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  2. #9 小山田隆二:電柱に登るフ..
2024-11-27 1:37:58

#9 小山田隆二:電柱に登るフットボーラー・西東京の漫喫へゆく

トレイルランニング界隈ではみなさんご存じの「RyuG」さんこと小山田隆二さん。

甲府市で自身のトレイルランニングショップ「道がまっすぐ」を営む傍ら、100マイルを走る事をライフワークとし、スリーピークス八ヶ岳トレイルのコースディラクターやポットキャスト「エスカレーターに乗るトレイルランナー」などトレイルランニングの世界で多岐に渡っての活躍するきっかけとなる「トレイルヘッド」についてお話しをお伺いしました。

一生アスリートでいたいランナーのみなさん必聴です。

By ちばちゃん

TODAY RUNNING COMPANY
道がまっすぐ
〒400-0031 山梨県甲府市丸の内2丁目26−8 1F
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ポッドキャスト:エスカレーターに乗るトレイルランナー
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Guest: RyuG Oyamada @ryug_oyamada
Host: Tatsuo Chiba @tatsuochiba_jp, Marco Lui @marcolui
Sound Editor: Kensuke Koshijima @boy_genius_afrp

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サマリー

大山田隆二氏は、サッカー選手からトレイルランナーに転身し、スポーツへの情熱や挑戦について語ります。彼は、トレイルランニングコミュニティでの活動を通じて、自身のストーリーや成長を探求しています。このエピソードでは、電柱に登る仕事を始めたきっかけや、サッカーからフットサル、そしてトレイルランニングへと変わる過程が語られます。西東京での仕事やフットサルチームでの経験から、スポーツに対する新たな認識や楽しみが生まれる様子が描かれています。 小山田隆二氏は、西東京でハイキングを楽しむフットボーラーとしての経験についても話します。大会への参加を通じてトレイルランニングにのめり込む過程や、心の変化についても触れています。彼は、トレイルランニングを通じて経験した挑戦や成長の物語を語り、家族との両立や仕事環境の変化に向き合いながら夢を追い続けています。 また、小山田隆二氏は、西東京でのフットボールの魅力や電柱登りに挑戦する様子についても語ります。ポッドキャストの制作背景や独自のルールについても触れ、地域スポーツとコミュニティの重要性を強調しています。彼は、自身のフットボール経験を基に地域密着の活動やトレーニングの重要性についても語ります。さらに、100マイルに挑戦する意義や、過去の失敗から学んだことも共有しています。 このエピソードでは、挑戦することやその過程の大切さが語られ、彼の西東京のフットボーラーとしての経験を通じた成長とコミュニティとの関わりがうまく結びつけられています。

大山田隆二の挑戦
サッカーはもうじゃなくなった。次何しようかなって。大人になっていくと、やっぱりチャレンジっていうことをしなくなるんで。
僕なんかは本当にこう、何もしなくていいよって言ったら、本当に何もしない人間なんで、おそらく年をとってたら、もうゴロゴロしてお酒飲んでテレビ見てみたいなっていう生活になるんだろうなっていうのをすごく思って、何かやってなきゃいけないっていうところがそのトレーニングで出会うスタートだと思います。
TRAIL HEADへようこそ。TRAIL HEADはトレールランニングコミュニティで活躍するキーパーソンに、なぜ走り始めたのか、何のために走り続けているのか、そしてこれからどこへ向かって走っていくのか、彼らの走る原点であるトダンクチを探るポッドキャストです。
放送は僕、香港出身日本在住のマルコと伊豆在住の千葉ジャンでお送りします。お疲れさまー。お疲れさまー。元気?元気だよ。元気っていうかもうITJ直前でバタバタなんだけど、頑張ってますよ。テンションが上がってきた。もう変な変なテンションになってきた。そんな中だけど、今日は隣の山梨の大山田隆一さんですよ。マルコあんまり知らないんだっけ?
そうですね。彼のポッドキャストとお店道がまっすぐはしてるのと共通の友達何人かいるんですけど、会ったことないですね。
もちろん我々のこの界隈にある程度いると知らない人はいないし、ポッドキャスト聞いてる人もおそらく我々より有名なポッドキャストなので、よく知ってるかなと思うんだけど。でも、なんで走ってるのかとかね、そういうのってあんまり本人から話さないから、今日は個人的にもすごく楽しみにしてるんで、早速お呼びしましょうか。
よろしくお願いします。
マルコは初めてなんですかね?マルコ類は。知ってます?
僕は初めてYというか、認識はないと思います。
一等レイズとか会ったことあるかもしれないんですが、改めて初めましてマルコです。
初めまして、大山田です。
ギリギリマルコ先輩の顔が見えてない。
多分3分切れてる。
なるほど。じゃあこっちに戻ればいい。
僕らのポッドキャストトレイルヘッドっていうのは、その人にフォーカスしてトレイルヘッドをターニングポイントというか、トレイルランニングって日本だと子供の頃からやってるものじゃないじゃないですか。少なくても我々の世界は。
なので何がきっかけで山に入るようになったのか、トレイルランニングを始めることになったのか。今もその世界にいる人ばかりなんで、なんでそれをやり続けてるのかと。
そういうことを聞いていって、その人のストーリーを紐解いていこうということで、今回は大山田さんにお声掛けをさせていただいたんですけど。
リュウジさん知らない人はもはやもぐりなんで、
いやそれはないですよ。
大山田氏のゴミ番長なんで、それはもうゴミに対してはかなりうるさいっていう。
いやいやいや。そんなこと思ってもらえてるだけなんで。
ブラジルでの経験
いやでも本当にね、あれはね。
多分ほとんどの方が、もう大山田さんのことってトレイルランナーだし、100マイルを日常的に走ってる人っていうふうに思ってると思うんです。
今日たまたまITJベースに大山田さんのお客さんがいらっしゃいまして。
いつか先生ですよね。
夫婦で。
その話したら、今度やるんですよって言ったら、やっぱりトレイルランナーになる前の大山田さんってあんまり知らないみたいで、聞いてみたいみたいな話。
いつも先生たちが知らないだけじゃないかと。
本当ですか。でも多分大山田氏の界隈以外の人はあんまり知らないから、なんで走ることになったのかみたいなところをちょっと聞いていって、
あとは100マイルをたくさん走るのがお好きみたいなんで、どこまで行くのかなんでやってるのかみたいなところを話していただければなと思うんですけど。
大山田さんは元々のバックボーンっていうのはサッカーということで。
そうですね。マルトもそうですね。
かなりトップアスリートというか。
トップアスリートというか、若い頃はずっと目指すとこは目指してましたけど、その反面やっぱりすごい上には上の上の上がいるっていうのを、本当に学生の時に思い知らされたっていうのはあったんですけど、
悪あがきをして、それでもプロにとは思ったんですけど、全然レベルが違ってましたね。
でも大学までやられて、さらに理事業団もやられたということなんですよね。
そうですね。一度卒業して、今のバンフォーレ高校っていうのがあるんですけど、それの前身のチームだったんですよね。当時僕が大学卒業して、高校クラブっていう名前なんですけど、そこ2年ぐらいやったんですね。
でも、その後も結構元気は、ちょっと調べたら36から7ぐらいまでやってたって。
やってます。それは社会人、本当に一般的なというか、社会人の、その中でも関東リーグって地域リーグがあるんですけど、静岡では東海リーグとか、それの関東リーグに属してたチームとかにはいましたね。
でも割と強いというか。
そうですよね。その時は結構熱くやってた感じではありましたけど。
ちょうど、小山さんは僕よりちょっと年上だと思うんですけど、僕ね、今49です。
高校の時にまさにJリーグ関連で、サッカー部員が死ぬほどモテるっていう。
僕ね、Jリーグってね、実は僕ブラジルで見てるんですよ。ブラジル行ってたんですよ。
それはサッカー留学ですか。
そうですそうです。3年から4年になるときに、もう大学をそっちのけで半年ぐらい行ってたっていう。
その時に、4月ぐらいか5月にJリーグが開幕して、その映像をブラジルで見たんですよ。
びっくりして、日本がすごいことになってると思って。
どれぐらい行ってたんですか、ブラジルは。
半年ぐらいです。6ヶ月、7ヶ月ぐらいです。
でもそのときはサッカーでJリーグもできるし、本当にすごい勢いだったじゃないですか、あのときプロになるっていうことが。
急に変わって、その前の矢崎の闇そこカップから、僕ほら、静岡じゃないですか。
だから清水エスパルスだからすごかったわけですよ。
レディー対清水エスパルスだったから決勝があったって言っても、全然扱いも変わってみたいな感じだったんですけど。
そのときはちょっとやっぱりプロになりたいなみたいなところがあって、そのまま膨らむって感じだったんですか、そのときはまだ。
実質、ブラジルはずっと行きたいのが夢だったんですけど、
もういい加減ちょっとなんとかここら辺で行かないと一生行けないかもってちょっと思って。
大学3年になるときに、もう休学とかもしないで、大学を。
ちょっともう必修もなくなるだろうって予想をして、行っちゃおうってなって。
で、いろんなちょっとおつてで、帰ってきたら、サッカーのチームを受けさせてもらうっていう。
それがね、まだそのときJリーグじゃなかったんですけど、今で言う、だからアビスパ福岡になる、
PGMフューチャーズって浜松にあったチーム?
あれが弟がいたんですよね。そこを受けさせてもらうって話だったんですよ。
そしたら例のごとくJリーグが始まって、サッカーがものすごい盛り上がってしまってて、
僕なんか実績がない人間がそこの受けることすらもできなくなっちゃったんですよね、日本に帰ってきたときに。
プロ契約への道
で、どうしようどうしようってなって、そしたら地元の山梨の方で来ればみたいな話を。
幸福クラブですか?今のワンコーレン幸福。
幸福ってJリーグに加盟できるのっていつぐらいだったんでしたっけ?
僕が、だから2年やって、そのときJFLだったんですよね。
で、その、まだ少し先だったと思いますね。3年、4年ぐらい先だったと思いますね。
でも、Jを目指していくチームに新卒で入られたっていう、しかも地元じゃないですか。
そこはどんな気持ちだったんですか?
入るっていうのが初めて、それこそJリーグを見越して、プロ契約を何人かとするっていう話があって、
それをちょっとセレクション的に受けるっていう話だったんですけど、
結果、僕はプロ契約できないんだけど、チームには入れるよっていう話になったんですよ。
なるほど。
だから当時、アマチュアもいて、仕事やりながらの方もいて、初めてプロ契約っていう人を作る。
だから、山梨から当時エスパルスに行ってた人を2人ぐらい入れて。
多いですよね。コネクションというか仲良いですよね。
僕は結局プロ契約できなかったんで、仕事どうしようってなって。
仕事は宣伝してくれないんですね?
宣伝してくれないですよ。
実用団ではない?
実用団って本当はクラブチームなんで、どっかの会社の内のチームとかでは全くなくて、
もともと教員の寄せ集めみたいなとこから始まってるんですよ。
公務員が多くて。
だから仕事どうしようってなった時に、たまたま工夫にあるサッカーショップがあって、
そこに僕の後輩が働いてたんですけど、後輩が辞めるっていうことで、
なんとか僕もそこで入れ替えで入れてもらえないかって言って入れてもらったんですよ。
じゃあ就職先はサッカーショップ。
そう。サッカーショップで働いてたんです。
やりながらJFLに出るっていう。
夜練習してみたいな感じですね。
でもそれはJリーグになるぞみたいなチームとしての内方針がありながらも、
ステップアップしていくとプロ契約選手がどんどん増えていくみたいなそういう状況ってことですよね。
そうですそうです。そんな感じですね。
だからなかなか、そこで働いてたんですかね。
なんとか自分もプロ契約になろうぜっていうモチベーションなのか。
いや、だけど結局僕チームに入ったんですけど、公式戦はやっぱり出れなかったんですよ。
そうなんですね。
だから、それが全てだったのかなってやっぱり今も思うんですけど、実力っていう部分で。
それ2年ぐらいやって、
ちょっとすごいややこしいですけど、その時も結局ね。
もう、カイコとかそういう話もはっきり言われてる人もいるんですけど、
僕ね、言われてないんですよ。言えば、いまだに。
それが何かっていうと、
僕の中で一番大きな力を持っているのは、
僕の中で一番大きな力を持っているのは、
僕の中で一番大きな力を持っているのは、
いまだに。
それが何かって言ったら、
僕の止め、何だろう。
チームは、お山田はもうクビでみたいなっていうのがあったんですけど、
ある人がね、褒めてくれてたらしいんですよ。
いや、彼は絶対置いておいた方がいいって言ってくれたらしくて、
そこがすごく揉めたのかな。
結局、はっきりそのね、もうお前は終わりだっていうこと言われないまま、
フェイドアウトしてた感じだったんですよね。
フェイドアウトしてた感じだったんですよね。
結局、ダメなんだっていうところで。
そう。
そういうのって、モチベーションってどういうところに成果するモチベーションあったんですか?
なかなか辛い部分はありますよね、それ。
でもやっぱりその当時、僕もだから23死で、
まだって思ってる気持ちがやっぱり強かったんですけど、
どこかで認めなかったんでしょうね。
よくあるんですよ。
2流3流っていう人たちは、やっぱり自分を認めないと思いますね。
そこがいいのか悪いのかなんとも言えないんですけど、
認めなくないっていうところが多分あるのかなと思うんですよ。
まだチャンスがなんかあるって。
可能性をなんとなく探るんだけど、
実はないだろうって気持ちもどっかにあって、
思われてるような感じの人は結構やっぱり多いのかなと思いますね。
サッカーって難しいですよね。
陸上と違ってタイムでピサッと出ないんで、
僕も中兄弟だったんで、
シーズンオフの場合って先にサッカー部の人なんですよ。
前橋育英出身のとかいるんですけど、
サッカー部のマネージドがいたんですけど、
で、だいたい二軍なんですけど、
そういう人でだいたい監督の悪口言ってますよね。
そうですよね。
監督のセンスね、みたいな。
見てねえしそもそもみたいな。
僕ね、それ言おうと思ったんだけど、
本当にその通りなんですよ。
サッカー選手だから嫌いだけど。
上手い人はもうなんていうのかな、
そこすらも気にしないっていうか、
やっぱり違いますよね。
そういう部分で本当に。
でもあれですよね。
内心が分かってるよりも、
そういう部分で、
そうなんです。
だから認めないっていうのは、
それも含めての話ですよ。
本当に。
サッカーとフットサルの移行
僕なんかもそんなところはあったし、
だから、
そうですよね。
なんか思ってましたね。
そもそもお前試合見てないじゃん、
俺のとかよく言ってましたもんだって。
そうそうそう。
三軍で言われてたんですよ。
三軍で言われてたんですよ。
そうですよね。
三軍とか四軍とかいるから、
そもそもあいつ見てねえしみたいな。
そうそう。
あいつ出すに乗り出せみたいなとこまで。
サッカー大変だな確かに、
分かんないしな、戦術もあるしみたいな。
実際100人とかになっちゃうと本当に大変ですし。
そっかー。
そんな感じでしたね。
でもそこからでもさらに実際地域リーグまで
37歳くらいまでやるわけですよね。
そうですね。
37、8、そうですね。
最終的にはちょっとフットサルのほうで流れてますよ。
そっちはトップリーグみたいな感じに。
フットサルが、
山梨にもやっぱり強いチームがあって、
そこ、
なんていうのかな、
その最後にやった僕のサッカーチームの人間が
フットサルを僕にされて、
すごいフットサルを本当にすごく研究してる人間で、
何人か声をかけてチームを作ろうって作ったんですね。
そしたらやっぱり人数も少ないから、
来れる来れないとか練習できるできないとかってきて、
そしたらその強いチームに救助されたんですよ。
で、それを関東の2部でやってて、
まあ本当に、
本当に、
本当に、
フットサルの中では、
本当に結構なレベルだったんですけど、
僕がもうその時も30、
7、8になってて、
みんな若いわけですよ。
うん。
だからちょっとこの、
サッカーを、
僕サッカーで死ぬと思ってたことが、
その強いチームに入ったことで、
諦めがついたんですよね。
もう本当に。
激しすぎて自分がついていけない部分もいろんな部分であって、
フィジカルも何もかも。
で、
で、なんだろう、その若い奴らに文句言われるしとか。
そう。で、
さっきの千葉さんの話じゃないけど、
監督やってる奴が悪いと。
再廃批判ね。
で、なんかね、面白くなくなったんですよ、思いっきり。
もうガーンって下がって、
あ、もうこれサッカーもやりたいなって思って、
ガーンって下がって、
あ、もうこれサッカーもいいんだって思ったのが最後でしたね。
逆に36か37くらいまでは割とそのモチベーションを保ってたけど、
最後の最後にドーンと、
来たってことですね。
そうですね。
ただモチベーションっていうのも、やっぱり、
だんだん自分っていうものが分かって、
分かってくるし、分かってたかもしれないけど、
認めるっていう部分でも、
もう年も取ってくれば、
なんとか今いる中で、
真剣にやれたらいいなっていう思いが、
30越えてからすごい強くなっていって、
だけど思い通りにやっぱりできなくなってくるんだなっていうのも本当に感じて、
でもフットサルを教えてもらった時はすごい楽しくて、
彼に教えてもらった時は、
自分が思い描くものと全く違ってて、
あ、フットサルってこうなんだっていうのがすごい新鮮で、
そう。
やったんですけど、結局そういう流れになって、
自分が見切りをつけるきっかけになったっていう、
ところでしたね、これは。
トレーランニングの出会い
でもサッカーって別にプロじゃないから、
引退はないじゃないですか。
階段下がっていけばいいから。
そうじゃなくて、自分の中でもう、
サッカーは一区切りしようと思ったってことか。
そうなんです。千葉さんが言うようにね、
すごい素晴らしいと思うんですけど、
サッカーを、
特に球技とかが多いかもしれないですけど、
例えば子供とか教え始めるじゃないですか。
多いんですよ、やっぱり子供のチームのコーチやる、
何らチームを立ち上げたっていう人もいるんですけど、
僕ね、そのあれが一切ないんですよ。
子供に教えたいとかそういう気持ちが一切なくて。
まだプレイヤーでいたいという気持ちも多分あるんでしょうね。
何を教えていいかも分かんないし、
いわゆるそこに目線が行かないから、
興味もわからなかったんですよ。
それを、まだ自分が動いていたいなっていうところが、
トレーランニングの入り口までは行ってないんですけど、
サッカーじゃなくなった、
次何しようかなって。
僕なんかは本当に、
何もしなくていいよって言ったら、
本当に何もしない人間なんで、
おそらく年をとってたら、
ゴロゴロしてお酒飲んで、
テレビ見てみたいなっていう生活になるんだろうなって、
すごく思って。
でもその生活になっちゃうと嫌だなっていう気持ちもあったので、
何かやってなきゃいけないっていうところが、
トレーランニングに出会うスタートだったと思います。
これでもサッカーを区切りをつけてすぐにトレーランに行ったんですか?
それとも空白の何か時間があって、
萌え萌えした時間とかあったんですか?
実際に言うと、
新たな挑戦
ちょっとレベルを下げて、
違うチームでフットサルをやろうと思ったんですよ。
声かけてくれた子たちがいて、
でね、
それと同時に、
あるきっかけでトレーランニングとも出会って、
そこまでそんなに空いてないと思うんですよね。
本当にすぐみたいな感じでした、多分。
その時はもう仕事はサッカーショップじゃなくて、
普通に働いてたんですか?
そうですね。
いわゆるサラリーマンみたいな。
サラリーマンというか、
僕は今の道がまっすぐの前職になるんですけど、
僕は電柱を登って、
そうですよね。
光ケーブルっていうのを引っ張ったり繋いだりっていうことをやってて、
その時代ですよね。
これでもどういうきっかけでトレーランニングを、
いつぐらいに知ったんですか?
本当に僕その前の仕事が、
基本山梨県内の仕事なんですけど、
ある月に東京の西東京の辺で、
夜勤とかもありながら、
マホールも開けたりするんですよ。
光ケーブルが下にあるから。
マホールが下にあるから。
そんな仕事がやってきて、
昼夜みたいな、
昼日中働いて、
夜勤もその日あるよみたいな。
中休みがあるみたいな感じですね。
そうです。
それでみんなで行ってるので、
昼の仕事が終わって、
夜勤まで時間あるね、どうしようって言って、
じゃあ漫画喫茶でも行くかって、
みんなでなって、
で、その漫画喫茶に行ったんですよ。
で、寝ようかどうしようかって思ったんですけど、
寝ようかどうしようかって、
寝ようかどうしようかって、
寝ようかどうしようかって、
で、寝ようかどうしようかなと思って、
適当にパッて雑誌を撮って、
で、パラパラ見てたら、
あるそのページに、
ページをめくって、
半分の、また4分の1ぐらいの
ちっちゃい写真に、
リュック、
リュックサックを背負って
山を走ってるっていう写真があったんですよ。
で、何これって思って、
読んでたらトレイルランプが
あって、
で、
何これって思って、
読んでたらトレイルランディングが
みたいな書いてあって、
何これ山を走るの?って
思った時に、
もうね、その写真にすごい引き込まれちゃって、
で、僕はもうサッカーも
フットサルも
ちょっと中途半端になってて、
いや、これじゃあ、
マラソンとか全然やりたいと思わなかったんですけど、
これだったらなんかできそうかも、
山いっぱいあるし山なしと思って、
で、その、
そうですね、その
雑誌を見た後も、
本当に山なしに帰ってきた週末とかに、
山に向かって走るかつ、
山に向かって走っていったのが始まりです。
【佐藤】それって一番初めに山って覚えてます?
どこに行ったの?
【加藤】覚えて、もう山っていうか、
山知らないんで、
ぼんちじゃないですか、ここって。
だから、どこ行っても山はあるなと思って、
僕の住んでる笛吹石市っていう、
国の隣なんですけど、
そん中に三鷹っていう、
要するに三鷹小学校があるんですけど、
川口湖に越えるための峠があるんですけど、
そこが近いなと思って、
その坂の方に走ってたんですよ。
【佐藤】あの、なんていうんですかね、
急な坂のあのあたりですか。
【加藤】川口湖の。
【加藤】はいはい。
【加藤】そう、越えて上にトンネルがある。
でも、あそこまで全然行ってないんですよ。
ただ、あっち側に行けそうな山あるなって、
本当にぐらいの感じで。
そこに行って、
入れそうな道があるから、
適当に入ってたって。
そしたら、
足の不整地っていうか、
そのね、
砂利みたいなところを行く感覚が
すごい面白くて、
あ、なんか、
アスファルトと違うなって思って。
当時よく言ってたんですけど、
音がいいって思って、足音。
【佐藤】チャッチャッチャッチャって。
【加藤】そうそう、チャッチャッチャっていうのは、
なんかちょっと違う。
ただ走るのと違うと思って、
いろいろ調べてみようっていうのが始まりでした。
【佐藤】それはいつぐらいですか、2000?
【加藤】えっと、
2009か、
8か9ぐらいだと思いますね。
2008年か9年ぐらいかなと思います。
【佐藤】神楽さんがUTMVでVVをしてたぐらいの時ですよね。
【加藤】その後に知るんです、
そこの神楽さんへ、司会広木を。
【佐藤】全然話違いますけど、
松井さんとはその時は全然知り合いじゃないんですか?
【加藤】松井さんは松井さんで、
もっと昔に知り合ってるんですよ、実は。
【佐藤】サッカーのトレイルとは全然関係なくっていう。
【加藤】全然関係なく。
で、彼女こそなんていうのかな。
僕はサッカー時代に、
サッカーか何かで知らってるんですけど、
すごく間が空いてるんですね。
再会するのに。
それが、
もう全然、
会うこと全くなくなって、
何年も何年も経った、
ある日、
僕が光ケーブルを引いてる仕事をやってるじゃないですか。
元受けの会社があって、
仕事を出すテプコネットっていう、
当店関係の光の会社があったんですよ。
そこに、
何だろう、
打ち上げみたいなのがあったんですよね、会社の。
そこのテプコネットのオフィスでやるって言って、
僕行って、
何か見たことあるなっていうぐらいの感じで、
女の人だと思って、
その話し方が松井さんだったんですよ。
向こうも分かってて、
何やってるのって言ったら、
もう、とっくに僕らの仕事の
系列の上の会社に、
図面とか書く、あれでいたんですよ。
図面を書いてたんだ。
たまたま。
たまたまいて、
えーってなって、
彼女は僕がサッカーしてると思ってるから、
あれサッカーやってんのって言うから、
いや今山走ってるって言ったら、
山みたいな話になって。
松井さんもその時はまだ山やってないってことですか?
全然やってないです。
山を彼女がやり始めたのは僕のきっかけなんですよ。
そうなんだ。
そう。
山みたいな、
僕が色々、
今度こういう大会出るんだみたいな、
でもなかなかエントリーできないんだよねって言うのが
フットボーラーのトレイルランニングの出発点
多分破説目だったんですよね。
そしたら松井さんが、
そんなになんか、
そういう大会出るの難しかったら、
自分で大会やればいいじゃんって、
わけのわからないこと言い出して、
それが3P。
そうなんですよ。
それが始めなんですよ。
彼女のバイタルで、
そこまで引き上げたっていう。
僕は反対派でしたからね、
レースやるなんて。
じゃあそんなにレースは好きじゃないっていうか、
やっぱ山を走るのがいいってことですか?
僕はプレーヤーがいいんですよ。
要するに、
しかも僕みたいなのが、
当時ですよ、
大会なんかできるはずないじゃんって、
言い合いになるぐらい。
何言ってんの?みたいな。
自分なんなら走ってないじゃんみたいな。
言ったら色々大会で始めたんですよ。
そうなんだね。
そうなんですか。
ちなみに彼女の一番最初のトレイルランニングの、
一番最初に関わったのって、
竹田の森の分岐誘導で。
竹田の森はもうやってたんですね、
その時はね。
やってました。
そうです。
そこはなんかすごい、
そういうことを思い返しても、
この縁ってこんなことある?みたいな感じで、
僕の中では。
初めての100マイルレース
だけど、そこから100回より何回もやるようになりました。
普通。
何でそんなにのめり込めちゃうんですか?
何かあったんですか?
僕は、100マイル自体は、
始めた頃は全くそんなことも知らなくて、
やっぱり優定メフなんですよ、僕の中では。
はっきり100マイルっていうのを認識したのが。
で、2011年に最初やろうとしたのが、
自信でできなくなったじゃないですか。
で、2012年になって、
当時、二次募集があったんですよね。
僕その時かかってないからわかんない。
そうなんですね。
二次募集があって、
僕ね、ずっといろいろ考えてたんですけど、
二次募集、僕応募したんですよ。
よく資格あったんですね。
資格もなかったの?その時そんなに。
当時ね、本当に、
2012年で、だから100キロを同車交渉ぐらいだと思います。
で、それはあったんで応募できたんですけど、
応募した瞬間に怖くなっちゃって。
そうですよね。
あの時は、果たして何人走れるんだろうっていう世界でしたもんね。
100マイルレースがなかったわけですよ、日本に。
だから実際何人ぐらいが日本人走れるかわかんなくて、
当時は覇節でが一番長いね。
72キロが一番長いぐらいの感じだったかと思います。
本竹があったんですよ。
本竹ウルトラかな?林道だからね。
本竹が。
林道ですからね。
そう。
だから本竹、覇節年が本当にあれでしたね。
最高レベルの。
日本選手権っていうか、日本一位は誰かみたいな感じで。
あとは北谷とか、
北谷競争の3大レースみたいな感じでしたもんね。
そうですそうですそうです。
割と早い段階でちょっとやってみようかなと。
長い距離の方にどんどん行ったんですね、そこは。
いや、それで2012年のそれが落選したんですよ、結局。
そうなんですか。
そうなんですよ、2012年落選してものすごく安心して。
安心したことしか覚えてないです、本当に。
マジでよかったなって。
でもヤバいんですよ、2012年。
最後まで安心したことしか覚えてないです。
2012年。
最後の最後に天使フルコースっていう、今考えたらゾッとするようなコースレイアウトがけなし通ってますからね。
天使フルコースの龍がたけがマップに入ってなかったんですよね。
嘘?
そうなんですよ。これ見るともう切れてるんですよ、こうやって。
どういうこと?
カブラギさんが忘れたって噂があるんですけど。
いやでも。
で、出た人がやっぱりいて、最後は天使を全部なんとか下ってきて、天がたけから最後下ってきて。
で、やっと地上に降りれるって言ったら、その誘導員がまた、誘導員の人がまた山側に。
走った鉄塔は龍がたけ行きます、聞いてねえよみたいな。
山あまりに走ってなってみんな行ったら、もう一個あれだよって出して、龍がたけだったっていう。
伝説なんですよ、これ。
すごいですよね。
本当に。
でもあれ大変だったみたいですよ。ペットボトル天使長いじゃないですか、全然今の場合はあるから。
ポレッティさんに言われて水あげたりとかしたみたいですけどね。
それには出なかったですね。
そう、落ちて安心して、で、その2012年のスタート解除に僕行ったんですよ。
まあ、ひろきさんでケンイチ組んでるし、みんなの優勢を取って行ったら、めちゃめちゃ華やかなじゃないですか。
僕も見に行きました。
見に行きました。
あの当時は考えられないぐらい華やかなトレーナーの大会だと思えない。
本当に日本にこんなものが来たかと思いました。
思いましたよ。
そうなんですよ。でもあらゆる有名な選手が、海外も日本も。
大集結でしたからね。
みんながすごいと思って、そのスタートを見て感動して、またその夜に西宇治中に行ったんですよ、静岡。
西宇治中に見に行ったら、本当にケンイチ君としょうごさんが一緒に入ってきて。
豪華。
話しながら入ってきたのを見て、この人たちもう百何キロ走ってるのに普通に話しながら来てるみたいな、すごい衝撃だったんですよね。
それでますます俺出なくてよかったなって本当に思ったんですよ。
全然世界が違いすぎるって。
ただその後に西宇治に来る人たちを見て、すごいかっこよさも本当にかっこいいなと思ったし、だんだん自分がやったらどうなるのかなっていうのがちょっと芽生えてきて、
2013年にエントリーしてみたっていう。
初百マイルはUTMFの2013ですか?
2013のUTMFが僕の初百マイルでした。
実際やってみてどうだったんですか?
ボロ雑巾でしたよ完全に。
その時から松井ちゃんがサポート?
当時も本当にそこで一級品でやってる人たちが結構バカにして、サポートとか誰がやるのって。松井さんに言ったらちょっと笑われるぐらいの。
僕らは結局右も左も分からない。選手としても分からない。サポートも何していいか分からないって言ってしまって。
何が正解って何が。
それが本当に分からなくて。
分からないもの同士が組んでやったっていうのが本当に初めてでしたね。
ただ、最初のUTMFの一番大きい思い出は、僕はその前日寝れなくて緊張もあり、そしたら熱を出しちゃって。
練習前に僕病院行ってるんですよ。
天敵なんて、嫁さんにも内緒で出たっていう。もう二度と出れるか分からないと思って。そこは気合で出ました。
結果完走できたんですか?
なんとかできました。途中まですごいしんどかったんですけど。
どれくらいのタイムだったんですか?
40時間です。
初めていきなりできるってすごいですね。
いやいやいや、もう本当にわけわからなかったですね、最後は。涙も勝手に出るし。
松井ちゃんも号泣するんでしょう、多分。松井ちゃんもフィニッシュで号泣するでしょうね、お約束の。
それでやった直後はもういいやって感じにならなかったんですか?またやりたいなって。
いや、なりましたなりました。もうすごくお腹いっぱいになって、すごいいい経験できたなって思って。
で、数日経って、ちょっとなんかやっぱもうちょいやってみたいなっていうのが多分芽生えて、当時の八ヶ岳スーパートレイルっていうのが。
ありましたね。
あれのスロットシーンが2回目。
出たんですか?
出ましたよ。
なんで笑うんですか?ひどいっていうわけだけど、あれも伝説のレースで。
だってあれなんだよ、評点がマイナス何度になったんですよね、あれ。
第1回目がそうなの。
マイナスになって、当時ハイドレだったわけ、流行ってたのがバックパックでね。
そこのハイドレチューブが凍ってて水飲めないとかになったりとか。
あとそんな状況なのに、エイド行ったら水の箱しかなくて、しかもその箱の中に水がなかったっていう。
聞けば聞くほどなんかすごいレースだった、伝説のレースが。救急車が何件も飛び交うとかね。
本当にウォーターエイドと言われるものが本当に水のジャグがボーンと浮いてるだけで。
ウォーターエイドの概念はこれだったよ、もう終われる。
僕にとってはすごいそれが楽しくて、良かったですけどね、あれは。
出たいなと思って、話聞いて大変だったり言ったけど、ほとんどアドベンチャーレースに近いからむしろ出たかったですね。
そう、それがだから2本目でしたね、僕の。
え、それ完走できたんですか、あれ。
完走しました。
すごい。
いやいやいや、もうそれもヘロヘロで本当になんとか完走。
寒かったですよね。
僕2回目で9月だったんですけど。
2回目は暑くて、8日って言ったら救急車いっぱい来たやつでしたっけ。
あ、そうそうそうそう。日中暑くて、でもね、夜寒かったんですよ。
9月でこんな寒いんじゃと思って、大河原峠ってのがあるんですけど、凍ったと言われる。
そこがだから本当に、9月でも、すごい雨が降って途中から。
あれはなかなかワイルドなレースでしたね。
結局2回やって大変で、それでもやりたいって残ったのが、コウミなんだよ。
そうです。
わかる?コウミ、ぐるぐる回るやつ。
はい、コウミ100ね、5周だけ。
あれは、伝説の八ヶ岳のレースの最終形態というか。
サッカーからトレイルランニングへ
絶対じゃなくない。
あれもあれで、当時周回で100マイルってなかったか、みんなちょっとドミキシで。
意外とコロナでやってみたらいいっていうね。
コウミ町だけが本当に手を挙げ立ちましたね。
でもそしたらもうだんだん100マイルやるのは当たり前だよ、みたいな感じでライフワークになってきたんですかね。
それでもなかったですけど、結局ここのベース、根底っていうのが、
いわゆるサッカーをやってる時代の自分っていうところもあるんですけど、
僕が人によく言う、僕は本当に走る能力ものすごい低いんですよ。
フィジカルとか、なんていうのかな。
そういう身体能力が低いっていうのをずっと、
これなんかは本当に小さい時からずっとそれは思ってるぐらい。
少年野球から始まって、中学の途中で野球部からサッカー部に移る。
野球からサッカー部ですか。
そうなんです。
でもその中でも本当にそういう能力が俺ないなってずっとずっと思ってて。
だけど人は、すごい僕ができる人間に見る人が多いっていうのは僕も感じてたんですよ。
俺そんなことないよっていうことを言う人生だったんですけど、
本当に大学とかに入ってからはもう強者が周りにいて、
そういうフィジカルトレーニングしてももう後ろを万年行くみたいな感じだったんで、
それが何度も克服したくて自分でも練習するんですけど、
できてるやつには全くかならなかったんですよね。
その僕のそういう劣等感というかそういうのはあって、
トレーニングって僕は引き込まれた感じがあるので、自分の中で。
引っ張られたっていう感じがあるから、
この世界で自分がそういう楽しむ、心から楽しめるやり方って何かあるのかなって思ったときに、
その百万円に出会って最初これだっていう感じはなかったんだけど、
でもこれであれば表彰台とかはいけないけど、
ずっとできるんじゃないかなっていう直感めいたものはすごくあって、
それはメンタル的にもそうなんですけど、
例えばああいうスカイレースっていうかバーチカルみたいな、
本当に筋力のフィジカルを全開出すっていうことではなくて、
いろんな要素があるっていうところ、
あとは本当にちょっと長い時間走るから根性みたいなところもあったりはするんですけど、
自分がやりたいことにすごく合ってるような気がしたっていうのがあって、
あとはやっぱり大人になっていくとチャレンジっていうことをしなくなるんで、
挑戦と家族のサポート
チャレンジをしていきたいっていう気持ちは多分強かったのかなと思います。
続けていくためにもチャレンジをしていくっていうのは、
やっぱりテーマとしては今もそうなんですけど、
今も全く余裕じゃないです。
今結局安定してた職業も辞めちゃって、
お仕事もライフワークもトレーンランニングじゃないですか、
そこは家族がついてこれたんですか、
サッカーが終わったと思ったら今度わけわかんないスポーツに飲み込みちゃって、
みたいな感じではなく。
最初は本当にうちの嫁さんも見切りをつけようと思ってたって後から言われたことありましたけどね。
僕がハマりすぎちゃって。
ドン引きして、もうそろそろ。
トレーナンニングにハマりすぎ。
その前の職の時代でも、
僕が何でもかんでも走ってみたいなところがあるから、
これは多分この世界結構ある気がするんですよね。
だから結構こういうことで、
家族や彼女、彼氏、そういう問題が起きるんじゃないかなって、
ちょっと麻薬的なところがあるような気がして。
だって起きますよね。
だって土日とかのトレーニングも時間が長いし、
土日もないとなかなかいっぱいいるでしょうね。
だからすごく何度か騙し騙しやってた時代もあったんですけど、
ただ今となっては走ることが仕事に繋がるって嫁さんも言って思ってるので、
100%応援はしてくれてるんですけど、
そこまではもう普通にはいってないです。
新たな道の始まり
いろんなことがあって、
今の形になってるかなっていう。
そうですよね。
でもよく道がまっすぐに入った時もそうだけど、
今は完全にオーナーじゃないですか。
リスク背負う立場になっちゃってるから、
そこはもう結構大変でした。
家庭とかの両立とかってのは大変でした。
最初に、これは本当にちょっと言ってしまえば、
この今の道がまっすぐの一番最初っていうのは、
松井さんも絡んでサンデーの石川さんが声かけてくれたんですけど、
これもすごいタイミングというか、
前の会社、電池登ってる会社が、
本社が小田原だったんですけど、
山梨営業所っていうところに湧いて、
山梨営業所もなくすってなったんですよ。
そういうタイミングが来て、
残る人は小田原に行くみたいなっていう感じになったんですけど、
僕はその仕事もいろいろあったんで、
小田原に行くにはさらさらなくて、
もうここは終わりなんだと思って、
違うんじゃ仕事探さなきゃいけないなっていう話を、
松山も当時はスリーピークスも始まってるんで。
そういうタイミングだったんですね。
スリーピークスもとっくに始まってるんですよ。
そしたら松井さんが石川さんに言って、
山山さんが仕事がここで途切れるから、
今声かけるんじゃ今ですみたいなことを言ってくれた。
それが本当にきっかけなんですけど、
僕も自分がこういう仕事やるとは全く思ってなかったので、
特に石川さんと会った話、
石川さんはもともと僕は一緒に走ってた時もあったので、
全然知ってるすごい方なんですけど、
その時に一番思ったのが、
ちょっと前の会社で、
ちょっといろいろこうなんですかね、
ちょっと僕その営業所の所長ってとこまでやってたんですよ。
そうなんだ。
でかくないですか。
そう、ちっちゃいんですよ。
割と責任があるお仕事で。
そう、で、やったんですけど、
ただ、僕が知らないところで、
営業所なくすからっていうこと言われて、
で、それが納得いかないというか、
社会ってこういうもんみたいな思った時に、
なるほどね。
そうなんですよ。
で、その時にサンデーの石川さんと話した時に、
石川さんはもともとすごい素晴らしい人だっていうのは僕も思ってたから、
石川さんが本当に初めてそのお店の話をしてくれた時に、
いきなり握手してきて、
一緒に頑張ろうって。
僕は決めてないんですよ。
だけど、なんかこう信じられる人と
こういう仕事をした方がいいんじゃないかって思って、
そこが始まりだったんですけど、
ただ家に持ち帰ったら、
やっぱりこういうお店なんて不安定な感じがするじゃないですか、イメージとして。
走る意味と今後の目標
トレジャーショップですからね。
そんな客が来るなんて。
それで、
嫁さんはもうちょっと不安になってしまったっていう感じだったんですけど、
なんとかちょっとそこを説得して、
お店が始まるんですけど、
僕は僕でやっぱり色々うよ曲折というか、
なんか、
やっぱり自分も向いてるのかなって、
お店が始まってからも、
これでいいのかなっていうのを正直思った時代もいっぱいあって、
いろんな波もあって、
だけど、
結局何年も経ってきて、
やっぱりこう人と会う仕事じゃないですか、
やっぱりそういう人と会ったり、
いろんな経験をした時に、
やっぱりこの世界で生きていくんだなって、
生きていかなきゃいけないんだなってすごく思って、
なかなかピントが合ってきた感じでしたね。
そこですごい気になったのは、
サッカーの時代もそうだけど、
自分がトレーナーを始めた時も、
自分がプレーヤーに行きたいっておっしゃったじゃないですか、
でも店長になりオーナーになり、
また別の形プレーヤーになるかもしれないですけど、
でも自分がランナーなのかサッカー選手なのかちょっと違った、
どちらかと言うと黒子というか、
裏方という存在になる時に、
もう慣れてきたというか、
やっぱり未だに違和感を感じているか、
そうすごい聞きたいです。
お店、そうですね。
お店に関しては、
ちょっと答えにならないかもしれないですけど、
お店はお店として、
自分が走ることとお店というのは、
同じもので違ったりもするというか、
お店自体、僕は独立を去年させてもらったんですけど、
そこもちょっと簡単には実は行ってなくて、
何が正解か、何をしたらいいかということをすごく迷ってて、
だけど結局、
こういうちっちゃい道玉みたいなちっちゃい店って、
自分の店にしなきゃいけないんだっていう気持ちが芽生えたんですよ。
愛情が注げないんです。
自分の店でないと。
僕の場合ですけどね、もちろん。
僕がこういうお店で働くためには、
やっていくためには、
自分の店として成り立たせなきゃいけないっていう気持ちになったんですね。
だから、
黒子というか、
もっと僕はこの世界のことを知りたいし、
この世界にいたいっていう気持ちが強くて、
ものすごいサンで石川さんにお世話になったんですけど、
やっぱり組織の中にはいたので、
いろんな決まり事もあり、それでも本当に自由にやらせてもらったんですけどね。
ただ自分の思いとして、
道はまっすぐっていうのを自分の分身として
やっぱりしていかなきゃいけないっていうところがあって、
そうすると今度、全て自分で判断していくから、
今日のこのお話もそうだし、
いろんな判断っていうのは自分で、
よくも悪くもできて、
っていうのはあるんですけど、
僕は言ってしまえば、
本当に後悔は全くなくて、
今の今。
答えには全くなってないと思うんですけど、
トレラーニングっていう世界の中に、
僕も本当に運が良かったっていう部分もあるだろうし、
そういう運命だったってこともあるかもしれないんですけど、
引き込まれたっていう感じなので、
すいません、何か答えになってきて。
全然全然。
ちょっと違う質問ですけど、
今30何本目ですか?100マイルは。
今38です。
全完走ですか?もう100マイル。
違います、全然そんなことないです。
やり始めるともう最後までやりきっちゃうっていう、
勝手に今までの人生というか経緯を聞くと、
そういうイメージするんですけど、
DNFとかDNSとかの時もやっぱりあったんですか?今まで。
全然あります。
西の国も2回DNFだし、
あと、この前も例えば100マイルって目線であれば、
新越も僕都学史で終わっちゃったんで、
100マイルカウントはしてないんです。
感想扱いにはしてくれてるんですけど、
自分の100マイルのカウントはしてないです。
100マイルになってないんで。
だからやっぱり本当に、
本当に普通のおじさんが普通に頑張ってるぐらいの感じ。
そんなもんですよ、本当に。
もう30何本やってきたら、最初1本目のUTMFときとまた全然違う経験値じゃないですか。
今何か楽しんだら、自分は2本目しかやってないですからね。
100マイルは。
どういうモチベーションというか、今の経験値で何が楽しんでるか。
ただ、レース1個取っても同じレースも何本も出てたりもするし、
例えば千葉さんの富士もそうなんですけど、
でも毎回やっぱり違うことを学ぶので、
そこはすごくやっぱり大きいんですけど、
僕、やっぱり最初は僕はトレーナリングを始めたときはできてなかったんですけど、
やっぱり続けるってことが一番大事だって僕の中では思う。
多くの人が思ってるかもしれないですけど、
継続っていうことをしたくて、
その中の一つの目標が100マイルで、
100マイルで走るために何をするって言ったらトレーニングしかなくて、
それが全て続けていくっていう形になっていく。
体もきつかったり、気持ちもきつかったりする場面はあるんですけど、
全てを意味がある。
どんな時でも意味があると思って捉えて走ってるっていうのはある気がするので、
でも一本走ったらやったーっていうのが毎回やっぱりなるんですよ。
一本目の2013年のUTMFで一番先だったらレイクビア走ったんですけど、
同じ気持ちでやったーっていうふうになるので、
そのぐらい簡単なものではなかったりもするから、
すごく価値がある世界だと思ってるし、
毎回毎回失敗もいっぱいあるので、
その中でやっていく。
難しいから楽しいってよく言うけど、本当にそうかもしれないですよね。
どこでも出ていいよって言ったら出てみたいレースとかあるんですか?
一回行ってみたいとか出てみたいとかあるんですか?
海外に憧れた時代はあったんですけど、
ちょっとその気持ちは少し落ち着いてしまったっていうのが、
あらゆる方が海外に行くので、
本当に自分の心底ここだけは行きたいっていうのは正直ないんですよ。
ただ僕ね、国内で日本は本当に日本をすごく見てみたくて、
日本でやる100マイルっていうのはひたすら出たいとは思います。
まだ出てない日本の100マイルあるんですか?
まだ残ってるんですか?
何かあるかな。
熊川は今週末の?
熊川は出てないですね。
そうそうそういうのとかね。
ただなんか出るかっていうと九州忍者行くっていう。
そういうことも含めなんですけど。
でもレイクビアもそうでした。
やっぱり出てよかったなと思うし。
お店もやられてるからね。
出るイコールお店閉めるっていうことですもんね。
それもね。
関係ないですか?
それはあんま関係ないですか?
関係はものすごくあると思うし、
何であの店待て休みかって思われがちだと思うんですけど、
ただ僕、やっぱり走ることもやっぱり大事だなってちょっと思ってて。
どっかお店と僕をリンクさせる人は多分いると思うので、
そこに躍動してるっていうのは絶対的に必要かなと思って。
宣伝になりますね。
そうですね。
そうじゃないお店もあると思うんですけど、
僕の場合はそういうスタイルなのかなと思ってて、
そこがまた何かにつながるかなっていう気持ちもあったりはするので、
西東京のフットボールの魅力
お店を閉めるリスクはもちろんあったりはするんですけど、
それでもやっぱり、
なんか開けとけばよかったなって思いはほぼないんですよね、毎回やっぱり。
なんかなんとかなるかみたいな。
基本レースの時はお店お休みですか?
大山田さんがレースに出ている時はお休み?
お休みですね。
これ言っていいかわからないけど、たまに松井さんが入ってくれますからね。
バイトで。
ダメだよ、大丈夫です。
カットしようか。
大丈夫でしょ。
ただそうですね、基本お休みです。
ずっとやってくるんでしょうね。
死ぬまでって感じですね。
それでも気持ちの中でのいろんな波はあったりはしたんですけど、
だんだん歳をとってきて、
いよいよこの街を歩いているおじいさんを見たときに、
俺はああなるじゃんって思うんですよ。
最終的にああなって、
物理的にもうできなくなるっていうことが確実に来るっていうのは本当に思っているので、
それが例えば、あんまり思いたくないんですけど、
病気とか、本当に大きな怪我とかっていうのももしかしたらあると思うんですけど、
何となく自分でラインを引くのは多分難しいのかなと思ってて、
もうこれは無理でしょうって。
なったら本当にできない、できなくなる環境や状況になったら、
もういいかってなるような気が僕はします。
oo
ano
anaru
anaru
ano
anaru
anaru
ano
ano
ano
であれば基本的には待つでまぁ ポッドキャストも一緒にやってるじゃないですか
本当にこう相棒というかそんな感じなんですか あの
めちゃめちゃやり合いますけどね。 それはわかってますけど。
まあそのなんというかもうみんなそういう目で見てるしそういうふうに思ってるから
すごいぶちがしい人たちの目の前でも大喧嘩とかするんですけど あの
もう腐れ縁ですかね本当に。 だけどまあまあ多分今すぐ横にいるから恥ずかしいかもしれないけど
いやもういないです今。 真瀬ちゃんがいないと多分結構難しかったんじゃないですか 今の小山田さん難しいですよねおそらく
難しいと思います。 ポッドキャストも多分小山田さんできないだろうし
できないですできないです。 だけど一回そういうものが僕反対するんですよ。いいよって。
そうですよそんなやる必要ないでしょみたいなっていう。 彼女がなんか思うみたいでそういうのやるんですけど
どっちの発案だったんですか? 松井ちゃんだよね多分ポッドキャスト。松井さんです。
あのタイトル誰が考えたんですか?エスカレーターって。 僕です。僕です。
あれコピー選手、あれ絵も小山田さんでしょ? 絵はね、絵は小馬さんです。
当時そのクラブハウスが出た時に、クラブハウス始まりなんですけどね今もやってはいるんですけどその時に
まあやるんじゃ続けた方がいいよって。 まあそれも継続ですよね。やっぱりいろんなことがすぐには答えが出ないし
やっぱり続けていかないといけないと思うよねって。 じゃあ名前どうするって言った時にたまたまあの昼ご飯食べに
エスカレーター乗ってて、じゃあエスカレーター乗るトレーラーなんでいいじゃんって。 へえ。でもセンスが秀逸だなと思って。
いやいやいや、本当になんかそうなんですよ。 絵を、じゃあなんかその
ロゴっていうかをどうしようって言ったら小馬に聞いてみようって言って。 僕小馬がフリーハンドで描く絵がすごい好きで。 あのテイストなかなかすごいですよね。そうなんです。
馬下手というか。 そうなんです。で小馬はなんかラフで描いたんですよ、あの絵を。
でこれ送ってきた、あれ送ってきて、でこれこんな元でいいかみたいなこと言うから、いやいやこれでいいんだよって言って、あれが採用されたっていう。
すごいんですよね、やっぱ彼は本当に。 あれなんかいつもほとんど何も考えずに日だけ鬼滅やってる感じですか?本当そんな感じなんですか?
もともと前の北口のテーブルの時は月曜日にって決まってたんですよ実は。 それがなんかこうまあいろいろ家庭の事情だったり何の事情だったりで、こうやっぱりズレも出てきて。
今なんか松山忙しいし、バタバタしてて。 あとはなんか
やっぱり初めて続けてきた時に、もう何も決めてないんですよ、あれって。 あれ水月だったらびっくりしますけど、何もないんですよ。
そうなんですよ。レースがあればレースが元になるんだけど、何にもないままやってるんで、いよいよこうなんか考えつくものもなくなってきたかなって正直あったりして。
それでも2時間やってるからすごいなって思うんですけど。 2時間続きませんよ、なかなか。
でもなんか松井さん情報だとトレーラーニングの話がいいからそういう話が聞きたいって言われてて、余計な。
そうなの?みたいな話なんですけど。 なんか聞いてるとだんだん親元さんの異界のスイッチがどこらへんか来るかがだいたいわかってくるから、
松井ちゃんそれはまたスイッチ押すじゃんねって思う。
いろいろありましたよね、やっぱり。
だってゴミの満塁地のゴミ、本当にありがとうございますって言っていただいてって感じなんですけど、30分くらいやってびっくりしましたけど、そんなにやるんだと思って、最後まで。
でもね、僕ね、千葉さんレースでね、走りながらあれ聞き、言われるんですよ、エスカレーター聞いてますとか。
で、御滝の時にやっぱり聞いてるで、そのゴミの問題は本当に僕もそう思いますって力強く言ってくれた方がいて、もうあれは本当に、何か、返しがあったら聞いてみたいぐらい、本当にやっぱりあり得ないと思いますってその人も言ってて。
満塁地のゴミはシンプルに、要するにレース始まったらエイド以外と自分のもの以外は取っちゃいけないっていう風にすれば全部終わるんですよ。
そうなんですけど、それをしないっていうのはやっぱりそれはもうね、これはね、主に立花先生のこだわりですよね。
やっぱり感想をやってる方もいらっしゃるしとかあるから、いろいろ僕らも調整したんですけど、やっぱりこう、通行の人にはOKにしてあげたい。
やんないほうが楽なんですよ、我々。もちろんコンビニに寄っていいとかやんないほうが楽なんだけど、それはもう立花先生のこだわりですね。
ポッドキャストの制作背景
これ僕しかいなかったら即NGにして終わってたんですけど、でもなんかすごい大変なんですけど、まああの松井ちゃんにもいろいろゴミ拾ってもらったりだけど、どう思います?
でもいいところでもあるというか、MFらしさというか、そこのあえて大変なことをやってるっていう、そういうのはMFらしさなのかなって思ったりとかはないですか?
いや単純に、走ってる人たち以外の人たちがそこのところにはいて、その人たちが不快に思ったら、それはもうアウトかなって思うし。
僕も松井さんも言ってたんですけど、やっぱりあのルールをなくすしかその方法はないかもね。それは当たり前に思うし。
立花先生のそういう思いが全然わからない話でもないんで。
ただ、あれをどう処理するかっていうのは大人の催し物なので、わかるよねってそこだと思うんですかね。
感化できない量になってますからね、今はっきり言って。僕も夜中ゴミ回収とか高木さんとかでもしてますからね。
そこでもあの人数がいるとクリアになりづらい案件ではあるかなと思いますけどね。決着っていうかね。パーフェクトに活かせるっていうのは、もしかしたら難しいかもしれないけど。
禁止にしてしまった後に、だけどジュース買う人が出てくるんですよ、おそらく。
そうすると結構、日本の人って真面目なんで知らないと思うんですけど、結構な通報来てるんですよ、本部に。知らないと思ってますけど。
具体的に来てますからね。絶賢番号とか。
みなさんが持ってるよりも、要するに1400人スタッフがいるんで、本当にみなさん見られてる。
バナー悪い人のことに関しては結構上がってきたりしてるんですよ。そこの出し方も含めてやったりしてるんで、そういう感じになっちゃうのもなーなんて思ってるんですよね。
あれですよね。何かを禁止にしたら何かが生まれるっていう感じにはなっちゃいますよね。
なんか最近、特に100マイルとかはルールしっかり決めて、陸上競技みたいにやることって難しいと思っていて、むしろどちらかというとゴルフに近い精神のスポーツかなと思ってるんですよ。
ゴルフって自己申告なんですね、基本的に。そういう形でやっていかないと、そもそも成り立たないというか、100マイル全部ぎっしり細かく見るだけでもできないし、それをやること自体でコストかけるのもナンセンス。
だからあくまでもやっぱり大人のスポーツというか、マナーとかモラルとかそういったものの上にレースがあるっていう感じなんだろうなーなんてすごく思ってはいますけどね。
やっぱりゴミ、なかなか本当に多いですからね。
でも無しでもいいですか?大山田さんじゃあ無しでもいいんですか?MFでもうドリンクも無し、連動場のコンビニ用にも一切ダメですみたいな感じでもいいですか?
そう、これ不思議なもので、例えばATMFの時代もポールが使えたけど今は使えないじゃないですか。で、あらゆるレースがある無しがあるじゃないですか、ポールなんかは。で、あったほうがめちゃめちゃいいけど、無しじゃ無しで無しなりにやるってできるっていうところが、
そんな話と同じような話かわかんないですけど、ルールになければそれはそれで何とかするし、そもそも無いことの方が多いのかなっていうイメージだったから、そういうところ使っていいっていう。
普通ダメですよね、基本的に。
うん。だから、でも僕が無しとか言って無しになったら僕がすごい怒られるんですかね、使いたい人に。
リスペクトを込めたお山田ルールってしますから大丈夫ですよ。
地域スポーツのコミュニティの重要性
ほら、無しにしたことで別の大変な問題が出たら千葉さんたちが大変だろうから。
いや、でもシンプルになるとは思いますけどね、とは思います。でもなんかほら、お山田さんも前なんかポッドキャスト聞いたら、コンビニもないとかどっかですごい田舎のとこ行って、なんかジュース買いたいなみたいな話とかもしてたから、やっぱりそういう衝動には駆られるんだろうなと思ったりとか。
そう、駆られますね。それがルールとしてダメであればやらないっていうとこだけだと思うんですよ。
だから本当にレースをやっていて、ルールはこうだよ、レギュレーション全体的に考えてもこうだよってなったときに、そこはやっぱり目に入んないけど、いいよって言ったらちょっと少し助けてもらうかなみたいな感じにはやっぱりなるかなって思うし。
だけどこの問題はどっちかというと、本当にゴミザックに入れてもってこいよっていうが、そこをなんとかしたほうがいい気がする、その先を見たときに。
そういう行動を当たり前にできるって、疲れててもなんでも自分そこに置く、自分はいいって。
まさにそういうときですからね。
どっちかというと問題はそこかなと僕は思ってますね。
こうしてほしいとかなんかありますか。僕がかかってるレースでこうしてほしいってあれば。
素晴らしいレースですべて。
道がまっすぐですごくディスられてるんじゃないかなと思って。
お客さんからもいろいろ声あるかなと思って。
でもみんなやっぱり出たがってますよ。多いですよ。
僕今道がまっすぐのクラブを作ったんですよ。
ワイルドガッツっていうの。
それは100マイルを目的としてるんですけど、やっぱり最初の100マイルは富士にしたいっていう人もいるんですよ。
ありがとうございます。
ネガティブな要素は逆に言うと注目されてるからかなと思いますけどね。
そうかもしれないですけどね。
いろんな取り方があるんでね。
あと僕は尾山田さんに相談したいのは、ITGで武田智森の日程を1週間のみからずらしてほしいなって。
僕武田智森のファンじゃないんで。
前、マルコとセイミヤさんと行かしてもらったんですよ、武田智森。
ほんとですか?
すんげえいいとこだなと思って。
走りたい。
行かしてもらったってのは走りたかったんですか?
そう、ポッドキャストでセイミヤさんの取材行ったとき。
で、走りましょうって言ってちょっと走らせてもらったんですけど、
こんな都会にこんな山があって本当に素晴らしい。
いいとこですね。
出れないなっていう。
僕も伊豆は行きたいんですけど、
地域密着の活動とトレーニング
僕ね、どちらかというとお店にお客さんが一番来る日なんですよ、それ。
あ、お店に来るんですね。
武田智森の前日が去年なんか年間で一番来てくれたんですよ。
だからそこはちょっと外せないっていう。
僕も武田智森行ってみたいですもんね。
僕も伊豆行きたいんですよ。
出店すればいいじゃないですか、ITJに。
え、あんなビッグブランドがいっぱいいて、僕なんか小っちゃい店が。
もう逆行して鍵盤でも動かす。
でもあれですよ、地域限定の枠も作ってあって、
それこそ三角スタンドってあるんですよ、うち近くに。
三角スタンドさんが毎年出てもらってますよ。
あ、そうですか。
そんなことじゃ行きたいなと思いますよ。
同じ日だとさすがに竹田の人が包丁の方に行ってるみたいな裏切り者扱いになってるじゃないですか。
地域柄。歴史上難しいから、それすごく。
そう、小山田って裏切り者って言われてるじゃん。
僕も大河ドラマ出て、小山田さんっていう人が出てきて、
あ、小山田さんって裏切った人なんだと思って。
竹田克恵留裏切った人ですよね。
裏切ったって言うんだけど、松井さんめちゃめちゃ詳しいから、裏切ったんじゃないんだって僕らに説明してくれるんだけど、
僕に説明されてもなんてとかじゃないですか。
明確に裏切って、しかも首切られちゃった終わりみたいな人でしたよね。
そうそう、よく言われる。
そうそうそう。
現代のこんな人ですね。
いつでもいけますね、このキャラだったら。
本当にずらせないから、なんか出れるといいですね。
行ってみたいですもん、せっかく近くだし。
今、交通便がすごく良くなったんで、行きやすくなったんで。
100マイルの挑戦
そうですよね、行きやすいですよね。
ぜひ何とかお願いします。
僕も本当に水をまた行きたいです。
そんな感じで長くなっちゃったけどいいかな、1時間16分だもんね。
いいですね。
マルコなんかある?今回ちょっとあまり。
いやいやいや、とてもいい導入だし、いい質問してた。
いろいろ聞きたいところあるっていうか、
自分がさっき言ったやり続けるっていうところが、やっぱり自分がすごい痛感してるところがあって、
今、トモが工事してくるんですよね。
トモスピットに入って。
僕もトモスピットですよ、でも。
ピットメンバーじゃないですか。
そうそうそう、ピットも。
今週末FTRですね。
トモと矢野さんと一緒に、あとは清井ちゃんとか。
でも最近全然練習的なくて、よくトレーニングピックスにトモさんにやるかやらないかって言われるんですよね。
だからもうこの話聞いてまた勇気もらったっていうか、やっぱりやり続けることが大事っていうことは改めて思うんですよね。
感想ですけど。
いやいやいやでも本当に、僕は逆にトモスピットが大きな転機にもなってて、
トモスピットがあって続けられてるっていうのは正直あるんですよ。
もう3年なんですけどね。
今4年目になって。
トモさんのその3年前との変化もあるんだけど、でもやっぱり変わってないならば継続してやることっていうのは全く変わってないじゃないですか。
で、やっぱり見られてるっていうのは僕もある感じがするし、
もう当たり前にその日をやるっていう感覚にやっぱりなってるんですよね。
雨が降ろうが。
よっぽどの都合がない限りは。
マルコも本当にだんだん当たり前になるんで、
100マイルってそこかなと思ってて、別にマルコがいろいろな予定もあると思うし、
いろんなことがあって、なかなか練習があっているのもあると思うんだけど、
例えばメンタル的な部分で、いつでも試されてる感じがするんですよ僕。
玄関開けるってトモさんもよく言うけど、やるかやらないかっていうのは、
本当にやらない理由が実はないかったりするんですよね。
やる理由しかなくて、今やらないとやっぱりその先がなかったりもするので、続かなかったりするんで、
僕はもう本当に嫌なトレーニングも実際あってきつくて、
なんとなくそこを越えていくことでまたすべて繋がっていくなっていうのは感覚としても気持ちとしてもあるので、
マルコもぜひ続けていって、いいことあるから。頑張りましょう。僕も頑張る。
これ終わったら今日のあるある60までやってないから。
終わらないと終わらないと。今からやるの?
全然よく夜走るんで大丈夫。
でもあるあるは本当にさ、いろんなこと考えられるから。
メンタルリセットの時間ですよね。
そうそう。いい時間になるから。次に繋がるよ。
でも大変だね、それね。
だって撮影旅行行ったときどうしてたの?もうなし?さすがに。
ピレに行ったときもまさかやってたわけじゃないよね。
できない。それもトモと事前に相談して、できるだけ山を歩くとかはしてて、
帰ってきたらやっぱりいいわけですよね。結局自分にいい気がする。
走らないといけないですね。
そんな厳しくしなくてもいいんじゃないですか。
でも本当に言う通りに、もちろんトレーニングの目的もあるんだけど、
どっちだったらメンタルですよね。
走らないとバランスが崩れて、結局仕事も生産力が落ちるってわかってきたっていうか。
こうやって走らないといけないなとは思う。
なんとか自分を波に乗らせるっていうところはもしかしたら必要かもしれなくて。
僕も壁はいっぱいあるんですけどね、1週間のトレーニング見ても。
だけど何かこう、続けるっていう目標を自分でも持ってるじゃんっていうことは言い聞かせる場面がよくあって。
本当に今日はやりたくないなっていうのがあるんですよ、やっぱり。
だけどそこをあえていくと、いろんな景色が見れる。
絶対後悔はないですよね。
すごいね。ちょっとすごいですね。
仕事辞めるんだったらやりたいですけどね。
なんか両立できる自信がないですね。
千代さんは抱えるものが多すぎるんじゃないですか。
努力はできないんですよ。
努力する、辛いことやるのはできない。
千代さんとかのタイプってやったらできちゃうタイプなんですか。
熱中しなくてはいけないんですよ。
大変だけど、辛いんだけど、やりたくないんだけど、いいからやらなさいって勉強、そういうことは一切、僕人生でやったことないんですよ。
興味があることをやらないんですよね、本当に。
その代わり、興味があったら手伝いでもできちゃうっていうタイプ。
そういうタイプ。
だからどっちかというと自分の方は、努力する方向性よりも熱中するものをやっていく。
だからすごく村が僕を本当に嫌なことで後回しにしちゃったりとか、そういうのがあるんで。
やるならもう完全に仕事任せちゃって、とことんそればっかりやるって感じないと、僕無理でしょ。
だからみんなライフワークバランスとってやってるって本当にすごいなって思います。
僕は本当に走る時間も作れたりはするから、店もこんな店だしっていうところで、それが繋がる部分もあるからっていうのは大きいと思うんです。
本当にさらにやってる方とかが朝早くて夜遅いっていう中でやるのは本当になかなか厳しいかなとは本当に正直思う。
マルクもお子さんもいて、家庭もあって、みたいな感じとか。
僕は双子がいて、マウントフジ出てるんですよね。
マウントフジ100マイル活動してるんですよ、僕の双子。
何ですか?
そうなんですけど、やっぱり仕事とか家庭とかの話とかも聞くわけですよ。
そもそもサポート一人も来てねえし、家族も行っていいかどうかわからないけど。
やっぱりいろいろあるわけです。
たぶん小山田さんもすごく共感できる話、いろいろあると思うんですけど。
そこいろいろ折り合いつけて時間作ってやってて、本当にみんなすごいなと思います、100マイルやる人は。
本当に尊敬しますね、双子の兄も含めてね。
僕にはできないっていうか。
どうだろう、でも100マイル走る自分も含めて、体のためじゃなくて精神のためですかね。
挑戦と失敗の重要性
絶対不健康だと思うが、この走りは。
不健康です。不健康って本当に思うことはいっぱい僕もあるし。
やっぱりやり続けられるっていうところが大きいから、それで例えばぶっ倒れてもしょうがないかなと正直思っている。
そのせいにはしないだろうし。
ただ生きてる証は大きいですけど、自分がそうなっている感じがして、この世界に入ったことでも。
そこがだんだんいろんな変化があって、今ここにたどり着いてて、これができててって。
でもまた何かのきっかけがあれば何かが変わるかもしれないんで、今はこれですよね。
環境も状況も変わる可能性があるし。
みんなすごいですよ、本当に。レイ・セルシカさんって本当にすごいなって思いますね。
すごい人いっぱいいますね。僕もみんなすごいなって思います。
本当に見てて感動しますね、フィニッシュ。
バックモンスリーバーしてるほど、どんな人でも帰ってくると感動するというか。
いや僕もだから、2年前の富士でパララマ大僕ら分岐やってて、
もうすごいちょっと今は割と伝説には地図は巷でなってるんですけど、ものすごい声を出して応援してたんですよね。
パララマ大で。それね、いまだに言われるんですよ、出た方たちに会うと。
あの時の応援ありがとうございました。でもね、本当にここまで来てるんだから最後まで行ってくれって気持ちにさせてくれますからね。
自分と置き換える絵もそうだし、その人知らない人が多いんですけど、
なんでこの富士に出てるのかっていうことも知りたいぐらいなんだけど、
なんか意味があってここに世の中走ってるんだろうなって思うと、やっぱりもうこの本当にみんな行ってくれって気持ちに本当になるんで、
もう本当にこう魂をぶつけましたけどね。
なんとなくって言う人もいるかもしれないけど、でもいい大人が結構な時間が必要になるじゃないですか。
だからやっぱりそこに行かないと、お金もかかる、時間もかなり取られるっていうことを考えると、
いろんなことを調整して時間を作ってやっていくっていうところがあるから、
なんていうんだろう、簡単じゃないっていうかそんなね。
そうですね。簡単じゃない。本当にその通りで。いろんなことを考えると本当に簡単じゃないです。
どっかで100マイル走んなきゃなと思ってるんですけどね。
とりあえず新越去年出て、途中で関門で切られたんで。
100キロね。
100キロの手前の関門で、みんな3分ぐらい足りなかった。
100キロ?100マイル?
110キロ。
あー。手前の関門。
関門って言った時の話ですね。
3問以前に、あれですよ。1個目はマダラオでした。
で、両端釣りましたからね。そっからほぼ端ですね。
みんなから千葉さん大丈夫ですかとかCOGもらったりとか、みんなから千葉さん大丈夫って声かけられて。
それも良き思い出ですよ。人生の思い出。
ちゃんと走れるように頑張りたいなと。
僕なんかもっと失敗のほうが多いんで、どうしたらもっと楽に走れるのかなって毎日思ってます。
人生失敗しかしてませんから、そんなこと言ったら。
僕もそうですよ。
挑戦するんだったら失敗せざるを得ないんですよ。
失敗してない人って挑戦してないだけなんで。
本当にそう思いますよ、最近。
僕もね、そのチャレンジっていう言葉であれば、挑戦ですけど。
失敗せざるを得ないですよ、本当に。
僕もいろんな人に話すんですけど、レース1個見た時に、これって行けるかわかんないなって思うのがチャレンジで、
ゴールが見えたらチャレンジになってないねって。
だから不安でしょうがないっていう人が結構いるんですけど、
でもそれが本当のチャレンジだと思うよ、みたいな話になるんですよね。
挑戦の重要性
だからそれが失敗しようが、やっぱりそこに行く、そこに向かうプロセスが僕はすごい大事だと思ってるから。
気持ちもそうだし、準備もそうだし。
向かうって気持ちがあっただけでもすごいなって思うことが話としていっぱいあるから。
本当にいいですよね、チャレンジって。
それこそやっぱりプロセスですよね、大切なのは。
だって結果が出たところで、別にでかいお金もらうわけでも栄養がつくわけでもないじゃないですか。
だからやっぱりそこまで積み重ねてきたことがすごい尊いなって思いますよね。
あと失敗して泣いちゃう人とかもいるじゃないですか、感想的なことで。
泣けることが素晴らしいと思うんですよね。
大人が別にこれでお金もらうわけでもないやつで頑張って、失敗して泣けちゃうとか、感想しても泣くこともそうですけど。
今の年になって泣けることってある?って悲しいこと以外でって話だから、
嬉しいこととかね、そういう自分のことで泣けるってすごく素晴らしい体験のような気がしますよね。
実はちょっと非現実的なことかもしれない。
でもそういうのって大切なような気がしてるというか、
自分の仕事をこういう仕事やってるのって、あんまり取れられない以外はどうでもいい話じゃないですか、僕の仕事って。
なくてもいい感じだけど。
だから僕もそうですよ。
でも一人でもいいから、そういう時間を作れてることの空間を作れてるっていうのが、やっと最近自分の中のモチベーションというか。
いいですね。
そういうやりみあるなーなんて思ったりとかはしますけど。
でも本当みんな何かを心に思ってそこに向かっていくので、千葉さんすごいことしますよね。
いやいやいや、もう全然。向いてないって言ってましたけど、僕が一番向いてませんからね、本当に。
僕は向いてないですね。いい加減だからね、マルコは知ってると思うけど。
感覚的な人なんで、計画とかが苦手なんで。
本当はもっと優秀な人が次いると思うんで、そういう人たちがやりたいなと思える環境にはしたいなっていう。
仮にそういう人たちがいたら、日本になれば。
ちゃんと稼げるし、家庭も作って、これだったらチャレンジしてみようかっていうふうになれる仕事になれるといいなって思いますけどね。
そうですね。
話しちゃったね、ちょっと。真面目な話しちゃったし。
すいません。
いいじゃん。
この感じでいいかな。
いいよ。また鎌倉なので遊びに行きます。
あ、鎌倉?
たまに山県と遊びに行く時もあるんですけど。
そうですね。僕今週千円山って。
当てるんですか?田口さんは。
出ます。
いいですね。そっかそっか。
皆さん来週100マイルです。
うそーすごいですね。年間何レース出るんですか?4,5レースぐらい?
でも決まってはないですけどね、これも誘ってもらったので、そういう誘いをできるだけ受けたいと思って。
大変ですからね。
でもそれは大切ですよね。
何かよっぽどな理由がない限りはやりたいなって。ただ100マイル続いてきたんで、レイクビアのあと1週間を見た時に体大丈夫だったんで、で、行くって答えは出したんですけど。
どれぐらいインターバルでできるものですか?1ヶ月に1本とかきついじゃん、さすがに。
それがずっとやると多分難しいと思うけど、でも今はやりたい気持ちの方が強いんですよね。
だから、何ですかね。でも3週間は欲しいです、絶対。最低で。
1ヶ月に1本はやろうと思えばできるってことですか?
1ヶ月に1本はやろうと思えばできる。それがずっとできるかってわかんないです。
例えば、新越レイクビアってのが約3週間なんで、その一つの間としては、僕は3週間なきゃ無理かなと思います。最低でも。
これ100マイル終わって翌日とか店も開けてるんですか?
開けてます開けてます。それは自分のポリシーとして絶対開きます。
すごいですね。
それは前の仕事もそうだったけど、絶対休まないって決めてるんですよ。
すごいですよ。
それをしないとダメじゃないかと思っちゃう、自分が。
これただの自分ルールなんですけど、遊んで自分の好きなことやって、仕事を休むってどうなの?って思っちゃうんで。
それは例えば、有給が取れますとかそういう方たちはいて、それは自由に取ればいいと思うけど、僕は僕のルールとして。
今年の富士はあの日に開けてますよ、僕店。ゴールしたら。
そもそも車で帰るんですよね?松井ちゃんに送ってもらってるんですか?
あの日は松井さんが送ってくれました。
車で来てる人いるじゃないですか、結構。すごいなと思うんですよ。
100マイル走った後に、結構距離をまた自分の車で帰るって、違うレースがもう一回始まるっていう感じぐらいきつくないのかなと思って。
でもやっぱり仮眠して、レークビアの後も僕ら仮眠して、バンビを見に行って、僕の運転で帰ってきましたけどね。
すぐほら、CSの話に戻りますけど、僕はああいう状態になると、ふくらはぎがもうずっとついちゃうんで、アクセル踏めないんですよね。
アクセル踏むと、一瞬やっちゃう。
治らない?
治らない、すぐに。全然。
えー。それ絶対脱水だよね、その感じ。
脱水ですね、たぶん。なんですけど。
治らない?
治らないです。
アクセル踏んだら踏みっぱなしになっちゃうってことですよね。
アクセル踏んで、ついちゃうんで、右足じゃなくて、左足でこうやってるっていう。
えー。やば。
みんなすごいそう。僕、元気の時からふくらはぎが釣りやすくて、一回ふくらはぎ釣り始めちゃうと治らないんですよね。
僕ね、逆で一回釣ると治らないんですよ。
だからトレイルレースでもちょっとピクってきて、それが戻ればたぶん大丈夫なんですよ、そのレースは。
全然ダメですね。
それは元々元気の時からそうですけど、一回釣っちゃうと、しばらく休まないとパフォーマンス取り戻せないですね。
いやー、でも体質ですね、体質。
向いてない。
いや、そういうことないよ。
ぜひね。ちなみに今、エントリー中ですけど、マウントフジ100とは。
来年は。
もちろんです。
ありがとうございます。
もちろん運転手に呼びかけさせてもらって。
はい、もちろんです。
当選するかもわからないですけど。
今年めちゃくちゃ外国人来てるんですよ。
本当ですか。
6倍来てるんですよ。
参加資格とかかなり緩和したっていうこともあるんですけど、
フジとアスミって40キロのやつがすごい多いです。
種目によっては外国人の方が多いです、応募者が。
本当ですか。でもちょうどいいかもしれないですよね。
カイやアスミの感じが、観光とか。
旅行としては。
そうそう。日本にせっかく来るからって思いもあるし。
マルコは走んないですか?
裏方ですね。
マルコは走らせない。僕のレースに走らせないよって裏方に回ってもらうんで。
大事な役割を。
僕もプレイヤーにしたいよ。
それ以外のレースはたくさん紹介してあげるんで。
マルコはまた違う目標を持って頑張る。
そんな感じで長くなっちゃったけど、こんな感じでいいかな。
ありがとう。本当に楽しかったです。
すみません。まとまったのか。
道がまっすぐよりまとまってるでしょ、話は。
エスカレーターよりは。
エスカレーターはそうですよ。どれかまとまってます。
親元さんがお前何も考えてないだろって言ってますもんね。
いやでも楽しく聞かせてもらってるんで。
ありがとうございました。
じゃあこんな感じで。ありがとうございました。
すみません。またよろしくお願いします。
フットボーラーの経験
千葉ちゃんうまいなインデビュー。
うそ?ありがとうございます。
聞き心地よかった。そのほうも聞いてた。
親元さんは生涯アスリート。かぶら毛さんと一緒だよ、本当に。
ずっとアスリートって言いたいっていう人なんだなって思ったよね。マルコもそんな感じだけどね。
どういうこと?自分を追い込むってこと?
なんだろうね。体を使って表現をしていきたいんだろうね。おそらくね。
あとやっぱすごいのがさ、自分でやってることなんだけど、走り続けることに対してそんだけやれるってやっぱすごいよね。
みんなそうだな、マルコもそうだし、親元さんもそうだし、そういうのすごいなって。
改めて、ウルトラディスタンスの人たちすげえなって思ったよね。
でも言い換えると千葉ちゃんもそうじゃないですか、ITJを10年間無事もやり続けるのは同じだと思うんですけど。
大変さは全然違う。次元が違うだろうと思うけど。でもやり続けるんですよね。
それは努力とはちょっと違うんだよね、俺の場合はね。
でも目の前にいつも危機が迫ってるから、目の前のやつをやってるだけで続けてきたらそうなってるだけで、
すごい長い先を見てそれに向かってやってるって感覚はない。
いつもやりたいことはあるんだけどいつも思い通りになってないから、いつになったら思い通りにできるんだろうって言って10年経っちゃったって感じだからちょっと違うかな。
しかもみんないろんなものをバランスとってやってるじゃんね。
これがすごいと思う。
ぶっちぎっちゃうから、好きなことだけにっていう性格なんで。
それがやっぱり良いところでもあるのかもしれないけど、あんまり悪いところでもある。
あんまり人にお勧めできるような人生ではないんで、
ちゃんとバランスとってやっていく。
社会に迷惑かけずにやってるじゃんっていうのが偉いなって思う。
コミュニティとの関わり
やっぱりリスペクトするよ、ほんとにそれは。
マルコも走るんでしょ?どれくらい走るの?
あるある、リカバリーランで60分。ジョーキングだね。
LSDの1時間くらいやるってこと?
もっと、でも本当に、起労7分でも8分でも何でも本当にジョーキングの時間を1時間くらい。
トレッドビルじゃダメなんだね。
あればいいんだけどトレッドビル飽きちゃうんだからね、僕は全然。
外走ったほうがいいんだから。
そうそうそうそう。これから着替えて出る。
ちょっと早く。
一気に上げようか。
じゃあまた。
OK。
じゃあまた次回。お願いします。
01:37:58

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