1. 近藤淳也のアンノウンラジオ
  2. #35 海外3ヶ国で育ち、今でも..

オーストラリア、ドバイ、ブラジルで幼少期を過ごしたプラダンさんに、自分らしさ、あえて言葉の通じない場所に行く理由、ネパールでの結婚式の話を伺いました。

ゲスト:プラダン花梨さん(UNKNOWN KYOTOコワーキング会員)

サブゲスト:山磨さん(UNKNOWN KYOTOコワーキング会員)


【ホスト】

近藤淳也

株式会社OND代表取締役社長、株式会社はてな取締役、UNKNOWN KYOTO支配人、NPO法人滋賀一周トレイル代表理事。トレイルランナー。ときどきカメラマン。

2001年に「はてなブログ」「はてなブックマーク」などを運営する株式会社はてなを創業、2011年にマザーズにて上場。その後2017年に株式会社ONDを設立し、現在もITの第一線で働く。

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【UNKNOWN KYOTOについて】

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Summary

アンノウンラジオの35回目のエピソードでは、プラダン花梨さんをゲストとして迎え、彼女が育った異なる国での経験や話を聞いています。プラダンさんはオーストラリア、ドバイ、ブラジルで育ち、特に砂漠の中での生活やラクダのレースなどのエキゾチックな経験を語ってくれます。海外3ヶ国で育ったプラダン花梨さんは、ブラジルでの生活で多様性や自分らしさを受け入れることを学びました。その後、日本での学校教育に不満を感じ、インターナショナルスクールに通いながら北海道で暮らしています。北海道、横浜、日本、海外、外国人、マルチリンガル、ラジオの話題について、海外3ヶ国で育ちながらも、なお言葉の通じない場所に行く理由について話します。タイ語が通じることに喜びを感じ、言葉の通じない場所を求めるため、プラダン花梨さんは海外旅行も英語が通じない場所に行くことを好みます。彼女はタイに行き、ラグビーチームにも参加し、さまざまな経験を積んできました。自分は、なんかこの経験を活かして何ができるんだろうって、やっぱりコミュニケーションが好きだな、人と話したり、なんか物を伝えるっていうのが好きだなっていうのと、そして友達がたまたま今の会社を紹介してくれました。京都へ初めて訪れたプラダンさんは、その風景や歴史を感じることが好きで、大学に入っても時々京都に行きたいと思っています。そしてネパール出身の夫と出会い、ネパールと日本の両国で結婚式を挙げることになりました。彼の結婚式はプランが豪華で、自由な雰囲気のある式でした。彼はアンノーンが好きな理由として、常連の人々との交流や自由な雰囲気を挙げました。また、彼は今後もコミュニケーションデザインの仕事を続けたいと話しています。北海道弁での「あずましい」という言葉がプラダンさんにとって幸せとなり、自分がいるべき場所にいることを感じる時が本当の幸せだと話します。その言葉についても山時さんと共有します。

Table of Contents

プラダン花梨さんの異国での育ち
プラダン花梨
近藤淳也のアンノウンラジオ。
近藤淳也
はい、こんにちは。
プラダン花梨
こんにちは、よろしくお願いします。
近藤淳也
お願いします。
山磨さん
はい、よろしくお願いします。
近藤淳也
今日は、アンノウン京都のコアキングの常連会員さんですかね、のプラダン花梨さんと、
はい、そしてアシスタントに大和義聡一郎さんに来ていただきました。
プラダン花梨
はい、よろしくお願いします。
近藤淳也
お願いします。
もうね、コアキングでは、ほんと1番、2番ぐらいに。
プラダン花梨
そうですね、はい。
そうですかね。
近藤淳也
多分、いらっしゃる時間が長いんじゃないかと思いますけど。
プラダン花梨
多分、朝も2人が結構どっちが早いかみたいな感じですね。
そうですね、そうですよね。
近藤淳也
ついに出ていただきました。
プラダン花梨
はい。
近藤淳也
ありがとうございます。
プラダン花梨
ありがとうございます。
近藤淳也
今日は一応、プラダンさんの言葉を伺うということで、大和義さんは。
山磨さん
僕がアシスタントで。
近藤淳也
アシスタントですね。
山磨さん
よろしくお願いします。
近藤淳也
よろしくお願いします。
はい、じゃあ早速ですけど、プラダンさん、自己紹介をお願いしていいでしょうか。
プラダン花梨
プラダン、カリンと申します。オーストラリア生まれの帰国子女です。
今はコミュニケーションデザインという分野で仕事をしています。
はい。
はい。
近藤淳也
はい、以上ですか。
プラダン花梨
ちょっといつもは長いので、ちょっと簡単に言わせておきます。
近藤淳也
以上ですか。
まあね、順番に伺っていきますけど、ひとまずでもあれですね、山に出らっしゃったんですよね。
プラダン花梨
はい、最近も行ってました。
近藤淳也
八ヶ岳。
はい。
プラダン花梨
どうでしたか。
とても綺麗でした。
そうですね、台風でちょっと天気失敗だったんですけど、でもちょうど台風が収まったせいで、2日間本当にもう快晴に恵まれて。
で、八ヶ岳ブルーに近い、本当にもう本当に。
近藤淳也
八ヶ岳ブルーってやっぱ言ってました。
プラダン花梨
で、やっぱり空が本当に濃い青で綺麗でした。
近藤淳也
なんかね、行かれる前に八ヶ岳ブルーが見えるといいですねって僕言ってたんです。
あれ一般名詞?皆さんやっぱ言ってるんですか。
プラダン花梨
なんかおっしゃってました。
やっぱりそうだな。
で、なんか季節的に冬だけかなと思ったんですけど、でも下山してからもあれ?なんかちょっと青青が違うなっていう感じなので。
そんなに違うんですか。
はい。で、たぶん登った時間もあって、で、結構4時半とかに起きて登って着いたのが7時とかで、で、その時は本当にもう綺麗な青で、もう11時ぐらいにはもうガスってきてたので、やっぱりその時間帯しか見れない青のかなっていうの。
近藤淳也
朝だけ見える青色のことを言うんですか。
プラダン花梨
そう思います、本当に。
近藤淳也
八ヶ岳ブルー。
プラダン花梨
はい。で、冬さも見えました。
えー。
近藤淳也
あ、いいですね。
あれ?台風来たのってもう最近じゃないですか。
はい。
プラダン花梨
その後に?
その前、その前の2日間。
前に登ったんですか。
はい。土日に登って。
近藤淳也
あー。良かったですね。
プラダン花梨
はい、本当に。
近藤淳也
なんかちょっと心配してたんですけど、なんかそろそろ行くところだよなって思ったんですけど。
はい。
あ、じゃあ上手にズレたんですか。
プラダン花梨
はい。もう本当にタイミング良くて。
あー。
で、たぶん台風心配したせいか人もそこまで多くなくて。
はいはいはい。
で、会ったら、あ、なんか晴れて良かったですねみたいな挨拶とかしてました。
近藤淳也
あー良かったですね。
はい。
そうか。だいぶ結構山行かれてますね、最近。
プラダン花梨
そうですね。夏は結構アウトドアが多くて。
はい。
で、最近は山行ったり走ったりが多いですかね。
近藤淳也
うんうんうん。山行ったり走ったり。
プラダン花梨
走ったり。
近藤淳也
サラッと走ったりとか言ってますけど。
はい。
プラダン花梨
そうか。
でもまあ、走るのも好きなんですけど、特に得意ではないんですけど好きなので。
はいはい。
最近はまあ、えっと、まあ前は鴨川走ったりしてたんですけど、最近は山でもちょっと走ったりとかしてて。
へー。
はい。
近藤淳也
すごい。まあトレイルランニングってことでしょ。
プラダン花梨
で、まだ登れないのでトレイルランニングまで行けたら良いなーみたいな感じで走ってます。
近藤淳也
いやいやいやいや。トレイランの人も別に登りほとんど歩いてますからね。
プラダン花梨
そうですか。でも八ヶ手時とか富士山で会った人はみんななんか登りすいすいなんか上がってたので。
近藤淳也
走ってました?
プラダン花梨
走ってました。
近藤淳也
そうですか。それちょっとあのガチ勢なんで、あんまりそれを基準にあの登りも走らないとトレイルランニングじゃないと思わない方が良いですよ。
プラダン花梨
はい。
みんな本当に早かった、でも。
近藤淳也
あ、そうですか。
はい。
でもトレイランモンされて。
プラダン花梨
最近はい、ちょっと結構、はい。
うんうん。
なんか、なんていうかその自分で道を探す感じが好きで。
近藤淳也
うんうんうん。
はい。
してます、はい。
いやーなんかね、いろいろ、はい、あの聞いてみたいこといっぱい。
プラダン花梨
いやー本当にそうですよね。
近藤淳也
どっから行きますかね。
山磨さん
会うたびにね、いろんな話があるので本当に面白い。
嬉しいですよ。
プラダン花梨
そうですよね。
近藤淳也
はい。
まあでもちょっと最初から行きますか。
はい。
ねえ、なんかプラダンさんどうやってこれまで生きてこられたかっていうか。
まああのいろいろですね、あの、そう会うたびに聞く話が、なんかいろんな国に行かれたりとか、まあなんかいろんな国のご経験の話されてて。
はい。
なんていうんですか、だんだんわからなくなってきて。
そうなんですよね。
あれ、出身どこだっけなとか。
あーはい。
なんか、ねえ。
山磨さん
たぶん今聞いてる方はプラダンさんを海外の方だと思ってるんじゃないですか。
プラダン花梨
あ、そうか。
確かに。
山磨さん
あ、そうです。
近藤淳也
確かに。
プラダン花梨
はいはいはい。
ちょっと省略しすぎてちょっと自己紹介。
砂漠での生活とラクダのレース
プラダン花梨
でもえっと、オーストラリアで生まれたんですけど日本人で。
はい。
えっとオーストラリアはわりと短く2年くらいで、その後アラブ首都国連邦のドバイに。
はいはい。
で、その後南米のブラジル。
近藤淳也
あ、ちょっとちょっと待ってください。
ちょっとゆっくり行きましょうか。
はい。
オーストラリア、オーストラリアはどこで生まれてるんですか。
シドニーです。
あ、シドニーで生まれてる。
じゃあ0歳から。
2歳。
2歳までがオーストラリア。
プラダン花梨
はいはい。
近藤淳也
オーストラリアのシドニー。
はい。
プラダン花梨
で、その後ドバイに。
ドバイ。
はい、8年くらいいて。
あー。
近藤淳也
はい。
それは何語ですか。
プラダン花梨
ドバイの学校は英語式の学校だったんですけど、一応アラビア語とフランス語と英語を使ってます。
山磨さん
そうなんだ。
近藤淳也
ちょっと待ってください。
2歳まではオーストラリアなんで、まあ英語ですよね。
はい。
で、それはお父さんのお仕事かな。
はい、そうです。
プラダン花梨
あ、そうなんですね。
近藤淳也
はい。
で、えっと、アラビア語と。
英語とフランス語。
英語とフランス語で育ったんですか。
プラダン花梨
まあ学校はほとんど英語だったんですけど、一応授業、なんか必須科目みたいな感じで、一応アラビア語とフランス語を取ってました。
へー。
近藤淳也
え、じゃあ全部喋れるんですか。
プラダン花梨
いや、アラビア語ほとんど忘れちゃってますね。
この間ドバイ行った時も、なんかまだ読めるんですけど、もう聞き取りがほとんどできなくて。
近藤淳也
へー、あ、でも読めるんですね。
プラダン花梨
はい、たぶん叩き込まれたので、アルファベットだけは。
近藤淳也
あ、それも学校教育として、そのアラビア語を習っていた。
はい。
あー、でも一応ドバイは英語が紅葉語ですか。
プラダン花梨
英語、はい、結構使います。
あ、そうなんですか。
で、はい、英語とアラビア語で、はい。
あ、なるほど、なるほど。
近藤淳也
はい。
じゃあ、そう三角ごまを飲みながら育ったのが小学校ぐらいまでですか。
はい。
山磨さん
なるほど、なるほど。
近藤淳也
ついて行ってます?
山磨さん
いやー、そう、僕もまだある程度聞いているので、今整理してます。
なるほど、こうなって。
プラダン花梨
はい、でもまあ今のドバイの、なんかこの間行って、やっぱりその自分が住んでた頃の何か面影みたいなのあるんですけど、でもその後ギューってなんか成長したので、やっぱり、あー全然違うなーってところもあって。
あーそうですか。
なんか住んでた、あの家があったとことか見に行ったんですけど、まあ相変わらず砂漠のど真ん中。
近藤淳也
え、砂漠のど真ん中に住んでたんですか。
プラダン花梨
はい、なんか車で走ったらもうすぐ高速、すぐ街に出るんですけど、それでもなんかバスとかあんまりなくて、周り砂だけで。
周り砂だけで。
そういうところだけ、犬散歩してたみたいな。
そうだそうだ。
近藤淳也
えー砂漠に住んでたんですか。
プラダン花梨
もうドバイってほんとに砂漠の中で作った人工的な街なので、ほぼ砂漠みたいな、砂みたいな。
近藤淳也
それって水とかどうしてるんですか。
プラダン花梨
水は多分フィルターしても持ってきてって感じで。
近藤淳也
持ってくるっていうのは海水を?
プラダン花梨
海水とか、はい。
近藤淳也
そうなんですか。海水から水を作って、じゃあもう全部人工の水ってことですか。
プラダン花梨
全部人工の水です。
近藤淳也
で、自然の河川っていうのはないんですか。
プラダン花梨
は、ないと思います。
でももうそれでも池とか作って、庭とか作ってるので、もうすごいそこはお金かけてるなと思います。
近藤淳也
あーお金で水を作り、それで池とかを作ってる。
で、じゃあ木も生えてない?
プラダン花梨
でも公園とかって木も生えてますし、なんかほんとに庭とか綺麗に手入れしてる方とかもいるので、
やっぱりそこはお金があれば座ってられちゃう、砂漠でも。
オイルマネーですかね。
近藤淳也
すごいな、そんな環境だったんですか。
それってなんていうんですかね、その散歩とかって危険じゃないんですか。
その、なんか暑くてカラカラに乾いてしまってとか。
プラダン花梨
危険なのかわかんないですけど、慣れてました。真っ暗でした。
近藤淳也
そうなんですか。その砂漠の方にも入って行ったりするんですか。
プラダン花梨
時々車で砂漠の方出て行って、全部外して犬に走らせたりとかしてたんですけど。
山磨さん
犬はね、走り放題っていうか。
プラダン花梨
最高の環境ですね。
近藤淳也
砂は暑いので、もうそこで車の中で回ってるだけ。
じゃあそういうこと、地元の人とかもたまに砂漠入りに入ってる。
じゃあなんていうの、四駆の車とかみんな乗ってるんですか。
プラダン花梨
本当にそういう感じなの。
で、時々ラクダのレーシングとか好きな人は、後ろにラクダを繋いで車で走って、ラクダのトレーニングとか。
近藤淳也
え、ラクダのレーシングって何ですか。
プラダン花梨
ラクダの通り、ラクダをレーシングさせる。
山磨さん
そんなのあるんですか。
近藤淳也
競馬みたいなこと?
プラダン花梨
そんな感じ、はい。
近藤淳也
え、ラクダの競馬みたいな感じ?
競、競、競達?競達?
競達。
プラダン花梨
競達。
近藤淳也
駄ですよね。
山磨さん
駄ですよね。
プラダン花梨
多分そう。
近藤淳也
え、そんなものがあるんですか。
それはギャンブル?
プラダン花梨
ギャンブルっていうか、多分早いラクダを育てたいみたいな、そういうスポーツみたいな。
走るの早いラクダを育てたいみたいな。
近藤淳也
え、見たことない。
山磨さん
そんな早いものある?
近藤淳也
ラクダって走るの?
プラダン花梨
走ります、走ります。
近藤淳也
なんかのんびり歩いてるイメージが。
プラダン花梨
走ると早い。
近藤淳也
早いんですか。
プラダン花梨
はい。だから時々道路でその後ろに、車の後ろにラクダを繋いでる人とかいて、これからトレーニング行くんだなみたいな。
近藤淳也
それもじゃあお金持ちの人が、ちょっとうちのラクダ早くしてやろうみたいな感じで鍛えて。
多分そうです。
海外での幼少期
近藤淳也
ベースに出そうみたいなスポーツ、スポーツって言うのかな、遊びがある。
プラダン花梨
多分そうですね、遊びの方が効かせる。
山磨さん
それってドバイ発祥なんですかね。
プラダン花梨
どうなんでしょうね、多分私ドバイしか見てないんですけど。
あ、そうなんですか。
山磨さん
初めて聞きました。
近藤淳也
ほんとですね、いや面白いな。
それがじゃあ、何、8歳?
もう10歳。
山磨さん
10歳。
近藤淳也
8年間で10歳。
10歳まで行きました。
プラダン花梨
10歳まで行きました、はい。
そこからブラジルへ行きました。
近藤淳也
あ、ブラジル。
山磨さん
そうか。
近藤淳也
もう大陸変わってますからね。
山磨さん
そうですね。
10歳にしてて。
プラダン花梨
まだ日本じゃないんですね。
ブラジルに行きました。
近藤淳也
それも転勤。
プラダン花梨
それもまた転勤で3年くらい行って、そこから帰国しました。
近藤淳也
何のお仕事なんですか。
プラダン花梨
お父さん。
近藤淳也
国が変わるお仕事って。
だいぶ世界を踏み込んでて活躍されてますよね。
プラダン花梨
でもそれでも、父はもう本当に毎月いろんな国行くくらい、いろんな国で仕事してて。
多分、もっと引っ越したかもしれないみたいな感じでした。
近藤淳也
そうか。
ちょっと短いから、これは自分だけで行くよみたいなのが、その間にもっとあるってことですか。
山磨さん
なるほど。
プラダン花梨
でも一応オーディオ関係の会社で、その車のオーディオシステムの仕事をしてたので、
いろんな国の車を作ったり、車をデザインしたりとか、そこで結構行かなきゃいけなくて。
近藤淳也
そっちでしたか。
意外とメーカーさんだった。
外交的なこととか、オイル系とか、資源系かなとか、いろいろ思いました。
プラダン花梨
オーディオですか?
オーディオです。バリバリなエンジニアです。
近藤淳也
そうなんですか。
で、お父さんは日本人ですか。
プラダン花梨
日本人です。親は二人とも北海道出身なので。
お二人とも日本人なんですか。
はい。なので、心跡参考です。
近藤淳也
そうなんですか。じゃあ、プラダンさんって名前は。
プラダン花梨
結婚して変わって、もともと生の。
近藤淳也
あれ、ちょっと待って、プラダンさんが新しい苗字でプラダンさんになったって。
じゃあ、普通の日本人の名前だったってことですね。
プラダン花梨
はい、そうです。もともと生のカリンって普通の日本人の名前です。
山磨さん
そうなんですか。
近藤淳也
そうか。そりゃそうか。
山磨さん
それはそうですね。
近藤淳也
ずっとプラダンさんって言ってたんで。
山磨さん
僕も出会った時からプラダンさんって。
近藤淳也
ね、生まれた時からそういう名前だったイメージとして。
じゃあ、普通に生のカリンさんっていう名前なんですよ、もともと。
山磨さん
カリンも何かね、海外っぽいっていうか。
プラダン花梨
そうです、多分オーストラリアで生まれたので、親がどっちでも使える名前ってことで。
英語だとキャリンって呼ばれるんですけど。
キャリン、キャリン、キャリン。
近藤淳也
やっぱり発音がね。
もうアンノウでね、外国人の方来て意味がわからなくなると、
プラダンさん、ちょっとプラダンさん、通訳してくださいって言って。
いつもお願いしてね、お世話になってますけど。
そうか、じゃあブラジル、次はいって。
プラダン花梨
ブラジルはサンパウロ。
近藤淳也
ブラジルはサンパウロですか。それどうでした?
プラダン花梨
サンパウロ本当に楽しかったです。
結構、行く前は危険な国だよって、
特にサンパウロとかリオは危険だよ、危ないよって言われたんですけど、
本当に人は優しいし、明るいし、
気候とかもバイト前に比べたらもう全然。
雨が降りますよね。
ブラジルでの学び
プラダン花梨
で、一応、また英式の学校でクラスメイトが誘拐されたとか色々あったんですけど、
ちょっとやばい、まあ危険な部分は危険なんですけど、
でもそれでも本当にいい学校で、近所の人とかにも本当に優しい人ばかり恵まれて、
とてもいい経験があった。
山磨さん
本当ですか?なんか有意識自体起こってませんでした?
プラダン花梨
はい。
山磨さん
誘拐?
プラダン花梨
誘拐。
近藤淳也
はい。
こうやって来たんですか?
プラダン花梨
クラスメイトの子が、スーパーマーケットのチェーンの社長さんの息子さんで、
で、ある日帰宅中に誘拐されちゃって、
で、なんか次の日、朝アナウンスがあって、
その春村君が誘拐されちゃいました。
みんな祈りましょうみたいな。
祈りましょう?
近藤淳也
祈りましょうですか?
プラダン花梨
祈りましょうみたいな。
で、その3日間くらいみんな朝、その子が無事に帰ってくるみたいな、祈ってたんですけど、
でも、あんまりみんな心配しなくて、
多分その親がお金出せば無事に帰ってくるだろうみたいな、みんな知ってたので。
じゃあよくあることみたいな感じってことですか?
みんなだいぶ落ち着いてて、私はもう親に男の子が誘拐されたいみたいな、
自分スクールバスだけど大丈夫なの?セキュリティー的?みたいな感じだったんですけど。
近藤淳也
まあ身の汁金払えば帰ってくるんだろうみたいな風にみんな思ってるじゃないですか。
あるんだ、現実に。
それはなかなかカルチャーギャップがありますね、日本にいると。
プラダン花梨
でも、本当にそういうルールではないんですけどありまして、
お財布とかも2つ持ってて、実際使うのとちょっとお金入ってるので、
誰かに財布渡せって言われたら、そのちょっとだけお金あったのを渡す。
向こうも2つ持ってると知ってるけど、実際使ってるのを取らないみたいな。
そういうのがあるらしい。
一応そういう礼儀、マナーみたいな。
近藤淳也
そうなんですか?
プラダン花梨
そういうのはいろいろ聞いて、
山磨さん
なぜかわからないですけど、でもまあそういうルールがあって。
近藤淳也
親子共鳴みたいな。
山磨さん
確かに。
近藤淳也
すごいな。
聞いてると、やっぱ治安は日本に比べるとだいぶ悪いようにも感じますけど、
話が上回ってたってことですか?
はい。
どういうところがよかったんですか?
プラダン花梨
やっぱり、またブラジルに行って、ポルトガル語だったので、
近藤淳也
次はね。
次はポルトガル語。
そうですよね。
プラダン花梨
で、また新しい言葉を学ばなきゃいけなくて、
でも、母は積極的に結構市場とか一緒に連れてったりして、
話す練習、聞く練習みたいにしてて。
で、そういうときにやっぱり、
ブラジルってほんといろんな民族の人がいて、
日系の人もいますし、アフリカから来た人もいますし、
そういう中でいろんな人が楽しく話してて、
買い物してて、歌ったり踊ったりしてるのが、
ほんとに見るだけで楽しくなる。
歩いてるだけで、嬉しくなっちゃうみたいな。
そういう街だったので。
日本での学校教育
プラダン花梨
陽気っていう感じなんですか?
近藤淳也
はい、そうですね。
なんかね、イメージはそういうのあるんですけど、
ほんとにじゃあ街の中でみんな歌ったり踊ったりして、
日常的にしてるってことですか?
プラダン花梨
日常的に、なんかスーパーで好きな曲が流れたら踊っちゃう。
近藤淳也
いいですね。
男性も?
プラダン花梨
はい、なんかフリーな感じで。
近藤淳也
ほんとにそういう感じなんだ。
で、それが結構あってたってことですか?
で、プラダンサーも踊ってたんですか?
プラダン花梨
機械彼は踊ってたかもしれません。
あまり覚えてないですけど。
山磨さん
その時点でプラダンサーはどういう性格になってるんですか?
プラダン花梨
たぶんブラジルは結構性格が変わったっていうか、
みんなに合わせるんじゃなくて、自分はこうでいいんだっていうのを受け入れたというか、
引っ越すたびにやっぱりみんな勉強であっても運動であっても文化であっても、
ほんとにみんな自分のずっと先にいて、
それを越したりとか勝ちたりとか目指したりとかはなかったんですけど、
とにかくそこまでスタートライン、せめてそこまで行って、
みんなと並んでみんなが見えてるもの、みんなができてることをしたいなっていうのが常にあったので、
そこで合わせなきゃっていう気持ちが大きかったと思うんです。
でもそこで自分らしくなくなるのは嫌だなっていうのをいつか感じるようになって、
環境に合わせつつ、自分らしさを守るみたいな、そこのバランスをずっと探してたのが、
近藤淳也
たぶんブラジルで、ほんとに多様性あふれる国みたいなとこで見つかったのかもしれません。
いろんな場所から来る方が集まってる国だし、年齢的にもね、ちょうどそういう自我が生まれていく時期だったらあるんですかね。
プラダン花梨
なるほど。
近藤淳也
ブラジルにじゃあ、10歳だから、
山磨さん
あれ何年までいたんですか。
プラダン花梨
12、13ぐらい行って帰国して、
近藤淳也
12、3年?
はい。
行って、でもまだ中学生とかですか。
プラダン花梨
中学生、はい。
はいはいはい。
その時帰国して横浜に。
近藤淳也
横浜。
北海道じゃないんだ。
プラダン花梨
北海道だからです、横浜に。
近藤淳也
聞き慣れた地名が出てきた。
横浜。
プラダン花梨
横浜でした。
山磨さん
安心する感じになってきましたね。
近藤淳也
日本に。
日本語はしゃべれてたんですか。
プラダン花梨
しゃべれてた。
親とか親戚と使うレベルだったので。
そうですよね。
山磨さん
あっちじゃほとんど使わないですよね。
プラダン花梨
なので、まずなんだろう、クラスメイトの身星を覚えるだけでも大変。
近藤淳也
日本語的な感じでね。
プラダン花梨
トムとかメリナ全然覚えられるけど。
山磨さん
確かにそうなんですね。
プラダン花梨
難しくて。
近藤淳也
その時点で一番得意な言葉っていうか。
やっぱり英語でした。
プラダン花梨
英語だったんですか。
日本語はまだ話せたかな、しゃべれたら。
でもやっぱり読み書きは慣れてなかったので、特に漢字が難しくて。
でも、公立の学校だったんですけど、本当に先生がよくて。
英語の授業は抜けて、国語とか漢字とかを1対1で教えてくれて。
近藤淳也
英語の授業受けたり、教わることがない。
いいですね、英語の時間を使って、じゃあ読み書き。
プラダン花梨
英語の授業、たぶん最初の2ヶ月くらい出たんですけど、
先生が揉めちゃって。
揉めた?
近藤淳也
揉めちゃって。
どうして?
プラダン花梨
日本語がこれだったら英語はこれって教えられたんですけど、
テストとかでその通り書かないと丸遅れないんです。
山磨さん
でも、これでもあってますよねって言うと、いや違うんですよ、教科書ではこれなんですよ。
近藤淳也
先生もやりにくかったような、自分よりネイティブな人がいるっていうのはね。
で、なんでこっちじゃなきゃいけないんですかって言っても答えてくれなかったんで。
日本の教育、日本社会のね。
プラダン花梨
そうですね、そこは仕方ないんですけど、でもちょっと不満があって、たぶん学校側も考えてくれたと思います。
近藤淳也
譲らなかったですね。
プラダン花梨
いいですね。
近藤淳也
なるほど、なんでっていうね。
じゃあ、それで読み書きもなんとか習得し始めて、そこから日本ですか?
プラダン花梨
そこから中学校卒業したタイミングで、どうするかって家族で話してて、
で、また海外行くっていう話もちょっとあったんですけど、
でもせっかく日本語もそこまでのレベルまで習得したので、もう少し言いたいかなって。
でも英語も忘れたくないって気持ちがあったので、そこから北海道のインターに入りました。
近藤淳也
インターナショナルスクール。
プラダン花梨
たぶん日本で一番小さいインターナショナルスクールなんですけど、でも北海道だし、おばあちゃんがまだ向こうに暮らしてたので、
近藤淳也
そこから通えるってことで3年間北海道にいました。
山磨さん
ご両親はまた海外?
プラダン花梨
親は横浜のほうに。
近藤淳也
そうなんですか。もう一人で北海道に行ったってこと?
プラダン花梨
はい。祖母の家に住んで、そこから学校通って。
そうなんですか。横浜とか東京じゃなくて、北海道に一人で行かれたのはどういう理由だったんですか?
やっぱり、小さいクラスが合うなっていうのがあったのと、
北海道で育つ
プラダン花梨
あと、やっぱり北海道は毎年行ってたんですけど、本当に長く暮らしたことがなかったので、北海道に行きたいっていうのがあって。
近藤淳也
そのふるさとというか、一回は行ってみたいなみたいなことですか。
プラダン花梨
で、たぶん横浜に住むまでは、本当に日本で知ってるのが、たぶん札幌だけだったので、札幌と後ろ、北海道だけだったので、もう少し知りたい、親のルーツみたいな。
親も寒いの苦手なので、感動しちゃったんですけど。
近藤淳也
寒いの苦手なのに、北海道生まれなのに。
そうですか。
プラダン花梨
私が行きました。
それは札幌ですか。
近藤淳也
はい、札幌です。
プラダン花梨
なるほどね。
山磨さん
海外にいた頃から、北海道に毎年帰ってはいたから、横浜に初めてじゃなかったんですか、日本が初めてのタイミングじゃなかったんですか。
プラダン花梨
休みとか結構長く、3週間とか4週間とか来てたんですけど。
山磨さん
初めて日本に来た日とか覚えてるんですか。
プラダン花梨
初めて日本に来た日とか覚えてないですね。
山磨さん
それぐらいちっちゃい頃だったってことですか。
プラダン花梨
はい、たぶん。
近藤淳也
中学校の友達とかは、うまくいきました?
プラダン花梨
なんか逆に、たぶん帰国子供とかいなくて、今はハーフとかそういう子もいるかもしれないですけど、そういう子もいなかったので、逆に珍しかったのか。
他の組とかからも、いろんな人が話しに来てくれて。
近藤淳也
いい意味で目立ったというか、目指しがられたっていう。
プラダン花梨
で、流行りの曲、洋楽の曲とか、ちょっと訳して歌ってとか。
近藤淳也
いいですね。もうみんなから情報がられて、人気者みたいな感じです。
山磨さん
つけ込み方があるんだ。
プラダン花梨
で、英語できるから放送部入って、お昼休みちょっと英語で話してよみたいな、そういうのもあって。
近藤淳也
かっこいい、かっこいい人って感じかな。
なんかあの人、バリバリ英語すごくね、みたいな。
ちょっと聞きに行ってみようぜみたいな。
そういう感じに入ってたんだ。
プラダン花梨
でも隣に座ってた子が、沖縄から来た子だったんですけど、初めてクラスで席が決まって、その時に机を彫ってたんです。
近藤淳也
え?彫刻とかなんですか?
プラダン花梨
彫刻で。
近藤淳也
え?机を?
机を。
プラダン花梨
で、私その何を彫ってるのか読めなくて、それ何の漢字?みたいな、聞いたんです。
そしたらなんか隣の子が、いやちょっとその子怖いから話さない方がいいよって言ったんですけど、ちょっと気になって、ねえねえ教えて何を?って。
で、なんかその後その子は、いわゆるその不良だってことを知ったんですけど、私はなんか普通に話しかけちゃって、仲良くなって、なんかうちに冷やし中華食べに行きたいとかして。
近藤淳也
仲良くなったんだ。
プラダン花梨
仲良くなったんです。
だから多分そういう性格だったので、多分あまり気にせず人と話してる。
山磨さん
誰とでも話してこられる。
近藤淳也
まあでも、なんかある意味不良ってちょっとフリーですからね。
プラダン花梨
なるほどね。
近藤淳也
なんかルールをあんまりこうね、まあ無視するんじゃないけど、その収まらない感じで。
僕も実は中学校の時はそういう人の方が仲良かったです。
山磨さん
そうなんだ。
近藤淳也
なんかあんまり真面目すぎるとなんかしんどいじゃないですか。
プラダン花梨
僕もあの、「なんで制服っているんですか?」って戦ったことがあって。
近藤淳也
中学校で制服をなくそうとしたことがあるってことがあるんですけど。
なんでなんかどっちかっていうとそういう、その枠外の方が楽でいいなって思いましたけど。
あ、そうですか。良かったですね。でもなじめて。
プラダン花梨
良かったです。
近藤淳也
はいはいはい。
プラダン花梨
いじめとかもとくになく。
近藤淳也
スポーツとかはやってました?
プラダン花梨
スポーツは陸上ちょっとやってました。
あ、そうか。
でも部活には美術部に入ってて。
で、なんか委員会とかも結構やってたので。
委員会?
委員会。
あ、委員会?
ごめんなさい、委員会。イントネーションが。
委員会。
図書院、図書院、放送、放送とかそういう委員とか。
結構なんか、なぜか委員会って結構持って、掛け持ちしてて。
はい。
で、なんかもう一つ部活入るのはきついので、なんか陸上はたまに参加するくらいで。
山磨さん
たまに。
近藤淳也
なるほど、なるほど。
はい、で、じゃあ北海道に。
山磨さん
それ高校生から?
高校生が。
プラダン花梨
あ、それは中学校で、高校はアウトドアのリーダーシップチームっていうのが入ってて。
で、そのとき初めてえにわ岳っていう山を登って。
近藤淳也
えにわ岳、はい。
プラダン花梨
で、それが本当になんていうか、やっぱり山好きになった理由かもしれません。
本当に感動して。
近藤淳也
はい。
プラダン花梨
で、なんていうか北海道の山って森林限界が低いせいか、やっぱりそっと登るだけで、わーってなんか広く見えるので。
なんかそれも全然なんかそれまで登ってた山と違うのが一つと。
あとえにわ岳って降りていくときに、しこつこが綺麗に池がわーって見えるんですよね。
で、なんかそこでもう本当に泣きそうになったのを覚えてます。
山ってこんなに美しいな、自然って偉大。
で、そこから結構もう学校だけじゃなくて機会があれば山登り行ったり、いろいろ試したりとかしてました。
近藤淳也
それも一人で。
はい。
そうですか。
すごいな。
近いかも。僕も中学陸上で、高校はワンダーフォーゲルムで山だったんで。
プラダン花梨
そうなんですね。
なんかちょっと。
近藤淳也
親近感が。
プラダン花梨
親近感が湧いてきましたね。
近藤淳也
そうか、インターナショナルスクールっていうのは何ですか?
どういう、なんていうの?
人が来る、どういう高校?
プラダン花梨
そうですね。
結構、私が海外にいたときみたいに、1年とか2年とか短期で日本に来て、
そのとき子供を英語で教育させたいから入れる人もいれば、
日本人だけど、日本語と英語で教育を受けてほしいっていう理由で、
たとえば幼稚園とかからずっと入れてる人もいますし、
結構、いろんな子がいました。
近藤淳也
なるほど。
じゃあ、日本人もいれば外国人もいるって感じなんですね。
はい。
プラダン花梨
なるほど。
あと、ハーフの子も4人くらいいましたね。
近藤淳也
そこはどうでした?面白かったですか?
プラダン花梨
はい。そこもやっぱり、いろんな子がいて、自分らしさ伸ばせたというか。
で、ほんとに小さいクラスで14人しかいなかったので、
ほんとにみんな仲良く、みんな兄弟みたいな感じになって。
で、一緒に海外ボランティア行ったりとかしてたので、もうほんとに一生友達。
ほんとにみんな近くなって。
近藤淳也
すごいな。なんか広いですよね。
山磨さん
広い。
近藤淳也
生まれたときからだいぶ広い感じがするし。
すごいな。
山磨さん
いいですね。幼少期にそうやって多様性というか、いろんな人がいるってことを学べる機会って。
それすごいうらやましいなと思いますね。
近藤淳也
そうですね。
そうですよね。
プラダン花梨
でも、逆に育ったから、自由に生きられない人を見てしまうと、
え、なんで?みたいな。
突っ込んでしまうとかがありません。
もっと自由にしていいのに。
近藤淳也
そんな狭いところにはまってなくてもいいんじゃないの?みたいに思えちゃうってことですか。
プラダン花梨
はい。
近藤淳也
なるほど。
で、その、じゃあ、高校出て、高校行って、その後は。
プラダン花梨
次、大学。
大学はまた東京、関東戻ってきて、国際キースト教大学に入って、そこに4年間いました。
そこはまたもう自由な人ばかりの大学なので。
近藤淳也
なんかね、わりとそういうインターナショナルな感じですよね。
プラダン花梨
多分そういう環境が自分に合ってるなと思います。
近藤淳也
あそこもじゃあ、自分に合ってよかったですか?
プラダン花梨
本当にいろんな大学回ったんですけど、いや、ここ、ここしかないなと思って、そこしか受けなかったです。
近藤淳也
行く前に回ったんですか?いろいろ。
プラダン花梨
回りました。
結構、早稲田とか慶応とかいろいろとか回って。
近藤淳也
回ります?そんな。
山磨さん
いや、回るってどういうこと?
プラダン花梨
見に行ったり、人と話したり、おびん話したりとか。
近藤淳也
すごい。
プラダン花梨
慶応、海外からも大学の人が来て、高校でいろんなセミナーとかして、こういう大学です、みたいな来ませんか?みたいなのあったんですけど。
でも自分はやっぱり、もうしばらく日本にいたいかなと思って、東京の大学結構回って。
なぜ、その時関西見なかったのかわからなかった。
見なかったですね。
でも東京回って、ここだなって決めて、そこ。
近藤淳也
なるほど。大学時代は何してたんですか?
プラダン花梨
大学時代はバイトいっぱいしてました。
バイト。
あと、環境研究サークルに入ってました。
近藤淳也
環境研究サークル。
山磨さん
なんかアクティブでね、動いたりするのが好きなのに、急にそこに。
プラダン花梨
環境研究サークル結構アクティブですよ。
学祭とか、常にゴミの分別のお手伝いしたりとか、あと学祭の食器を全部リユーザブルなものにしようってことで、決まったお皿でそれを常に集めて洗って、また戻してみたいな。
常に重い、こういうカードで食器を運んでみたいな。
近藤淳也
そうなんだ。実際やるのは、その皿洗いですね。
国際スクールで学ぶ
プラダン花梨
それまでは別の手伝いの人がいて、自分はもう運ぶ担当みたいな、それもコスプレしてなんか運ぶ担当みたいな。
近藤淳也
コスプレしてお皿運んでたんですか?
プラダン花梨
そうです。みんな環境をためにこうしようみたいな。
近藤淳也
へー、なるほど。
山磨さん
それって何か誘われて入られたんでしたっけ?
プラダン花梨
そうです。はい。なんか部員がいなくて。
部員がいなくて。
そう、部員がいなくて。で、たまたま私が参加した講義の知り合いだったかな、が、こういう部活があるよ、サークルがあるよって話してて、環境とかアウトドア好きならどう?みたいな。
ちょっと一回行ってみたらって言って、私ともう一人の子が行って、で、そこでいや部員がいないんですよね、みたいな。環境研究サークルこれで終わってしまったら、ちょっとICUさえどうなるかわからないんですよね。
そういうことは言われてしまい、もうそのまま入るしかなかった。
近藤淳也
バイトはどんなバイトをしてたんですか?
プラダン花梨
バイトは、大学の頃はお惣菜屋さん、振袖のモデル。
山磨さん
すごい、和風だそうな。
近藤淳也
振袖のモデル?モデルか。
プラダン花梨
あと家庭教師もしてました。家庭教師とか土地区の講師とか。
近藤淳也
振袖のモデルって何ですか?
プラダン花梨
振袖の、多分カタログに乗るとかじゃなくて、こういう着物ありますよみたいなのを見せる、なんかペラペラなんですけど、その写真をとにかく着て、首下から撮る。
誰でもできると思うんですけど、ある程度身長があった方がいいかな、なので。
近藤淳也
スタイルもいいですけど。でもなんかその純和風って感じでもないですよね。そこは大丈夫ですか?
プラダン花梨
大丈夫です。多分顔写んないだってもう。
そうなんですか?
近藤淳也
顔写すってもちょっと横顔とかだったんで。
プラダン花梨
なるほど。でも純日本人ですけど。
でも逆に結構和風の子とかもいて。
近藤淳也
へー、そうなんですね。そういう感じか。
ちょっと派手めの振袖を取り扱ってるお店なんで、逆にそういうイメージ。
面白い。そういえばなんかその札幌時代にラジオですか?
はい。
プラダン花梨
それ高校ってこと?
山磨さん
高校です。
近藤淳也
札幌でラジオ出てたっておっしゃってましたよね?
プラダン花梨
はい。
山磨さん
あれアルバイトでしたっけ?
プラダン花梨
バイトです、はい。
近藤淳也
それもアルバイトだったんですか?
はい、バイトです。
プラダン花梨
高校時代?
近藤淳也
高校時代。
プラダン花梨
それはなんですか?
それは学校の中でちょっと英語と日本語でラジオできる人を探してるってことで、
で、全くラジオとかそういうの知らなかったんですけど、でも話すなら好きかもと思って聞いてみたら、
ああ、じゃあぜひぜひみたいな。自由に15分ぐらい話してとなって。
近藤淳也
え、自由に15分かかりまして?
プラダン花梨
話して。
近藤淳也
カリン・ラダンさんの番組があったんですか?
プラダン花梨
一応なんかコーナーみたいな感じで。
近藤淳也
おお。
カリンさんのポッドキャスト
近藤淳也
あ、そうですか。
山磨さん
そうなんだ。
プラダン花梨
で、本当にDJさんはいるんですけど、その人がじゃあこれからカリンと話しますみたいな。
で、時々一人だったりその人と話したり。
近藤淳也
英語で?
プラダン花梨
英語と日本語で、はい。
あ、両方?
はい。
近藤淳也
えー。
なんていうコーナーですか?
プラダン花梨
一応なんか、Karen's Englishって感じだったんですよ。
おお、えー。
近藤淳也
もうカリンさんの名前がついて。
はい。
プラダン花梨
Karen's Englishって感じ。
近藤淳也
はい。
すごい。
プラダン花梨
すごい。
近藤淳也
今の人気ポッドキャストで、Kevin's Englishって。
それみたいじゃないですか。
プラダン花梨
確かに。
近藤淳也
すごい人気のそういう、
プラダン花梨
そうなんです。
近藤淳也
英語と日本語混ざったポッドキャストの人気の番組があって。
はい。
結構ポッドキャスト上位にすごい入ってるんですけど。
プラダン花梨
そうなんですね。
近藤淳也
やっぱそのね、楽しい話で英語学びたいっていう方。
プラダン花梨
あーはいはい。
近藤淳也
よく聞いてるんだと思うんですけど。
プラダン花梨
はい。
近藤淳也
そういうの走りみたいな。
プラダン花梨
確かに。
近藤淳也
すごいですね。
夏の旅行について
プラダン花梨
だからちょっとそのなんかテーマみたいなのがあって、
今日はじゃあちょっと夏の旅行について話しましょうみたいな。
で、夏の旅行、Summer Vacationみたいな感じで。
そうなんですね。
混ぜながら話すみたいな感じでした。
近藤淳也
えー面白い。
録音残ってないんですか?
プラダン花梨
一応CDどこかにあるとかしてるから。
近藤淳也
そうですか、今公開していったらどうですか?
プラダン花梨
恥ずかしい。
流行るんじゃないですか。
山磨さん
そんなことしたの?
それどれくらい長い期間やられてたんですか?
プラダン花梨
それは半年くらいやってました。
山磨さん
へー。
近藤淳也
どうでした?
プラダン花梨
楽しかったです、はい。
近藤淳也
リスナーさんは多かったですか?
プラダン花梨
どうなんでしょうね。
特になんかファンメールとか来なかったので。
そうなんですか。
はい。
近藤淳也
それは何、FM曲とか。
プラダン花梨
はい、そうです。
でもその一緒にやってたDJの方からは時々フィードバックとかもらってたんで、
ここ良かったらしいよとか。
山磨さん
はいはいはい。
プラダン花梨
なので一応誰かの役に当たったのかな。
近藤淳也
あんまりわからないんですか、そういうリスナーさんの反応とか。
プラダン花梨
まあ多分そのDJの方の方が多分メインでやってたので見てたんだと思うんですけど、
私は本当になんかその、学校の後の短い時間しかやってなかったので、
はい、あんまりそこは聞いてませんでした。
近藤淳也
へー、でも自分でその内容考えて、
はい。
今日はこれ話そうみたいな感じで。
学校の後の短い時間でも楽しい
プラダン花梨
なんか準備してる時としてなかった時とあって。
へー。
本当にほぼアドリブの時と変わりました。
すごいですね。
いい?
近藤淳也
そうか。
山磨さん
すごいな。
一人の時は何を喋る、喋ってたんですか?
プラダン花梨
その決まったテーマで、はい。
本当になんかフリートークみたいな感じ。
すごい。
今日はこれについて話します。
近藤淳也
ちょっとやってみてくださいね。
はい。
プラダン花梨
テーマは、テーマ言ってたからね。
近藤淳也
テーマ?
何やろ。
えー、テーマ。
じゃあ最近好きな食べ物について。
プラダン花梨
好きな食べ物、最近好きな食べ物。
そうですね、やっぱり夏は果物が好きなので、
夏の果物、夏の果物好き。
で、食べ方がいろいろあると思うんですけど、
最近ハマってるのは、かき氷の上に果物を乗せる。
で、かき氷って英語でshaved iceって言うんですよね。
削った氷、shaved ice。
なので、そのshaved iceの上にフルーツを乗せて、
shaved ice and fruit。
そういう感じ。
山磨さん
もうずっと聞いてないです。
近藤淳也
じゃあ、言葉を紹介するみたいな感じ。
プラダン花梨
で、時々たまにこういうフレーズを紹介してほしいみたいになるので、
それを組み込まなきゃいけなくて、
そういう時の方がちょっと大変でした。
近藤淳也
あー、そうなんだ。
プラダン花梨
はい。
近藤淳也
じゃあ、ずっと英語で喋ってるというよりは、
基本は日本語でこうやって言うんですよ、みたいな感じ。
プラダン花梨
はい。
なので、高校生でもできるバイトでした。
近藤淳也
いや、でもそれ、高校生使うもんなんですか、ラジオ局も。
プラダン花梨
どうなんでしょうね。
でも、私が、たぶん大学の受験があるので、
ちょっと忙しくなるって時に、
なんか、公認は探してなかったので、
なんか、たまたまやってみようってなったんですかね。
どうなんでしょう。
近藤淳也
そのたまたま、じゃあ、プラダンさんがいたから、
そのコーナーができたっていう。
プラダン花梨
かもしれませんね。
近藤淳也
なんすかそれ、地元のアイドルみたいな感じじゃないですか。
プラダン花梨
はい。
近藤淳也
へー、面白い。
山磨さん
ミスタードーナツのアルバイトも高校生。
プラダン花梨
ミスタードーナツ、はい、それは初めてのバイトで、はい。
なんでそんな詳しいんですか。
山磨さん
僕は、コーヒー会でね、家の話とかね。
近藤淳也
ミスタードーナツのバイトもしてたんですか。
プラダン花梨
ミスタードーナツのバイトが初めてのバイトで、
で、やっぱり接客できるかっていうのがすごい心配で、
すごい緊張してたので、一番覚えてるのが、
たぶんミスタードーナツだと思います。
制服もらって、これから日本語で接客するんだって、
頭から怒られたのが、発音が良すぎる。
近藤淳也
え、発音が良すぎる。
プラダン花梨
そう、ドーナツの発音が良すぎるから、
わかりにくい。
山磨さん
この話好きなんですよね。
近藤淳也
ドーナツの発音が良すぎて、わかりにくいって言って怒られたんですか。
プラダン花梨
で、そのミスドのその時に出てた定番のドーナツのポスターもらって、
家でフレンチクルーラー、オールドファッションみたいな練習してました。
山磨さん
カタカナ。
近藤淳也
そうか、自然に言うとどうなっちゃうんですか。
プラダン花梨
フレンチクルーラー、オールドファッションみたいな。
近藤淳也
確かに、え、なんでってなりますよね。
あ、そうですか。
じゃあ怒られるんだ。
プラダン花梨
怒られてて、ちょっと注意されて、
お客さん聞き取りにくいから、
気をつけてね。
近藤淳也
面白い。
で、フレンチクルーラー。
プラダン花梨
フレンチクルーラーみたいな。
ポンデリング。
近藤淳也
ポンデリング。
プラダン花梨
そう、もう家でポスター見ながら練習してました。
近藤淳也
練習したんですか。
ちょっと変な話ですけどね、なんかそれ。
あそこすっごい発音良くないとか言って、逆になんか人気になりそうですけどね。
あ、そうですか。
山磨さん
おばあちゃんとかが聞き取りにくいんですね。
プラダン花梨
多分そうです。
朝は結構平日の朝、お年寄りが多かったんですよ。
山磨さん
多分そうです。
近藤淳也
そうか、はい。
で、じゃあそのICU。
ICU時代は、その後どうなっていったんですか。
プラダン花梨
ICU時代は国際関係と政治学のダブル専攻だったんですけど。
近藤淳也
国際関係と政治学。
プラダン花梨
国際関係の方がやっぱり興味があって、
で、なんかその道進みたいなって気持ちがあったものの、
なんか開発とか発展とかに興味があったので、
その後、タイに行くことにしました。
山磨さん
あ、そうなんですか。
近藤淳也
何だって。
プラダン花梨
開発発展に興味があるから、タイに行くことにしました。
開発学をちょっと勉強しにタイに行こうと思って。
山磨さん
あ、じゃあ大学を変わるってこと?
プラダン花梨
いや、大学3年ぐらいの時にもう決めて、就職しないで、このままタイに行こうって決めました。
そうなんですね。
近藤淳也
就職しないでタイに行く。
プラダン花梨
大学院、進もうって決めて。
近藤淳也
そういうことですね。
プラダン花梨
で、それから2年間タイに行きました。
近藤淳也
なるほど。
大学院でタイに行かれたんですね。
開発学ってのはどういう学科目ですか。
プラダン花梨
開発学は国が発展していく中で、いろんなエリア、
人類学とか経済学とかそういういろんなとこを見ながら、
どうベスト国は進むべきなのかみたいなことを見る。
で、開発学を勉強するならやっぱり東南アジアとかアフリカかなと思ってて、
でも世はなかなかアフリカに生かしてくれないかなと思って、
で、たまたま私の本当にお世話になってた先生が、
知り合いがそのタイの大学院にいて、
で、ちょっと遊びに来たらってことで夏休み向こうに行ってみたら、
日本人他にいない、本当に面白い大学院で、
いや、ここは好きそう。
近藤淳也
そこがポジティブなんですね。
日本人誰もいなくて面白そうってなるんですね。
山磨さん
いいですね。
近藤淳也
国の発展、植民地的なことではない?
プラダン花梨
ではなくて、本当に国が発展して成長して、
経済的にも文化的にも変わっていく中で、
そのどうベスト進むべきか。
人のためにも国のためにも環境のためにもっていう考えるところで、
で、結構その勉強の中で国際関係は文系だったんですけど、
その大学院は理系に入ってて、
結構データ分析したり、プログラム使って、
パターンを探したりとかそういうのをしてて。
なるほど。
近藤淳也
でも元々アジアとかアフリカって植民地が多かったじゃないですか。
それ独立してどう発展させていけばいいかみたいなことってこと?
プラダン花梨
そう、いろんなレベルの進んでる国と比較して、
例えばこの国はここまで来てるけど、
でも環境的にはこういう問題を抱えてるよねみたいなのを比べていて、
例えばタイにいたので、タイは発展してて経済も伸びてるけど、
やっぱりこういうところまだいろいろ問題があるよねみたいな。
ここはどうしていったらいいのかなみたいな。
そういうのを考えて、プログラムを考えたり、
実際やってるプログラムを参加して、
こういうことされてるんだって見に行ったりとか。
近藤淳也
だいぶ幅広いですね。テーマが大きいですね。
テーマが大きい。
国をどうしていくかっていう感じですね。
プラダン花梨
でもタイの経験は本当に良くて、そういう勉強してたんですけど、
大学院は、たまたま私が入る前に洪水があっちゃって。
近藤淳也
これはちなみにどの町に行ったんですか?
プラダン花梨
これはバンコクのちょっと北にあるとこだったんですけど、
バンコクから車で30分くらいとか。
でもちょっと洪水があっちゃって、
近藤淳也
私が入るはずの料とかが全部使えなくなっちゃったんです。
プラダン花梨
入学2週間前くらいに行って、
先生とか挨拶して、
ここでの生活を始めに準備しようかなと思ったら、
その料が入れなくて、
フリーホーの料にちょっとしばらくいてくださいってなったら、
エアコンがなくて、
シャワー入ろうとしても蛇口を回すと、
黒い水しか見えなくて。
うわー、嫌だ。
ドアとか壁にも隙間があって、
いろんな生き物が出て、
自由に飛び出してて、
で、ここで暮らすんだみたいな。
近藤淳也
すごいな、また。
そうですか。
でもそこが面白いなと思って行ったんです。
プラダン花梨
面白いと思って。
近藤淳也
これ、タイは英語でしゃべれる?
タイ語です。
タイ語ですか。
山磨さん
また新しい言葉、新しい言語が出てきますね。
近藤淳也
それをどうしたんですか?
プラダン花梨
それは勉強しました。
近藤淳也
なんですか、もう、
普段の人にとっては言葉1個覚えるのはそんな苦じゃないっていう。
プラダン花梨
言葉をもともと好きで、
で、なんか苦じゃないって言うと嘘なんですけど、
でも、なんか似てるとこを探すのが好きで、
で、似てないとこも、
なんか、あ、ここが違うんだみたいな。
異文化の魅力
プラダン花梨
そこで、こう組み合わせるとこう言えるんだみたいな。
多分、タイ語とかも知ってる単語を、
なんか無理矢理くっつけて話したので、
決して美しいタイ語ではなかったんですけど、
そこで通じると嬉しくて、
あ、ここでこうやって話して生活できるみたいな。
そういうのを探すのが好きで、
はい。
なので、なんかその面白みがあるからこそ勉強できるみたいな。
山磨さん
フラウダーさん、ほんとコミュニケーションが好きですよね。
なんか旅行に海外行かれた時も、
あえて英語が通じないとことかに行かれるそうなんで。
近藤淳也
どういうことですか、それは。
プラダン花梨
やっぱり、なんか英語を使っちゃうと、
それは自分が一番楽な言語なので、
そこで、なんか相手に無理をさせてるというか、
なんか逆に、なんだろう、
なんか適応力?対応力?
自分のそこを伸ばしたいみたいなとこがあって、
で、相手の使ってる言葉を勉強して、
相手と話したい。
で、英語じゃなくて、
その地域を学ぶにあたっても、
言葉を学んで使って、
なんか、なんだろう、通じ合うものを探したいっていうのがあって。
ラグビーでの成長
近藤淳也
こう、不便なほうが、
相手に合わせようっていう努力の中で、
相手を知ったりできる。
そういうところが面白いってことですか。
プラダン花梨
で、なんか自分もそこで成長できるみたいな。
近藤淳也
すごいな。
山磨さん
すごい。
近藤淳也
なんか、まあ、サバイバル能力っていうか、
こう、なんていうんですか、
未知の状況をどうにかするみたいな。
プラダン花梨
そこに楽しみをつけるみたいな。
近藤淳也
すごいですよね。
山磨さん
まったくわからない言葉同士で、
なんか、コミュニケーション取れたときは、
やっぱなんか、気持ちいいんですから。
そうですね。
プラダン花梨
で、やっぱり通じなくても、
失敗とかしても、
やっぱりそこで学ぶことはあるし、
で、やっぱり不安は不安ですよ。
でも、その失敗とか不安を勝手に成長できるなっていうのがあるので。
近藤淳也
なんか、すごい大変なことになったりとかなかったですか。
プラダン花梨
あー、結構あります。
そうなった。
例えば。
例えば、えっと、
一人でスイランカに行ったことがありまして。
スイランカね。
スイランカ、はい。
で、友達と会うはずだったんですけど、
友達がちょっと遅れるってことで、
3時間くらい時間があるんです。
で、ちょっと歩いて、
ちょっと近く、
ちょっと散歩してみようかなと思って歩いてて、
で、結構暑かったので、スーパーに入ったんですね。
で、スーパーに入って水を買って、
スーパーの外で水を飲んでたら、
なんか女性が隣にいて、
で、なんかちょっと話しかけてきたんです。
何してるの?みたいな、観光客。
何処から来たの?って普通に話してて。
で、あ、私これから近くのお寺見に行くけど、
一緒に歩くかどうか。
山磨さん
へー。
プラダン花梨
あ、で、私もちょっと時間あるので、
じゃあ一緒に歩きましょう。
水飲みながら話しながら歩いてたら、
あ、そこにタクシーがある。
暑いからタクシーに乗ろう。
で、私もなんか何も考えず、
この人と一緒にタクシーに乗って、
そこに行けばいいかと思って、
タクシーに乗ったら、
グルーだったんですよね。
あー。
山磨さん
怖いな。
プラダン花梨
で、お寺まで着いたら、
なんかとんでもない金額を請求されて、
で、いやいやいや、
いやほんと10分くらいしか乗ってないから、
これおかしいって私が言って、
で、その女性にも、
いや、これはぼったくりだから、
払いませんよって。
これなら渡しますって。
これが私が昨日払ったタクシー代だから、
これくらいならいいでしょう。
近藤淳也
強い強いな。
プラダン花梨
でも結構すごく言われて、
で、そのお金を渡して、
女性にごめんなさいって言って、
走りました。
へー。
近藤淳也
走った?
プラダン花梨
走りました。
近藤淳也
陸上生きてきたここで。
そうね。
物理的に逃げたんですね。
逃げました。
プラダン花梨
おー。
近藤淳也
タクシーで追いかけてこなかったですか?
プラダン花梨
そこで考えたんです。
世界最大級の翻訳会社での経験
プラダン花梨
自分でここでできることは、
お金を払わないで逃げるのは良くないね。
でも乗ったし、
この女の人と話してて楽しかったから、
一応その人には、
いや、黙られなかったけどごめんね、
楽しかったよって伝えたかったのと、
その人にはお金が欲しいんだろうなってお金を渡して、
自分はその状況にいるのは嫌だから、
逃げようと思って。
すごいな。
近藤淳也
すごい冷静。
プラダン花梨
冷静。
タクシーが入れない森の方に行く。
近藤淳也
なるほど。
車では行けない方に走った。
プラダン花梨
はい。
でもそれを考えるのに、
多分3分くらいかかっちゃって。
近藤淳也
余裕。
余裕。
早いし、冷静やし。
報道に映ってるのもすごいし。
すごい。
じゃあ追いつかれずに逃げ切ったんですね。
プラダン花梨
追いつかれずに走って、
で、何とかぐるーっと回って、
またお寺に戻って、
お寺に入って。
近藤淳也
ちゃんと着工していくんだ。
せっかく来たし。
プラダン花梨
タクシー代話した。
近藤淳也
ちゃんと得るものは行ってから帰ろうって。
プラダン花梨
はい。
山磨さん
すごいな。
もう寺近づきたくないですけどね、なんか。
近藤淳也
ね、待ってるかもしれないし。
また同じことやってるかもしれないし。
プラダン花梨
そこで。
近藤淳也
そんなことはしてる。
プラダン花梨
で、友達にそれを話したら爆笑されました。
近藤淳也
いや、すごいわ。
プラダン花梨
仮にでも引っかかったのかもしれない。
近藤淳也
引っかかっても、でも全然リカバリしてるのがすごいし。
山磨さん
確かに。
近藤淳也
いいですね。
ちゃんと楽しかったよって言ってるとかね。
騙されてるのに。
プラダン花梨
いや、でも本当に会話楽しかったね。
いろいろなんか教えてくれたし。
近藤淳也
すごいな。
道着だな。
すごい、誠実ですね。
プラダン花梨
誠実。
近藤淳也
良かったとこはちゃんと言って。
はい。
適正なお金もちゃんと払った上で、
私は逃げますと。
プラダン花梨