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2024-02-11 08:48

大学の授業を4象限で考える ②《授業形態と時空の4象限》|四象限de U02|

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①《授業形態の4象限》

オンデマンド型のオンライン授業を全面展開すべきだと考えている大学教員たちによる、日本の大学の授業形態に関連する問題とその解決策について議論しています。

② 《授業形態と時空の4象限》

「大学の授業を4象限で考える」のその2です。授業形態と時空の4象限において、時間と空間軸に授業形態を置いてみると、どのような結果になるのでしょうか。オンライン/オフライン、そして、ライブ/オンデマンドという要素があります。前回のその1では、「大学の授業の4象限を考える」というテーマで、授業形態の4象限について話しました。

授業形態と時空の4象限 ©︎2024 TAKAHASHI HAJIME

②' 時間割からの解放/教室割からの解放

授業形態と時間割・教室割の4象限 ©︎2024 TAKAHASHI HAJIME

③《時空の呪縛からの解放/自由な学びへ》

「大学の授業を4象限で考える」その3は、時空の呪縛からの解放、そして自由な学びへというタイトルです。このポッドキャストでは、オンデマンドやライブ、オンラインや対面の問題が時間や空間の問題として現れ、教室割や時間割、オフィスアワーや時間割外の教育による不自由や自由が議論されています。

サマリー

「大学の授業を4象限で考える」のその2です。授業形態と時空の4象限において、時間と空間軸に授業形態を置いてみると、どのような結果になるのでしょうか。オンライン/オフライン、そして、ライブ/オンデマンドという要素があります。前回のその1では、「大学の授業の4象限を考える」というテーマで、授業形態の4象限について話しました。

授業形態と時空の4象限
大学の授業を4象限で考えるの、その2。
授業形態と時空の4象限、時間と空間軸に 授業形態を置いてみるとどうなるか。
まあ、そう難しい話ではないんですが、
前回、その1で、「大学の授業の4象限を考える」、《授業形態の4象限》ということで、
オンライン/オフライン、そして、ライブ/オンデマンド。
これは特にコロナ禍において、「オンラインのオンデマンド」、 あるいは「オンラインのライブ授業」というものを展開せざるを得なくなって、
多くの大学というか、ほぼ全ての日本の大学がね、 展開せざるを得なくなって見えてきた問題があるんですが。
これを〈時間〉と〈空間〉という、もっと一般的、 抽象的なレベルで位置づけるとどういう話になるかという。
まあ、ごくごく当たり前の話を今日はするわけですけれども。
単なる、オンライン/オフライン、あるいは、ライブ/オンデマンド。
これだけの議論をしていると、 自分はやっぱり対面授業がいいとかね。
いや、自分はオンラインでやるんだったらライブがいいとかね。
いや、オンデマンドは嫌だなとかね。
そんな話のレベルにしかならないんですが、 これをもう少し抽象的、一般的なレベルで考えると、
これは「時空の問題」になるわけですね。
まず、「授業形態と時空の4象限」ということで、 これを「時間と空間の4象限」で見ていくとどうなるかというと、
これはやっぱり、「空間」を共有するのか、「時間」を共有するのか。
あるいは「空間」も「時間」も共有するのかという、 こういう話になるわけですね。
単なるオンライン、オンデマンドが好きとか、 ライブが好きとか、対面が好きとかいうレベルの話ではなくて、
時間を共有する、そして空間も共有する、 あるいは時間だけ共有する、
あるいは時間も空間も共有しない、 こういう話になるわけですね。
これを四象限に表したのが、②ですね。 「授業形態と時空の4象限」。
時空の問題
空間からの自由、空間を共有。
空間を共有する、そして時間も共有するのが これが従来型の対面授業。
とにかく同じ場所で同じ時間にいないと寂しいというのが この従来型の対面授業ですね。
それ以外の理由は私はないと思っているんですが、 とにかく同じ時間に同じ場所にいてやらないと、
何か不安だという話なんですね。
これを見ていくと、一つは空間を共有しない場合、 これがまさにライブ型のオンライン授業。
だけど時間だけは共有したいと。
なぜか同じ時間にやらないと寂しいというのが このライブ型のオンライン授業なんですね。
そして右下いきましょうかね、第四象限。
時間は共有しない。
これは共有しないっていうのはまた微妙なんですけどね。
空間は共有する。
要するにその場所に行かないと教授を受けれないというのが、 時間割外あるいはオフィスアワー。
これ何で時間からの自由かというと、
オフィスアワーという設定はあるんだけど、 その中で学生が行く行かないの自由があるわけですよね。
ところがこれ、時間からの自由って言うんですけど、 教員にとっては不自由なんですね、実はね。
教員はその時間、研究室にいなきゃいけない。
学生が来ようが来ないが、来る来ないに関係なく その時間いなきゃいけないという。
ところがだいたい来ないわけですよね。
なんでそこで縛られなきゃいけないのかという。 不自由なわけですね。
教員にとっては不自由、学生にとっては自由という ちょっとそういうタイプなんですけど。
オンデマンド・オンライン型。
これはもう時間からも空間からも自由。
時間も共有しない、空間も共有しない。
これでいいじゃないかと。
だけどこれだと寂しいという人が多いんですね、 大学教員の中にはね。
結局、時間と空間を共に過ごしたいっていう。
もう夫婦じゃないんだから、恋人じゃないんだから やめてくれと真面目に思ってるんですが私は。
実際に授業を教授する場合、特に講義型の授業の場合には 対面である必要は全くない。
オンデマンド・オンラインで十分だと。
逆にオンデマンド・オンラインの方が教育効果は上がるし 学習効果も上がる。
効率も上がる。
この話はまたいずれしていきますけれども。
とにかく従来型の対面授業っていうのは、 時間も共有する、空間も共有する。
しかも教育の効果としては、実はあまり上がらないというね。
これ大学の授業を見に行けばすぐ分かります。
大学の中にいると分かんないけど、学生・教員になっていると。それが普通の日常の光景だから分かんなくなって麻痺してるんですが、
世の中の人が大学の授業を見に行ったら 何やってんのと、これは。
学生はぐだーっとしてる。
教員はなんか黙々と喋ってると。
そうじゃない授業もあるんですけども、アクティブな授業もね。
だけどやっぱり往々にして従来型の対面授業っていうのは、 教育効果は上がってないと。
にもかかわらず、時間と空間を共有したがるんですね、これね。
なんでそこに縛りつけたがるのか。 全く私には意味不明ですね。意味不明。
もっと、時間から、空間から、教員も学生も自由になって、しかも教育効果が上がって学習効果が上がればいいわけで。
時間割と教室割の問題
右上の第二象限、オンデマンド・オンライン型授業が 最も教育に適してるという話は、今後していくんですが。
とりあえずこれは、空間と時間ということから言うと、 こういう一般的・抽象的な、客観的な話になるということです。
そして2の、2ダッシュですね、2のダッシュ。
これは具体的には、大学においては「時間割」と「教室割」の問題になるわけです。
「時間割に縛られる」わけです。
従来型の対面授業は、時間割と教室割を組まなきゃいけないんです。
これ組むの大変なんです。教務課・学務課が非常に苦労するわけです。
対面授業を組むっていうのは。
これオンライン・オンデマンドでやったら、実は教室割もいらない、時間割もいらない。
こんな良いことはないんですね。
ライブ型でやりたがる人は、これ結局、時間割の縛り、 その時間割の中でやんなきゃいけない。
例えば夜中にライブやりますってわけにはいかない。
決められた時間割の中で、決められた90分という授業でやんなきゃいけない。
時間割の呪縛に縛られるっていうことに、具体的にはなるわけですね。
そしてもう一つが「教室割の呪縛」です。
従来型の対面授業は、教室割にも時間割にも縛られるっていうことなんですが、
もう一つ時間割外、オフィスアワーなどの場合、 これやっぱり研究室にいなきゃいけないわけです、教員が。
学生は自由にどこ行っててもいいんですけど、 教員はとにかく研究室にいなきゃいけない、その時間。
研究室に縛られるわけですね。
まあそういう話です。もうそれだけの話ですね。
何が言いたかったかというと、一つは客観的に見て、一般的に見て、 「時間と空間を共有するのかしないのか」という4象限だということですね。
単なる「オンラインかオンデマンドか」っていうレベルの話じゃなくて、 これはもう「時空との関係」で位置づけられる
もっと「普遍的な問題」なんだということですね。
単なるオンラインが好き嫌いとか、オンデマンドがいいとかライブがいいとか、 好き嫌いの問題じゃないってことです。
もっと「客観的な実在の問題」だってことですね。
大学というキャンパスの現場においては、まさに「時間割」と「教室割」の問題。
学務課職員、教務課職員が一番苦労する問題。
これを取っ払えば本当に自由になるんですけどね。
まあそんな話です。
はい、これはもう前提の前提です。
その3に続く。
ではまた。
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