感謝を配ってる感謝について今日は考えるわけですよね。
そうですね。
感謝どうちょっと。
でも私は感謝してるかどうか置いておいて言葉にはなるべくするように心がけていますよね。
よくさ道とか聞いてきてさ分かったつって去ってくやついない?
分かる?
いやありがとうじゃなくて分かりましたつって了解で全部の出来事はそうなんだけどさ。
感謝について私はいつも思うのは何かやってもらった時に了解しましたで終わるやつはすげえ嫌いなんですよ。
あーはなりたくないから何かやってもらった時にちゃんとありがとうまで言って終わりだっていうことをいつも思っていて。
それは。
小さい感謝とかちゃんと言葉をちゃんと言うみたいのはちょっとなるべく外さないようにしようって思ってるし、
エレベーターの開きボタンを押してんのにさーっと出てくやつ見ると。
あーやだね。
ペコリはした方がいい。
すーっといるんだ。
いるよ8割するよ。
会社だとそれなりに言うよね口に出すけど公共の場所だと言わないよね。
会社だとさ誰が見てるか分かんないからさそういうとこは分かってんだよ。
あーそっかこれがちょっと悪評につながるみたいなのもどっか分かってやってんだ。
あー態度変えられてて。
思うんですけど。
デパートとかでね。
そうデパートとかでは言わないけど会社ではありがとうみたいな理由みたいなのあって。
じゃあそういうの気になるからありがとうございますっていう風には言うようにする。
まあそれは仕事しててもそうだけど最後ちゃんとありがとうって。
じゃああれですねバードさんと割と似てますねそういう意味だから。
かんしゃくばりおじさん?
かんしゃくばりおじさんになってる?
反面教師っていうかそう。
こうはなりたくないから。
どっちかと言うと私はそうそうそうそう。
あーはなりたくないみたいな。
気持ちがあるっていうよりはこういう時にはありがとうって言った方がいいなって思うから言うって感じ。
やった方がありがとうって言われないとうーんかなーって気に。
そうだね。
言わないってほらなんかさ今急に思い出したけどさ高校生の時さ世界史の問題教えてって言ってきてさ教えたらさあーそれかーっつってさ。
いつも腹。
腹ちゃう?
腹ちゃう。
確定されてんだ。
いまだになんかもやっとしたものがこれだけ残ってる。
あーそれ知ってたわ。
そう知ってたわみたいな。
じゃあなんで聞いたの?
すごいね。
イレイレいる。
いや知ってたわでもいいのよ。
うん。
知ってたわでいいんだけどそれあでも教えてくれてありがとうは。
一発欲しいよねやっぱ。
欲しい。
マウントされたなんか教えてって言われて教えたらあーそれ知ってたわみたいな。
それは辛い辛い。
全然感謝の言葉じゃないじゃん。
どころかね。
確認の言葉であってさ。
へとしたら二三十年いまだにもやが。
気に残ってるから。
あいつ今ちゃんと感謝言える人間になってるといいな。
いいな。
いやだから、同じ同じ。やっぱちょっと母親にね、ビシバシやられてた過去とかもあって、母の日ってすごい苦手だったなって思うし、ね、あの日なんか期待感とかさ、
わかんない、親がどんだけ期待してたかわかんないけどなんか義務感っていうかなんかやっぱ圧を感じるじゃん。
母の日ですよ。
テレビからもなんか街からもカーネーションみたいなさ、
ああいうので、やっぱ自分の気持ちと圧力が一致しないときに、なんか形式上仮にやったとしてもさ、それは嘘をつかされてるというか、
そういう気持ち悪さあるよね。感情と行動が不一致することの気持ち悪さというか。
道徳的で押しつけがましい。
なんかそのだからさ、さっき言った瞬間的な感情なはずなのに、目的的になってる。
そのありがとうっていう感謝を伝えることで、そこに何かしらの効能を見てるわけじゃない。
いい人間になれるとかさ、いい結果が出るとかさ、そういうことでしょ。
自己啓発的な柳見っていうのはきっとそういうことだと思うんだけど。
あとさ、なんかラッパーとかがさ、なんか湘南の風とかめっちゃ感謝してる。
ああそうだね、めっちゃ感謝してるね。
なんか出会い感謝みたいな。
パスタに感謝みたいなやつね。お前の作ったパスタに感謝みたいな。
でもそのなんかさ、母の日とかさ、存在に感謝みたいなのってさ、何に感謝?
確かに。
私がエレベーターの開きボタンを押したらさ、それに感謝してほしいわけ。
まあ明確なあるもんね。
私、めんどくさい資料を探してあげたり、代わりに社内の処理をしてあげたら、それに対して感謝してほしいんだけど。
距離の長いというかさ、なんていうの。
まあまあ、存在、いてくれてることに。
日の感謝あるよ。何とかの日の感謝ね。
何人になのっていうのが、ちょっとぼんやりしちゃうってことなのかな。
生んでくれてありがとうぐらいまで遡りそうだけどね。
いやー、それ、それなー、それきちいな。
母の日はだからそういう意味では、非常にイデオロギーっぽい感じするね。
でもさ、母の日をさ、調べたらさ、由来を。恋愛によるとさ、なんか、1908年にアメリカで始まったらしいんですけど、
アンナ・ジャーヴィスさんが亡き母を追悼し、母に感謝を表す特別な日を制定しようと訴えたのが始まりです。
カステラ専門店長崎新銭堂によると、彼女のアンナ・ジャーヴィスさんの母は、女性参政権運動や平和運動に尽力した人物であり、その貢献を称えるためでもありましたってことだそうですよ。
素晴らしい。
偉大な方。
そうだね。
じゃあ、母を追ってアンナ・ジャーヴィスさんの母に感謝。
感謝みたいな。
なんか、私も選挙に行けるようになりましたしみたいな。
そういうかも、お母さんいつもお世話してくれてありがとうみたいな意味での習慣もなければ。
そうだね。すごくだから、自己啓発的だよね。すべてが。そういうものって。
そうだね。独特の自己啓発がなんか。
そうだね。
でも一方でさ、口にするようにしようみたいなのはあるじゃん。自分もさ、瞬間的に何かありがとうっていう気持ちになることはあってさ、相手に対して感謝することはあって、
それを表現するかしないかみたいなのって問題ってあるよね。日常の中でさ。
なんかさ、その、なんかやってもらったとかって、例えばさ、このバードさんはさ、うちらをさ、がいつもさ、長崎行くときすごい運転とかしてくれるじゃん。
そうだね。
で、申し訳ないなっていうかさ、ほんとありがたいって思うじゃないですか。
うんうん。
なんかそれは、なんかその、なんだろう、表現したいとは思いますよね。
そうだね。
本当に思うからそれは。
そうそう、そういうこと、そういうこと。
だからよく言うのはさ、なんかなんかありがたいなとか思ったときにさ、やっぱ反射的にすいませんとか言っちゃうのを、ありがとうって言うようにしようみたいなさ。
そういうこと。
確かにそれはさ、それだけ切り取ると、なんか自己啓発的な表現にもおうけど、まあ確かに日常でね、そういうシーンになったら、ありがとうって言われたほうが、あるいはありがとうって言ったほうが、
いいの?
なんか気持ちいいしこう、円滑になるみたいなのとか表現をちゃんと感謝の気持ちで表現できるっていうのも、あるっちゃあるよね。
そうだね。
だからそうかも、感覚的にはすいませんなんだ、いつも。
そうすいませんって言っちゃうよね。
あ、申し訳ない、すいません、みたいなんだけど、それを、なんか本来は多分ありがとうと表現すべきなのかもしれない。
すいませんって思うよね、でもね。
思う、なんかその仮、仮、仮があるというか。
あー、なるほど。
そのかしかりの感情。
うん、なんかそれがちょっとありがとうとか申し訳ないとかいうことで、ちょっと、何だろう、仮分が少しは減るぐらいの気持ちはあるかも。
あるけど、まあなんかでもやっぱすいませんって言うと、なんかさ、恐縮っていうか感謝ではないじゃん。
確かに。
だからちゃんと感謝として表現したほうがいいよみたいな、いわゆるなんていうの、一般的な教訓?そういうのは、まあ確かにって思うだよね。
なんかいけって、そこだけ切り取るとなんか思うけど。
機械的に言うやだみみたいなのもありそうな気がする。
テクニカルにやっちゃっても、自動化してすってこう出ることで気持ちのいいコミュニケーションがなる、なんかそこは流れていくっていうのもわかるし、あまりにテクニカルにやられると、ちょっと怖って思うというか。
どうなんだろうね。
バードさんは確かに口にしてるような気がするんだよな。
ありがとうございますって。
確かに。ありがとうございますって言ってるイメージはあります。
あるよね。全然その嫌な感じはしないんだけど、機械的な感じもしない。
でもなんかもう、バードさんってなんか聖人じゃないですか。
聖人ね、セイントね。
セイントな、なんか聖なる存在というか、圧倒的な善なんですよ。
あーそうね。
社会的な活動としてもさ、俺なんかは結構桃山障子のさ、活動と自分の仕事がリンクしてるから、
下手すりゃさ、俺がいないJTC座談で盛り上がったら、なぜか俺の手柄とかになっちゃって、
外からさ、京太さんあの時の話面白かったですとか言われることだってあるわけよ。
だからなんか自分の一部をさ、ちょっとどっかにこうみんなになってもらってみたら、そういう感謝感もある。
あるんだ。
でもそれはあると思うんですよ。私も何度も言ってるけど、狂わないのはこの場があるからだって思うんだけど、
でもそれは果たしてありがとうなのかっていう気もする。
なるほど。
なんつうんだろうなあ、改めてさ、この4人ありがとうみたいなのって、なんかむずいなあと思って。
その気持ちってありがとうなのかな、みたいなのが。
いや、言ってくれて嬉しいとは思うんだけどさ。
感謝してほしいと思ってるよ、俺。
される側?
確かにね、森田さんはされるべき存在だから。
いや、感謝したくないとかそういう話をしてるじゃないですか。
佐藤さんの話だけに何か言ってるわけじゃなくて、そう言ってくれてやっぱり嬉しいし、その場を保ってるのは。
そうだね、今は割とね。
今は俺だから、だからそういう意味で何かこう報われる感じはシンプルにあってあるから。
やってくれてありがとう、確かに森田の労力に対してだったのは確かにそういう通りだなと思うんだけど。
でも、言ってくれてありがとうって思ってるよ俺は。
そうなんですか。
3人に。
思ってる思ってる。
思ってるんだけど。
来てくれてありがとうって思ってるもん。
来てくれてありがとうやばい。
ありがたい私、ありがたい存在だとは思ってるんだけど、何でそれに、それ自体にありがとうっていうのは何で苦手なのかっていうことか、私が思ってる。
でもさ、ありがたいっていうのはさ、感謝なのか?感謝っていうか、なかなかないっていう意味でしょ?ありがたいって。
なかなか他にはね、変えがきかねーよみたいなってことなんでしょ?本来は。
ってなると確かにその、ありがたい存在、この仲間は。
ありがたいね。
ありがたい存在っていうのは、なんかしっくりは来ます。
しっくり来るよね。
そのいつもありがとね、ありがとね、いつもありがとねって感じはないんですけど正直。
その、なんか。
おばあちゃん。
おばあさんの。
いつもありがとねーみたいな。
でも、あのおばあさんたちのいつもありがとねも、何なんだろうねあれも。
下手したら、言ってくれてありがとうみたいな感じがあるのかな。
でもそういうとこもあったりするんじゃない?ありがたいなーって。
顔を合わせて、みたいなね。
その、希少性っていうかさ、これまあまあ何回もなんかこの放送で話したことあると思うけどさ、語源的にはそうだよね。