1. 高橋ツカサ/中間管理職の為のラジオ
  2. 道場の語源と成長について
2025-08-08 10:35

道場の語源と成長について


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皆さん、おはようございます。
2025年8月8日、金曜日、ツカサです。
この放送は、ベンチャー企業の管理職、ツカサが、日々の仕事や生活の中での学びや気づき、
そしてビールを通じて豊かな人生をお届けする番組です。
皆さん、おはようございます。
8月の金曜日に入りました。いかがお過ごしでしょうか。
私は、この3日間、昨日を一昨日とその前と、東京出張に行っておりまして、
そこで、管理職の研修と、その研修のサポートをしてまいりました。
仕事として活かしていただいているので、この後、会社に報告もしますし、
サポートしてきた団体に、私のレポートを提出する必要があるんですけれども、
朝から晩までの合宿だったので、放送収録配信ができないという、
睡眠の確保だけで精一杯だったんですよね。
言い訳じみてしまいますけれども、長らくご無沙汰しておりまして、大変申し訳ございません。
今日は、この合宿を通じて何が行われたのかということを少しシェアさせてもらって、
その後に、今日の本題としては、道場とは何なのかみたいな、そんな話をします。
この3日間、僕は何をやってきたのかというと、その研修のサポートなんだけれども、
その研修は研修ではなくて、道場と呼ばれているもので、
詳細はなかなか言えないんだけれども、
筑波大学の松田先生という方がプログラムを組んでいるんですが、
このプログラムには、日本国内の多くの企業が参加があって、
その企業から、将来の意思決定者となる者たちが集まるというところになっています。
この道場において、行われているテーマは意思決定ということなんですね。
皆さんは、組織の中において、意思決定というものをどのように捉えているのかって、
考えたことはありますかね。
言われているからやっているとかね。
あとは、理不尽なことがあったとしても、しょうがないやっていうふうに思ったりね。
そういうことがたくさんあると思うんですよね。
これらっていうのは、ものすごいざっくりとした感情とかね、
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いろんなものに基づいて、そういう言葉になっていくわけですけれども、
そもそも、そういった感情はなぜ生まれるのか、なぜしょうがないと思うのか、
なぜそのしょうがないというふうに受け入れているのか、受け入れることを決めたのか、
なぜそれを決めてしまったのかみたいな、なぜなぜなぜのですね、
禅問答の場というのがこの道場なんですよね。
もともと道場という言葉自体は仏教用語で、
お釈迦様がですね、菩提樹の下で悟りを開くんですけれども、
その菩提樹の下の悟りの場、それが道場、道を開いた場ということになっておりまして、
これが語源になっているんですね。
だからそれが転じて、例えば武道とか、武道というか例えばね、剣道、柔道とか、
そういったところの稽古場が道場というふうに呼ばれたりとかするわけです。
そもそもそこで何が行われているのかというと、フィジカルトレーニングではないわけですよね。
悟りを開いた場だから、だから武道において共通していることは、
その武道を鍛錬する道場という場で技術を磨くことは当然ながら、
精神を磨いて悟りを開くと、その道の中でいろんな学びを得ていくというのが道場ということになるわけですね。
それでそれは何も武道とか仏教とかそういったものに関わらず、
仕事においても何においてもそういうことはあってですね、
それを自ら意識して内省して深めていくということが道場なのかなというふうに私は思います。
今回試合したい話というのは何なのかというとですね、
やはりやらない航海よりやっと航海の方が圧倒的に学びが多いということなんですよね。
特殊な環境の中で学ぶことによっていろんなことがフォーカスされるんですけども、
限られた時間がぎゅーっと凝縮している環境の中で何をするのかっていう、
研修もそうかもしれないですよ、研修もそうかもしれない、あとは体験学習もそうかもしれないんですけど、
やろうと思ったことをやったかやらないかだけで随分話が変わってきてですね、
やろうと思ったことをやった、もしくはやったけどできなかったみたいなものっていうのは、
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その行動によって振り返りができるんですよね。
ところがですね、やらなかったっていうことの振り返りはとっても難しくて、
やらなかったことの振り返りは、なぜやらなかったのかっていうことしかできないんですよね。
航海の構造ととっても似ていて、航海をするのはやっぱりやらなかった航海がめちゃくちゃでかい。
やった航海はですね、学びになるんですよね、糧になるんですよね。
ところがやらなかった航海は何にもならない。どうしてやらなかったのかにしかならないんですよ。
このことを気がつくだけでも随分今後の人生においては、すごく豊かな方向に行くと僕は思っているんですよね。
皆さんの中ではそういったことはないですか?
最近ではですね、ちょっと僕の話をさせてもらうと、
最近では仕事の中で忙しい中僕が出張行ってたから、
たくさんのメールや問い合わせや意思決定をね、僕に求めてくる部下はいます。
当然ながら最終部署においての意思決定は私なんだけど、
私じゃなくてもいいよっていうような意思決定もあるわけですよね。
で、これね、何でわざわざ上司の確認を取るのか取りすぎるのかみたいなところは、
何でなのかっていうと最終的な責任を取ってもらいたいっていうその責任問題なんですよね。
確認作業っていうのは。
で、最終責任はあなたが取るということ、
もしくは最終責任は私が取るっていうことを案に押し付けてるというか、言ってるんですよね。
だから意思決定というか、いいですよねって言って行動する。
これで進めますよっていうように共有するっていうことになる。
で、任せたっていうのは全部任せてる感じがするんだけども、
責任はこの任せたって言った人は取らないと任せられた人は動けないっていうことなんだよね。
だからその任せたっていう、本当に任せるのかっていうことをね、
本当に任せてるんだったらやるけど責任お願いしますねっていう、
この関係性ができてないと任せるも何もないんですよね。
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その辺はやはり上司になっている人は見直さないと難しいんだろうなーなんていうふうに僕は思ってるんですけど、
皆さんはいかがお考えでしょうか。
はい、ということでね。
ちょっと問い止めもない意思決定の話をしましたけども、
仕事においてね、特に若くなれば若くなるほど、
キャリアが短ければ短くなるほど、
その人にとってはこれが正解か不正解かみたいなところの視点で考えちゃうから。
だからどうしてもこれが正しいか正しくないかで、
上司に確認をして進めたくなっちゃうんですよね。
だけど本当は自分がチャレンジして、
チャレンジして意思決定して失敗して学んだっていうことが、
責任も負いながらやっていくっていうことが、
人を大きく成長させるんだろうと私は思いますけれども、
そういった場が最近少ないから、
特に職場においてはね。
だから管理職が育たなくて経営者も育ちにくいというようなことだと思っています。
はい、ということで今日の放送は以上です。
ちょっと真面目な話ですからね。
また明日お会いしましょう。さよなら。バイバイ。
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