だったりとか
もう私のこだわっていないところはないっていうぐらい
全部お酒の設計から関さんがなさったっていう
私と倉元の当時と2人でやりました
ただシードルをやろうって言い始めたのは
私がきっかけでして
私がそれでライターとして
ちょっと一歩
勉強させていただこうということで
晩酒一本で
倉人をすることになったんですけれど
その3日前
日曜日からすることになって
平日に火災になってしまって
倉の半分
1500平米が焼けてしまったんです
すごいニュースになりましたね僕も
東京で見てて覚えてます
航空映像なんかがバンバン流されて
初めて倉としてヤフーニュースに乗ったので
こんな機会のはずじゃなかったっていう感じでしたけど
本当に酒作りが続けられるかどうかも分からないぐらい
製造現場の苦労と発信
火災の規模が多くて
倉元の家も全焼してっていうようなことだったんですけれど
ただすごく不幸中の幸いで
現在の製造現場は全部残ってたんです
昔の製造現場
今物置に使ってたところが燃えてしまって
あと自宅ですね
なんですけど製造現場が焼けないで残ってくれていたので
酒作りを続けられるということで
酒作りを続けたんですがやっぱり
センセーショナルなニュースになってしまったので
晩酒一魂終わったとかって
Xですごく書かれていて
これはちょっとどうしたものかということで
ずっと私がSNSで倉に入る直前に
向かいながら新幹線でずっと書いて
大丈夫ですっていう発信をしたりとか
現場で酒作り始めてますとか
今清掃してます
出荷はちょっとまだ未定ですとか
できるようになりましたっていうのを
逐一発信していたんですけれど
関友美の日本酒ライターへの道
そうなってくると今度は逆に
晩酒一魂は応援するべきお酒だ
っていう風になってしまったんですね
発注が来すぎちゃったみたいな
というよりは
やっぱりお酒って
作って人の元に届けて
飲んでもらって
人を笑顔にするべきなんです
だから矢印がお客さんの
蔵かえお客さんの方に向いてるはずなのに
それが逆になってしまったっていうイメージですかね
そうするとおそらくどこかで
他に困っている蔵がいたりとか
その気持ちが飽きたりとか
冷めたりとかした時に
ブランドが廃れると思ったんです
だからこれは火事があった蔵なのに
なんでってびっくりするような
さらにびっくりするような
明るいニュースを届けなきゃいけない
っていうことを言って
やっぱり明るいニュースを届けるには
小手先のPRとかそういうことじゃなくて
我々はお酒を作ってるんだから
お酒を届けて
びっくりさせておいしいねって
もう一回笑顔にして
晩酒一魂というブランドを取り戻そう
っていうことで
何をやろうって言った時に
兵庫県なんですけど
兵庫の高いところが市内にあって
40年前ぐらいからずっと
リンゴ園をやってるんですね
そこのリンゴがあるっていうことを
火災前に私が市役所の方から聞いていたので
それでこれは使えるんじゃないかと
第3セクターでやってるものなので
あんまり人に知られてないし
それを知っていただくっていうことも
すごく町としてもハッピーだし
火災の片付けを一緒に手伝ってくれた
町の人たちへの恩返しにもなる
ということで
あとシードルって何?ってなると思うので
飲んでみておいしいというお酒さえ作れれば
すごくハッピーな流れになるんじゃないかな
ということでシードル論論は
晩酒一魂の未来を託したお酒として
日本酒の醸造と缶作り
誕生させました
未来を託した
シュワシュワしてリンゴの香りが
ここの中がすごいから
どうしてくれるんですかって感じなんですけど
飲んでください
後で飲みます
思想詩ですよね
初め読めないんですよね
穴?何これ?
穴ぐりって何通も年賀状が来ましたね
アワですもんね
シシド城のシシに
アワですね
思想詩読めないね
神話の世界で出てきた言葉を
今の漢字に置き換えているので
ちょっと難しいんですよね
ということでまた
素敵なお話聞いちゃいましたね
ということで
今回も日本史ライター関智美さんに
会社員時代ちょこっと
お上ちょこっと
倉人ちょこっと
ちょこっとが全部すごくて
たっぷりお話を伺いました
次回は関さんの現在について
お話を伺いしたいと思います
どうもありがとうございました
次回もお願いします
ありがとうございました
さきの今日の一言
このコーナーでは
さきが気になる酒に関する
お酒について
ゆるく簡単に
トークするコーナーです
今日の一言は
缶作り
いよいよ11月に入りましたね
この時期から
お酒を作り始める方法を
缶作りと言います
ということで
今日は缶作りについて
ゆるっと解説します
缶作りとは
11月頃から3月頃までの
寒い時期に行われる
1年を通して作る
式醸造もあったのですが
江戸時代に米の価格が
乱高化しないよう
幕府の統制が入り
夏場の酒作りが禁止される
などの決まりができました
その結果
冬に集中して作るスタイルが
定着していったんです
ちなみに
当時集団が誕生したわけには
この缶作りに関係していて
農業が暇な冬場に
農民が酒作りの
発展して
当時集団ができました
またこの缶作りには
酒作りにおいて
メリットも多いのだそう
低い気温だと
麹が澱粉を糖に変える糖化と
酵母がアルコールに変える
発酵のバランスが
取りやすいそうです
気温が高いと
発酵だけが先に走ってしまい
味のバランスが崩れやすいんです
とはいえ
今は技術が進歩して
特殊なタンクを使うなどして
1年中仕込む蔵もあります
なので
昔ながらの缶作りもあれば
色情像もあるというのが
今の日本酒です
今回の解説は
ダルママサムネを醸す
白木恒介商店さんのYouTube
ダルママサムネ
日本酒の秘密チャンネル
の内容も参考にしました
他にもためになる動画が
たくさんあるので
ご興味になった方は
ぜひチェックしてみてください
以上 佐紀の今日の一言でした
さて 縁も竹縄ではございますが
そろそろお開きといたしましょう
感想は
Xでハッシュタグ
酒呑道をつけて
ぜひ投稿してください
それではまた次回
さようなら
25:47

コメント

スクロール