自己の内省と成長
皆さん、おはようございます。
2025年8月29日、金曜日、ツカサです。
この放送は、ベンチャー企業の管理職ツカサが、日々の仕事や生活の中での学びや気づき、
そしてビールを通じて豊かな人生をお届けする番組です。
皆さん、おはようございます。
8月最後の金曜日で、ちょっと疲労感が出ていますが、皆さんいかがでしょうか。
最近私の娘がね、娘の話をしますと、娘がだいぶ切羽詰まっています。
というのもね、受験なんだけど、推薦で受けるんですね。
だから自己推薦書みたいなものを書いて、で、この間提出が終わりまして、
さらに今度は学祭があるんで、それのいろいろ準備がなんだってやってるんだけど、
やっぱりね、やりたいことがたくさんある娘を見て、
そしてやれることがどんどん増えている娘を見ているとね、
本当にこの時間は貴重で、彼らにしかないその時間を本当に今生きてるなっていうのを感じるんですよね。
その対比としてね、自分はどんどんどんどんできないことが増えていって、
衰えを感じはするものの、
これもまた限られた時間を過ごしてるなって思って、
改めて時間は大事なって思いながら、今回の収録もさせていただいてます。
はい、ということで、今日のシェアはですね、内製だけはAIを使ってはいけないよっていう、
そんな内容の話をいたします。
皆さんはAI使ってますか?
おそらく管理職とか中間管理職の方は、少なくとも疑似録とか、
あとはメールの構成とか、そういったのには使ってる方多いんじゃないかなって思うんですよね。
僕もその中の一人です。
僕の場合はまあまあ使ってる方だと思ってて、
一時このラジオの台本もいろいろね、
学習させて作ってた時期もありますが、
このラジオの台本と、
インスタグラムの台本と、
あとは自分の内製、この3つは絶対にAIを使わないっていう風にある時から決めて、
台本なしでお話しする。
もちろん台本はあるんだけど、
台本はもちろんあるんだけど、
AIを使わないっていう意味でね、
AIを使わずに台本作成と話をするっていうことを決めています。
それは何でなのかっていう話なんですよね、今日のシェアはね。
これはね、AIで台本を作ったり内製したりとかしていくと、
AIの影響と批判
文章の構成能力は比較的安定するし、
楽ちんになっちゃうんですよね。
楽ちんになっちゃうんだけど、
一方で自分で考える力が本当に衰えていって、
さらに感情が乗らなくなってくる。
感情が乗らない。
これをすごく感じました。
決定だとなったのは何なのかっていうと、
僕は内製って内側を反省するって書く内製ね。
自分で作る内製じゃなくてね、
自己を内製すると内製。
この内製を僕結構する方だと思うんですけど、
それは残していくんですね。
ある出来事があれば、それに対して自分はどう思ってどう感じて、
どのような気持ちになって、それはなぜそうなったのかみたいなこと。
そして自分はどうありたいのかみたいなことを、
僕結構書いて残していくんですよね。
その時の勢いそのままに書くようにしてるんですね。
それをたまに見返すこともあると。
大体見返さないんだけど、見返さないって言ったらなんだけど、
同じテーマで書くことがあったら一旦見直すことはあるけれども、
あんまり見直すことはない。
とにかく自分の言語化のトレーニングにするために、
それと自分の自己内製トレーニングのために、
ずっと2022年からやってるんで、もう3年続けてるんですけど、
そういうことをしてるんですよね。
これをある時見る機会があって、見たの。
そしたら、その言葉のほとばしる感情みたいなものは、
内容とか文章の作り方、それと何て言ったらいいのかな、
手におはとか結構間違えたりするんですよ。
勢いのままにバンバン書いちゃうから。
流れるままに思考をそのまま書き綴る。
手書きしたものをスキャンしたものもあるんだけど、
書き綴ることをしてて。
それが本当にめちゃくちゃな時もあるんだけど、
伝えんとしてることはよくわかるんだよね。
当時自分が伝えたいとしてることはよくわかる。
そして、それを見返してる自分が、
改めて別の師座で同じテーマを書いた時に、
その言語化の精度の違いがよく見えてくるんですよね。
この精度の違いとか、言語化していることの能力の差というか、
成長度合いみたいなものは、
AIで整えちゃうとちょっとわかんなくなってくるんですよね。
で、わからなくなってくるし、
その時その時の成長過程にもやっぱり魅力があって、
そういう自己発見があったんですよね。
だから僕は台本作成とか、
あとは自己内省について、
AIで整えるみたいな、リライトするとかね、
そういうことはしないようにしたんですよね。
これってすごく大事なことだと思ってて、
自分を内省している文章っていうのは、
なぜそう思ったのかとか、
どうしてそういう感情になったのか、
その理由は何なのか、
だからどうありたいのかみたいなことっていうのは、
すごくコンテンツ化してないんだよね。
言語化が精度が高かったり低かったりするから、
それをAIで補正しちゃうと、
そもそも自分がどの立ち位置だったのかっていうのは、
よく分からなくなっちゃうんですよね。
その曖昧さとか、
うまくいってなさかげっていうところに、
その人の定位置が見えて、
それを補正しないっていうところに、
内省そのものの魅力があると思うんですよね。
自己表現の重要性
そして自己成長っていうもの、
これは質的成長っていうふうにも言えると思うんだけども、
量じゃなくスキルアップとか、
地位とか名誉とかそういったものではなくて、
内面の変化、
それは内面の変化だから、
時に後退もあるだろうし、
停滞もあると思うんだけど、
それらすべてがやっぱりすごく大事なプロセスで、
質的な成長においては、
時間がかかると思うんですよね。
時間がすごく大事で、逆に言うと。
その時間を感じれるのが、
補正されていない、
AIとかで補正されていない、
そこに生の声、生の文章、生の意思っていうのかな、
そこにあると思うんですね。
だから僕は台本とか、
内省している文章とか、
そういったものにはAIを使わないって決めてます。
皆さんはいかがでしょうか。
もしこういう日々、日々ではないかもしれないけども、
内省するとか、日記を書くとか、
気付きをメモするとか記録するとか、
そういったことをされている方がいらっしゃったらね、
AIは使わない方がいい。
本当に学習していくから、やつらも。
で、学習していくから怖いんだけど、
AI使わない方がいいなって僕は思います。
その時系列が価値だから。
内省の。
で、それを生み出せないのがAIだから。
だからそこの部分だけは、
どうせ誰かに評価してもらうようなものじゃないからね。
自分自身が留めておくものであるならば、
大切に作ろうがいいんじゃないのかなっていう風に僕は思っています。
はい、ということで今日の放送は以上です。
この放送が皆さんのお役に立つなら嬉しいです。
ということで、今日も一日頑張っていきましょう。
また明日。さよなら。バイバイ。