1. 日本サッカートーク番組 fm105
  2. 076:元Jリーガー端山豪さんに..
2024-03-08 58:34

076:元Jリーガー端山豪さんにインタビュー。ヴェルディ育ちで大学を経由しアルビレックス新潟に入団。プロ生活からセカンドキャリアまで興味深いお話

タケパンと端山さんの出会い / ヴェルディに入団  / ジュニアユース時代 / 小林祐希とか高木善朗とか / 杉本竜士とか / ヴェルディらしさ / 端山さんの中学時代 / ヴェルディユースへの道 / 南秀仁と竹内涼真 / 小林祐希話 / 高木俊幸化け物級うまさ / 高校時代の怪我と進路 / 将来を見据えたトップチームに行くかどうかの選択 / 大学探しと大学選び / 竹内涼真は正直めっちゃいいやつ / いけすぎてる歌うエピソード / やっと大学サッカー編w / 感覚を戻していく作業 / 近藤寛太の印象w / よっち / コンバートによるスタイルの変化 / 2種登録でJのチームに帯同 / アルビレックス新潟へ入団した経緯 / 新潟でプロ生活のスタート / 当時の監督は吉田達磨さん / 湘南サポ的に気になる当時の大野和成 / Jで対戦してすごいと思った選手は? / マンツーマンを逆手にとったポジショニング / 移籍について / 町田時代 / 当時のサッカーと葛藤 / オーストラリアに行った時に考えていたこと / コロナパンデミック / プロアスリートとしての終焉とセカンドキャリアを考え始める / 引退発表と就職 / 広告業界を選んだ理由 / オーストラリアのサッカー選手の価値観 / 新しい環境と上司 / 特別ではない転職 / 新しいことを吸収する姿勢の大事さ / 今のサッカーとの向き合い方 / オーストラリア二部ではない話

00:12
105×68mのフィールドには喜びと楽しさと悔しさが詰まっている。 サッカーを愛するクリエイターたちの雑談ポッドキャスト fm105、今日も渋谷からお届けします。
パーソナリティーは湘南ベルマーレサポーターのデザイナータホイと、 清水エスパルス渋谷CFCサポーターのコピーライダー竹パンです。よろしくお願いします。
なんかね、マイクを今僕とタホイさん一台で話してるんですけど、ゲスト回になるとこうなるんですよね。 漫才スタイルね。
3パチマイク真ん中スタイルになるんですけど、いやーなんかね、 ちょっと緊張します僕。なぜかというとちょっと恥ずかしい。
竹パンって言ってることが恥ずかしい。 会社の同僚だし、まだ距離がちょっとあるんで、やや恥ずかしさはあるんですけど、ちょっといろいろ聞いていきたいんですけど、それでは紹介します。
フットボールフレンズのコーナーですね。コーナー名忘れました、自分で書いといて。 選手、指導者、フロントスタッフ、サポーターなど様々なサッカーのフィールドで活躍されている方をお招きしてお話を聞いているコーナーです。
本日のゲストは、ジェニーグでも活躍されました、 現在はKOBRBに所属されている、
早間豪さんです。よろしくお願いします。 早間さん、渋谷までありがとうございます。
先にね、僕と早間さんの関係から言いますとね、 元々会社の同僚だったという。
きっかけが、社内のオンラインセミナーみたいなやつで、 スポーツ系の、電通デジタルという会社なんですけど、電通デジタルパラアスリートの所属の人たちがいて、その人たちを紹介するようなオンラインのセミナーみたいなのをやったんですけど、
そこで元アスリートとして早間さん出て、僕はなんか司会をやってました。 そこは初めましてですね、確か。
謎に近い。でもね、Jリーグでプレイしてた人と会話したのは、初めて会話した人は早間さんだと思う。 本当ですか?そうなんですね。
でも、取材とかしたことはあるけど、普通に話したのは初めてですね。 初めて飲みに行ったのもね、そうだと思う。
フットサルの後から飲んだのが最初。元サッカー選手と飲んだのが初めて。 早間さん、フットサルに参加してるの? 何回かね、一緒にやりました。
それはすごいね、会社の。 今度、カンタくんもね、参加した。
カンタくんはね、強シュートを打つっていうのが最初あって、 強シュート禁止になったんですけど、その後。
それじゃないやつ。会社のフットサルで、素人の子がキーパーだったんですけど、怪我するっていう事件がありましたんで。
早間さんはね、そういうのない。 フットサル一緒に。 打てないですね、僕は。
03:06
じゃあちょっと何から聞いていこうかなーなんですけど、前半重くなりがちですか、これ。 いや、重くなるって前半の話がね、長くなりがちなんですけど。
サッカーを始めたきっかけから聞いていっちゃうんですけど。 最初は、最初は普通に地元の幼稚園を通ってたんですけど、多分なんか幼稚園って覚えてないですけど、結構遊ばされるんですよね、朝昼とか夕方とかわかんないですけど。
で、みんなで遊んでたのが、多分ドッジボールとかサッカーとか、ちょっと球技が多くて。 僕は特にサッカーが好きだったような記憶ですね。
だから幼稚園の遊びの延長で始めて、小学校入る時に正式に小学校の少年団に入ったっていう感じでした。
最初は小学校の少年団ですね。 そうです。幼稚園から一緒にみんなで上がって、何人かはチーム入り。
そっからベルディに行かれると思うんですけど、ベルディはいつからベルディなんですか?
ベルディは小学4年生の春から入団したんですけど、なので小学3年生の時にはもうセレクションとかを受け始めていてって感じですね。
もうすげーなー。4年からあるんですか、ベルディって。 4年からです。
その時点でみんなね、当たり前ですけどサッカーやってる子たちがいっぱいいるわけですよね。
すごい世界だよ。最初で言うと、そこのキャリアで言うと、ベルディのカテゴリーで言うと、そこで言うと日本最高峰のところなんですか?
そうですね、はい。なんかプロみたいに明確なリーグとかあるわけじゃなかったですけど、ジュニアは。
だけど国内で対戦して負ける可能性がありそうなチームっていうのは数チームみたいな感じだったと思います、当時は。
すごい。東京途中から上手い奴が集まってきてみたいな感じですか?
もう関東近郊っていう感じですね。
そんなに?小学生から。
神奈川とかもちろんいますし、遠いと千葉あたりとかも全然受けに来る子とかはいます。
現実的には東京、埼玉ぐらいまでで、東京、神奈川、埼玉、南北はそのぐらいいましたね。
そっから小6になって、ここでもまたジュニア優勢上がれる上がれないみたいなのもあるんですか?
あります。何名かっていうか何人かの選手はジュニア優勢上がれないパターンもあって、
逆に外から何人か入ってきて、全体のうちの2、3割が入れ替わるとか。
2、3割もいかないですかね。
はい。っていうのが小6から中児の間で起きますね。
その頃ってポジションはどこだったんですか?
僕はもうミッドフィルターって感じです。真ん中が小学校の時は多かった気がします。
サイドもやってましたからね。
体って大きかったんですか?
いや、そんなに特別でかくなかったと思うんですけど、小6ぐらいでちょっと背伸び始めて、
小6の時に150センチはあった気がするんで、ちょっと大きいぐらいですかね。
で、中学順調にジュニア優勢に入って、この辺からガッツリ聞いていきたいんですけど、
06:03
小学校聞き始めたらキリがないんでね。
全国の大会とかもこの辺だといっぱい優勝したりとかって感じだったんですか?
いや、中学は優勝経験多分ほとんどなくて、
いや、でも1回全国制覇したような記憶がありますが、
そんなにめちゃめちゃ無双してるほど国内で最強チームだったかって言われると、
そんなことなかったような気がします。
僕は1校への学年に対応することも結構多かったので、
自分の学年と1校へどっちが勝てばいいのかなみたいなところありつつ、
1校へは強かった。で、自分の学年はそこまで強くなかった。
この中学年代、授業優勢だと1校へとか誰がいたりとかしたんですか?
今札幌にいる小橋裕樹くんだったり、
新潟の高木義役くん。そこ2トップですよね、完全に。
そこ2トップで、他にもプロになった選手とかその学年にはいっぱいいましたし、
いや、強かったですね。
葉山さんの学年だと誰がいました?
僕の学年は今群馬の杉本隆二だったり、
今品川CCにいる田中隆寛っていうのがいるんですけど、
ベルディ高校からプロ上がって、
転々として今品川にいるとか。
事業優勢はそんな感じでしたね。
ベルディって中学年代でもベルディの雰囲気なんですか?
中学ってなんだろうって感じですけど。
いや、中学ぐらいから出てくるんですよね、ベルディっぽい感じ。
ベルディっぽい感じ。
大会会場とか試合会場とかで、周りはこっち見てる。
俺たちは絶対周りのチームのことチラチラ見たりしない。
プライドがある。
ガンチンないぜみたいな雰囲気出すみたいな。
そんなチームでした。
なんか技術力高いじゃないですか、やっぱベルディ出身の人たち。
練習とか含めてなんか違うものなんですか?他と。
どうなんですかね。
もともとどこのチームもそうかもしれないですけど、
ある程度一手技術のある選手が集まってきているのは事実なんですけど、
多分ベルディは独特のベルディっぽい、
当時の昔の世に売りっぽいサッカーとかサッカー感を大事にしていて、
細かいトラップを置く位置とかイメージを何人かで共有して、
イマジネーションのあるプレーだというコンビネーションみたいなのを大事にするので、
多分そういう価値観とかサッカー観がみんなで共有されていくんですよね。
だから練習メニュー自体はそんなに大きく変わる感じはしないんですけど、
多分そういうフィロソフィーみたいなのはベルディっていうクラブとしてはあって、
なのでベルディの選手ってみんな特徴あるというか、ベルディっぽいっていう風になっていく。
うまい選手っていうイメージが。
そんな環境だったんじゃないかなと思います。
順調でしたか中学時代は、早山さん的には。
僕は小6中1とかで膝の成長痛みたいなのに悩まされて、結構苦しかった記憶はありますが、
09:06
当時まだ優柔なんとか日本代表とかの前に一番最初ってエリートプログラムっていうのがあったんですよね。
それが代表みたいな感じだったんですよ。
全国から20人ぐらい選ばれるみたいな。
のには選んでいただいていたので、だから見たら順調だったのかもしれないですけど、
個人的には主観ではここがダメだ、ここが足りないとかめっちゃ思ってた記憶がありますね。
エリートプログラムとかでその時期に近藤勘太と出会ったりしてるんですか?
いや、近藤勘太出会ってないような気がするんですよね。
中学時代はまだ。近藤勘太は多分その後にバーッと来た選手だったような気がします。
西と東で結構西の選手は知ってるみたいな言ってましたけどね。近藤勘太は。
そうですね。中学ってナショナルトレッセンみたいなのが西と東で別れ始めたような気がしていて、
トレッセンで西の子と東の子で別れてたので、
ナショナルトレッセンっていうエリートプログラムよりももちろん枠の大きい集まりでは一緒にならなかったと思うんですけど、
エリートっていうのが始まって、その後に後にアンダー15日本代表とか、
そんなのが始まっていったと思うんですけど、
なかったかな?18ぐらいから始まったと思う。
勘太とかはそこで来て、僕は18ぐらいで逆にアウトしていった。
変わりなかったですね。
そうなんですね。意外と同じ世代。
ここ同じ世代なんですよ。実はね。
今年も同じですね。
同じです。大学同期なんですね。
僕はね、詳しくなりました。この世代は。
妙に詳しくなりましたけど。
中学年代を経て、ここすごい難しいと思うんですけど、ユース上がる上がれないみたいなとか、上がらないって選択もあるじゃないですか。
その辺ってどういう決断だったんですか?
僕はベルギーでプロになるっていうことしか考えてなかったので、
あと自分が上がれない可能性があるとか、当時は。
ちょっと生意気ですけど考えたことなくて、そのまま普通にユース上がるという感じでした。
でも中には全員上がりたいのがベースではあるんですけど、
ちょっとなって思っている人がいたような記憶もあって、
実際それで高校サッカーの方に手を挙げていくとかいう選手も一部いましたね。
ユース入った後に高校サッカー行った人もいるじゃないですか。
あれって言うのかな、神谷選手とかって。
神谷は途中からだったら、その後湘南くるんですけど。
僕湘南サポーターなの。
そうですよね。
高校年代になると外からも何人か入ってくるんですよね。
そこで入ってきたのが湘南修斗と竹内良満ですね。
湘南選手も高校からなんですね。
高校からです。
めちゃくちゃベルディーってイメージが強いですけど。
いやでももうベルディー色は彼持ってて、ベルディーの支部にいたので、相模原っていうところにいて、
土持さんっていう読売時代の方が相模原をやられて、そこで育った湘南修斗がベルディー色強かったですね。
12:04
中学年代って本丸のベルディージュニアユースと支部っていうのがあるんですか?
あります。いっぱいあります。結構至る所にあります。
支部からも来る子がいるんですね。
もうレアですけどね正直。
飛び抜けて上手かったんですよね湘南って。
なので来ましたね。
そして竹内良満ですよ。
芸能人の?
そうですよ。竹内良満ですよ。
そうかそうか。テレビ出てるよね。
ベルディー出身の選手として。
あれが同級生で。
なるほど。
竹内良満さんはどういうクラブから来たんですか?
同じです湘南と。ベルディーの相模原です。
相模原なんですね。
その二人が来たと。
この相模さんと話すと竹内良満さんの話も出てくるんですよ。
そもそも上がって1年の時って相模さんは上の世代とかの試合にも出られてたんですか?
出てましたね。
高校2、高3ちょこちょこ出てた気がします。
小橋裕樹さんがいるような。
すげー怖いイメージあるんですけど。
めちゃくちゃ怖いですよ。
なんて言うんですかね。
いい意味で普段は別にそんなにピッチの外では優しいんですけど。
ピッチ入ったら誰よりもこだわってるんですよね。
その要求の質が高いというか。
そういう意味では当時。
高校生とかだと先輩にガーって言われたりしたらビクビクしちゃったりするんですけど。
僕は結構そんな感じでした。
当時の中盤ってどんなメンバーだったんですか?
僕は出たり出なかったりとかだったので主力の一角って感じではなかった気がしますけど。
結城くんがいて、吉明くんがいて。
あと三年生とかで上手い人とかがいたりして。
南部健造っていうまだ今タイとかでプロやってる選手といるんですけど。
誰が出てもみたいな感じでしたね。
ドリームチームの感じですかね。
そんな感じでしたよ正直。
この一光芸の台とかは全国とかどうだったんですか?
クラビウス取りましたね。
あと高木俊幸がいたんですね。僕が一年生の時は。
二光芸?
はい長男。
ポケモンでしたねみんな。
俊幸と吉明は清水にもいたんで。
そうですよね。
大輔くんは下。
2個下ですかね僕らも。
それもちょっと離れてるんですよね。
高木さん兄弟という謎のね。
野球選手の息子たちという謎の。
そうかそうか二光芸なんですね。
年が。ジェフでね今やってて。
去年ちょっと見に行きましたけど僕は。
すごい世代の中で。
リーグはプレミアだったんですか?
なんかリーグも変わったような気がするんですけど。
僕が3年の時はそのプレミアリーグっていうのができて。
西と東が分かれて最後決勝やるみたいなリーグになって。
その前はプリンスリーグ。
15:01
一年生の時はプリンスリーグって言われてた気がしますし。
2年の時もそんな感じだったような気がしますね。
ちょっと記憶違いだったら申し訳ないですけど。
高校時代は怪我とかはどうだったんですか?
僕は一年生の時結構わりと順調で。
3年生の試合にそれこそ結構出させてもらったりもしてたので良かったんですけど。
一年生の冬ぐらいにそれこそアンダー17日本代表っていうのが1回あって。
それに選んでいただいたんですよね。
アンダー17日本代表を選ばれるぐらいの時は。
なので世代で20人とか入ってた気がするので良かったんですけど。
その後に腰の怪我をして。
それもまた成長痛っていうかスポーツ障害的な感じで。
腰椎分離症というのとヘルニアを併発して。
これはもうリハビリ何ヶ月かリハビリして。
また1回目の練習で再発してみたいなのを繰り返しちゃって。
高校2年3年ほとんど6日プレーできなかったって感じでした。
そうなんですか。
2年3年その状態で進路とかってどういうふうに悩んでたんですか?
いやもう将来どうのこうのっていうよりも今
下手で満足に動けないことへの焦りの方が強くて。
もうこれじゃサッカーできないじゃんみたいな状況だったので。
とはいえなんかプロにはいくもんって当時思っていて。
すごい焦ってましたね。
高校3年ぐらいには決めなきゃいけなくなるので。
3年のいつぐらいですか?
夏頃ですね。
クラビウスその1個の台で優勝して。
僕らの台でも優勝したんですよ。
連覇して。
僕はそのクラビウスに合わせてリハビリをしてて。
でもほんとギリギリに復帰して。
クラビウスもプレーしたんですけど怪我でほとんど
やったりやらなかったりみたいな状況で優勝して。
その後ぐらいに決めなきゃいけなかったんですね。
トップの練習参加に行けと何人かで
その後に多分合費というか来るだろうみたいな。
僕できませんとプレー正直。
練習なんか参加できる状態じゃないですみたいな感じだったんですけど。
そこはやらざるを得ない状況だったみたいで。
無理矢理参加して。
ほとんどできなかったんですけどなぜか
この何人かトップチームは上がれますよ、君たち。
上がりたいですかみたいなのがあって。
みんなもう当たり前に上がりたい。
夢なんで。
上がりたいですみたいな。
意思確認の面談みたいなのがあったんですけど。
僕は正直このままだと上がりたいって言えないですみたいな。
そんなプレーできる状況じゃないのでっていう話をして。
それを口に出して初めて
俺このままじゃダメなんだっていうか
考えなきゃいけないんだって思って
夏から進学っていうのを考え始めたっていうか
急いでどこに進学しようっていうモードに切り替わったって感じですね。
それまではもうこのクラブにいて
18:00
トップに上がれるっていう選択肢がある中で
上がりませんっていうのって
反逆罪みたいな雰囲気があって
口に出せることじゃなかったんですよね。
でも本当に自分の将来を考えた時に
そう言わざるを得なくて
口に出して初めて考えることができた。
今のコンディションの状態で行っても通用しないし
すぐにダメになっちゃうっていう感覚だったんですかね。
そうですね。
もうなんか怪我のことっていうのもありつつ
数年、1年とか1年半ぐらい
自分が理想とするプレイみたいなのが
全くできてなかったんですよね。
もう忘れちゃってるっていうか
それをまた再び表現できる自信が全くなくて
そんな状況でプロなんか活躍できるわけがないっていう
ふうに思ってました。
そこにその決断があったんですね。
そうですね。
そこから大学を探す。
どうやって探すんですか。
先輩たちもプロに上がれる人は上がって
なかなかそうはならなかった人たちって
進学してもう一回プロ目指すっていうのが
当たり前だったので当時でいうと。
昔の、その時の先輩たちが
行った大学の進路をたどるというか
大学リーグなんて知らなかったので
どこがいいんだろうとか思いながら
でもなんか僕のイメージでは
共合校、例えば明治とか
大学サッカー強いっていうイメージがあって
そういうところに行くと
全国のモサというかが集まってきて
競争しなきゃいけないんだろうなっていう
イメージがあったんですよ。
僕はどっちかっていうと
大学サッカーで競争がしたいっていうより
自分がプレーをして
プレーコンディションみたいのも
上げていきたい。
それがあればプロにいけると思ったので
試合の出場機会が
多そうなところから選びたかったんです。
感覚的リハビリみたいなものを
大学サッカーっていうレベルの中で
自チームがどうであれ
その一部の中で
試合に出続けていれば
絶対大丈夫だというふうに思っていて
試合に出れないっていうのは
リスクだと思ってたんです。逆に
なのでスポーツ推薦がある大学っていうのは
あんまり違うかもなって思いました。
KOに結局行ったんですけど
栄養入試っていう方法書がほとんどなくて
勉強で入れる子以外を
僕みたいなのが入るのは結構難しいので
逆に言うと競争
入ってからの競争っていうのは
そこまでなんじゃないかっていうので
まずKOが浮かびました。
当時インカルで3位とか取ってたりして
しかもそこそこ強いんじゃんみたいな
いいじゃんみたいな感じで
KOいきたいなって思った感じでした。
目的を考えてロジカルに導き出した答えって
そうですね。
栄養入試の時ってその前の時点で
もう大学のサッカー部の監督とかと話してる状態ではあるんですか?
夏頃KO受けたいなと思って
21:04
1校への先輩でベルディからKOに行った山原進っていうのがいたので
KO受けたいみたいな相談をして
KOのスタッフとかとも話だけさせてもらって
こういう準備が必要だよみたいな感じで
道筋を教えていただいて
あとは自分で頑張るみたいな感じでした。
って受かって入ると
ここから大学サッカー編になるんですけど
そうなんです
やっぱりね10代が重くなるんですよ
ちなみにニュース時代もう1個聞きたい
これなんか飯食ってる時に聞いた話ですけど
竹内龍馬いいやつっていう話
めちゃくちゃいいやつ
正直めちゃくちゃいいやつですね
なんかねこういう芸能人になった人とかって
なんか昔行けつかなかったのかなみたいな話も
ありますけどいいやつだったって話を聞いて
行けすぎまくってましたね
なんか歌の話とかありましたっけ
ありましたありました
なんか僕もクラビウスのその決勝
僕の代で優勝したんですけど
出たり出なかったりで複雑な気持ち抱えてて
決勝もサブカラーで出たかったけど
竹とかってベンチに入れなかったんですよね
なかなか入れない状況続いてた中で
自分にできることみたいなのを探してたんですかね
なんかボトルとかすごい精一杯やってくれてたのは
すごい覚えてるんですけど
決勝の直前のロッカーアウト直前に
なんて言ったのかな忘れちゃったんですけど
ちょっと歌わせてくれみたいなそんな感じで
何みたいな感じだったんですけど
栄光の駆け足を
ゆずの
アカペラでロッカールームで大熱唱したんですよ一人で
結構高い歌でなんで
途中声が裏返ったりとかしながら
すごい気持ちのこもった栄光の駆け足を歌ってくれて
すごい珍しいと思うんですけど
そういう意識の高め方
あんまり聞いたことないですけど
めちゃめちゃ意識高まって
結果的に優勝できたってエピソードだったんですけど
できることないかなって言って
歌うっていうのが
僕すっごい感動したのを覚えてて
涙出ましたねその時
自分の悔しい思い
ありながら仲間のためにできることを考えるのは
すげえいい話じゃないですかこれ
これ聞きたかった
それを聞いてから竹内龍馬さんを
サッカーファミリーとして見るようになりました
勝手に
それまで俳優だなと思ってましたけどね
めちゃくちゃいいやつですね
ここから大学に行くんですけど
思ってた大学サッカーの感じと
入ってみてってギャップってありました?
最初めちゃくちゃありました
僕4年生から18歳までずっとベルディで育ってきたので
全員がプロ目指していて
ストイックにサッカーと向き合っているのが
当たり前だったんですよね
そうじゃないやつがいると浮くっていう感じだったんですけど
24:01
逆に大学サッカーは
あまりにも貪欲にストイックにプロだけ目指しているやつの方が
逆に浮くっていうか
それなりにやっているなっていう印象だったんですよね
なのでちゃんとやれやみたいな感じで思ってました
1年の時から先輩に結構言ってました
超生意気だったんですけど
ちゃんとやれよみたいなこと言ってました
1年から試合に出られました?
いやベンチに入れてもらったりしてたこともあったんですけど
そんなにたくさんのも出てなかったですね
スタメンで試合に出れたのは
残留が決まったラスト2節とか
でスタメンで出させてもらったぐらいで
それまではサブでしたね
その間隔の部分でのリハビリというか戻していく作業みたいなのは
自分の中では順調に進んではいたんですか?
そうですね
関東リーグにスタメンで出るっていう意味では
当時同期の近藤勘太とかがバリバリ活躍している中
なかなかそうはいかなかったんですけど
逆に大学ってアイリーグとか
アイリーグは出てないですけど
ジュニアリーグっていうサブリーグみたいのがあって
リーグ戦の翌日とかに
お互い1.5分ぐらいで試合したりするのがあるんですけど
それがすごいいい機会で
僕はそこで試合のコンディションみたいな
感覚のリハビリみたいなのは続けていってたので
もうできるっていうふうには
1年生の途中でなってましたね
試合出させてくれればみたいな気持ちでした
なので目的に対しては最初の1年目で
そこそこうまくいったような気がしてました
近藤勘太と出会うわけじゃないですか
今お仲いいじゃないですか
最初の印象どうでした
死ぬほど尖ってるやつ来たなみたいな
僕も尖ってたと思うんですけど十分に
けどもう気にならないぐらい尖っていて
なんか地方だったからなんだろうなって
僕は思ってましたね
愛媛とか四国みたいな
もう自分の右に出るものはいないみたいな
環境で数年やってるから
こんな感じなんだろうなというふうに思いましたけど
すんごいの来たなと思って
あんな物腰柔らかいのに今
いやいや当時は強かったですよ
いつも変わりました本当に
前話聞いた時もいろいろ打説を
勘太君も経験してとかあったと思うんですけど
当時の話で言うと王様ですよね
王様っすね
勘太君は割と試合にも出てた
めちゃめちゃ出てましたし
普通に超上手いなみたいな
すごいなと
僕は18の代表途中からアウトしちゃってたので
勘太君と一緒にプレイしたことあんまりなかったんです
でも南とか杉本十二みたいな
高校の同期が選ばれてる代表
名前見てるとみんながどのくらいのレベルか
なんていうか分かるんですけど
すごいレベル高いチームで
先発で出てる今度勘太
大学で一緒になるって思って楽しみにしてたんですけど
本当にすごいという印象でしたね
上手かったです
27:01
その時は1個上に武藤選手とかもいたんですよね
武藤近藤とかでフォアでやったりして
最強じゃんみたいな
でも2人とも抜けちゃいますね途中で
そうですね勘太は2年生の時ですかね
よっちは4年生の
4年になる時ですかね
はいになる時だったので
勘太とは1年ちょい
よっちとは2年くらい一緒にできたんですけど
途中で抜けちゃいましたね
2年生くらいからは
カントリーグの方でも出たりとかって感じだったんですか
そうですね1年の最後の2試合
スターメンで出させてもらったんですけど
その2試合は結果も残せて
チームも勝って自分を点決めたりとかできて
そこそこできることを証明できたのかなと思って
2年生の時からスターメンで出させてもらってましたね
ずっと中盤ですかその時期も
いやなんかフォワードだったんですよね当時
そうなんですか
すごい不思議だった
ちょっとコンバート的な感じで
僕中盤で結構そんなに運動量多くないタイプのプレイヤーだったんですけど
大学の当時の監督須田さんが
もっと走れっていうメッセージだと思うんですけど
フォワードでお前裏走れみたいな指示を受けて
そういうロールになってフォワードで走るっていうのをやって
それはすごい選手たちの幅も広がったし
プロでもフォワードできるようになったし
いい経験でしたやってました
そこから大学ではタイトルとかはどうだったんですか
タイトルは取れなかったですね
厳しかったですね残留争い
むしろ残留争いしてたことが長かったんで
大学僕が2年生の時のアミノバイタルカップっていう
総理大陣配っていう全国大会の関東予選
アミノバイタルカップっていう名前だったんですけど
そこでは準優勝したのかな
あと1勝で優勝みたいなところまでは行けました
そこからプロに向けてなんですけど
その時点でも絶対プロ行くんだっていう気持ちでしたよね
その辺って練習参加みたいなものをするようになるんですか
僕はみんな多分3年生ぐらいになったら
ちょっと練習呼ばれたりとかするようになっていくと思うんですけど
関東のチームってJリーグのチームと練習試合する機会がちょくちょくあるんですよ
すごい良い腕試しの機会が学生にとってはなるんですけど
僕はベルディと練習試合する機会があって
結構やれるなって思ったというか
活躍したのかなだったようなそんな記憶があるんですけど
その後にベルディの練習にすぐ呼んでもらって
2週登録って言うんでしたっけ特別指定選手みたいな形で
2年生の夏からベルディに退道させてもらうようになりました
そうか2週登録から始まってんですね
そうです
しかも2年なんですね
そうですね2年の夏頃でしたかね
30:02
すごいトップチームでその時実際退道してやってみてどうでしたか
敵としてプレーするのと味方でプレーするのとまたちょっと違って
やっぱまだまだ実力足りないなってその時正直思いました
ベルディに退道してJリーグも出させてもらいましたけど
周りの味方の選手たちを助けてあげられるほどの実力もないし
自分が試合を決定づけられるようなプレーができるほどでもないし
ちょっとまだまだやれるなって思ってきたつもりだったんですけど
ちょっとまだまだだなっていうのを痛感したっていう感じでしたね
ベルディってそのユースから大学行って大学で強化してベルディに戻るって人ってこれまでも結構いたんですか
歴史をたどればいたんじゃないかなと思うんですけど
当時の直近数年みたいなところでいうとそんなになかったような気がしますね
なんかちょっと不思議ですよね
フルスに強化して戻ってきてる人っていう不思議な状況ですよね
そのくらいの実力が大学1年生2年生とかでそうなるような人たちって
当時のベルディの雰囲気からするともう絶対ベルディでプロ上がるんですよ
でそこで頑張るっていうのが普通だったのでなかなかなかったんじゃないかなと思います
イメージとしてはあんまりないイメージ
そこから大学卒業に向けてなんですけど進路の確定みたいなのはいつするんですか
そうですね進路確定したのは結論大学4年生の夏
ユニバーシアドっていう大学の世界大会に参加した後に新潟に決めたんですけど
オファーはもっと前からベルディと新潟もらっていて
他のクラブもちょっとあるかもみたいな状況でした
ユニバーシアドそこそこやってきたなと思っていたので
もしかしたら他のチームもあるかもと思ってちょっと待ちたい気持ち
とはいえお世話になったベルディとずっと長く見続けてきてくれた新潟が
もう正式なオファー出してくれているので長くも渡せるのも違うだろうということで
夏新潟に決めたという感じです
新潟はずっとお話があったんですね
そうですねもう2年生の時からコンタクト取り続けていて
怪我の時にお世話になったりとかもしてましたし
ベルディもある中で新潟って選択って最終の決断って何だったんですか
正直めちゃくちゃ揺れたんですよね
ベルディの当時監督やってたのが
僕がユースの時の監督と言われてたトガシさんっていう方が監督やってて
一緒にやろうって言ってくれてましたし
強化のスタッフの皆さんも戻ってきて一緒にやろうと期待してるっていう風に言ってくれてたし
当時のベルディからするとすごく良いオファーも出してくれてたので
すっごい揺れたんですけど
一番の決め手はこの4年間ってすごい長いものだと思ってたんですよ
33:04
大学に行くって決めた時から
他のメンバーはみんな18、19からプロでやる
プロで4年のキャリアがある僕はまだない
J1でやりたい気持ちっていうのがすごい強くなってしまって
この4年間の大きさを考えてた時に
J1の新潟、J2だけどフルスのベルディみたいな
そっか当時でいうとそうか
二択になってしまって
この4年超長かったもんな
J1でやりたいなっていうのが最後勝ってしまったっていうか
そんな感じでしたね
新潟に行くとずっと東京でやってきた中
新潟盛り上がってるし
ボーターもすごい多いから
熱い声援を受けるイメージありますもんね
僕大学4年の時も新潟に特別指定で
練習参加した流れで特別指定でJリーグ出て
後期なんて大学サッカーはお休みして
新潟に住んで授業も取り終わって
プロみたいな生活してたんですけど
これがプロサッカー選手の生活かみたいな感じで
試合も何万人ってお客さんが来てくれて
魅力的に移りましたね
特別指定を大学時代に2チームやるって珍しいですよね
珍しいと思いますね
珍しいキャリアを辿ってる人ですね
ここで新潟に行きまして
すいませんやっとプロになりました
僕はここの若い年代の話好きなんで
聞いちゃうんですけど
新潟入ってみてどうでした?
実際にプロサッカー選手になったっていう時って
やっぱり厳しさをすごく感じましたね
当たり前なんですけどそれで飯食ってて
それが仕事の人たちなので
練習から結構厳しく指摘されますし
厳しい雰囲気
和気あいあいとっていう感じではなかった記憶です
そこが大きく違うんですね
特別指定で行った時とはちょっと違うんですか?
いや特別指定で行った時から厳しい感じでしたね
ただ使ってもらっていたので
僕も2年生の時はベルディで結構言われると
ちょっとシュンとしちゃうとこあったんですけど
2年間経験積んで
4年で新潟に行った時は別に何言われても気にしない
みたいなスタンスを素で保てる状態だったので
厳しいなとは思いながらも
その中で自分のやるべきことをやるっていうことに
周りに惑わされない感じには慣れたんですけど
でも厳しいなと思いました
プロ1年目2年目どうでした?自分の中では順調でしたか?
36:01
順調かどうかで言ったら全然順調じゃなかったと思います
もう主力で30試合以上出て先発で出続けて
得点も5点とか10点とか決めてアシストも5アシスト
10アシストみたいなのをイメージしてたので当然
入団会見でもそんなこと言った気がするんですけど
でかいことを監督の横で言ったんですけど
なかなかそうはならなかったですね
だけど吉田達真さん当時の監督
吉田達真さんだったんですね
最初は徳島
達真さんがやっぱりすごく面白いサッカーをするのと
選手を見る力っていうのはすごい強い
丈けてる監督だったので
僕が良ければ使うし良くなければ
ちょっとそういうところが見えたら使わないっていうのが
はっきりしてたんですよ
なので練習から手抜けない
でメンバー選ばれなくても
あの時のあれだろうなっていうのは分かるっていう
すごい公正な競争環境があったので
記録に残る試合出場数とかゴール数っていうのは
物足りなかったんですけど
自分の経験値としてはすごいいい1年間になったな
っていう感じでした
新潟の話で質問いいですか
もちろんです
この時に今湘南の大野一成選手と
多分時期がかぶってるんですけど
どうでしたか大野選手
カズ君って呼ばせていただくんですけど
カズ君は当初っていう感じで
新潟って当時結構長いこと
研修速攻みたいなサッカーやってきたチームだったんですよ
竜間さんに代わって結構ビルドアップしてみたいな
スタイルを変えた中で
カズ君ってずっと研修速攻を支えてきた選手の一人だったので
結構難しさもあったと思うんですけど
そんな中でも適応しながらも
僕みたいな選手に厳しく指摘してくれたりとか
カズ君を引っ張ってくれるリーダーシップのある選手でした
じゃあ変わってないですね今もね
そうですね当初感っていうかありますもんね
すごい熱いんですよね
そうですよね
当時の大野選手そんなに年めちゃくちゃ上でもないですよね
まだ20代後半ぐらいだったんじゃないですかね
当初感ですよね
もうめちゃめちゃ当初ですね
すごいなあ
4つ違いですね今見ると
なので僕が22,3とかで入ってカズ君が27
キャラクターでしょうね
いいですね
ちょこちょこ湘南の話があったら挟んじゃった
もし水関連があったら挟んじゃったんですけどね
新潟在籍で言うと4年ですか
そうですね3年半ぐらいですかね最後レンタルで移籍してありましたので
新潟時代を全体で振り返るとどんな感じですか
いやプロとはみたいなものを教えてもらったクラブだったなって思いますし
良い時も悪い時も経験させてもらったクラブだったなと
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本当に酸いも甘いも新潟で経験したような記憶ですね
対戦相手でもチームメイトでもこの選手すごいなと思ったのって誰ですか
僕はこの手の質問をもらった時にいつもするのは
ガンバと試合した時の遠藤選手はすごいなって思いましたね
ナビスコ当時ナビスコって名前だったかな
ルバンカップって名前に変わってたかもしれないですけど
の準決勝のセカンドレグでガンバ大阪と試合して
ファーストレグ勝ってたので引き分けとか勝てばみたいな試合だったんですけど
新潟ってマンツーマンで守備するので当時
ガンバに勝てそうだったんですけど遠藤選手がマンツーマンを逆手に取った
ポジショニングみたいなのを永遠としてくるんですよね
僕ボランチ出てたんですけどタッチラインとかにポジション取らなきゃいけなくなるような
真ん中をガラキンさせられるみたいな
こんのさんと遠藤さんだったんですけど相手のダブルバンチ
こんちゃんみたいな感じで2人でボランチがタッチラインの方まで行っちゃって
僕と小林くんっていうボランチで2人でタッチラインまでついていかなきゃいけない
戦術なんで僕たちのしょうがないんですけどそうするとここガラキンになるじゃないですか
そこを永遠に使われるみたいなことをひたすらやられて
分かっていてもそんなことやる選手ってなかなか俺までいなかったので
やっぱり経験値の差っていうかサッカー域の高さとか感じて
差をすごい感じました
それ面白い最近話題になる試合ゲームを作る選手ですね
ボールを持ってる特技だけじゃなくて全体を見てそういうことをやってくる
こんな極端なことなかなかできないなっていうことをやってきたので
すごいなって思いました
体感してる人の話聞くとすごいですね
それでも遠藤選手とかゲーム作れるってことなんですよねポジションに行って
そこを開けてセントバックに運んでみたいな
どうぞみたいな感じ
すごいな面白いですよねサッカーって
ボール持ってない時の動きみたいなの面白いですよね
その後栃木にローンで行かれてそこから町田に完全に移籍されますけど
その辺は自分的には気持ち的にはなんだろうな
ちょっと新潟でうまくいかなかったっていう移籍な感じですか
そうですね
新潟って当時毎年監督変わってて
シーズン中にも変わったりとかして
なかなか戦術も変わったりするので
うまく適応できなかったなっていうふうには思っていて
でもとはいえ僕も26、7とかいう年齢になってくると
もう試合経験積まないとキャリアってどんどん先細りしていってしまうんですよね
なのですごいそういう焦りがあって試合に出たいっていう思いで
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とにかく出れるところっていうところがあるんですけど
声かけてくれるところは移籍していくっていう感じにその時はなってました
町田時代はどうでしたか
町田時代はですね苦しかったですね1年間
試合室も少ないかと思ったより少なかったですね
監督の期待に応えられなかったって言えばそれまでなんですけど
でも地元のクラブに結構覚悟を持って移籍して
すごい極端なサッカーしてるっていうのは分かってたんですけど
でも入ってみると想像以上というか
改善のしようはいくらでもあるサッカーをしていて当時
だけどそういう逆に何だろう
判断をさせないように選手にするっていう監督の意図があって
分かることしかしないできることしかしないっていう戦術だったので
僕はタイプとしてはそれが苦手なんですよね
目をつぶってボールを蹴るみたいなプレーが苦手で
相馬さんか
すごい葛藤しながらでも試合出なきゃいけないから監督の言うことをやる
やってるつもりだけど多分監督の目線で見ると
まだまだ迷いがあるというか見えていたのかなって思いますね
いや苦しかったですね1年間
そしてそこからオーストラリアに行かれる
これってどういう決断だったんですか
結構難しくてですね
僕の挑戦キャリア的に言う挑戦って
その町田の1年目でほぼ終わったのかなと
現実的には契約があればチャレンジすることもできたんですけど
なかなかここまでかなっていう状況になったと
国内でまたカテゴリー下げてプレーし続けるっていう選択と
自分がこの年齢までに一定の成果残せずだったっていう意味では
プロアスリートとしての勝負はもしかしたらここまでかなっていう気持ち
すごい葛藤があって
でもちょっとこういきなりサッカー辞めてじゃあ何するねみたいなところもあったので
最後なんか海外で
僕ちょっとサッカーを嫌いになりかけていったので正直当時
町田の1年が終わった時ですね
辞めたいなみたいな気持ちも少しあったりしたんで
違うサッカー見に行って
サッカーはいいものっていうふうに思って
辞めたいってわけじゃないですけど
っていう気持ちがあって海外に行こうとしました
オーストラリアのニブーリーグ
そうですね
そっちに行ったらサッカーだけじゃなくて仕事もされてたんでしたっけ
そうですねなんかもっとサッカーサッカーできるとは思ってたんですけど
コロナがいかんせんコロナ
そっか
そのタイミングなんですね
パンデミックだったので
結構ドラスティックに規制するんですよねああいう国って
外出禁止ぐらいまで
2人以上で歩いてたら罰金とか
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2人以上みたいな感じなんですけど
だから出れなくって
サッカーもだから練習できないんですよね集まっていけないんで
時期が半年ぐらいあったので
俺アスリートとして終わったな
プロアスリートとして厳しいなみたいな
もう将来考えなきゃいけないなって
オーストラリアで思ったんですよね
でインターンとかしてたっていう感じです
そのインターン先はどういうとこだったんですか
なんか日系の
なんかウェブメディアみたいなのを運営してたりとか
ちょっと代理店っぽいっていうか
企業で働いてました
それはやっぱりこの先のことを考えて
選択肢はいくつか働く先ってあったと思うんですけど
そういう場所を選んだ理由があるんですか
そうですねなんか馴染みやすいっていうか
自分の生活の周りにあるものの方が
かかりやすいかなっていうのと
でもそんなにたくさん選択肢あったわけじゃないので
正直働くっていう経験をしてみたいっていうのが当時はあって
ご縁もあってそこにお世話になってました
最初働くじゃないですか
その時って6とか7とかですか
28だったんじゃないですかね
27かな
その時点で例えばパソコンとかってどんな感じなんですか
いやパソコン持っててもちろん
MacBookかなんか持ってたんですけど
PowerPointとか全然作れないです
でもPowerPoint作るような機械はなかったので
Excelちょっと触るとかっていう感じです
でももちろんVlookとかわかんないし
SUMぐらいしか使えない
そんなレベルでしたね
でもやりたいことがこうだからみたいな感じで
調べたりしながら何回やるみたいな
そんな感じでやってました
それがおそらく1年ぐらいいらっしゃったんですか
はい1年いました
半年ぐらいはインターンしながら仕事もしながらサッカーもしながら
そこで最後サッカー選手としては
引退みたいなことを宣言されるんですか
そうですね
ここで辞めようって思いましたオーストラリアで
日本のマーケットで言うと
ちょうどシーズン終わって
来年この人どうなるんだっけとか
そういう時期だったので
早山豪はどうするんだろうって思ってくれている人
心配してくれている人も多分中にはいたと思うので
自分のインスタグラムで
インターンしますっていう風に報告しました
そこから日本に帰って就職されるという感じで
そこが僕と一緒になるわけですよね
そうですね
なんで広告業界なのかって
安易ですけど
これっていうのは正直なかったんですよね
でも広告業界っていうのに対する
アレルギーみたいなのはなかった
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でも金融とかでちょっと違うなっていう
なんとなくそういう思いがあったのを
大学時代に覚えていて
ここ入りやすいかもしれないっていう風に思ったんですよね
あとはいろんな業種に接することができるんじゃないかみたいな気持ち
いろんなビジネスを見れるんじゃないかみたいな気持ちがあって
自分が一生これで生きていきたいっていう
確固たる決意があったかというとそんなことないんですけど
ビジネスのスタートとしては
すごい良い環境なんじゃないかなって思って
広告業界にしました
すごいロジカル
目的に向けての手段を選んでいくっていうのを
ずっとキャリアを通じてやられてるなと思って
そう思いました
その中でいうと
町田の最後の時にいきなりここで
引退して普通の仕事してもらって
オーストラリアに行かれた経験っていうのは
生きてましたか
そうですね
苦しくなっちゃってたので当時は
でプロでガーッて上を目指していくことが正義みたいな
もちろんプロスポーツの世界ではそうだったんですけど
オーストラリアでは
AリーグってあるじゃないですかJリーグみたいな
腹声がかかるような選手も
二部で逆にあえてやってるっていう人も結構いたんですよね
だって仕事してお金もらえて
平日と休日週末サッカーしてそっちでもお金もらえて
こっちの方が良くないみたいな
っていう生き方をそれぞれが選択しているみたいな
様子を見て
人それぞれでいいんだなっていうふうにすごい思いましたし
僕はサッカーを辞めて会社員になろう
でサッカーと関われる範囲で関わっていこうみたいな
ふうに思えたので
なんか日本の
なんていうんですかねちょっと息苦しい感じ
みたいなとこから1年間開放されて
いろんな価値観に触れてたっていうのは
自分が選択する上ではすごいプラスに働いたような気がします
ここからねちょっと仕事の話を聞いていきたいんですけど
ちょっとだけ
サッカー選手引退後にサッカー関係の仕事をする人もいれば
そうじゃない人もいて
早間さんは大きくかけるとそうじゃない方の仕事を選んだと思うんですけど
ここの中で入ってどうでした
デジタルという会社に入って
別に良いも悪いもどっちでもいいんですけど
総括すると
いや良かったと思います
なんか僕いいなと何となく思ってて
意外と入るじゃないですか
やること分かんないよっていうのあるじゃないですか
でも結構みんなそうじゃないですか
そうですね
なんか何というか微妙に知らないことをみんなやり始めるじゃないですか
そこまで差がないのかなと
そうですね
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サラリーマン経験があったとしても
業界未経験だったりしたらほぼあんま変わんないんですよね
っていう意味ではまくれる環境みたいなのもあったなと思いますし
そういう人たちと一緒にチーム感を持って
一緒に学んでいきながら仕事するみたいなところもありましたし
僕はすごいやりやすかったのと
なんか配属が良かったのか分かんないんですけど
上司がすごい気にかけてくれた
最初から無理なことは押し付けないみたいにしてくれてたような気がしますし
ステップ立ててこんぐらいでこうなっていけるように
今はこうみたいな風にしてくれてたなっていう風に
今思うとすごい思いますね
恵まれた環境だった気がします
なんか僕自身もデジタルのこと全く分かんないで入ったし
なんか話してると
もともとラジオ局のディレクターでしたみたいな人いたりとか
いますね
絶対違うじゃないですかやること
めちゃめちゃいろんな人いますよね
それで言うとサッカー選手からなってもそんなに変わらないような気はして
それぞれできることできないことあってっていう感じはありますね
なんか引退していきなり違うとこ行くっていうのが
なんか普通のサラリーマンの転職と違うように捉えるがちなんですけど
なんか恵まさん見てると別にそんなに違わないような気がして
なんか目的があって成果をどう出すかっていう作業をしてて
意外ともう完全に同じことやる転職なら違うと思うんですけど
なんか電通デジタルという会社が特にそういう人が多かった
そうですね
みんな分かんないことをどれだけだと勉強熱心かってことかもしれないですね
それは結構大事かなと思いますね
業務内以外で補ったり差をつけるみたいな姿勢
結局みんな分かんないからそれをやるかやらないかで
僕はねやんなかったんですよね
ある意味今までやってきた土俵の中だけで戦おうとして
新しいことを吸収しようとしなかったなとは思ってて
そこがなんか5年いたんですけど5年間の反省だなと思ってて
それ多分なんか今だったらやってるなっていう気はしてて
なんかその辺の感覚がこうやっていろんな人と話してるうちに
自分の中の感覚が変わってきた気がしますね
それ多分他の仕事でもそうだと思うんですけど
タコヒさんデザイナーじゃないですか
でもなんか例えば電通デジタルにタコヒさんが入ったとすると
デザイン以外の部分の学ぶことも結構あると思うんですよ
メディアの運用の仕組みとかPDCAの回す部分とか
僕はそれでそっち側を学ぶことを放棄した人間なんですよ
どうしてるかね
今でも結局自分が同じことにならない環境に身を置こうと思ってるから
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そういうのはすごいいつも考えてるんだけど
その違うことっていうのが興味持ってやれるかどうかってなるじゃん
自分自身が
そういう興味ないって言い方変だけど
それはちょっと何かわかんないですけどね
それが来るとちょっとしんどいですよね
それはありますね
そこを積極的に学んでた早間さん
早間さんはなんかすごい吸収する姿勢を感じますね
どうなんですかねわかんないんですけど
さっきの上司の方が良かったか
それは間違いなくあると思います
いいな
なんかこうやって今回もそうだけど
みんなサッカー人だけど考え方が全然違うよね
インタビューしてきた人たちの話を聞いてると
当たり前なんですけどね
それをひとくぐりに見ちゃうところはちょっとあって
こうだよねこうあるべきだよねみたいなのが
なんかそうじゃないなって思いました
あともう一個今もプレー続けられてますけど
KOBRBでやられてますけど
今サッカーとの向き合い方ってどんな感じですか
いやもう趣味って感じで
近藤勘太会でも話されてたかと思いますが
平日は仕事して
目いっちゃうんですけど
週末は芝の上でボール蹴ってリフレッシュして
体も心も健康みたいなそんな感じでやってます
エグいシュートも決めてみたいな
それができなくなってきたのでサッカーの気持ち良さはちょっと減ってきましたけど
でもやっぱ体を動かしてみんなでワイワイ言ってるのが楽しいみたいな
そんな感じです
なので今NIMBリーグですけど
トリーグの中でもいろんなチームがあって
いろんなマインドの人たちがいて
NIMBの中でも上を目指してるチームとか人もいると思うし
さっきのオーストラリアの話とかすごくいいなと思ったんですけど
そういうマインドの人たちもいるだろうし
幅が広がっていいですよね
オーストラリアすごい今気になりましたね
面白い国
もともと多民族国家というか
いろんな人種のいる国なので
許容
いろんな価値観を許容する
そういう文化というか道場があるような気がしていて
本当にいろんな人いましたし
そんないろんな人たちって当たり前だよなみたいな
そういうカルチャーだったので
オーストラリアはめっちゃ面白かったです
Aリーグがプロリーグで
その下のリーグになってくると
セミプロリーグみたいな感じだったので
よく日本の選手でも
Jからオーストラリアの2部に行きますみたいな
そうですけど
それがJ2に行く感覚とはちょっと違うんですよね
全然違うと思います
なので町田がリリースを
オーストラリア2部って出すって言ってきた時に
違うと
オーストラリア2部ではないなと
結構訂正した方がいいですと
誤解招くと言ったんですけど
そのままリリースされちゃった
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一般的にはそう言われますよね
ちょっとイメージは違う気がします
今イブスキ選手とかね
それはAリーグだけど
そうですね
そこが日本と違う
パッキリ分かれてる感じ
アメリカとかもそうなのかもしれないですけどね
そうですね
最近オーストラリアもその2部みたいなのが
ちょっと順プロ化するみたいな感じで
ちょっとまた変わったらしくて
詳細キャッチアップできないんですけど
ちょっともっとよりプロっぽく
今まではニューサースウェルズとか
要は関東みたいな感じで
リーグ分かれてたんですけど
国内全土でやるリーグに変わってきました
全国リーグになったんだ
あんなにデカいのに
そうです
大変だな
大変だな
やるみたいですね
僕はね実はね
JFLから地域別にしたらいいと思ってる派なんですけど
移動大変だよって思ってる派なんですけどね
まあでもそれの大事さもある
いやー面白かったです
今週もFM105を聞いていただきありがとうございました
気に入っていただけましたら
番組をフォローいただき評価を星5でお願いします
Xもやってますので
ご意見ご感想取り上げてほしいトピックは
ハッシュタグFM105でポストしてください
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お気軽に投稿お願いします
では早山さんありがとうございました
ありがとうございました
またぜひよろしくお願いします
また呼んでください
ありがとうございます
58:34

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