00:00
今日はですね、日本の平和主義の根幹ともいえる憲法9条、これをめぐる理想と現実のせめぎ合いについて、あなたが共有してくれた資料をもとに、一緒に読み解いていきたいと思います。
はい。
専門家の分析ですとか、世論調査、歴史的な経緯なんかもあって、非常に多角的な情報が含まれてますね。
ええ、まさに戦後日本のアイデンティティに関わる、本当に革新的なテーマだと思います。
戦争放棄と戦力不保持を謳う9条ですけど、近年集団的自衛権の限定的な行使容認とか、あとは反撃能力の保有決定とか、大きな動きがありました。
そうですね。
この、ちょっと複雑な現状と課題を整理して、あなたが本質をつかむためのお手伝いができればなと。
ええ。資料から浮かび上がる様々な論点、深く探っていきましょう。
ではまず、9条の条文そのものから、1項で戦争放棄、2項で戦力不保持と抗戦権の否認。
これ非常に明確に見えるんですが、ここからもうすでに解釈の戦いが始まっているということですね。
そうなんです。全ての戦争や戦力を禁じたのか、それとも自衛のてめのものは許されるのか。
特に、2項冒頭の、全項の目的を達するため、というこの文文。いわゆる足田修正ですね。これが長年の歌詞です。
足田修正?
ええ。これを、自衛のための戦力は保持できる、という根拠と読むのか。詩詩のような主張ですね。
はい。
それとも、あくまで戦争放棄という目的のためには、自衛戦力も含めて保持しない、と読むか。
半田氏なんかの解釈の前提はこちらです。
なるほど。
ここがその後の自衛隊の存在とか、能力拡大をめぐる議論の原点になっているわけです。
政府はどういう立場なんですか?
政府は一貫して、自衛のための必要最小限度の実力は、憲法が禁じる戦力には当たらない、という立場をとっていますね。
なるほど。必要最小限度だから、戦力ではないと。
そういう解釈です。
その解釈のもとで自衛隊が存在するわけですが、司法裁判所はどう見てきたんでしょうか?
資料にはいくつか裁判例が。
ええ、挙げられてますね。
例えば、長沼内家訴訟の第一審。ここでは、実は違憲判決が出たんです。
あ、そうだったんですね。
ええ。ただ最終的には、別の理由で覆害されました。
それから、砂川事件とか、百利基地訴訟とか。
こういった裁判で、最高裁判所は、自衛隊の合憲性のような、国の基本的な統治に関わる高度に政治的な問題。
うーん、政治的な問題。
これについては、国民の代表である国会や内閣の判断を尊重して、自分は深くは踏み込まない、という立場を基本的にとってきました。
それがいわゆる、統治好異論ですか?
その通りです。司法が直接判断を避ける中で、政治の場での解釈が動いていく、という側面があるわけですね。
03:04
なるほど。
あと、憲法66条2項の文明統制、シビリアンコントロールですね。これも、政治が軍事をコントロールするという原則として非常に重要です。
司法が判断を避ける一方で、近年政治の側でその解釈に大きな変更があったわけですよね。
ええ、ありました。
2014年の集団的自衛権、限定的な行使容認。これは、日本と密接な関係にある他国が攻撃されて、日本の存立が脅かされる、いわゆる、存立危機事態。
ええ、存立危機事態。
この場合に限って、共同で防衛行動を取れるようにすると。
そうですね。そして、2022年。
反撃能力の保有決定ですね。
はい。この2つは大きな転換点と言えます。
この動きに対する専門家の評価、資料を見ると本当に真っ二つですね。
まさに、元内閣法制局長官の半田氏は、戦士防衛を逸脱していて、9条は死んだとまで、かなり厳しく批判しています。
死んだとまで。
ええ。他道で憲法学者の西志などは、いやそもそも9条解釈の誤りから問題が始まっているんだ。
ふむ。
反撃能力も自衛の範囲なりでし、限定的な集団的自衛権は日米同盟にとって不可欠だと反論しています。
全く逆の意見ですね。
そうなんです。重要なのは、この対立が9条を非常に厳格な規範として捉えるか、
それとも安全保障環境の変化に対応していくべき柔軟な枠組みと見るか、その混沌的な姿勢の違いを反映している点だと思うんですね。
なるほど。
あくまで資料にある両者の主張の紹介ですが、この対立軸はやはり押さえておくべきポイントでしょう。
国民の意識もこれまた非常に興味深いです。
朝日新聞の調査を見ると、9条のおかげで戦争せずに水位だという共感が約8割。
高いですね。
ええ。なのに9条が防衛の支障になっているという共感も約6割ある。
これも高い。
これどう解釈したらいいんでしょう。かなり複雑な国民感情ですよね。
まさに。しかもですよ。9条改正の機運は高まっていないが7割。
ええ。
なのに自民党の9条に自衛隊を明記するっていう案には賛成が半数を超えている。
うん。一見矛盾してるようにも聞こえますが。
ええ。そう見えるかもしれません。
でもこれは現状の自衛隊の存在は認めたい、遂任したいという気持ちと、
でも9条の平和主義の理想、これは変えたくないという気持ちが並存しているのかもしれないですね。
なるほどな。
世界価値観調査で国民のために戦うかという問いに、
はいと答える人が世界で最も少なくて、わからないが最多という結果もこの複雑さを示唆しているように思います。
わからないが最多ですか。
ええ。遠藤寛さんが指摘するように、これは単に国民性という問題だけじゃなくて、
06:03
日米安保への依存とその負担、特に沖縄への集中というこの構造ですね。
9条イコール安保イコール沖縄体制と呼んでますが、
こういう構造の中で形作られてきた意識なのかもしれないと。
資料には、かつて安保法制に反対したシールズのような若者たちが、後にその活動歴を語りたがらないという現状も記されていて。
ああ、ありましたね。
ええ。これも声を上げることへの社会的な難しさみたいなものを示唆しているのかもしれません。
背景には世界的な軍事費の増大、シプリの報告なんかもありますしね。
そうですね。国際情勢の変化もこうした国内の議論にやはり影響を与えています。
うーん、憲法9条というのは理想と現実、それから条文と解釈、そして国民感情と政治判断がもう絶えず揺れ動いている。
まさに戦後日本の革新的なジレンマなんだなっていうのが資料を通してよくわかりますね。
ええ、本当に世論のねじれ、専門家の対立、そして司法の判断回避。
資料はこの問題の多面性、複雑さを浮き彫りにしていますよね。
簡単に答えが出る問題ではないということです。
そうですね。最後にこれを聞いているあなた自身にちょっと考えてみてほしい問いかけがあります。
はい。
条文の言葉とそれをめぐる解釈、そして現実の安全保障や国民の意識との間にこれほどのまあ距離がある中で、
現代の日本にとって平和とは一体何を意味するのか。
そして憲法はその理想を未来に向けてどう体現していくべきなのか。
このあたりぜひ考えてみていただければと思います。