関西弁のイントネーション
2025年4月3日、木曜日、毎度大きにタートルでございます。よろしくお願いいたします。
9時17分、朝ですね。大体いつもこのぐらいの時間に収録しています。
あのー、ファミリーマート、コンビニのファミリーマート、略してファミマ。
このファミマっていうのが、関西弁のイントネーションやったんやなということが、この度初めてわかりました。
もう生まれてこの方、ファミマしか言ったことがないので、他のその地域の方が、なんかファ、ファミマ?ファミマ?
どう言って言わんのか、知りませんけれども。
あの、今はなきサークルK、もうファミリーマートになったんですかね。
サークルKも、サーケ。ファミマ。これ同じ発音、イントネーションなんですよね。ファミマ。サーケ。
これ昨日コメントにも書いてあるんですけど、タナカ。タナカ君。タナカ。
イチゴ。イチゴ。サシバ。イレバ。そんな感じですよね。
このイントネーション、関西のイントネーション、大阪とか京都とかって、その肯定さが、抑揚が結構あるなと思います。
方言の一つだと思うんですけど、なんとかしはったらどうですか?みたいな。なんか上がって下がって、上がって下がってみたいな。
そんなん言ったってわからへんやんか?みたいな。かはちょっと誇張しましたけど、なんなん?みたいな。
なんかそういう上がって下がってが多いんやなと。そんな関西弁で毎日お届けしておりますが、私何の違和感もなく。
関西弁も今や標準語みたいなもんで、珍しいこともなんでもないですよね。
多く関西弁で発信してある音声配信もYouTubeもテレビもあるじゃないですか。
あんまり全国放送やったら標準語か関西弁って感じで、あんまり思いっきり生った感じを打ち出した人っていうのはちょっと少ないなと思いますよね。
全国ネットで。ローカル局とかやったらご当地人気者芸人さんとかやったら言い張るかもしれへんし、
アナウンサーとかも地域の砕けたニュースとかやったら方言とか触るみたいなのあると思いますけどね。
いや面白いもんでね。同じ日本に住んでて言葉がイントネーションが違うっていうのも面白いもんです。
言葉で情景を伝える
それと昨日コメントでいただいてめちゃくちゃ嬉しかったのが聞いてもらっていいですか?
この間の音継のファミマ行って、ヘーゼルナッツ、フレーバー、シュガーの入れ物があったけど中身が入ってへんかったよみたいな話をした回があったじゃないですか。
聞いていただいた方はわかると思うんですけれども。
その話をしてそれを聞いたミウンさんがその情景がよく浮かびましたっていう。
話し方が上手やったかなんかちょっと忘れましたけど、そういうことを言っていただいてて、これがむちゃくちゃ嬉しかったなと思って。
僕はそこはすごく意識しているところで、言うたら話の内容なんかまあまあどうでもいいことじゃないですか。
ヘーゼルナッツ、フレーバー、シュガーがなかったっていうだけのことやから、
それを楽しみに行ったのにそれがなかったっていうだけの話をしたらいいんですけれども、
その僕が見た光景、その情景、その風景をいかにして人に伝えるかっていうのをすごく僕は工夫してるんですよね。
っていうのを昔思ったことで、話し家さんとか芸人さんの言葉の使い方すごいなって小さい頃思ったんですよ。
エピソードトークってあるでしょ、テレビでね。
お笑いでコントとか漫才とかその作り上げられた劇、寸劇みたいなことではなくて、
エピソードトーク、立ち話ですよね。
この間こういうことがあってさ、みたいなことをいいともとかでね、田森さんとさんまさんがやってたりするんですよね。
それが最初はなんか大人方って喋ってるだけって面白くないし、
もっとコントや漫才してくれよと思ったんですけど、
その話聞いてたらめっちゃ伝わるんですよね、その景色が。
だからこれは言葉の魔力やと思って。
話し家さんって言ったら、講談とか落語とかも身振り手振りがあるじゃないですか。
コア色変えたりとかするのはもちろんのこと、センスを使ってちょっと雰囲気出したりするじゃないですか。
それだけじゃない、この音声配信ってほんまに声だけですから、
声でもってどれだけ僕が見た現場感にリアリティを出すかっていうのは僕の伝え方次第なんですよね。
なので、ヘーゼル、ナッツ、フレーバー、シュガーがそこにあるって言っただけじゃなくて、
そこには緑のラベルが貼られていて、パチって上が開閉するコショウみたいな入れ物になってて、
透明の瓶に貼られている緑のラベルでって言ったらなんとなくイメージついてきますよね。
それで塩コショウみたいな味塩コショウみたいな味の素の味塩みたいな、
ああいうパチって上が半分開いて穴が開いてて、振りかける方式になっているみたいなことを言ったら、
その形状がちょっとよくわかるじゃないですか。
これを伝えて、僕は言葉数多く伝えて、想像しやすく聞いてもらえるように工夫してるんですよね。
実は。
わかりますかね。そこにお褒めの言葉をいただけるっていうのが、僕としてはむちゃくちゃ嬉しかったなと思って、
あんまりそういえばそういうこと言ってもらえてなかったな、今までって思ったら、
なんかね、気づけてもらえてた、ちゃんとっていうふうに思えたんです、今回。
いや嬉しいですね。いやわかりますか、言うてる意味。きっとわかっていただいてると思います。
言葉数多くしゃべるっていうのは、誤解がないように周りくどく固めていってしゃべるっていう目的が一つと、
あとそういう今言ったみたいな、その情景を思わすために言葉数多くするっていうことをしているんです。
そこに電信棒があってっていうよりかは、その電信棒、グレーの直径30センチくらいの高さ10メートルくらいの棒で、
黄色、黒、黄色、黒の安全対策のためのカバーみたいなの掛かってて、みたいなね。
緑色の住所、何々町、何番みたいな住所っぽいのが貼られてて、その電柱には違法で不動産の電話番号みたいな広告みたいなのが貼ってあって、
みたいなこと言うたらなんとなくイメージできるじゃないですか。
そういうイメージを持ってもらえるのがすごく嬉しいなって思うし、できればそれをイメージしていただきたいなって。
小説の描写とイメージ共有
頭のイメージしたものを共有するのってすごく難しいじゃないですか。
一方的に今完全に喋ってますけど、ここに対話があったら、こういうこと?そうじゃなくてもっとこうでって言ったら、こういうこと?多分そうやと思うみたいな。
実質物質的な形はないから、お互い目で見て、そうこれのことっていうことはできひんけど、
なんとなくより具体的に頭の中のイメージを近づけるっていうことが、言葉を使ってすごく楽しいことやなというふうに思います。
小説とか読んでて、そういう描写あるじゃないですか。
それが村上春樹さんやと思うんですけど、この喫茶店の今この目の前にあるコーヒーを表現するだけで、半ページあるいは見開きの1ページ使ったりするじゃないですか。
もう分かったって思うぐらいの。だから小説長何年みたいな。
この喫茶店の雰囲気を表すだけでそんなにこと細かく書くかみたいな。
でもきっと読んでる人はあれが楽しいんですよね。僕も実際それが楽しいって思うんですよ。
読んでて、小説なんか活字ばっかりですから、その字の中で読むことで、頭の中でその状況をイメージする。
これイメージさせるための手法、手段、具体性っていうものが作者なりこの和者からのスキルやと思ってるんで、
そのスキル、僕の発した言葉の技術を評価して頂けたのはすごく嬉しかったなって感謝の言葉でございました。
ありがとうございましたみなさん。ということで今日はこれだけにします。また明日お話しさせて頂きますのでよろしくお願いします。
ありがとうございました。お気に入りでございます。失礼いたします。