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2025-08-21 1:05:28

10_BRUTUS台湾特集の「炎上写真」と都市のまなざし:都市をめぐる過去・現在・未来

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この番組は、まだ言葉にしきれないアイデアや感覚、何かが立ち上がりそうなワクワクを手がかりに、ジャンルを越境しつつ、これからの社会のかたちを探っていくトークプログラムです。

 

今回のエピソードは、つい先日まで、私が10日間ほど滞在した台湾の旅を振り返りながら、台湾の街の魅力について語るソロ回です。とりわけ南部の台南、嘉義、そして北部の台北、台中など、各地の風景や雰囲気を歩きながら感じたこと、そこから考えた都市のあり方や文化の重層性について、私なりの視点でお話ししました。

 

冒頭では、2017年に雑誌『BRUTUS』が台湾特集の中で用いた写真をきっかけに炎上したというエピソードを紹介しつつ、「日本人が台湾に求めているイメージとは何か?」という問いについても考えてみました。

 

古くからの街並みや屋台文化、そして同時に進行する都市開発やスタートアップ文化など、台湾の都市空間は歴史と未来が交差する独特の場です。このエピソードでは、単なる観光視点にとどまらず、都市デザインや文化のレイヤーに触れながら、リスナーの皆さんと一緒に「都市とは何か」「私たちはどのように街を見るのか」を問い直していきます。


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サマリー

このエピソードでは、台湾を訪れた経験と日本のブルータス誌の特集を通じて、観光地としての台湾の魅力や文化について語られています。特集に関連する炎上事例も取り上げられ、台湾の街の風景や印象について考察されています。 また、フィールドワークを通じて日本と台湾の歴史的な関係が掘り下げられ、特に日本統治時代の影響を受けた世代の視点から、日台関係の過去、現在、未来について考えられています。学生たちの学びや体験を通じて、台湾の文化や社会の魅力も紹介されています。 台南と嘉義の都市の歴史や文化が探求され、特に日本統治時代の建物が現代にどのように活用されているか、そしてその連続性が持つ価値について考察されています。 ホストが最近の台湾訪問を振り返り、日本と台湾の文化的・社会的な関係、さらにはポストコロナ社会における社会課題について考察されています。また、台湾における旅行スタイルについてのアドバイスも共有されています。

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名前は後からつければいい。山本達也のUntitled、オーストの山本達也です。
この番組は、まだ言葉にしきれないアイディアや感覚、何かが立ち上がりそうなワクワクを手掛かりに、
様々なジャンルを影響しつつ、これからの社会の形を探っていくトークプログラムです。
本日の収録は、長野県松本市、アルプスシティスタジオからお届けします。
ということで、今日なんですけれども、今、松本のアルプスシティスタジオで収録をしています。
台湾への訪問
ちょっと前まで、10日間くらい台湾に行っていまして、つい数日前に日本に帰国しました。
ただ、実はあと数日したらというか、日本滞在は1週間くらいで、もう1回また台湾に行く予定がありますので、
今月2025年の8月に収録しますけれども、今月は合計2回台湾に行くということで、非常に大好きな場所でもありますので、
その台湾に2回行けて嬉しいなというところになっています。
せっかくちょうど、最新のといいますか、台湾行ってきたばっかりなので、台湾のお話を今回はできればなというふうに思っています。
全部で10日間くらい台湾行っていたんですけども、確か夕方の便で台北まで行って、そこで乗り換えてというかですね、電車で台中ですね、真ん中の中と書く台中まで行って、
数日台中で過ごし、その後南ですね、台南まで行って、台南でもまた数日を過ごし、その台南に滞在している間に、少し北の方に嘉義という町があるんですけども、嘉義に行って、
それでその後台北に行って、台北は結局5泊くらいしたような気がしますので、一番長かったのは台北が長かったのかなと思いますけども、台北滞在を経て、それでまた日本に戻ってきたというような、そんな感じの日程でした。
台湾自体は、実は今年の2月にも、学会の報告と言いますか、基調講演に呼んでいただいて、台湾の嘉義にある国立中性大学という大学がありますけども、そこを訪問しているので、そんなに久しぶりという感じでもなかったですし、
ちょうど2022年の1年間はですね、大学の方で研究に専念していいという1年間だったので、2つの大学に所属したんですけど、1つが今回も訪問しましたけども、台南ですね、南の方にある国立成功大学という大学の政治学部と、
それからタイのバンコクにあるキングモンクットー工科大学の建築デザインの学部で、特にソーシャル&カルチュアルイノベーションラボというところがあるんですけども、そこに行ってました。
半年半年くらい行っていたので、そういう意味でも久しぶりという感じでもなく、最近ご縁があって、台湾はよく行く場所の1つになっています。ただ、今回半分以上プライベートな旅行として行っているので、仕事モードとは少し離れてですね、
いろんな台湾の街の様子を見ることができたり、それから向こうの台湾の友人というか、大学の先生たちも多かったですけども、お話しすることもできて、そのようなところで気がついたこととかを皆さんとシェアできればなというふうに思っています。
よく行く機会があるのと、それから現地の友人というかですね、現地に住んでいる友人がいろんな街に幸いなことにいるので、大体連絡を取ると会おうということになってですね、それでいろんなご飯食べようということになるので、
いろんなお店連れて行ってもらって、どれも素敵なお店なんですよね。自分一人で過ごすような時や、プライベートで家族と行っているような時も、そういうのを紹介してもらったお店に行ったりということもあるんですけども、やっぱり大体同じようなお店ばかりになってしまいがちなので、
ブルータスの特集
今回ちょっと新しい、今まで行ったことないところも行きたいねなんて言ってですね、それでネットで少し調べてたんです。そうしたら日本の雑誌でブルータスという雑誌がありますけれども、ブルータスのウェブ版なんだと思うんですね。
ウェブ版に台湾の方の職に詳しい方々、職に携わるお仕事をされているような方々が、それぞれ朝食だったり昼食、夕食、確かあとナイトライフみたいなところでお酒を少し飲ませてもらえるようなところもあったような記憶がありますけれども、それぞれが何人かの方がですね、このお店っていうような感じで紹介をしてくれているページがあって、
どれも素敵なお店、写真も綺麗だったし、説明文も非常に魅力的だったし、何よりそのプロフィールを配読していると、とても魅力的なと言いますか、台湾で職に関わるお仕事をされているフードライターみたいな方もいらっしゃいましたけれども、
そういう方がここのお店ということで紹介してくださっていたので、どれも来たいって感じになったんですよね。で、実際に、もちろん全部はいけないんですけども、いくつかそこのブルタスのサイトで紹介されていたお店に行ったら、
これがどこも美味しかったりお得だったり、なんか現地の感じを感じられたりっていうところで、行ったところどれも好きでしたね。大変お世話になったのが、ブルタスという雑誌だったんです。
定期公読あまりしたことはなかったんですけど、ちらちらとブルタスの旅の特集というか、外国の街とかも特集してくれているので、髪の毛切りに行ったときに雑誌パラパラ見たりとか、いろんな形で触れていたんですけど、改めて台湾特集ということで、少し調べてみたら、私全然知らなかったんですけど、
どうやらコロナになる前の2017年にブルタスがやはり台湾特集っていうのをしていて、ネットの記事とか読んでみると、なんとそのとき炎上をしてしまったということで、これはどういうことなんだろうって興味を持ちまして、少し調べてみたんです。
そしたら、その2017年のブルタスの台湾特集の表紙はですね、台北の、絵になるといえば台北の101ってありますけれども、非常に高性能高い台湾を象徴するような高層ビルですよね。
東京でとなんですかね、スカイツリーとかですね、東京タワー的なランドマークになるビルがありますけど、そういうようなところではなくて、僕も大好きで、この前ちょっとだけですけど住んでた台南の、これなんて中国語で読むのかわかんないんですけど、国家街って読むんですかね。
国に花ですね、中華の花に街ですけども、ここすごくグルメストリートみたいな感じになってて、いろんなお店もある。僕なんかもすごく魅力的な場所だなと思ってるところなんですけど、そこの写真が表紙に使われてたと。
これが炎上してしまった、台湾の中でどうやら炎上してしまったみたいなんですけども、炎上っていうとちょっと大げさかもしれないですけど、議論を呼んだということなんですね。
で、この写真って、普段街を歩くようなところにスクーター結構多くて、スクーターが止まっていて、車道を歩行者が歩かないといけないというかですね、スクーターを避けてというか、そういうような感じで、ある意味雑然としたというか、そういうような生活感のあるというか、そういう写真で。
で、実際なんかブルタスの編集部の方も非常にこう、いくつか候補ある写真の中で悩んだっていうような編集好奇みたいな記事も読みましたけれども、どうもそれを選択したところ、なんで台湾にはもともと近代的だったりとかする場所があるのに、わざわざというか、わざわざそういう雑然としたようなストリートの写真を撮り上げるのかみたいな、
そういうことで何か議論を読んでしまったというようなことがあるんですよね。で、よく解説をされている方の文章というか、そういうのを読んでみると、台湾の方、非常に日本にもたくさん観光客の方も来ていますし、非常に相互交流もあるし、
歴史的にも切っても切れないというか、非常に歴史的なつながり、それはいい部分もあるかもしれないけど、悪いというか、台湾の人にとってみたらいろんな複雑な感情を持つかもしれない、そういう様々な歴史的な経緯というのがある日本との関係なわけですけれども、
そういうところに、ある種の同感というか、台湾と日本を比較したときに、日本ってなんでこんなに街が綺麗だったりするんだろうとか、割とオーガナイズされてるっていうんですかね、そういうようなところにいいなと思って、印象を持って帰ってくる台湾の方も結構いるという話も聞いたことがあります。
で、もしかするとそういう、かなり微妙な感情を刺激する写真だったっていう、そういう解説も読みましたけど、そうだったのかもしれません。
で、日本の方と話していると、僕なんかも結構不要意に言っちゃうというか、そういう感覚を持っちゃうところがあるんですけど、僕も昭和に生まれて、昭和に育って、
やっぱり昭和、平成、令和って来たときに、よく日本人同士でも、それってすごい昭和だよね、みたいな話って出てくると、何気ない日本人同士の会話の中で、なんか昭和っぽいよねっていうのは、古いっていう意味もあるけれど、いろんな感情が入った昭和感って、ある種のノスタルジーみたいなところもあるのかもしれないですけど、
そういうようなところで、台湾に行って、いろんな顔の表情、街の表情っていうのがあるんですけど、外して古い建物とかっていうのもたくさんありますし、ちょっと昔の日本っぽいみたいな、そういう感想を持つことっていうのもよくあると思うんですよね。
そして、その昔っぽいっていう表現が、昭和っぽい、昭和の日本っぽさを感じられるとか、懐かしいとか、でもなんか、もっと言うと、最近はだんだんそういうのがなくなってきてしまってみたいな、なんかそういう発言というか、そういう感想を台湾の方も耳にすることがあるらしくですね。
で、ここはなかなか複雑な感情を呼び起こすんだっていうようなことだったようです。
なかなか考えさせられるというか、それぞれ旅をする先に、そこに何を求めたりとかするのかっていうのは、それぞれの価値観だったりとか、趣味って言いますかね、その考え方とか、いろんなことがあると思うんですけど、
例えばちょっと前、インドとか行ったりとか、もっといわゆる発展途上国のアフリカの国に行ってみるとか、ああいう時に何かその街に期待するものというか、なんかそういうものを見たいと思っているものというのが、外してステレオタイプみたいなものとはまっていってというかですね、そういうようなところがあって、
特定の見たいものって、こういうのを、エドワード・サイドという学者作家というか、有名なオリエンタリズムっていう本を書いているわけですけども、ややそのオリエンタリズム的な視点というか、ポストコロニアル的な視点って言ったらいいんでしょうかね、
なんかそういうような、植民地・非植民地みたいな関係性の中での、相手に対するある種のレンズを通した見方というか、期待するものとかですね、そういうふうな見方で見に行くとかですね、これって今に始まったことでないというか、割と古典的なテーマというかですね、
としてずっといろんな学者によって論じられてきたところだと思いますけども、あのことを台湾の旅行とか日本の人がその台湾について見て感じるものとか、見たいと思っているものとか、そういうところが結構関係してるんだなというのを改めて感じました。
ブルタスの特集の話からずいぶんいろんな話に飛びましたけど、2017年が台湾特集だったみたいなんですけど、コロナのときかなり台湾はゼロコロナに近い政策をずっととっていたところもあって、
僕も実は2022年は1年間ずっと台湾に滞在して、台南で国立の成功大学の政治学部の、当時の政治学部の学部長が非常に10年以上、15年くらいになるのかな、お付き合いのある台湾の政治学者で、
専門が近いというか、やはりインターネットと政治の話とか、インターネットと民主主義の話とか、サイバーセキュリティの話とか、そういうことを専門にやっている先生なので、いろんなやりとりをしていたんですよね。
それで、ちょうど受け入れてくれるということにもなっていたので、1年間台南で暮らしてみたいなとも思ったし、すごく魅力的な街なので、住む予定だったんですけど、なかなかビザがですね、出ないんですよね、台湾政府がなかなか2022年の4月から住もうかなということで、
その1年間在外研究していいという期間だったんですけど、全くビザが取れずに、そういうこともあって、タイのバンコクにあるキングモンクット工科大学っていうところに先に行ったんですよね。
フィールドワークの目的
夏過ぎて秋くらいからですかね、確かビザが降りるようになってきて、それで台湾も久しぶりに行けるようになったんです。
で、当のブルータス、ブルータスの話はまだ続いていて、ブルータスの雑誌もコロナ後に始めていく場所としての台湾みたいな特集もコロナ後にされていて、こっちの方の雑誌はまだちょっと私見れてないんですけども、そういうようなことで、いろんな雑誌も含め本、テレビ、いろんなメディアで取り上げられやすい場所が台湾なのかなというふうに思っています。
台湾は学生とも授業で行きましたね。2015年だったと思うんですけれども、フィールドワークという授業があって、何年かに1回当たるんですね。
で、その教員がどこの場所でフィールドワークするのかっていうのは決められるんですけど、海外のどこかでっていうことになっていて、同僚の教員も毎年この場所とかっていう感じで行く同僚もいるんですけど、私の場合は結構行き先を変えていたりしてですね、その2年前、2013年の時はニュージーランドにみんなで行ったんですが、
2015年にもう1回当たった時にはですね、台湾に行きました。なんで台湾だったのかっていうと、ちょうど2015年って日本が敗戦をするのが1945年なので、そこから戦後70年が経ったところなんですよね。
で、その当時20歳くらいだった人というのが、ちょうど90歳くらいじゃないですか。ご案内のようにというか、歴史の中で、日本の近代史の中で必ず習いますけれども、日本は日清戦争というのをやると。
で、そこで台湾をいわゆる割除をするというところから、日本統治というものが1945年の日本の敗戦まで続くわけですよね。で、そういう中で第二次世界大戦が起きるわけですので、その間、学校教育の制度とかですね、もちろん鉄道を通していくだとか、ダムを作って海外設備を作る農業のことだとかって、
この近代化、いわゆる近代化っていうことについて、日本はいろいろ、台湾の中でいろんなプロジェクト事業をやってたということになります。で、教育については、この日本語で教育が行われるということがあるわけです。
ですので、そこの時代に教育を受けていた人というのは、日本語ができるわけですよね。これがいわゆる日本語世代と呼ばれるような方々ですけれども、そういった人が、例えば20歳くらいになっていた、20数歳になっていた人が、ギリギリまだご存命というか、90歳であるとまだご存命の方っていうのは
たくさんいらっしゃるので、このタイミングで現地に行って台湾に行って学生たちと行って、いくつかやりたかったことがあるんですけど、すごく大きなテーマは日台関係の過去、現在、未来っていうことを学生と考えようということでいきました。
で、その中での過去バージョンみたいなところですけども、当時の日本統治時代も知っているし、いろんな日本語世代の方にインタビューさせていただいたんですけども、そのうちの一人は自ら志願をして、日本兵として南方戦線でビルマで戦ったっていうようなおじいさまもいて、
そんな話もしてもらえる、ギリギリ最後の日本語世代の方の肉声を書き留めておいて、で、これ、一体これからを担うような女子学生たち、ちょうど20歳くらいの女子学生たち、70年という時を経て、
一体どんなことを語ってくださるのかっていうのは、これしっかりと書き留めておいて、日本語と英語でちゃんと報告書の形にしておくっていうのは意味があるんじゃないかなというふうに思いまして、学生たちと3週間くらいかな、台湾フィールドワークっていうのをやりました。
で、その当時っていうのは2015年に言ってますけども、2014くらいから準備して2015という時なんですよね。で、ここって日本は3.11が起きた後なんです。
で、それまでの日台関係っていうと、どちらかというと、ある種なんて表現がちょっと良くないのかもしれないですけど、僕はなんか不幸な片思いみたいな時代があったんじゃないかなと思って、すごく複雑な感情をいろいろと台湾の方が持ってらっしゃるっていうのも、いろんなお話を聞いて、それなりに理解はしているつもりなんですけども、
それに対して日本に対して割と好意的な印象を持っていたりとか、それから旅行に行くとか、場合によって留学に行くとかそういうことも含めて、まだまだまだ日本が魅力に移っていて、日本好きだって思っている人がすごく多かったけれども、
じゃあ、ひるがいって、例えば1990年代、2000年代、3.11が起きるような時まで、特に2000年代くらいでもいいと思うんですけど、じゃあ日本の人がどのくらい台湾という場所を意識して、どのくらい台湾という場所を好きでいてとか、いるかというと、実は台湾の人が日本を見ているほど、日本の人は台湾を見ていないじゃないかなというような時期があった。
だかなというふうに思うんです。で、それがやっぱり一つ大きな転換点になったのは3.11だったんじゃないかなと。いろんな転換点あると思うんですけど、3.11のインパクトは大きかったように思います。で、この話を当時の学生にしてもやはりすごく感じるものがありました。
というのは3.11が起きた後に各国が現金を日本に送ってくれたんですけれども、台湾は確かナンバーワンだったと思うんですよ。で、ほぼアメリカと同じくらいの規模だったと思うんですけど、その国の規模が全然違う中で、
圧倒的に他の国に比べて日本に対してこの現金を送ってくれたという、このグラフがあるんですけど、棒グラフがもう飛び抜けてるんですよ、他の国に比べて。で、こういう状況とかっていうのを学生とシェアするとですね、
やっぱり台湾に対してありがとうっていう気持ちもあったり、それからやっぱりそういうふうにして、これだけの現金を送ってくれる台湾っていうものを理解したいって思う学生が結構増えてですね、
で、このフィールドワークの授業っていうのは、移動のね、車の大きさとかいろんなことを考えて12名まで、マックス取れて12名までっていうような授業なんですけれども、かなりの数の応募があって、セレクションをさせてもらいましたね、その志望理由とか、事前にそのエッセイを書いてもらったりとかいうので、
当時のティーチングアシスタントの方と一緒に選別しました。で、そのティーチングアシスタントの方は台湾の方で、当時、早稲田大学の博士課程で博士号を取るために研究されていて、今もう台湾の大学の先生になっていますけども、当時は博士課程の学生だった女性の研究者がいるんですけども、
その彼女がティーチングアシスタントについてくれての台湾フィールドワーク、3週間ですから、これは本当に、自分で言うのもなんですが、かなり密度の濃い台湾のフィールドワークができるということが、事前にある程度もう確信見えたものを持っていて、台湾のいろんな友人とかも、それだったら人肌脱ぐよっていう感じで、
アポの調整とかいろんなことを、この人にあったらいいとか、この場所をアレンジするから、みたいなこととかっていうのをやってくれるってことがもう分かっていたので、学生たちにもそういうようなことをやる予定ですっていうのを伝えて募集したらですね、非常に多くの学生が手が挙がって、ある意味、選別をした12名と台湾に行ったっていうことがありましたね。
すごく素晴らしい経験をしました。その時は、やはり台南にある成功大学ベースにフィールド調査をやったんですけど、成功大学のご好意でというか、もちろん滞在のための決められたお金を払いますけれども、成功大学の学生が使う料をですね、その3週間の間、僕らにも使わせてもらって、
あたかも成功大学に留学をしているかのような滞在型のフィールドワークっていうのをすることができました。最後の方は台東、東の方をですね、台東のまたさらにちょっと外れたところの村に
台南の魅力
アミ族という、台湾的には原住民という表記で、日本的にはどうでしょうね、先住民という表記になるんですかね。そういう部族の方の村みたいなのもあって、そこで2泊3日くらい一緒に新職を共にさせてもらったりとかですね、本当にいろんな経験をしたのもいい思い出になってます。
学生たちたくさん学んで帰ってきて、それで報告書を書いて、一番たぶん彼女たち印象に残ったのは、そのさっきも少し話した、アミ族から志願をして、南方戦線に出て行って、ビルまで終戦を迎えて引き上げてきたという台湾人のおじいさまがいるんですけども、
そのインタビューはやっぱりすごく印象に残ってるみたいですね。いろんなことを話していただいたんですけど、僕も何回か、その時のフィールドワークとはまた別の機会にも話をさせていただいたこともあるんですけど、
南方戦線に出てた時の話の詳しいことはですね、お話にならなかったですね。本当に、思い出すのがたぶん辛いというか、ある種のトラウマというか、かなりひどい経験もされていたということで、そこのディティールについてはお話にはならなかったんですけど、
それでもまあいろんな思いをですね、語ってくれました。単的に言って、日本好きなんですよね、その人ね。日本好きだけれども、いろんな思いもある。複雑な思いもありながらも、感謝もしてるっていうようなことも言ってましたね。
ただ、息子の世代というか、自分の子供の世代になると、今度国民党が中国から、本土から来て、今度国民党の政権になりますので、そうすると大ぴらに日本語とか日本のことに対して比較的好意的な感じを持っているようなことっていうのは、なかなか子供の世代に言えなかったっていうようなことも言っていて、
そして孫くらいの世代になってくると、日本のポップカルチャーのこととかいろいろ入ってきたりとかするんですけども、それでも日本の思いっていうのはあんまりその家族にお話にならなかったようなこともおっしゃってましたよね。
だけどそれを学生たちにはいろんな思いも話して、日本もっとちゃんとしろっていうようなお叱りも受けたりとかですね、そんなこともありました。
ずいぶん対難の話っていうか、対難本当に大好きで、台湾のフィールドワークやろうと思ったときに、どこをベースにしようかなって思って、そのときにやっぱりどの町で学生たちに過ごしてもらいたいかなって思ったときに、やっぱり対難はいいよなって思ったんです。
それは冒頭のブルータスのそのカイコ主義的な写真が醸し出した、物議を醸し出したみたいなこともちょっとご紹介しましたけれども、対難の町って本当に昔都だったので、なんというか日本的には京都的な感じなんでしょうかね。
大学的にも成功大学って京都大学みたいな感じで、ちょっと理系が強いというか、もともと工学系の学校から発展しているので理系が強いみたいなところもあったりするんですけど、そういういろいろ似てるところがあるんですが、古い街並みを確かに残ってるんですね。
だけど建物とかは確かに古いものを大事に残っているんだけども、非常にそのじゃあ何にも変えないのかっていうと、外見はちゃんとそういうものを保全しながら、中はきちんとというかきちんとという表現がいいのかわかんないですけど、非常に洗練された現代的なものっていうのを入れると。
例えばなんかよくあるのは、昔何々だった場所を今は改装してリノベーションしてゲストハウスとして一等賀しでやってますみたいな、非常にこう旅慣れた方で、なんか僕なんかも大好きなんですけど、そうやって暮らすように旅をするっていうようなことに反応するような人がまず反応するだろうなって思うような、
こういう宿だったりとか、そこをギャラリーにしていたりとか、そこをカフェにしていたりとか、いろんなそういう建物の使い方が本当に上手だなっていうふうに思って、そういう意味で台南っていう街はすごくいい勉強になる。
というのは、グローバル化とかグローバリゼーションみたいなことが押し寄せていったときに、建物を壊して新しく建てて近代化していくっていうのではない、怪盗の出し方、あの街の編集の仕方っていうんですか、それを一つ、あの街全体で感じる、勉強することのできる、大変魅力的な街だなっていうふうに僕は、あの台南っていう街、
台南の魅力
の好きな理由というかね、そんなような感覚もあって、学生たちには、だからその辺のこの上手い付き合い方っていうんですかね、あの古いだけじゃないっていうか、古さを上手く現代的に編集をしているっていうような街を編んでいく、編算していく、街を次の世代に繋いでいくっていうのは、どういう営みなのかっていうことを、
あの日本の多分どの街でも学べないような種類の感覚とか、実際にできている場所、そういったことを見ることで勉強になる場所だなというふうに思って、台南に住んだというか、台南に学生たちと一緒に行ったっていうのがあります。
まあ当たり前というか、その残っている建物は、あの日本統治時代のっていうものが非常に多いですね。それより前はさすがに厳しいんですけども、日本統治時代に日本がこう建てた建物をうまく使いながらというのはやっています。
例えばその台南にある国立大学の、国立の成功大学、僕も所属していた大学ですけども、そこもあの日本統治時代の建物が今でもその学部の建物としてうまく使われているところというのすごくたくさんありますし、
まあ象徴的な木があるんですけど、昭和天皇が皇太子だった時代かな、大正時代に植えた木っていうのが非常に大きく成長したものがあって、そこの大学のシンボルツリーみたいになっているところもあるんですけど、そういう歴史の連続性みたいなものを感じられるものが非常にたくさんあります。
台湾、台湾というか台南の中では僕は美術館もすごく好きな場所の一つなんですけども、今台南の台南市美術館って2つ建物があって、一つ目の建物が古い建物なんですけど、昔その日本統治時代の台南の警察署だった場所が今美術館になっている場所っていうのがあって、こちらがビルディングナンバーワンなんですよね。
で、2つ目の方がビルディングナンバー2なんですけど、これがですね、日本を代表する建築家であるバン・シゲルさんと、あと台湾の建築家とのコラボレーションで作った非常にその建築的にも美しい白い建物なんですけども、これが2つ合わさって台南市の美術館っていうところがやっぱり
なんかこう、台湾の精神というか、人の文化的なるものの感覚を表しているんじゃないかなって思うこともあるんですね。
その古い、確か1930年代に建てられたビルディングナンバーワン、その警察署だったところと、また新しく建てたナンバー2のビルディングと両方合わさっての美術館。
で、ちょっとだけ距離離れてるんですけど、歩いてもう本当にすぐですけど、そういう意味ではちょっと距離は離れてますけど、その2つの建物で、特にこのナンバーワンの方のビルの真ん中に、多分あれガジュマルなんだと思うんですけど、非常に立派なガジュマルの木があって、そこ中庭みたいになってるんですよね。
あの雰囲気がすごく好きで、ちょっとカフェみたいになってて、コーヒー飲めたりとか、それから美術館で少しそこで座ったり休憩することもできるような椅子とかテーブルもあったりするんですけど、これ日常的にこういうところを体験している街に住むって、なかなか豊かだなって思う、非常に好きな空間の一つですね。
で、これがその自然と建物と、中の展示とかこれまた芸術作品を展示するわけですけど、この文化土、そしてこう、ある意味そのガジュマルの木っていう自然みたいなものとのミックスっていうんですか、ここがなんか僕がずっと追求しているアルプスシティ的な街の要素っていうものを、
この台南の街っていうのは非常に僕にはいろんな刺激をくれてますね。
嘉義の歴史とプロジェクト
あと有名なのは台南にはこの林百貨店っていう建物もあってですね、これは後で再生されてるというかあれなんですけども、これもやはりたぶん1930年代に建てられた日本統治時代の百貨店をまたリニューアルしている建物だったりとかですね。
それから、今回はその嘉義っていう街も行きましたけど、この嘉義の街は有山ってお茶とかですごく有名だったりとかしますけども、この有山の玄関口なんですよ。だからその山の入り口の街で、しかも今今日もアルプスシティスタジオということで松本でお届けしてますけども、松本も北アルプスの玄関口なんですよね。
人口規模松本の場合24万人で、嘉義も確か20万人ちょっとなのでほぼ人口規模も一緒、山の入り口、なんかいろんな神話性もあって、松本にも新州大学という国立大学がある中で、嘉義には国立の中世大学というやはり大学があります。
で、今回の目的地の一つがこの有山だったんですね。この中世大学、国立大学なんですけども、台湾も今政府が各国立大学にですね、いわゆる地方創生ものを研究や実践プロジェクトみたいなことでエンカレージするというか、それを取り組むようにというか、そういう話が今あるんだってことを台湾の先生にも教えてもらいましたけども、
そんなようなことで、今中世大学は有山の中でいくつかプロジェクトをやってるんですね。有山にもいろんな台湾的な原住民の部族の方とかもいて、コーヒーの裁判なんかもできているんですけど、そのコーヒーをうまく使って、デジタルの地域通貨を掛け合わせながら価値創造していくっていうので、
実際僕が中世大学に呼んでもらって基礎講演したのは、僕が今松本でやっているアルプスシティペイというデジタルのコミュニティ通貨の利用の話とか、その話を聞かせてくれっていうことで呼んでいただいたんですけども、そういうようなところの共通点っていうんですかね、そういうところがあったりもします。
有山は、やっぱり林業なんですね。日本統治時代は、特に日の木だって聞いてますけども、日の木の産地で、林業の木を切り出してくる輸送のための鉄道っていうのを敷いているんですけども、今ではそれが観光列車になっていたりとか、なんかそういう場所だったりします。
これも僕は恥ずかしながら知らずに、この前2月の時に中世大学に行ったんですけど、その時に現地の先生に教えてもらったんですけど、明治神宮の大鳥の日の木は、実はあれは一回落雷にあって、その後また作られたもので、
そのオリジナルの日の木の鳥の木は、有山の日の木だったっていうことを聞きました。ここで落雷があってダメになってしまったときに、樹齢1000年規模みたいな日の木でも日本でもなかなかないらしくてですね。
それで台湾でも当然そういうものは勝手に切れないわけですけれども、ただこれは有山という少し東の方からアプローチする方の山だったと思いますけど、台湾にやはり樹齢1000年級の日の木があって、日本の明治神宮のためだっていうことで、特別な許可のもとを切って切り出して、
それが今、明治神宮の鳥になっているっていう話も聞きましたけれども、そういう話を聞くと、やはりその山とか、そして鳥居を作る木ですから、精神性、霊性みたいなものとか、そういったものも関係してくる山という魅力というか、神聖さっていうんですかね。
そういうのも、今僕が松本の地域のこれからっていうか、この山の町の次の姿みたいなことを考える上でも、非常に有山のプロジェクトっていうのは興味深いなと思っています。
歴史の連続性と文化
ところがというか、本当はそこを中世大学の先生たちがいろいろ案内してくれるっていうことで、手配してくれたんですけど、なんと行ったときですね、台湾でももう何十年に1回とかもう50年に1回とか、歴史的なちょっとアンユージュアルな、普段ないような雨がひどくてですね、
その前に結構大変な台風がいて、木がかなり倒されて、雨がずっと降り続けて、ちょっとトレッキングのトレールもここ行こうなんていう話で打ち合わせしてたんですけど、いくつか通行止めになっているところもあるっていうことで、残念ながら有山の現地サイトには今回行けなかったんですよね。
ちょっとまた今度ここはリベンジして、しっかり時間とって、いろんなことを勉強しに行こうかななんていうふうに思っていますけれども、そんな鍵の町も行きました。
ひのき村みたいなところもあるんですけども、これも戦前の林業のためのですね、感謝があったところをうまく再現して、そういうようなものを作っていたりという。
なんでずっと話してきたことというのか、単純に見た目が古いっていう、ブルタスのこの写真が物を醸し出したって話ですけれども、写真で切り取ったら確かにそうかもしれないけど、中身とかその古さにどう人が向き合おうとしているのかとか、
ここは写真だけだとなかなか難しいところがあって、おそらくですけど、ブルタスの編集部の方もその写真を選んだときに、単純に古いものとか、ましてや台湾の後進性みたいなものとか、そんなことを表現したかったわけではないはずなんですよね、ないだろうと思いますけど、
そういうふうに捉えられてしまったというか、なんで表面的に見えるものと見えないものと、やっぱりこの両方、特に見えないものの価値ってすごく大きいなって思ったりしました。
これ台北にも素敵な場所がすごくあるのが、もともとこの日本都知事代のタバコ工場の跡だったところがうまく今カルチャーの場所になってます。ギャラリーとかいろんなのがあってっていう一つのカルチャースポットになっていたりもしますし、
お酒の工場だった跡地っていうのも今、非常に文化的な場所に再生されているんですけど、確かにその建物自体は当然古い建物を使っているんですけど、そこが古くないし、これどれだけお金払ってもやっぱり作れないんですよね。
1930年代に建てた建物を、2025年の今、何十億何百億のプロジェクトを作ろうと、もう一回人為的に作ることはできない。人為的に作ることができないものの価値をうまく生かしながら、
現代や未来の人たちに対して何かのメッセージを伝えようとするっていうか、そこに価値を作り出そうとして、実際に価値を作り出しているっていう、ここは日本の場合は本当に対戦中に主要な街ってかなり空襲を受けていて、
焼けて真っさらになっちゃったというか、亡くなってしまっている部分っていうのがすごく多いので、台湾で学ぶことはこの連続性ですよね、歴史の連続性みたいなものをうまく生かして都市をデザインして次の世代にバトンを渡していくっていう、
一個の形を見せてくれているし、そこからすごく考えるものというか感じるものがあるなっていうふうに思っています。今回台湾行ったこともあって、いくつか調べてみたんですけど、なんかちょっと面白い統計データみたいなのもありましたね。
一般的に日本のことを好きでいてくれる台湾の人が多いとか、親日が多いんだ、みたいなこととかって言われたりもしますけれども、日台交流協会だと思いますけど、調査かなんかの結果がネットに載っていて、台湾の方に1500人くらいかな、15600人くらいにとったアンケートの結果が出てましたね。
最も好きな国を一つ選べっていう、こういうことをすると、ありがたいことにというか嬉しいことに、日本が1位だったってことなんですけど、なんとですね、76%だったって言うんですよ、その1位、日本。
で、何位だったかな、えっと、韓国ですね。韓国が確か、ちょっとごめんなさい、うろ覚えなんですけど、一桁なんですよね、4%とか。これも確かに、1個だけ選ぶっていうふうになると、どうしてもそういう偏りって出がちだっていうこともあります。
ありますけど、街を歩いてみると、ここやっぱり10年、20年くらいの変化の中で、これは台湾に限らず、どのアジアの街も、この前僕がちょっとだけ住んでたバンコクもまさにそうなんですけど、やっぱり韓国のカルチャーの魅力が、このアジアのマーケットを接近してるなっていうのは、この10年、20年の変化でものすごく感じます。
もう、K-POPみたいなのって、K-POP効きますか効きませんかみたいなっていうか、当たり前のようにあるみたいな感覚っていうのもあるくらいにすごく浸透しているっていう感じを、街を歩いてると印象を受けるんですけど、そういう印象と、実際のそのなんていうんですかね、最も好きな国をあげろみたいなことっていうのは、
そんなにもう完全にリンクしないというか、だんだんこう、日本のもの、確かに台湾の場合、例えばちょうど今ね、鬼滅の刃もやっているってこともあって、非常にこう日本のアニメのコンテンツ力って台湾でもすごく受け入れられている部分があるので、
日本と台湾の文化的関係
日本の存在感が全然ないかというと、そんなこともないんですけど、それでもなんか、いろんなところでやっぱり韓国のカルチャーの影響みたいなものを感じる割には、すぐそれがダイレクトに、こういうような調査とかっていうのにはリンクしているというか、そんなにすごく強い創価関係があるというわけでもなさそうだなっていうのが、
まあ、あったりしました。
うん。
そういえばなんか、ワクチンがね、足りないとかなった時に、日本が、確か台湾にもワクチンを拒否したんですよね。
なんかその時、なぜか僕はもう何もやってないけれども、台湾の友人からわざわざメッセンジャーでメッセージが来て、ワクチンありがとうみたいなことを言われたりもしましたけども、なんかそういうような、いろんなことを積み重ねていっての、この2つの日帯関係なのかなというような感じもします。
そんなようなことも、思いました。
あとの変化は、そうですね。
円安ですかね。
どうですかね、この20年くらい、
えー、日本円と台湾ドル、だいたいまあ、4円くらいで計算すれば、だから1ドル4円くらいで計算すればまあ、あのだいたいそんなもんかなーなんていうような時期が結構長かったように、えー、僕は記憶をしていて、
えー、まあ4点いくらって感じだったと思うんですけど、今5円くらいで計算しないとダメですね。
えー、そういう意味では、えー、台湾の方にとってみると、まあ、あの円安なので、えー、日本旅行はとてもとても、あの、し、しやすいというか、あー、いろんなものが安く感じると。
結構、半分冗談的に、えー、その、大学の、なんていうか、こう、先生たちですね、台湾の先生たちと、こう、なんか、あー、食事したりとかなんかしてると、いやー、日本かわいそうだねーって言われて、いやー、こっちはありがたいけどさーって、あの、言われますね。
えーと、まあ、あの、給与とかも、あの、今、感想をですね、ちょっと、国立大学、台湾も、日本とそんなに大きな差がない水準なんじゃないかな、と、確かなんか前、教えてもらったときなんかそんな感じだったと思うんですけど、まあ、そっからすると、あの、日本安いよなーって感じに、おそらく、なるだろうなー、感じるだろうなーっていうのを、まあ、思いました。
そうですね。あと、まあ、もう一つくらいシェアすると、すると、これちょっと、統計とかデータとか追い切れてないんですけど、
うん、びっくりしたのは、えー、台中の駅の周りだったりとか、台北の駅の周りだったりとか、台南ではそんなにちょっと、あの、見なかったって感じでもあるんですけど、えー、いわゆる、こう、ホームレスの方がものすごく、こんなに昔いたっけっていうくらい、なんかホームレスの方がいらっしゃるっていう印象を受けたんで、
なんか街の中で、で、これは、あの、コロナ前、あんまり、こんな感じじゃなかったのかな、で、これが因果関係というか、そこまでちゃんと調べきれてないんですけれども、なんかその、ホームレスの方が、街の中で、まあ、目立つというか、すごく、あの、気になった、え?え?ってちょっと、あの、思ったりも、えー、しました。
あー、で、なんかどうやら、そんなに数が激増してるって感じではないみたいなんですけど、あの、まあ、見え方は強いっていう感じなんですかね、なんかこう、目に、あの、つくというか、台北の駅のところにも、あの、駅のちょうど外の部分ですけど、そこにもすごく、あの、いらっしゃいましたね、なんか、その辺が、もしかしたらなんか、台湾の社会の、ポストコロナの、
コロナ後の台湾社会っていうものが、あー、持ってる、こう、社会課題みたいなものが、まあ、ある意味ちょっと、えー、目に見える形で、あるのかな、というふうにも感じました。ただ、ちょっとこれはもう、あの、ちゃんと調べてもなくて、たまたま、たまたま僕が、台中でも、あの、台北でも、あの、そういうふうに、えー、中田の場所を、まあ、通るというかですね、まあ、そういうことがあったってことだけかもしれないんですけど、
まあ、台南のその政治学者の、あの、友人にちょっと聞いてみたんだけど、んー、なんか、あの、あんまり反応はなかったというか、そんなに、えーと、すごくもう、みんなが共有する社会課題みたいな感じでもな、なさそうですけど、まあ、そんなような、あの、ことが、ありましたと、いうことになります。
ポストコロナの社会課題
うん、なんか、台湾の話は、ほんとにまだ、あの、いっぱいいろんなことがあって、今日たまたま、あの、ちょうどこの前、あの、行ってきたばっかりだったので、えー、その、最新のというか、なんかその、一番フレッシュなうちに、みなさんとシェアできるものがあって、シェアできればな、というふうに、あの、思って、あの、今日は、こんな感じのポッドキャストになりました。
なんか、こんなことを話してると、やはりまた、あの、学生たちとも、えー、台湾で、あの、いろんな勉強をするのもありだな、っていうのを思って、まあ、特にあの、ゼミの学生とかで関心がある、えー、人なんかと、あの、今回行けなかったね、有さんのやっぱプロジェクトを、実際に現地に行かしてもらって、いろんな方のお話を伺うっていうのは、あの、とっても勉強になるだろうなと思うので、で、こ、今回ね、さっきもちょっとお話ししたんですけど、
雨と天候のあれで全然行けなかったので、えー、もう今年度、なるべく近いところでどこか、あの、ぐいっと予定を確保して、えー、バッと行って、まあ、今回も有さんのこのサイトだけ行くぞって感じで、えー、行って帰ってくるというようなこともやりたいな、なんていうふうに思ったり、えー、します。
森 あの、リスナーの方も、おー、聞いてくださってるね、方もですね、えー、たぶん台湾、あのー、非常に詳しい方とか、たくさんいらっしゃるんじゃないかなというふうに、えー、思いますので、もしまた、あの、こういう台湾の楽しみ方とかこういう見方があるとか、あの、こんなエピソードが印象に残ってるとかですね、えー、何か、あー、まあ、おすすめのお店とか、ここは絶対行ってください、みたいな、あの、とかがあればですね、なんか、またぜひ。
この概要欄のところにフォーム がありますので 質問フォーム
ってなってますけど そういう情報 をいただけると大変ありがたい
なというふうに思います 私もまた 何かシェアできる情報があれば
こういった形で皆さんとシェア できたらなというふうに思っています
最後にいくつか学生からもらった 質問があるんですけど まずはこれ
も匿名希望の方からですけど 第3 第4の故郷を作る予定はあります
かっていうことで これ第3から始ま ってるのは だから僕が東京で生まれて
たぶん第1の故郷東京で 第2が松本 っていうふうに思ってもらって
いて 第3 第4ってことなんだと思 うんですけど 作る予定というか
自分の中で結構第3 第4的に思い入れ があるのが 一つはやっぱり高校生
のときに現地の高校に通ったニューヨーク の田舎町みたいなところも思い入れ
があるし そことセットだったら ニューヨークシティっていうのは
ある種特別な町としてあります これがもしかしたら第3なのかもしれない
し 第4はやっぱりこれも結婚して すぐに3年間くらい住んで その後
も何年も関わったシリアのアレポ っていう町 ここはただの町という
よりはやはり故郷的な特別な思い があったりしますね なんかたくさん
出てきそうな感じがします 結構 バンコクも結構行く機会があったり
とかして だんだんこの前家族でも 研究休暇のときは家族でも住んだ
ので そういう意味でもちょっと 公務官というか特別な場所だったり
娘なんかも初めて 本当に数ヶ月っていう 単位でしかなかったですけど 外国
に住むっていうのがバンコクが おそらく彼女にとって初めての
外国に住んだ場所なので そういう 意味でも何かちょっと特別な感じ
がありますし それから 自分が 所属して少し滞在した今回も出て
きた台南みたいなとこですね 台湾 の台南みたいなところも何か特別
な思いがあったりっていうことも あるので 作る予定というか 勝手
に何か増えてっちゃいそうだな っていう感じはしています
それからもう一つだけ関連する ので これも匿名希望の方から山本
達也先生のおすすめの旅プラン を教えてくださいっていうのが
あるんですけど これは難しいですね おすすめの旅プランというか それぞれ
の何が好きなのかとかっていう のもあるので 一概には言えないん
ですけども これはこのポッドキャスト で僕もずっと言ってるみたいに
やっぱ暮らすように旅をするみたいな ただ外から言ってるんですよね
外から言ってるんだけど あたかも 擬似居住体験というか 住んでる
人の目線からこの町ってどういう ふうな感じなんだろうとか この
町に住んだらどんな感じになる のかなみたいなこととか なので
旅に行ってんのに だいたい旅に行く と違うお店に行きたくなったり
とかするんだと思うんですけど 僕は可能な限り長めに滞在したい
っていうタイプなんですが その間 多くのお店を回るぞっていうより
なんてことのない 別に何か特別 なんかガイドブックに必ず載って
ますみたいではない 泊まってる ところのすぐ近くにあるカフェみたいな
ところで毎朝朝食を食べるみたいな 住んでたらこんな感じのことやり
そうな その毎日毎日行って中国語 も全然できない中で一生懸命注文
してると だいたいお店の人にも 覚えられてみたいな感じになって
お前またこれなみたいな感じで いわゆるいつものメニューみたいな
感じでやりとりができたりとか そういうのって旅なんだけど旅
プラス寄附居住体験っていうか そのようなことは僕はすごく好き
なんですよね なので もしもそういうのちょっと気になるんだったら
そういった感じの旅スタイルっていう のを試してみるのもいいんじゃない
かなっていうふうに思ったりしています ということで 今日も1時間ちょっと
くらいかな 多分 喋ってしまいました けれども 今日は主に台湾に最近
台湾での旅行スタイル
行ってきたときのお話を中心に お話をしました ということで また
来週以降 この山本達也のUntitled Podcastでお付き合いいただければ
というふうに思います 今日も 最後まで聞いてくださり どうも
ありがとうございました
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それでは 今回のアンタイトルドは この辺りで また次回お会いしましょう
ホストの山本達也でした
01:05:28

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