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はい、みなさんこんにちは。
2025年3月1日、土曜日、ツカサです。
この放送は、ベンチャー企業の管理職、ツカサが、日々の仕事や生活の中での学びや気づき、
そしてリールを通じて、豊かな人生をお届けする番組です。
みなさん、こんにちは。3月になりましたね。
今日は土曜日ですから、お休みの方も多いのかなって思いますけれども、
月始めなのでね、サービス業の方はむしろ忙しいのかなとも思っておりますが、みなさんいかがでしょうか。
今日、私はですね、久しぶりにお休みをいただいております。
娘が、明日からアメリカに留学するということで、
これは交換留学なんですけれども、そのためにアメリカに行くんですね。
そのパッキングとか、あとはEシムって言うんですけれども、海外でデータ通信ができるような手続きをするとか、
とにかく朝から娘の準備のお手伝いをしておりました。
正直なところ、僕はこういったことに関して、なるべく手伝いたくないスタンスでいるんですけれども、
娘もね、私と同じタイプの人間なんで、結局追い詰められなければ、自分ではやらないっていうタイプなんですよね。
周りをうまく頼るタイプって言ったらいいんでしょうかね。
だから近くに私がいる限り、あれこれ聞いてくるので、聞かれる限り答えるんだけれども、
途中で自分で考えるとか言いながら、喧嘩しながらやってたっていう感じですね。
今日は週末ですから、私はそんな感じで過ごしていますけれども、皆さんもお時間が忙しいと思いますので始めたいと思います。
さて、今日の放送は倫理とは、道徳とはという話をしたいと思います。
これはシェアですね。
週末の少し自分を内省する時間の参考になったらいいなと思いまして、このテーマを選びました。
倫理と道徳という話で、僕がこれ何で考えるようになったかっていうとですね、
本で読んだ話なんだけど、海外に親子で渡航した人がいまして、
その行った先の道端にいわゆる小敷がいらっしゃって、道端に座ってて、お金をくれと手を差し伸べていると。
その時に親は、いいからこっちおいでって子供の手をグッと引っ張って、その道を通り過ぎると。
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その後すぐに子供が、なんでお母さんそんな風に、あの人困っているのに、どうしてお金を渡してあげないのよっていうことを言って泣きじゃくると。
この話っていうのはね、道徳的には、困っている人を助けるっていうのは道徳の話だと思うんですよね。
だけど、その人にお金を渡したからといって問題が解決するわけでもないし、
じゃあ次々に来た人全員にお金を渡していったら、自分の生活もままならなくなるわけですよね。
だから子供が言っているのは道徳の話。困っている人を助けましょう。それは大人もよくわかっていると。
だけど、それが全部できるわけではないからやれない、やらなかったっていうのが、これは倫理の話なんですよね。
本音と建前って言ったらいいんでしょうか。
こういったことは世の中にはたくさんあると思っているんですが、
これをどのように整理して自分の中で腹落ちさせられるんだろうかっていうことを考えるわけなんですね。
なぜならばこういった頭ではわかっている、そして道徳的にはこれが正しいんじゃなかろうかとは思う。
けれども本音としてはこれはできないんだっていう現実、答えのない問題に立ち向かうことっていうのは、
僕たち中間管理職や管理職っていうのはよくある話だと思います。
ましてや経営者は、そんなことを言ってられないまったなしの結果を出さなきゃいけないっていう、そういった立場の人たちもいると思うんですよね。
経営者のみならず代表だったりとか、あとは組織のプロジェクトリーダーだったりとかですね。
またはお金を扱う人だったりとか。
そんな中で、じゃあ僕らはこの答えのない問題と立ち向かうときに一つの指針となるのが、僕はこの道徳と倫理っていう話じゃないかなと思ってるんですね。
守るべきものというか、正しさの根幹となるものは、僕はこの話の例でも出たけれども、道徳だと思うんですね。
つまり道徳って普遍的で正しいんだっていうことだと思うんですよ。
で、正しさの中にはできますよねっていう前提が含まれている、そういった行動が道徳的行動っていうことだと思うんですよね。
ゆえに行動できないと非難されるっていう一面もあって、すべきができるっていうのを含んでいるっていう、そういった状態ですよね。
だからその価値を生きてるって感じがします。
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一方で倫理って何かなって思うと、さっきの話の例で言えば、子供は困ってる人を助けましょうって言ってるんだけど、お母さんは手を引っ張ってそっち行っちゃダメよっていうふうに引っ張る。
この行動が倫理だと思うんですよね。
つまり倫理って個別の生き方だと思うんですよ。
できるのかできないのかっていうことを考えることも含まれているんだけれども、だからこそ行動ができなくても非難されないっていうことですよね。
つまりすべきことの中にできるっていうことが含んでないっていうことです。
だから言ってしまえばできないこともある。すべきなんだけどできないこともあるんだっていうね。
そして価値を生きるっていうのが倫理的な行動。
価値を生きて想像もするんですよね。
それが倫理的な行動なんじゃないかって思っています。
もう一度整理しますね。
この話は戸敷に対して優しくするべきである。するべきである。これは道徳的。
だけど実際には全員に優しくすることができない。
それについて考えて何をするべきなのか。自分なりの答えは何なんだろうかと。
それを考えて見つけて行動することっていうのは倫理的だと思うんですね。
だから子供が子敷に対してなぜ優しくしないのかっていうことを問い、そして責めていくことっていうのは道徳の話で実際にはできないんだよね。
正しさとはそういうことかもしれない。なぜできないのか。そして自分ができることは何なのか。
子供に分かるようにどう説明すればいいのかっていう正解のない行動とか思考。
それ自体は倫理の話っていうことになると思うんですよね。
僕らの周りには道徳とか倫理とかっていうこの2つの話を履き違えている人がすごく多いと思うんですよね。
仕事は道徳の世界じゃなくて倫理の世界だと思うんですよ。
僕らが仕事をする上ではいつも正解のない問題を考えて行動することになっていますよね。
その倫理的な思考と決断と判断、この積み重ねが自分たちの哲学を作っていくことになると僕は思っています。
答えのない問題から道徳に逃げないこと。これは僕らにとってとっても重要なことなんじゃないのかなっていうふうに思っています。
皆さんはいかがお考えでしょうか。
さて今日の中間管理職の放送は以上となります。
この放送がいいなと思ったらいいね、そしてコメントいただけたらとってもありがたいです。
それではここから先はビールの話です。
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ビールの話ですけどもね、今回はまたビールの温度の話なんだけど。
ビールを凍らせたらどうなるかっていう話は何度も何度もしてるんですけれども、絶対に冷凍庫を入れんなよっていう話してますよね、僕ね。
冷凍庫に入れたことがある人って結構いると思うんですよ。
でも凍ってないから、そして破裂してないし怪我してないからこんなのは大したことないと思って、笑い話になっちゃうというね、そういう話なんだけど。
だけどね、本当は結構危険な状態のものでして、何が危険かっていうと
炭酸水っていうのは液体と液体が混ざり合っていてそもそも不安定な状態なんだけどもね。
凍る直前の温度のビールっていうのは一番怖いのはちょっとした衝撃で一気に凍ってしまうっていう、そっちの方が実はむちゃくちゃ危ないんですよね。
液体が凍るときにちょっとしたカクカクとなるものっていうかね、それがあると衝撃を加えた段階で一気にビシッと凍っちゃうんですよね。
これがこの現象が起きちゃうと何が怖いかっていうと、例えばビンビールの場合、そのビシッと凍った瞬間に液体がビュワッと膨張して、ビンを内側から外側に押し広げてバリンと割れちゃうんですよね。
これが一番怖いっていうことなんですよね。
例えばその衝撃っていうのは扇抜きを王冠に当てがってグッと力を入れたときの衝撃だったりとかするとですね、その瞬間にバーンと液体が凍っちゃって、
ガラスが外側に破裂して、場合によっては怪我をするというようなことになります。
それもね、やっぱり顔の近くにビンを置いているから一番怖いのは失明とかそういったところが怖いですよね。
実際にですね、そういった事例が過去にあって、それで絶対に冷蔵庫に入れないようにしてくださいっていうことを各メーカー、ビンとか缶の注意事項のところに記載しているということになります。
今日の放送は以上です。
怖いですね。本当にね、絶対冷蔵庫だから入れんなよっていう話なんだけどね。
この放送が皆さんのお役に立ったら嬉しいなと思います。
ちなみにね、この放送ね、炭酸水だから基本的にビールは当然そうなんだけど、ラムネとかコーラとかスプライトとかああいったものも同じなんでね、絶対に冷蔵庫に入れないでくださいね。
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ということでございました。
以上で今日の放送を終了します。
それではまた皆さんさようなら。バイバイ。