週末のビールと夜市
はい、皆さんこんばんは。2025年4月5日土曜日、ツカサです。
この放送は、ベンチャー企業の管理職、ツカサが日々の仕事や生活の中での学びや気づき、そしてビールを通じて豊かな人生をお届けする番組です。
いやー、ようやくね、週末きましたけれどもね、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
緊張が続いた1週間、その終わりのね、週末ということで、だいぶね、気分転換の時間を過ごされた方多かったんじゃないでしょうかね。
私はね、何やってたかというと、今日から始まったのが在木町夜市っていうね、岩手県森岡市の春から秋にかけて行われる、毎週土曜日の風物詩ともいえるものなんですね。
もうすでに50年以上続いている路上市に出展してまいりました。
この路上市では、ビールを販売するんですけれども、僕はもう22年前から出展していて、古いですからね、いろんなお客様のご相談窓口みたいなことをやっていたというわけですね。
結構人気でして、この夜市が。全国各地からいらっしゃるんで、本当にね、いいコミュニティーに育ったなというふうには思っております。
さて、そんなね、ビールもシーズンインというところなんですけれども、そのシーズン入って一発目のビールの小話っていうのは、ビールの泡についてなんですよね。
昨日ショート動画にも上げましたけれども、よくイベント販売とかで、泡が多いか少ないかとかね、この泡何の意味があるんだとか、液体だけにしてくれとか、そういう話があるわけですよね。
そういう話について、少しまとめて出したんだけれども、皆さんは泡のないビールと泡のあるビール、どっちが美味しいかって試したことありますかね。
これ、なかなかね、やらないんですよね。だってお金払って飲んでるから、なるべく美味しく飲みたいと思うじゃないですか。
実際ね、これ飲み比べてみるとわかるんですけど、泡なしで飲むビールと泡があるビールっていうのは、泡があるビールの方が確実にまろやかなんですよ。
これは本当に、注ぎ方によっては全然味が違います。
飲食店ではね、そういう注ぎ方で泡と液体を7対3とかって言いますけれども、そんな感じでね、提供することで美味しく出すっていうね、それが基本にあるんですよね。
それとね、泡に意味があるのかっていう話に関して言えば、買う側からすればね、10両でお得に飲みたいから、たくさん入れてくれっていう、そういう意味なんだよね。
でも、まあ、間に受けんなって話なんだよね。注ぎ手の方がね。そんなの?みたいな。こっちだって10両で売ってるんだからそんなに。
泡なしだったら7分目までで終わりだよみたいなこと言っちゃダメよっていう話で、僕の今日話したいことっていうのはね。
ビールはコミュニケーションツールだから、そういうことを言われたら、泡が入った方が美味いっすよとか、いや、俺泡なんかいらねえよ、そんなのいいから、量飲みてえんだよ、いや、すいませんみたいなね、そういう会話をやれるようにしようっていう話ですよ。
まあ、どっちも大人だからね。売る方も飲む方もね。だから楽しくやりましょうっていう話を、まあ、ショート動画では言えなかったけど、僕はね、本音では言いたいっていう話なんですよね。皆さんはいかがでしょうかね。
コンペティションの影響
では、今日の本題に入りますね。中間管理職のためのラジオの今日のシェアですけれども、今日のシェアはね、コンペティションから考えるマネジメントということでシェアしたいんですよね。
まあちょっとね、ビールでコンペティションってものがありまして、何でもそうですけども、金銀銅を決めるような、そういうコンクールみたいなのがあるじゃないですか。
で、これっていうのは文化的な側面を持ったものにつけられるんですけれども、
よくよく考えるとね、金銀銅を作ることによって、書を取るために作品がそちら側に引っ張られちゃうっていう傾向があるんですよね。
そうなると、そもそもなんだけど、作品自体の多様性がなくなっちゃって、大きなイノベーションが起きないとか、大きな資座が得られないっていうことがあるわけですよね。
これは例えばだけど、オリンピックなんかだとすっげーわかりやすいんだけど、この間ブレイキンっていうかね、ブレイクダンスがオリンピック種目になって、なんかわかりにくいっていう話があったんだけど、あれじゃわかりやすくしちゃったらどうなるんだっていうと、最適化しちゃうんだよね。
演技が最適化しすぎちゃうと、パフォーマンスから始まったカルチャーがアスリートチックになっちゃって、全然パフォーマンスが面白くないみたいな感じになってくると思うんですよね。
今回シェアしたい話っていうのは、部下への評価ですよね。この間の話にも通じるんですけれども、部下への評価基軸も売り上げを求める営業であれば非常にわかりやすいんですけれども、
私が今回思っていたのは、例えば、ものづくりをする会社だったりとか、工業系でもね、ただただ生産性ではなくて、アートに通じるものっていうかね、そういうものづくりの製造業の場合は、評価においては、
あまりにも明確化していくと金銀銅みたいな、賞みたいな感じにしちゃうよね。どうしてもそちらの方に引っ張られてしまって、だって金賞取れないじゃないですかっていうことになりかねないんですよね。
ところが金賞を取ることと会社のビジョンとが一致していないことのほうがほとんどですから、これは会社に貢献して、金賞を取ることにばっかりやっきになって、会社への貢献度が下がると当然ながら評価されないっていう話なのね。
それは若い子はわかんないわけですよね。自分の肩書きとか受賞が欲しいから、そっちばっかりに目が行きがちになっちゃって、会社の仕事がおろそかになったりとか、
巡り巡って本当は会社のために賞を取ったらインセンティブを与えるみたいな会社が出てきてはいるものの、それが裏目に出ちゃうことがあるんじゃないのかなと思います。
こういったことは、皆さんどんなふうに考えているかわからないんですけど、私の意見から言うと、
社内に評価基軸に合わせた、ビジョンに合わせた賞を作った方が、よりズレがないというか、アンマッチが起きない、努力と成果のアンマッチが起きないんじゃないのかなって思ってるんですよね。
だから例えば、会社に一番貢献した人を表彰するとかね、まあちょっといろいろ言いにくいけど難しいんだけど、名文化できない評価のグレーゾーンを常にピックアップして会社が円滑に進むような仕事をするような人に対して、
レストイズム賞みたいな、そういうものを作って評価してあげる、金一風をあげるとか、もしくは何かインテンティブを与えるっていうのはいいんじゃないかなって思うわけですよね。
評価の重要性
まあ金一風や何やかんやがその人のモチベーションになってしまうのもまた世知辛い話なんだけれどもね。
そんなことを思いながら、今日はビールを注いだり、お客様のお声にご相談、お困りごとに答えたり、そんな話をしておりましたという話でございます。
今日は本当にダラダラした話で取り留めもない話でしたけれども、皆さんはいかがお考えでしょうかね。
まあ新年度も始まりましてね、新入社員や転職組の皆様も評価を早くいただきたいと思ってね、躍起になっていると思っておりますけれどもね。
だけどいつも思うことはね、確かに他人が評価するものなんだよね。仕事の成果や何やかんやっていうのはね。
評価っていうのは自分が評価するんじゃなくて誰かが評価するっていうことではあるんだけれども、その評価に全てを委ねたり左右されるんじゃなくて、
自分が主人公、自分が主役、自分が主語である行動を取った上で評価っていうものをいただくっていうことにしないと、どこかどんどんブレちゃって、
会社に使われてるとかね、こんなはずじゃなかったとかそういったことになっちゃいますからね。そこだけはね、一つ軸を持って働いていくのがいいんじゃないのかなというふうに僕は思っています。
はい、ということで今日の放送は以上です。この放送が皆さんのお役に立てたら嬉しいなというふうに思っております。
はい、ということで皆さんさよなら。バイバーイ。