1. 高橋ツカサ/中間管理職の為のラジオ
  2. 僕らは、言語化から逃げない。..
2025-10-31 12:37

僕らは、言語化から逃げない。そして友達はいらない。


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サマリー

このエピソードでは、言語化の重要性と仲間と友達の違いが掘り下げられています。特に、リーダーが自分の言葉に責任を持つことが強調され、同じ目標に向かう仲間の存在の価値が語られています。また、チーム内での明確なコミュニケーションの必要性についても触れられており、責任を持って言葉を選び、仲間との関係を明確にすることの大切さが強調されています。

言語化の重要性
はい、皆さんこんばんは。2025年10月31日、金曜日、ツカサです。
この放送はペンチャー企業の管理職、ツカサが日々の仕事や生活の中での学びや気づき、そしてビールを通じて豊かな人生をお届けする番組です。
皆さんこんばんは。配信が遅いですが、今日も元気にやっていきます。
まずはですね、ビールのお知らせです。
昨日からインスタグラムの動画配信を開始しました。
私ですね、ベアレンビールの営業部長ということで、今更ながら、私の肩書きとかそんなものは隠す気はなかったけど、もっと大きくしていこうと。
どうせバレバレだから。
もっと自分の発言や発信に責任を持ってやっていこうと。楽しくやっていこうということですね。
もはや働き方も生き方も同じですから、そういったところを皆さんと共有しながら楽しく発信活動をしたいなと思いまして、昨日から配信しました。
昨日の動画はですね、高橋ツカサ、ツカサはカタカナで検索していただけるとすぐに出てくると思います。
すごいTシャツの人間がベラベラ語ってますが、ちょっとね、久しぶりの投稿で音声がね、BGMがでかすぎて何言ってるかよくわかんないっていう。
もうでも、もういいかと。60点で出せって話で、もう直さない。
次やるっていうことで出しちゃいましたということですね。次も高評価期待でございます。
さて、今日の放送ですけれども、今日は言語化から逃げないでくださいよっていうようなテーマでシェアしたいと思います。
これはですね、昨日の激アツ放送の中で、私の放送にコメントをいただきました畑さんのリクエストにお答えする形でアンサーフォースをしたいなと思うんですよね。
畑さんのコメントをちょっと読ませていただきますね。
畑さんはですね、昨日の放送に対して、昨日の放送はガイドラインは作るより守らせることが大切というようなテーマでシェアさせていただいたんですが、
一度目でコメントするのもなぁと思って、時間を空けて2回目聞きました。タイトル通り熱すぎでした。理念に共感して集まった仲間だと思っていたけど、それは幻想で仕事に落とし込まないといけないという現実。
それを乗り換えたからこそ、その圧をの熱弁当を受け取りました。ありがとうございます。
僕らのディレマの消化、そして解消、彼らとの融和についての方法論についても、もしよかったらいつかお願いしますということで、こういうのは本当にありがとうございます。嬉しいです。
こういったコメント、いいね、コメントが本当に皆さんとの共有になるので、ぜひコメントいただければと思います。
畑さんのこのコメントは、まさしくおっしゃる通りなんですよね。
今日話したいことは、言語化から逃げてないですかっていう話なんですけども、そもそもですね、仲間は友達かっていう話ですね。仲間は友達になるのか、それとも友達は仲間になり得るのかっていう話なんですが、
これは言葉の定義を一つ一つ自分の中で言語化をするっていうことがものすごく大事になると思うんですね。
特にリーダーになる人、中間管理職や管理職の人たちは、自分が発する言葉に対して責任を持たなきゃいけないっていうのが僕の考えです。
その責任とは何なのかというと、やっぱり一度言った言葉は元に戻らないんですよね。
人間汗のごとしとかっていうことわざがありますが、出てきた汗は戻らないっていうね。
昔の秦の始皇帝が発した言葉は、偉い人が発した言葉は元に戻りませんよというようなことわざなんですけども、リーダーが発した言葉はいつまでも部下は覚えている。
中途半端に自分が言葉をわからないまま使っていると、それ何なんですかとか、後から話をもう一度説明してほしいとかっていう話になったときに本当に説明ができない。
それは情けないよね。そして信頼を失ってしまうと思うんですよね。
じゃあ例えば今回僕が伝えたいこと、仲間は友達になれるのか、それとも友達は仲間になれるのかっていう話なんですが、
友達は同じ目標がない人でもいいんですよ。
例えば小学校とか中学校の同級生、わけわかんないままクラス分けされて一緒になった人たち、これは友達なんですよね。
友達には同じ方向性の目標はないんですよね。
だから小中は友達が多いけれども、本当の仲間はいたんだろうかっていうふうに僕は思います。
一方で仲間っていうのは何なのかっていうと、同じ目標、ビジョンに向かって集まった同志のことを仲間と呼ぶんですよね。
だから仲間は喧嘩もするし、そいつがリスペクトできなくてもいい。
だけども同じビジョンに向かって進むべき人間であるということが、その仲間である支出条件なんですよね。
だから同じ船に乗っている人間は仲間だけれども、友達はいらないっていうことで、
仲間と友達の違い
働かない奴がそこにいたら船は沈没しちゃうって話なんですよね。
一方で友達の中に仲間はいるのかっていう話なんだけど、それはいるかもしれないし、いないかもしれない。
それを殲滅するのが必要だっていうことになると思います。
ゆえに、さっきの仲間か友達かっていう話からすれば、仲間は友達になるかもしれない。
けど前提は仲間であるということなんだよね。
一方で友達は仲間じゃなくても友達なんだよね。
別に利害関係がない人間は友達のままでいいわけですね。
だけど仲間になることはほとんどないと思う。
だから僕らが中学校とか小学校中学校卒業して、その時の同級生に会うじゃない?
久しぶりに。その時話って会わないじゃん。
っていうのは高校とか高校大学、社会人ってだいたい自分の目標とかやりたいことに向かって人生選択をして、
そこで集まった仲間だから、だいたい方向性は合ってる場合が多いんですよね。
だから、久しぶりに会う中学校とか小学校の同級生っていうのは、
友達だから久しぶりに、仲間は一人もいないんですよね。
そもそも同じように働いていなければね。
っていうことは、話が合わなくてもしょうがないっていう話で、
一方で仲間の中に友達のようになれる人っていうのもいないかもしれないけど、
いないかもしれないけどもそれは仲間だからしょうがないっていうね。
コミュニケーションの課題
そういう定義で僕は接しています。
ただし仲間の中に上も下もないと思ってて、
とはいえフラットランドじゃないんだけどヒエラリティはしっかりあってね。
つまり上下関係はあるんだけど、リスペクトはきちんとする。
若い人間には若い人間なりの時間があり、
年老いた人間には年老いた人間なりのキャリアがあるから、
それぞれリスペクトするっていうことが大事なわけですよね。
ひり返って話は長くなりましたけども、
今回のシェアっていうのは言語化から逃げてませんかって話なんですが、
こういった言葉の定義がなされてないから、
だからコミュニケーションにおいて非常に生き違い、
極めて重要なすれ違いが発生しちゃう、
アンマッチが発生しちゃうわけですね。
合わないわけですよ。
こいついい奴だと思ってたのにみたいな。
いい奴だけでは仕事はできないっていう話なんですよね。
言語化の重要性
それを自分もそうだし相手にも理解してもらうっていうことがやっぱりすごく大事で。
ビジョンがあってブランドガイドラインがあって、
いい仲間に恵まれてると思って雰囲気を作って、
その雰囲気に憧れて入った人間が仲間かどうかわからないっていうのは、
大きな課題なんですよね。
じゃあどうするのかっていうそこの問題なんですけども、
それはひたすらにやっぱり1対1の面談をするとか、
ガイドラインの読み合わせをするとか、
ビジョンのディスカッションをするような時間を設ける。
これが思っていたベアレンビールじゃないんだけど、みたいな話は。
そもそも僕らがそのベアレンビールとは何なんですかみたいな、
ブランドガイドラインとかビジョンをはっきり明確に作ってないっていうのが重要な問題であって、
これがないと同じような仲間は来ないんですよね。曖昧だから。
一番大事なのはそこの要するに曖昧さをどれだけ排除できるのかっていうところに、
僕らの大事な仕事があるんだと思うんですよね。
曖昧さをなくしていくっていう作業は、自分の中を内省していくっていう作業になります。
自分自身が言葉を使うときにどれだけその言葉に対して責任を持てるのか、
曖昧な言葉で逃げてないのか、
そういったことを胸に手を当てて本当に考えてもらいたいなって思うわけですね。
たまにいますよ本当に。そういった会議とか、
ミーティング、プロジェクト会議の中で出るとね、
これは叱るべき措置をするにあたって、
次回の委員会の議題とさせていただきますみたいな。
そんなことやってたら、誰が、いつ、どうやってやるんですかっていう話に落とし込まないと前に行かないじゃないですか。
で、それは叱るべきとはいつですかと。
そして、委員会とは誰ですかと。
そして、最終意思決定者は誰なんですかと。
で、この会は何のためにやってるんですかっていうところまで、
そのプロジェクトリーダーがはっきり言えますかっていうことですね。
だいたい言えないですよ、本当に。
嫌わされてるって感じでやってるっていうのがね、だいたい多いんだけども、
そうならないようにしようぜっていうのが僕の提案なんですよね。
僕らリーダーが言語化側で逃げてると部下からも舐められます。
舐められるし、プロジェクトリーダーになった時に、
そのプロジェクトは本当に迷走してしまうことになるんですよね。
そうならないためにも、自分たちはこれはなぜするのか、いつまでにするのか、どうやってやるのか、
そういったことを明確に、そして言葉の定義をそれぞれにはっきりとしていく。
それも自分だけの定義じゃなくてもいいと思うんですよ。
その定義も、もしかしたらこれは曖昧かもしれないと思ったら、
自分が出したその言葉の定義。
僕は仲間はこういう定義で使ってるけど、みんなはどう?って。
だから俺たちは友達じゃないよと。残念ながら。
だからぬるいことは言わない。きついことも言う。もしかしたら喧嘩もするかもしれない。
だけど同じ目的に向かってやっていくんだっていう、それを明確にする。
それがね、とても大事なんですよね。言うの難しいですよ。
だって責任その人にあるから。そこから逃げないでくださいっていうね。
そして説明責任というのは、その言語化するところから始まるから。
最終的にね、経営責任は経営者だけど、リーダーは説明責任を負わされるんですよね。
その説明責任ができるかどうかっていうのは、あなたの言語化能力にかかっていますということになるわけです。
仲間との関係の明確化
ということで今日の放送は以上です。
今日も熱く熱く語りましたけれども、畑さんのお答えになりましたかね?
なったかな?どうかな?
これもね、また皆さんのお役に立ったら嬉しいなというふうに思っております。
はい、ということで今日も最後まで聞いてくださってありがとうございます。
また明日お会いしましょう。さよなら。バイバイ。
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