プラダン花梨
近藤淳也のアンノウンラジオ。
近藤淳也
はい、こんにちは。
プラダン花梨
こんにちは、よろしくお願いします。
近藤淳也
お願いします。
山磨さん
はい、よろしくお願いします。
近藤淳也
今日は、アンノウン京都のコアキングの常連会員さんですかね、のプラダン花梨さんと、
はい、そしてアシスタントに大和義聡一郎さんに来ていただきました。
プラダン花梨
はい、よろしくお願いします。
近藤淳也
お願いします。
もうね、コアキングでは、ほんと1番、2番ぐらいに。
プラダン花梨
そうですね、はい。
そうですかね。
近藤淳也
多分、いらっしゃる時間が長いんじゃないかと思いますけど。
プラダン花梨
多分、朝も2人が結構どっちが早いかみたいな感じですね。
そうですね、そうですよね。
近藤淳也
ついに出ていただきました。
プラダン花梨
はい。
近藤淳也
ありがとうございます。
プラダン花梨
ありがとうございます。
近藤淳也
今日は一応、プラダンさんの言葉を伺うということで、大和義さんは。
山磨さん
僕がアシスタントで。
近藤淳也
アシスタントですね。
山磨さん
よろしくお願いします。
近藤淳也
よろしくお願いします。
はい、じゃあ早速ですけど、プラダンさん、自己紹介をお願いしていいでしょうか。
プラダン花梨
プラダン、カリンと申します。オーストラリア生まれの帰国子女です。
今はコミュニケーションデザインという分野で仕事をしています。
はい。
はい。
近藤淳也
はい、以上ですか。
プラダン花梨
ちょっといつもは長いので、ちょっと簡単に言わせておきます。
近藤淳也
以上ですか。
まあね、順番に伺っていきますけど、ひとまずでもあれですね、山に出らっしゃったんですよね。
プラダン花梨
はい、最近も行ってました。
近藤淳也
八ヶ岳。
はい。
プラダン花梨
どうでしたか。
とても綺麗でした。
そうですね、台風でちょっと天気失敗だったんですけど、でもちょうど台風が収まったせいで、2日間本当にもう快晴に恵まれて。
で、八ヶ岳ブルーに近い、本当にもう本当に。
近藤淳也
八ヶ岳ブルーってやっぱ言ってました。
プラダン花梨
で、やっぱり空が本当に濃い青で綺麗でした。
近藤淳也
なんかね、行かれる前に八ヶ岳ブルーが見えるといいですねって僕言ってたんです。
あれ一般名詞?皆さんやっぱ言ってるんですか。
プラダン花梨
なんかおっしゃってました。
やっぱりそうだな。
で、なんか季節的に冬だけかなと思ったんですけど、でも下山してからもあれ?なんかちょっと青青が違うなっていう感じなので。
そんなに違うんですか。
はい。で、たぶん登った時間もあって、で、結構4時半とかに起きて登って着いたのが7時とかで、で、その時は本当にもう綺麗な青で、もう11時ぐらいにはもうガスってきてたので、やっぱりその時間帯しか見れない青のかなっていうの。
近藤淳也
朝だけ見える青色のことを言うんですか。
プラダン花梨
そう思います、本当に。
近藤淳也
八ヶ岳ブルー。
プラダン花梨
はい。で、冬さも見えました。
えー。
近藤淳也
あ、いいですね。
あれ?台風来たのってもう最近じゃないですか。
はい。
プラダン花梨
その後に?
その前、その前の2日間。
前に登ったんですか。
はい。土日に登って。
近藤淳也
あー。良かったですね。
プラダン花梨
はい、本当に。
近藤淳也
なんかちょっと心配してたんですけど、なんかそろそろ行くところだよなって思ったんですけど。
はい。
あ、じゃあ上手にズレたんですか。
プラダン花梨
はい。もう本当にタイミング良くて。
あー。
で、たぶん台風心配したせいか人もそこまで多くなくて。
はいはいはい。
で、会ったら、あ、なんか晴れて良かったですねみたいな挨拶とかしてました。
近藤淳也
あー良かったですね。
はい。
そうか。だいぶ結構山行かれてますね、最近。
プラダン花梨
そうですね。夏は結構アウトドアが多くて。
はい。
で、最近は山行ったり走ったりが多いですかね。
近藤淳也
うんうんうん。山行ったり走ったり。
プラダン花梨
走ったり。
近藤淳也
サラッと走ったりとか言ってますけど。
はい。
プラダン花梨
そうか。
でもまあ、走るのも好きなんですけど、特に得意ではないんですけど好きなので。
はいはい。
最近はまあ、えっと、まあ前は鴨川走ったりしてたんですけど、最近は山でもちょっと走ったりとかしてて。
へー。
はい。
近藤淳也
すごい。まあトレイルランニングってことでしょ。
プラダン花梨
で、まだ登れないのでトレイルランニングまで行けたら良いなーみたいな感じで走ってます。
近藤淳也
いやいやいやいや。トレイランの人も別に登りほとんど歩いてますからね。
プラダン花梨
そうですか。でも八ヶ手時とか富士山で会った人はみんななんか登りすいすいなんか上がってたので。
近藤淳也
走ってました?
プラダン花梨
走ってました。
近藤淳也
そうですか。それちょっとあのガチ勢なんで、あんまりそれを基準にあの登りも走らないとトレイルランニングじゃないと思わない方が良いですよ。
プラダン花梨
はい。
みんな本当に早かった、でも。
近藤淳也
あ、そうですか。
はい。
でもトレイランモンされて。
プラダン花梨
最近はい、ちょっと結構、はい。
うんうん。
なんか、なんていうかその自分で道を探す感じが好きで。
近藤淳也
うんうんうん。
はい。
してます、はい。
いやーなんかね、いろいろ、はい、あの聞いてみたいこといっぱい。
プラダン花梨
いやー本当にそうですよね。
近藤淳也
どっから行きますかね。
山磨さん
会うたびにね、いろんな話があるので本当に面白い。
嬉しいですよ。
プラダン花梨
そうですよね。
近藤淳也
はい。
まあでもちょっと最初から行きますか。
はい。
ねえ、なんかプラダンさんどうやってこれまで生きてこられたかっていうか。
まああのいろいろですね、あの、そう会うたびに聞く話が、なんかいろんな国に行かれたりとか、まあなんかいろんな国のご経験の話されてて。
はい。
なんていうんですか、だんだんわからなくなってきて。
そうなんですよね。
あれ、出身どこだっけなとか。
あーはい。
なんか、ねえ。
山磨さん
たぶん今聞いてる方はプラダンさんを海外の方だと思ってるんじゃないですか。
プラダン花梨
あ、そうか。
確かに。
山磨さん
あ、そうです。
近藤淳也
確かに。
プラダン花梨
はいはいはい。
ちょっと省略しすぎてちょっと自己紹介。
プラダン花梨
でもえっと、オーストラリアで生まれたんですけど日本人で。
はい。
えっとオーストラリアはわりと短く2年くらいで、その後アラブ首都国連邦のドバイに。
はいはい。
で、その後南米のブラジル。
近藤淳也
あ、ちょっとちょっと待ってください。
ちょっとゆっくり行きましょうか。
はい。
オーストラリア、オーストラリアはどこで生まれてるんですか。
シドニーです。
あ、シドニーで生まれてる。
じゃあ0歳から。
2歳。
2歳までがオーストラリア。
プラダン花梨
はいはい。
近藤淳也
オーストラリアのシドニー。
はい。
プラダン花梨
で、その後ドバイに。
ドバイ。
はい、8年くらいいて。
あー。
近藤淳也
はい。
それは何語ですか。
プラダン花梨
ドバイの学校は英語式の学校だったんですけど、一応アラビア語とフランス語と英語を使ってます。
山磨さん
そうなんだ。
近藤淳也
ちょっと待ってください。
2歳まではオーストラリアなんで、まあ英語ですよね。
はい。
で、それはお父さんのお仕事かな。
はい、そうです。
プラダン花梨
あ、そうなんですね。
近藤淳也
はい。
で、えっと、アラビア語と。
英語とフランス語。
英語とフランス語で育ったんですか。
プラダン花梨
まあ学校はほとんど英語だったんですけど、一応授業、なんか必須科目みたいな感じで、一応アラビア語とフランス語を取ってました。
へー。
近藤淳也
え、じゃあ全部喋れるんですか。
プラダン花梨
いや、アラビア語ほとんど忘れちゃってますね。
この間ドバイ行った時も、なんかまだ読めるんですけど、もう聞き取りがほとんどできなくて。
近藤淳也
へー、あ、でも読めるんですね。
プラダン花梨
はい、たぶん叩き込まれたので、アルファベットだけは。
近藤淳也
あ、それも学校教育として、そのアラビア語を習っていた。
はい。
あー、でも一応ドバイは英語が紅葉語ですか。
プラダン花梨
英語、はい、結構使います。
あ、そうなんですか。
で、はい、英語とアラビア語で、はい。
あ、なるほど、なるほど。
近藤淳也
はい。
じゃあ、そう三角ごまを飲みながら育ったのが小学校ぐらいまでですか。
はい。
山磨さん
なるほど、なるほど。
近藤淳也
ついて行ってます?
山磨さん
いやー、そう、僕もまだある程度聞いているので、今整理してます。
なるほど、こうなって。
プラダン花梨
はい、でもまあ今のドバイの、なんかこの間行って、やっぱりその自分が住んでた頃の何か面影みたいなのあるんですけど、でもその後ギューってなんか成長したので、やっぱり、あー全然違うなーってところもあって。
あーそうですか。
なんか住んでた、あの家があったとことか見に行ったんですけど、まあ相変わらず砂漠のど真ん中。
近藤淳也
え、砂漠のど真ん中に住んでたんですか。
プラダン花梨
はい、なんか車で走ったらもうすぐ高速、すぐ街に出るんですけど、それでもなんかバスとかあんまりなくて、周り砂だけで。
周り砂だけで。
そういうところだけ、犬散歩してたみたいな。
そうだそうだ。
近藤淳也
えー砂漠に住んでたんですか。
プラダン花梨
もうドバイってほんとに砂漠の中で作った人工的な街なので、ほぼ砂漠みたいな、砂みたいな。
近藤淳也
それって水とかどうしてるんですか。
プラダン花梨
水は多分フィルターしても持ってきてって感じで。
近藤淳也
持ってくるっていうのは海水を?
プラダン花梨
海水とか、はい。
近藤淳也
そうなんですか。海水から水を作って、じゃあもう全部人工の水ってことですか。
プラダン花梨
全部人工の水です。
近藤淳也
で、自然の河川っていうのはないんですか。
プラダン花梨
は、ないと思います。
でももうそれでも池とか作って、庭とか作ってるので、もうすごいそこはお金かけてるなと思います。
近藤淳也
あーお金で水を作り、それで池とかを作ってる。
で、じゃあ木も生えてない?
プラダン花梨
でも公園とかって木も生えてますし、なんかほんとに庭とか綺麗に手入れしてる方とかもいるので、
やっぱりそこはお金があれば座ってられちゃう、砂漠でも。
オイルマネーですかね。
近藤淳也
すごいな、そんな環境だったんですか。
それってなんていうんですかね、その散歩とかって危険じゃないんですか。
その、なんか暑くてカラカラに乾いてしまってとか。
プラダン花梨
危険なのかわかんないですけど、慣れてました。真っ暗でした。
近藤淳也
そうなんですか。その砂漠の方にも入って行ったりするんですか。
プラダン花梨
時々車で砂漠の方出て行って、全部外して犬に走らせたりとかしてたんですけど。
山磨さん
犬はね、走り放題っていうか。
プラダン花梨
最高の環境ですね。
近藤淳也
砂は暑いので、もうそこで車の中で回ってるだけ。
じゃあそういうこと、地元の人とかもたまに砂漠入りに入ってる。
じゃあなんていうの、四駆の車とかみんな乗ってるんですか。
プラダン花梨
本当にそういう感じなの。
で、時々ラクダのレーシングとか好きな人は、後ろにラクダを繋いで車で走って、ラクダのトレーニングとか。
近藤淳也
え、ラクダのレーシングって何ですか。
プラダン花梨
ラクダの通り、ラクダをレーシングさせる。
山磨さん
そんなのあるんですか。
近藤淳也
競馬みたいなこと?
プラダン花梨
そんな感じ、はい。
近藤淳也
え、ラクダの競馬みたいな感じ?
競、競、競達?競達?
競達。
プラダン花梨
競達。
近藤淳也
駄ですよね。
山磨さん
駄ですよね。
プラダン花梨
多分そう。
近藤淳也
え、そんなものがあるんですか。
それはギャンブル?
プラダン花梨
ギャンブルっていうか、多分早いラクダを育てたいみたいな、そういうスポーツみたいな。
走るの早いラクダを育てたいみたいな。
近藤淳也
え、見たことない。
山磨さん
そんな早いものある?
近藤淳也
ラクダって走るの?
プラダン花梨
走ります、走ります。
近藤淳也
なんかのんびり歩いてるイメージが。
プラダン花梨
走ると早い。
近藤淳也
早いんですか。
プラダン花梨
はい。だから時々道路でその後ろに、車の後ろにラクダを繋いでる人とかいて、これからトレーニング行くんだなみたいな。
近藤淳也
それもじゃあお金持ちの人が、ちょっとうちのラクダ早くしてやろうみたいな感じで鍛えて。
多分そうです。
プラダン花梨
陽気っていう感じなんですか?
近藤淳也
はい、そうですね。
なんかね、イメージはそういうのあるんですけど、
ほんとにじゃあ街の中でみんな歌ったり踊ったりして、
日常的にしてるってことですか?
プラダン花梨
日常的に、なんかスーパーで好きな曲が流れたら踊っちゃう。
近藤淳也
いいですね。
男性も?
プラダン花梨
はい、なんかフリーな感じで。
近藤淳也
ほんとにそういう感じなんだ。
で、それが結構あってたってことですか?
で、プラダンサーも踊ってたんですか?
プラダン花梨
機械彼は踊ってたかもしれません。
あまり覚えてないですけど。
山磨さん
その時点でプラダンサーはどういう性格になってるんですか?
プラダン花梨
たぶんブラジルは結構性格が変わったっていうか、
みんなに合わせるんじゃなくて、自分はこうでいいんだっていうのを受け入れたというか、
引っ越すたびにやっぱりみんな勉強であっても運動であっても文化であっても、
ほんとにみんな自分のずっと先にいて、
それを越したりとか勝ちたりとか目指したりとかはなかったんですけど、
とにかくそこまでスタートライン、せめてそこまで行って、
みんなと並んでみんなが見えてるもの、みんなができてることをしたいなっていうのが常にあったので、
そこで合わせなきゃっていう気持ちが大きかったと思うんです。
でもそこで自分らしくなくなるのは嫌だなっていうのをいつか感じるようになって、
環境に合わせつつ、自分らしさを守るみたいな、そこのバランスをずっと探してたのが、
近藤淳也
たぶんブラジルで、ほんとに多様性あふれる国みたいなとこで見つかったのかもしれません。
いろんな場所から来る方が集まってる国だし、年齢的にもね、ちょうどそういう自我が生まれていく時期だったらあるんですかね。
プラダン花梨
なるほど。
近藤淳也
ブラジルにじゃあ、10歳だから、
山磨さん
あれ何年までいたんですか。
プラダン花梨
12、13ぐらい行って帰国して、
近藤淳也
12、3年?
はい。
行って、でもまだ中学生とかですか。
プラダン花梨
中学生、はい。
はいはいはい。
その時帰国して横浜に。
近藤淳也
横浜。
北海道じゃないんだ。
プラダン花梨
北海道だからです、横浜に。
近藤淳也
聞き慣れた地名が出てきた。
横浜。
プラダン花梨
横浜でした。
山磨さん
安心する感じになってきましたね。
近藤淳也
日本に。
日本語はしゃべれてたんですか。
プラダン花梨
しゃべれてた。
親とか親戚と使うレベルだったので。
そうですよね。
山磨さん
あっちじゃほとんど使わないですよね。
プラダン花梨
なので、まずなんだろう、クラスメイトの身星を覚えるだけでも大変。
近藤淳也
日本語的な感じでね。
プラダン花梨
トムとかメリナ全然覚えられるけど。
山磨さん
確かにそうなんですね。
プラダン花梨
難しくて。
近藤淳也
その時点で一番得意な言葉っていうか。
やっぱり英語でした。
プラダン花梨
英語だったんですか。
日本語はまだ話せたかな、しゃべれたら。
でもやっぱり読み書きは慣れてなかったので、特に漢字が難しくて。
でも、公立の学校だったんですけど、本当に先生がよくて。
英語の授業は抜けて、国語とか漢字とかを1対1で教えてくれて。
近藤淳也
英語の授業受けたり、教わることがない。
いいですね、英語の時間を使って、じゃあ読み書き。
プラダン花梨
英語の授業、たぶん最初の2ヶ月くらい出たんですけど、
先生が揉めちゃって。
揉めた?
近藤淳也
揉めちゃって。
どうして?
プラダン花梨
日本語がこれだったら英語はこれって教えられたんですけど、
テストとかでその通り書かないと丸遅れないんです。
山磨さん
でも、これでもあってますよねって言うと、いや違うんですよ、教科書ではこれなんですよ。
近藤淳也
先生もやりにくかったような、自分よりネイティブな人がいるっていうのはね。
で、なんでこっちじゃなきゃいけないんですかって言っても答えてくれなかったんで。
日本の教育、日本社会のね。
プラダン花梨
そうですね、そこは仕方ないんですけど、でもちょっと不満があって、たぶん学校側も考えてくれたと思います。
近藤淳也
譲らなかったですね。
プラダン花梨
いいですね。
近藤淳也
なるほど、なんでっていうね。
じゃあ、それで読み書きもなんとか習得し始めて、そこから日本ですか?
プラダン花梨
そこから中学校卒業したタイミングで、どうするかって家族で話してて、
で、また海外行くっていう話もちょっとあったんですけど、
でもせっかく日本語もそこまでのレベルまで習得したので、もう少し言いたいかなって。
でも英語も忘れたくないって気持ちがあったので、そこから北海道のインターに入りました。
近藤淳也
インターナショナルスクール。
プラダン花梨
たぶん日本で一番小さいインターナショナルスクールなんですけど、でも北海道だし、おばあちゃんがまだ向こうに暮らしてたので、
近藤淳也
そこから通えるってことで3年間北海道にいました。
山磨さん
ご両親はまた海外?
プラダン花梨
親は横浜のほうに。
近藤淳也
そうなんですか。もう一人で北海道に行ったってこと?
プラダン花梨
はい。祖母の家に住んで、そこから学校通って。
そうなんですか。横浜とか東京じゃなくて、北海道に一人で行かれたのはどういう理由だったんですか?
やっぱり、小さいクラスが合うなっていうのがあったのと、
プラダン花梨
あと、やっぱり北海道は毎年行ってたんですけど、本当に長く暮らしたことがなかったので、北海道に行きたいっていうのがあって。
近藤淳也
そのふるさとというか、一回は行ってみたいなみたいなことですか。
プラダン花梨
で、たぶん横浜に住むまでは、本当に日本で知ってるのが、たぶん札幌だけだったので、札幌と後ろ、北海道だけだったので、もう少し知りたい、親のルーツみたいな。
親も寒いの苦手なので、感動しちゃったんですけど。
近藤淳也
寒いの苦手なのに、北海道生まれなのに。
そうですか。
プラダン花梨
私が行きました。
それは札幌ですか。
近藤淳也
はい、札幌です。
プラダン花梨
なるほどね。
山磨さん
海外にいた頃から、北海道に毎年帰ってはいたから、横浜に初めてじゃなかったんですか、日本が初めてのタイミングじゃなかったんですか。
プラダン花梨
休みとか結構長く、3週間とか4週間とか来てたんですけど。
山磨さん
初めて日本に来た日とか覚えてるんですか。
プラダン花梨
初めて日本に来た日とか覚えてないですね。
山磨さん
それぐらいちっちゃい頃だったってことですか。
プラダン花梨
はい、たぶん。
近藤淳也
中学校の友達とかは、うまくいきました?
プラダン花梨
なんか逆に、たぶん帰国子供とかいなくて、今はハーフとかそういう子もいるかもしれないですけど、そういう子もいなかったので、逆に珍しかったのか。
他の組とかからも、いろんな人が話しに来てくれて。
近藤淳也
いい意味で目立ったというか、目指しがられたっていう。
プラダン花梨
で、流行りの曲、洋楽の曲とか、ちょっと訳して歌ってとか。
近藤淳也
いいですね。もうみんなから情報がられて、人気者みたいな感じです。
山磨さん
つけ込み方があるんだ。
プラダン花梨
で、英語できるから放送部入って、お昼休みちょっと英語で話してよみたいな、そういうのもあって。
近藤淳也
かっこいい、かっこいい人って感じかな。
なんかあの人、バリバリ英語すごくね、みたいな。
ちょっと聞きに行ってみようぜみたいな。
そういう感じに入ってたんだ。
プラダン花梨
でも隣に座ってた子が、沖縄から来た子だったんですけど、初めてクラスで席が決まって、その時に机を彫ってたんです。
近藤淳也
え?彫刻とかなんですか?
プラダン花梨
彫刻で。
近藤淳也
え?机を?
机を。
プラダン花梨
で、私その何を彫ってるのか読めなくて、それ何の漢字?みたいな、聞いたんです。
そしたらなんか隣の子が、いやちょっとその子怖いから話さない方がいいよって言ったんですけど、ちょっと気になって、ねえねえ教えて何を?って。
で、なんかその後その子は、いわゆるその不良だってことを知ったんですけど、私はなんか普通に話しかけちゃって、仲良くなって、なんかうちに冷やし中華食べに行きたいとかして。
近藤淳也
仲良くなったんだ。
プラダン花梨
仲良くなったんです。
だから多分そういう性格だったので、多分あまり気にせず人と話してる。
山磨さん
誰とでも話してこられる。
近藤淳也
まあでも、なんかある意味不良ってちょっとフリーですからね。
プラダン花梨
なるほどね。
近藤淳也
なんかルールをあんまりこうね、まあ無視するんじゃないけど、その収まらない感じで。
僕も実は中学校の時はそういう人の方が仲良かったです。
山磨さん
そうなんだ。
近藤淳也
なんかあんまり真面目すぎるとなんかしんどいじゃないですか。
プラダン花梨
僕もあの、「なんで制服っているんですか?」って戦ったことがあって。
近藤淳也
中学校で制服をなくそうとしたことがあるってことがあるんですけど。
なんでなんかどっちかっていうとそういう、その枠外の方が楽でいいなって思いましたけど。
あ、そうですか。良かったですね。でもなじめて。
プラダン花梨
良かったです。
近藤淳也
はいはいはい。
プラダン花梨
いじめとかもとくになく。
近藤淳也
スポーツとかはやってました?
プラダン花梨
スポーツは陸上ちょっとやってました。
あ、そうか。
でも部活には美術部に入ってて。
で、なんか委員会とかも結構やってたので。
委員会?
委員会。
あ、委員会?
ごめんなさい、委員会。イントネーションが。
委員会。
図書院、図書院、放送、放送とかそういう委員とか。
結構なんか、なぜか委員会って結構持って、掛け持ちしてて。
はい。
で、なんかもう一つ部活入るのはきついので、なんか陸上はたまに参加するくらいで。
山磨さん
たまに。
近藤淳也
なるほど、なるほど。
はい、で、じゃあ北海道に。
山磨さん
それ高校生から?
高校生が。
プラダン花梨
あ、それは中学校で、高校はアウトドアのリーダーシップチームっていうのが入ってて。
で、そのとき初めてえにわ岳っていう山を登って。
近藤淳也
えにわ岳、はい。
プラダン花梨
で、それが本当になんていうか、やっぱり山好きになった理由かもしれません。
本当に感動して。
近藤淳也
はい。
プラダン花梨
で、なんていうか北海道の山って森林限界が低いせいか、やっぱりそっと登るだけで、わーってなんか広く見えるので。
なんかそれも全然なんかそれまで登ってた山と違うのが一つと。
あとえにわ岳って降りていくときに、しこつこが綺麗に池がわーって見えるんですよね。
で、なんかそこでもう本当に泣きそうになったのを覚えてます。
山ってこんなに美しいな、自然って偉大。
で、そこから結構もう学校だけじゃなくて機会があれば山登り行ったり、いろいろ試したりとかしてました。
近藤淳也
それも一人で。
はい。
そうですか。
すごいな。
近いかも。僕も中学陸上で、高校はワンダーフォーゲルムで山だったんで。
プラダン花梨
そうなんですね。
なんかちょっと。
近藤淳也
親近感が。
プラダン花梨
親近感が湧いてきましたね。
近藤淳也
そうか、インターナショナルスクールっていうのは何ですか?
どういう、なんていうの?
人が来る、どういう高校?
プラダン花梨
そうですね。
結構、私が海外にいたときみたいに、1年とか2年とか短期で日本に来て、
そのとき子供を英語で教育させたいから入れる人もいれば、
日本人だけど、日本語と英語で教育を受けてほしいっていう理由で、
たとえば幼稚園とかからずっと入れてる人もいますし、
結構、いろんな子がいました。
近藤淳也
なるほど。
じゃあ、日本人もいれば外国人もいるって感じなんですね。
はい。
プラダン花梨
なるほど。
あと、ハーフの子も4人くらいいましたね。
近藤淳也
そこはどうでした?面白かったですか?
プラダン花梨
はい。そこもやっぱり、いろんな子がいて、自分らしさ伸ばせたというか。
で、ほんとに小さいクラスで14人しかいなかったので、
ほんとにみんな仲良く、みんな兄弟みたいな感じになって。
で、一緒に海外ボランティア行ったりとかしてたので、もうほんとに一生友達。
ほんとにみんな近くなって。
近藤淳也
すごいな。なんか広いですよね。
山磨さん
広い。
近藤淳也
生まれたときからだいぶ広い感じがするし。
すごいな。
山磨さん
いいですね。幼少期にそうやって多様性というか、いろんな人がいるってことを学べる機会って。
それすごいうらやましいなと思いますね。
近藤淳也
そうですね。
そうですよね。
プラダン花梨
でも、逆に育ったから、自由に生きられない人を見てしまうと、
え、なんで?みたいな。
突っ込んでしまうとかがありません。
もっと自由にしていいのに。
近藤淳也
そんな狭いところにはまってなくてもいいんじゃないの?みたいに思えちゃうってことですか。
プラダン花梨
はい。
近藤淳也
なるほど。
で、その、じゃあ、高校出て、高校行って、その後は。
プラダン花梨
次、大学。
大学はまた東京、関東戻ってきて、国際キースト教大学に入って、そこに4年間いました。
そこはまたもう自由な人ばかりの大学なので。
近藤淳也
なんかね、わりとそういうインターナショナルな感じですよね。
プラダン花梨
多分そういう環境が自分に合ってるなと思います。
近藤淳也
あそこもじゃあ、自分に合ってよかったですか?
プラダン花梨
本当にいろんな大学回ったんですけど、いや、ここ、ここしかないなと思って、そこしか受けなかったです。
近藤淳也
行く前に回ったんですか?いろいろ。
プラダン花梨
回りました。
結構、早稲田とか慶応とかいろいろとか回って。
近藤淳也
回ります?そんな。
山磨さん
いや、回るってどういうこと?
プラダン花梨
見に行ったり、人と話したり、おびん話したりとか。
近藤淳也
すごい。
プラダン花梨
慶応、海外からも大学の人が来て、高校でいろんなセミナーとかして、こういう大学です、みたいな来ませんか?みたいなのあったんですけど。
でも自分はやっぱり、もうしばらく日本にいたいかなと思って、東京の大学結構回って。
なぜ、その時関西見なかったのかわからなかった。
見なかったですね。
でも東京回って、ここだなって決めて、そこ。
近藤淳也
なるほど。大学時代は何してたんですか?
プラダン花梨
大学時代はバイトいっぱいしてました。
バイト。
あと、環境研究サークルに入ってました。
近藤淳也
環境研究サークル。
山磨さん
なんかアクティブでね、動いたりするのが好きなのに、急にそこに。
プラダン花梨
環境研究サークル結構アクティブですよ。
学祭とか、常にゴミの分別のお手伝いしたりとか、あと学祭の食器を全部リユーザブルなものにしようってことで、決まったお皿でそれを常に集めて洗って、また戻してみたいな。
常に重い、こういうカードで食器を運んでみたいな。
近藤淳也
そうなんだ。実際やるのは、その皿洗いですね。
プラダン花梨
なんか準備してる時としてなかった時とあって。
へー。
本当にほぼアドリブの時と変わりました。
すごいですね。
いい?
近藤淳也
そうか。
山磨さん
すごいな。
一人の時は何を喋る、喋ってたんですか?
プラダン花梨
その決まったテーマで、はい。
本当になんかフリートークみたいな感じ。
すごい。
今日はこれについて話します。
近藤淳也
ちょっとやってみてくださいね。
はい。
プラダン花梨
テーマは、テーマ言ってたからね。
近藤淳也
テーマ?
何やろ。
えー、テーマ。
じゃあ最近好きな食べ物について。
プラダン花梨
好きな食べ物、最近好きな食べ物。
そうですね、やっぱり夏は果物が好きなので、
夏の果物、夏の果物好き。
で、食べ方がいろいろあると思うんですけど、
最近ハマってるのは、かき氷の上に果物を乗せる。
で、かき氷って英語でshaved iceって言うんですよね。
削った氷、shaved ice。
なので、そのshaved iceの上にフルーツを乗せて、
shaved ice and fruit。
そういう感じ。
山磨さん
もうずっと聞いてないです。
近藤淳也
じゃあ、言葉を紹介するみたいな感じ。
プラダン花梨
で、時々たまにこういうフレーズを紹介してほしいみたいになるので、
それを組み込まなきゃいけなくて、
そういう時の方がちょっと大変でした。
近藤淳也
あー、そうなんだ。
プラダン花梨
はい。
近藤淳也
じゃあ、ずっと英語で喋ってるというよりは、
基本は日本語でこうやって言うんですよ、みたいな感じ。
プラダン花梨
はい。
なので、高校生でもできるバイトでした。
近藤淳也
いや、でもそれ、高校生使うもんなんですか、ラジオ局も。
プラダン花梨
どうなんでしょうね。
でも、私が、たぶん大学の受験があるので、
ちょっと忙しくなるって時に、
なんか、公認は探してなかったので、
なんか、たまたまやってみようってなったんですかね。
どうなんでしょう。
近藤淳也
そのたまたま、じゃあ、プラダンさんがいたから、
そのコーナーができたっていう。
プラダン花梨
かもしれませんね。
近藤淳也
なんすかそれ、地元のアイドルみたいな感じじゃないですか。
プラダン花梨
はい。
近藤淳也
へー、面白い。
山磨さん
ミスタードーナツのアルバイトも高校生。
プラダン花梨
ミスタードーナツ、はい、それは初めてのバイトで、はい。
なんでそんな詳しいんですか。
山磨さん
僕は、コーヒー会でね、家の話とかね。
近藤淳也
ミスタードーナツのバイトもしてたんですか。
プラダン花梨
ミスタードーナツのバイトが初めてのバイトで、
で、やっぱり接客できるかっていうのがすごい心配で、
すごい緊張してたので、一番覚えてるのが、
たぶんミスタードーナツだと思います。
制服もらって、これから日本語で接客するんだって、
頭から怒られたのが、発音が良すぎる。
近藤淳也
え、発音が良すぎる。
プラダン花梨
そう、ドーナツの発音が良すぎるから、
わかりにくい。
山磨さん
この話好きなんですよね。
近藤淳也
ドーナツの発音が良すぎて、わかりにくいって言って怒られたんですか。
プラダン花梨
で、そのミスドのその時に出てた定番のドーナツのポスターもらって、
家でフレンチクルーラー、オールドファッションみたいな練習してました。
山磨さん
カタカナ。
近藤淳也
そうか、自然に言うとどうなっちゃうんですか。
プラダン花梨
フレンチクルーラー、オールドファッションみたいな。
近藤淳也
確かに、え、なんでってなりますよね。
あ、そうですか。
じゃあ怒られるんだ。
プラダン花梨
怒られてて、ちょっと注意されて、
お客さん聞き取りにくいから、
気をつけてね。
近藤淳也
面白い。
で、フレンチクルーラー。
プラダン花梨
フレンチクルーラーみたいな。
ポンデリング。
近藤淳也
ポンデリング。
プラダン花梨
そう、もう家でポスター見ながら練習してました。
近藤淳也
練習したんですか。
ちょっと変な話ですけどね、なんかそれ。
あそこすっごい発音良くないとか言って、逆になんか人気になりそうですけどね。
あ、そうですか。
山磨さん
おばあちゃんとかが聞き取りにくいんですね。
プラダン花梨
多分そうです。
朝は結構平日の朝、お年寄りが多かったんですよ。
山磨さん
多分そうです。
近藤淳也
そうか、はい。
で、じゃあそのICU。
ICU時代は、その後どうなっていったんですか。
プラダン花梨
ICU時代は国際関係と政治学のダブル専攻だったんですけど。
近藤淳也
国際関係と政治学。
プラダン花梨
国際関係の方がやっぱり興味があって、
で、なんかその道進みたいなって気持ちがあったものの、
なんか開発とか発展とかに興味があったので、
その後、タイに行くことにしました。
山磨さん
あ、そうなんですか。
近藤淳也
何だって。
プラダン花梨
開発発展に興味があるから、タイに行くことにしました。
開発学をちょっと勉強しにタイに行こうと思って。
山磨さん
あ、じゃあ大学を変わるってこと?
プラダン花梨
いや、大学3年ぐらいの時にもう決めて、就職しないで、このままタイに行こうって決めました。
そうなんですね。
近藤淳也
就職しないでタイに行く。
プラダン花梨
大学院、進もうって決めて。
近藤淳也
そういうことですね。
プラダン花梨
で、それから2年間タイに行きました。
近藤淳也
なるほど。
大学院でタイに行かれたんですね。
開発学ってのはどういう学科目ですか。
プラダン花梨
開発学は国が発展していく中で、いろんなエリア、
人類学とか経済学とかそういういろんなとこを見ながら、
どうベスト国は進むべきなのかみたいなことを見る。
で、開発学を勉強するならやっぱり東南アジアとかアフリカかなと思ってて、
でも世はなかなかアフリカに生かしてくれないかなと思って、
で、たまたま私の本当にお世話になってた先生が、
知り合いがそのタイの大学院にいて、
で、ちょっと遊びに来たらってことで夏休み向こうに行ってみたら、
日本人他にいない、本当に面白い大学院で、
いや、ここは好きそう。
近藤淳也
そこがポジティブなんですね。
日本人誰もいなくて面白そうってなるんですね。
山磨さん
いいですね。
近藤淳也
国の発展、植民地的なことではない?
プラダン花梨
ではなくて、本当に国が発展して成長して、
経済的にも文化的にも変わっていく中で、
そのどうベスト進むべきか。
人のためにも国のためにも環境のためにもっていう考えるところで、
で、結構その勉強の中で国際関係は文系だったんですけど、
その大学院は理系に入ってて、
結構データ分析したり、プログラム使って、
パターンを探したりとかそういうのをしてて。
なるほど。
近藤淳也
でも元々アジアとかアフリカって植民地が多かったじゃないですか。
それ独立してどう発展させていけばいいかみたいなことってこと?
プラダン花梨
そう、いろんなレベルの進んでる国と比較して、
例えばこの国はここまで来てるけど、
でも環境的にはこういう問題を抱えてるよねみたいなのを比べていて、
例えばタイにいたので、タイは発展してて経済も伸びてるけど、
やっぱりこういうところまだいろいろ問題があるよねみたいな。
ここはどうしていったらいいのかなみたいな。
そういうのを考えて、プログラムを考えたり、
実際やってるプログラムを参加して、
こういうことされてるんだって見に行ったりとか。
近藤淳也
だいぶ幅広いですね。テーマが大きいですね。
テーマが大きい。
国をどうしていくかっていう感じですね。
プラダン花梨
でもタイの経験は本当に良くて、そういう勉強してたんですけど、
大学院は、たまたま私が入る前に洪水があっちゃって。
近藤淳也
これはちなみにどの町に行ったんですか?
プラダン花梨
これはバンコクのちょっと北にあるとこだったんですけど、
バンコクから車で30分くらいとか。
でもちょっと洪水があっちゃって、
近藤淳也
私が入るはずの料とかが全部使えなくなっちゃったんです。
プラダン花梨
入学2週間前くらいに行って、
先生とか挨拶して、
ここでの生活を始めに準備しようかなと思ったら、
その料が入れなくて、
フリーホーの料にちょっとしばらくいてくださいってなったら、
エアコンがなくて、
シャワー入ろうとしても蛇口を回すと、
黒い水しか見えなくて。
うわー、嫌だ。
ドアとか壁にも隙間があって、
いろんな生き物が出て、
自由に飛び出してて、
で、ここで暮らすんだみたいな。
近藤淳也
すごいな、また。
そうですか。
でもそこが面白いなと思って行ったんです。
プラダン花梨
面白いと思って。
近藤淳也
これ、タイは英語でしゃべれる?
タイ語です。
タイ語ですか。
山磨さん
また新しい言葉、新しい言語が出てきますね。
近藤淳也
それをどうしたんですか?
プラダン花梨
それは勉強しました。
近藤淳也
なんですか、もう、
普段の人にとっては言葉1個覚えるのはそんな苦じゃないっていう。
プラダン花梨
言葉をもともと好きで、
で、なんか苦じゃないって言うと嘘なんですけど、
でも、なんか似てるとこを探すのが好きで、
で、似てないとこも、
なんか、あ、ここが違うんだみたいな。