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はい、皆さん、おはようございます。
2025年1月22日、水曜日、ツカサです。
この放送は、ベンチャー企業の管理職、ツカサが、日々の仕事や生活の中での学びや切り木をシェアする番組です。
皆さん、おはようございます。
週中、水曜日が今日も始まりました。いかがお過ごしでしょうか。
このラジオを聞いている時間、お昼かな、朝の忙しい時間に聞いてくれているかな、
とても皆さんのことを想像しながら話すのが、実は楽しみだったりしています。
さて、今日の放送は、僕にとって特別な1日、1月22日の話をしたいと思います。
昨日の放送でも少し話しましたけれども、1月22日は僕にとっては特別な1日で、
今働いているベンチャー企業のビール会社なんですけど、そこで事故があって、
僕の同僚、先輩というか同志というか、その人が亡くなった日なんですね。
こういうことが起きると、当時はものすごいショックで、忘れたくない、忘れられない、
この日をいつか忘れることが来るのかなとか、そのくらいショッキングな出来事ではあったんですけど、
人は忘れちゃうっていう話をしやしたいんですよね。
その忘れていくことをどう受け止めるのかっていう、そんな試合です。
これに対してはあらかじめお話をしていくと、答えはないと思っています。
いいとか悪いとか、そういうことではないなと思っていて、
今私が思うところの過去との向き合い方、忘れていくことの意味、そんなことをシェアしたいんですね。
僕は毎年1月22日になると、当時の事故のことをすごく思い出すんですよ。
思い出す内容は、昔は様々ありました。
事故の前日のことだったりとか、事故当日のことだったりとか、事故の後どんな思いだったのかとか、
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どんな行動をしてたのかとか、結構思い出すことはいっぱいあったんだけど、
これがね、だんだん少なくなっていくんですよね。
思い出す量とか、思い出す密度というか、これって皆さんもあるんじゃないのかなと思うんですよ。
いくらショッキングなことだったりとか、嬉しかったことだったりとか、
あの感動を一生忘れないとか言うけど、記憶の中の詳細な部分というのは、細かいところというのは結構忘れていくものなんですよね。
で、僕が思っているのはですね、すごくショッキングなことだったり、脳に、脳みそにですよ。
脳みそに衝撃的な記憶が刻まれる時には、多分ですけど上限があって脳のキャパシティを超えた段階で一定量どんどん減っていくと思うんですよね。
その記憶が。
で、記録はね、記録と記憶というかね、それらがどんどんどんどん減っていって、脳の脳みその許容量を超えないように、超えないように新たな記憶を詰め込んでいっている、そんな感じがします。
それで、今日シェアしたいことは何かというと、悲しいことも嬉しいこともやっぱりね、細かいところは忘れていっちゃうんですよね。
これは、なんだろう、僕よりも年上の先輩方はね、もっともっと実感しているんじゃないかなと思うんですけど、
これが嬉しいか悲しいかは別として、やっぱりね、過去の記憶はどんどん少なくなっていっている気がします。
だけどね、大事なのは何なのかなって思ったときに、仕事とかで使うような記録とかスキルとか、そういったことは一旦横に置いといてね、生きていく上で大事なんじゃないのかなって思う。
これはおそらく大事だろうと思うことが一つありまして、それはですね、記憶や記録ではなくて、大事な、残しておくべきものっていうのは、感情が揺さぶられる感動とかね、思いみたいなものはとても大事だなと思うんですよね。
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記録映像とか、記録媒体ね、動画とか写真とか、もしくは文字とか、そういったものはね、すごく記録として残しやすいんですけど、でもそんな膨大な量を頭の中には残せないんですよね。
それはそれとして残すことは必要だとは思うんですけど、でも生きていく上で、人生豊かにしていく上で大事なのは、おそらく心が震えるような、揺さぶられるような感動とか思いとか、そういったものがとても僕は大事なんじゃないのかなっていうふうに、ここ最近思います。
なので、今日シェアしたいことっていうのは、人はどんどん忘れていくし、忘れないように記録を取ることもとても大事だとは思うんですけど、記録を残すのは詳細なデータではなくてですね、感動をどう残すのかっていうことにフォーカスするほうが、僕は、
自分に対してもそうですし、人に対しても結果的には伝わるんじゃないのかなっていうふうに思っています。
僕たちはね、管理職や中間管理職っていう立場ですから、その立場の人間が伝えるっていうことはね、仕事上記録として伝えることもたくさんあると思うんですけど、
だけど記録を伝えるっていうのは、インフォメーションなんですよね。情報なんですよね。
情報はやっぱり、そこには感情が載ってなくて、情報を伝えるっていうのは、簡単ちゃ簡単なんだけど、一方で全く頭に入れられないっていうところもね、あるわけです。
だけどそこにね、訂正的な部分というか、感情的な部分を乗っけたインフォメーションとして、つまりそういう感情が乗った情報、行動、そういったものを残す、表現するっていうことが、
触るっていうことにつながってるんじゃないのかなっていうふうに思っています。
今日の放送は以上です。この放送が皆さんのお役に立てたら嬉しいです。
さて、少しだけ雑談をします。
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僕は、その当時の事故を知っている会社の中の社員としては、今ね、50人規模の会社なんだけど、もう3人しか残ってないんですね。
社員としては。あとは社長が1人。
全員で50人中4人しか知らなくて、他の人はもう過去のその事故なんて知らないし、その当時いないから、会社にね。
だから、全然こう、わからないんですよね。
だからそれをどうやって伝えていくのかっていうのは、写真とか当時の報道とか、あとは文章とかでは残してはいるんだけど、
安全講習会とかさ、そういうのと一緒で、とりあえずそれさえ終わっちゃえば忘れちゃうみたいな、そんな感じになっちゃうんですよね、大体ね。
避難訓練とかもそうだけどさ。
これをね、伝えるっていうのは、やっぱり人の感情が乗って初めて伝わるんじゃないかなって思うんですよね。
だから、わざわざ人が集まってそういったことを伝える、時間を設けるっていうことは、伝えることは情報ではなくて感情なんだろうなって僕は本当に思っています。
はい、ということで、今日の放送は以上でした。
それではまた皆さん、さよなら。バイバーイ。