00:06
はい、皆さんこんにちは。2024年11月26日、火曜日、ツカサです。この放送はベンチャー企業の管理職、ツカサが日々の仕事や生活の中での学びや気づきをシェアする番組です。
皆さんこんにちは。元気ですか?
昨日はね、僕がちょっとお酒を飲んだ勢いそのままに、ちょっととてもね、みんなに早くシェアしたいなっていう風に思ったんで、番外編という形でね、シェアさせていただいたんですけども、いかがだったでしょうか。
今日の放送は、テーマはね、僕たちに友達はいらないっていうね、テーマで話したいと思います。
えーとね、友達はいらないってね、寂しいなっていう話なんだけど、僕がね、この考えに至った、というかね、そんな話をシェアしたいんですけど、
僕がある時ね、本当に友達と一緒に飲むのって、同級生と飲むのはもうこれっきりにしようかなってぐらいショックだったことがあったんですよね。
その日以来、もういいかなって思うような時がありました。
それはね、何かっていうとね、ベアレンビールっていうね、僕が21年前に、今もね、ありますけども、21年前に創業した、今も営業部長として働いている会社。
この会社の立ち上げの後、立ち上げに関わって3年間ね、ほぼほぼ休みがなかったなっていうふうに思うんですよね。
一応便宜上はあるんだけど、もう本当に365日24時間常に電話が鳴るんじゃないかとか、仕事に何かトラブルがあるんじゃないかとか、そういったことを考えながら仕事してたんで、全然休めた気がしなかったですね。
それで、その時にですね、僕はあまりにもビールが売れなかったから、森岡の寒い夜空というか寒空の下、雪もしんしんと降っている中ね、飛び込み営業して無限に断られたりとか、新販売してはまずいなっていうふうに言われて、
03:00
何そのビールって、何これ自ビールとかね、あとは酢じゃないのとか醤油じゃないのとかさ、言われたこともあるんだけど、一番ちょっとこう、これはもういいかなって、友達付き合いももういいかなって思ったのは、レパートである日新販売をしていたんですよね。
で、もう当時は30歳になってたよな、確か。本当にね、本当に新物狂いってその通りの話なんだけど、必死に大きな声を張り上げて新販売していたんですよね。恥ずかしいとかそういうことは全く思わなかったんですね、僕ね、その時。
で、その時にね、高校の後輩とか中学校の同級生とか、そういった子がね、デパートの地下の食品売り場って岩手県森岡に1個しかないから、だいたい年末年始とか新販売してたら必ず来るんですよね、必ず会う。
もう僕は恥ずかしいとか思わずに必死でやってたんだけど、それに対してなんかね、こう、下げ澄んだ目でね、見られたことがあったんですよね。
そして、えっとね、僕の目の前で朝日スーパードライのギフトを買ってったんですよね。ごめん悪いけどこっち買うわみたいな。大事な人だからっていう風に言われたことあったな。
それで、もうなんか、もういいやと、その瞬間本当に気持ちが切り替わったというか、俺はいつかこのビールを、ベアレンビールだから買うわっていう人たちを増やしていってね、そういう仲間をいっぱい増やそうっていう風にね、その時は思ったんですよね。
だからね、それを友達と定義しようと思ったわけですね。
で、こういった気持ちになって、あの、矛盾を生じ、矛盾を感じることが多々あったんですよ。それでも。
利害関係がある人間が友達になれるんだろうかとか、えっと、友達ってその商売の付き合いでできるものなのかなとかね、いろんなことを考えたんですけども、今の僕の生理っていうのは、頭の中を整理するとですね。
06:12
やっぱり一人の生き方や価値観とか目標とか、そういったものがそれぞれあって、それに向かって頑張っている人間は僕は応援したいと思うし、会社であれば同じビジョンを持った人たちが集まって。
情熱的にね、あの行動して、そして事業を拡大させていくっていうことだと思うんですよね。
で、同じビジョンに向かって進む同士っていうのが仲間だと思うんですよ。そこには友達関係っていうのはないと思うんですよね。
ビジョンがあるから頑張れて、利害関係があるけども、それが故に妥協しないというか、そういった関係だと思います。
一方で、じゃあ友達の定義って何なのかなって思ったときに、利害関係がないっていうことなんじゃないのかなって思うんですよね。
利害関係がない。つまり、その人とお金のやりとりがないような感じかな。
だから、中学校とか高校の同級生とかで、友達だったとかっていう人たちが、もしいればね。
その時は友達かもしれないけども、お金のやりとりが発生した段階で利害関係が生まれて、お仕事の付き合いとかになってくると、断りきれないこととか、
そういったことが出てくると。それは友達ではなくて、同じビジョンに向かって進むのであれば仲間だし、応援する者同士であれば仲間だし、もしくはファンだったりするわけですよね。
で、その社会に放り出された段階で、僕らはもう、僕ら自身の人生をね、人生の主人公として家族や仲間と一緒に、仕事の仲間とかとね、一緒に進んでるわけですよね。
その人生にやはりリスペクトがない関係っていうのは、僕は友達にはなれないんですよね。
だから、社会人になった段階で友達と呼べる人って僕いないなって思うんですよね。現段階では。
反対にね、仲間であり続ける人間関係っていうのはすごく尊くて、お互いをリスペクトするし、あとはお互いをやはり応援し合うわけですね。
09:13
それはやっぱり仲間だと思うんですよ。
で、この仲間こそがかけがえがなくて、で、いつかその仲間がね、利害関係がなくなったときは友達と呼べるような気がするんですよね。
だから、友達が仲間になるっていうことはちょっと考えにくいけれども、仲間が友達になるっていうのは、僕はあることだと思うんですよね。
だからこそ、僕らっていうのはやっぱりね、社会人になってから友達が必要なのかっていうと、
僕が言ってるこの友達っていうのはね、小学校、中学校とかの何の目的もなくザック・バランに集められちゃった同じ地区の同じ学年の児童たちがね、
それを友達と呼ぶならば、社会に出てから何の共感性もない人間を友達とは呼べないわけですね。
反対に社会に出ちゃうと、同じ目的を持った人間とか、同じ人生をリスペクトし合えるような大人として関わる人がいるならば、
その人はやっぱり仲間であり、仲間の先の友達になれるんじゃないのかなっていうふうに思うわけです。
ちょっとね、また理屈っぽい話になっちゃってね。
なんだかようからうるせえなって思っちゃう人もいるかもしれないけど、僕にとってはすごく大事な話で。
だからね、大人になってからあいつは俺の中学校の先輩だからとか後輩だからとか、
言うことあってもね、同級生だからとか言うことあっても、だから関係性が上だとか下だとかそういったのは一切関係ないと思うし、
年下でもリスペクトするやつはリスペクトしてるし、認めてる人は認めたいなって思うし。
まあ、当時僕のことを探す目で見た人もね、小学校か中学校の同級生だったと思うけど、
仲間にはなれないなと。
同級生ではある。
そして仲間にはなれない。
そして友達にもなれない。
でもね、しょうがない。
12:01
そういう関係もやっぱり存在するから。
だからしょうがないなって思うんですよね。
その人と無理に友達にはなろうとは思わないし、なれないとも思うんですよね。
どうでしょうかね、私の考えはちょっと過激でしょうかね。
過激かもしれないけどね。
気の合う人、合わない人いるけども、少なくとも合わない人とはね、なかなか一緒に時間を過ごすとね、ストレスばっかりですから。
それはちょっとね、どうかなと思います。
あとね、ちょっとアフタートークじゃないけど、フォローしますと、
僕が仮にデパートでレアレンビールを売ってたとしてね、
隣に置いてあった朝日スーパードライのギフトを買ったとてね、
僕は別にその人を非難することもないし、
誰に送るかとか、誰のために買うかによって、
お酒の選択肢はたくさんあっていいと思っているから、
僕らが作っているビールが選ばれなかったとしても、
本当にその人を非難するつもりは全くないんですよ。
だけど、僕が一生懸命、人生かけて取り組んできていることに対して、
詐欺すまれたりとか、否定をするような権利っていうのは、
誰にあるんだろうかって思うんですよね。
誰にもないんじゃないかと思います。
生き方だから。生き方の否定って誰ができるんだろうね。
そう思うとね、僕はその当時の同級生とはやっぱり友達になれないなって、
心の中で思ったんですよね。
ちょっとね、理屈っぽい話してしまったけどもね。
だけど、年を重ねてくるとね、子供とか後輩とかで同じように悩む人が出てきたらね、
やっぱり僕はこの考えをシェアしたいなって思うし、
もしこの放送を聞いている人で、なんかすごく思い悩んでいる人がいたら、
このシェアがね、本当に届いて、少しでも気が楽になって、
そしてたくさんの仲間とね、進むべき目的とかミジョンに進んでもらいたいなって思っています。
はい、ということで、今日の放送は以上です。
この放送が皆さんのお役に立てたら嬉しいなって思います。
それではまた皆さん、さよなら。バイバイ。