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スピーカー 2
名前は後から付ければいい。山本達也のUntitled、ホストの山本達也です。
この番組は、まだ言葉にしきれないアイデアや感覚、何かが立ち上がりそうなワクワクを手掛かりに、様々なジャンルを影響しつつ、これからの社会の形を探っていくトークプログラムです。
本日の収録は、長野県松本市アルプスシティスタジオからお届けします。
はい、今週なんですけれども、11月の頭の1週目、2週目は、いつも月の初めの1週目、2週目はゲストの方に来ていただいて、そのゲストの方とのトークをお楽しみいただこうということになっています。
で、今月11月のゲストはですね、今来ていただいていますけれども、株式会社柳沢林業代表取締役の原薫さんです。かおるさんよろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 2
柳沢林業、もう名前が林業ってついていますから、何をやってる会社かといえば、広くは林業ってことで、皆さんなんとなくイメージされるんだと思うんですけど、すごくなんかいろんなことも手がけられているので、その辺も含めてお話ししていければなというふうに思っています。
で、一番初めにいつもなんかあのゲストの方に、大体ゲストの方は長い長いバックグラウンドいっぱいお持ちの方が多くてですね、自己紹介長いバージョンやるとすごいなんか長くなるので、世の中の一般の人たちになんかこうわかるって言ったら変ですけど、短いバージョンというかこんな感じですという自己紹介をいつもいただいているのですけれども、
原さんの場合はどんな感じでしょうか。あの自己紹介をちょっといただいてもよろしいでしょうか。
スピーカー 1
はい、改めまして原薫です。そうですね、私生まれ育ちは神奈川県の川崎市で、18まで高校までいました。で、今林業の世界にいても社長になってからはほとんど現場に行くことはないんですが、それまではいわゆる木こりの仕事を現場作業してました。
で、その時の体力は多分あの中学校の時の部活動ハンドボールをやってたんですけど、そこで使われたんじゃないかなと思ってますが、あの多分今だと先生、え、なんて言うんでしょう、あの、なんて言うんでしょうかそういうの大罰じゃないや。
大罰みたいなやつありますよね。
はい、そんな経験もさせていただきました。で、高校は神奈川県立ではあるんですけど、外語短大付属高校っていう職業科みたいなところに行って、ひたすら外国語を勉強する、なのに全く話せませんが。
スピーカー 2
え、それは英語やるんですか、その時。
スピーカー 1
英語と大外国語も一応あって、で、当時、何年後か、4年後ぐらいにバルセロナオリンピックがあるという時期だったので、じゃあ私はスペイン語やろうと思って。で、もう一個はフランス語だったんですけど、ちょっとお嬢系の子たちはフランス語を取り。
スピーカー 2
ラテン系。
スピーカー 1
私みたいなのはスペイン語を取るっていう、そんな感じで。スペイン語は結構やりましたね。もちろんしゃべれないですけど、今でも発音は好きだったりします。
で、高校の時に、そういう外国語ばっかり勉強する学校ではあったんですけど、チリの先生がすごく自治問題を取り上げる方で、私父親譲りの正義感がちょっと強かったりするんで、いろいろ世界の問題とかを知ると、なんか自分にはできることがないのかっていうふうに考えちゃう方だったんですけど。
で、アパルトヘイトの人種差別の問題だとか、いろいろ興味関心はあったんですが、その中でも環境問題、そこに強く心を動かされるところがあって、最初は国際関係みたいな分野に進みたいなと思ってたんですけど、
で、高2の時にちょっと利点というんですか、そっちに変えて、結果的には農学部に進むことになります。で、農学部、生物系、化学系、工学系、社会学系、経済系か、4つあったんですけど、私は化学系を進み、いわゆる生物科学というところで。
で、まあ、いろいろこう、面白い授業はたくさんあったんですけど、ただやっぱり、もともとが根が体育会系なので、実験室にこもってるっていうのはしょうに合わなくて、それで、ああ、ちょっと高校の世界では自分は生きていけないかなというふうに感じ始めていたとき、3年生の時に樹木学っていうのを、専攻ではないんですけど取ってみたんですね。
で、その先生がまあ面白い方でもあったんですけど、樹木学なので樹木全般、木の生理学から、物性から、まあいろんな角度から学ぶんですけど、その中で私が一番興味ひかれたのが、民族学的な側面というか、いろんな木が日本にはあるんですけど、植物が生育するのに適した環境なので、
その木の種類を昔の人たちが、その特徴を捉えて、たまざまな器具、道具、昔は石油製品とか寝ないですからね、日本の山からすべてのものを調達してきてたので、まあいろんな木を道具器具に使い分けてたわけですけど、なんかそういうのが、いわゆる知恵みたいな、すごく面白いなと思って。
で、選考外の人は基本的には実習は遠慮してくださいって言われてたんですけど、どうしても行きたいって言って、ご了承して、で、連れてっていただいたんですが、それが大井川の一番上流にある井川という地で、最近はオクシズとかって言ってなんかちょっとブランド化みたいなのもされてたり、
スピーカー 1
あの奥に、当時からありましたけど、東海パルプ製糸会社さんの山が山林があるんですけど、今そこにウイスキーの工場ができましたね。静岡の町から3時間くらい車で駆けて行くとこなんですけど、結構そんな開発もされてたりはするんですが、当時からもう住んでる人はすごく少なくて、700人くらいしかいなかったかな。
で、窓から見る景色は全て山っていう。まあでもね、川崎で生まれ育った私にしてみると、なんかそれが意外と新鮮というか。で、実習自体も本当に楽しかったですし、で、なんか山に見せられるというか、そんな経験でした。
で、その時に技官の方に、先輩とかもこうやって実習に来てこの地が好きになった人と山登りだったり山遊びをしてるんだよっていう声をかけていただいて、で、秋には南アルプスの登山に行くからよかったらどう?って、それは行ってみたいねって言って、まあ友人たちと先輩たちと、その秋の登山に連れてっていただくことになりました。
で、川崎なので、山登りっていうと高尾山とか箱根の山とか、まあそういうのに子供の頃は行ってたんですけど、大嫌いで、なんでこんなきついことしなきゃいけないの?って思っていたのが、なんかその時に、アルプス3000mなんで、もう未知の世界、自分にとっては。
で、何人かと行くんですけど、やっぱり前後離れちゃって、まあ一人で山を歩いてるっていうこともあったんですけど、なんかその人間の世界から動物しかいないような、まあそういうところに足を踏み入れた時に、なんだろ、怖い気もあるんですけど、なんとなく心地よさを感じたっていうのを今でも覚えてるんですけどね。で、針葉樹のモミの木のすごいいい香りがするようなところとか。
で、まあ翌朝には山小屋に泊まって翌朝にはピーク半島、真っ暗闇の中登って行ったりしたんですけど、で、少しずつ明るくなって稜線が見えた時に、もう森林限界を越えて、たぶん新生の方だと中学生で登山行きますよね。
行きますね、中学2年生かな。
そういうことも感じた、初めての3000メートル級の登山だったんですよね。で、まあでも以下はそうやって遊びで、実習では行きましたけど、その後は遊びというか、まあそんな感じで何回か通ってたんですけど、まあでもそれが仕事に結びつくことはなかったんですけど、
まで一応卒業大学は4年で卒業し、ただこう今後どうしようかっていうのが結構定まってない中で、特に就職活動もせず、まあプー太郎してました。で、大学の時に研究所でアルバイトしてたんですけど、まあその関係でそのアルバイトをずっと続けてたんですけど、
まあでも本当にどうしようかなと思った時に、まあ環境問題にあの興味があったんだっていうところの原点に立ち返って、でもあのえっと高校生ぐらいまでは、まあ子供が好きだったので、保護さんか今保育士さんっていうか保育士さんか小学校の辺でなりたいなみたいに思ってたんですよね。
なのでその2つを結びつけて、まだ当時環境教育ってあんま分野としてはなかったんですけど、教育の場に自分が環境に取り組むっていう場を求めていこうかなっていうことで、教職の免許を取ってなかったので、通信で玉川大学の通信を取りまして、でまあその勉強を始めてた。
で、その勉強をバイトしながら近くの図書館で勉強してたんですけど、その時にちょっと一冊の本と出会ったのが、せっかくそうやって道を決めたにもかかわらず、またちょっと違う方向に。
で、その本が木を読むっていう、今でこそ製材って機械で当たり前にやりますけど、昔は大きなノコギリで人が製材してたんですよね。丸太を四角く、あるいは板にしてた。その職人の名前は小壁っていうんですけど、新木場最後の小壁職人って言われていた林さんの木書の本だったんですね。
で、内容としては木の話、道具の話、職人の話、木の文化の話みたいな、そんな構成だったんですけど、私あんまり本を最初から最後まで全部読み上げるっていうのはほぼない人間なんですけど、それはなんか一気に読んでしまって、まああの、何でしょう、喉が渇いてたっていうことなのかわからないんですけど、
大して内容がね、22歳の若き女性が読んで面白いと思える内容とは今では思えないんですけど、ただいちいち職人さんの言葉がかっこよくて、やっぱり長い間一つの道、道ですよね、なんかを突き詰めていくと、
本質に生きつくのかな、みたいな、そういう感じもあるんですけど、職人さんがかっこいいなっていうのと、あとその環境問題って捉えどころがないというか、何か自分にできることがないのかとは思ってましたけど、
なんか具体的にこう、ちょっとこう自分で掴みどころがないというか、っていう感じがあったのが、なんかその足元に答えがあったっていうか、日本にはその脈々と続く先人から続く木の文化っていうものに象徴されるような人と自然との今の言葉で言えば強制みたいな、
今、うちの会社の理念にも表現してるんですけど、山と人との生かし生かされる、どっちが生かす、どっちが生かされるっていうことでもない、なんかそういう関係性っていうのがあったんだなっていうのをその本を通じて知ることになったんですね。
なので、自分もそんなかっこいい生き方したいなということで、一旦学費を払ってもらって通信の勉強してたんですけど、ちょっともうそれを捨てる形にはなり、どうやったらそういう木の文化を継承する職人になれるかっていう道を探ることになったんですね。
いろいろ調べた結果、いわゆる伝統産業みたいなところにたくさんその木の職人さんが活躍する場はあると、しかもどこも人材不足というか衰退している産業だっていうことも分かって、だったら最低限木工の技術を身につけていけばどこでも何かお役に立てるかなと思ったんですね。
それで今有名になった高山のオークビレッジというところに木の職人を育てる匠塾というのがあったのを見つけたので、そちらを訪ねました。
こんなことを考えてますっていうことをお話ししたら、ぜひ受けてみたらどうでしょうかと。ただ、受かるかどうかは分からないっていうのと、2年間朝から晩までひたすら修行。
授業料はかからないんですけど、でも生活費がないと暮らしていけないねっていうことで、じゃあ2年間の生活費を貯めよう。
とりあえず仕事を見つけなきゃ。その時に樹木学の実習でお世話になった井川の義官さんが、新林久明の仕事が飽きてきたみたいだよと教えていただいて、
木工の世界に行くにしても林業を知ってても損はないんじゃないと。山遊びも一緒にしてあげられるからっていう、そんなお誘いをいただいて、これはもう願ったりかなったりだと。
それで井川に行くことになったんですね。井川の新林久明に勤めるんですけど。ただ、稼いだら匠塾に行こうっていうふうに考えてたんですけど、田舎なので若い女性が行くと嫁候補なんですよ。
スピーカー 1
ただ嫌で辞めるっていうよりは、あの元新州大学の地下旅を這いた教授っていう名前で知られていた島崎陽二先生、その方を頼って静岡から新州に来ることになるんですけど、その先生のことは、あのえっと森林塾っていうのを稲の方にkoaって書いて、koaっていう会社がありますけど電子部品の有料企業。
そこの今会長になられているのかな、あの方が山がすごく好きで、なんか森林塾っていうのをやりたいんだと。でその島崎先生と飲み屋で知り合って、であの講師を依頼し、先生が講師で森林塾というのがやられてたんですけど、それを森林組合時代に知って、でああこういう先生のとこ行ってみたいと。
スピーカー 1
でそれで結果的にその先生のところに弟子入りするという。私林学じゃないので、現場で3年間の経験はありましたけど、どういうふうに山作りを考えたらいいのかみたいなことっていうのは全然全く素人だったので、先生と現場に入りながらそういうあの学学学も林学的なことも学べたらいいなということで先生のところに来たんですね。
ただなかなか一緒に山に入る機会が作れなくて、なぜならその先生がお隣岐阜県の森林文化アカデミーっていう林業大学校ができた時なんですけど、そこにあの講師として来てほしいっていう依頼があって、そちらに引っ張られてしまったので、あんまり先生とは山に一緒に入れなかったんですけど、そんなご縁から新州に来て、
今の旦那と結構すぐに知り合ったんですね。旦那が墨焼きをしていて、結婚する前からちょっと墨焼きの仕事を手伝ったりっていうので、最初は伊那にいたんですけど、それから松本に来て、1年後に結婚するっていう感じで、墨の手伝いをしてたんですけど、
やっぱり今でこそ墨焼きで食ってるって言えるぐらいの収入にはなりましたけど、当時やっぱりそんなに値段がつくようなものじゃなかったし、墨も焼けなかったし、墨焼きだけでは、私が匠塾に行くために貯めていたお金、その貯金がみるみる減っていくっていう。
これはやばいやばいやばいみたいな。外貨を稼がなきゃということで、それで旦那に紹介してもらって、柳沢林業じゃないんですけど、同じように一人親方で林業されてる方のところに働きに行きました。冬は墨焼きの手伝いをして、夏場はその方のところで仕事をする。
そんなの3年ぐらい続けてたんですけど、ただねちょっと、これはおふれこ、まあいいか。聞くことはないですね。ちょっと荒っぽい方で、それなりに日当はいただけたんですけど、ここにいてもちょっと進歩ないなと。もう少しちゃんと林業、働くんだったらやりたいなって思いもあったんで。
で、柳沢は近所のおじちゃんだったんですよ。最初に結婚して住んだ家の近所で、なんか傾いた看板が立てたので、この人林業やってるんだっていうのは知ってたんですけど。で、時々山の現場で会ったりして、向こうはいつも財務高校の大型のトラックで運んでるんですよ。
上から見下ろされて、みたいな。そう、そんな関係だったんですけど、初めて地区の運動会に出た時に、直来で一緒になって、ああ、そこの林業のおじちゃんだと思って。で、なんかいろいろ話してたら、向こうもこっちのことは知っていて、なんかその働いてたところの娘だと思われてたみたいなんですけど、違うんですよねって。
で、そろそろ職場変えようと思ってたら、じゃあ現場見に来りゃいいわって言われて。で、山辺の奥の現場に翌朝行ったんですけど、日曜日の翌月曜日に行ったんですけど、こんな山奥で仕事してるんだと思って。で、そこで当時の社員というか、従業員の方たちとお会いして話をしたり、一日結局作業は一緒にやらせてもらったんですけど、
あ、こんなわきあいとしたところだったらいいなと思って。それで、こんなとこで良きゃ来りゃいいよって言っていただいたんで、まあ職場を変えました。で、まあそれからは本当に現場の仕事をずっとやってたという感じで。
スピーカー 2
それが何年くらいなんですか?その最終的に柳沢林業に行き着くのは。えーと、平成15年。あ、違う違う違う違う。え?ん?平成15年か。って言うと。平成って言われてもね、我歴が全く分かんなくて。
ですよね。私もそうやって覚えてて。あ、本当ですか。平成15年をインターネットに聞くと、2003年だって。2003年か。そんな感じですか。そうですね。じゃあもう20年以上いる感じ。そうですね。はいはいはい。22年って感じになりますよね。
なるほど。そうやって柳沢林業さんにまで辿り着くわけですけど、まあツッコミどころ満載の今お話いっぱいあって。いやいや、一番初めはハンドボールですか?部活。あ、そうですね。ハンドボール。中学。これはでも入る前から厳しいって言ってたんですか?
スピーカー 1
えーとね、小学校の時にドッジボール、地区のドッジボールに入ってて、ハンドボールって人気ないじゃないですか。うーん、そうなんですか。当時はね。あ、当時?当時は。珍しいですね。多分、あの、神奈川県でもそんなに何個もなかったと思うんですけど、で、そのスパルタの先生が、やっぱり早期教育みたいな。で、その地区の子供会、ハンドボール、女子はハンドボール。
あ、じゃなくて、ドッジボール。で、男子は野球部の子たちに、こう、ちびっこハンドボールって、なんか、小学生が参加できる大会があったんですよね。お正月とかに。で、それに、あの、出てみようっていうことで、招集かかって。やりたい子が集まって、あの、お正月の大会に出るって。
大してできないんですけど、即席で練習するだけなんでね。でも、なんかその経験があったので、中学ではバスケやりたかったんですけど、あの、まあ、ハンドボールじゃあやってみようかなっていうことで、で、ハンド部に入ったんですよ。
スピーカー 2
たんですね。でも、バスケも厳しかったんでしょ。どうせ、あの、その当時の部活なんて言ったら。でも、ハンドボールが一番きつかったんですか。でも、あれですか、幼少の頃とか小学校の頃から比較的、こう、運動は好きだったんですか。運動好き。
そうですね。そこまで足が速いわけではなかったですけど。
だから、なんていうか、こう、だから、運動神経的には別にあんまり苦労しないで、小学校の時は楽しくその運動とかでできたし、まあ、体動かして楽しいな、みたいな、そういう感じ。
そうですね。
ドッジボールなんかも、こう、できる、あの、燃えるタイプ。ほんとなくわかりますよ。
いや、なんか、山やられる方とかね、結構、運動神経にもいくつかのタイプがあるな、なんて思ってて。
あの、球技って、まあまあ器用さみたいなのとかも、こう、あの、求められるし、こう、あの、僕、柔道とかもやってたんですけど、なんかこう、柔道的なるものだったり、個人でやるのか、グループのチームでやるのかとか、なんかいくつかのパターンが分かれて、僕の勝手なイメージでは、
球技って、まあまあ、なんかいろんなものが器用な人が、こう、やるイメージで、でも山、がっつりやる意味での運動神経っていうか体力、みたいなとこと、割となんかその球技が上手なとこって、違いそうな気もするけど、あんまり関係ないんですかね、そういうのって。
スピーカー 1
あ、えっと、視野が広くっていうのは、あの、共通するとこかな。だから逆に視野が狭い人、リングやると危ないですね。うちの社員にもいますけど。
視野ですか。
視野が狭い。だから長い木を扱うじゃないですか。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
なので、この辺を機械で持った時に、すごく触れるわけですね。
そういうのがちゃんと、あの。
スピーカー 2
イメージできるかどうか。
スピーカー 1
そうですね。で、切って、まあ安定して立ってるものを切って不安定にする。またそれで安定したものを切って不安定にするっていう、そういう作業の連続なんですよね。だからこれを切ったら、何がどう動くかっていうのを予測してなきゃいけなかったり。
スピーカー 2
わー、なるほど。そう思うと、すごい確かにチームでやる球技って、なんか似てる面があるっていうか、そういう種類の、見えてなくてもここにこの人がこう動いてる的なやつあるじゃないですか。で、この人ってこう来るからこう来た。で、これって考えてるようでも意外と感覚的になんていうんですかね、上からこうヘリコプターで俯瞰して見てるじゃないけど、そういう種類のこととか。
僕なんか全然もちろんできないですけど、たぶんね、F1のレーサーの人とかの話をインタビューみたいなので聞いたことがあって、F1のレーサーって300キロみたいなので、こうなんか走るじゃないですか。だけどどのくらいの距離でこうつけてきてるのかっていうか、なんかその運転してるときに上から見てる絵もなんかあるらしくて。
スピーカー 2
だからそういうなんていうんですか、実際には見えてないんですよ。だから実際の人間の目っていうのはそんなふうには当然見えないんだけども、頭の中でそう見えてるみたいなのは、もしかしたら、ほらサッカーの人とかでもさ、全然見てないのにさ、ノールックでパッと出したりする。でもそれはもう何度も練習してたりとか、ああいうのもあるんだと思うけど、なんかああいう種類の空間を捉える能力っていうんですかね。
今初めて林業が意外となんかそのグラウンドがあるようなところの俯瞰して見ている、自分の動きが予測できないわけですよ。他の人の動きだから。なんかそういうところまで、木も多分こうやったらこう動くんだろうけど、この範囲でこう動くかもしれないみたいなのもなんか予測がね、あるのかなと思って。
スピーカー 1
たかちん 修材とかって、まあちょっと今ね、言葉だけで表現するのはなかなか難しいですけど、ユニックとかにワイヤーついてるじゃないですか。あれを引っ張っていって木材をこうじゅんぐりじゅんぐり引っ張ってくるって結構難しいんですよね。流れてきてドーンって当たっちゃったりするし、うまくは言えないけど。
スピーカー 2
たかちん そういうのって何ですか。未来っていうかそんな大層ななんか話っていうか、この人の動きっていうか木の動きみたいなものがある程度こう予測、見えて予測する中でコントロールするみたいな感覚があるんですか。
たかちん そうですね。長いものなんで。それがまた滑ってきたりするんですよね。どの位置で引っ張るかとか。すごく予測が難しい。
たかちん だから熟練の人っていうのはそういうところの読みが。
スピーカー 1
たかちん あとセンスですよね。何年やっててもそういうのが苦手な人っていうのを。
スピーカー 2
たかちん 面白い。なるほど。そういう種類の空間予測とかものの動き方の感覚。これはだからじゃあやっぱり教育でカバーできる部分とできない部分があるんですか。
スピーカー 1
たかちん どうなんでしょうね。そういう訓練をしたことはないですけど、やっぱりだからそれが予測ができない人は怪我が多い。
スピーカー 2
たかちん やっぱ怪我になっちゃうんですね。そこがね。
スピーカー 1
たかちん 自分じゃなくて相手を傷つけることにもなるし。そういう人はちょっと現場の適正っていう意味では。
スピーカー 2
たかちん そういうのって変なの。入社試験じゃないですけど、そういうのってよくほら大きな会社とかでもなんかあるじゃないですか。人事面接とか入社とか。
たかちん だけどその現場での動きみたいなことっていうのはある程度予測はつくんですか。入ってみてそっかこの人こういう感じかみたいな。
スピーカー 1
たかちん 最近はちょっと長めに使用期間っていうか取ってこの人の適正を見るっていうのもありますけど、やっぱ昔、以前は来るもの拒まずっていうかそもそも臨業の現場で働きたい。最近は多いですけどね。
スピーカー 2
たかちん 増えてるんですか。
スピーカー 1
たかちん 増えるっていうか希望者はいます。そんな簡単に雇えないですけど、財力がないので。だけど昔はねもう来てくれた人は採用するみたいなそんな感じで、あまり適正とか来てくれたらその人に働いてもらうって感じだったんですけど、
スピーカー 2
たかちん だからそうあのこの人でも向いてないよなっていうのもやっぱり感じ始めてたときに、そうですね、だから臨業の現場って発揮できる能力が限られちゃうので、今それも理由の一つとして色んな仕事を増やしたっていうのはあります。
スピーカー 1
たかちん なるほど。
スピーカー 2
たかちん 臨業、ただ木こりだけじゃなくて、今馬を飼ってるってこともそうだし。
たかちん 農業部門とかもね。
スピーカー 1
たかちん まあそうですね。あのそうですね、薪の部門があったりだとか、その辺はそうそうあのすごいこう一生懸命仕事する汚い、油まみれにもなりますし、そういうことを厭わずにね、本当にいつも汗かいて一番早くに来てとか、そういう社員がいたんですけど、
たかちん ちょっとそのさっきのね、適正という意味では視野が狭くなっちゃって、現場で。幸い大きな怪我がない人だったんですけど、でもちょっとこのままだとなんか起きても怖いよねっていう。
たかちん で、そういう人に辞めてもらう選択肢もあったんですけど、やっぱりそういう人にも活躍できる場を作れないものかって、そうやって考えて新しい仕事を作ったりだとか、あと怪我をして、結局治ったんですけど、目の中に枝が刺さっちゃったっていう事故があって、
たかちん で、もう手術はしたんですけど、もう視野がどんどん固めだけ見えなくなっちゃっていうことが起きちゃったんですね。で、その彼の仕事も、まあその怪我をしてる時に樹木医の資格を取ったりってね、まあ彼なりに考えてもくれたし、
たかちん こちらとしてもなんか、はいさよならじゃなくて、もう無理だね現場無理だねってさよならじゃなくて、なんかやっぱり長年一緒にやってきた仲間だから仕事作れないかなって、そういうのは結構自分が社長になって初期の頃に起きたことだったんで、まあやっぱりいろんな仕事、山は懐が深いはずだから、
たかちん 木を切るだけではない仕事をなんか作りたいなっていうのは、そういうのを多角化してきた理由の一つではあります。
スピーカー 2
そこは林業というか、やりたい人がちょっと増えている感覚って、全然想像つかなかったけど、でもそれってあれですか、社長がやっぱり原薫さんだからそこで働きたいみたいな人もいるんですか。
スピーカー 1
たかちん どうですかね、いやそんなことはないと思いますよ。やっぱり一時産業、農業とかね、林業とかそういう自然の中で土に触れて仕事したいとか、
まあやっぱ環境意識が高いっていう、そういう若者も増えてますし、それを希望してこっちの世界に来てくれる人は着実に増えてるなと思います。
ただやっぱりその林業自体が希望を持って若い人たち来てくれるけど、じゃあ未来ある林業なのかとか、本当にこれ山が良くなってることなのかとか、そうでもないんですよ。
で、その上賃金も安いままだし、やっぱりまだまだ危険なことも多いって言ったら、一生懸命国は補助金を使って緑の雇用政策、新入を増やしていこうとするんですけど、離職率もすごく高くて、そこは結構会計検査とか会計検査員に突っ込まれてたりするみたいですね。
スピーカー 2
かなり離職率が高い。
林業の離職率が高い。
スピーカー 1
せっかく育ててもやめちゃう。
スピーカー 2
補助金とか入れてるから余計にそういうことも問われちゃうんですよね。
スピーカー 1
だけどまあ、林業の経営って本当に難しいので、経営者を責めることもできないけど、やっぱりただただ補助金をもらうだけが目的化してるような仕事を、じゃあそりゃあ若い人たち離れちゃうよなっていうのをすごく感じる。
だから国の政策が地域の事情とマッチしてるところはいいんですよ。
そうじゃないと、特に長野県って環境的に標高が高いとか、乾燥地だとか、そういう特徴があるところなので、杉日の木がたくさん割ってるわけでもないですし、松枯れが起きてたりだとか、そういう地域事業に合わせた補助メニューをいっぱい作ってくれればいいんですけど、そうじゃないんですよね。
スピーカー 2
全国一律みたいな感じになってくる。
スピーカー 1
そんな感じです。それを県の方でうまくアレンジって言うとちょっと語弊がありますけど、そういう事情を国の方に説明して、こんなふうに使えるようにっていうのはやるんですけど、それでも、これ税金のもな使いじゃないっていう補助メニューもありますし、
いただけてありがたいけど、やっぱり国民の立場からしたら、ここにお金はいらないよねって思うことも多々あるし、だったらこういうもっと有効な使い方をしてほしいなっていうこともありますしね。
なるほど。なんか大学の頃にちょっと戻って、ちょっと興味深い、えって初めだからその化学の方に、一応こうなんていうか専攻みたいなところではこう進むけれども、3年生くらいですか樹木の方に出会ったんですかね。
スピーカー 2
そうですね、3年の時に樹木学を。 それはクラスとして取ったってことですか、授業を。その時の先生がちょっと面白くて実習も行かせてくださいみたいな。なるほど。なんか振り返ってもそもそも専攻を樹木にするっていうのは。
専攻をね、したんじゃなくて、単位にはなるけど別に必須の単位じゃないっていう生物系の授業だったんですよ。興味があったから取ったっていうだけで。 これってだから入る時点にまで戻れば、そっちを専攻することもできたんですか。それとも入学の時点ではもう樹木っていう道はなかったのかな。
忘れちゃいました。 多分なんか入ってからコースとかなんか専攻選ぶみたいなことであれば、もしかしたらあの主専攻を化学じゃなくって樹木っていう可能性もあったのかなと思って。なんかそこが面白いなともちょっと思ったんですよ。だから人生よくわかんないなと思って、主専攻で取ったものよりも。
スピーカー 1
なんかある一つのクラスでしかもその先生からしたら、いやこれはあの主専攻で取ってる人だけのもので一応実習やってるんだってところにどうしても行かしてくれとか言って、行ったらそのまま割とそっちの方に入っていくって。 そうですね。
スピーカー 2
いやだからさ、ハンドボール部に入るのもさ、含めてなんかいろいろ人生よくわかんない子供向けのちょっとしたやつやって、多分ね仕掛けてる方はね、そんなにあのいろんなことを考え抜いてってことでもないんだけど、受け手の側はさ勝手にさ、これは私の運命だったかもしれないとか思って行くし、人生意外とそういうもんだなって思うと面白いなって。
スピーカー 1
結局だから匠塾行ってないですもんね。 そうなんです。でも自分の性格考えると木工は向いてなかっただろうなと思うんですけど、また大工とかそういう方が良かったかもしれない、同じ気持ちなんだよね。
今だからずっと振り返って多分人生いろんな、職業もそうだしなんかその分野的なこととかもあるけど、まあ落ち着くとこに落ち着いてるのかなって感じなんですが。 そうですね。 やっぱそういう感じなんだ。 そうですね。だからそう、川崎の、東京、玉川を挟んでね、やっぱりちょっと東京と川崎、川崎のちょっと田舎だったり、私が子供の頃はまだ田んぼもあったり、那覇園があったりとか、そういうところを。
全然ザリガニ行けましたもんね、あの頃ね。 そうですね。そういうところで生まれ育ったけど、何言ってたんでしたっけ。
いやもう今ここに落ち着いてるっていうのは結局落ち着くべきところに落ち着いてるのかなっていう話を聞いて。 そうでしたね。何言ってたんだっけ。
スピーカー 2
川崎で生まれ育ったけど。
落ち着くところに落ち着いている。
いやそうなのかなっていうのを聞いてて、思ったんですよね。でもう1個思ったのは、あんまりカオルさんのご家族がどんな感じだったのかって全然よく知らないんだけど、そうやって大学、でも大学行ってバイトやったって言ってましたよね。
はい。
それは目的みたいなあったんですか、それともなんか大学入ったらバイトやるもんだくらい、なんかそのためだお金で何かをしたかったとか。
スピーカー 1
いや、そんなに仕送りをもらわずにいたので、少しはバイトしようと思って。
スピーカー 2
そうかそうか。ご実家から通える場所じゃないってことなんですね。なるほどね。じゃあそこでいわゆる一人暮らしみたいだったんですか。
スピーカー 1
そうですね。最初は宿舎っていう独房みたいなところに入りましたけど、2年生からはアパートに出て、で、友人と2人でシェアしてたので。
スピーカー 2
それでも楽しそうですね、なんかそういう独立して2人でシェアしながらとかね。
そうですね。
あそっか、それで生活費を稼ぐっていう意味でもアルバイトをしてっていうところなんですね。そのアルバイト選びっていうのはなんかこだわりあったんですか。
スピーカー 1
いや、もう私サッカー部だったんですけど大学の時に。
スピーカー 2
大学部とサッカーなんだ。でもやっぱりああいう感じの球技ですね。
そうですね。
全体をこう見まわして走り回ってるみたいな。
スピーカー 1
なるほどね。
学んだっていうか、なんかほんとじいちゃんたちの生き様っていうか。
うん。
私、あまり町に興味はなかったので、静岡の町まで峠を越えて車で行くと1時間半かかるんですよ。
でもみんなお町に行きたいから、休みって言うとみんなその峠を越えて遊びに行くんですね。
でも私は別に興味なかったので、本当に休みのたんびにじいちゃんの別荘っていうか山小屋ですよね。
別荘。
別荘じゃない、山小屋。山小屋に遊びに行って、一緒に畑仕事したり、その山の中にちょろちょろ水が流れてるところにわさび田があって、そのわさびを採ったりだとか。
マイタケの、もう出なくなる商売では使えないけど、まだ少し出るよっていうのが安く売られるんですね。
森林区名だったので、そういう金賞とかも販売してた。その配金賞みたいなのを安く買って、それを山小屋の周りに埋めたりしてるんですよ、じいちゃん。
それが秋になるとね、本当に本物と変わらないようなのが出てくるんですよ。マイタケ取りしたりとか。
あと本物のマイタケもキノコ狩りに連れてってもらったり。向こうは松竹に出ないんですよ。
それけどマイタケ取りとか、本当に山の中まで何時間かけて歩いていったかな。そういうのに連れてって。
スピーカー 2
やっぱり林業やってると、山の中いっぱいいるとキノコ詳しくなるもんなんですか。
スピーカー 1
いやー、そうでもないですね。私、新州は結構雑木林多いですけど、静岡なんて杉ヒノキばっかり終わってるから、そんなにキノコ出ないんですよね。
山まで歩いていかないと紅葉樹がなかったので。
スピーカー 2
長野の人もほら、キノコ狩りの話よく聞くなと思って。
でも今、松本でやられてると、会社の方とかって、人によってですか、キノコの興味を持ったりとか。
スピーカー 1
そうですね、やっぱりね、キノコは怖いじゃないですか。
スピーカー 2
怖いですよね。
スピーカー 1
毒だったりとか、見分けも難しいし。本当に好きな子はなんとか覚えようってしますけど、食べられるものだけ。
もしかしたらこれ食べられそうだけどやめとこうみたいな。そんな感じで取ってくる人はいますけどね。
本当に名人みたいなところまで行く人はなかなかいないですよね。
スピーカー 2
そうそう、たぶんね、さっきね、川崎の話でね、言ってたのはあれなんです。
僕はカオルさんの家族構成、あんまりよく知らないけどっていう話で、これで教職のこともやるんだとか。
急に農大行って化け学やってたと思ったら樹木かもしれないとかって。
ご両親とか家族とか、どんな感じで見てたのかなって思って。
でもあまりこれやんなさいとか、この勉強はこうでとかって、あまりうるさく言われる感じじゃなかったんですか。
スピーカー 1
父親が化け学の教師ではあったので、だから化け学に行ったわけじゃもちろんないんですけど、どうなったんですかね。
スピーカー 2
ただ中学の時に悔しいかな、2位で終わってるんですよね。一番最後、秋にも中退連というのがあって、それもずっと川崎市では優勝してたのに、最後だけ負けたんですよ、決勝戦で。
スピーカー 1
すっごい悔しくて。で、同級生たちはみんな高校に行ってもインターハイ目指そうよみたいな。
で、私も仲間に行って行きたかったんですけど、父親が生地高校の教師で、しかも体育の先生大っ嫌いで。
スピーカー 2
一番嫌いな体育の先生の部活で。
スピーカー 1
そうなんですよ。中学の部活の先生も体育の先生で大っ嫌いだったし、その先生の先輩後輩っていう感じで、県立でしたけど、川崎の高校のハンドが強い学校の顧問も体育の先生だった。
もうそんなところに行ったって、スポーツでは飯が食えねえぞとか言われて。で、だからみんな友達はそこの学校行ったのに、私だけジャーツって言って、英語ばっかりする学校に行ったんですよね。
スピーカー 2
英語のところに行ってね、スペイン語やってみたり、そこともあまり結びついてなさそうにも思うけど、結びついてるのかな、結びついてるんですか、語学を勉強したことってなんか。
スピーカー 1
いやーないですね。本当もうちょっと続けてれば、今少し使えたのになって思うんですけど、同級生は結構海外で活躍してる人とかいますけど。
スピーカー 2
なるほどね。そっか、それで気にはまっていくのか。でもやっぱお話聞いてるとかっこいいおじいちゃんいっぱい出てきますね、やっぱりね。おじいちゃん、何ですかね、あの山の人の顔の掘りの深さみたいなのって、でも沖縄の漁師さんでも感じたかもしれないですね。
スピーカー 1
山に限らない、やっぱ世代ですね。
スピーカー 2
独特のなんていうんですかね、いろんな人生経験が刻まれてる顔とか手とか、なんかそういうのってあるなと思って。
スピーカー 1
昔の人はほんと全然違いますよね。顔つきというか、腹が座ってるというか、なんか一本通ってるっていうか。
スピーカー 2
なんか僕らの世代って2代上くらい、だからおじいちゃん、僕らにとってずっとおじいちゃん世代だった人たちって、当たり前ですけど戦前に生まれてるじゃないですか、僕の実の祖父っていうのも明治時代に生まれてるから、
なんていうか、その祖父っていうのは自分が子供の頃、それこそなんか江戸に生まれたかもしれないよねとか、結構ガンガンしつけられるっていうか、そういうのを引き継いでる明治生まれのおじいちゃんで、うちのおじいちゃんも厳しいじいちゃんだったなっていう印象があるんですけど、
それってよく考えたら、そっかこのおじいちゃん明治生まれかなんて思ってたけど、今からだんだんほら若い世代とかになってくると、僕らの世代なんてもうさ、完全に甘やかされて、そうするとなんかあんまりその辺って、なんていうのかな、僕こう、お兄ちゃん世代ってすごいやっぱりバブルの感じとかもすごいあったんですけど、
一個上の、いわゆるなんかこう段階の世代がとかっていうよりももう一個上の世代っていうんですかね、なんかそういうおじいちゃんと一個台を飛んで、なんかつながる機会が多かったなって自分振り返ると思って、それこそだから20何歳で出会ってたおじいちゃん達って80とか、その時70、80なんていうおじいちゃん、
本当はその真ん中に世代がもう一個多分あるはずなんですけど、1世代飛び越えて、その当時の80歳みたいな人とつながれて教えてもらったり、そういう人がリアルに生きてるわけじゃないですか、その感覚をなんとなく得られたのって、
僕にとってはすごく、何物にも買いがたいというかなんかすごいなんか残るものがあるなと思ってて、でお話伺っていると多分かおるさんもそういう経験とか、で本だけじゃなくてリアルに生きられたじゃないですか。
スピーカー 1
そうなんですよ。自分のじいちゃんはいつも隣が本家でしたけどね、いきゃテレビ見てるだけのすごみとかは全然感じられないおじいちゃんでしたけど、でもその世代と一緒に仕事したんですよね、現場で。それがすごい良かったですね。なんか財産だなって今でも思いますし。
スピーカー 2
いろんなものが多分変わってきてるから、多分その林業の世界だって、それこそほらさっきのハンドボールじゃないけど、今だったらなんか大罰とかになっちゃって問題になっちゃうとかって話あったじゃないですか。それこそ昭和生まれみたいな、なんかよくわかんないけど、でも多分林業の世界も厳しいんだと思うんですけど、いろいろある産業というか世界の中では今でも多分厳しい。
でも多分そうしないと死んじゃったり事故とかが起こりうるから、多分あるんじゃないかと思うけど、でもそれでもやっぱりマイルドになってきてるんじゃないかなって印象はあるんですけど、どうなんですか実際のところ。
スピーカー 1
それこそ匠塾に行って、木工の世界ってやっぱり結構厳しいんですよね、今でも。 木工ですか。 だけど林業ってそういうなんか職人を育てる世界でもなかったので、だから体系化されてもいなかったし、それこそ見て覚えろっていうか。
で、大工だとかっていうのはでっちぼうこうというか、一緒に釜の飯を食いながらいきなりは刃物なんて持たせてもらえないし、掃除したりとか、そんなとこから修行が始まっていくみたいな、そういう世界。でもそれを通して、宮大工の世界でよく苦伝で言われてたりもしますけど、
学を学んじゃったら頭でっかちになって生意気になるから、もう中卒で恋みたいな、そういう世界でしたよね。早い方がいいんですよね。
要は手張りみたいなのあるじゃないですか、道とかを学ぶときも。で、自分の肩みたいなとか自分の思考だとかそういうものが入ると、見て覚えろの何を見ていいかがわからないとか、最初から固定観念が入っちゃったりだとか、だから早い方がいいって言いますけど、
でも今なんてもう当たり前に高校出てたり大学出てたり、そういう人たちに手張りって言ったところで、もう最初から自分の考えを言ってきたりするんですよね。だからやっぱりもうそういう時代になっちゃうと、見て覚えろは通用しない。で、やっぱある程度教えなきゃいけない。
でも教えてしまうと、すごく大事なポイントっていうのは、自分で体得していかなきゃいけないんですけど、それも教えてくれみたいな世界になってっちゃうとか、本当に職人みたいな世界の技術を磨いていく仕事をいわゆる今の会社組織で、
労働基準法とかも、コンプライアンスとか言われちゃうから、そういうことも考慮しながら育ててくって、すっごい難しいなって、今は感じてたりしますけど。
スピーカー 2
でも今、かおやさんそういう、なんて言うんですか、今の世の中的風潮とか、コンプライアンスがどうとかね、なんかそういうのを一回抜きにして、本当にこの林業の割と大事なところを次の世代につなぐみたいなことを考えた時の教育法って、昔みたいなのが結構いい部分あるなって、あるんですか。
スピーカー 1
思いますね。
スピーカー 2
あるんだ、やっぱり。
スピーカー 1
だから今ってその林業従事者が減っちゃったっていうところで、先ほどもお話ししたような補助金を投入して、3年間賃金補助もしながらを研修をするっていう、でもさっき私が巧み塾って、授業料は取られないけど、お金もちろんもらえないんですよね。
そうですね。
未熟なんだから、当然ですよ。だけどそれを最初から給料もらえちゃうんですよ。
確かにそうです。
未熟なのに、それってどうなの?って。
スピーカー 2
特に今経営者だからね。
スピーカー 1
そう。だから本当はやっぱり学校、お金払って本当にその仕事に就きたいんだ、その技術を身につけたいんだったら、お金払って学ぶっていうところからスタートしないといけないだろうし、今でもその木工厳しい世界があるってお話もしたけど、なんて会社さんだったかな。
今は違うかもしれないですけど、私が知った頃はみんな坊主にされて、携帯もダメだって禁止が出て、何年間だったっけな、3年間だったかな。それこそそういう外界とは接触、恋愛も禁止みたいな、そういう家具の会社があったんですよ、今でもあるけど。
でもそこを出るとみんな仕事に困らないそういう職人さんになるんですよ。
スピーカー 2
なるほどね。難しいですね。なんかほら野球の世界も甲子園とか割と坊主にしてとかっていうのもありながら、でもなんか大リーグとか見て大谷選手みたいなのを見てると、彼もわかんない、僕彼のことそんなによく知らないから、でも根性だけでもいけない領域に、
どれだけ価格を使ったり、どれだけデータを使ってるのかよくわかんないけど、頭も多分使っていろんなこと、今のメジャーリーグなんか全部そういうのやるんでしょうけど、そういうのやるといける領域があって、気合だけではたぶん乗り越えない、なんかもうあんだかもしれないけど、でもどっちかだけでもたぶんダメなんじゃないかなとか、
なんかその辺答えは僕は持ってないんだけど、難しいなって思いつつ、時代的なこともあって、例えばなんかもうそういう世界に比べたら全然あれですけど、なんか学問の世界も割とこう住み込みで、ほらあの弟子入りじゃないですけどある師匠の先生とかの書生さんのようにとかって、昔は割とそういうのもあって、僕の時ももうギリギリそういうのは、
今でもほら師匠弟子みたいな関係で、研究者の中でも言ったりもしますけどね、たぶんそういう厳しいそういうところまではなかったけど、でも僕もなんかあの先生病院通ってたりしましたけど、普通に車で運転手みたいに病院送ってて、で点滴の間僕車の中で待ってて、
点滴終わってからなんか家に送ったりとか、なんか掃除とかもやったことありますよ、先生、次この本書こうと思ってるからそれに合わせて書斎を整えておいてくれって言われて、本とセレクトして置いておく、でもお金はもらいましたけど、バイトっていうよりたぶん3日くらいかかるんですよ、それやるのに、
なんかその間の食費って言って、食費をもらいましたけど、2人くらいでやったのかな、その友達、バカだったんでしょうね、初日に焼肉食べに行ったら全部なくなっちゃって、まあでもなんかそういうのもあったなーなんていうのを思い出しながら、なんかもうちょっと取り留めのない話にいっぱいになってきちゃったんですけど、
はい、今日は原川さん来ていただいていろいろお話してて、ちょうどこれ11月の頭に1回目リリースされるというかの予定なんですけど、その2025年の11月の23日の日曜日にアルプスシティフォーラムっていうのを、毎年だいたい秋の時期にちょっと地域のことで、
ただ考えてるだけじゃなくて、なんか具体的になんかやってるような人たちが集まってきて、いろいろオフラインで話したり交流したりするっていうことをやってみたくてですね、毎年やってるんですけど、今年は11月23日に、前にもこのポッドキャスト出てくれた菊地徹さんという方が、今松本市でブックカフェのしおり火っていうのをやっていて、
で、そこであの1日のイベントでやろうと思ってまして、なんと原薫さんも、その前の日はでもなんかちょっと別の場所で公演とかでね。
スピーカー 1
夏のダンターとの公演、コラボ公演なんですよ。
スピーカー 2
なんかお互いいろんなところでこう公演やってるけど、でもあの夫婦揃ってっていうのは初めてなんですか。
スピーカー 1
しかも11月22日、何いい夫婦じゃん、いいのそんな日にないな。
スピーカー 2
いいんじゃないですかね。それで伊勢に行くんですか。
原薫さん、伊勢から23日のそのご登壇いただきたいセッションがあって、でその辺の詳しいことはまた来週の後編の方でもちょっとお話ししたいなと思ってるんですけど、
まあ今あの前編聞いていただいて、もう大変に破天荒というかいろんな魅力が詰まった。
だってまず林業会社の社長で女性って何人いるのか僕ちょっとよくわかんないですけど、そんなに数がいないんじゃないかとか、仲間がいるんですか、なんかあの女性社長仲間っていうか林業会社。
スピーカー 1
私が知る限りで、1、2、自分入れて3、5人くらいは知ってるかな。
スピーカー 2
へー、でも逆に5人いるんだ。なんかでもね、そんな感じで原薫さんも来てくださいますので、ぜひ11月の、22が土曜日なんですよ、23日日曜日で、24も振替休日で3連休みたいになっている。
ちょうどそういう11月の後半ですけれども、23日にアルプスシティフォーラムやりますので、ぜひ生原薫さんを、そのあとあの懇親会とかもねちょっとやろうかななんていうふうに思っていますので、ぜひ松本にも遊びに来ていただけたらなというふうに思います。