1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.244「ストイックなアスリ..

一生リバウンドしないナチュラルダイエットコーチ・谷山ダイスケさんのインタビュー第1回目です。
アスリート一家に育ったダイスケさんが、25歳まで野球に捧げてきた思いや、野球の世界から出て感じた「社会とのズレ」の中で、どう人生を切り拓いていったのか、そしてダイエットコーチという仕事を始めるきっかけを伺っています。

オープニングでは、子どもが政治の話をすることに対する、大人のスタンスについてお話しています。

オフィシャルサイトは、http://projectsparis.com/


00:15
こんにちは、あきです。
今日もパリで学んだブレない自分の作り方の時間がやってまいりました。
とうとう2020年の12月に入ってしまいました。
あっという間ですよね。
というような会話が、これからなされていくんじゃないかなと思います。
皆さんの今年最後の月は、どのようにお過ごしになられるでしょうか。
フランスは、相変わらず外出制限があり、
ちょうど先週末からいろんなお店がね、今まで生活必需品以外のお店は全然開いてなかったんですが、
そういう意味では、食料品とか薬屋さんとか、そういう以外のお店が開くということになりました。
ただし、カフェとかレストラン、映画館、スポーツジム、こういったものは相変わらず、まだ再開できてないという状態です。
なので今年のクリスマスは、確かに今までと全然違うんだろうなっていう感じはします。
今日はですね、たまたまFacebook上でやり取りをさせていただいている方のある投稿を見、
それを読んでコメントでちょこちょこやり取りをさせていただいたお話をしたいなと思います。
その方は、お子さんが2人いらっしゃるんですけども、長男くん。
その長男くんがね、ちょっといくつなのか正直分かってないんですが、忘れちゃったんですけども、
たぶん小学校、高学年か、もしかしたら中学校入るか入らないかじゃないかなと思います。
その方が言うには、長男くんが通っている学習支援センターの方から、この長男くんは上から目線で物を言うことがあると注意を受けたということだったんですね。
本来はカンセリングの場だったにも関わらず、彼が自分の喋りたいことを喋り、アメリカの選挙の話とかね、ユニクロのマーケティングについて話をしてしまい、
本来の趣旨がずれてしまったとか、いろいろなことが重なってはいたらしいんですけども、正直彼女も上から目線というのが何を指しているのかちょっとわからないということだったんですね。
もしかしたら、この職員さんがアメリカ大統領選やマーケティングの話に疎かったのに、大人が知らない話をね、子どもが得意げにするな、みたいな感じなのか、
あなたこれ知ってますか?みたいな感じで、マウントを大人に取りに来たみたいな感じなのか、この話知らないの?みたいな感じで、
03:02
知ってるにも関わらず、そういう感じで相手に対して分かってないんじゃないの?みたいな感じで言ってきたのか、ちょっとその辺が全くわからない状態なんですけども、そういうのを書いてたんですね。
で、私自身はそれを読んで、最初は子ども同士の会話を聞いて、そのセンターの方がね、職員さんが、あの子はちょっと上から目線で物を言うことがあるっていうふうに言ったのかと思ったら、
長男くんと自分との対話の中で、要は大人と子どもの対話の中で、子どもがそういう上から目線で物を言っているっていうふうに思ったっていうことみたいなんですね。
それは私個人からしたらですよ。もうその大人の方が勝手にね、マウント取られたとか、上から目線だと解釈しただけで、長男くんそのものの態度が影響している場合もあるかもしれないんですが、あんまり関係ないんじゃないかなって思ったんですね。
結局、要は政治的な国際情勢の話とか、ユニクロの商品じゃなくてユニクロのマーケティングについてなんでね、私からしたら10歳、11歳、12歳、ちょっと年齢ははっきりわかってないんですけども、そういう子がそういう話を大人に向かってできるっていうこと自体が私はすごいなと思うんですけども、
どうやらその方の話を聞くと、日本はそういうものに対してあまりいいというわけじゃないけども、ちょっと生意気だ的な感じが出てしまうんじゃないかっていうことなんですよね。
で、なんか彼女のコメントでね、思ったんですけども、例えば高校生の時に何か政治の話をしていったら、世間も知らないくせに耳どし真似とか、この人働いてもいないのに、あるいは全金も払ってないのに権利主張するなんて生意気よねみたいな、なんかそういうニュアンスで言われたっていう話があって、なるほどなぁと。
まあ受教の影響とかではないけれども、若いものは口出すなみたいな雰囲気がまだどこかであるのかなぁと思ったんですね。
それを見てみたら、フランスなんて高校生とか大学生でも普通にデモとかやってるし、教育改革の時にもデモやってましたからね、高校生、大学生がその教育改革に反対して、政府のねっていうのもあったし、
あとやっぱり小さい時から私たちって結構子どもたちと対等というわけではないけれども、政治の話とかそういう国際情勢について普通にディスカッションする土壌があるんですよ。
そこにはやっぱり子どもだからとかこの子にはまだ早いではなく、結構小さい時から話しているなぁという感じがしました。自分の体験も含めてね。
06:13
やっぱり政治の話なんて正直子どもの意見ではなく、親が言ってたことをそのまま言ってるケースが多いと思うんですよ。
でも親の言ってることを聞いてない限り子どもは発信しないはずなので、だからそういう意味では夫婦とかね、要は父親と母親が喋ってるのを聞いて、なるほどなるほどこういうことが起きてるんだみたいなことを結構子どもたちが見てるんだなと。
私がねえと思ったのは子どもが幼稚園の時に4歳ぐらいの時にちょうど大統領選挙に当たったんですよフランスの。でフランスの大統領選挙で大統領が決まりましたって言った次の日にやっぱりね子どもたちで話題になっていて。
子どもたちってそこがやっぱりかわいいなと思ったんですけども誰誰が大統領になった。やったねみたいな話をしたんですって。でうちの子がうちの子どもは誰が大統領になるのがやったねなのかあんまりその時分かってなかったんですよ。
だけど誰々ちゃんが誰々君がもうすっごい誰々が大統領になってよかったねって結構言っていたというのを私に報告してくれたんですね。
でそれを聞いた時にその子が大統領になってよかったねっていうのは同時に親が言ってることをそのまま親がめっちゃ大統領やったみたいな感じで言ってることを子どもはそのまま聞いて子ども同士で喋ってるわけですよ。
だからねすごい面白いなと思ったんですけども特に政治とか宗教とかは子どもの話を聞いていると親の考え方がそこからすぐわかるみたいなところがあってそういうのも子どもたちって結構見てるなぁと思いました。
こっちはねやっぱり差別的なことってやっぱりあるわけですよね。やっぱりオリジンっていうんですかね。もともとがどこから来てるのかによって全然同じフランス人でもたくさんのタイプがいるわけでやっぱりうちの子もアジア的な位置づけで差別を受けたことがあったんですね。
で、その時にやっぱりちっちゃい子が言ってることってどう考えても親が言ってることじゃないですか。親が言わなかったら子どもは自然発生的に言うはずないと思うんですね。
ということは親はこういう差別的なことを家で言ってるんだなっていうのはすぐわかるし、子どもたちはディスカッションに参加してなかったとしても案外聞いてるっていうのが特に差別の話とかそういう政治的なこととかを聞くとすごくわかります。
09:01
だから日本はどちらかというとそういうのはあんまり表だって話さないのかもしれないけれども、子どもって結構それを他人に聞かれたくないとかいうケースもあると思うんですが、子どもって実は子どもなりに参加したいんじゃないかなと思っていて。
それを生意気だからとか、また税金も払ってないのにそんなこと考えなくていいわよとか、あなたの立場で大統領選なんて語っちゃダメよとか、そういうのははっきり言って大人側の思い込みでありエゴだと思うんですよね。
そういうところがやっぱり強いことによってそういう話って大人になるまでしちゃいけないんだっていうふうに思ってるとしたらすごい私はもったいないなぁと個人的には思いました。
結局お子さんがいる方もいない方も結局はその目の前にいる小さいお子さんとか街中にいるわけで、そういう方たちとどう接するかっていうことが結構大切なのかなってちょっとそのFacebookのやりとりをしながら感じました。
ということで12月頭の本編スタートです。
本編です。今回も月の頭ということでゲストの方に来ていただいてインタビューをさせていただいています。
今回は久しぶりの男性でして一生リバウンドしないナチュラルダイエットコーチの谷山大輔さんです。
大輔さんは大阪にお住まいなんですけれども、実はオンライン以外お会いしたことがないという方なんですね。
ちょっとしたご縁から今回いろいろ私の健康面をサポートしていただいて、本当に結果が彼のおかげで出てきているということもあるので、ぜひ考え方とか私の経験も含めてぜひぜひ知っていただきたいなと思ってインタビューをお願いいたしました。
彼はフィジカルな部分というかそういう部分で本当にサポートしていただいているんですけれども、考え方としては私がやっているメンタル的なものとすごくつながるところがあって、そういう意味でぜひ皆さんに彼の考え方とか、今回は前半ですのでヒストリーの部分なんですけれども、
彼は甲子園球児で甲子園にも出場してベスト16まで行ったのかな、その辺のもう完璧なアスリート人生から結果的にどうやって今に至ったのかと、彼なりの挫折もあったということだと思うので、そのあたりも詳しく伺っています。ぜひ聞いてください。
12:03
こんにちは、秋です。今日も素敵なゲストの方に来ていただいています。一生リバウンドしないナチュラルダイエットコーチの谷山大輔さんです。大輔さん、今日はどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
久しぶりの男性ゲストなんですけれども、楽しみにしてました。ありがとうございます。
ありがとうございます。
大輔さんは大阪にお住まいなんですよね。
そうです。はい。
実は一度もお会いしたことがないという。
はい、そうなんですね。
しょっちゅうオンラインでやり取りしているのにも関わらずって感じなんですけども、ずっと大阪生まれの大阪育ちなんですか?
はい。大阪生まれ大阪育ちで、中学まで大阪の方で生活していました。
そこから高校は九州の佐賀県の方に行きまして、野球をやってたので野球留学という形で、
その後大阪に帰ってきて、また東京の方に仕事で3年ほど行ったりだとか。
またそこから大阪に戻って、そこからまたずっと大阪ですね。
そうなんですね。
はい。
じゃあちょっと最初の方は、まずナチュラルダイエットコーチとは何ですかということで、
いろんなダイエットコーチの方がいらっしゃると思うんですけど、
大輔さんが提唱されているこのナチュラルダイエットとはどういうものなんでしょうか?
今ですね、実は毎朝7時からライブをやっているんですけれども、
頑張らない、我慢しない、疲れない、100兆個の細胞を味方にして、
ナチュラルライフでしっかり痩せるという、ライブだけで痩せるということに今チャレンジしているんですけど、
今申し上げたような言葉に全て集約されていて、
要は体作りの時って皆さん結構頑張るじゃないですか。
食事をちょっと抑えたりとか、筋トレを結構頑張ったりとか、
そういうことを結構される方が多いんですが、
実はそれだとリバウンドしないダイエットっていうのは完了しないんですね。
それでこのナチュラルダイエットという言葉を今肩書きに使っております。
なるほど。つまりはどういうことなんですか?
つまりは健康を大切に扱えば勝手に痩せるってことですね。
私たちは大切に扱ってないということなんですかね?
平たく言うと知らないことの方が多いですよね。
自分のこの細胞にとって何が有益なのか、
何が一番メリットがあることなのかっていうことを知らぬまま取り組んでる方が多いので、
ナチュラルって自然なとか自然にとか自然体とか意味がありますけど、
要は自分たちが普段生きてるだけでやってくれている、
自然にやってる呼吸だったり心臓の動きだったり血液の流れを、
まず知る。
それってすげえなっていう。
そこにまずびっくりするんですよね、みなさん。知れば。
それを知れば、
あ、じりぎり頑張るって頑張り方、これちょっと間違ってたよなとかね。
15:01
それがね、分かるんですよ。
知らないだけなんですね、私たち。
そうなんです。無意識にやりすぎてるので、
無意識すぎるので、要は呼吸するのに、
息吸う、息吐こうってやってないじゃないですか。
そういったことが、体は24時間365日休まずにやってくれていて、
これなぜ僕がこういうナチュラルとか言ってるかっていうと、
全く僕逆側の人間でして、もともと。
父がプロゴルファーなんですね。
母はハードルの選手をやってたりとかで、アスリート一家。
そうですね、アスリート一家なんですね。
生まれまして、6歳、7歳ぐらいから、
何食べたか、何飲んだかとかを記録しなさいと。
そういう教育を受けてたんですね。
この本読みなさいとか、この新聞の切り抜き貼っておきなさいとか、
そこに今思うと、栄養と睡眠だったり予防医学の、
そういったいろいろな記事だったり知識をね、
父親がパスしてくるわけですよ。
僕はそれを野球をやっていたので、幼少期から。
野球が大好きで、野球選手になりたいなと思ったので、
そういう指導を受けてたんですけど、
体すごい小さかったんですよ。
高校入るときで160センチなかったぐらい。
確かに小腹ですよね。
中3でっていうことですね。
その中学生で、150センチ、140センチ台からスタートして、
大きい選手に勝たないといけないじゃないですか。
はい、確かに。
根性論ですよ。
昔で言う巨人の星ですよ。
走れ、ご飯食べに行って走って帰ってこいとか、
バット何回振ってんの、みたいな。
手見せてみろ、みたいな。
そういう超スパルタで来て、
僕もそういう血が流れてるので、
ちょっとやったぐらいで結果出たと思うなよって、
自分にいつも厳しくしてきたわけなんですよね。
その会やって、小っちゃかったんですけど、
高校進学時には3校から特大生のオファーをいただけて、
その後縁で九州の佐賀に行ってたんですね。
佐賀の九州の3年間は本当にいい仲間にも巡り合って、
キャプテンになるんですけども、
高校3年の夏に甲子園に出て、
本当にもう僕たちの夢の舞台ですから、
ちょうどまた世代も松坂世代といって、
松坂大輔選手の同期なので、
あと1回勝ったら松坂大輔選手と対決できるところまで、
全国ベスト16まで行ったんですよ。
すごい。出るだけでもすごいのにね。
ベスト16ってすごいですよね。
すごいメンバーが揃ってたので、
それで野球をずっとまた大学も続けるんですけど、
この大学の時ですよ。
このナチュラルダイエットにつながるような出来事が、
この4年間であったわけなんです。
それは何かというと、やっぱりレベル上がってくるじゃないですか。
18:00
自分自身レベルアップさせるために、
筋力トレーニングをめちゃくちゃやってたわけですよ。
体も筋肉ついて、重たいベルトかバベル上げて走って、
泳いで、やれること全部本当に1日2回3回ジムに行ってやったんですが、
その時に自分のやっぱりもともと持っている骨格のバランスというか、
体型のもともと持っているバランスを崩してしまってですね、
頑張れば頑張るほどパフォーマンスが落ちるということを体験するんですね。
筋肉をつけて使いまくっているのに、パフォーマンスは落ちる。
そして栄養も良いとされているプロテインとかサプリメントとかを
食べれば飲めばするほどパフォーマンスが落ちるということに気づくんですよね。
僕たちやっぱり筋トレとか筋肉増強、体を大きくするといった、
本当ちょうど僕たちが2000年代初期ぐらいは結構それの走りの時代で、
そういうのが流行りだしたんですよ、体を大きくしようみたいな。
清原選手がケビン・山崎さんのところでガーッと鍛えてとか、
K-1の正人選手がガーッとか、そういう前世の時代だったんで、
やっぱりみんなそうやって鍛えだした時代だったんですよ。
そういうのをやってやったんですが、ダメだなと精神も崩壊して感情も崩壊して、
もうメンタルもぐちゃぐちゃだったんですよね。
大学児ってことでね、要は。
大学児です。
でも精神的にイライラしたり、バランスバラバラになって、
全然大学ではいい成績を残すことができなかったんですよ。
そこからでも野球の夢を諦めずに、
次やっぱりプロ野球選手になりたい夢はありますから、
社会人のチームとかをトライアウト受けていくんですけど、
やっぱりこの時就職氷河期の時代で、
僕たちの時代って社会人チームがどんどん活動を就職させていく、
要はチームを閉鎖していく時代だったんですね。
なるほど。
就職するのも大変なのに、野球で仕事にするなんて、
社会人チームに所属するなんて、またすごいハードルが競争率上がりますよね。
そういうのを見兼ねて、金日鉄栄という社会人チームの出身で、
金日鉄バッファローズからメジャーリーガーになられた野村秀夫さんがですね、
たまたまその市、金日鉄堺に、僕が大学卒業する都市ですよ。
このノーベースボールクラブと、
そのキャッチフレーズが夢を諦めるなっていうね、
ワンフレーズを、ワンメッセージを。
これはプロに行くためのっていう感じですか?
そうそうそうそうそうそうそうそう。
プロに行くこと、そして社会人リーグのトップになるチームを
作ろうじゃないかということで、作ってくださったんですよね。
そこでトライアウト受け入りまして、
25歳までプレーをしたんですね。
この時は、1回筋トレで失敗してたので、
21:00
筋トレはしなかったですね、あまり。
その筋トレが違ったんだなっていうのは。
分かったんですよ、自分の体験でやっぱり分かって。
黒人さんとか白人さんみたいな、もともとすごい体大きくて、
遺伝的に筋肉質の人がやることと、
僕たちはやっぱり日本人、東洋人って、
そんなに骨格強くない、関節もそんなに太くできて、
強くできてないので、
大学で失敗してたおかげで、
ここではいい成績をある程度残すことができてですね。
すごいやっぱり記憶に新しいですよ、
僕の中では今でも10年以上前ですけど、
すごい悔しい思いもいっぱいした結果、
頑張りすぎてたんや、
リラックスすることをワークに入れてましたね。
お風呂に行ったりとか、マッサージ受けに行くとか、
違うスポーツとか、ゴルフをちょっとやったりとか、
水泳をちょっとやったりとか、
そういう風にして、パフォーマンス上げることだけをやり続けたら、
頭打ちしたんですよ。
なんか矛盾するようなことなんですけど、
わかります?
英語を覚えるのに英語のことばっかりやってて、
英語がひたすら学ぶかって、そうじゃないっていう風な、
体験することでまた違うことが見えるというか、
角度が変わったんですよね、物の見方が。
それで大学を終えて、
この社会人野球を終えて、25歳まで怪我なくね、
体も柔らかく、怪我することなく、
プロにはなれなかったんですけどね、
やることができたと。
なるほどね。
じゃあもう25まで、野球に全て捧げてきたって感じですよね、まさに。
そうなんですよ。
それで恋愛とか、要はそういう時期じゃないですか、
友達とスノボに行くとかね、海に行くとか、
全部行かなかったですよ、やっぱり。
できなかったし、
やっぱりお父さんお母さんにも協力してもらっているのでね、
いろいろな面で、経済面もそうだし、
時間を作ってくれて、見に来てくれたりとかね、
ビデオ撮ってもらったりとか、そういうこともあったので、そうなんです。
その野球に捧げられていた、
その思いの強さって、
どこから来たんですかね。
まあまあ、そこの方を聞いてきますよね。
心の底の方を聞いてきますね、さすが。
6歳から25って、本当におっしゃったように多感な時期で、
友達と遊びたい、いろんなことやってみたいって思うところから、
もう一つのことだけにずっと集中して、
大学の時って、パフォーマンスが落ちて、
メンタル的にもやられてるじゃないですか。
それでも、のもさんのところに行って続けるっていう、
24:03
情熱、すごいなと思って、
単純にね、ただ好きだからだけで続けられるのかなって、
素人ながら思っちゃったんですけど。
そうですね、でもそれで言うと、
小学校の時とか、中学と高校と大学と社会人と、
感情が思い出せば違うんですけど、
子供の時はただただ、
くるボールを打つのがうまくできたとか、
構えたところに投げろって投げれるっていう、
もともと多分持ってる感覚があったと思うんですよね、自分で。
他の子よりもうまくできる、早くできる。
それによってチームが勝ったり、楽しいっていう、
そういう感情でやってましたけど、
だんだんね、難しさに出会うんですよね。
高校の時が一番衝撃だったんですけど、
大阪ってめちゃくちゃレベル高いんですよ、野球。
もちろん、だってね、甲子園に出るのが大変ですもんね。
大阪ってとてつもなくうまい選手が多くて、
競争も激しいので、僕は佐賀に行ったんですよ。
甲子園に出にくいので。
佐賀に行った時に、僕は正直ちょっと舐めてたんですよね。
田舎やしね。
僕も言ったら、大阪で一番二番のチームのレギュラーでやってたので、
来たったぞぐらいの、
生意気な言い方で、来たったぞみたいな。
でも教室入った瞬間に、
あれ、二年生の教室かなっていうぐらい、
体はみんなできてるし、
もう見るからに強そうな人たち。
なんやこの子らはというぐらい、
いかつい人らやったんですよ、同級生が。
うわーと思って、
実際野球やったらみんなめっちゃうまいんですよ。
うわー、それ衝撃を受けて、
やっぱこの体の大きい選手にも体がちっちゃかったんで、
勝つためにはひたすら練習しかないと。
維持ですよね、好きというか。
好きと維持とプライドのぶつかり合いみたいな。
それを二年半ひたすら攻め合って、
喧嘩もしたり、いろいろ、
もうボーイコットしようかとか、
そういうこともあった。
いろんな出来事がある中で、
やっぱり友情が芽生えて、
そこで出会った友達は、
今でもずっと付き合いあるわけですよ。
みんな一緒に更新行ったんでね。
野球っていうスポーツは、
本当に最後までわからないし、
チームワークですごい力が生まれたり、
また協力できなかったら全然、
え?っていうことが起きたりとかっていう、
本当に奇想天外のスポーツで、
そこから面白さを、
人生の面白さを知ってたかもしれないですよね。
野球って奥深いな。
例えばビビってたら飛んでくるし、
自分がやっぱりちゃんと練習してたら、
そのピンチでちゃんとプレイできるし、
27:01
本当に現れるんですよ、普段が。
で、また父がプロのゴルファーなんで、
いつもそのやり方の前のあり方をずっと、
靴並べろとか、挨拶ちゃんとしろとか、
道具大事にしろとか、
めちゃくちゃ言われてきたんで、
人間教育ですよね、野球というか。
それが野球だったっていうところで、
正直大学の時とか、
結局野球、ベースボールクラブ辞める時も、
嫌いになってっていうか、
ちょっと投げ捨てるように辞めたんですよ、
思い切って、実は。
バーンって辞めたんですよ。
もうここまでやるって決めて、
出なかったらもういいっていう出来事がいくつかあって、
辞めたんですね。
でも今思ったら、もうちょっとやりたかったなって思ってますね。
そうなんですね。
それぐらいやっぱり面白いんですよね、野球っていうスポーツが。
奥深くて、人間味があって、
普段の行動とか現れがすごく出るし、
全部理由があるし、
負けることからすごく学ぶんですよ。
あとは維持ですよね。
維持で、自分また来いとかあかんなって、
すぐ課題が見えるんで、
辞めれない。
野球やってる人聞いてたらよく分かると思うんですけど。
そうなんでしょうね、きっと。
大輔さんはちなみにどちら、守備はどこだったんですか?
守備は内野全般ですね。
セカンドから始まって、ショート、サード、ファースト。
ピッチャー、ギャッチャー以外は内野全部やってましたね。
どこでも結構やってたんですね。
そうですね。
だから甲子園のこの時はファーストを守ってたんで。
じゃあ25歳でバーンと辞めた時の状態って、
はっきり言って、一気に野球から手を引くというか、
新しいことをやろうって決めてたわけじゃない?
ないですね。
その時ってどうされてたんですか?
25歳で野球以外の人生。
まず道もそんなに知らないし、電車でその場所に行くっていう生活だったんで、
車でその場所に行くぐらいで、高速とかも全然乗ったことないし、
遊ぶこともしてなかったんで、そんなに。
一般的に仕事して、アフターファイブ楽しもうとか、週末こうしようみたいなのがないんですよ、ゼロ。
無知ですよね。
今まで25歳まで野球やらしてもらってたんで、
家族にサポートも受けて、実家に住んでましたから。
酒屋とか、他のバイトとかしながら家に生活に入れてみたいなことをしてたので、
でも25歳になってね、フラフラしててもダメじゃないですか。
働かならダメですし、働こうっていうことで就職するんですよ。
どうやって就職を決めてたんですか?
25歳で野球辞めたので、弟が早くに事業立ち上げて、
30:00
若手の実業家としてバリバリやってたんですね。
それが人材系の仕事で、人材派遣とか人材紹介とか、そういう系の仕事をしてたので、
それ系兄貴、これからの人生にいいよ、みたいな。
お兄ちゃんもやったな、みたいな。
じゃあやるわ、みたいな感じで。
面接いくつか受けて入ったんですよ、大阪の会社にね。
目的も別に仕事せなあかんし、やっぱフラフラしててもダメだし、
仕事してちゃんと家にお金入れて、応援方向もせなあかんし、
自分もやっぱりね、毎日ご飯食べるわけですから、
食べる分自分でちゃんと稼がなあかんっていうだけの思いで。
でもね、3ヶ月ぐらい、なんか本当にエアポケット状態というか、空虚感。
空虚感と無情感でね、飲み会とかも一切行かなかったんですよね、好きじゃなくて。
上司の方みんないい人たちで、すごい僕みたいな人間、
頑張るしいいやんって言って、正社員ですぐ取ってもらって入ったんで、
すごいいい上司仲間に出会ったんですけど、
あんまりみんなと戯れて、いわゆる普通の会社員みたいなノリはなく、
3ヶ月間は地元に駅着いて、いつも週末になると寂しいなってね、
駅着いてこう、なんか涙出てくるんですよ。
なんかもうあの感じできへんのかとかね、野球の方あるじゃないですか、
厳しい中にも何百本振って、やっと一本打つみたいな感覚が、
これが社会人ってこんな感じなみたいな、
そういう空虚感でしばらく過ごしてましたね、3ヶ月ぐらいは。
そんなすぐには気持ちは切り替えられないっていうことですね。
そうですね、3年ぐらいはずっとこう、未練ありましたね。
ずっと払拭できなかったですね。
自分の決断なんですけどね、自分の実力と自分の決断なんですけど、
今思うとあの時バーンと辞めんと、
なんか他の方法借金してでもやってよかったなって正直思いますね。
なるほどね。
正直思いますね、どうやったんやろうっていう。
じゃあこう社会人生活をしながら、
3年間ちょっとそういう思いも持ちつつ生活してらっしゃったってことなんだ。
そうですね、ずっとそんな感じで、
そうですね、だからなんか営業取ってきても別に、
こんな言うたら怒られますけどね、いいんですか?
もちろんいいですよ、本音で是非。
なんかすごい評価してもらえたんですよ、会社で。
営業飛び込んでこいって言われて、行ってきますって言って、
みんな全然飛び込まないんですよね、周りの社員の人たち。
1日30件とか40件とか言って。
梅田って言ってど真ん中の大阪の一番会社多いところなんで、
33:01
どこでも飛び込んでこいと。
コンビニでも駅の売店でも僕飛び込んで名刺もらってっていう、
要はなりふり構わずやってたんですけど、
それで1日120件とか140件とか飛び込んで、
名刺50枚とか30枚とか取ってたんですけど、
それがすごい評価されて、お前行動するよなみたいな。
僕はちょっとピンと来てなくて、その時に、
なんでみんな普通にこれだけぐらい、
140はいけなくても100はいくやろって思ってたんで、
僕やってた感じとしたら。ひたすらいけばいいんで。
そういうこととかもすごいなんかピンと来なかったですね。
そういう社会とのずれを感じつつ、
でもなんか面白くはやってましたけど。
なるほどね。
じゃあその中から、全然健康系とかダイエットの話、
戻ってくるじゃないですか。これいつかはね。
戻ってくるはずなんですけど、そのきっかけは何だったんですか?
そうですね。僕は社会人になって、
普通に営業してるサラリーマンだったんですけど、
その時もやっぱり体を動かすの好きなので、
ジムに行ったりとか、走ったりとか、
草野球ちょっとやってみたりとかはしてたんでね。
そうなんですね。
体を常に動かしてたんですよ。
東京営業部に赴任することになり、東京で3年間生活して、
ちょうど2009年にリーマンショックの世界中の大恐慌が起きて、
ちょうど僕たちジム派遣の部門とか、
医療系とか金融系にすごくたくさん人を出してたので、
一気にその事業縮小しないと、会社が立ち行かないと、
この事業部畳まないといけなくなっちゃうよねっていうことで、
一気にその派遣スタッフだったり、
営業していた会社員の人たちに、
希望退職者募るよっていうアナウンスが出たんですね。
そのリクルートの派遣部門に僕いたので、
じゃあもう辞めます辞めますって辞めたんですよ、手挙げて。
その辺は全然躊躇せず。
そうです。
それも初め大阪の会社から、
ちょっと事業上等とか事業部門を派生させるような形で、
東京にご縁があって行ってたんですけど、
満員電車に乗って揺られて、スーツ着てっていう生活、
やったので、もう2年3年ぐらいは。
ここの会社でずっとおろうとは、
初めから思ってなかったんですね。
ですので、もう辞めますって言って、
辞めて大阪に帰ってくるんですけど、
その時に、またこう生活していかないといけないんで、
何やろうかってなるじゃないですか。
実家に戻る気もないと。
一人暮らしして、何か仕事しようと思った時に、
母が昔居酒屋みたいなのをやっててですね、
お料理すごい上手で、
じゃあその料理で飲食店やったろか、みたいな感じ。
ノリですよね、それも本当に。
36:00
すごいノリいいですよね。
ノリで行けるっていう行動できるみたいな。
もうね、その時のお客さんに本当僕謝りたいな。
行けるやろ、ご飯美味しいし、ボリューム出して、
質より料理じゃないけれども、
安くして、美味しくて愛せよかったら行くやろ、みたいな。
本ノリで飲食店出すんですよね、大阪に。
そこで2年間やったんですが、
すごい色々な意味で苦労させてもらって、
いかに会社で勤めてる人間が、
名刺とかツールとか情報とか、リストとか、
サポートとか事務局とか、
いろんなバックヤードである仕組みのおかげで、
いわば僕たちの給料が出てたっていうこととか、
独立して初めてわかるわけですよ。
いっぱい700円のランチを売るのに、
どれだけ大変なんやとかね。
飲食業って特に仕組みとか仕入れとかで、
要はお金にならない労働料は、
多分ぶっちぎりにあるぐらい、
好きじゃなかったらできない仕事ですし、
そこをいわばそれも舐めてたわけですよね、
その時も行けるやろ、みたいな。
でも自分の営業力というか、
近くの近隣のところに、
リクルートの時のあれじゃないですけど、
企画作ってね、
間奏芸会とか新人歓迎会とか、
大きい男女めっちゃ集めて、
そういうコンパやったりとかね、
いろんなサークル巻き込んで、
会社巻き込んで、
会社のディーラーのそういう大きなイベントに入り込んでとか、
いろいろ結局営業力ですよね。
営業してやっと成り立っているような、
お店の状態で、
僕自身が社長であり店長をやってたんで、
食べて飲んでお客さんと騒いで売り上げ上げるスタイル。
続くわけないですよね、今思うと。
気づけばもうお腹太鼓みたいになって、
90キロぐらいに太って、
何キロぐらい増えたんですか?
だから15キロぐらい、13キロぐらい増えましたよね、
いい状態から。
で、店を閉めるんですよ、2年で。
で、借金が残り、店閉めて、
30歳、31歳ですよ。
だいぶ痛いやつじゃないですか、これね。
太ってる、お金ない、結婚もしてない、
家もない、人脈も何もなくない、
何の特殊技能もスキルもない状態、
資格もなければ。
で、どうしようかなと思ってて、
店閉める2日前に、
ふらっと一人入ってこられて、
久美子さんという方なんですけど、
これどこかで聞いてたら嬉しいですね。
久美子さんが、
だいちゃんとか言って、こんにちはみたいな。
で、店閉めるんですよ、そうなんや。
で、私ダイエットしてんねみたいな。
その時、ライズアップよりも前に
吉川メソッドっていうのが実はあって、
39:01
吉川さんという人が、芸能人とか超セレブを、
あります、ご存知ですかね。
東京ですよね、でも。
そう、東京の。
その方がめっちゃテレビ出まくってて、
2ヶ月で100万とか150万とかっていう、
それぐらいの金額で、
パーソナルトレーニング業界の
一番高額の走りの方なんですよ。
その方のやつ受けてるっていう。
そうなんですか、すごい興味ありますねって。
私のスクワットとか見てくれへんって来たんですよ。
見してもらったら、
え?っていうようなフォームでやってて。
鈴木さんから見たら。
僕から見て、
え、それやってんすか?みたいな。
うん、そうやね。結果出てます?
いや、あんまり絶対出ないですよって言ったんですよ。
それじゃ絶対結果出ないですねって言ったんですよね。
その一言からこの仕事に繋がるんですけど、
僕太ってたんで、その時。
一緒に休ましょっかみたいな。
久美子さんこういうことやったほうがいいですよ、
こういうことやったほうがいいですよとかいうことを
一緒にやりだしたんですよ、ボランティアで。
で、僕その時ほんとお金もなくて、
おばあちゃんの休暇に独所ひと間のね、
古い家に安い家賃で済ましてもらって。
で、そこからその人の家に行くにも電車鎮渋ってたぐらい。
300円、400円渋るぐらいお金がなかったんですよ。
借金してたんで。
で、自転車で行ってましたもんね。
40分ぐらいかけて。
で、自分のエクササイズにもなるし、
ちょっとこう、何でしょうね。
ここからやったるでっていう気持ちしかなかったですけどね。
まあでもそういう感じで、
一緒にボランティアでやりだしたら、
その人みるみるみるみる痩せていって、
今でもレコード記録ですね。
ふくらはぎの太さが8センチ細くなったっていう。
ふくらはぎで8センチ?
そんなめちゃくちゃ大きい人ちゃいますよ。
ちょっとポテッと下半身してるかなっていう人だったんですけど、
下肢腸脈流って言って、
コブみたいにちょっとなってる状況もあった方で、
下半身の血流がちょっと悪い方だったんですけど、
それもスクワットやれば絶対良くなるよ。
お水飲んで。
朝、公園で待ち合わせ。
大阪城公園とか、
ジョーナーテの公園とか、
淀川とか、
そういうところで待ち合わせして、
で、1時間2時間過ごして。
それをやってたら周りがこう、
え、どうやって痩せたの?みたいになって、
これ仕事にできるよ、だいちゃんって言われて、
え、これで仕事になるっていう感じですよね。
僕としたら。
なるほどね。
感覚的にはそういう感じなんですね。
だから感覚がちょっと、
皆さんこんなことも知らないの?っていうのが、
31歳の時あったんですよ。
これ仕事にしていいんですか?
絶対いいよ。
みんな絶対喜ぶよって言って、
人が体験に来て、
で、あれよあれよと、
もう3ヶ月で満員になることができて、
そこからもうずっとこの仕事ですね。
42:00
すごいですね。
そう考えるともうこのやっぱり野球も含めて、
ずっとやってきたことが、
当たり前のことが、
バッチリ活かされちゃったみたいな感じなんですかね。
そうですね。
本当にでもそれで僕、
もっともこう、
この仕事を今やってますけど、
感謝できることは、
やっぱりこう、ある程度、
あきさんもそうですけど、
自分でこうビジネスやってる方とか、
僕よりも年齢も上の方多かったですし、
社会的に、
やっぱり核の高い人たちというか、
自立した大人で、
すごいかっこいい人たちが顧客だったんで、
そういう方々に囲まれてたので、
僕もやっぱりつられて、
あげてもらいましたよね、
いろんな意味で。
それでテレビとか雑誌とか、
スタジオを持つようになったりとか、
っていうのはやっぱりこの仕事のおかげなんですよね、
本当に。
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また、次回もパリで学んだ
ぶれない自分の作り方をお楽しみに。
アキでした。
43:50

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