Googleフォームの形なんですけれども、この山本達也のUntitledへのお便りとか質問、感想なんかを送りいただける、
そういったリンクがあるんですけれども、そこになんとお便りをいただいたので、まずはそのお便りを紹介するところから始めていきたいと思います。
匿名希望ということで、懸命ポッドキャストUntitledを聞いて、山本達也様、ポッドキャストUntitledをとても興味深く拝聴しました。
AIが画像やデザインを一瞬で作れる時代になってきた中で、綾さんがお話ししていた人間だからこそ描けるものとしての過程、プロセスですね、
プロセスの大切さが印象に残りました。AIを敵視するでも盲信するでもなくバランス感覚がすごいなと思いました。
人間にしかできないこともあるのかもしれません。それは熱量や哲学、倫理など作る過程、プロセスのほうの過程ですけども、作る過程に宿るものなのかなと感じました。
今回のお話でプロセスエコノミーの重要性について考えるきっかけをもらいました。次回の配信も楽しみにしています。ということで、本当にありがとうございます。嬉しいですね。
このお便りの内容というのは、先週まで前編後編という形でフィンランド中心にご活躍をされている、今は日本にベースを移されているということでしたけれども、引き続きフィンランドをはじめ、いろんな世界中でご活躍になっているグラフィックデザイナーの綾岩屋さんをお迎えしてお話をしてたんですよね。
その後編のほうの一番最後のところで、綾岩さんに聞いてみたんです。AIが今、イラストを描いてくれたり、それからデザインをきれいにしてくれるということが、すごく上手にアシストしてくれるようになっていますし、イラストもゼロから描いてくれるみたいな、そんな時代になっています。
今の段階でそんなになっていて、これが1年後、3年後、5年後、10年後ってなっていくと、おそらくかなりの程度進化するんじゃないかなというふうに思われているわけですけれども、綾岩さんのように長年、綾岩さんグラフィックデザイナーでもいらっしゃいますけれども、ご自身でイラストなんかもお課金になるので、
そういうイラストとかずっと描いてきて、手で描いてきて、今みたいにAIがパッとなんかイラストを描いてくるみたいな時代に、こういう今のプロフェッショナルの方々ってどんなふうに受け止めてるんだろうっていうのが興味があって、綾岩さんに聞いてみたんですね。
そしたら即答でしたね。なんかうーんとかって考え込むこととかっていうの全然なくて、もう即答でウェルカムですっておっしゃってたのが、うわぁさすがだなって思いました。なんでうわぁさすがだなって思ったかっていうと、そのお答えを聞いた瞬間に、実はなんかあるデータが頭の中に出てきたんです。
それがデジタルハリウッド大学でありますけれども、デジハリさんがですね、いろんなクリエイターを育てているわけですけれども、デジハリさんがやったなんかアンケートの結果っていうのを教えてもらう機会があって、その結果ちょっと興味深かったんです。
で、それはクリエイターの人たちがAIをどのくらいウェルカムに思ってるのかっていうようなアンケートの結果でもあったんですけども、それを見るとまあこれは予想できることですけども、初学者の人たちにとってみたらAIウェルカムですと。で、どんどん使っていますし、使いたいですと。
そんななんかお答えだったんです。で、これがだんだんだんだんそのキャリアが何年か積み重なっていって、すでにそのプロフェッショナルとしてその領域でいろんなお仕事をされているような方になってくるとですね、実はそのAIウェルカム度っていうのが減っていくっていうのがデータで示されていたんですよね。
ここまでもなんかわかる気がするんですけど、これやっぱものすごく印象深かったのは、さらに経験を積んでいって、さらにもっとその領域で顕著な活躍をされるようなデザイナーでもいいんですけど、いろんなそのクリエイターの方々ですよね。
で、そういうふうになってくるとですね、今度これまたAIウェルカム度が上がってくるっていう、こういうなんかデータを見たときに、さすが綾さん、もう即答でウェルカムですっていうのって、もしかしたらなんかそういうところとも関係しているのかななんて思いながらですね、その綾さんの話を聞いていました。
とにかくこのお便り本当に嬉しいなと思います。ですので、ぜひこれ聞いてくださっている皆さんも何か質問とかコメントとか感想とかありましたら、この概要欄のところにGoogleフォームでお便りご質問こちらからみたいなのがありますので、お気軽にお寄せいただけたらいいなと思います。
そしてご質問も私が答えられる範囲で精一杯皆さんのご質問に答えてみたいなというふうに思いますので、もしなんか聞いてみたいなとか、こんなことを考えてるんだけどみたいなのがあれば、これまたシェアいただけるとすごくありがたいなというふうに思います。
ご希望の方にはですね、この採用させていただいた方でご希望の方にはですね、リビングウィズネイチャーの特別なというかリビングウィズネイチャーをモチーフとしたテーマとしたオリジナルステッカーがありまして、実は4種類があるんですけども、それを採用させていただいた方でご希望の方にはプレゼントさせていただいておりますので、
ぜひこのお便りご質問いただけたらなというふうに思います。
さて、今日本題なんですけども、本題はですね、コミュニティということについて今日はちょっと考えてみたいな、話してみたいなというふうに思います。
というのは、松本に帰ってきたという話ですけども、その直前まで実は宮城県の東松島市に行ってました。一泊で行ってました。
なんでそこに行っていたのかというとですね、実はコミュニティサミットという大するイベントがありまして、全国のいろんな面白いコミュニティの取り組みをされているコミュニティのリーダーたち、コミュニティソースというような言い方もされていましたけども、
そういう人たちがですね、ワーッと集まり、しかもその一泊二日のイベントを、この前主催者の方に伺ったらというか、なんかFacebookで投稿されていたのを見たんですけども、オンラインも含めて100名以上の人がこのイベントを2日間見ていた。
実際会場までいろんなところからいらっしゃってましたね、お客様ね。なんか関西の方からだったりとかですね、青森の方とも名刺交換させていただいたりとかですね、本当に全国いろんなところからこの宮城県東松島町に集まっていたという感じです。
ここにはですね、とっても素敵なエコビレッジ、ここ自体が実はその一つのコミュニティなんですけども、エコビレッジでキボッチャという素敵な空間が広がっていました。
ただ単純に素敵っていうか、とにかくすごく感慨深い場所です。というのは東松島町って、例の3.11の時に結構津波の被害があったことでも知られている場所です。
で、このキボッチャがある場所っていうのは、ある小学校の敷地というか建物とかも再利用されているんですけども、津波の時にちょうどここの場所までがれきとかが押し寄せてきて、その3.11を一つの契機として小学校廃校になってしまったというその場所が見事に再生され、社会的な意義をもう一回与えられて、
なんかこう希望も感じられる輝き、いい種類のエネルギーっていうのがそこで動き始めてるな、大きくなり始めてるなっていうのをすごく感じさせるような場所になっていました。
本当はあの、僕はこのイベントを実はもう1年くらい前から声かけていただいてたんですけれども、で開けてたつもりなんですけどね、どうしてもいろんな仕事がですね、この辺に入ってきてしまって、申し訳ないけどこのオンラインでZoomでの参加になってしまいそうですなんていうので、
ちょうど今から1ヶ月前くらいまで調整してたんですよね。だけど1年前に、実は八ヶ岳で同じコミュニティサミットって同じようなテーマでやったイベントがあって、そこにも呼んでいただいて、
で、なんか僕だけ特になんかのエコビレッジ的なものをやってるわけでもないし、なんかそのある種のコミュニティがあるとかそのリーダーをやってるとかってことでもなく、なんか集まってる方々はですね、本当に素敵な方たちばっかりなんですけど、
普段あんまり僕がこう大学教員とかやっていて、なかなか周りにいらっしゃらないタイプで、アーティストみたいなクリエイターみたいな方だったり、ちょっと風貌的にはちょっと前のヒッピーみたいな形だったり、とにかく自由に自分を表現して生きてらっしゃる、いろんな活動をやられてるような方々が、
まあこれだけ集まるとなかなか圧巻だなっていう感じのイベントだったんですよね。で、もうね、去年覚えてるんですけど、もうなんでここを呼ばれてるんだろうとか、ここで僕なんか役割ちゃんと果たせるんだろうかとかですね、いろいろ思ったんですけど、
まあ終わってみると一泊二日でいろんな人といろんなお話しして、まあ向かってる未来のビジョンとか、実現したいこととか、大事にしたいなと思ってる価値観とか、すごくなんか共有できるものもあって、なんかそういうようなところをコミュニティをやってる側ではなくて、
少しなんか僕の場合は学問的なことのフィールドにずっと身を置いてきたので、ややそれを整理してみたりとか、ちょっと俯瞰してみたりとか、いくつかの社会的な理論みたいなところとの整合性、こういうことなんじゃないかとかって説明をつけてみたりとか、多分なんかそういう役割だったのかなとも思うんですけれども、
まあそれが今まで自分が関心持っていろいろと研究してきたようなことともつながるようなことがいっぱいあって、まあ素晴らしい1年前だったんですよ。で、その時に来年はこのキボッチャという宮城県でやりますって、仙台のちょっと先なんですけども、
で、その時にいらしていたアーティストの方で、もうずっとコミュニティもやられている工藤真久さんというアーティストの方もいて、で、最後真久さんと来年も絶対そこ行きますんでって言って、最後別れなんですね。
もう真久さんも本当なんかこう全身から素敵さがにじみ出てくるアーティストの方で、なんか人間性がすごくなんか出ている素敵な方なんですけども、でも真久さんにそれ行きますって約束したよなって思って、何とか何とかですね予定を調整して、週末というか連休の予定調整して、
で、現地行ったんです。やっぱり良かったですね。行って良かったなって思いました。あの現地の雰囲気を味わえなかったら、見られなかったら、多分まあ今の自分でもじゃあ何か理解してるのかって言われたら、あのまあ浅い理解なんだと思うんですけど、行ったことによってより頭の中で線が繋がったっていうか、
ああなるほどこういうことかなとか、ああこういう希望みたいなものっていうのを感じになってるんじゃないかとか、やっぱり行ってね、夜バーベキューみたいな感じで焚き火の周りでいろんなお話しさせていただくと、うわあすごいなっていうことがいっぱいあったんですよね。
実はそのコミュニティサミットっていうのに出てきたので、今日はその辺のお話をしたいなというふうに思います。まあ本当にあんまり言葉が出てこなくて申し訳ないんですけど、単純にもうねすごい人たちの集まりなんですって、それ何の説明にもなってないじゃないかっていう感じなんですけども、それぞれみんな有名な人たちなので、
普通にネットとか見ていただいたらそれぞれのコミュニティについていろんな紹介されているので、もし興味があったらですね、ぜひ適宜ですね、その辺はウェブとかに頼っていただけたらということで、ちょっと僕はそこの部分楽しちゃうんですけども、
そういう個々のコミュニティの細かいことをご紹介するっていうよりも、これだけたくさんの多分どのくらいだったかな、10とかそのくらいはコミュニティの方々がいろんなタイプのコミュニティがあるんですけども、集まってお話をしてました。
どんなところなのかとか、どんな思いを持ってやっているのかとか、どんな未来展望を持っているのかとか、大事にしていることは何かとかですね、そういうことを見ているとなんかいろんな共通点も出てくるのかななんていうのが思いましたね。
まあこれもご本人たちもおっしゃっている人たちいたんですけども、今の既存の制度とか社会とか家族の枠とか、今的な常識っていうのにややちょっとだけ違和感を感じたり、本当にこれでいいのかなとかっていうふうに疑問とか、いわゆる批判的な視点みたいなのを持っていた方。
もっともなんかアーティストの方とか多いので、アーティストの人って一つの仕事はそうやってみんなが常識だって思ってるものに対して、なんか全然別の価値とか全然別の視点からガンって切り込んでみるみたいな、特に現代アートの方なんていうのはそういうことが多いと思うんですよね。
なんかこう、まある種の引っ掛け傷をつけてみるみたいなところだと思うんですけど、だからアーティスト活動としても色々と成功されてるんじゃないかなとも思いますけど、そういうなんか普通の人が当たり前に思っちゃってることをあえて問い直すみたいなことをされてる方がものすごく多かったなというふうに思います。
何かキーワードがあるような気がするんですけど、なんか深刻になりすぎないとか楽しむみたいなこととか、それからなんか実験とか、これ失敗とも裏返しなのかなと思いますけども、共に作る競争みたいなものとか、ボトムアップだったり、みんなが当事者になるっていうことなのかな、そういうようなことも一個のキーワードだったのかななんていうふうに思っていました。
なんかあまりこんな抽象的な話ばかりしててもイメージつかないかもしれないので、いくつか印象的だったことを紹介しながら、この2日間のコミュニティサミット、私の受け止めというか、そんなようなところを振り返ってみたいと思うんですけども、まずは楽しむみたいなところかなと思います。
なんかやっぱりこう深刻な顔をしてても人はなかなか寄ってこないみたいなところで、特に印象的だったのは、みんなどのコミュニティの方も一言で言うと超楽しそうっていう感じはあります。
そこに集ってきてる人たちもその中楽しそうみたいなところを感じ取ってる人たちが集まってるんじゃないかななんていう感じはすごくしました。ただその中でも、どこもそうなんですけど、なかなか際立ってる感じなのが、ハッピーの家6軒という、ここはどういうんですかね。
今風にというか、カテゴリー的にはある種の介護施設的な様子を持っている場所なんですけども、そこのリーダーというかコミュニティソースの方は首都さんという方なんですけども、プレゼンも上手でね、本当に笑いころげながらのプレゼンテーションだったんですけども。
ケアとか介護とかっていう、ある種の重いテーマをあまり誤解しないで聞いてほしいんですけども、ある意味笑いあったりとかふざけあったりするというような形で、深刻なことを深刻さはもちろんご本人わかってるんですよね。
わかってるんだけど、それ深刻のまま扱うというよりは、これをうまくちょっと違う視点を入れることによって笑いあったりふざけあったりっていうような感じの文化をうまく作っていって、そこが関わる人たちの幸せにつながってるみたいな、そんなようなことが起きています。
ハッピーの家6件は非常に有名な事例だと思いますので、もう弾いていただけるといろんなものがいっぱい出てきます。
で、今回このコミュニティサミットっていうのは、天下志郎さんという作家の先生がいらっしゃいますけども、もともとソニーですよね。ソニーで最後常席常務までやられてるんですよね。
で、ソニーインテリジェンスダイナミックス研究所の所長、社長もやられてたりとかですね。すごい有名なところでは、このソニーといえばCDとか、それから犬型ロボットのiBOとかですね。ちょっとネットワーク詳しい方だとニュースと呼ばれるような端末ありますけれども、あの開発をされてた、もともと工学博士の方なんですけども、
その天下志郎さんが長年作家に転身されてですね、いろんな作品を出しているわけですけれども、そのうちの最新刊にあたって来月、10月に発売されるということなんですが、
この本がですね、コミュニティで副題に多様性の厳選に触れるっていう本が出るんですよ。で、この出版は株式会社ボイスから出る本なんですけども、これのすり身本みたいなものをですね、実は当日ありがたいことに検本いただいて。
で、早速帰りの松本までの電車の中でざーっと読んでみたんです。で、その中にやはりこの最終章の第10章がコミュニティソースのダイナミズムという小章なんですけども、その中にこの天下志郎さんもこの首都さんのモットーというかスローガンみたいなところを
結構このコミュニティそのもののダイナミズムうちの大事な要素みたいなところでちょうど紹介しているので、私もこれちょっと紹介させていただくと、おそらくこのまま出版されるとですね、ちょうど274ページに書いてあると思いますので、ぜひ興味のある方はですね、お買い求めいただければというふうに思うんですけども、この274ページにこんな首都さんの言葉が出てます。
いっぱいいろんなのがあるんですけど、どれも何か頑築がある言葉なんです。まず一つ目は日常の登場人物を増やす。これだけだとちょっとわかんないかもしれないですけど、二つ目、違和感も3つ以上重なるとどうでもよくなるみたいな。
だんだんだんだんなんかこのちょっとずつ笑い合いふざけ合うみたいなところを真剣に笑い合う、真剣にふざけ合う、真剣に向き合うからこそ、そして何とかしたいからこその名言なのかもしれませんけども、違和感も3つ以上重なるとどうでもよくなるとかですね。
3つ目、どうにもならないことは実はどうでもいいこととか、トラブルはお題だとかですね、だらしなさを愛しデザインしてみるとか、これもいいですね、クレーマーは必ずファンに変わる。まあいろんなこと言われるんでしょうね。で括弧してこのクレームを言ってくる、言ってくるほど関心がある人だとなってますけども、クレーマーは必ずファンに変わるとかね。
弱みは強みだとか、これもよくハッピーのエロ件では出てくると思うんですけど、遠くの親戚より近くの他人とかですね、共感や相互理解はなくてもいいとか、なんかいろいろこんなのが紹介されていたりしますけれども、いずれにせよどのコミュニティもまあ楽しそうだねっていうこの楽しむみたいなところっていうのはすごくあったのかななんていうふうに思います。
で2つ目にこの実験みたいなとこなんですけども、実験っていう言葉も結構いろんな人から出てきたなっていうふうに思います。
でこのコミュニティそのものはなんかこう完璧な設計とか完成予想図みたいなのがあって、そこに向かって着々と進んでるっていうよりは、やっぱりいい意味でオープンさを残しているというか、いい意味で手放している部分を残しているっていう感じなんだと思うんですよ。
それぞれの方のお話を伺っていると。それがだから完璧な設計ではなくて、実験と試行錯誤みたいなことから立ち上がっていくっていうのが、今のところこのコミュニティサミットにいらっしゃったどのコミュニティも同じようなところがあるのかなと。
全然あの別の文脈なんですけども、これ確か職人とかをずっと砂漠でやられてた先生なんだと思うんですけど、これ多分僕は直接お目にかかってお話を伺ったという、おそらくなんかテレビで見てそのインタビュー答えてらっしゃるのを見て、なるほどなって思って、今でもなんか覚えてる言葉があって。
失敗っていうのは、辞めた時に初めてついてくるもんなんだってことをおっしゃっていて、やり続けてるうちは成功なんですってなんかおっしゃっていて、これなんか失敗なのかどうかっていうことは、辞めた時に失敗だって、それが出てくるみたいな、なんかそんなようなことをおっしゃってて、なるほどなっていう。
ある意味でのこう、諦めの悪さみたいな、これ難しいんですよね。諦める勇気というか、これも多分重要なんだけど、諦めなさ。いい意味での足掻きみたいな、これってどっちも才能なんだけど、辞める方がどっちかって言ったら簡単なようにも見えるけど、辞めるって難しいんですよね。
辞める難しいんだけど、足掻き続けるのもまあまあ難しいんですよね。どっちも難しいな。これはなんか人間の人生のというか人類のプロジェクトなんかやっていく、特に困難なプロジェクトやっていく上での永遠のテーマなのかもしれないですけど、思いますね。
みんなね、諦め悪いですよね。素晴らしい人たちって。これ褒め言葉で、いい意味で諦めずにいろいろやってる。しかもそれをもうなんか悲壮感漂う顔で諦めずにやってますって把握いちばってるというよりは、うーん、まあそっか、もう一回やってみるかみたいな、なんかそういうちょっとそこを楽しくしてるっていうか、そういうようなところがあるかなと思います。
えー、今回ね、いらっしゃってた中では、ハイザイエコビレッジゆるゆるっていう、これまた神奈川県の藤野は、藤野はトランジッションタウンとかでも有名で、結構もうアーティストの人とかもね、たくさん移住されていることで有名で、そこのコミュニティソース、ハイザイエコビレッジゆるゆるのコミュニティソースのひりおさんっていう、これまたアーティストで、まあ特徴的な帽子をお召しの上に髪の毛もこうわーっと長くて、
まあでも服とか佇まいとかかっこいいんですよね。あの、もう明らかに見る感じ職業アーティストっていう感じの方なんですけども、本当に、えー、まあね、ほんと少ししかね、お話しできなかったけど、たぶんいろんなことを悩まれて、いろんなことを考えて、そして、なんか温かさみたいなものもたぶんあって、いい意味での、なんか人間らしさっていうんですかね。
そういうのも全部持ち合わせたら素敵な方でしたけども、そのままひりおさんなんかハイザイを使った自由な村作りみたいな感じでやってて、まあこれなかなかね、話聞くとすごかったですね。
あの、えー、初めの頃なんて本当になんか、あの、こまい、ここまい、こここまいみたいな、なんかそういうのをこう恵んでもらったりとかなんかしながら、世の中に本当に臭いご飯ってあるんだみたいな、なんかそんなようなことを、あの、まあ今だからね、振り返っておっしゃってるのかもしれないけど、あの、そんなエピソードをね、紹介してくれたり、でもね、ここにね、えー、いろんな人が、あの、このハイザイエコビレ自由流のメンバーとしてね、
なんかこう関わってるっていうか、あの、その村民になってるっていうんですよね。ここにいなければ、なんかどこにもなんかもしかしたら繋がれなかったような人たちのある意味での、まあ居場所にもなってるような感じもするし、たぶんご本人はなんかこの居場所を作るぞみたいな感じでもないのかもしれないんですよね。
結果的になんかそうなってて、なんかこういうことなんじゃないかなっていう正解のない実験を続けると、まあなんか人が集まってきて、で、そして遊びがまた文化になるみたいな。まあここもまた褒め言葉なんですけど、まあいい加減なこの地域通貨的なものをですね、みんなでこう作ってて、これがまたこの地域通貨のゆるゆるみたいなものが本当に面白かったですね。
だからそういうふうにご本人はもう全部わかってるんですよね。この資本主義的なる、資本主義的なるものっていうものが、まあある意味いろんな価値も作ってきたんでしょう。
ただまあ、それ一辺倒でいいのかないみたいな、まあそういうようなところから、こういった通貨みたいなことも含めて、まあいろんなことをなんか人に思い出させてるというか、まあもうそれ自体が一つの現代アートなのかななんていうふうに思ったりもしましたね。
それからなんかレイビリッジっていうところもあるんですけどもね、そこの支配人の野田さんっていらっしゃっていましたね。まあこの廃れた施設を修繕しながら再生するとかね、直す過程こそが価値なんじゃないかっていう、まあなんかそういうこう実験的なものとか、まあとにかくこうやってみるみたいなことですよね。
まあこれがすごく一個のコミュニティの厳選になるのかなっていうのを思ったりもしました。結構いろんな人がその実験なんで失敗しないっていうか、あのそういうような感じのことはね、おっしゃってましたね。そこもすごく印象的でした。
まあなんであまり難しく考えすぎずにやってみようよっていう感じのところですかね。なんかそれがあるんだなっていうのを感じました。
まあ時間もあるので、ちょっと先に進んでいくと、まあこの実験とすごく関係するんですけど、さっき言ったやっぱりこの失敗っていう部分をどう受け止められるのかっていうのは、これはコミュニティに限らずあらゆる組織とか、まあその個人のプロジェクトでもいいのかもしれないですけど、大事だなって思いますよね。
まあこれはもういっぱいいろんな名言がありますよね。失敗こそね、この学びの方向だったりしますし、失敗がやっぱり成長につながるわけですよね。だから成長につながる失敗ができるのかどうかっていうのがやっぱすごく重要なのかなっていう感じはします。
なんでこのコミュニティにおいても失敗がむしろ学びとなるし、その学びとできているコミュニティっていうのはどんどんいろんな軌道修正されていって、まあそのそれぞれのコミュニティが目指したい姿とかつけたい社会的価値みたいなものにどんどん近づいていってるんじゃないかなっていう感じもしました。
なんかYouTubeとかでもすごい数の再生数とか言ってると思うんですけども、作家の佐藤光郎さんっていらっしゃいますけども、佐藤光郎さんも沖縄からですね、もう2日目だけになっちゃいましたけどなんておっしゃいながら、ドーンといらっしゃって、プレゼンテーションもされてるんですけど、
普段YouTubeとかでも公演とかもいっぱいやられてるからっていうのもあると思うんですけど、まあ話が上手上手、もうどっかんどっかんこう会場も笑いながらでも、スッと一つの方向にちゃんと話や聴衆の意識を向けに行くっていうのはやっぱりさすがにプロフェッショナルだなっていう感じをして、
いっぱいいろんなテクニック勉強したいなーなんて思うくらいですね、すごく魅力的な語り口だった佐藤光郎さん、世界村っていうのやられていて、結構オンラインとかも取り入れてると。
で、この中の議論の毒炉で、ちょっとすごく印象的だったのは、佐藤光郎さん、半分というかもうほぼ100%自虐ネタとして、なんで僕みたいなこんな薄い感じで、ゆるい感じで薄い感じでやってる人が呼ばれるのかと。
みんななんかこう割と今回出席されていたコミュニティやそのコミュニティソースっていうのは、ドーンって濃い感じのディープな感じのコミュニティソースが集まってたんですよね。
例えばさっきのハイザイエコビリッジゆるゆるの飛竜さんって、もうなんか風貌からもそのなんかやってることもそこに集ってる人たちの感じっていうんですかね。それもなかなか深いものがあるなと。そういう感じがすぐ伝わってくるような、そういうコミュニティソースがバカバカっといる中で、佐藤光郎さんはご自身で、なんで自分みたいな人が呼ばれているのかとかって。
実は佐藤光郎さんは1年前の八塁県の時にもいらっしゃってて、とても素晴らしい面白いお話をされていたんですけども。で、その時に議論としてはあんまりそこで、その先に行かなくて。
でもなんかちょっとコメントしたかったんですけど、ちょっと時間も押してるようなこともあったし、この佐藤光郎さんの話の次にね、僕が実は後援的に当たってて緊張してたんですかね。ちょっと自分の番もあるしねと思って発言の時はしなかったんですけど。
でもなんか会場で出てた、そのディープなコミュニティと、まあ光郎さんが言うちょっとこう薄いとか浅いとかっていうコミュニティ、これ僕は思うにどっちもね難しいと思うんですよ。で、ディープな方は難しさもありつつ実は簡単なところもあって、ディープゆえに簡単っていうところもあるんだと思うんですよ。
まあいっぱいいろんな苦労あると思いますよ、もちろん。なんだけど、これうまく伝わるかわかんないんですけど、実は薄くつなぐ、薄く広く広めていく種類の難しさは、これはね難しいと思うんですよね。ある程度ディープにした方が楽さっていうのはあるんですよね。
人同士のつながりの色がすごくはっきりするから。その代わりちょっとスケールさせるっていう意味では難しいかもしれないですね。すごくなんかこう特定のもののファンクラブみたいなものってディープだけど、まあ深いというか、ただそこのファンであれば比較的簡単に会員集められるみたいなところがあるかもしれなくって、そういう意味での簡単さっていう部分。
もちろんなんかこれ、比較のためにあえて言ってるんですよ、なんかそのディープなのが簡単だとかって言ってディスってるわけでは全然なくて、ディープなりの難しさとディープなり、ディープだからこその簡単さっていうのに比べると、やや薄めのコミュニティを始めるのができるんですよね。
維持して広げて、でもそのある一定の価値を保つって、これはね結構難しいなって僕は思います。で、これをやれるのはやっぱりね、佐藤光郎さんみたいなキャラクターで喋りも上手だし、もう本当に見るからに魅力的な感じの人なんですよね。
佐藤光郎さんと会いたい、話したいみたいな人っていうのは多分すごくいっぱいいると思うんですけども、なんかその辺のキャラクターが上手くいってるというか求められるんで、これ実は薄い方が簡単じゃないかって思うかもしれないけど実は薄いものを続けて広げるってものすごい難しいなって思っているので、
だからその点はやっぱりすごいなっていう感じなんですよね。で、このオンラインとリアルとこれまたちゃんとうまい具合のバランスと設計されているのがこの世界村の三郎さんのコミュニティなんで、ここもなんかすごくいい勉強になりました。
寛容性ね、これ本当にいろんなところで新しいものを生み出す上ではやっぱりこの辺がないとガチガチに固まっちゃうのかななんていうふうに思うので重要だなと。
元々僕はその寛容性っていうのは都市についてもやはり寛容性の高い都市っていうのがクリエイティブな人たちをやっぱり集めてくる条件だと。だから都市論の世界の中でもね、もう何十年も注目されている概念ではあるので、実際それは都市でもそうですしコミュニティでもそうなんだろうなっていうふうに改めて思ったりしました。
最後のキーワードというか、最近僕ずっとこの共に作るコークリエーションみたいな方の競争ですね、共に作る方の競争。みんなでやる。誰か一人が指揮命令でやるというより、みんなでやる。みんなでやるために、これがまたね難しいんですよね。何でもいいってわけでもない。みんながやりたいことだけやればいいってことでもないんですよね。
ある一定の方向みたいなのがある。だからこのコミュニティはコミュニティリーダーっていうかコミュニティソースっていうふうに、このコミュニティサミットの中ではそういう言い方がされていて。
これあの天下志郎さんはですね、なかなか、いわゆるスピリチュアル系なところに関しても非常に造形が深いというか、僕にはなかなかわからないというか感じえないところでもあるんですけども、
ネイティブアメリカンの長老からパイプを譲り受けてとかですね、そういうようなところがある。天下さん自身もお茶目なおじいちゃんっていう感じで、堅苦しくみたいなことは全くない感じなんですけども、
天下さんはコミュニティソースっていうふうにやっぱりあえて言ってるんですよね。これね、どっかにね、必ずあったはずなんですけど、僕がはじめにとか前書きの方で今本パラパラめくってるんですけども、
コミュニティソースってなんじゃいっていうような話に対して、書いてあるところがあって、確かね、なんかね、電話がつながってるっていうそういう定義だったんですけど、何言ってんのかよくわかんないって感じなんだと思うんですけど、
コミュニティソースの人って、どういうふうにあるべきなのかとかって何が大事なのかみたいなのが、そういう世界のところと通信がつながってるっていうか、電話がつながってるって確かそんなような説明で定義をされていたんですよね。
なんか話しながら探すなって感じかもしれないですけど、僕の記憶ではそういうふうになってますね。コミュニティソースっていうのはそういうような人なんだと。
なのでコミュニティソースだから、もう何かがある程度見えてる人というかわかってる人みたいな感じなんですよね。なんでこんなことがあるのかなというふうに思います。
後ろの方に、はじめの方に書いてあるかと思ったら、後ろの方ですね。これはあれですね。天下さんが言ってるっていうよりも、ピーター・カニックさんがソース原理っていうのを言っていて、そのピーター・カニックさんがソース役が必ず存在するんだって言ってて。
ソースとはどんな人ですかっていう質問に対して、このピーターさん彼は一つの例として電話がつながっている人と何か答えたことがあるみたいなところで言ってたみたいですね。
なんでそういうタイプのコミュニティソースっていう人たちがいるんですけど、その人がある種のビジョンみたいなのを持ってたり、方向の微修正とか多分できるんですよね。
どうすればいいのかわかんないけれども、何がいいのかとか、どこに向かっていくのかみたいなことはよくわかってるタイプの人みたいなね。そんなようなことで、もう一個なんかホールドっていう概念が出てきて、これも面白いなと思うんですけど、
なんかその場を作っていくっていうか、あるところからはみ出ないような感じの自由、その中では自由にさせるみたいな概念で、僕もすごく好きですね。これ教育のところでも僕も無意識のうちにやってるのは、なるべく学生たちにも考えてほしいので失敗はさせるようにするんです。
例えばフィールドワークとかに行っても、ある程度その自分が土地感があるところにやっぱり連れて行きますし、バックアップの体制とか、いろんな状況を考えた上で、ここまでだったら学生たちに失敗しても自由にやらせて大丈夫ってところと、これ以上は行かないように、そこ行きそうになったらちょっと戻すみたいな形を取る手法。
僕は結構好きで使うことがあるんですけど、なんかこのホールドするっていうことの表現みたいなんですね。
あと、自分は無意識のうちにやってたことがあって、実はなんか自分が講演をしたり、これからここの場所でワークショップをするみたいな場所があったらですね、僕はまだ誰も来てないその会場に一人で行って、一人でその部屋の大きさとか感覚っていうのをすごくつかみたい人なんですね。
その場が持ってる、なんかそのみんなが醸し出すエネルギーみたいなものっていうのをちょっと想像しながら、それがうまくいくようにイメージしながらその会場を歩いてみるっていうことをよくやります。時間に余裕があるときには必ず行きたいタイプです。
どこの場所でやるのかっていうと、その場所にまず自分がもう開演の1時間前くらいとか2時間前くらいとかに行って、立って自分が話す場所とか、で、あと人が聞いてる方の場所に座ってみたりとか、こっちからどういうふうに見えるのかなとか、この一番端からスライドの部分ってどんなふうに見えるのかなとか、そういうのをやるんですけど、
これってなんか、後で天下さんの本今日読んでたらなんか出てきましたね。こういうのなんかホールドっていう概念らしくて、こういうのをやるらしいです。なんで、そっか、そういうのがあるのか。
ちなみに、ホールドってプレゼンテーション技法とかにあるわけじゃなくて、天下さんなんで、伝統的なインディアン社会ではっていう文脈の中で、この長老がやるホールドっていう、こういうものがあって、それを拡大的に解釈していくと、ファシリテーターとしての役割っていうのは、このインディアンの長老がやってるホールドに近いものがあるんで、
っていうような説明をされてますけど、これ聞いてくださってる方も、何言ってんだいっていう感じかもしれませんけど、僕はすっごいよくわかります。全然そのネイティブアメリカンの方の長老の感覚とかっていうのは、僕はわかるような気もするし、多分わかるっていう人からすると全然何もわかってないんですけども、
ただこのホールドっていう概念に関しては、もし仮にそれがネイティブアメリカンの世界で長老とかある種のファシリテーターとしていく、リードしていく人に伝統的に備わってる何かなんだとすると、その気持ちとか、その意味とか意義とか、なんかすっごいわかるし、ナチュラルに今まで自分もやってたなーなんていうふうに思いました。
まあいっぱいあるとね、魅力的な方出てたんですけど、例えばパーマカルチャーとかですごく有名なそうやかいさん、なんか平和道場とかってやられてますけども、そうやかいさんもいろんな面白い話されてましたけども、なんか毎朝この火起こしをしてるみたいな話で、毎朝決まったことをやるってある種のルーティーンって、それは儀式っていうふうに言ってもいいのかもしれないです。
1日を始める儀式みたいな。で、こういうね、なんか儀式みたいなものっていうのが持ってる価値って、やっぱり重要なんだろうなって思ったりもします。
僕はなんか今カトリックの大学の学長をやらせてもらって、まあそれ故にいろんな新しい経験を今させてもらってるんですけども、そういったカトリックの大学の会議とか行くと、毎回じゃないですよ。
結構ちゃんとその、この前もその台湾で参加した、ASEACって呼ばれるアジアとオセアン地域のカトリックの大学が集まる国際会議では、会議の一番初め、1日目の初めと会議の一番最後を集団でミサをするっていうようなことをやってたんですけど、このミサをするっていうこのミサ自体はそのいろんな言語で世界中で行われてるわけですが、
基本的な構造っていうのはやっぱり同じなんですよね。だからこれってもう何千年とか人間がやってくる中である意味の型みたいなのが決まってきて、そしてそれが儀式としてそのコミュニティの中にあるっていうことは、多分なくなってない、これは考えずにやってるというか、やっぱりなんかそのコミュニティ、例えばカトリックならカトリックのコミュニティ、教会のコミュニティみたいなものを
うまくマネージしていく、うまくそれを作用させていく上で何らかの意味があるんじゃないかなっていう感じがして、ちょっと今回の各コミュニティにそういった種類のリチュアルって言いますか、儀式ですよね、こういうようなものがどんなのがあるのかっていうのもちょっと気になったところでした。
で、まああとキボッチャーの場合はね、本当に車で行ったんですよ、仙台から車で行ったんですけど、キボッチャーの敷地にパッと入って学校見た時からはまず来てよかったって思ったのと、なんかすごくいろんなことを僕に語りかけてるような気がして、
で、一つのその背後利用というかの、あ、一個の形で自分のすごくなんか共感できるような使い方の方向ってこういうことなのかもなっていうのを、頭の中で僕が思っただけなものを実際に形として見せてくださったのが、このキボッチャーなんじゃないかなっていうふうに思って、
冒頭も言ったんですけど、本当にこれズームじゃなくてリアルにいけて、いや良かったなって感謝しています。これがいけるようにいろいろ取り図ってくださった仕事絡みの皆様、ちょっとだけご迷惑をかけた部分があるかもしれませんけれども、その分何かできちんと開始したいと思うので、ご容赦いただければというふうに思いますけれども、
このキボッチャーのね、代表がね、また女性なんですよね。ミイさん、ミイ清子さんという、彼女もバイタリティ溢れる素敵な女性で、やっぱり笑顔とか、何でしょうね、ある雰囲気ってやっぱりあるんですよね。
あってはあって、もう何か去年、その八ヶ岳で、工藤真久さんっていうこのアーティストで、今キボッチャーの活動一緒にやられてる真久さんが、去年何か僕の話聞いて、面白いって思ってくださったみたいで、すぐにそのキボッチャーに帰って代表のミイさんに、何かこういう山本っていうのがいてねえって何か話をしてくださったみたいで、
ミイさんにお目にかかったら、あのもう話は聞いてて会いたかったですなんて言ってくださってね、すごくあのその時の笑顔でさーってこう握手のね、手をね、差し伸べてくださったんですけど、
なんかあの本当に温かい感じで、ただやっぱ素晴らしいなと思ったのもね、全然あのミイさんのことそんなに知ってるわけじゃないですよ、あの一晩キャンプファイヤーのもとでちょっといろんなお話させていただいたりとか、ミイさんがそのキボッチャーに関するプレゼンやられてるのを聞かせていただいたりとかね、それだけなんですけど、
でも気持ちだけでもないっていうか、あのすごく頭の良い方なんだと思うんですよ、というのはビジネス経験がやっぱりすごく終わりなんですよね、だからこのビジネスパーソンとしての感覚、経営者としての感覚、例えばその資金調達みたいなののタイミングとか、そういうことをガーッといろいろこうシミュレーションされる方なんだなと思っていて、
で、全然詳しくは聞けなかったんですけれども、でもなんかあの公演の時の紹介では元自衛官っていうふうにおっしゃってて、もともとあの自衛官だったそうで、この辺の話もなんでってことだったりとか、あのお伺いしたいななんて思って、まだ本人に何もオファーも何もしてないんですけども、
いつかあの近いうちにかな、あのこのポッドキャストアンタイトルドのゲストはミンさん、キボッチャの代表のミンさんに来ていただいて、なんかその今に至るまでその自衛官からキャリアが始まって、確か多分初めのキャリア自衛官だと思うんですけど、初めのキャリア自衛官から始まっていろんなビジネスもやられ、
で株式会社も作り、その3.11の後の東松島町には遅延がないんですよね、なんの縁もないんですよ、縁もないのにここに来てコミュニティソース、コミュニティのリーダーをやられている、そして見てるのは東松島だけを見てなくて、こういう種類のエコビレッジっていうのをしっかりと日本の中の必要としている場所に広げていくっていうこのビジョンと道筋、
もっと言うと多分勝ち筋みたいなものが見えている。でこの彼女の会社にはこれまたクレバーな、クレバーなアーティストたちっていうか、そういう人たちが集まっててですね、ここはね人的なリソースを含めてかなり興味深い場所だなっていうふうに僕はたったの24時間くらいの滞在でしたけれども、
痛感をしたという感じでございました。なんでこう、いっぱい出てきたキーワードの中のもう一つは消費者じゃなくて当事者になるっていうようなことなんですよ。これもう僕もずっといろんなところで言っていて、これまちづくりもそうなんですけど、もう行政が何かをやってくれて市民が消費者、行政が供給者で市民が消費者になった瞬間にもう市政の悪口しか出てこないんですよね。
ここがなってない、そこがなってないっていう、そりゃ難しいですよ。あの全部満足いくようにっていうのはね。だけど自分が消費者じゃなくて共に作る、それも別にボランティアで市役所の仕事をやれっていうわけじゃなくて、自分もこの街を前に進めていく一員なんだっていうようなある種のオーナーシップみたいなものっていうのを市民の人たちが持てて、
自分たちのできることやりたいこと、そういうようなところでまちづくりに例えば関わっていくって、ちっちゃくても当事者になっていくって、これだけでできなかったところよりもできたところに目が行くっていうか、ここができてない、ここができてないじゃなくて、ここまでできた、ここもできたっていうそういう転換。
やっぱりね、消費者マインドでは今の社会は抱えてる社会課題はクリアできないと思うんですよ。そんなに綺麗にクリアカットでパシッとクリアできない。なのでこの当事者になっていくっていうところがすごく重要だし、地球市民学部の学びってやや学問体系的には踏み込んでるんですよ。
っていうのは基本的な学問のスタンスっていうのは当事者になりすぎちゃいけない。例えばそういう観察をして分析をしていくみたいなところってありますよね。僕はちょっと専門じゃないですけど、僕の同僚は人類学者、文化人類学者で、やっぱり例えばフィリピンならフィリピンのある部族というか村みたいなところに入っていって、
その人たちと共に進食はするんだけれども、その人と一体化しちゃやっぱりダメで、伝統的なその文化人類学のアプローチというのはちょっと引いたところから、観察者研究者視点でいろんなことを見て描写して、それで何かを論じていく、何かを発見して論じていくみたいなスタンスなんですけど、それだとやっぱりどこまでも距離が出ますよね。
だけどその目の前でいろいろ困ってたりとかいろんなことがあるときに、じゃあ自分がもう一歩踏み込んで、そこにどこまでフィールドや対象にコミットメントして、その自分の持っている学問的バックグラウンドの中で、共により良い社会や未来に向けて次のアクションに落とせるのか。