1. 酒の道〜日本酒の聖地から〜
  2. #19-2:人生を変えた一杯|ゲス..
2025-10-08 14:42

#19-2:人生を変えた一杯|ゲスト五十嵐酒造株式会社 五十嵐正則さん

■内容

トークテーマ:蔵が遊び場だった幼少期人生を変えた一杯/

コーナー:さきの今日のひとこと

 

 

ゲスト:五十嵐正則さん

埼玉県飯能市にある「五十嵐酒造株式会社」5代目蔵元代表取締役社長五十嵐正則さんです。

中学生の頃から「早く働きたい」と考えていたという五十嵐さんは、高校を卒業するとすぐに大阪の酒類販売専門学校へ。そこで学ばれたのち酒販店に勤め、さらに東京都北区にある旧醸造試験所で酒造りを徹底的に学ばれました。当時は未成年で、「飲まない」という誓約書を書いて勉強を始めたというエピソードも。

広島に移転した研究所でも修行を重ねられ、杜氏との出会いをきっかけに実家の蔵に戻られます。

2014年からは蔵を率いる立場に。伝統を守りつつも、新しい酒造りへの挑戦を続けていらっしゃいます。

 

 

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サマリー

ゲストの五十嵐正則さんが語る日本酒の道と酒造りのストーリーでは、五十嵐酒造株式会社の水質や米の特徴、幼少期からの酒に対する好奇心について深掘りされます。彼の酒造りに対する考えや、販売のための専門学校での学びも紹介され、日本酒の歴史や変化についても触れられます。特に印象に残っている日本酒のエピソードとして、彼は常前水のことしを、酒造りへの道を開いた大切な一本として記憶しています。

五十嵐酒造の背景
酒の道 日本酒の聖地から
こんにちは、パーソナリティーの平田勝です。 この番組はお酒にまつわるゲストをお招きし、お酒の道を歩むストーリー
お酒のあれこれを深掘りしていく番組です。 アシスタントの佐紀さんとともにお送りします。
佐紀です。よろしくお願いします。 さてゲストは五十嵐酒造株式会社代表取締役社長
五十嵐正則さんにお越しいただいております。本日はどうぞよろしくお願いいたします。 よろしくお願いします。
それでは佐紀さん、簡単にゲストのプロフィールのご紹介をお願いします。 埼玉県半能市にある五十嵐酒造株式会社五代目蔵元代表取締役社長を務める
五十嵐正則さんです。 中学生の頃から早く働きたいと考えていたという五十嵐さんは、高校を卒業するとすぐに大阪の種類販売
専門学校へ。 そこで学ばれた後、市販店に勤め、さらに東京都北区にある旧醸造試験所で酒作りを徹底的に
学ばれました。 当時はまだ未成年で、飲まないという制約書を書いて勉強を始めたというエピソードもあります。
広島に移転した研究所でも修行を重ねられ、当時との出会いをきっかけに実家の蔵に戻られます。
そして2014年からは蔵を率いる立場に、伝統を守りつつも新しい酒造りへの挑戦を続けていらっしゃいます。
五十嵐さんとは今年2月に開催されていたプレミアム和酒フェスでお会いさせていただいたことがきっかけで今回お越しいただきました。
よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
五十嵐酒造さんについてちょっと聞いてもいいですか?いろいろ特徴とかがあると思うんですけれども、水質でしたりとかお米とかやはりあの
埼玉県内のお米を使っていたりとかいろいろ特徴などがあるんですか? そうですね、通常お水って南水が多いんですけど
弊社のある埼玉県の西部地区っていうのはですね、そのさらに山奥行くとですね、秩父っていうところがあってですね、秩父はね石灰が取れる山になります。
石灰イコールカルシウムなんですけど、おそらくその辺から染み込んだ水が弊社の方に流れてきて組み上げるとですね
水質を調査するとカルシウムだけがね非常に高い水、中高水という水になって出てきます。
繁納っていうところから埼玉県の小川町っていうところのね、だいたいその一帯が中高水が出やすい場所になります。
その水で作るとですね柔らかい綺麗なお酒ができやすいと思います。
なるほど、確かにあの茨城酒造さんが出されているあの茨城っていうお酒もすごい本当にフルーティーで柔らかい感じがするお酒だなと私は思っているんですけど。
はい、ありがとうございます。
なるほど、あとあの茨城酒造さんでは酒蔵金学も開催されているんですよね。
はい。
そこにこないだ私もお伺いさせていただいて。
暑い中来ていただいてありがとうございました。
社長自らの説明してくださるので、ぜひぜひ皆さんの気になる方はぜひ行ってみてください。
ありがとうございます。もっとね深く本編でもいろいろ聞いていくんですけれども、まずこのお酒の道の第一歩ということで、幼少期のお話からお伺いしたいんですけれども、茨城酒造さんは代々続く酒蔵さんで、あれ社長で何代目ですか?
私で5代目です。
5代目。
やはり小さい頃酒蔵の中で遊んだりだとか、酒蔵の敷地内にご自宅もあったような感じですか?
そうですね。
安倍さんだっけな。
かはなんか住んでるところと酒蔵がちょっと距離があって、住んでるところは主販店だけやってて、自分自身が酒蔵やってる感覚はほとんどなかったんだけどって方もいらっしゃったんですけど、敷地内でもずっとだからもう横に酒蔵がある人生っていう。
はい。
そうですか。その頃やはり遊び場にしてたりとか。
そうですね。友達も来てもその中で一緒に遊んだりとか、そういうこともしておりました。
なんかかくれんぼしたりとか、冒険の拠点にもしたとか、車庫場でもあったような感じっておっしゃってましたけれども、ゲイトにも。
そうですね。
よくどんな遊びなさってました?
そうですね。先ほど言われたようなかくれんぼとかですね、鬼ごっことかも、カンケリなんかの隠れる場所なんかにもよく使用してました。
タンクの裏とかね。危ないんだけどね。大人にも起こるんだけど、夏場は逆に動いてないから、蔵も動いてないじゃないですか。
そうですね。冬場は入れなかったですね。
逆にか。飛べなくて。
幼い頃から日本酒にはすごく近しい環境だったと思うんですけれども、ご実家が蔵元だったからこそエピソードみたいなのってありますか?
ありますよ。
教えてください。
やっぱり子供ながらも、親がお酒とか飲んでるとね、ちょっと飲みたいなっていう好奇心からね、ちょっと飲ましてって言うとね、ビールはダメだよ。ビールはもうアルコール入ってんからダメだよ。
でもお酒は勉強だから、ちょっとならいいよって。これはこの香りがいいんだよとかね、こういう味がいいんだよというのをね、結構真剣に教えていただいたっていうのがあります。
ちなみに井原氏さんは、そのご両親からこれは香りを覚えるんだよとか言われたと思うんですけど、その時って日本酒に対してはどんな印象でしたか?
その当時はですね、香り系、うちは結構作ってたんですけど、旅行とかで出されるのは結構甘いお酒が多いんだなっていう印象が多かったです。
その当時に出てたお酒は、今ほとんど作られなくなってましたけど、三杯醸造って言ってね、そういう系のお酒が大体。
三道酒ですね。
そうですね。旅館とかでもそういうのが多く出てたんで、そんな感じ、今で言うとね、ザ・日本酒みたいな感じのお酒がね、昔は多かったなっていう風に。
バブル前後で嫌われちゃった日本酒の味とかね、そんな感じでしたよね。
そうですね。
幼少期からの酒の英才教育がすごいですね。
はい。
専門学校での学び
なるほど。はい、それであとは高校卒業後のお話についても聞いていきたいと思います。
はい。
高校卒業後はすぐに大阪の種類販売専門学校へ入学されたということでしたけれども、お酒を作るよりも売る方の学校に行ったのはどうしてだったんですか?
その当時はまだ作れる方って多かったんですよ。出稼ぎでまだ岩手とか新潟からですね、来られてる方も多くてですね、作り手に関してはまだ先があるなっていうような印象がありまして、
ここからは結構もうお酒が売れなくなってきてる時代に入ってくるんですけど、その時にねやっぱり売り方とかですね、現場のこと知らないでどうやって売るんだっていう話になって、とりあえずじゃあそっち行ってみようっていうので、製造よりかは販売の方をまず勉強しに行きました。
バブル後ですよね。
そうですね。
ちょっと何年かの頃ですもんね。
本当に日本酒が新潟県の丹麗から口ブームが80年代にあって、その後ですもんね、お酒で言うと。逆にボジョレヌーボーとかそういうのがアルコール入り、あと柑橘灰とかレモンサワー系とかがガンガン売れ始めるような頃ですよね。
だから日本酒がちょっとお父さんが酔っ払う酒みたいな印象がより濃くなり始めた時代かな、だとすると酒の売り方を勉強しなさいっていうことだったんですね。
そうですね。また純米酒ブームっていうか、純米酒が良いということで、先ほど言ってた三倍醸造とかのお酒がね、大幅に減ってきてる時にもなるんで。
純米酒ブームとかその後、醸前水のごとしとか、そのあたりがちょっと出は桜とか、そのあたりが流行り出し始める頃ですよね、時代的にはね。
やっぱりその専門学校で学ばれたことって、やっぱり今にも結構活かされてるところってありますか?
そうですね。基本的な基本を教えていただいた感じになりますし、あとポップとかですね。
ポップの勉強もここでできるんですね。
僕の字体ね、結構丸文字なんですよ。ポップって結構丸いじゃないですか、字体が。そこで丸文字に全部変わっちゃったんですよ。
一応書道はですね、書壇持ってるんですけど、書道をやってたのは全く字体にはないです。
丸文字になっちゃう。
丸文字です。
普通の字も丸文字になっちゃう。
普通の字も丸文字。
そうなんですね。
可愛らしい。
印象的な日本酒のエピソード
そんなお酒と固い絆で結ばれているのは井原さんですけれども、今まで飲んだお酒の中で特に印象に残っているお酒でしたりとか、そのエピソードなんかあれば教えてください。
先ほどね、大阪の専門学校行ってた時に一緒に勉強してた神戸の酒屋さんがいるんですけど、神戸の酒屋さんに泊まりに来いよということでね。
泊まりに行った時に、冷蔵庫の奥からこんな珍しい酒入ってるからちょっと飲んでみなよということで飲ませていただいたのが、常前水のことしっていうね、白滝酒造さんのお酒です。
今までのラベルのデザインとかに比べても洗礼された民調体の時代でですね、漢字がまずね、レ点が入ってるような感じで逆に最後変わるんですけど、そういうのもね、面白いなということでちょっと飲んでみたら香りがあってですね、すごい飲みやすく甘くすっきりしたお酒で。
ちょっとこれはもう一本自分でも買ってもいいなっていうぐらいのちょっと僕の中ではインパクトのあるお酒で、それまでは味も香りも未熟な感じもあった僕がですね、やっぱりお酒の製造の方に向いたお酒っていうんですかね。
そんな出会いがあった一本になったと思います。
飲む側から作る側になってみたい、そういうふうになった、井原さんがなった一本ってことですね。
そうですね。
すごい、私常前水のことし飲んだことなくて実は。
結構そこらへんって言ったらあれだけど買いやすいよ。
そうなんですか。
スーパーで売ってるよ。
買ってみようかな。
結構飲みやすい。
あると思います。あるんですけど、僕飲んだのがこれ初回版なんですよ。
初回版?
本当に一年目の白滝さんの?
そうなんです。これが結構レアっていうか、結構レアなんですよ。
ロットナンバーワン、一年目だったってことは後で調べればわかったみたいな。
そうですね。
これが導いてくれたお酒っていうことですね。
そうですね。
本当にいろいろありがとうございます。
本当に日本酒に出会っちゃったっていう感じのお話もすごい素敵だなと思ってありがとうございます。
日本酒との出会い
今回は井原室長の井原雅則さんに、これからもっと深く聞くんですけれども、旧浄土試験場でのお話もちょこっと聞けたり、幼少期だったり、大阪の専門学校時代についてお伺いしました。
次回は本格的に浄土試験場での研修についてお伺いしていきたいと思います。
本日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
さきの今日のひとこと。
このコーナーでは、さきが気になる酒に関するワードをピックアップし、それについてゆるく簡単にトークするコーナーです。
今日のひとことは、
倉本。
今回のゲストは井原室長5代目倉本の井原さんでしたが、皆さん倉本の意味はわかりますか?
倉本とは、日本酒業界では酒蔵の経営者のことを指します。
もっと簡単に言うと、日本酒を作るための蔵を持つメーカーって感じですかね。
他にも酒造りに携わる方の呼び方に、当事や蔵人などもあります。
前者の当事は日本酒造りにおける蔵、最高責任者のことで、後者の蔵人は当事と一緒に働く人たちのことを指します。
蔵人さんの中でも担当の役割によってまた呼び方が違うのだとか、そのあたりの詳細はまた今度ゆるっと解説しますね。
以上、さきの今日のひとことでした。
さて縁も竹縄ではございますが、本日もこのあたりをお開きといたしましょう。
それではさようなら、バイバーイ。
14:42

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