1. 山本達也のUntitled
  2. 12_森とデザインの国で学ぶと..
2025-09-04 1:04:17

12_森とデザインの国で学ぶということ:フィンランド芸大留学のリアル(ゲスト:グラフィックデザイナー・AYA IWAYAさん)

spotify apple_podcasts

この番組は、まだ言葉にしきれないアイデアや感覚、何かが立ち上がりそうなワクワクを手がかりに、ジャンルを越境しつつ、これからの社会のかたちを探っていくトークプログラムです。

 

今回のゲストは、フィンランドを拠点に世界的に活躍し、その後、現在は日本に拠点を移し世界的な活躍を続けるグラフィックデザイナー、アヤ・イワヤ(AYA IWAYA)さんです。

 

育児政策で世界的にも知られる「フィンランドの育児パッケージ」のデザインを、フィンランド人以外で初めて手がけたクリエイターであり、国家独立100周年記念の公式ビジュアルにも関わるなど、まさに「公共性とデザイン」の接点を体現する存在です。イッタラなど世界的ブランドとも協働を続けるアヤさんを迎え、2回にわたってその創造の軌跡を辿ります。

 

前編では、日本で過ごした幼少期の原風景から、高校時代に体験したフィンランドでの交換留学、そして本格的に芸術を学ぶことになった大学進学のストーリーへと続きます。アヤさんがフィンランドという文化にどのように惹かれ、なぜそこを自らの創作の拠点とするに至ったのか——その過程にある「まなざし」の変遷をじっくりと掘り下げます。

 

北欧の豊かな自然や福祉国家の哲学、そして「日常に根ざしたデザイン」という文化的文脈が、アヤさんの感性をどう形作っていったのか。都市や社会を見つめる視点を養うヒントが詰まった前編、どうぞお楽しみください。

 

AYA IWAYAさんのWebサイトやInstagramもチェックしてみてください。

Webサイト

https://ayaiwaya.com/

 

インスタグラム

https://www.instagram.com/ayaiwaya/

 

ーーーー
番組への感想や質問は、いつでも大歓迎です。


メッセージが採用された方には、番組オリジナルステッカー、もしくは「Living with Nature」特製ステッカーをプレゼント。

 

感想や質問は、以下のフォームからどうぞ。
https://forms.gle/uDe7wN4bY1uVYMAXA

 

ーーーー
番組の世界観をより深く共有するメールマガジン「山本達也の半歩先通信」も配信中です。

 

登録は、以下の山本達也webサイトから。
https://tatsuyayamamoto.com/#news

 

ーーーーー
山本達也webサイト
https://tatsuyayamamoto.com/

 

ALPSCITY Lab(アルプスシティ・ラボ)
https://alpscity.org/

 

AC pay(ALPSCITY pay:アルプスシティ・ペイ)
https://alpscitypay.jp/

 

サマリー

フィンランドでの留学経験を持つグラフィックデザイナー、AYA IWAYAさんが自身の経歴を語ります。彼女はフィンランドの国家独立100周年プロジェクトに関与し、「ベストヤングオブザイヤー」という名誉ある賞を受賞したことを通じて、フィンランドのデザイン文化と平等社会について考察します。また、グラフィックデザイナーのAYA IWAYAさんが異文化交流と個人のアイデンティティの形成についても語ります。彼女の作品やメディア制作への情熱も紹介されます。フィンランドの芸術高校での経験を通じて、グラフィックデザインの学問としての重要性を認識し、より良いデザインが日常生活に溶け込んでいることに気付きました。AYA IWAYAさんは、留学中の体験をもとに、日本に帰国後もフィンランドのデザインに対する興味を持ち続けています。このエピソードでは、フィンランドの芸術大学での学びやデザインの教育について、AYA IWAYAさんが体験を語ります。自然環境からのインスピレーションやフィンランド特有の教育スタイルも紹介され、クリエイティビティの重要性に焦点が当てられています。

AYA IWAYAの自己紹介
スピーカー 2
名前は後から付ければいい、山本達也のUntitled、ポストの山本達也です。
この番組は、まだ言葉にしきれないアイデアや感覚、何かが立ち上がりそうなワクワクを手掛かりに、様々なジャンルを影響しつつ、これからの社会の形を探っていくトークプログラムです。
本日の収録は、東京品川区の島津山スタジオからお届けします。
ということで、今回もUntitled始まりましたけれども、今日はとても楽しみにしていてですね。
毎月、第1週目と第2週目は、前編後編という形でゲストをお招きして、そのゲストとのトークをお話ししています。
今日もこの9月の第1週目、第2週目ということで、ゲストにこの島津山スタジオまで来ていただいています。
今日のゲストはですね、AYA IWAYAさんで、グラフィックデザイナーということでいいんでしょうかね。
イラストとかもいろいろされているんですけども、AYA IWAYAさん、よろしくお願いします。
スピーカー 1
はい、よろしくお願いします。今ご紹介いただきましたグラフィックデザイナーのAYA IWAYAです。
スピーカー 2
AYAさんってお呼びしてもいいんですか、それともなんかこう呼んだ方がいいっていうなんかあるんですか。
はい、AYAさんで。よろしくお願いします。
AYAさん、なんかもうめっちゃ緊張してるとかって言ってたけど、どうですか、始まりましたか。
スピーカー 1
島津山スタジオに来れて、本当に今日はお招きいただいてありがとうございますという気持ちで、ここに座っております。
スピーカー 2
まずはご自身のちょっとしたこう自己紹介みたいなところで、お仕事としてはそのグラフィックデザインやられてるっていうことは知っていて、
しかもフィンランドで長くお住まいだったし、向こうでお勉強もされて、そしてお仕事のキャリアっていうのもフィンランドでいろいろ積み上げられてきたっていうことは知ってはいるのですけれども、
改めてご自身の口からなんか簡単な自己紹介いただければと思います。
スピーカー 1
ありがとうございます。簡単にプロフィールと経歴とちょっと話させていただきます。福岡に1992年生まれまして、東京で育ちました。
私は高校時代のフィンランドに留学したという経験をきっかけに、その後フィンランドの国立の芸術大学に進学しまして、グラフィックデザインを専攻して、卒業後ヘルシンキでデザイナーとして活動してまいりました。
多分おそらく現代でも珍しいフィンランドの学士号を持つ日本人デザイナーと思っています。フィンランドで活躍、活躍って自分で言ったら変ですよね。フィンランドで活動する中で、現地で最も権威があると言われているデザイン賞、ベストヤングオブザイヤっていうものを受賞させていただいたり、
あとはフィンランドの国家独立100周年というのが2017年にあったんですけれども、それの記念事業に関わるような機会もいただいて、そういうふうに向こうで働いていたんですけれども、現在は東京に戻っていて、一人娘の母をしながら引き続きグラフィックデザイナーとして働いて仕事を続けているという感じです。
デザイン賞とフィンランドの文化
スピーカー 2
いやーありがとうございます。このフィンランドの活動歴のところにベストヤングクリエイティブオブザイヤというのがあって、今もちょっと紹介の中にありましたけれども、これってどういう賞なんですか。このヤングクリエイティブっていうことなので、なんていうかこう野球とかのなんかよく新人王とかありますけど比較的そういう感じの賞なんですか。
スピーカー 1
はい、おっしゃる通りで結構デザイナーの登竜門と言われる新人賞みたいなものなんですけれども、具体的には30歳、30代までの新人に贈られるもので、その年にフィンランド国内でリマーカブルな何か貢献をしたデザイナーに一人に贈られるものです。
これはデザイナーという国なので、グラフィックデザインだけでなくて家具デザインだったり、ファッション的スタイルであったり、いろんな分野多岐にわたってあるんですけれども、その全体で一人選ぶというものなんですけれども、本当にこれは後ほども触れますが、名誉ある賞なので、
もちろん当然としてフィンランドはフィンランド人の若者に預けてもいいものを、アジアの果てから来た私にチャンスを与えてくれたっていうのが本当に懐が深くて、そこからも垣間見える平等というものを大切にする文化がある国だなというふうに思います。
スピーカー 2
なるほど。もう始めからだんだん面白くなってきましたね。フィンランドっていう国に興味ある人って、僕も含めて結構日本の人でフィンランドに興味あるっていう人は多分様々な観点からだと思いますけど、なんか興味あるんだろうなと思って、そのうちよくメディアとかで聞こえてくるのはそういう機会の平等とか、
とにかく平等とかイコーリティみたいなものってすごく大事にしている国なんだなっていう話は聞くけれども、でもこうやって一つのエピソードとしても、フィンランドの人の一人にしか与えられないような賞を、これをまた国籍とかあんまりとらわれず、
その年に与えるべき人がいると思ったら与えるみたいなのも、フィンランドらしいって言えばフィンランドらしいんですかね。
スピーカー 1
はい、思いました。その後に同じデザインアワードで審査員の方も務めさせていただくんですが、これも市場最年少で任せてもらえて、こういうのも本当にありがたいなというところはありまして、やっぱりこの賞を取ったことで増えた仕事もありますし、独立100周年のお仕事なんかまさにそういうところからいただいているので、
もう本当にフィンランド人にあげないでいいんですかって私が思ってしまうぐらい、ありがたいなと。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
なのでもう、この恩をフィンランドという国に返したいというふうには本当に思うようになりました。
スピーカー 2
すごい、でも今の話だとやっぱり家具だったりとか、結構幅広くグラフィックだけでなくて幅広くいろんなデザインなんだけれども、あやさんの場合はグラフィックで取ったってことなんですか。
フィンランドとの出会い
スピーカー 1
はい、グラフィックでした。
スピーカー 2
割とそのグラフィックが多いとか、そういうプロダクトが多いとか、そういう傾向みたいなのはなんかあるんですかね。
スピーカー 1
そうですね、カンヌのライオンズみたいなものなので、広告の分野がやはり取りやすいと言いますか、審査しやすいという点では、
芸術ってなってくると結構図付けがあったくなってくると思うので、そういう意味では、どれだけ社会に貢献したかみたいなところも見てるんだろうなというふうには思います。
スピーカー 2
何の仕事で、みたいなところはまた後で話そうかなと思うんですけれども。
なるほど、ありがとうございます。冒頭の方で、福岡でお村になってずっと育ってっていうお話もありましたけれども、きっかけは高校の時にフィンランドに行ったっていうのが、フィンランドとの一番初めの出会いだったっていうことになりますか。
スピーカー 1
そうですね、実はその前に、11歳の時にフィンランド出身のデザイナーの方のテキスタイルを福岡で布屋さんで見かけていて、その時受けた衝撃みたいなものが頭に残ってみたいなところもあったりですとか、
あとはその10歳、そこからまた一年遡った時に、母とフィンランドの旅行に行っていて、その時見た景色、極夜だったんですけれども、太陽が昇らない国間の地の森の静けさとかに驚いたというか、ちょっと恐れを覚えるぐらいの怖さみたいなものがありました。
自然の怖さみたいなものに触れて、すごく印象深く経験として残っていて、みたいなところもあったりして。
スピーカー 2
すごい、10歳の時に家族旅行みたいな感じだったんですか。
スピーカー 1
はい、母と2人で行ったんですけど。
はい、その時に、自然の中はものすごく光も少なくて、雪に覆われて真っ暗でっていうところもあったんですけど、そこで見たオーロラの鮮やかさだったりとか、
あとはヘルシンキーで、母の友人のお宅にお邪魔するんですけど、その家の中で見た家具などに使われている色彩の鮮やかさみたいな、そのコントラストみたいなところにも、
10歳、11歳なので、感銘を受けてというよりは、ただ驚いてという感じなんですけれども、こんなところ、もうちょっと暮らしてみたいなって思ったんですかね、旅行だったので。
そういうのがきっかけ、一つ一つの小さな出来事がきっかけになって、もっとこの国で暮らしてみたいという気持ちが膨らんで、
で、高校留学どこ行きますかってなったときに、フィンランドにっていうのを選んだんです。
スピーカー 2
それは交換留学制度みたいなのがあったってことですよね。
スピーカー 1
たかちん はい、そうです。高校の留学制度を利用して、いろんな国どこでも選べたんですけど、あの国にもう一回行きたいなっていうのがあって、ちょっとその母は変なところによく旅行を連れてくれてたので、
モンゴルとか2週間、ユーボーク民族とゲルで過ごしたりとか、それ8歳ぐらいのときだったと思うんですけど、モーナーコーとかイタリア、フランス、アメリカあったんですけど、留学に行ってなったときも、イギリス、オーストラリアとかではなくて、ちょっと変なところを選んだのは、そういう影響もあったかもしれないです。
スピーカー 2
結構、子供の頃から日本以外の文化に触れるっていう機会には比較的恵まれていたんですね。いろんな経験をされていて。
スピーカー 1
たかちん 決して裕福ではなかったんですけども、何かこう、そうですね、少し恵まれていたかなと思います。
スピーカー 2
そう思うとお母様がなかなか鍵なのかもしれませんね。
スピーカー 1
たかちん 実際そうなんですよ。一人泳いで育ててくれていて、私も一人っ子なので、よく貝が生かせてくれたなっていうのもありますし、もう本当に。
スピーカー 2
それでまた娘さんがいらっしゃるんですもんね。
スピーカー 1
たかちん そうですね。もう自分は彼女のようになれるだろうかみたいなところもありますね。
スピーカー 2
なるほど。でもなんかそう、もちろんフィンランド文化的にとかその森の静けさとかそういうお話も今ありましたけれども、結構こうデザインとかっていうものとか、
例えばなんかこう今イラストも手がけられているということで、昔から絵を描いたりするのがちょっと好きだったとか、色鉛筆とか色が好きだったとか、なんかそういうのを振り返ると何か思い当たるところあるんですか。
スピーカー 1
たかちん はい、それは本当にあります。もう小さい時は絵を描いていたら何時間でも忘れられるっていうぐらい大好きで、
あと物を作ることも大好きだったんですけれども、なんかそれで画家になろうとかっていうふうには考えていなくて、その自分の好きなことを将来仕事としてどうすればいいかみたいなところまでは全くわかっていなくて、
ただただその、なんか作り出すことみたいなところの興味はあったと思います。
たかちん それがそのデザインっていうふうに意識が持っていかれたというか、そのきっかけになったのは、ちょっとフィンランドっていうコンテキストからちょっと離れてしまうんですけど、
高校生の時に作っていたフリーペーパーの活動がありまして、これはそのフリーペーパー、アンミツっていう名前でやってたんですけど、国高生が高校生のために作るっていうものでありまして、
これがその2人の高校生が立ち上げたもので、私は友人に誘われて入って4代目ぐらいだったんですけど、放課後とか休日に集まって自分たちで編集作業をして、会議をしてテーマを決めて、
広告も自分たちで撮ってきて、取材をして、撮影をして、イラストを書いて、編集して、発行して、配布するところまで全部高校生でやるっていう数だったんですね。
で、もう非営利団体、非営利で交通費とかは自分で持ち出しててもので、高校生ながらに企業とのタイアップ記事を書いたりとか、俳優さんにインタビューしに行ったりっていうのを自分はやらせてもらって、
そういう経験をするんですけども、そこで高校生だけでできたわけではなくて、2人の大人のサポーターの方がいらしたんですね。
で、1人が第一線で活躍する編集者の方で、もう1人がプロのデザイナーさんだったんです。そのグラフィックデザイナーの方で、そこで初めてグラフィックデザイナーって仕事がどんなものかみたいなところを知り、
彼女の事務所とかも遊びに行かせていただいて、彼女がマッキンドッシュでかっこよく紙面をデザインしている様子とかを見させていただいて、そこで絵っていうものが自己表現の道具だけじゃなくて、
何か伝えたい情報とかを彩ったり、補助的な脇役として何かをサポートするっていう力があるっていうことを知り、それがグラフィックデザイナーっていう仕事だっていうのを知り、そういう領域に心が惹かれていったみたいなところがあります。
スピーカー 2
なるほど。そうするとやっぱり高校生のフリーペーパーの経験ってやっぱり大きかった。つまりもう子供の頃から絵をずっと描いていればいつまででも描けるとか、何かちょっと手を動かして何か工作するとかも大好きだったと。
だけどそれが仕事とかっていうこととは直接結びつかないしまして、何か画家になろうとかって感じはなかったんだけど、高校のフリーペーパーを友達と頭から最後まで全部やるみたいな経験の中に、グラフィックデザインなのかエディトリアルのデザインみたいなのもあるか。
メディア制作と成功体験
スピーカー 2
まあいろいろあると思うけど、その色とか表現っていうのはそうやって何かものを伝えるっていうことに、こうやって使えるんだっていうのと、多分なんかもしかしたら単純にかっこよかったんですかね。もしかしたらその時の。
はいそれも多いにあると思います。憧れるみたいな。なるほどそうですね。そうするとメディアを作るみたいなことにも関心があったんですかね。
スピーカー 1
そうですね。このフリーペーパーっていうのが地味に結構すごくてですね。期間で年4回発行してたんですけど、一番多い時で2万部吸ってたんですよ。すごいですね。2万部が吐けるぐらい人気というか高校生たちが読んでくれていて、そういうものを自分一人力のないというか高校生たちの手で7人ぐらいメンバーがいたんですけど、
作れるんだっていうその成功体験みたいなものも一助になってると思います。できるんだっていうところを知るっていう。メディアを作る。
スピーカー 2
すごいなんか大事ですね。それをこう言ってはいけない。人間ってなんかできないと思ったらできないけど、できるっていうちっちゃい成功体験っていうか、できるって思わなかったら多分できないですよね。特に結構大きなこととかできないと思っててできるっていうのはなかなかなくて、何かいい仕事したいと思ったら怖いしドキドキもするし失敗する夢とかも。
見てうなされるくらいなるかもしれないけど、でもやっぱりできるって何かどこか信じられる。で、それはそういう経験を昔にとか過去にさせてもらっていたとか、なんかそういうのってかなりなんて言うんですかね。その大学とかでテクニック的に何かを勉強するとか、そういうこともちろん重要なんだと思うけれども、そのなんかそこにある人間がどう成長してきたかみたいなところって意外とバカにできない。
意外とバカにできないっていうか、むしろそういうところが重要なのかもしれないですね。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
なるほどね。そっか。
スピーカー 1
印象で。
スピーカー 2
でもそのフリーペーパー、不勉強でいけないんですけど、ベースはその福岡ではなかったんですか。
スピーカー 1
すいません。福岡生まれなんですけれども、もう1歳なる前から東京に移っていまして。
スピーカー 2
なるほどなるほど。
スピーカー 1
はい。なのでもうほぼ東京育ち、出身と言いますか。で、高校も東京でした。
スピーカー 2
そうなんですね。
じゃあそこに都内にベースがあってということでやられてたんですよね。なるほど。じゃあフィンランドに高校で留学するときは東京から行ったみたいな。
そうです。
そういうことなんですね。なるほど。
ちなみにその1年しかいなかった福岡ってなんか自分に影響を与えてるんですか。それともたまたま福岡で生まれたっていうだけなんですか。
スピーカー 1
いや、もう母が里帰り出産したというだけで、1年って言ってもっと短いですね。
そうですか。
もう本当に生後飛行機乗れるようになったら東京の家に、七戸松家に戻ってくるみたいな感じで、里帰り出産ですね。
なので、自己紹介するとき難しいんですけど、東京出身ってでも言ってしまうと、生まれてるのは石城福岡なので、というのと、あとは小学校の時とかは、
クレーボンクレーには福岡に毎回帰って、おばあちゃん家、おじいちゃん家というと福岡だったので、そこに帰って夏休み、冬休み過ごすっていうのもあったり、福岡ってのも自分の中で大切なものではあるんです。
スピーカー 2
なるほど。そっかそっか。なんかうちの娘も生まれたのは名古屋だけど、名古屋って2年くらいしかいなくて、その後親の勝手な趣味で松本に移住させられちゃっているから、人生のほとんどは松本なんだけど、でも生まれたのは名古屋みたいな感じで、なんかでも彼女と話してると、名古屋に対する思い入れってなんかあるんですよね。
スピーカー 1
記憶にはおそらく。
スピーカー 2
記憶にもある。記憶にはねギリギリあって、なんかちっちゃい保育園の時に背中トントンされて痛かったみたいな。それが名古屋だ。だけど名古屋に対するなんかすごい思い入れっていうか、なんか特別な場所っていう感じが、うちの娘の場合はなんかあるみたいで、面白いな。
別に名古屋は、僕は東京だし、うちの妻は大阪で、東京と大阪の真ん中だっていうだけですけど、たまたまその時僕は名古屋の大学で教えてたので、なのでうちの妻は別に里帰り出産とかじゃなくて、そこの場所で娘を産んでいるので名古屋で生まれたってことなんですけど、なんか人のそういう土地に対するアイデンティティーの持ち方とかっていうのもちょっと面白いななんて思って。
寺谷さんの場合はだからそういう意味でも、おじいちゃんとかおばあちゃんいらっしゃるってことだったら、福岡に対するアイデンティティーもあるってことなんですね。
スピーカー 1
そうですね、本当に暮らした時間とかはあんまり影響が、意味があんまりなくて、どれだけ重い思ってそこにいたかみたいなところかなと思うんですけど、故郷と呼ぶ、人が故郷と呼ぶときに考えると、暮らした時間よりも重いみたいなのが大きく影響するかなというふうに思います。
スピーカー 2
なるほど。話を先に進めていかないとずっと終わらなくなっちゃいそうなんですけど、まだ日本にいるなと思って。で、高校で交換留学決めてフィンランドへ行くじゃないですか。で、当然というか、教育フィンランド語でやられてるわけですよね、その高校。
スピーカー 1
そうなんですね。高校、そうですね、交換留学、先生も行かれてたと思うんですけど、ご存知だと思うんですけど、本当に普通な感じで進むんですけども、16歳のときに私が1年暮らすってことになったのが、ラップランドに近いオウルという町で、本当に先生のタイプと一緒で、フィンランドまでは自分で選べたんですけど、どの国、どの町に配属というか派遣されるかはわからない。
という感じで、たまたまオウルにいたフィンランド人の家族が私のプロフィールを見てこの子がいいっていうふうに選んでくれてっていう感じで、まあそういう理由でオウルに住むんですけれども、これがフィンランドで5番目に大きな都市とはいえものすごい田舎で。
スピーカー 2
そうですね。全人口がね、だって。
スピーカー 1
日本の二十分の一と言われて、面積で言うと日本から九州を除いたぐらいの土地で、そこに二十分の一の人口の小組が住んでいるという感じなので、ヘルシンギ首都でもなく、そういうオウルって町なんですけれども、これがもうすごく私にとってはラッキーだったなって思うのが、
やっぱそのある程度小さな町だからこそ、私が彼らにとって人生初めて見たアジア人だみたいな感じだったりとかしたんですよね。
で、あとその配属された先が音楽高校だったんです。で、これはたまたま本当にたまたまなんですけど、それもすごく幸運だったなと思うのが、フィンランド人って基本とってもシャイって言われてるんですけれども、
その高校にいた高校生の子たちって、結構舞台慣れしてると言いますか、音楽で生きていこうって思うぐらい志のある子たちが集まっていたので、舞台慣れ、度胸があったりとか、新しいことに挑戦するガッツがあるというか、そういうふうに思います。
なので、全然シャイとかなかったんですよ。興味津々で近寄ってきてくれて、で、その当時アニメ漫画日本ブームみたいなのもあったのもあって、友達を作ったりとかいうのは語学の壁みたいなのも越えて、あまり困難だったという記憶はないです。
で、本当にこう、楽しい精神を謳歌した、楽しい一年を過ごすことができました。で、そこに他の世界中から来た留学生もいたりして、16歳の私にとって初めて聞いたような国の名前の子とかいたりですね、意識したこともないような偏比な国から来てる子もいたりとかで、
その異文化交流っていうのをして、ちょっとこう、世界が広がったような一年でした。と、同時にまあその、自分の日本人のアイデンティティみたいなものも考える時間にもなりました。
高校生からの影響と順応
スピーカー 2
16歳から17歳になる1年間くらいな感じですか。それって日本で言うと高校2年生くらいになるんですか。
スピーカー 1
たかちん そうですね、高校2年生の、まあ向こうが9月始まりなので、2学期目から行って、高校3年生で編入して戻ってきました。ダブラズイにそのまま、フィーナのへとって単位が認められたので。
スピーカー 2
じゃあ3年間で卒業できた。でも高校生の、僕も自分振り返ってみると、アメリカっていう国でしたけど、僕の場合高校3年生で行ってるんですけど、たった1年しか変わんないじゃないですか。だからその辺の時ってすごい面白いなって思って、
っていうのは多分ですね、僕周りにも、もっとちっちゃい時に親の関係で外国に住むみたいな子とかもいっぱいいるんですよ。いわゆる帰国市場みたいな人たちもいるじゃないですか。そうすると小学校とか中学校くらいとかだと順納もすごい早いけど、日本人としての何かとかっていうのがまだ確立しきってない感じ。
その分なんか順納が早いっていうか、だけど高校生くらいになると、なんかもう言葉とか例えば発音とかもそうかもしれないですけど、ある程度もう固まってる部分があるけども、もっと年取ってから行くよりは柔軟なので影響。だけどなんか固まりかけ、固まりきってないみたいな。
ここでのなんか1年間で、しかも現地の家族のもとで暮らすって相当素晴らしい、なんていうかこう勉強になる1年間だなっていう感じが僕の感じなんですけどね。
スピーカー 1
たかちん 本当におっしゃる通りです。大人になってから行く何年よりも濃いようにも思いますし、本当にその、でも完全に日本人ですっていう自分として行けるので、もう不思議な感じですよね。
たかちん ただ順納のスピードはやっぱり大人と比べると早いので、かなり高校でっていうのはいいタイミングだったなというふうに思います。
スピーカー 2
そうですよね。で僕はその、今大学で教えてて、大学で留学をするとか、それからもっと言うと、研究者になる人って大学院で留学するとかって結構あるんですよね。で、学位取るまで結構時間かかったりとかして、もう5年とか6年とかかけて学位取ってとかっていう人もいるんですけど、基本的にやっぱりその研究者になるために大学院で行くとか、それから大学に入るとやっぱり当たり前ですけど、
単位取らなきゃいけないときの勉強ハードルっていうのがものすごくかかってくるので、もう本当必死に言語の範囲でもある中で図書館とかにもこもってやらなきゃいけないから、なんか現地の人の生活とか、自然に対する感覚とか遊びとか、
ヨカノとか、いろんなそういう感覚を身につける余裕がないっていうか、大学以降で。いろいろ知識的なこととかっていうのもあるし、もちろんそうは言ってもそれなりに長く住めばね、いろんなことが体の中に入ってくると思うんですけど、たったの1年なのに、これがまたもっと小さいときの1年だと帰ってきてから今度抜ける方も早いっていうか、
すっと抜けるんですよね。だけど、高校生くらいになってからだと、そう簡単に抜けないで自分の中に自分のものとして保持できるみたいなくらい大人にもなってるっていう、なんかすごい貴重なあのティーンの一番最後の頃っていいなって思って、だからそこをフィンランドで過ごしたってことですよね。
でもやっぱりなんか言語って英語だったらまあなんていうかこう学校でやってたけどそうじゃなく、フィンランド語ってどっちかっていうとロシア語とかに近いんですか?難しさとかっていうのはどうだったんですか?
スピーカー 1
いや、ほんとそのおっしゃる通りで、フィンランド語って世界でも一番習得するのが難しい言語って言われているそうなんですけれども、ロシア語とウルグ語族って元をたどると同じ語族に続くもので、これ英語だとゲルマン系なんでドイツ語とかどっちかしかってスウェーデン語、デンマーク語はそっちなんですけど、
なので英語とも全く違くて、で文法も全く英語とも違うっていうものなんですけど、まあその高校生だったっていう若さだけって言ってしまうとすごい簡単なんですけど、なんか熱意とか愛があったのか、すごいその一年でものすごいスピードで吸収して、あの言語ははい、頑張ってましたね。
はい。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
そのさっきのお話でもうちょっと付け足したいなって思ったのが、高校生でその行くことのメリットが、やっぱまだギリギリ子供なんですよね。大学生、大学院生で行くとこれはもう大人扱いをされてしまって、社会では。でまあ自己責任みたいなところもあって、寮とかに入ったら一人の部屋だし、自分で食費とかも自分でやると。
高校生はまだあの親の保護家にあると言いますか、子供だから家族とか団体で遠藤を見てあげるみたいなような社会のその繋がり方ができるから強いのかなって思いました。強いっていうのはその順応するまでが早いという意味で。
スピーカー 2
確かに絶対そうでありますよね。
スピーカー 1
はい。何かってまだギリギリ子供だからで許されるって言ったちょっと言葉があれですけど、はい。
スピーカー 2
もう未成年の最終形みたいなところ。
スピーカー 1
そうですそうです。ただその頭は体は大人に近いみたいなところで。
だからどっちもいいところが取れる大人と子供のちょうど、だからこう青春時代とか青年期とか特別な言葉がついてたりしますけど、この短いけどやっぱりこの時期ってすごく重要な、たぶんその後の人生観とか価値観とか、そういうものにも結構影響。
フィンランドの音楽高校での経験
スピーカー 1
ありますよね。さっきなんか半分こう聞き逃したってこともないけどスッと言っちゃったのに、その行ったところがその音楽の高校なんですか。
スピーカー 2
これはまた美術と音楽選択みたいなこと日本とかでありますけど、そこは音楽の高校に行ったんですよね。
スピーカー 1
そうだったんです。私8年ぐらいフルート吹いてたんですけど、それをプロフィールに書いてたところ、フィンランドの行った先のフィンランド人の家族の妹さんがフルートやっぱり吹いていて、私が通うことになる音楽高校を目指していて、その家族はお父さんもオペラ、週末を歌うのが好きだったりとか、お姉さんピアノしていて、まあ音楽家族だったんですね。
っていうのがあって、音楽高校で。で、これまたちょっと面白いんですけど、フィンランドの高校でおっしゃる通り、その高校音楽に特化してたので、芸術の時間の単位が、美術の時間が少な、ちょっとこうその部分削られているというか、絵を描く時間があまりなかったんですね。
で、それがちょっと物足りないなと思って、で、あの、学校の先生、校長先生に、あの、談判しに行くじゃないけど、ちょっとお願いをしに行って、その、市内のもう一つ別の、えっと、芸術高校に通わせてもらうことになるんです。
あの、その、生徒がその自分でこう動いて、お願いをすると何でもちゃんとこう、まあ、対等にこう受け止めてくれて、じゃあこうしたらあなたが満足するかっていう、あの、提示してくれて、実際にもう一つの高校で取った単位を、えっと、反映させてくれると。
で、これ日本の学校に帰っても、あの、ちゃんと単位を取ったことにしてくれるみたいな、そういうそのアレンジメントしてくれたんです。で、どっちも国立の高校だったからできるみたいなところもあったと思うんですけど、その一高校生のわがままをそういうふうに真摯に受け止めて、あの、対応してくれたっていうのがすごく、あの、驚いというか、面白くて、はい。
スピーカー 2
すごいね。
スピーカー 1
たかちん なので、あの、クラスとクラスの間の20分の休憩時間に、町の端から端まで、こう、真冬の雪に足を取られながら一生懸命歩いて移動した記憶があります。
スピーカー 2
そこの移動は、あの、歩きなったんですか、やっぱり。じゃあ向こうの交通は、あの、家からとかは。
スピーカー 1
たかちん バスとかも、電車も、あの、あ、電車はなかったでごめんなさい。バスがあったんですけど、ま、町の端から端まで。
スピーカー 2
たかちん 町から端までは歩いて、その、行って、次の時間までにこう間に合うように行って、そこで、芸術のほうで撮って。
スピーカー 1
でまた次、自分の学校に帰ってくるっていうのを、1学期分ぐらい、なんか、やってました。
たかちん あの、行ってすぐではなくて、慣れてきた頃だったと思うんですけど、はい。
スピーカー 2
そうか、そういう、こう、一人の要求じゃないけど、私こういうことやりたいんだよね、とかって言ったら、一応その、できる可能性をこう探ってくれて、端までやるみたいな。
スピーカー 1
たかちん そう、そうだね。日本だったら多分何を。
スピーカー 2
そう、ルールがないとか、そういう生徒はうちの学校にはないとかって言われちゃいそうですよね。
スピーカー 1
たかちん はいはい。一生懸命考えてくださって、もう一つの学校の学長と話してくれたのか、話を通してくれて、こういう子がそっちに行くから、授業を受けさせてあげてくださいと。
で、評価して、あの、いやそれもすごい話ですよね。向こうの先生のその分のお給料というか労力増えた分、誰がどうリペアするんだっていう。
スピーカー 2
たかちん お互い様なんですかね。考え方として。
スピーカー 1
たかちん そういうことをしてもらって、そこでその本当にその一度、自分から質問しないと戻ってこないみたいな、教えてもらえないみたいなところがあるんですけど、反対に一度その門を叩いたら必ず開いてくれるっていうのを体感というか実感したんですよね、フィンランドっていう国は。
スピーカー 2
なるほどね。それはすごく自分の現体験としてもなんか大きな経験ですよね。で、結局では高校はそういう音楽もやって、芸術の方もその特に後半の方は触れられるようになって、それでいよいよ、一応交換留学なんで一年間で日本帰ってこなきゃいけないと思うんですけどもね、期限付きだから帰ってきますよね。
それで日本の高校に編入されて、さあいよいよこっから進学だってなるわけですけれども、最終的には今から振り返るとこれはフィンランドの芸術大学というか選択されるわけですけど、それをそうしようって思ったのは比較的早かったんですか、それとも日本に帰ってきてからとか、どの辺で進学とかについて真剣に考えるようになったんですか。
スピーカー 1
平野 はい、ありがとうございます。もうそれは、留学中終盤の頃にはもう決意として持っていました。はい、それは明確に覚えていて、やっぱりこうデザインというものにもともと惹かれてその国を選んだっていうのもあって、その生活を通していろいろこう自分でも感じ取っていたんですけれども、やっぱりこのフィンランドっていうところはもう本当に良質なデザインが、
日常にすごくうまく溶け込んでいるなというのを感じて、でも街を歩けばマリメッコに身を包んだ人がいたりとか、友達の友人の家に行けば長く愛されていったらっていうその食器が、アラビアの食器があったりとか、もうそのそういう暮らしに身を置いたことで、
その1年、そういうところで自分もっとここで長く暮らしたいっていうのを自然に思いましたし、じゃあそういう国ではどういう風にデザインを学び、どういう風にこの国ではデザインを学問として教えているのかなっていうのに興味を持つんですね。
だからそれでその国で、この国でグラフィックデザインを学びたいっていう風に思うようになりまして、じゃあどうしたらいいんだろうっていうのを考えながら帰ってきたのは覚えてます。
入試要項とかも集めて読んでいました、高校生のその向こうでオールの街で、どの街ならどんな美術大学があるとかそういうのを見ていました。
スピーカー 2
日本に帰ってきて、じゃあいわゆる入試対策じゃないですけど、そういう色々やられるのは、なんかどんな基準でこの大学選びとかその辺やって最終的に決まっていくことになるっていうのは、これやってみたら比較的スムーズだったのかとかってどんな感じでした。
茉穂 本当に、ここからどうやって、howっていう話に入ると思うんですけど、まず全く前例がなく。 前例がないんですね、やっぱりね。
スピーカー 1
茉穂 前提としてフィンランドっていうのは大学が2種類に分かれてるんですね。1つが総合大学って呼ばれるユニバーシティって英語でなるものなんですけど、これは学術研究に重点を置いていて、幅広い分野で大学院の課程とかを提供したりとかするもの。
で、もう1つが応用科学大学というもので、Universities of Applied Sciencesというものなんですけれども、こっちは実践的なスキルや専門知識の取得を目的とし、特定の職業分野に特化した教育を行うっていうもの。で、日本の高校卒業っていうものはフィンランドの高校卒業と同等じゃないんですね。
なので、つまり日本の高校卒業資格だけを持っていると、総合大学にアプライする権利がない、もらえなくて、応用科学大学のみだったんです、学位を取ろうと思うと。
はい。フィンランドの高校卒業試験っていうのが全国統一の卒業試験があって、それを修了すると高校卒業資格みたいになるんですけど、これが日本では通っていればただ課程を修了したってことになるので、ちょっとレベルが違くて。フィンランドと高校卒業したことになってないというか。
なので、デザイン学ぶだけだったら市民学校とか、もちろん学ぶっていろんなところから学べるので、いろんなものがあったんですけど、学位を取ろうと思ったら応用科学大学に入るしかないっていうのがありました。
で、そのためにはフィンランド語でしか学位を提供するプログラムがなかったので、帰国後は語学をなんとかしなきゃっていうところで、語学の習得に全力を注ぐというところから始めました。はい。答えられてますか。
大学での挑戦と経験
スピーカー 2
いや、それでアプライ、最終的に町はどこを選択されたんですか。
スピーカー 1
あ、そうそう。で、本当にその、なんか過去問とかもなかったので、手探りだったんですけど、最終的にはラフティ、あ、ごめんなさい。まずはその、二つ大学を受けまして、第二規模の方に受かるんですね。
はい。で、それはまたコーボラという、また小さな町の大学なんですけれども、そこの国立の応用科学大学の芸術学部グラフィックデザイン科に合格して、はい。で、そこに2年通った後にまた第一志望が諦められなくて、もう一回受け直すんですね。
で、倍率が40倍だったんですけど、そこに受かることができて、で、そこで、えーと、編入ではなくて入学し直してるんですけど。で、もう一回そこから4年間なら4年間やるってことなんですね。はい。で、ただ、どちらも国立大学だったので、カリキュラもそのまま移行できるよっていう話だったので、自分の母親を説得、卒業は伸びないからっていうふうに説得した覚えがあるんですけど、
結果としては2個目の大学に6年間在籍することになりました。卒業論文提出して卒業するまで6年かかりました。
スピーカー 2
え、それは6年かかっちゃったってことなんですか?それとも6年かけようと思って6年かけたんですか?
スピーカー 1
もうそうですね、最後の方、あんまり卒業を急ぐ理由がなくなっていて、じっくり自分の集大成としての卒業政策、卒業論文に向き合おうってしていたら、必然こう1年2年かかる。最後の卒業論文に、卒業政策に2年かかったみたいなイメージなんですけど、はい。
なので、6年かけたが正解で正解というか正しいですかね。
スピーカー 2
なるほど。なんか第一志望を諦めなかったっていうお話、諦めきれなかったっていうのもあったんですけど、結局2つそうやってフィンランドの大学両方経験してみて、やっぱりなんかその大学によって違うなっていうか、第一志望ここ諦めずに行ってよかったなみたいなのあるんですか?
スピーカー 1
はい、はい、それはありますね。でもLINE規模の方を先に行ってたからこそ、第一志望の学校でこんだけ学びが深くなったなというのも実感していて、やはり言語の面でもその2年間でさらに言語の理解も深まった上で、新たに講義を受けれたという面もありますし、
先ほども申し上げたように、どっちも国立なので提供するカリキュラムは全く一緒になってるんですね。ただ、教えられるものとか内容は一緒で、ただ誰と学ぶかみたいなのが違うだけ。
という意味で、やっぱり新しく入った学校で出会った人々、出会った友人、同級生とか、また学部を越えて知り合う同期の他の芸術学部の他の学科の子たちとの繋がりみたいなものもすごく得たものとして大きかったなと思ってます。今でも、はい。
スピーカー 2
なるほど。なんか僕も大学でこう勤めてたりすると、結構世界中の大学でいろんな興味があるんですけど、というのは大学っていうのは一体どういう価値を提供できるのかっていうときに、もちろんその学びの内容クラスなんで、学びの内容とか教授できるものっていうのは多分あると思うんですけど、今もお話の中に出てきたように、
やっぱり友達関係を例えば作るとか、いろんな教員と出会うとか、なんか分野によってもやっぱり図書館みたいなのってとてもじゃないけど、個人や街では揃えられないような地にアクセスできるみたいなことってあるじゃないですか。
なんかいっぱいいろんな大学の持ってる価値ってあるんだろうなと思うんですけど、多分いっぱいこう合わさってはいると思うんですけど、やっぱり行ってよかったなっていうときに心の中に残るっていうか、初めに出てくるのはどういうところがやっぱ大学っていうこのリアルな場で何年か、多分楽しいこともあるけど苦しいこともいっぱいあると思うんですよね。
そういうの全部一緒に乗り越えて振り返ったときに結局大学の価値っていうか、なんか自分にとって何がこうよかったみたいなのってありますか。
スピーカー 1
大学の価値。やっぱり人ですかね。キャンパスだけで言えば一つ目の学校の方が恵まれていたり、実はしていて、設備だったり立地環境だったり、より勉学に励めるような設備が整っていたり。
でもやっぱりこう誰と出会ってどんな会話をしながらその学生生活を4年間ないし6年間過ごして、どんな教授に出会ってっていうのは、その教授たちも第一線で本当に活躍してるデザイナーたちがほとんどで、二つ目の学校は。そういうのも影響しましたね。
実際今憧れのなぎなぎさんが今度このコマを教えに来るよだったりとか、そういうのもワクワクしましたし、そうですね。まあでもやっぱり人ですね。
スピーカー 2
そうか、やっぱり人なんですよね。すっごい納得します、でも僕も。なんか結局、学びの内容ももちろん大事なんだけど、なんかこう、今とかこうチャットGPTとかもあるし、知識的なものだったらもしかしたら得られるかもしれない。ちょっとなんかデザインとかってなってくるとまだ難しいかもしれないけど、ある意味こう本みたいなところからいっぱい学んでいくような学問みたいなのの知識的なことの表面みたいなのって、
フィンランドの教育環境
スピーカー 2
なんか聞けば答えが出てくるし、ああそんなものなのかって思うようなところあるかもしれないですけど、でもやっぱり同じ内容を誰からどういう文脈で教えられたのかみたいなことって、やっぱり結構大きくて。
そこだけな気もするぐらいです。
偶然に委ねられてる部分はあるかもしれないけど、その偶然を生み出しやすい環境を作れてる場があるのかどうかみたいなのって結構重要なのかなって思ったりもします。
スピーカー 1
ぜひ積極的にそこに自分の身を置くようにしたいと思ったし、これから選ぶような方たちはそういうふうに選んでほしいと思います。なんかなんだろうな、首都に近いからとか学校がおしゃれだからとかカフェテリアがかわいいからだけじゃなくて、そうですね。
スピーカー 2
そうですよね。これってでも高校生だとわかんなくて、後から振り返ったらその価値がわかるけど、でもね、そこのところってこの番組とかでもそうだけどそういうふうなことを言う大人の話聞いてそんなもんかなって素直に思って、なんか外形的なことだけじゃなくて自分が本当にここにいるべきだ自分はみたいな、
そういう感覚でなんか学校選びとかっていうのがあってもいいのかなって思ったりはしました。
日本の美大とか芸大っていうのは全然行かれてないから単純な比較って難しいのかもしれないですけど、なんかそのさっきのお話の中でこのイッタラとかマリメッコとかアラビアとかああいうのがある国がどうやってデザインとかって教えてるのかにも興味があったってこともおっしゃってたじゃないですか。
実際その、そこで感じてることと、なんか見聞きするところでもいいですけど、もしかしたら高校では美術の時間ってのがあったかもしれないですけど、それから大学でいろんな、日本に限らずいろんなところに芸大とか美大とかってありますけど、なんかフィンランドなりの特徴みたいなのがもしあるとしたらこんなとこかなみたいなのを思うところありますかね。
スピーカー 1
そうですね。やっぱりおそらく美術、歴史とかはおそらくどの国にいても同じようなものを学ぶと同じソースからあるので思うんですけれども、考え方みたいなところが違うのかなという風に思うんですけど、
そのデザインっていうものをその、なんだろうな、まあでもどうなんです、本当にこれは日本でもデザイン学んでいたら比較できるんですけれども、
でもやっぱりデザインをどういう風に教えてるんだろうっていうのに興味はあって、ただやっぱりデザインはこうですみたいな言葉で言っても、それがその実体験を伴わないとなかなか見えないものなの、デザインって。
分からないという意味ではやっぱりそこで授業を受けて暮らしながら身につけていったみたいな、その本を読んで学んだというよりは、そういう面が大きいかなというふうに思っていて。
まあでも一つそのやっぱり、自主的にこう本法に生徒たちに任せるみたいなところがみんなの教育って根本にあるので、おそらく結構こう自分たちで動かないと何も教えてもらえないと言いますか、
スピーカー 2
先生たちに質問を持って行ったら答えてくれるっていう、わりと能動的な面があるかな。
なるほど。さっきも出てましたもんね、高校の時も何もやらないと何もないけど、門を叩けばその後すごくフォローしてくれるみたいな。それだから大学も同じようなところが。
スピーカー 1
結構こう、そうなんです。具体的な例が言えたらなと思うんですけれども、何ならカリキュラムの中でやる小さな課題なんかも、その時々で生徒たちがもっとこれがいいみたいな意見をしたら、かなり柔軟に取り入れてもらえるような節もあったりして、
スピーカー 2
あと企業と自治体なんかと一緒に取り組むようなプロジェクトも多かったので、そういうのももしかしたら日本と違うかもしれない。 実践的なこととかそういうのもいっぱい取り入れてやってくれるっていうことなんですね。
あとは結構バウハウスの影響を受けるような授業は多かったですね。やっぱりヨーロッパっていうのはあるのかなって。ヨーロッパの田舎ですけど。
自然とクリエイティビティ
スピーカー 2
アルプスシティって言ってて、これからクリエイティブな人とかって、もうちょっと自然環境とかを身近に感じられることによって刺激されるクリエイティビティみたいなのを大事にしたり求める人ってなんか増えてくる時代に来るんじゃないかなっていうのもちょっと思ったりもする中で、さっきから少しずつ出てるのがフィンランドの
現体験みたいなところでは、雪が降ってた音を吸収するみたいなところの森の静けさとか、厳しさもあるし、太陽がない時の太陽のありがたさみたいなのもしかしたらあるかもしれないけど、
自然が美しいみたいなこととかと、そのデザインみたいなものってすごく影響したり、それは全体としてのカルチャーにも影響してそうだし、デザイナー本人のクリエイティビティとか美的な感覚みたいなものっていうのを育ててくれてる自然っていうのがありそうな気もするんですけど、
スピーカー 1
その辺ってフィンランドで長く暮らしていて、自分の中にもなんかあるとかってお感じになったりしますか? そうですね、あると思います、はい、それはあると思います。やっぱり自然っていうキーワードはもう本当に切っても話せないと言いますか、フィンランドは実際その国土の70%が森で覆われていて、18万個の泉がある、湖がある。
18万、すごい 言われていて、つまりもう本当に手に届くところに自然があるんですね。そういう中でサマーコテージ文化みたいなのもありますけど、その自然からインスパイアされるみたいなものってよく言われるんですけど、もう自然の中でそのまま融合して生きてるみたいな感じなので、すごく当たり前ですし、
スピーカー 2
自然からインスパイアされましたっていうのも、なんか言葉にするまでもないような。 もう当たり前のように、もう体の感覚と。 一緒に生きてる。 なるほどね。 で、これそのまさに1960年代とかのタピオビルカラさんのイッタラシャのプロダクトなんですけど。 ちょっと見せてもらっていいですか?
スピーカー 1
キャンドルホルダーなんですけど、これはそのラップランドの氷のサマーを表現しているっていうふうに言われていて、これもう60、そうですねもう廃盤になってるんですけれども、なんかそれももう目の周りにあるものを自分の創作に取り入れるのは当たり前だなっていうのが、なんだろう、感じられて、はい。
スピーカー 2
なるほど。今ちょうど実物を持ってきていただいているので、手に取って見てるんですよ。確かにそっか、氷って感じですね。 これがなんかその地域でちゃんと使われてるってところになんか意味があるような気がして、この景色っていうかこういうものがその家の外に出たところにあるっていうか、
それをその一部を翔さんが自分の家の中にモチーフとして置いてるみたいな、なんかあそこもこれがいいと言われてるからこっちから持ってきてこっちからなんか持ってくるっていうより、なんかそのちょっと外の自然と中とのなんか調和みたいなのっていうのがすごくあるような印象もあります。
スピーカー 1
そうですね。半径何キロぐらいの範囲で何かこう持ってきてるような感じさえありますよね。そうですね。あとはやっぱりそのフィンランドのデザインって言うとそのデコラティブな装飾するようなものというよりはシンプルなものが多いというふうに言われてると思うんですけれども、
そのそうですね、そういうそのシンプルな家具デザインとか照明椅子机ソファーが好まれるからこそファブリックではすごくあの大柄な色や形が好まれたりとか、そのコントラストがすごく彼らの持っているものかなっていうふうに思っていて、
でそのさっきおっしゃってた通りでフィンランドってその1年の夏と冬のコントラストものすごいんですよね。夏は本当に太陽が沈まなくて、で短いんですけど冬はその代わりもう極夜、あのまあ緯度にもよるんですけど2時間とか1日に太陽の日照時間2時間だったり6時間だったりっていう中で真っ暗の中で暮らしている。
そのコントラストその長く暗い時間と短く明るい喜びの春夏みたいなものとかそういうものも現れてるかなというふうに思っていて、まあフィンランド人も本当にその寒さは耐えられるとマイナス20度とかあの氷点下は大丈夫、でも暗さは本当にうつになる。
だからそんな暗くてうつうつとするからこそ室内では明るいものを取り入れようってしたりとかするしたりとかするんですよね。
スピーカー 2
そうですよね。だからそれも影響してますよね多分ね。
明るく。
なるほどなるほど。
いやいやでもなんかすっごくイメージできます。なんか日本でもなんか晴れ時計っていう概念とかもやっぱりありますよね。だからそこはこうある意味コントラスト日常と非日常みたいなこととかもうまく取り合わせながらっていうことだしまた圧倒的に長い時間は日常なんだと思うんですけど
だからこそなんか外に行った時に少しこう晴れやかな色だったりとかなんかあの派手なものだったりとかっていうのをこう晴れの時に持ってくるみたいななんかそれももしかしたらちょっとどっかで似たようなところがあるのかもしれないですよね。
なるほど。でもう前半だけで結構たくさんあの話を聞いてしまっていて後半の中にちょっと今あのお伺いしたいなっていうふうことであの用意してきたものを盛り込む形で後半行きたいなと思っているのですけどもとりあえずあの第一週目の前編はあのここまでで岩屋さんのフィンランドで今ちょうど大学卒業するくらいのところまで来たので
後編ではその後も実際にこうあのデザイナーとしてこう活躍されていくところそれからフィンランドでの生活みたいなところでこう感じになっているようなことっていうのをお伺いできればなというふうに思います。
スピーカー 1
はいもう本当に。
スピーカー 2
はいどうぞどうぞ。
スピーカー 1
もうその大学に行くまでの時間もすごく本当に苦しくてあの不安とかもたくさんそれはありましたし長くて辛かったんですけれども本当にその叶った先大学で絶対こう私はデザインを学ぶんだって決めてその夢が叶った先にあるものっていうのがすごくその楽しみで仕方ないっていうのもあってその夢の一部を今生きてるみたいな感覚がすごくあったので
なんかそういうふうにあのワクワクして過ごしていた実感だったなというのをすごく思っていますしその長く暗い冬と夏っていう話もちょっとつながるかなっていうふうにも思って。
スピーカー 2
大学時代ってそういう意味でちょっとした修行期間の辛さ的なでもその先には何かあの自分がこうやって社会に貢献していくんだってちょっと明るさみたいなものを見ながら過ごしてたっていう感じなんですか。
スピーカー 1
たかちん はいあの高校に戻って留学を終えて戻ってきてから大学に入学できるまでの時間がすごく辛くてもう同級生の高校生たちは入試だったりセンター試験だったりなんだりっていうのをしている中で自分の入試は6月7月だからまず高校卒業したら一旦何者でもなくなって高校生ではない大学生にもなれない
たかちん そういうのとかで本当に行けるんだろうか語学大丈夫なんだろうかって誰も前例もなくて話聞ける人もいなくての中で結構葛藤もあったんですけどそこは本当にそのパウロコエリオンのアルキミストってほら大好きなんですけどそこにその夢を探すまでのその一歩一歩の夢の一部だっていう一説があってすごく好きなんですよ。
スピーカー 2
たかちん 僕もアルキミスト大好きです。文庫も忍ばせてます。
スピーカー 1
たかちん はい何度も読みました。なので本当にそのそうですねまあ準備期間ということでなんだか若さもあったのかワクワク過ごしてっていうのがありました。これがなんかこの前編の締めくりの言いたかったことかなと思ってすみません。
スピーカー 2
たかちん ありがとうございます。ということでこれはもう後編皆さん聞きたくなってしょうがないということだと思いますけれどもとりあえずあの前編あのここまでにあのしたいと思います。綾岩さんあの前編どうもありがとうございました。
スピーカー 1
綾岩 ありがとうございます。
スピーカー 2
たかちん はいそれではあの後編来週お届けしますのであの後編もお楽しみに。
本日のアンタイトルドいかがでしたでしょうか。
感想や質問があればぜひ概要欄のリンクからメッセージをお寄せください。
対応された方には番組オリジナルステッカーまたはリビングウィズネーチャーをテーマにした特定ステッカーをプレゼントしています。
番組と連動したメールマガジン山本達也の半歩先通信も概要欄のリンクから登録いただけます。
音声では伝えきれなかった収録秘話や楽屋トークなどもお届け中です。
また新州松本エリアを拠点に展開しているアルプスシティラボではリビングウィズネーチャーな都市デザインをテーマに様々な社会実証実験を進行中です。
僕自身がコミュニティマネジャーを務めるちょっと変わったデジタル地域通貨アルプスシティペイも運営しています。
こちらも概要欄のリンクからぜひチェックしてみてください。
それでは今回のアンタイトルドはこのあたりで。
また次回お会いしましょう。
ホストの山本達也でした。
01:04:17

コメント

スクロール