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2025年2月5日、水曜日毎度大きにタートルでございます。よろしくお願いいたします。今日はちゃんと朝に撮っております。
昨日夕方に撮って、なんかその日思いついたこと、あのファッションのこと、あのピアスとかタトゥーとか、
プチ成形の話をして、その日の思いつきやなぁと思って。でもコメントで、確かにみたいなこと言ってくださってね。
なんか僕の思いつきは誰かの確かにに、確かにつながってるんやなぁと思って、喋った意味があったなぁと思いました。
今日は朝から元気に撮ってますので、今日、今朝思ったことと、一昨日の振り返り、ちょっとやりたいと思います。
まず今朝思ったことなんですけど、今日2月5日で、朝時計を見た時にね、あのデジタル表記の時計を見た時に思ったことです。
2月5日なので、2と5っていう数字が書いてあってね。で、これ2と5ってデジタルで表示されたらほぼ一緒じゃないですか。
ほぼ一緒っていうのは、その鏡で反転させたら一緒みたいな。 だからなんか2月5日って数字が2つ並んでいる時に、
まあひっくり返したような感じやなとは思ったんですけど、なんかね、2と5が背中合わせて反対向いてるような感じに僕には見えたんですよ。
皆さんにはどう見えるかわかりません。なんかね、今日デジタルの時計ちょっと見てください。
なんか背中合わせて、あっちとこっち向いて、なんかぷいってしてるような感じ。 だから逆に言ったら5月2日はちょっと向き合ってるように見えるのかもしれないですけど、
僕の精神状態がそうなのか、そのように見えましたっていう、その2と5の話です。
で、おもしろい、話変わって2と5のおもしろい話が、2って鏡に映したら5になるんですよ。デジタルのね。
で、5って鏡に映したら2になるんですよ。 でもね、25を鏡に映したら
52になると思うじゃないですか。 ならないんですよ。
25を鏡に映したら25、 52を鏡に映したら52。
ええええええ 何で?不思議!
嘘やと思ったらやってみてください。もうめっちゃドキンとしますよ。何でやねん!って思いますから。
はい、そんなことをね。 朝起きてから、今朝起きたのは6時ですね。
から、今9時26分。 朝の間にこういう思いつきがあったということです。
どんな時でも何かが、何かを探してしまうような性格みたいです。
で、今日言いたかったのは、その朝の2と5の話と、もう一個、おとついの振り返りなんですけどね。
おとついの話っていうのは、僕が地球儀を見て、その地球を俯瞰してみたら、
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その遠くで起こっていることは、自分にとってどうってことないなっていう話をしたんですよ。
覚えていらっしゃいますでしょうか。あるいは聞いてなかったら、面白い話してるんで、ぜひ聞いていただきたいんですけれども。
自分の この生活に関わりないというか、身に
何も影響し得ないことっていうのは、どっか遠くの方で起こっても、なんか不運ぐらいにしか思わないと。
いや、それは大変やなとか、そういう気持ちはあるんですよね。
宇宙から地球を点として見ても、地球が爆発しても、宇宙からしたら不運やし。
実生活において、雨降っても家があるから良かった、屋根があるから良かったと思っても、
アリさんのお家にとっては大洪水で家が大損害なわけやから、大変なことになっていると。
でも人間から見たら、アリの家が崩壊しても不運とか、思っちゃうぐらいに、
俯瞰してみれば、遠くのことってあんまり影響ないし、何とも思わへんことがあるなって。
でも一対一で対等するとか、身近な人っていうのは、日常の中で何を話すとか、どういう接する、接し方をするかで、すごいちょっとしたことで影響するなっていう、
そんなお話をしたんですよ。 でもそんな分かり合えている人でも、少数点レベルで言うたら、
分かり合えてないところがあるんじゃないかっていう話もしてね。
大枠向かっている方向が一緒でも、 もっともっとミクロ視点で見たときに、
同じじゃないことがあるっていう。 それのすり合わせをするために、言葉っていうのがありますよね。
我々こうやって、スタンドFMで喋ることで、一応言語化ができていると思うんですよ。
それが、
実際に鉛筆を持って書くだとか、パソコンに入力するだとか、そのアウトプットの形はいろいろなんですけど、
いずれにしても言葉を使うじゃないですか。日本語で。 この日本語っていうのは、やっぱり英語と比べて
50音。
言葉の数も多いわけですから、そして漢字があるので、 表現の方法がすごく豊かやなと思っているんですよね。
だから細かく描写できるし、細かく伝えることができる。
楽しいだけじゃなくて、どういうふうに楽しいかっていうものが、 もっといろんな言葉を駆使すれば、
使って伝えることができる。そうすると、 より自分の思いを伝えたり、相手の思っていることが自分に伝わってきたり、
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擦り合わせることができるなって、
思うんですけれども、この言葉の捉え方っていうものを間違えると、 お互いの解釈が全然変わってしまうなっていうことに気がついたんです。
これをわかりやすく言うと、例えば、
出会いと別れとか、
さよならとか、 一つになろうとか、
ずっと一緒とか、 そういう歌詞が入った
歌があるとするじゃないですか、曲が。 この誰が歌っているかを
知らされずに、ただその歌詞カードだけを見たときに、 今言ったようなワードが入っていたら、
皆さんはその歌詞を見てどう捉えるかっていう話なんですよね。 これが捉え方次第で全然意味合い変わってくるなって思ったんです。
今の例えばの話をもうちょっと深くすると、 今の歌詞を
僕の好きな藤井風さんに落とし込む、 藤井風さんが書いた歌詞なんだということにすると、
出会いっていうのは
魂との出会いやったり、その心の中の新しい自分との出会いであったり、 さよならっていうのは
何か自分の邪念みたいなもの。 そんなこと考えなくていいんだよっていう気持ちとのさよなら。
一緒になろう、一つになろうっていうのは、 自分の中でのその
自分の中と世界が共鳴するっていう意味での一緒になろう。 ちょっと難しいけど、やっぱりその藤井風さんが書く歌詞その
込めた意味、想いっていうものは、やはりどっかスピリチュアル的な要素を含んでいる。 そういう捉え方ができますよね。
一方、この歌詞、同じ歌詞を書いたのが西野カナさんだったとしたら、 出会いと別れ、
さよなら、一つになろう、一緒になろう、ずっと一緒だよ。 これどう考えても男女のカップルのお話になりますよね。
このように同じ言葉でも、その書く人が違えば意味合い全然変わってくるし、 今の藤井風さんや西野カナさんが書いたということじゃなくて、
ただただこの歌詞を自分に見せられたときに、自分がこれを読んで、 スピリチュアルな歌だなぁとか、これは恋愛の歌だなぁとか、
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自分がどう感じるかっていうのは、自分がそれまでどういう風な思考をしてきたか、 自分がどういう考え方の癖があるか、
どういうふうに考えたいか、 ということでもって解釈するわけですよ、その歌詞を。
そうすると全然実は思惑違ったよねっていうことになりますよね。 解釈の違いで。
なので、言葉っていうものが、日本語っていうのはすごく繊細で、 細かな表現ができるんだけれども、
結局言葉があることで、なんかちょっと 複雑化させてしまってるというか、
微妙なニュアンスを作ってしまっているっていう、
こともあるんじゃないかなと思って。 時に言葉はいらないって、そういうことなんかな。
それは、 言葉の代わりに
空気感、それとか 視線
とか、第六感で伝わってくる気持ちみたいなところ、
なのかなぁというふうに、ふわっとしてますけれども、 思いましたということで、
言葉っていうのは 非常に
便利で難しいもんやなというふうに思ったということです。 これすごく自分の中で結構
いい閃きだったなと思っています。 また明日お話しさせていただきますので、よろしくお願いします。
ありがとうございました。 お気に入りでございます。失礼いたします。