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2025-09-22 14:35

理不尽なことを言語化する勇気がありますか?

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サマリー

このエピソードでは、理不尽な状況におけるコミュニケーションの重要性と、それを言語化する必要性について考察しています。特に、選択肢がないにもかかわらず、選択肢があるかのように振る舞うことの問題点を掘り下げています。

00:06
はい、皆さんこんばんは。2025年9月22日、月曜日、ツカサです。
この放送は、ベンチャー企業の管理職、ツカサが日々の仕事や生活の中での学びや気づき、そしてビールを通じて豊かな人生をお届けする番組です。
皆さんこんばんは。今日月曜日ですけれども、明日がお休みという方も多いんじゃないでしょうかね。
今日のテーマはですね、ちょっと早口でパークしたりちゃうけれども、
理不尽な選択肢
今日のテーマは、理不尽なことを言語化する勇気をあなたは持っていますか、という話ですね。
これは何かというと、僕の仕事で実際に身に起こった話なんで、皆さんもちょっと考えていただきたい、想像していただきたいことなんだけれども、
ある人が我慢すれば全体がうまくいくっていう、そういうことってありません?仕事の中で。
例えば、スケジュール調整。この人が休日出勤すれば全てが丸く収まる、みたいな。
全社挙げてのイベントが、この人が放置を我慢すれば、例えばですよ。放置無視して来てくれれば全員出席でなんとかなる、ということとかってありません?
これはちょっと極端な例だけれども、例えば経営計画発表会みたいなものが会社であったとしてですよ。
ある人の予定があるけれども、それを無理して調整すればうまくいく、みたいな。そういうことってあると思うんですよね。
その時に、どのように日程調整や時間調整をするかっていう話なんですよね。
実際に目の前で起こったことは何だったのかっていうと、Aという日とBという日に違いがあって、本当はBで調整したいけれども、このBという日にはあなたの日程が入っていると。予定が入っていると。
Aの日程にすると、全体的にまた調整が必要になるんじゃないかと思われると。
この予定ね、Aにしてもいいんだけど、Bにしたいんだけど、どうだろうか。これはあなたの部署次第なんだけどどうだろうか。
あなたの予定が入っているけれどもどうだろうかっていうことを集めているシーンがあったんですね、会社の中で。
これを聞いてみなさんはどういうふうに感じます?
言われている人は選択肢があるんでしょうかね、それともないんでしょうかね。
ちなみにこの後、この日程調整の話は荒の方向に進んでいくんですね。
日程調整の実例
Aという日とBという日の日程調整をしたいけれども、今は決められないから、後で確認して調整したいという話をしたら、今決めてほしいということを日程調整する担当者が言うわけね。
今決めてほしいということは電話しますと。日程調整しなければいけない先があるから電話しますということをその人が言ったら、なんとかならないの、夜に移動すればなんとかなるんじゃないかということ。
当日にちょっとずらせるんじゃないかと。予定を少し一時ずらして無理すればなんとかなるんじゃないかということを言って、電車の時間とか別の予定を調べ始めるんですよね。
パワーポジションを持っている人はね。
相手の人は困っちゃったんだけど、じゃあ調整しますと。
BというB日程に調整しますと。A日程は見送りますと。B日程にしますということになったのね。
この時にA日程B日程を決めているように見えるけど、これを決定しているのは誰なのかって話になったよね。
誰だと思います?これ。依頼している側ですかね。それとも予定を調整している側でしょうかね。
僕は明らかに依頼している側だと思うんですよね。パワーポジションを持っているんだけどこの人は。この人が意思決定をしていると思いますね。
選択肢はなかったんだと思うんですね。最初からね。この話。
選択肢がないにも関わらず、選択肢があるように相手に話をするのはどうなんだっていう話を今日シェアしたいんですよね。
選択肢があるように見せかけて本当はないということはよくあると思うんですよ。
特にブラック企業なんかそうなんじゃないですか。今このラジオを聞いている方の中で自分の会社がブラック企業だなって思っているような人、もしくはそう自覚している人の中にもこういったエピソードがあると思います。
選択肢が与えられているようでは与えられていないっていう話。最終的にあんた言ったよねって言って話が進んでいくっていうこともよくあると思うんですよね。
で、このことの問題点は何なのかっていう話なんですね。このことの問題点は、実は選択肢がないんだってことですよ。
選択肢がない、そしてこれは理不尽なことだということは上司も部下も分かっているって話。
だけどそれを言語化してないってことが問題だと思うんですよね、僕はね。だってしょうがないじゃん。これ理不尽なんだから。
でも理不尽なことを通さないとなんとかならないっていう背景があるわけですよね。その背景をちゃんと説明できているのかどうか。
説明できないからブラックだと思うわけですよね。納得感がないから。
でも説明できるのであれば、それはね、たとえ理不尽なことであろうと説明できる言語化できる内容であるならば、それを納得するしかないわけですよ。
納得するだけ言語化することができるかどうかにその人の上司の能力がかかっていると僕は思うんですよね。
仮にそれがブラック企業だと周りから思われるような会社であったとしても、そのことがきちんと言語化して伝えられるのであれば、あとはそれを部下が納得するかどうかの話ですよ。
するべき言語化
そこができるかできないか。つまり今回言いたい話っていうのは、理不尽なことが必ず会社の中では発生しているんですね。
日程調整なんかされているもので、そういったことは必ず起きる。全員の都合がうまくまとまるなんてことはほぼほぼないんですよ。
ほぼほぼないし、それは誰かがどこかで、じゃあ俺が調整しようというような人とか、私の日程さえ調整できればこれはうまくいくんだな、それくらい大事なものだなということがわかれば日程調整はうまくいくわけですね。
そういうところをみんなが少しずつ納得感を持っていれば、これに何の不満も生じないと思うんですよね。
で、足りないのは何かっていうと、上司の理不尽なことを言語化して説明する能力だと思うんですよ。
ちょっと話は違うけど、例えばね、今スポーツの世界では根性論なんて全然技術には良い影響ないわけですね。
うさぎ跳びを肯定実習しろとか、うさぎ跳びで肯定実習しろとかっていう練習は技術の向上にはつながらないわけですよね。
だけどもし仮にそれを監督が指示したとしてね、うさぎ跳び肯定実習みたいな、監督なんでこんなことするんですか、何の技術の向上にもならないし体力向上にもなりませんよって。
例えば選手が言ったとしてね、監督が肯定実習、うさぎ跳びで回ることが理不尽なことであって、根性だと、これ根性の練習なんだと言えるだけのことができるなら、その覚悟があるならば、それでいいんじゃないかと思うんですよね。
そっちが大事だと思うんですよ。そしてそれをそうなんだなと思えるかどうかですよ。
あとはもう選手が納得するかどうかで、選手が納得できなければ辞めるんだから、そんな学校は。
そうせざるを得ない理由とか、それによって得たい情報とか、そういったものが監督の中にありますと。
うさぎ跳びを実習することによって、フィジカルの頑丈さを見てると。怪我するやつもいるかもしれないと。怪我しそうだと思って辞めるやつは辞めればいいと。
怪我しないでやれるやつがどれだけいるのか見てみたいとか、もしくはこれで目を上げて聞いてくるのか聞いてこないのか。
もしくは黙ってやる人間がどのくらいいるのか、そしてそいつはどうして黙ってやるのか、そういった言葉の理解力を知りたいとか、もしくはそこから何を得ようと思っているのかを判断したいということかもしれない。
だから俺はうさぎ跳びを肯定実習させるんだという人かもしれない。いいんですよそれは。どんな理由であれ言語化して説明できるのであればそれでいいと思うんですよね。
同じように会社において理不尽な指示をするとか、調整を強いるみたいなことがあったとして、それがきちんと説明できる、納得感を与えるような言語化ができる。
そういう上司であるならば、そういう説明ができるのであれば、それは理不尽なことであっても全然問題ないと僕は思うんですよね。
しょうがないんですよこれって。しょうがないっていうのはあんまりれんこして言ってると、うちの会社がブラックフィギュアみたいに聞こえるかもしれないからあまり言わないけども。
だけどそういったシーンは必ず出てきて、管理職をやってれば経営者と部下との板挟みになって、自分が理不尽だなと思うことを受けて調整しなきゃいけないこともあるかもしれないし、
もしくは部下に対して理不尽なことを強いらなければいけないこともあると思うんですね。
その時に、どれだけ言葉を尽くして説明することができるのか。選択肢はお前にはないけれども、だけど今回これからこういう理由があって、こういう事情だから、だから君は無理してくれと。
まだ無理してくれと。もっと無理してくれということが言えるのかどうか。それは上司の役目だと思うんですね。役目というか言語化をするということが、理不尽を理不尽じゃないとさせるかどうか。
ブラックをホワイトにするかどうか。これの大きな違いじゃないかなというふうに僕は思っています。
はい、ということで今日の放送はちょっと過激な内容かもしれない。これはちょっとやべえなこれ。アンチコメントもしくは批判があるかもしれないけれども、でも気持ちはこうです、僕は。
管理職の方、中間管理職の方、悩まれる方たくさんいると思いますけれども、逆にどんなに言葉を尽くしても納得を得ないようなことであれば我慢する必要はないと思います。何の説明もできないような内容に対してイエスを言う必要はないと思うんですよね。
だから言語化する能力を高めていくということは本当に必要なことだと思うんですね。それによって部下を守ることもできるし、自分を守ることもできるし、もしくは会社を発展させることもできる。そういうふうに私は考えています。
はい、ということで今日の放送は以上です。その放送が皆さんのお役に立てたら嬉しいなというふうに思います。ということで、熱く語りましたけれども、また明日お会いしましょう。さよなら。バイバイ。
14:35

コメント

言語化し、勇気を持って理不尽な事を言える事は、勇気がある事です。 なぜなら悪者になる覚悟があるから」

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