この番組は、人生において 大切な場面での話し方、伝え方に関して、ちょっとしたコツを お伝えしていきます。
元局話などで話し方講師、早坂まき子と申します。よろしくお願いいたします。
今回の【しゃべりの相談室】は、主語が大きすぎる伝え方の メリット・デメリットというタイトルをつけました。
今回のテーマのきっかけは、2つあります。まずは、リアル友人からの相談です。
ちょっとフェイクも交えて、ご紹介しましょう。個人情報をバレしないようにね。
ちゃんとリアル友人から、許可を取っています。
女は、政治家は、アイドルは、と、職業とか属性でくくる語りをするパートナーが、ちょっと最近気になります。
もういい年齢なので、変わらないだろうし、変えられないだろうなぁと思うのですが、
なんかこの人と一緒にいて、大丈夫かなぁと、将来が心配になります。というお悩みでした。
ざっくりではありますが、この先深掘りしたことを、ポッドキャストで紹介しちゃうと、身バレとかね、個人情報バレになってしまうので、ここでとどめております。
綾坂友理は、だいぶ年下の友人なんですね。結婚するかしないか、みたいな状況のお付き合いし、始めたばかりではないらしいんですが、
まあ数ヶ月経った、というお相手のことらしいです。
お相手さんは、決めつけトークをするし、上から目線で語るから、なんだかなぁって思っちゃうんです。
そして、その女はとか政治家は、というのも、その後に褒めるんじゃなくて、けなす言葉が続く。
これだから女はダメなんだよなぁとか、アイドルっていいよね楽そうで、みたいなトーク。
最初は友人も、うんそうだよね、みたいに思っていたし、スパーンとぶった切るのかっこいいって、相手に対して思ってたんですって。
でも、実はエロそうぶってて、文句ばかりなだけなのでは?って、数ヶ月経った今、感じてしまったらしいですね。
この相談はですね、話し方、伝え方以上に、恋愛相談になっちゃうので、深掘りはやめておきますが、
恋愛が絡んでくるとね、単純に話し方をこう変えた方がいいよなんて言えないし、そもそもご本人じゃなくパートナーからの相談なので、
うーんっていう返事をしました。
で、この主語が大きすぎるっていうのは、説明とかはね、しやすいはしやすいんですよ。
もちろん早坂だって、たまに使ってると思いますよ。
でもね、主観が強すぎてしまうんですよね。
主語が大きすぎるトーク、例えば、女は、男は、Z世代は、段階の世代は、
で、その後に続く言葉が、根拠があればいいんだけれども、根拠ないひとくくりって、一気に中小化するし、説得力が失われちゃうんだよね。
聞いてる人からすると、それって決めつけじゃん、になりやすい。
それは、受け手側に立った時、みなさんもわかるでしょ。
10代とか学生のうちだったら、まあまだいいとしても、社会人、しかも結構年齢かさんでいた人が、いわゆるネットスラングなんですが、
くそでか主語でくくることを、毎回毎回やってると、場合によっては、あとは職業とか業界によっては、
あの人ってざつなしゃべりだよね、信頼できないよね、になってしまう可能性があります。
直接言われることはないと思うけどね。
で、このくそでか主語っていう言葉に対して、聞き慣れてない人はびっくりするかもしれないですけど、
もうXだとかYouTubeとかに触れてる人だったら、しょっちゅう見かけるんじゃないかな、
くそでか主語で語るんじゃねーよ、みたいに言ってる配信者とかいますよね。
そうそう、だいぶね、広がってきたんじゃないかな。
でもそのくそでか主語によって、面白い展開にもなったりするからね。
まあやっぱ使い分け大事だよねって話です。
で、この相談してくれた年下の友人は、たぶんパートナーだから、
2人で会ってる時、日常会話でいつもそういうくそでか主語を使われると、なんか疲れちゃうし、
またそういう決めつけトークするんだとなるらしいですね。
でも、たとえパートナーとか配偶者がね、大きな主語をよく使って会話する人であったとしても、
別に嫌な気持ちにならない。
私は嫌なふうには受け止めない。
とあなたが思えるのであれば、全然問題ないんじゃないですかね。
そう、だからこれって人と人との相性の話になっちゃうのよね。
私の友達は、なんだかなーって受け止めたっていう話だけであって、
1対1の相性の問題になるから、だから話し方講師の私としては、もうこれ以上はあんまり言うことがないなってなってるわけです。
そして今回のテーマ理由その2は、理系女がきっかけです。
科学系ポッドキャストの日というポッドキャスト企画に参加したんですけれど、
そのホストが、ひよこ研究者のサバイバル日記という女性2人のポッドキャスト番組さんです。
略してひよけんさんとお呼びしますけど、
このひよけんさん、去年の第2回ポッドキャストスターアワードに参加してくださっている番組さんなんですよ。
その時、応募してくださったエピソードのタイトルがこちら。
理系女という言葉がなくなる日を願って、という、いわゆる理系で研究者であるお2人が体験していること、そして過去に体験したことで、
これはどうなの?とか、次世代の子たちへのメッセージとして残したいことを語ってらっしゃるんですよね。
ずっとこのひよけんさんのエピソードが頭の中にあってね、
いつかしゃべりの相談室でピックアップしたいなって思ってたんですよ。
今年2月の科学系ポッドキャストの日、ホストになってくださったので、連動エピソードとしていいかなと思ってお名前を出しました。
忘れられない理由が、理系女という大きな主語を、私も昔使ってたなぁと思ってね、なんか反省しちゃったんですよね。
で、注目は理系女という言葉です。
理系女子を総称する略語というか、造語ですよね。
多分ね、マスコミが流行らせようと思って作った言葉だと思うんですけれど、
これ、もともとね、地方局のマスコミにいた人間からすると、キャッチーだし、分かりやすいからいいじゃんと、良かれと思って使ってました、私、当時ね。
結構ね、当時流行ったのよ、15年前とかかな、20年前に。
でも、当事者の方たちからすると、わざわざ女性であることを強調する必要はないし、女性が多ければ使う必要のない言葉ですよね。
そう、女性が珍しい業界だから存在してしまう言葉だったわけですよ。
きおけんさん、お二人もね、最初は理系女という言葉をね、流行っていたし、昔はかっこいいと思ったんですって。
中学生の時に聞いたって言ってたかな。
そう、だから女性でもそういうね、理系に進んでいいんだとか、研究職とかで働くことかっこいいみたい、受け止めていらしたらしいのですが、
実際、その理系に進んでみると、今はなるべく使わないようにしているという、そのひとくくりにされることに、メリットじゃなくデメリットを感じるという風になったんでしょうね。
そういったことをトークされてて、なるほどなぁと思うと同時に気をつけようと思いました。
何気なくアナウンサー時代使ってたなぁと思って、トークショーとかインタビューとか、キャッチーなわかりやすい言葉って、本当にね、テレビとかマスメディア大好きですからね。
そう、とにかくね、わかりやすさを重視するために、ひとくくりにするっていうのはよくありますね。
最近テレビ見る方少ないかもしれないけど、テレビの右上とか左下とかにテロップずっと載ってることでしょ。
その時に、「理系女子に密着!」みたいな。わかりやすいんですよね。
途中から見た人でも、今何やってんのかなぁってパッと見た時に、「ああ、理系女子の生活に密着してんだ。バラエティ系ドキュメンタリーね。」って見てもらえるように、ああいうテロップをつけるわけですよね。
今だったらユーチューバーさんとかすごい凝ったテロップとかね、つける人いるけれど。
わかりやすさを追求すると、ついつい当事者が嫌がっているかもしれないひとくくりっていうのをやっちゃってるんですよね。
で、ひよけんさんの番組ね、聞いた時、理系女ってくくることは、女性だからというバイアスをかけることに加担してたんだなって思っちゃったんですよ。
だから、仕事上だったり、生きる上でだったり、嫌な経験された方も いらっしゃったんだろうなぁと思って。
そう考えると、他にも以前はやったカープ女子、広島カープファンとかね、あと数女相撲ファンとか、あと女性だけじゃなくて、男性もそうよね。
イクメンパパとかも はやりましたよね。
こうやって、ひとくくりにするマスコミが作った造語で、人によっては嫌な気持ちにさせてたのかなぁと思うと、本当なんかね、反省しちゃってね。
私一人が反省してもしょうがないんですけど、何にも考えずに使ってしまっていたなという過去に反省と、あとこれからは気をつけようと、ひよけんさんの番組を聞いて思いました。
あともう一個言われてみればさ、女子アナってくくられることに、最初はさ、当時女子アナブームだったから、ちやほやされ始めた時に、ちょっとだけやっぱりルンルンしてたと思うんです。私がね。
でもやっぱりね、ひよけんさんと一緒かもしれない。
年齢重ねると、経験を重ねると、女子アナとひとくくりにされて決めつけられることって、やっぱりカチンと来ることも出てくるのよね。
このように自分もひとくくりにされることによって、嫌な気持ちになった経験から、確かに気をつけなきゃなーっては思ったんですけど、その出来事を理系女という言葉がなくなる日を願ってという、ひよけんさんのシャープ34のエピソードを聞いて思い出したんですよね。
じゃあ主語が大きい、主語が小さい、どう気をつけたらいいかというお話、この後します。
尊敬するアナウンサーの一人に、私、堀潤さんという方がいらっしゃってね、元NHKのアナウンサーで、現在ジャーナリストとして世界中を飛び回りつつ、報道番組のメインキャスターも担当されているという方です。
その堀潤さんがね、よくおっしゃっているのが、我々は、社会は、といった大きい主語は、極力使わないようにしているということなんですよ。
そして、大きな主語、小さな主語には、それぞれ功用の違いがあると。
世間の無関心を打破するには、大きな主語は役割を担っているという風にも語っていらっしゃって。
例えばで言うと、大きな自然災害の被害に遭った被災地の人たちが、被災地は今これだけまだ大変なので、復旧・復興に向けて支援をお願いしたいという時に、被災地はと大きな主語で括ることによって、
無関心な人とか、気づいていない人に気づいてもらえる、知ってもらえるという効果が期待できるというわけですよね。
ただ、これも度が過ぎると、ひとくくりに被災地と言っても、例えば3.11で言うと、私当時仙台にいたから分かるんですけど、
岩手と宮城と福島は、それぞれの問題点は全然違うし、特に福島なんかそうよね、津波被害もですけど、やっぱりこう、電発問題がものすごい大きかったし、
宮城県は大変だって言ったところで、内陸の人と沿岸の人では全然大変度合いが違うし、内陸に痛みとしてはね、ガスも電気も水道も全部止まりましたよ、10日とか1か月とか。
だけどさ、家も流され、家族も流され、仕事も失いっていう人に比べたら、ねえ、違うでしょ。
で、沿岸地域に取材に行くと、気仙沼と尾長和と石巻と名取と山本町と松島とって、同じ海沿いに住んでる人によっても、全然困りごと問題点が違うんですよ。
被害の差っていうのもあれば、人の差、そこに暮らす人々の考え方、価値観の差、違いっていうのもあるしね。
そう、でもそういう細やかなことを最初に言っちゃうと、まだ知らない人にとっては気づいてもらえないから、いや、今被災地大変なんですよ、東北大変なんですよって、当時発信していかざるを得なかったわけですよね。
これが大きな主語と小さな主語の使い分けじゃないでしょうか。
堀潤さんこうも言っています。
大きな主語を使うことで沈黙を強いられている人もいるかもしれないっていうのを念頭に使い分けをした方がいいよっていうことをね、様々な媒体で発信されてるんですよね。
我々はとか社会はと一括りに主張した時に、いや私はそうは思いませんよとか、自分は例外ですよ、一緒にしないでくださいよってなるかもしれないですよね。
こういった経験って年齢重ねた方は、職場でもそういう人いるなとかね、親族とか友人、知人に一括りにされて嫌な気持ちになったなみたいなことあるって方多いんじゃないですかね。
だから私はとか僕はと主語を小さくして語った方が説得力が増したり、沈黙を強いることをなるべく減らそうっていう意味での信頼がある伝え方になるんじゃないですかね。
あと主語が大きくて有用なパターンってのを考えたんですけど、本とかyoutubeとかあとポッドキャストもかな、タイトルに大きな主語を持ってくるっていうのは、ハットを気づいてもらえるとかね、興味を引くっていう意味では有効なんじゃないかな。
それこそクソデカ主語タイトルで私が思い出したのは、昔ね、話を聞かない男、地図が読めない女っていうベストセラーになった本があるんですよ。
調べたらね、日本だけで200万部、全世界で600万部以上売れていて、42カ国でナンバーワンですって。すごいでしょ。
これね、内容を読んでいくと男女のホルモンの違いとかね、たぶんちゃんと脳科学の話になってるんですけど、やっぱりこのタイトルのキャッチリさ、グサッとくる感じが売れた要因の一つなんじゃないかな。
でもこれってさ、人によっては、「いやいやいやいや、私は地図読めますけど?」って怒る人だっているかもしれないし、「俺は話聞くよ。聞き上手って会社で褒められるもん。」とか、ポッドキャスターさんでもさ、「自分は聞き上手。」って思ってる人いるでしょ。
そういう人からするとさ、あんなに売れたベストセラーの本でも、「いやいやいや。」って突っ込みたくなりません?そう。でもじゃあなんで出版社はそういうタイトルを付けてるの?って言ったら、キャッチだから。グサッとくるからよ。話題にしたいからです。
YouTubeのタイトルなんて本当にわかりやすく、クソデカ主語あるでしょ。やっぱり再生回数とかね、何冊売れたってビジネスですからね。しょうがないことかなって思います。でもその大きい主語、小さい主語の使い分けが難しいんだよって思われた方もいらっしゃるでしょう。ね、難しいよね。
たとえこれ前向きなハッピーな話だとしても、ひとくぐりにしないでよっていう人もいますからね。よくXで見るのが、「オタクのクソデカ主語なんだけどさぁ。」ってなんか面白おかしく語ってることもいるけど、リプ欄見ると、「え、それってあなただけじゃないですか?」みたいなこと言われてたりするしね。
で、その大きな主語で語ることが絶対ダメだよって言っているのではなくて、そういう語りをする時は、「私は例外ですよ。自分はそう思いません。」っていう人が現れたとしても、それはもうしょうがないよね。だってひとくぐりにしちゃっているんだもん。
そういう構造をわかっていて、理解して使うならいいんじゃないですかね。だからアカデミックな発表をする人達って、ちゃんとデータを持ってくるでしょ。
研究所を100人に試したら、「60人がこうで。」とか、「30人がこうで。」とか、「10人がこうで。」みたいにやるでしょ。
でも日常会話では、いちいちデータを引っ張ってこないですよね。めんどくさいから。まどろっこしいし。
最近、ポッドキャストでもXでも見聞きするのが、Nイコール1なんですけどっていう枕言葉をつける人。
要はアカデミックな人達みたいに、そんなに何百人何千人と研究をしたわけではない。壮大なデータがあるわけではないけれども、だけど実体験として語らせてください。みたいな感じ。
あれって、なんで使うかというと、「主語を大きくしない方がいいのはわかってる。わかってるんだけどでも言わせてほしい。」みたいな感じでしょ。
Nイコール1かもしれないけど、メールの返信遅い人って仕事できないですよね。みたいな。便利な言葉でいいなって思いました。
だって、いちいち注釈つけるの大変ですもんね。主語が大きいのはよくダメって言うんですよ。言うのはわかってるんだけれどもっていちいち言うとさ、
それはそれでね、耳障りだったり、まどろっこしかったりしますもんね。
そういえば、ちっちゃい頃をみなさん思い出してほしいんですけど、みんな持ってるよ。みんな買ってもらってるよって、大きな主語でおねだりするってことありませんでした?
私はありました。私だけかな?
いや、でも違うな。思い出ポロポロ。思い出ポロポロ。ジブリ映画にも、プーマの靴買ってよっていう中学生が出てくるんですけど、その時もみんな持ってるよって言ってました。
でもこれって説得力に欠けるのよね。大人からすると。みんなって誰?ってつくまれちゃうから。
で、クラス40人で39人が持ってるよ。私だけだよ。持ってないよっていうのがチーズだったらいいんだけど、みんなって誰?って言われて、しほちゃんとみかちゃんとれいちゃんかな?と子供が言うとね、みんなって言っても3人じゃない。
なんでも欲しいって言えば買うと思わないでね。みたいに。
お母さんとかお父さん、言われませんでした?私は言われましたよ。
これは家庭によるか。家庭によるね。なんでもぽんぽん買ってくれるご両親もいるかもしれないけどさ。
でも、大抵は根拠なきみんな持ってる買ってよは、一周されることが多いわけですよ。
理由は簡単です。主語が大きすぎるから。一括りにしすぎだから、説得、納得させられないわけですよ。
そういった年齢とか経験を重ねていくと、学ぶわけですね。