なんかあの年を取ったからなのかというか、
あの最近すごい昔のことをね思い出すことがあって、
でここのとこ何回かですね、昔って言っても自分が高校生だった時のことなんです。
あの高校のね3年の時にアメリカの公立のね高校に1年間交換留学するっていう機会に恵まれたんですけれども、
なんかその時のことをねすごくあの思い出していました。
というのもあの最近ね、その時のホストマザー、でもねホストマザーとね僕ね6歳くらいしか違わなかったんですよね。
僕18歳で行って多分ホストマザー24とか25とかだったような気がするので、
あの今思うとねそんなにあの年離れてるっていう感じのホストマザーではなかったんですけども、
そのホストマザーのお母さん、だから本当の子供だったらあのおばあさんにね当たる母方のおばあさんっていう感じですかね。
あの最近不法でね、あのずっと闘病されてて最後まあお亡くなりになったっていうことを、
僕が本当の子供だったら弟に当たるホストブラザーって言うんですかね、
にからメッセージもらって、でホストマザーにもねお悔やみのメッセージを送ったところだったんです。
なんかそんなようなこともあってなのかなと思うんですけども、すごくそのアメリカ時代を懐かしく思い出していました。
このポッドキャストでもねあのお話ししたことあると思うんですけども、
あのやっぱり高校でそのアメリカのカルチャーに触れて、そしてただなんか旅行しただけっていうよりはニューヨーク州の田舎町だったんですけども、
まあアメリカ人の家庭の中に18歳で入っていって、そしてありがたいことにすごくこう受け入れてもらって、
本当の家族のようにアメリカ、アメリカンファミリーっていうんですかね、
まあそんな時代を過ごして、そうすると体の中にアメリカンな感覚っていうかですね、
だんだん英語もわかってきたり、初め全然わからなかったんですけど、
だんだんその家族のね、家族の会話っていうか家族のパターンっていうんですかね、
まあ長く過ごしているとだんだんこうだよね、次これだよね、みたいなのってなんかこうわかるようになってくるじゃないですか、
なんかそういうようなところも体感としてこうわかってきたりとか、
まあ家族ならではのね、冗談の言い合いとかね、そういうようなところもできるようになっていったので、
すごくやっぱり自分にとっては大きかったなというふうに思います。
その日本のね、家族ももちろんいるわけですけれども、
そうやってこう一時的に完全にこうアメリカの家庭の中に入っていくっていうことはすごく大きな経験になりました。
そして、高校でやっぱり行ったっていうのも大きくて、高校の時って正直そんな勉強しなくてもいいんですよね、
っていうか大学でね、留学とかっていうのはたくさん周りにもいますし、
それから海外の大学と今でもいろんなお付き合いというか、仕事でね訪問したりとかいろんなことがあって、
まあその大学の様子とか留学生の様子っていうのはある程度わかるかなというふうに思っているんですけれども、
まあでもアメリカでね、大学行くともうものすごいリーディングの量で、宿題とかもすごい大変でとかっていうところなんですが、
まあ田舎の高校の公立の学校で、毎回宿題とか出ますけどだんだんこうパターンっていうのもね、もうわかってきて、
一番大変だったのがこうアメリカンヒストリーってやつですかね、アメリカ市の授業が卒業に絶対に必要な単位なんですね。
本当は確か高校2年の必修なんですけど、僕は高校3年で行ったんですけど、
まあアメリカ市取らないとその卒業的なね、その単位にならないみたいなことをアドバイザーというかカウンセラーの人に言われて取ったんですよね。
まあこれが結構分厚いテキストブックで、毎週毎週こう毎週というか毎回というか、あの課題が宿題がね出るんですよ。
でそのリーディングの何ページから何ページみたいな範囲の中で、確か何問か質問が出るので、
まあ慣れてくるとね、その該当箇所みたいなところを探して、ある程度そこを書き写していくと答えられるなみたいなのがわかるようになってきたんですけど、
まあそれわかるようになるまでまあまああの大変でしたね。
あの初めの頃はホストファミリーにちょっと手伝ってもらったりとかしてやっていたところもあります。
で当時というかその行った時なんですけども、1993年の8月から行って、1994年の確か7月とか8月くらいに日本に帰ってきたので、ちょうどその1993年から94年の1年間をアメリカで過ごしたんです。
でその時ってインターネットはまあないっていう感じ、まあもちろんその原型はあるんですけどその一般家庭にあのインターネットなるものがあるとか、コンピューターがみんなあの家に設置されているとか、
そんなようなこともないので、紙の辞書ですよね。結構あの重い辞書を持っていくわけにもいかなかったので、あの同世代の方とか知っていると思いますけどあの非常にそのコンパクトな和絵、英和辞典が両方くっついているようなやつだったかな。
なんかもうそれを一冊持って、電子辞書も持ってなかった気がするので多分紙の辞書だけで行った気がします。でわかんない単語を調べるって言ってもインターネットとかないのでどうすんだろうって、今なんか思うとどうしてたんだろうみたいな感じもありますし、もちろんあの携帯電話とかもないし、
えーそうですね、なんか家族とのやりとりって言うんですか、その日本の家になんか連絡するみたいなことになるともう手段は2つしかなくて、1つが紙の手紙をエアメールで送るか、まあむちゃくちゃ高い国際電話をかけるか、どっちかしか選択肢がないみたいな感じでしたね。
ただアメリカなんかの街で国際電話を安くかけられるなんかカードみたいなのが売っていて、まあそれを使ったりもしましたけども、まあそれでも国際電話なんですぐカードなんかなくなっちゃいますし、まあまあ高かったですね。まあまあっていうかかなり高かったですね。
もうなんか数分話すと1000円とか超えてくるみたいな、多分そんな感じのイメージだったと思います。なんでそのコミュニケーション手段というかそのメディア環境とかコンピューター環境とか、今思うとね全く違う中で逆にあのそういうところにあの溺れずというか、そもそもそういうデバイスがないので何にもやりようがないですし、
そう思うと時間があったんですかね。やることなんかあんまりないっていう感じでした。で、その、まあやっぱりこの1年ってすごく自分にとっては大きな転機で、その18歳になるまでずっと東京で生まれ育ってきて、一時的にあの広島県の福山市っていうところに住んだこともあるんですけども、
基本的にはもうあのほとんど東京の目黒っていうところでずっと過ごしていたんですね。で、まあアメリカに行き、初めてのアメリカでしたけれども、まあそこでどんなところなのかっていうと、まあ大抵あのこんな留学する先っていうのはその街中っていうのはあまりなくて、割とこう田舎が多かったりするんですね。
で、僕の場合も多分に漏れず、まあニューヨーク州ってなんかちょっとニューヨークもあるしかっこいいなって感じなんですけど、ニューヨーク州広くてですね、ニューヨークシティから頑張っても3時間半は絶対かかるくらいのところですね、4時間くらいかな、3時間半から4時間かかるくらいの場所に行ってました。
もう本当にアジア人とかいなかったですね、ほとんどいなくて、あの学校に1人だけアジア系の女の子がいたんですけども、彼女は確かね、あの韓国系の子で養子みたいな感じでね、アダプトされたというか養子として育ってるっていう、あの韓国系の女の子が1人いましたけれども、
それ以外は基本的にはいわゆる白人さんっていう感じでしたね。割とこうドイツ系の人が多かったエリアなのかな、まあちょっとその辺の細かいところまで、あの背景よくわかんないですけど基本的に白人の人しかいないみたいな、そんなあの街でした。
なんで、あの高校とか行ってもそんな感じで、もう本当にアジア人なんてもう全然暮らす中にいないみたいなところで過ごしました。で、そのホストファーザー何やってたかっていうと、ラマとねアルパカの牧場をやってたんですね。
で、まあその小さな空港に一人でこう乗り換えて、まあ初めての日行くんですよ。したらその空港にあのホストファミリーがサインをね持って、あの看板っていうかなんか手書きのタツヤとかって書いてあったのかな、なんかそんなのを持ってくれていて、そこで会うんです。
で、そこのまあ空港からも多分1時間くらいあの家までかかるんですけど、車でダーッと戻って行って、でここがあの自分たちの住んでる丘だよって言って、そこに連れて行ってもらって、家に行く前に牧場があるんですよ。
で、その家に帰る前にじゃあちょっと牧場を見せるよっていう感じで、まあもう夜だったんですけど、その牧場なんか入って、一生懸命なんかラマとかアルパカとか英語で説明してくれてたと思うんですけども、ほんと何言ってるのかわからなくて、そもそも自分の多分知識の中にラマとかアルパカなる動物がどんな動物なのかっていうのはもうさっぱりあのわかんなかったんですよね。
で、僕は初めて多分ラマもアルパカもそこで見たと思います。
まあ落高の動物で、南米とかによくいるんですけど、基本的には毛を取るための、羊さんでウール取るみたいなのと同じようにアルパカの毛ってかなり高級な毛なので、アルパカのセーターとかマフラーとかそういうのを売ってたりしますけど、そういう動物だったんですよ。
で、そこ行ったらあのラマとアルパカがわーっとたくさんいて、さらになんかうるさい動物いるなと思ったらこれヤギでね、これもまあ毛を取るヤギなんですけど、このヤギがめいめい鳴いていて、そしてあの向こうの方には今度馬が、あの時はサンといたかな、馬サンといて、おーなんかアメリカだなーっていう感じだったんですけども、
ね、びっくりしました。おー、こんな、そもそも牧場でなんか過ごすなんてことをほとんどもう記憶にないっていうか初めての経験だったんですね。
で、あのそんなびっくりして、お家に着いたら今度またね、お家も動物だらけで、こうイングリッシュブルドックですね、まあいわゆるブルドック、なんかブルドックソースとかにこう出てくるあのブルドックがもうわんわん吠えて、うわーと思ってですね、それで家に行くと今度はミニチュアのブタがいるんですよ。
あのペット用のね、ミニチュアのブタがいて、で、家の中にあのブタさんがいて、で、猫ちゃんが2匹いたので、まあ動物に囲まれて過ごしていました。
で、その当時まだあのホストファーザーもホストマザーもあの子供がいないんですね。ただもうホストマザーはもう妊娠をしていてものすごいあのもうあとちょっとであの生まれるっていうその初めてのね赤ちゃんが生まれる1ヶ月前ですよ。
で、まあよくもまあそのタイミングであのこう日本からのよくわからない高校生受け入れる気になったなあっていうふうに思うんですけども、あのびっくりしましたね、いろいろね、それでまあだから初めての経験だらけでそのラマとかアルパカとかの世話をね
やっぱりこう家業としてというかあのまあその家の息子として一緒にねあのお父さん手伝って作業したりとか馬の世話とかも憧れたんですけどね、やったことなかったんですよね、だけどあの馬の世話したりとかまあ結論的にはもう大好きでした。あの牧場仕事本当にもう
実はね高校行ったんですよねもちろんそれが目的なんだから高校行くんですけど正直ねそこまであのアメリカの高校僕は楽しめなかったっていうかまあなんとなくこう話をねする人とかまあそれなりにこの毎日
過ごしていましたけれどもなんかこうああここ楽しいみたいななんかそういうのってほとんど感じたことがなかったっていうかまあこんなもんかなあみたいなあのところでやってる勉強でこれが面白いみたいななんかありましたかねあの英語のクラスっていうか
日本で言うとだから国語みたいなものもこれあの毎年必修なんですけど高校3年生の英語というか国語っていうかはかなり選択の幅が広くて僕はその時あの
セアターの授業をとったんですよねあの演劇の授業をとってで最後の課題はあのこうね保護者というか親とあっちがいっぱいこう街の人たちが来るところで舞台を作ってそこであの演技をするっていうのがあの最後の課題で僕もそこの英語劇英語よくわかんなかったけど一生懸命セリフ覚えて
やりましたねだけどねそのねシーンの中でねこう 相手の子にキスをするっていうシーンがあるんですよねでこれはあの本当に行こう
なんていうかプロの俳優さんだったら多分そのあの口でキスするんでしょうけど なんかこう
観客からはそう見えるようにあの 頬の横にキスをするみたいななんかそんな感じだったりとか
覚えてますねもうそれなんていうかこう えっとリハーサルみたいな時とかその練習とかってあるじゃないですかもうその時からはそのシーン
うわそれやるのかみたいな感じで ええ
なんか大変だったなって思ったのを今思い出しました そんなのはまあ多少なんていうか思い出に残ってて楽しかったなっていうのと後は
レスリング部になぜか 入れられて
というのは僕はの中学の後半からの高校ずっとその留学行くまでって柔道部だったんで 柔道やってたんですよねでなんかあの
その話で柔道やってたみたいな話になったらアメリカの高校ってのはのシーズン スポーツなんでなんか年間を通じてレスリング部とか年間を通じてアメフト部とか
アメフトとかだったら秋のスポーツとかレスリングだったら冬のスポーツ なんでその時期にしかその部活が存在しないみたいな感じなんですけど僕はそれで
レスリング冬のスポーツなんであの 冬シーズンになってからレスリング部入んないよって言われてまあじゃあちょっとやってみるか
レスリング部入ったんですけどレスリングってもうやったことも見たこともなくて ルールがわかんないまんま初めての試合に出てもうさっぱりわかんないというかまあいい加減だなって思いましたけど
あれてなんか後ろにつかれたり後ろについたりするだけでもまたポイントだったりとか そこから逃げるとまたポイントだったりとか
いろんなのがあって試合をやる中であこれポイントなんだみたいなこととか あのちょっとずつ分かっていってみたいなかなりいい加減な感じでしたけど
でもなんか柔道やってたからかまあまあ強かったですねあの寝技みたいな柔道をやるんです けどそれにやっぱ近いものがあのあったので
あの結構 勝てましたねあのだんだんルールがわかってからですね初めルールわかんないまま負け
たんですけど なんだこれと思って今だったらインターネットとかで普通に調べるんでしょうけどもうなんかあの一生
懸命英語で説明してくれててもなんかムズ難しくて ドッグいっぱいなんかポイント取るあの方法とかがあるので
まあなんかわかったらわかんないような感じでレスリングやってました まあなんかそんなのもちょっといい思いでですねで冬は冬でまた後のスキー
クラブっていうのがあって僕はのスキーもあの 結構小学校中学校くらいからは結構あの
毎シーズンのように好きってまぁそんなにもう無茶上手って感じはないんですけどでも 好き
は好きなんですよなんであのスキーブでニューヨークのもう本当田舎町でも雪なんか すんごい
降るんですねまあ僕が言った時にこの雪の量があの過去一で今までの記録を破るくらい の
雪になってもうあのこれまたあの過去一学校がもうあの雪がすごすぎて あのなくなるっていう感じの日っていうのがたくさんあったんですね
で過去一番あの雪で学校があのクローズになった その年に僕は行っていたので本当にもうものすごい量のあの雪だし
寒いのもすごい寒くて なんていうんですかスクールバスをね待つ間の寒さったりやすごくてねマイナス多分
20度よりもっと寒いくらいでか丘でね風がまた吹いてきてこの 風が吹いてくると体感温度ってまた寒くなるのでそんな感じの中でもう凍え
ながらあのスクールバスを待って乗るんですけど 第1あの高校3年生でねスクールバス乗ってる奴なんてほとんどいないんですよみんな
もう高校3年生くらいになると車16で確か取れるので みんななんかこう中古の車とかで車で通ったりとか
友達同士乗せ合ったりとかするんですけど僕はその田舎町の中でも最も田舎のところに あの家があったのでもうあのなんていうか迎えに友達が来れるような場所でも
なく相当車走らせないとあの僕のところまで迎えに来れないのでもう毎日のように スクールバス乗ってましたけどスクールバス乗ってるような人っていうのはまだ車の免許
取れないようなあのちっちゃい子たちが乗ってて そんなのもなんだか楽しいっていう感じでもなかったですねそれもね
まあ時間かかるんですよねもうぐるぐるぐるぐる回ってから あの学校まで行くのでそんなような感じでで何の話だったかと言ってそのスキー
クラブっていうのねあの入ってまぁ あの何回かあのみんなで好きいったりもしましたでその時に1回あの
スノーボードっていうなるものをやってみようみたいなことに何かみんなでなってよしじゃあ スノーボードのレッスン
受けようみたいな感じでやったんですけどまぁ好きだったらもう直角で滑らないと斜面 あのゆるすぎみたいなところでまあこれでもかってくらい
転んではやっぱりこっちとスノーボード全然また違うなぁとあって思いましたでまた これ英語で説明されてて半分わかって半分わかんないみたいなあの感じで
あのやってたっていうのもまあ余計に上達が遅かったのかもしれないですけどまぁなんか そんな思いでもありますなんでもね学校に関しては本当
もうそのくらいっていう感じであの なかなかは楽しかったっていうのはあんまりなかったんですけど本当にね牧場仕事だけは
最高でもう学校なんか行かずにずっと牧場仕事やってたいみたいな感じ くらい好きでしたねもうあの
そのラマとかアルパカの音フンの掃除してこう 寝床綺麗に仕上げてお水とかあげて
でまぁ餌とかもねあげたりこう干し草とかもね あの好きなんですよねあのラマとかもアルパカとかそういうのとか
あと馬の音世話とかも本当好きでしたし牧場で過ごす時間ってもう本当に あの大好きでしたもう冬のむちゃくちゃ寒い時とかも
朝牧場に行ってあの牧場仕事をして で本当の子供だったらこのおじいちゃんおばあちゃんにあたる人も同じ丘に住んでたんで牧場仕事
終わってからそのおじいちゃんおばあちゃんのところに行くとこうあったかい r グレー t とかね出してくれたりしてまぁそれちょっと飲みながら
ですねそれで オクラホマシティ行ったのはもうあの94年になっていたと思うんです
なんである程度の年月をアメリカで過ごしだから少しは英語ができるようになっていたし あとはあの
アルパカそのものの知識もある程度こうついてたりしたのであのオークション会場 に行ってオークションにかかる前にそれぞれ
あの品定めに来るというか見に行くんですよねでその人たちにあのアルパカの説明を してましたねそういえばそういうのは最高に楽しかったですね
結局全部売れましてそのアルパカはでも今度また納品に行くわけですよ そのせそのオクラホマシティで売れてそのままそこで引き渡すってわけじゃなくて
あのいっ 違うな1頭はね引き渡したような気がするんですけど2頭かなんかは
その買った人の牧場のところまで届けに行くっていうことになってそれがね ノースキャロライナ州にあってあのなんで今度はオクラホマから南部の方ずっと
あの車で東海岸の方までずっと行ってでノースキャロライナの牧場に到達し そこで
あの 納品をしてでそのまま牧場していくとずーっとこうバージニアとか通って
ワシントン dc のとこをかすめてですねそこからペンシルバニア州とか入って でニューヨーク州に入って帰ってくるみたいな
そんな旅をしてそれはそれはあの貴重な旅でしたね 南部に行った時にあの生ず食べるんですよね南部の人たちって
ホストファーザーとかになんか映画で見たことあるけどその南部の生ずってやつ やってみよう行ってみようよみたいな感じであの生ず食べに行ったりとか
もうしましたね まあそんなのもいろいろ良い思い出だったなぁなんて思って
振り返って 見てねうん
94年かまああとはニューヨーク市ですかねとにかくすごい高印象に残っているのは これはまあこれまでもポッドキャストで何度もお話
したかなと思うんですけども本当に初めてニューヨークシティに行った時にも衝撃を 受けまくりましたねもうほんと大都市は東京で慣れてると思ったんですけど
全く違いましたねもう街が持っているエネルギーが本当にすごくて まあニューヨークシティはほんと自分にとってあのもう初めて
衝撃を受けてああいう感じの衝撃を受けた街って 他にどこかなって思うと
あのニューヨークみたいなガーンって何かを殴られるみたいなああいう子ガーンっていう 衝撃ではないんですけど
パリはやっぱあすごいなって思いました パリーはなんかほんと街中どこで写真撮っても映えるみたいな
あのそういうなんか 街の
凄さみたいなのは 感じましたけどまぁやっぱりニューヨークシティの衝撃が大きかったかなぁと
思いますというのも自分のホストファザーは あのもともとニューヨークシティのずっと出身なんですよねなんで
そのおじいちゃんおばあちゃんもう元はニューヨークシティなんですでそこからの田舎の 丘にあの移り住んだっていう感じなので
まあいろんなそのルーツがニューヨークシティにあるので よく僕をこうニューヨークシティに連れて行ってくれたんですよで連れて行ってもらうと
あの自分のこのおばさんにあたる人はあのニューヨークシティに住んでいて それこそ本当ジョン・レノンのお家の近くだったんで非常に
あのなんていうかねエリアにあの住んでてすごく文化的なあの場所なんですねでそこ 割とこうイタリア系の人もいてあのオペラのね歌手の人とかそれからすごく有名な
あのティラミスとかをね出す 喫茶店というかカフェがあったんですけど残念ながらあのなくなってしまったんですけどねでもね
そのカフェなくなった時にニューヨークタイムズに記事が出るくらい有名なお店でもう大好きで そこをよく行ってましたもうそこで食べたティラミスの味にも衝撃を受けたし
あのカフェラテみたいなのにジェラートをのせてティラミス食べるみたいなのがもう 最高のご褒美でまあ本当あの
ザイタリアみたいな感じなんでお客さんもそういうこう イタリア系の音なんかこうオペラ歌手みたいな人とか
いわゆるこう文化人っていうんですがそれをまたジョンレノンの家のすぐ近くなんで あのお店にはあのジョンレノンと小野陽子の写真なんかもこう飾ってあったりであのそこの
このテーブルでよく食べてたっていうテーブルがあって僕もあの オノボリさんなのでそのテーブルであの食べたりとか
しましたし まあ夜とかもねあの行って
まあニューヨークシティのまあ知り合いというかそういう人となんかそこでおしゃべりした みたいなのとかもすごくいい思い出に残ってますねでとにかくホストファザーがねあの
ニューヨークシティ出身ということで本当いろんなところ 連れてってくれたしまだあの93年94年ってニューヨークシティが綺麗になるギリギリ前だったんですよね
ジュリアーニっていう市長が誕生してからニューヨークどんどんどんどん綺麗になって治安が良くなってっていう時期があるんですけどそのちょうど直前みたいなのが93年94年だったので
なんかそのちょっとこう映画とかで見る やや治安の悪いニューヨークだけど何でもありみたいなあのそういう雰囲気がまだ残ってる時代
でしたまあなんか地下鉄とかも怖かったですねなんか夜あのとか 衝撃的だったのはなんか地下鉄まあまあな車両の長さがあるのに夜乗る時にはこのエリアで待ち
なさいみたいななんかエリアが決まっていてちょうどその改札で駅員さんがいるところに まあなんか
なんていうか猫囲いがあってそこでこう待ってあの乗るとか まあお金があれば多分タクシーとかに乗るんでしょうけどまぁ当然お金もないので
地下鉄で帰らなきゃみたいな時とかもなかなか夜はドキドキしながら乗ったのも あのいろんな思い出としてあります
それからなんかあのニューヨークヤンキースの試合とかもまあ当時 円が本当に80円とか90円みたいな時代だったので
うんとそんなに激安ってわけではないけどでもまぁ今に比べたらむちゃくちゃその 大リーグの試合とかも安いわけですよね
でもう憧れのニューヨークヤンキースなんでヤンキースタジアムとかね行ったりするんですけど まあここに行くまでの間にちょっとあの
いわゆるこうハーレムみたいな地域を通過していかなきゃいけないんですよねここがまたね 地下鉄で行くんですけどドキドキするエリアで
あの各駅みたいなに乗っちゃうとダメなのでもう主要駅しか止まらない高急行みたいなのに乗って あのもう1個1個の駅はもうすっ飛ばしてそして一気に行こう
ヤンキースタジアムがある駅まで連れて行ってもらうというまあこの地下鉄に 乗らなきゃと思ってこうエクスプレス
見つけて乗って行ったとか まあそれもいい思い出ですねそれからニューヨークにメッツっていうね
野球チームもあってその留学中だったかまぁその後なんかニューヨークシティ入り浸っていたので あの
阪神にいた新城選手がニューヨークメッツに行ったんですよね その試合もあの見に行きましたねであれはあれでまたなんかあの
ちょっと なんて言うんですかねこうよくほらこれも映画で
ラジカセーカーなんかを肩にかけてなんかこう歌いながらこう あの地下鉄を歩いててなんか客の前で歌ってさあ
あのなんかチップくれよみたいな感じの黒人さんとかが あのよく遭遇しましたその地下鉄では来たなぁとかって思いながら
あのありましたけどまぁなんかそんなこう ニューヨークらしいニューヨークっていうかそんな感じもありましたしあとは好きだったのはやっぱり
あのヴィレッジって呼ばれるエリアにブルーノートとかあの ジャズのねジャズクラブジャズバーみたいなのがあってで
大学生になってからだと思うんですけど大学生になってあの国際学生賞っていうのを 取れるんですよねで国際学生賞を持ってると
確か一番最後のブルーノートですけど一番最後の回は1日に2回とか3回とか あの同じアーティストが講演したりするんですけど一番最終回は国際学生賞があると
5ドルだったんですよ 5ドルって90円とかで考えても450円とかあの500円みたいな感じじゃないですか
だけどもう超一流ジャズミュージシャンみたいな人はブルーノートなんでね あのそういうところでやってるわけですよねでこれは
もう大好きだったのであの 行きましたねまあそれもまあちょっと帰りの地下鉄が怖かったんですけどというのはその
ラストなんでちょっと時間なんちだった覚えてないですけど結構夜遅くになるんですよね 終わるとでそっから帰らなきゃいけないので
それこそ本当タクシーで帰れりゃいいのかもしれないけど 公共交通機関であの帰っていきましたのでまあドキドキしながら帰った思いでもあります
まあそんななんか取り留めもないあのアメリカ留学時代のお話だったんですけど あの
何が良かったかなっていうのをまあ今振り返ってみると 1個はやっぱ高校時代に行けたっていうのはすごく良かったですねあの
大学院とか大学とかでその勉強とかはやっぱりアメリカすごく魅力いっぱいあるし学問的な ところでもあのそういう留学もすごくいいと思うんですけど
まあこのポッドキャストの今回の回でも言ったんですけど なんていうか勉強しなくていいっていうかあのもうアメリカの文化を理解すればそれで
ok みたいな留学ってやっぱ高校の時じゃないとなかなかできないかなと思って やっぱ大学で自分でその奨学金取るなりなんなりして行ったり自分でお金その投資して
いくみたいなことになってくると思うちょっと生半可な感じじゃ帰れないので まあやっぱり勉強中心になると思うんですけどもう高校時代なんでのほほんと
いってまああの公立の高校の音授業もちろんその英語的な判例っていうのはあるんです けど
そうじゃなければあのやってる内容とかっていうのは日本の高校のレベルとかから考え たら
そういう中も数学みたいなのとか本当簡単な感じなので何とでもなるんですよね高校の その勉強自体はなんでもうフルに
この なんていうかアメリカのカルチャーを体で入れるみたいなことに集中できたりとか
たまたま僕の場合はそのラマとかアルパカーとか牧場とか大間さんいたとかで見える 他で見えるとこ全部自分の土地みたいな感じだったんであの
ね馬に乗ってよくホストファーザーとそのなんていうか自分の土地をキャンプしに行ったりとか あのしたこともありますしね
そんな経験てやっぱなかなかできなかったり まあこれもオクラホマシティまでアルパカ売りにオークション行ってアルパカ売って納品に
ノースキャロライナまであの行ってアルパカ納品して帰ってくるみたいな経験ってこれちょっと なかなか
できないのですごくそういう意味では高校時代に行ったっていうのは僕はすごく良かったなぁと思います あのまだギリギリ子供でいられるんですよね
なのであの家の中に入っても家のルールにこう従うという感じ になってその子供としてギリギリ扱ってもらえるところだったのでそれもすごく
自分にとっては良かったです そのアメリカのファミリーの一員になりきるみたいなことができたっていうのはそうですね
それとまああのねもちろんニューヨークシティとかいろんな街とか知らない文化とか そういうところに出会えたっていうのも
あの大きなことなんですけどもっと抽象的なところですごく良かったのはやっぱりこう圧倒的な マイノリティ経験をするっていうのはものすごく財産になったなって思います